霊界の諸相・天界編・その2
それでは、7次元、8次元、9次元について書いてみましょう。
7次元、菩薩界
6次元の要素は「創造」でしたが、この7次元の要素は「利他」です。
一生を人助けと奉仕に生きた人達のいる世界です。
仏(ほとけ)の世界では菩薩、神様の世界では天使と呼ばれます。
霊界で「天使」と呼ばれる羽を持った存在は、ここから上の人達です。
天使と言うのは、自分より人のために生き、与えて与えて与え続ける者をいいます。
7次元の人達は、いかに人々を助けるか、救済するか、という事に主眼があります。
6次元以降の霊人口では8割が宗教家だそうです。
なぜかと言うと、最終的、根本的な救済というのは、霊的に地獄からの救済を全て意味するからです。
全てと言いましたが、これは政治、芸術、哲学、科学、ジャンルを問いません。
全ては魂の救済のための道具立てという事に、最終的にはなるからです。
基本的にその人の世界、境涯は、その人の持っている信仰によって展開しています。
これは地上でもそうですが、霊界ではストレートにそうです。
つまり地獄界にいる人は、地獄の何かの信仰をもっているのです。
それは唯物論であったり、この世的な快楽を至上とする信仰であったり、他人を害するような信仰であったり、様々です。
要するに「何を信じているか」が信仰なので、例えば科学万能なども信仰であり、一種の宗教になります。
つまり哲学的に言って、何も信じていないという人は一人もいません。
その信じているものが天国的か地獄的か、他人や自分を益するかもの害するものかで、天国地獄が分かれてきます。
例えば私は人間です、という考えさえも一種の信仰になります。
私は神様だと思えばそうである可能性はありますし、私は天使だと思えば、その可能性もありますし、そうなる可能性もあるのです。
解りますでしょうか?、もう一度いいますが、要するにその人の信じているものが、その人の世界や境涯を決定するのです。
ですから「正しい信仰」を広めるということは、幸福へいざなう愛の行為であり、天使としての役割です。
長々と書いてますけど、要するに7次元の活動は、6次元のプラグマティズム(有用性)にプラスして「正しい方向(信仰)を広める、指し示す」という要素が入ってくるんだという事です。
この世的に解りやすく言うと、役に立つ人間なだけでなく、必ず「精神性」が入ってきます。
もう一度書きますが、神仏への信仰なきものは、まあ5次元ではじかれるんですけれども、高級霊という事は原則ありません。
6次元の人はまだ自分の学習、自分作りということに関心があります。
実のところ霊として、一人前、大人、と呼んでいいのはこの7次元の人からのようです。
それまではこの世的に例えるならば、地獄霊は幼稚園児、精霊界は小学生、4次元は中学生、5次元は高校生、6次元は大学生、とこんな風に言えるでしょうか。
つまり霊的な意味で真に社会人(要するに人々のために「働いている人」)と呼べるのは、この7次元からの人のようです。
そうは言ってもそんなに数が多いわけでも、もちろんありませんで、地球霊系団の人口が500億くらいだと言われているのですが、そのうち6次元の人口は1億人ほど、7次元の人は5万人程だそうで、8次元如来界の人になるとわずかに500名ほどだそうです。
7次元の人と言うのは6次元の上ですから、例えれば「栄えぬき」だそうで、いろんな意味で優秀な人なことは確かなようです。
だいたい1千人の人を指導できれば6次元(神様)になれるようで、1万人くらいの人を指導、あるいは救済できると、菩薩になれるそうです。
地上で生まれた人ですと、例えばマザーテレサ、二ノ宮尊徳、坂本竜馬、松下幸之助、それからモーツァルト、そうした人々です。
マザーテレサなどは、もっとも端的に菩薩としての生き方を体現している方だと思いますが、能力的にも松下幸之助などは、多くの人々、経営者を指導、救済している方ですね。
6次元の人と違うのは、少し心の教えとか哲学、つまり宗教性とか精神性が入ってきている事です。
彼らの精神は「奉仕」です、社会奉仕、人々に対する奉仕の精神、これに貫かれています。
別の言葉で言えば「愛」ということになるでしょうか、人々への愛に生きた人といえるでしょう。
そういう人で解りやすいのは、野口秀世とか田中正造とかですね。
霊と言うのは高次元な存在ほど後光、つまり光の量、霊エネルギーが増えます。
後光は5次元の人で頭の中心から数センチほど、6次元で頭の周りにお盆ほど、7次元の人ですと頭を中心に肩にかかるほどの後光になると言います。
実のところ私も多少霊的に光が見えたりするので、例えば朝、おはようございますと挨拶したりする人の周りに、これは5次元的なものですけれども、光を見えたりはします。
人に話しかけたり、人のために何かしたりすると、光を放つというのは、体感としてその通りです。
簡単に言って愛あるところに光ありと言っていいでしょう。
霊的な目にうつる体験ではその通りだと思います。
つまり後光というのは何かと言うと、それだけ人に与えたという実績ですね。
これは「与えると、与えた分が天から降ってくる」ということのようです。
天使の輪と言うのは、天から下ろされた神の光だと思います。
つまり天使と言うのは、天の使いとして神様の信任をえている「使わされる代理の存在」だという事ですね。
大元の供給源は何かというと、霊太陽ですが、そこから地球ではエルカンターレを頂点として、高次元のメシア(9次元霊)達が下位に光を降ろしていっているようです。
9次元の人は8次元に光をおろし、8次元の人は7次元に光をおろし、7次元の人は6次元に光をおろし、6次元の人は・・・・・というような構造になっています。
別の言い方ではそれぞれ高次元の人達が下位次元の人達を「指導」しています。
人間(人霊)に固有の霊エネルギーがあるのかどうか私には良くわからないのですが、この世界でもきちんと活躍される方は神様の信任をえて、言ってみれば光のパイプラインとしての役割を果たしている人達です。
ちょうど金融機関のお金が誰のものでもなく、公的な仕事でなければ決して大きくならない様な事と同じだと思います。
8次元、如来界
8次元の要素は何かと言うと「慈悲」だそうです。
存在するだけで人類の愛となるような、そうした人のことだそうです。
例えばエジソン、善人も悪人もなく電球は人々を照らします。
例えばベートーベン、善行に喜ぶ人にも、悪行に悲しむ人にも、その音楽は勇気を与えます。
カエサルのローマは愚者にも賢者にも、豊かな平和な世界を提供しました。
一対一の愛ではなく、無差別な人類への愛、ということだそうです。
如来界の人口はわずか500名です。
日本では聖徳太子や、福沢諭吉などがそうだそうです。
そういえばこの二人は、お札になってましたね(笑)
その人生は一つの文明、文化を作り出すことです。
一つの文明文化の源流となる事です。
その一生は仕事そのものです。
如来界の人はエネルギー量が多く、作業が延々と持続するので、よく3時間睡眠とかしてます(例、エジソン、ダビンチ、ナポレオン等)。
私は、この如来界の要素は「宇宙」ではないかと思います。
ベートーベンのオーケストラを演奏会で聞いて、そこで感じたのは宇宙でした。
バッハのオルガンにも宇宙を感じます。
地球人類をどう導くか、という宇宙からの視点、宇宙の悟りのようなものがあるんだと思います。
おそらく我々が神様と正式に呼べるのは、この8次元から上の人なんだろうと思います。
如来界の人に感じるのは、圧倒的な「無私」と、そこから導き出される透明ともいえる澄み切った「品格」です。
7次元の人には、まだ自分と言うものが少し残っているような感じがします。
その「私」という感じがザラッとしたものとして如来界の人と比べて、品格を少し落としているような感じがします。
これは下がれば下がるほど「私とか我」が増大し、品性は落ちていくものです。
私が如来界の人に感じるのは、つまりこうした人間的属性、本能的な「我が我が」という思い、こうしたものを「滅尽(めつじん)」している姿です。
つまり本当の意味で「人間」としての属性を離れ、ただ霊として「神様」と呼べるのは、この8次元からだろうと思います。
例えば7次元の人はまだ視覚的に人の姿を取っているそうです。
しかし8次元の人達は作用する意識として、霊エネルギーとしてあり、姿形を持たないそうです。
見えるのはただ巨大な光、あるいは普遍に広がる磁場のようなものです。
この「滅尽」ということですが、その一生において自分のために使った時間がほとんどなく、ほとんど全ての時間を、人のため人類のため神のために使っています。
休みさえろくに取らず、仕事の量は圧倒的です。
如来の人というのはそうして仕事をなし、文明なり文化なりの源流になる人です。
たとえばソクラテスやプラトンも如来の方ですが、哲学の祖ですね。
宇宙という悟り、これは何であるかと言うと、おそらく本当の意味で神を知っている、神と繋がっているということではないでしょうか。
なぜ無私なのかというと、ただ神の手足として働く姿だからです。
ではなぜ神の手足として働くものが、もっとも偉大なものなのでしょうか?
それは、この世界が一つの神の体そのものだからです。
私達は宇宙に住んでいるように思っていますが、実はこれは一つの神の体内なのです。
私たちは、例えばそうした神の体内の中の微細な細菌なり細胞の一片でしかありません。
ここになぜ人が人を殺したらいけないのか、とか互いに助け合わなければいけないのか、あるいは自殺がなぜいけないのか、という答えがあります。
それは例えば一人の人間を殺すと言うことは、神の体内の何かを傷つけるということだからです。
神を傷つけると言うことは、養い手である母体を傷つけることですから、間接的に自分も他人も傷つけることでもあります。
実はこの辺りが自殺が罪となる所以のような気がします。
預かった体は、神の細胞であり、神の生命体の一部でもあるのです。
自分の体は自分だけのものではないと言うことでしょう。
全ての人が繋がって、一つの神としての体、神の生命体を作っていると言うことです。
ですから本来自分とか自分だけのものとか言う概念はナンセンスなものです、いわば全てが神であり、同じ生命体に属するものだからです。
例えて言えば如来界の人と言うのは、そうした体内の栄養素を運ぶ大きな血管か何かの一つなのでしょう。
9次元、大如来界
地球には10体の神霊がいるそうです。
1、エルカンターレ(釈迦、ラ・ムー)
2、アモール(イエス・キリスト、アガシャー)
3、セラビム(孔子)
4、アケメーネ(マヌ)
5、オルゴン(マイトレーヤー)
6、カイトロン(ニュートン、クート・フーミー)
7、セオリヤ(ゼウス)
8、サマトリヤ(ゾロアスター、マニ)
9、モーリヤ(モーゼ)
10、エンリル
地球にもともといたのはエルカンターレという神霊だそうで、8億年前に金星での人類が終わるまでは、エルミオーレという名前で金星の人類を指導していたそうです。
エルは光(ミカエル、ガブリエル等)ミオーレは金星、カンターレは地球だそうです。
残りの神霊は他星系から霊団が渡ってきたときに、やってきたのだそうです。
9次元霊というのは地球だけの磁場に留まらず、宇宙にまたがっているそうなので、おそらく元いた星にもとどまっていると思います。
霊というものには形はなく、個性のあるエネルギーなので、宇宙にまたがって存在してもおかしくありません。
ちなみに霊の座標というのは、その存在を知っているか知っていないかなので、おそらく地球に渡ってきた人達も、元の星の人達も、その神霊を信仰し続けている、ということではないかと思います。
9次元霊の仕事は何かと言うと、例えていえばシムアースというゲームがありましたが、そんな視点で惑星の生き物や人類を導き指導する存在だと思っていいでしょう。
私達が「神」と呼ぶのにもっとも近い存在かも知れませんね。
地上に生まれれば、一つの文明圏を作るような仕事をしていますね。
さて、人間としての意識を持っている、いわいる「人格神」とよばれる存在はここまでで、この上からの意識は惑星霊とかになります、次回はその辺りから上を書きましょう。
霊界の諸相・その3・宇宙編
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