霊障の治しかた その1
今回は特別に、霊感があり、かつ霊障に悩んでいる、という人向けに霊障の治し方を書いてみたいと思います。
私は今もですが、長い事霊障に悩んできました。
私はたぶん元々裏側の人間っぽいので、若い頃から霊能力信仰のようなものがありました。
間単に言えば人里を離れて仙人になりたいという気持ちを持っていましたね。
その昔、霊能者の方に、あなたは霊感系の魂だと言われた事もあるので、元々そういう魂です。
私には霊能力もありませんし、毎回これほど苦労しているのかも分かりませんが、私自身はそもそもそういう魂だと思われます。
そんな訳で今は変に霊感があるので、障りが色々とあって困っています。
と言う訳で、何か誤解する人がいるみたいなので一応言っておきますが、幸福の科学では霊能力の開発もやっていませんし、霊感のある方もそんなにいませんので、幸福の科学は直接の関係は無いと思います。
もう一度言いますが、私自身が元々裏側っぽい魂なんだと思います。
宗教や霊の事にも表側と裏側とがあり、霊能力信仰は裏側になります。
表側は法理論や愛を中心とするのであまり霊能力を言いません、高級霊との対話かインスピレーションを言うくらいです。
表側は常識人として社会で普通に通用する事を重視するので、極端な霊能力信仰を忌避します。
幸福の科学で言われているのも、要するに心の修行です。
幸福の科学では、そういう意味の無い悪霊現象は無視していいから働け、というニュアンスです、まあ当然ですね(笑)
霊能力と霊感は違うと思います。
霊感だけあると制御ができなくて、色々と問題があります。
「霊能力」と言うのはたぶん高級霊や神との対話ができるようになって、天上界(だか裏側の仙人天狗だか、裏側はかえって危険でもある)の助力を得られるようになって発揮されるものだと思います。
はっきり言えば霊感だけあっても余程の人で無いと病院送りになります。
余程の人、というのは幸福の科学や仏教などで言われる所の心の修行、精進を積み重ねて心の状態が練れている、という事です。
そうでないと、簡単に悪霊にやられます。
はっきり言えば、霊道が開けただけなら、普通の人は99%以上まず悪霊にやられます。
逆に悪霊が憑依すると霊能力らしきものがつくという事もあります。
霊能力というか、憑いてるものが惑わして色々と見せたり聞かせたりと言った事があるようです。
酷くなると、もっと強力な地獄の悪霊や悪魔が憑依してその人に神様であるかのごとく囁きかける場合もあるようです。
そのような場合は、神様がついてると称しながら日頃から不幸感覚や恐怖心、死にたいという思い、等が強い人ならば、まず間違いなく地獄霊の方でしょう。
ですから結局「霊能力と霊性も違う」という事です。
つまり霊能力は単なる技術である可能性があり、その人が聖なる人か邪なる人かを決めません。
こうした所に宗教修行がなぜあるのか、という実際的な意味があるんですね。
つまり宗教的な修行というのは心の修行が主体なのであって、必ずしも霊能力を求めるものでは無いようです。
例えば出口王仁三郎の弟子は霊道を開いた後、ほとんどの人が狂ってしまったので、晩年は弟子の霊道を開く事を止めたそうです。
要するに教祖になるくらいの人は元々神様の方へ心が定まり、神様の助力を得て成立しますからいいのですが、弟子は必ずしも心がそこまで練れてない場合が多いのだろうという事です。
もう少し表側っぽく言うと、愛のある人には高級霊がかかります、逆に愛の無い自分の事だけ考えているような人には悪霊がかかります。
要するにほとんど99%の人には悪霊がかかる、というのは宗教で言う所の愛の実践を、普通の人は未だ十分にはしていないからだとも言えます。
例えば悟りを開いて高級霊界(天上界)と接触すると、神や天使というのは圧倒的な愛念、善念の世界なわけです。
教祖(邪教ではなくて、お釈迦様とかキリストとか大川降法総裁先生とか本物の)になるくらいの人はそうい事を実体験してますし、常に心がそういう状態なので霊感があっても預言者(神の言葉を預かる)として成立する訳です。
そんな訳で幸福の科学でもそうなのですが、正当な表側の宗教では極端な霊能力は忌避していて、一般の人は何か聞こえても無視するように言われています。
何か聞こえるくらいは簡単ではあるのですが、その「聞こえる」というものはほとんど悪霊である事が多いので問題があります。
例えば私も多少守護霊の意思を感じる事ができるようなのですが、守護霊のような高級霊の方は言葉で聞こえたりしません、光の意思として言葉なく暖かく内面から感じるだけのようなものになります。
私は見る事はそれほどできませんが、見るほうもたぶんはっきりと形として見えるようなものはほとんど悪霊のはずです。
要するに物質化に近い物ほど、ほとんど悪霊である事が多いです。
いずれにしてもまず霊障を治す第一は「何か聞こえたり見えたりしても無視する事」です。
つまり霊感と言ってもほとんど悪霊が憑依して何か見させたり聞かせたりと言った事が多いので、意味がありませんし、無視していればそのうち離れます。
逆にそういう事をありがたがっていたりすると、憑依が強くなってもっと酷くなってくるので、とにかくまずは無視する事です。
目次
1、障りとはどういう事か
2、憑依の原理と、戒、定、慧
3、内観法と腹式呼吸
4、無念無想
5、眉間白光
6、お札、神社、他力、その他について
7、裏側の霊能力
8、まとめ
1、障りとはどういう事か
障り(さわり)という言葉があります。
実は霊障というのは字もそうですが、ほとんど自分のオーラか霊体に、別の生き霊か悪霊が憑依(オーバーラップ、重なる)している状態で起こるようです。
つまり自分の霊体に他の霊体が「触っている」状態でおこるようです。
それで障り(さわり)と言うんだと思います。
別の言い方だと、憑依とか霊媒とかいう事になります。
もちろん霊媒は主体的で障りとは言いませんが、障りである憑依は制御できない状態です。
実は人間の体と言うのは、元々一つの霊的な電波塔のようなものになっているんだと思います。
人間には縦の体の中心にいくつかの霊的な中枢(チャクラ)があります。
その内、受信や発信は頭のほうの中枢で行われるようです。
それで聞こえたりするときは頭の周りになっているようです。
頭は霊的な中枢ですが、胸は心とか愛の中枢になっているようです。
腹というか胃の辺り、へそのあたりは悟性で、もう一つの霊的な中枢になっているようです。
大体、頭か腹かどちらかに霊はかかってくる事が多いようです。
腹は喧嘩とかすると痛くなってくる所ですが、悪想念を受けてるという事です。
丹田は後で説明しますが「落ちつ気」のようなものに重要な所です。
股間は生命力(精力)の中枢です。
生気が溢れていると、悪霊を跳ね返せます。
後2つ代表的なチャクラが喉(のど)と頭頂にあります。
頭頂は天上界と交流する事に関係があるのかも知れませんが、私はよく知りません。
のどのほうは、やはりよく分からないのですが、聞こえるという耳に関係するか、経験的に悪い方の作用だと「欲しい」という欲求を司っているような感じがします。
例えば悪霊が憑依(触る)しているとそこから聞こえたり見えたりします。
他人の気だかオーラがかかってくると、相手の意思が言葉として聞こえたり、こちらの意思が相手に聞こえたりという事があります。
相手が思っている事を聞こえるほうを「さとり」、こちらが思っている事を聞かれてしまうほうを「さとられ」と言うようです。
「さとり」もつらい事はつらいのですが、「さとられ」になるとほんとうにきつくなってきて、外も出歩けなくなります。
ただ経験上半分は悪霊の囁きによる「嘘」です。
さとりの場合「今こう思ったか」と聞いても、そうだと言う場合と、全然しらん、と言う場合があります。
また相手の守護霊がなにか言ってるような場合もあるようです。
さとられの場合、相手に何が聞こえているのかよく分らないし、自分が考えてもいないような事を何か別に聞いているような気がする場合もあります。
それからやはり波動の悪い人ほど、よく聞こえるようで絡んできます。
また、さとられの場合自分が思いたくも無い事を、何か強制的に思わされているような感じがする事も多いです。
ですからたぶんほとんどはキツネ霊だか何か悪霊が相互に囁いて成立しているんだと思います。
引っ掻き回すための嘘ですね。
体験上おそらくさとられのようなものは、こちらとあちらが同じくらい波動が悪くて、同じ悪霊が両方に憑依できるときに成立する感じがします。
「ブリッジ憑依」とでも呼びましょうか。
例えば、この状態から悪霊を離すと相手のオーラから離れているような離れ方もあったりしますが、同時にこちらからも離れるようなので、どちらに憑いているのかよく分ら無い事があります。
いずれにしてもそういう時は、鏡を見ると顔色もドス黒く、目の両はじも釣り上がっていていかにも悪霊が憑依してます、という顔になってます。
またそういう時は、黒い影や邪悪な笑い声も聞こえたりするので、やはり悪霊が憑依してくると霊障が起こると考えてよいようです。
私の場合最近は肉体のほうが疲れてくると、弾けなくなって入り込まれ、攻撃して邪魔しにくる感じです。
それからチャイニーズゴーストストーリーという映画を見た方もいるでしょうが、悪霊が始め仏像の姿で現れたりします。
悪霊というのは、さも私が悪者です、という風には出てきません、仏神の姿、声色をマネて出てきたり、信頼すべき人の姿をマネて出てきたりして、仲たがいをさせたり、信仰心を揺らがせたりするような現れ方をします。
これは悪霊だな、と思って無視していると、邪悪な笑い声に変わったり、という事はよくあります。
悪霊が憑依してると相手と喧嘩になりますが、そうでない普通の状態でも、私の場合は、普段からこちらの考えている事が何か周りに聞こえてはいる感じはします。
波動の良い人は、何か聞こえているようでも大抵は無視してくれます。
「さとり」もありますから、それで例えば「うるせえ」とか相手の思いの返しを聞いたりもしますが、波動の良い人からはそういうものも聞こえてこない事が多いです。
要するに、引っ掛かりが少ないんだと思います。
「さとり」にしても、相手がわざと悪い事を言って攻撃している(霊的に)ように感じる事があります。
そういう場合は、その声が対象本人かどうか怪しいです。
または途中からほとんど成り代わって悪霊が言ってるだけだった、という事もしょっちゅうあるようです。
聞こえる声の半分は嘘だという場合が多いです。
ですからこの世的に精神科の医者に言わせると、脳内のドーパミン過剰による幻聴とか幻覚とか言う説明になりますが、別にそういう言い方も成立するとは思います。
私の場合、攻撃的なラップ音もパキパキバキバキとうるさいし(これは幻聴ではない、物理音と霊的な声との区別はつく)、さとられの場合は肉声でとやかく言われる事も多いので、脳内の幻覚だけでは説明のしようがありません。
いずれにせよ無視するのが一番良いです。
例えばロシア聖教のエクソシズム(お祓い儀式)があるのですが、主催者は絶対に対象者が何を言ってきても、聞いても答えてもいけないそうで、その間 聖書だけ読んで徹底してます。
一言でも受け答えしてしまうと、それと同じになってしまう、という事のようですが、いずれにせよ無視する事が重要だと思われます。
2、憑依の原理と、戒、定、慧(かい、じょう、え)
なぜ霊障になるのかというと、大川降法総裁先生が昔の講演会の質疑応答で答えていましたが、基本的に「自分のために使う時間が、他人のために使う時間より多くなると霊障になる」んだそうです。
逆に幸福の科学の会員でも良い人は霊道を開くと良い指導を受けられて、この世的にもどんどん良くなっていくんだそうです。
確かにそういう人も沢山います。
自分のために使う時間と、他人のために使う時間と言うのは、まず簡単に言えば遊んでいるか働いているかという違いです。
遊んでいるというのは、ゲームとか動画(マンガ、アニメ、映画、TV等)とか自慰とかの娯楽の事です。
働くというのは、一応他人のために時間を使っている事になるので、悪霊は寄ってこないという事です。
働いたり家事手伝いをしたり、勉強したりといった時間よりも、ゲームとかTVとかマンガとか自慰とか娯楽に使う時間が多くなると、悪霊が寄ってきて憑依されるという事です。
ただし、これは年齢による違いもあります。
子供の頃は一日中遊んでいてもまだ平気な事もありますが、歳をとるにつれて徐々に許される時間が少なくなってきます。
考えてみれば、働いている大人の人はほとんど遊んでいる時間はないでしょうし、実際には職場で不利になるのでゲームなんてする余裕が無い、という人も多いでしょう。
そういう「年齢相応の基準」から外れると、悪霊が寄ってきて霊障になるようです。
ですから、高橋名人の「ゲームは一日一時間」も、案外一つの真理だったりもするようです。
私も守護霊になんで霊障なのかたずねると「遊びすぎ」という答えが返ってくるので、おそらくそうなんだとは思います。
それで総裁先生も「この世的な実務をこなせるような人で無いと、霊的な指導をしても無駄になる、宗教ではまず実務的な事をやらせてそれができたら、それから霊的な指導をする事が多い」というような事をおっしゃっているのですが、これは仕事をしているようなまずマトモな人でないと、霊道を開いても悪霊にやられるほうになる、という事のようです。
基本的にはこの世的な仕事をしながら、少しずつ霊的な例えば守護霊や高級霊との対話を目指していく、そしてこの世的に影響が出るようなら、いったん霊的な事は置いておく切っておく、というのが基本なようです。
実は霊感が無くても憑依は起きてますし、悪い影響も受けてはいます。
ただ霊感があると、ストレートに影響を受けやすいと言うだけの話です。
例えば家族で喧嘩しているような時にはだいたい悪霊が入っています。
遊んでいれば「勉強しなさい、仕事しなさい」とか怒られて喧嘩になったりしますが、遊んでいる時に憑依されている事も多いです。
不思議にしなくてもいい喧嘩になったりするのですが、そういう時はほぼ悪霊がかかってきていると思っていいです。
私もそうですが、ニートが切れたり暴れたり落ち込んだり不幸感覚が強かったりするのも、そういう影響が強いからでもあります。
まあ、例えば不倫なんかして家族と喧嘩になるような事も同じ事です。
いずれにせよ、地獄の事をやっていれば、地獄霊に憑依される、という事です。
「代償の法則」といって、遊んだ分だけの代価を払わされるように出来ているようです。
私も反省はしますが、反省しても罪は祓われますが、その後も代価だけはきっちり払わされる事が多いです。
さて、ゲームの延長の悪は競馬とかパチンコとかの「ギャンブル」でしょうし、自慰の延長の悪は「風俗」という事になるでしょう。
そんな訳で、私は霊的な体質上、ギャンブルとか風俗とかとてもではありませんが恐ろしくていけません。
間単に言えば風俗にしても、キツネ霊やヘビ霊がウヨウヨしているような世界なので無理です。
前にバイト先で極端な霊障の人に会いましたが、その人の生き霊が来て言うには「自分はギャンブルでなった」と言ってました。
ギャンブル系は動物霊のような感じがします。
もっと酷い「犯罪」というレベルになると、あきらかに凄い悪霊がかかって来ます。
犯罪レベルの行動をしている人で、悪霊が来ていない人はおそらくいないと思います。
重犯罪者は犯行の時の記憶が無い、という人が多いのですが、悪霊に完全に憑依されている状態になっているという事です。
つまり、より強い悪を犯した場合は、その分だけ人生を破壊されるだけの破壊作用がある、という事です。
これは細々(こまごま)とゲームや自慰や動画でも、ベクトルとしては人生を破壊する方向である事は確かです。
ただしゲームや動画程度の事であれば、適度にの場合は、疲れをとるものとして積極的な意味もたぶんあるのでしょう。
お酒は、そのものが悪いと言うより、例えば一日中酒飲みの時間に費やせば、やっぱり自分のための時間にしかならない、という事でしょう。
他にお酒とか例えば麻薬は理性がマヒするので、悪霊に入られやすくなります。
お酒を飲むと人格が変わる、と言うのもそれが原因です。
動画、例えば映画やアニメ、TVなども、要するに一日中それだけに時間を費やせば、自分のための時間にしかならない、という事です。
私はお酒は好きでは無い(私はおいしくないと思うので)ので飲みません。
私はHゲーも買ったことはありませんし、若いころはともかくAVも見ません。
ゲームも悪霊にやられるので大概処分してもいます。
それでも働くに働けなくてニートなのと、ネットで拾えるHなもの(実写は見ないようにしている、描いてあるものより実写のほうが罪が重い、やってくる悪霊もひどくなってくる)とか簡単なゲームをしているだけですが、それでも時間が多くなれば(H系は時間によらず必ず)間単に悪霊がやってきて霊障がおこります。
本来はそれくらいシビアです。
ただし、一般に働いている人が気晴らしに、お酒を飲んだりゲームをしたりと言う事は、時間配分的にも良いのでしょう。
私も好きなネトゲがあるのですが「なんで?」と思うくらい酷い悪霊がかかってきます。
たぶんネトゲは無用に時間を無駄にするシステムなので、普通のゲームより罪が重いんだと思います。
それから、ネトゲとか例えば2chのような人が集まるものの場合、そこに集まっている人の集合想念というものが憑依してくる感じになるようです。
集合想念がプールされていて、PCで接続して見ると、そこから通じて波動がやってくる感じです。
実際にはそこに接続している人の生き霊かなにかが行き来しているんだと思いますが、感覚としてはそんな感じです。
そのネトゲも酷い人しか残っていないようなので、悪くなっているんだとは思いますが、必ず酷い霊がかかってくるので、今はしないように(できないんだよ、トホホ・・・(笑))してます。
2chも大概「煉獄」の世界なので、近寄り難いです。
要するに良い霊も、悪い霊も、どちらも意識しようとしまいと普段かかってきてはいるのです。
例えば仕事をしている人には、その職業の指導霊が指導したりします。
例えばマンガ家が、神様が入って描いている時がある、と言ってるのも同じです。
手術をする医者には医療系の神様が、将棋をさすプロの人にはその手の指導霊が、例えばスプーン曲げをしようとするとその辺の山の修験者の霊のようなものがかかってきます。
その人の思いと行動と同じ霊が、実際にはやってきているようです。
霊感があると無いとに関わらず、必ずその事象、行動、念いに関係する霊が善霊悪霊を問わず、何かしら来ているという事です。
なぜかと言えば、たぶん霊とは、その事象を動かす「エネルギーそのもの」だから、という見方も出来るんだと思いますね。
つまり遊び関係にはだいたい悪霊しかいない、という事です。
だから考えてみればゲームで遊ぶ神様、とかそんな神様はまずいないでしょう。
高橋名人とかでしょうか、それにしたってプレイを見せて喜んでもらおうという趣旨です。
(それ以外に、例えばクリエイターと遊ぶ事とは一応違うとは思われる)
例えば、風俗で遊ぶプレイボーイの神様とか、いるとは思えません。
せいぜい動物霊か、大体は悪霊がかってきて指導するくらいだと思います。
ギャンブルも同じです。
そういう事です。
さて、仏教には、という事は幸福の科学にもですが「三学」という修行の基本があります。
三学とは「戒・定・慧」です。
「戒」とは戒律の事です。
つまり仏教の5戒のように、遊びすぎたり、不邪淫とか、不飲酒とか、不盲語とか、してはならない戒律というのがあります。
ユダヤ教(旧約)ならモーゼの十戒もありますし、キリスト教でも修道僧はしてはならない戒律がたくさんありまし、イスラム教も戒律がやかましいようです。
それはつまり、まず「悪霊をよせつけるような事をしない」という基本から霊的な修行は始まるからです。
「それをやぶれば霊障になる」という事です。
「定」というのは反省をする事です。
心の曇り、想念体の曇りが磁場になっていて、そこにその磁場と同じ物がかかります。
例えば「血の池地獄」というのは、女性の子宮を磁場にしていることが多いそうです。
色情地獄なんですね。
例えば自慰の時に異性の姿をもんもんと思い浮かべていると、その吐き出した想念エネルギーが磁場になります。
たぶん顔か頭の周りになるのでしょうが、そうするとそこに同じ波動のものが入り込んできます。
悪想念を吐き出したら、その悪想念の磁場を反省して払わないと、そこに悪霊がかかってくる、という事です。
私も毎日寝る前に反省してます。
私の場合、その日の分の反省と言えば、ゲームとか動画とか異性ですけどね。
反省業についての詳しくは、八正道を勉強してください。
「慧」というのは智慧の事ですが、要するに守護霊とか高級霊とか神様と同通して、いろいろとインスピレーション(アドバイス)をもらえるようになる事を指します。
私も色々と守護霊にこれはどうか、とたずねたりしますが、まだほんとか嘘か分からない事も多いので、簡単にはいきません。
三学や修行論については書籍「沈黙の仏陀」に詳しいです。
以上、仏道修行の方法論には、この世的な修行という要素もあるのですが、反面、半分は、実はいかに霊的に悪霊にやられないようにするか、という修行内容だったりします。
これは八正道にしても六波羅蜜多にしても無念無想にしても同じ事です。
半分はこの世的な人間の修行にもなってますが、半分は霊的な指導としてお釈迦様は言っているという事です。
霊障の治しかた その2
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