日本の危機について 



 私が幸福の科学に入ったのは一つには1999年の危機が如実にあったからです。

 危機自体は一旦回避されたように思ったし、この10年はダラダラと平和と安逸をむさぼっていました。

 しかしこれからまた危機の時代に入るようです。
 思うに1999年の危機は世界的なものでしたが、今回はもっと身近に日本の存亡に関わることのようです。

 恐らくは今から10年で徐々に危機的になり2020年頃に決定的な破局を見ることになるかもしれない、という事ではないでしょうか。

 具体的には中国が日本を侵略する、あるいは北朝鮮の脅威、と言う事の様です。


 共産国と言うのは基本的に統制が有って自由が無く、粛清によって沢山人が死にます。

 ウイグルやチベット、モンゴルのように弾圧と鎮圧によって人が死にます。

 天安門事件等見れば言論の自由もないし、人死にがでようが意に介しません。

 ソ連ではスターリン下2000万人が粛清されました、ポルポトも何百万という骸骨を量産しました。

 マルクス共産主義は唯物論なので、人は機械(ロボット)くらいに思っていて、いくら死んでも平気なのです。

 その中国が、台湾と、その次に日本を狙っているという話です。

 中国にとって見れば、ひとつの元とか隋とかの古代の中華帝国のようなつもりなのでしょう。


 もし日本が中国に占領されたら、日本語が禁止になり、財産を没収され、計画経済の奴隷にされると言う話です。

 基本的に朝鮮の人も中国の人も、やられた恨みを返したいと言う欲求は潜在的に持っていると思われます。


 今、日本には救世主(9次元如来、メシア、ここでは大川降法先生の事)が生まれている訳ですが、もしこの人を十字架に掛けるような事になれば、あるいは選択において無視することになれば、キリストを十字架に掛けたユダヤの民と同じ運命をたどる事になるかも知れないと言われています。

 ユダヤ人はキリストを十字架に掛けた後、ローマによってすぐにディアスポラ(民族離散)に追い込まれました。
 その後2000年間迫害の苦しみを受けています。

 今回日本でも、選択を誤れば国を失う、日本とか日本国民とかが無くなる危険性が有ると言う事です。

 まあ例えば戦前に大本教や天理教が弾圧されて、出口王仁三郎などは「天から火が降るぞ」と言ったそうですが、その後空襲や原爆により、まあ火は降りましたね。

 光の使徒を迫害すると、反作用によってその様になる様です。
 例えば地球にとって見れば体の中の善い菌を殺されて調子が悪くなるのでしょう。
 原爆を落としたのは人間ですが、結局霊的な因果関係において、そうなると言う事です。

 例えば自分の体内で勝手に自分の体の細胞を殺す細菌がいたらどうでしょう?
 それは病原菌とかガンとか毒素とか言われるでしょう?
 共産国のやっている事はそういう事です。



日本の問題点


 日本のマスコミは危険だと思います。

 日本人には哲学の伝統が無く、報道に置いても知性や理性を欠いて、感情論だけでショーを見せるような所があります。
 比べると欧米の報道なんかは妙に論理的、分析的だと思ったりします。

 全部と言うより茶の間のショーのようなものについて、ゴシップならともかく真面目な内容を「茶化す」のは良くないと私は思います。
 というより外から見たら「国民性馬鹿丸出し」(笑)

 問題なのはこれによって、首相降しが簡単に出来てしまう事です。
 知性的、理性的にそれなりの理由があって、首相は適任でないと言うのなら解りますが、多くの場合好きとか嫌いとか、様するに気分で言っている様な所があります。

 ここ最近の首相解任の理由は、外国だったら決して解任にならないような些細な理由が主なような気が、私はします。

 有能な人材を、そんなに国民の気分でコロコロと首を切っていったら、人材が払底するのは当たり前です。

 歴史を見ると、国が滅ぶ時、有能な将軍を気分で左遷したり首にしたり、反対にパフォーマンスが上手いだけの人が権力を取ったり、という事が頻発します、きっと末期なのでしょう。
 非常に危険な状態です。


 最近の検察は私も気に入らないです。
 ITバブルも検察の手が入って潰れました。
 やってる事が正しくても、それによって資産を失った人が沢山います。
 国民が盛り上がってる所を叩いて潰し、国民をしらけさせる、と言う事が多い気がします。
 私が思うに、最近は聞かなくなりましが、江戸時代の官の民いじめを、今もそのままやってる機関、と言う気がします。


 教育については、やはり戦後神道を抜いて骨抜きにしてしまった事が大きいと思います。
 代わりに教育のバックボーンになっていたのは、共産主義思想であったでしょう。
 この辺が現在日本がモラルや、国体思想を失っている大きな原因の一つであることは否めないと思います。

 戦時中の「国家神道」は「教派神道」を弾圧していますから、これも良くありませんが、儒教でもキリスト教でも仏教でも、代わりの精神的バックボーンがあれば良かったのかも知れません。
 基本的に唯物論である共産主義思想では「人間性についての教育」という事は難しいのではないでしょうか。

 唯物論的な「刹那主義」「個人主義」「快楽主義」の拡大も同じ問題だと思われます。
 今日の様々な問題を起こしているのは結局、教育の問題なのかも知れません。



 次回は続きで「新しい国体について」を書きます。


 新しい国体について

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