転生輪廻について 




 転生輪廻とは、一つの魂が肉体に宿り、死んで肉体を離れ霊界に帰り、しばらくしたらまた別の肉体に宿る、という事を繰り返しているという事です。



 元々我々は「霊界の住人」です。

 この世界は魂の成長だか改造だか位置づけを変えるための舞台装置として作られた「演劇の舞台」です。

 王様だとか乞食だとか労働者だとか、役割を変えて生まれ変わり、様々な経験を得るための世界です。

 記憶から全て無くすのですから、たいした役者だと思いますけどね。



 どうしてこんな世界をわざわざ作ったのか、ということですが、これも色々と考えられるんですよ、でも今は一つの考え方だけ示してみます。

 おそらく霊界における魂の変化というのはそれほど無いんじゃないかと私は思いますけどね。

 成長もそうですし、位置づけというか、神様だとか植物だとか動物だとか人間だとかの種族もそうですし、人間の中でも科学者とか哲学者とか政治家とか芸術家とか宗教家とか、何も変わらないんじゃないかと思うわけです。

 要するに霊界だけなら、あまり変化の無い世界ではないかと予想します。



 ところで意外なんですけど、転生輪廻自体は地球のオリジナルかと言えるほど、特殊な仕組みなんだそうです。

 そもそも宇宙人と言っても肉体を持っているのは1割だか2割だかに過ぎず、ほとんどは霊界の次元に存在しているそうで、この3次元のどこかの惑星に肉体修行できそうな時だけ、生まれさせてもらっているんだそうです。

 地球でも昔は1000年くらいの寿命があったそうです。
 寿命とか老化と言うのは、遺伝子に組み込まれた設計図に基づいて展開される作られた(デザインされた)事象です。
 人間が100歳満たずに死に、頻繁に転生するのは、地球ではそのほうが魂の修行に良いと思っての事なんだそうで、要するに自然現象というより取り決めによってそうなっている、という事なんだそうです。




 転生の間隔としては、普通の(一般的、平均的?)魂では500年くらいの周期で生まれ変り、菩薩界くらいの人で1000年くらい、如来以上の魂ですと2000年くらいのようです。

 もっと低い魂の場合(4次元幽界くらい)ですと、死んで割とすぐ生まれ変る人もいるそうです。

 これは例えば山奥できこりなどしてた人、あの世へ帰っても山と木くらいしか無くて、変化なくやることが無くて、なんとなくすぐ地上に生まれ変わったりするのだそうです。

 つまりこの様な未成熟な魂は未開の地や後進国に割りと多い、と言う事だそうです。

 日本のような国でも、例えば酒びたりで酒ばかり飲んで死んだような人が、地上の酒の臭いにひかれてすぐに生まれ変ったりするそうです。

 つまり、低級霊ほど生まれ変りの周期が早く、高級霊になればなるほどすぐに生まれ変らない、と言うことです。

 ちなみに地獄界からは、原則生まれ変ることができないそうです。


 それから事故や戦争で死んだような人ですと、すぐに生まれ変るそうです。

 例えば太平洋戦争で死んだような人達が、団塊の世代として多く生まれ変わったりということがあるようです。

 例えば、有る霊人が霊界での研究成果を地上に現したくて生まれたのですが、子供の時に死んでしまい、霊界で他の大人の霊人に世話をしてもらうのですが、その子供はどうしてもまた生まれ変るんだと言ってゆずらなく、大人の霊人がどうしてそんなに苦しい地上の世界に出たがるのかといってひき止めようとしたけどついに地上に生まれ変っていった、といった話を聞いた事があります。

 あるいは高級霊の生まれ変わりの事例をみても、そんなに周期的に生まれているわけではなく「この時代にこの仕事が必要」と言った必要性があって生まれています。

 つまり「何か生まれる理由なり目的がある時に生まれる」というのが大体の所のようです。




 中絶の場合を書きましょう。

 最近の情報では「妊娠8週目頃に魂が宿る」ので、それ以降はなるべく中絶しないほうが良い、という事らしいです。

 弱年令による出産は危険、および経済的裏づけがないため生まれた子供が貧困層になる、等の問題があるため魂が宿る前ならば中絶も是とされる部分があるようです。

 フィリピンはキリスト教で中絶反対が根強いのだそうですが、弱年令で生んだ子供が貧困層でギャングになり、また若年令で子供を生むという負の連鎖が続いているんだそうです。

 ただ言わずもながですが、日本での中絶は多すぎますし、問題があります。


 胎児の時に宿るわけですが、徐々に記憶がなくなり、産まれて外に出たときには完全に霊の時の記憶がありません。

 中絶された時に記憶がある場合ですと、すぐに元の大人の霊人に戻るようです。
 この場合、例えばその霊にも産まれてくるにあたって人生の計画なり意気込みなりがあり、計画が狂うこともあって一種の挫折になるそうです。
 この場合親が、例えば水子供養などで謝罪念を送ったりすると、まあ気持ちもほぐれるわけですが、多くの場合こうした中絶された経験があると、次生まれ変っても反抗っぽくなることが多いそうです。

 特に神も霊も信じず、自分がこの世で何をしようが自由だと思ってるような自分勝手な親に中絶されたら、されたほうはいたたまれないと思います。


 さて、中絶された時に記憶が無い場合ですと、これはもう完全に子供の意識になってしまっています。
 こうなると子供の側にはどうする力もなく、ただ親の近辺に出没したり、さいの川原で石を積むしかありません。
 このような場合、親がしっかりとした霊知識を持って、しっかりと水子供養をし、あの世で成仏を願うことしかないでしょう。
 そうすると天上界から導きのものがきて、子供を助けてくれたりするようです。

 前にも書きましが、このような親が死んだ時に、霊界の入り口で、さいの川原で石を積むその中絶したわが子を見るそうです。
 これはその人の意識に心残りとしてあるものが、それを引きよせんるんだそうです。
 少し大きくなった姿で現れるそうですが、話かけてもその子は自閉症のようになっていて気がつかないそうです。
 どちらにとっても、かわいそうな話ですね。


 中絶とは違うのですが、幼児期に死ぬ子供も、ある程度霊界で養育の経験を積みたい霊人への供給として、需要があるそうです。
 なぐさめではありますが、天上界で暮らす子供というのも、それはそれで幸せな存在なのかもしれませんね。


 少し昔ですと、生まれ変りの池というものがあったそうです。
 池に飛び込むと、地上に生まれ変るわけですね。
 これは、霊にとって地上に生まれ変るのは非常に恐怖心を伴うため、思い切って行動させるための視覚装置らしいです。

 今ですと霊界も近代化していて、センターのような所でカプセルに入って地上に送り込まれる、という形をとっているようです。
 これも格霊界によるのでしょうが、科学的な事象は同じなんだろうと思います。




民族の転生


 転生輪廻というとAの国に生まれたら次はBの国に生まれて、と言う風に割りとあちこち生まれているような印象を受けるものですが、実はそうでもなく全魂の8割くらいはずっと同じ民族に転生しているらしいです。

 あちこち生まれ変っているのは進んだ魂とか、例えば地上で言えば国連にあたるような立場の人でもあるようです。

 まあ、この情報は本当に8割であるのかちょっと自信がありませんが、色々な国に転生する魂というのは一つの時代を作る魂、興隆する国を作る魂、地球計画の実行に携わる魂、そういった所でしょうか。

 (この8割という数字は、おそらくその民族固有の人口に対してかもしれません。つまり日本人なら日本人の8割ほどは、ずっと日本人として転生してる日本人の魂ということ。ただし現在の日本のように文明の興隆期には、もっと多くの他の魂が生まれていると思われる。地球霊人口500億に対する流動人口がどれくらいなのかはわかりません。ただ同じ所と言っても時代を経れば変わっている可能性もあります。例えばアメリカに転生しているのは、過去のローマ人が多いそうです。また宇宙人の転生、つまり星をまたがっての転生の行き来も、割りと多いようです。)


 民族というもの、その元々の起源と言うものには長い歴史があったりします。
 そもそもこの地球上に人類が発生したのが4億年前だそうですが、それら地球産の肉体とは別に、宇宙を渡って移民してきた肉体群が3回ほどあったそうです。

 1回目は3億6千年前、ベータ星から6千万人。
 2回目は2億7千年前、オリオン座から10億人。
 3回目は1億3千年前、ペガサス座から20億人。

 それら肉体の基本的な違いが、現民族の違いの元らしいのです。
 そして、魂としても渡ってきた肉体にずっとやどり続けていることが結構多いらしいのです。

 例えば原文明では黒人種というものは非常に虐待を受けてきたわけですが、これはどうも過去の文明で黒人種が白人種を酷使していた文明があったことのカルマらしいのです。

 それはおそらくラムディア文明のことでは無いかと私は推測するのですが、4万年〜3万年ほど前の文明で芸術が非常に発達した文明であったのですが、生産を奴隷階級に依存し、自分達は芸術に酔いしれたため、その不調和な念のため大陸が没したとのことです。

 ここで言いたいのは、黒人種は割とずっと黒人種として、白人種は割りと白人種として転生をしつづけているのなら、こうしたカルマの刈り取りがあってもおかしくはない、と言うことです。


 ちなみに日本人の転生はムーからだそうです。
 西のアトランティス、東のムーと2大文明の転生が、それぞれアメリカ人と日本人です。
 日本人の民度、および国力が高いのはそのためです。




転生周期について


 霊界において「役割のある状態が続けば、ずっと霊界にいる」と言う事ではないかと思います。

 ソクラテスは、地上でソクラテス哲学を学び使用する人々がいる間は、ソクラテスとして霊界に居て指導し続けるだろうと思われます。

 国がなくなると国の霊界もなくなり、別の所で新たに生まれていくしかないようです。
 つまりその国が滅ぶと、その国の神様も滅ぶようです。
 つまり、その国が存在し続け、その神様が忘れ去られなければ、ずっとその国の天界で神様をやっておられるんだろうと思います。

 ですから、死んでからすぐ生まれ変わるような魂は、霊界にいる理由がそもそも無いんだと思いますね。

 一般(つまり平均?)と言われる霊は500年ほど霊界にいるそうです。


 荘子にある話ですが、荘子が骸骨になぜそんな惨めな姿になったかたずねた所「今あの世でこの世の王よりはるかに幸せな状態なのに余計なお世話だ」と言った、というような話がありますが、普通は天界に居れば地上の苦界などにわざわざ生まれたいと思うはずがないものです。

 それでも生まれてくると言うのは、その時にはそれだけの魂の飛躍のチャンスがあるからだろうと思われます。


 そうは言っても自殺者は天国には入れません、かわいそうですがその時の苦しみがずっと続きます。




 ですから霊というのはトビウオのようなものです。

 トビウオというのは海の魚ですから、本来の住みかは海の中(霊界)なのですが、助走をつけてたまに水上(地上の世界)に躍り出るということですね。

 そして、水上を飛行している時は、海中のことは忘れていて、自分は本来空を飛ぶものだ、と勘違いしていることが多いわけです。
 しかし例えそのトビウオがどんな風に考えようとも、やがては勢いを失って水中に戻ります(死)。

 そこでまたハッと気がつくわけですね、ああそうだった、自分は海の中の魚だったんだと。
 地上の生命そのものは、そのようにはかないものだろうと思います。

 この魚自体が生き通しの自分の魂であり、水上に出ている一回一回がそれぞれの肉体人生にあたるわけです。


 私自身は自分の霊界で呼ばれていた時の名を知ってます。
 有名でもありませんし、その名前を言っても仕方ないことなのでわざわざ言いませんが、名前の一部にG(ゴールド)という名前がつくので、私自身はおそらく仏教系の魂だろうと考えています。

 また霊にも年齢があるらしく、私は19歳らしいのですが、これは霊としてはわりと若いらしいです。
 まあ、この霊の一歳が地上の時間の何年にあたるのか検討もつかないのですが、少なくとも万年とか何十万年とかの単位であることは言えるようです。

 それほど人間の魂と言うのは、長い間生き続けているものらしいです。




カルマと転生


 それから私はひとつ前の前世が500年前のイギリスの貴族だったそうです。

 そこで、たぶん「悪い領主」だったんでしょうが、ずいぶん人の恨みをかったようです。

 そういう前世だと、やはり今世では苦労するものと思われます。
 やはり何かを達成する運というものがまるでありませんし、子供の頃から割と苦労してると思います。

 カルマと言うことですが、今私はものすごく平凡な親の元に生まれていると思っています。
 私的に言うと考え方が平凡すぎて、私とはまるで合いません。

 そして、なぜそうした所に私が生まれたかということですが、これがつまり貴族的な傲慢から目を覚ますために、あえて平凡な庶民にうまれて、庶民の感覚、庶民の考え方、庶民の力無さ(いかにも傲慢だな(笑))というものを勉強しているのです。

 よく子供は親を選べないと言いますが実はそれは逆で、本当は親は子供を選べない、というのが本当の所のようです。
 つまり、魂と言うのは今世どこに生まれたら一番勉強になるか、ということで親を選んで生まれてくるのです。
 自分で希望し頼んで生まれさせてもらっている(どんな親でもそう)のが実情ですので、親を恨むのは筋違いと言えば、まあそういう事です。


 例えば、酒飲み暴力で家族に迷惑をかけたような人が、次の転生ではそうした酒飲みの親の元に生まれたりします。
 そうして暴力を振るわれて、初めてそれがどういうことなのかを学ぶと言うことです。



 カルマの法則には大きく2つほどに分けて考える事ができると思います。
 一つは個人として、もう一つは他者との関わりとして、ですね。


 個人的なほうは、個性に関することで魂はバランスを取りたがるもののようです。
 例えば、積極性と消極性、やさしさと荒々しさ、知性か行動力か、そういった対極的なものなど、転生や魂の兄弟をまたいで、違うものを演じたりするようです。
 一つの円を基準としてまるくおさめつつ、円の大きさ自体を拡大させたい、と言うのが魂の基本的な欲求のように思われます。


 もうひとつは他者との関係(貸借対照表のような)です。

 カルマの法則というものは0を基点とした、時間的に現れる−(マイナス)と+(プラス)の収支を合わせようとする波のグラフのようなものです。

 基本的には「した事がそのまま返ってくる」ようにこの世界は作られているんだと思います。

 要するに人を苦しめた人は苦しめられ、人を幸せにした人は幸せにされます。

 転生における不遇や優遇も同じです。
 いくら生まれが悪いと言っても、それは過去世で人を同じように苦しめたからだと推測されます。
 また、もし仮に現在いわれの無い苦しみを受けていたとしても、時間的に後でつじつまが合うようになっていると思います。
 ただこの辺は時間的に転生をまたいで現れたりするものなので、解りにくいんだと思います。

 これは「魂に刻み込まれた調整機能」だと私は考えますが、神様は「全ての人に平等」であり、かつまた「結局は努力した人がその分だけ報われる」と言うように「全ての人に対して公平」でもあります。

 よく嘆きの言葉として「この世界の主人公ではない」と言う人もありますが、実際は全ての人が主人公であり、権利的におそらく完全に平等なので、自分のわがまま勝手にならないだけの事だと思います。

 要するに「善く働けば報われる」ようにはなっているのです。
 逆に他人の権利を害すれば、後で同じだけ何かで害されるようになっているのです。


 (厳密に言うと業(カルマ)と言うのは心の傾向性のことで、例えば私が今世でも貴族的な傲慢さを持っている時、この傲慢さが周りとの不調和を産み不幸を産んだとする、そうした各自が持っている心の傾向性のことを業(カルマ)と本来は呼ぶ)





魂の発生と進化


 この宇宙で魂というものがどこから発生するのか書いてみましょう。

 魂の発生には演繹(えんえき、トップダウン)と帰納(きのう、ボトムアップ)があると考えられます。

 演繹(えんえき)と帰納(きのう)とはピラミッドの頂点から、と底辺から、です。

 哲学的には、この世の事象事例を集めて、公約数的(つまり共通項)に定理を導き出し、導き出した定理を集めて、そこからまた一つの定理を導き出したりと、積み上げる方法を帰納。

 まず命題と結論をを用意し、どうしてそうなのか展開して考えていく方法を演繹と呼ぶようです。

 残念ながら私は哲学の専門家ではありませんので、説明が間違っているかも知れません。

 このピラミッドはどこにでも現れるものなので、よく使う考え方だという事です。

 例えば金持ちの比率もピラミッド型です。
 身分制社会の階層もピラミッド型です。
 会社の役員もピラミッド型です。

 底辺から見ていくか頂点から見ていくか、それだけの事です。



 まず演繹的(トップダウン)な魂の発生とは何か、ですね。

 例えば私自身は神の子として神霊から分光されて出来た魂らしいのですが(神霊といっても6次元や7次元の高級霊のこと)、これは親元の霊エネルギーが分光できるほど増えたので分光したものです。

 これは例えば親銀行の資本が分社できるほど増えたので子銀行を分社した、と言うようなことでしょう。

 と言ってもこれは特別なことではなく、人の霊というのはやはりはじめから人の霊として作られていることが多く、神が人霊を作ったと言っても、結局はこれは一種の分光に過ぎないだろうと思われます。



 では、帰納的(ボトムアップ)な魂の発生とは何か。

 地球でも動物や植物ははじめプランクトンやカビから作ったのだそうです。
 そうして少しずつ高度な生き物にしていったそうです。

 もちろんプランクトンの魂から一足飛びにネコの魂には出来ないでしょう。
 おそらく魂の進化に伴って、生き物も高級に出来ていった、と言うことがあるのではないでしょうか。

 よくキリスト教で考えるように胎児の発生と共に魂が発生すると言うことはありません。
 それは多分何千万年とかけて進化するような人間の高度な魂と言うものを、一昼夜にして作ることは出来ないだろうと、私は思います。


 さて、動物から人間の魂に転生するものがあるそうです。
 ステップとしてイヌネコがやはり人間の前段階くらいだそうです。
 地球人霊の人口の何割かは、やはりそうした階段を上ってきた魂もあるそうです。

 しかし折角人間になっても、例えば生肉を食べたりするような人がいますが、こうした人はまあ憑依と言うこともあるかもしれませんが、元々動物霊であったことも多いようです。

 逆に人間から、動物霊に退化する霊も「稀」にあるそうです。
 これは例えば働かずにギャンブルばかりしているような人とか、色狂いとかですね、まあ他にもあるでしょうが動物的属性が強すぎてくると、でしょうね。

 勉強のために動物霊に宿る人霊もあるようですが、悟りとしては人間としてまあ最低限レベルなんだろうと思います。


 おおむね動物霊は動物霊として、人間霊は人間霊として、神様は神様として、始めから作られてることのほうが多いらしいです。



 霊の進化ということについて考えてみると、たとえば科学技術というものは、100〜200年で宇宙に進出しようかと言うほどに発達するものですが、人間性の向上というもは2000年前の人と比べても善くなっているかどうか解らない、いやむしろ人心は荒廃し、悪くなっているかもしれない、と言うくらいに遅いものです。

 遅いと言うより何億という時間をかける割に、その進化、変化というものは遅々としたもののように私は思います。

 例えば遥かな昔、人類は宇宙船を持って他の星にいけるほどの文明を持っていたことがあったそうです。
 しかしながらその時の文明は核戦争のようなもので滅んだそうです。
 それが今インドの地下深くに眠っている文明だそうです。

 今回我々の文明は核戦争(相互確証破壊)を回避したと言えるでしょうか?
 だとしたら、その時より我々地球人の人間性は進化したと言えるのでしょうか?

 科学技術と人間性(魂の進化)との関係はそのようなものです。



 次回は「基本的な魂の7つの力について」を書いてみようと思います。


霊の7つの力について

戻る