最新の精神科医療事情について
(H.16.10.16)


八木 剛平先生(おおぞらクリニック院長) 


 皆さん、今日は。毎年呼んでいただいておりますので、だんだん話のネタも尽きてきましたが、タイトルを最新の精神科医療事情ということにして頂きましたので、身近に起こったことをお話して時間を過ごしていただこうと思います。最近の家族会は情報網が非常に発達しているせいか、よその地域からも見えられていて、とくに私のクリニックに来ていらっしゃる方もチラホラおられるものですから、またあんなことを言っている、なんていうことになるかも知れませんが、ご勘弁ください。
 去年の3月に大学病院を辞めて、厚木に開業して、それからあと東中野という所でたまにやっております。大体、既によその病院やクリニックにかかっておられて、薬がどうもおかしいということでのご相談が多いのですが、一年半ばかりやってきまして、確かに滅茶苦茶な処方が多いのに驚いています。セカンド・オピニオンですから、何かおかしいという風にお思いになってご相談にこられるんで、なかにはチャントした処方もあるんですが、随分ひどいのが沢山あります。
 私達はあまり他の同業者の批判をしないことを不文律にしています。私の尊敬する元神戸大学の中井久夫先生は、医者は決して同業者の批判をしてはいかん、と。何故かと言うと、今その医者にかかっている患者さんがガッカリしてしまうし、それまでやってきた治療を否定するようなことになるからだ、と仰っています。私もそれを守ってきたんですが、どうもしかし最近の、あまりにもひどい処方を見ますと、黙っているわけにはいかないですね。これはこれで、お医者さんの治療方針だから仕方がないといって、お帰しするわけにはいかないんで、もう最近はその禁を破って、おおいにその滅茶苦茶な処方をした医者の悪口を言うようにしています。そうするとやっぱり、当事者やご家族の方も変だと思ってらしたし、それに態度の悪い医者が多いもんですから、「そうだそうだ」とお互いに医者の悪口を言って、時を過ごすということが増えてきました。
 ちょっとその一例をお目にかけましょう。今年の春に来られた方です。
 お母さんがいろいろ薬のことを勉強なさって、例のクロルプロマジン換算量を計算して、だいぶ驚かれて相談に来られたんです。


 (1)インプロメン(3r)4錠                 ピレチア(25r)1錠
    ルーラン(8r)2錠                   ベゲタミン(A)1錠
    セロクエル(25r)2錠                 サイレース(2r)2錠
    ビカモール(2r)2錠                  チネラック(2r)3錠
    パーロデル(2,5r)2錠               アローゼン(散)0,5g
          2×(朝、夕)                      1×(寝る前)

 (2)セロクエル(100r)1錠              (4)ワイパックス(0,5r)3錠
    ニューレプチル(10r)1錠               ガスモチン(5r)3錠
          1×(夕)                    メトリジン(2r)3錠
                                        3×(食後)
 (3)ヒルナミン(50mg)1錠
    ニューレプチル(10r)1錠


 このうち、ビカモールはパーキンソン病の治療薬で副作用止めです。パーロデルも抗パーキンソン薬ですが、統合失調症の治療薬でプロラクチンというホルモンが上がると、女性の患者さんの場合は生理が止まるんです。それで、プロラクチンを下げる薬としてこれを使います。チネラックとアローゼンの二種類は下剤。これも治療薬で便秘になるので入っているわけです。ガスモチンは胃の薬ですが、こんなに薬を飲んでいたんでは胃が悪くなるだろうから、というので投与されているらしい。メトリジンは一部の薬が血圧を下げますから、血圧を上げようとして昇圧剤ですね。ですから副作用止めだけでも六種類入っているわけです。ルーランとセロクエルは新しい非定型抗精神薬です。新しい薬はだいたい一種類でいい所が出るようになっているのですが、インプロメン、ニューレプチル、ヒルナミンという昔の薬を使った上にこういうのを二種類も上乗せしている。そのほか、ピレチアは抗ヒスタミン薬、ベケタミン(A)とサイレースは睡眠薬、ワイパットは抗不安薬です。
 それで、病気の症状は消えたらしいんですけれども、お母さんに言わせると、非常に活発でよく喋る子だったのが、一日中寝てばかりいて全くやる気がなくなり、もうすっかり人が変わっちゃったと。
薬を計算してみると、クロルプロマジン換算値で3000mgとかになるんだそうですが、今これを減らしつつあるところです。最終的には、インプロメンにするか新しい薬にするかまだ分かりませんが、今の所だいたい三分の一くらいに減薬したので、お子さんも少しずつ元気を取り戻されています。
 こういうケースは少なくありませんが、私が大変ショックだったのは、処方しているドクターの名前を聞いたら、十何年か前に大学病院で私が研修担当をしていた時に、他の大学から研修に来て一年間やっていた人なんです。薬は使いすぎてはいけないと、一年間さんざん言ってきたんですが、十何年経ってみるとこういうことになっているので、愕然としたり、情けないやら、腹立たしいやらで参っています。そのクリニックは結構流行っているらしいんですね。私も開業医になって一年半、患者さんと付き合っていますが、開業医というのは患者さんが来ている限りは絶対に反省しないですね。患者さんが来ているということが、自分が正しいことをやっているっていう証明になっていますから、患者さんが行っているうちは変わりませんね。いくら昔の研修のことを言ったって、言う事を聞かない、これで良いんだと、これだけ患者が来ているじゃないか、と。
 ですから、いまよく良い医者を見つける方法とか、良い病院を見つける方法とかが言われていますが、これはいくらやっても駄目でしょうね。かえって有名になっちゃうと患者さんが押しかけますから、良いドクターと言われた人も時間が無くなってしまいます。一日100人も押しかけられると、時間がありませんから、どうしてもたださばくだけになる。有名医幻想というのが今蔓延(はびこ)っているので有名になる前に行かないと、良い治療が受けられない、というのが現状です。
 私は『ぜんかれん』でも、良い医者ではなくて悪い医者のブラックリストを作って回したらいいんじゃないかと思うんですけどね。こういうふうに薬を出すドクターに限って、非常に高圧的というか決め付けてしまって、当事者やご家族の言い分に耳を貸さない。それじゃあ医者を変わったらいいじゃないか、ということですが、これがなかなか難しくて出来そうで出来ない。私もそういう立場になったら出来るかどうかわかりませんね。それと、結構よく話しを聞いてくれて、当事者は非常にその医者を気に入っている、でも薬がどっさりで、これもまた始末が悪いようですね。しぶしぶ行かざるをえない、何か変だなと思いながらずっと通っているっていうケースがかなり多いのが実情のようです。


私が若い頃、三・四十年前に精神科の医者になった頃は、精神科の医療が非常に批判されていました。当時は入院が中心だったので、私もそうでしたが、往診してはオーム真理教の拉致事件みたいに注射して入院させていた時代なんです。その頃は県の役人が付いてきますから、合法的にやっていたわけです。入院というのはご本人は病院を選べませんからもっと害があるんですが、今はかなり自由に病院や医者を選べる時代ですから、本当は、疑問に思ったり、あるいはおかしいと思ったら代えればいいんですけど、これがなかなか難しい。これをどうするか、私もチョット分かりません。中には何処かへ意見を聞きに行くと言うと、急に怒り出したり機嫌が悪くなる医者がいたりして、じゃあそっちへ行けばいいじゃないか、というようになるんで、難しいですね。医療者側にはちょっと解決方法がありません。
 薬以前の問題でもう一つあるのは、統合失調症でもない方に「統合失調症」という診断をしてしまって、その種の薬を出す場合ですね。これはまあ論外なんですけれども、結構あるんです。ひとつはやっぱり鬱病ですね。鬱病でひきこもってしまいあんまり話をしない場合を、よく統合失調症にしちゃって抗精神薬を出す、それも全く効かないし、かえって鬱病が悪くなるんですね。そういうケースがありました。
 あとは、強迫神経症なんかでも、ご本人がチョット独特の表現をすると、あっ、これはおかしい!統合失調症だ、という診断をしやすいんですね。去年も一人そういう方が来られました。鬱病の方だったんですが、薬を飲むのは嫌だと言ったら、デポ剤を打たれた。半年くらいの間、一ヶ月に一回。
それでその方は、一時アル中みたいになてしまい、とにかく苦しくてしょうがないので、酒で気を紛らわせていたそうです。それで私は、これはちょっと違うんじゃないかということで、抗精神病薬を全部止めて鬱病の薬に切り替えました。今は良くなってもう再就職しています。その方は非常に怒りましてね、治らないと言われたわけです。治って良くなって就職したけれども、「あの医者は許せん!」ということで訴訟を起こそうとしたんですが、調べてみると、誤診だけでは裁判に勝てないということで、その点は思いとどまったようです。
 もう一つのケースは、統合失調症と同じような症状だけれども、すぐ良くなる人がいるんですね。多分、この中にもいらっしゃるかもしれませんが、そうするとその後の薬の使い方が違ってきます。
私は今回『統合失調症の薬が分かる本』の第三版を出しましたが、それに統合失調症の診断基準を書き加えました。症状の詳しい内容としては、WHOの国際疾病分類という世界的に使われている分類がありますが、ご本人かご家族がご覧になれば分かりますから、それでチェックしていただければいいと思います。
 同じ症状があってもですね、すぐに治るのは統合失調症とは言わないんです。ところが、すぐに治っても、ああこういう症状があった、ということで統合失調症にしてしまう場合が多いんですね。
WHOの基準では、幻聴なんかでも一ヶ月以上続かないと、統合失調症とはいいません。入院して2〜3日か2〜3週間で消えちゃうものは統合失調症と言わないで、急性一過性精神病性障害といいます。ですから初診の時点で統合失調症という診断はまず普通は付かないはずなんです。ところが今は、どうも気楽にそういう診断をつけて、どっさり薬を盛る、ということがあるので、必要もないのに薬を沢山飲んで副作用で困っておられる方が、結構いるみたいです。
 では、「急性一過性精神病性障害」と「統合失調症」とは、どういうふうに違うのかというと、使う薬は同じなんです。それから、一過性精神病性障害でも再発の恐れがありますから、やはり薬はずっと飲み続けた方がいいんです。ただ量が違います。私の経験で言うと、再発予防のために飲む薬は、治療している最中に飲む薬の、だいたい五分の一から半分位に減らします。統合失調症という診断をつけてしまうと、そのままずっといってしまいます、再発が怖いとか、症状がまたぶり返すんじゃないかとか。そうすると副作用ばかり出て来て、本当はもう治っているのに、副作用のために参ってしまうというケースが、ままありますので、今度の第三版にはそのことを書いておきました。
 そんな状況ですので、今の精神科医はどうなってるのかな、といろいろ思っていた矢先に『精神科医はいらない』という文庫本があったので読んでみました。これは三年前に単行本で出たものですが、事件があるとすぐマスコミに出てコメントを求められる、有名な精神科の医者が実名で出ています。要するに、滅茶苦茶なことをやっているんです。ところがそこへ患者さんがどっと押しかける。
とにかく話す暇もなくて、向こうもそんなんですから、ろくに話も聞かないで適当なことを言っている、ということが散々書いてありました。そしてご家族や当事者の側に注意としては、さっき言いました有名医幻想があるんじゃないか、と。つまり、有名な医師イコール名医だ、と無批判に信じ込んでしまう、そういう罠に嵌(はま)ってはいけない、ということなんですね。見分けるのはなかなか難しいんですが、少なくともこの本に出ている○○○○さんという医者は、我々医者の仲間でも評判が悪いんですが、それでもやっぱり患者さんが押しかけるらしいんで、よくこの本をご覧になれば実態が分かると思います。


あと最近、誤診の問題に関連して経験したことは、一つは薬の副作用で、これは慶応大学の精神科の内田という若いドクターが、最近見つけたんですが、『知覚変容発作』というのがあるんです。
よくあるのは、周りがチカチカ見えるとか、音がビンビン響くとか、何か壁にチラチラしたものが見えるとか、ですから病気の症状とそっくりなんですね。薬を飲んでいる最中にこういうことが起こってくると、「アッまた症状が出た」ということで薬を増やされる場合が非常に多いんですね。この発作の特徴は、続く時間が短くて、数分とか、長くて数時間位で、寝ると治るんですね。やっぱり夕方なんかに多いようです。
 もう一つは、三分の一くらいの人達に、目がつり上がる、という薬の副作用が合併しているんです。病気の症状と紛らわしくても、目がつり上がるという症状があったら、これはまず薬の副作用ですから、薬を減らさなければいけないんです。よく調べてみると、こういう副作用は結構多くて、それで薬を増やされているケースが随分あるようです。大体その時は、抗不安薬を頓服で飲むか、あるいは寝てしまうとスッと消えるんです。それがあったら主治医に話して、薬を増やすんではなくて減らして貰わなければいけないですね。大量の薬を飲んでいる方の中には、この副作用を病気の症状と見間違えられて、薬を沢山飲まされている方があるんじゃないかと思って、今度の第三版にそれを書いておきました。
 もう一つは、薬の副作用で一番多いのは、眠い、だるい、それからやる気が出ない、ということ。
薬が多くて、この眠い、だるい、やる気が出ないとなったら、まずこれは薬の副作用なんです。
これまではそう思って薬を減らしていくと、皆さん良くなっていたんですが、最近経験した方は薬をドンドン減らしていっても良くならなかったんです。確かに薬は多いことは多かったんですけれども、減らしても治らなかったんですよ。ところが、たまたま引っ越したんです。そうしたらパッと症状が消えちゃって、あれっという程元気になった。少し元気になりすぎるぐらいで困っていますけれども、よく聞いてみたら、お母さんと二人でそれまで狭いアパートで暮らしていたらしいんですね。それが今度は少し広い所に越しただけですっかり治っちゃったということで、こういうこともあるのかと思いました。 ご本人もお母さんも、まさかそんなに環境の影響があるとは思ってなくて、ただ少し広い所に移ったというだけのことなんですが、実際にそういうこともありますので、それは結局やってみなければ分からないんですね。ですから、もし薬をいろいろ調節しても、どうもこの子の『眠い、だるい、やる気が出ない』という当事者の方が居られたら、やはりチョット環境を変えてみる工夫も必要なんじゃないかというふうに思います。
症状があるうちは昔は旅行は危ないとか、とんでもないとか、我々も言ってたんですが、最近は海外旅行なんかに行くと良くなっちゃう人が結構いるんですよ。海外にいる間は普通の人と変わらないんですが、日本に帰ってきたら元の生活のパターンに戻ってしまった、というケースがあります。
以上は、如何に環境が大事かということを思い知らされた経験でした。
 もう一つは、薬を減らしていく最中にまた症状が出てくるような場合です。そこで、慌ててこれはいけなかったと元に戻そうとして、その方がいい場合もあるんですが、どうもそうじゃなくて、本当は昔からあった症状をただ口に出していえるようになっただけなんだ、というケースがあるんですね。
だから症状が出てきたからといって、減らすのを止める必要はないんじゃないかということがあります。この間来られた方はもう二十年くらい統合失調症を病んでいて、やはり薬が多いというご相談があって、半年くらいかかって、だんだん減らしていったんですね。そうしたらある日突然、「実は私は夜寝る前に、物を考えるとどうも何処かの組織が気に入らないらしくて、電波をかけてくる」と言い出したんですよ。初めて聞いた話だったんで、これは減らしすぎたのかなと思ってよく聞いたら「いや、それは二十年前から私にはあるんです、言わなかっただけだ」と言うんですね。
ですから私はその時点で薬の減量はストップしますけれども、処方を元に戻さないで、むしろその悩みが酷くなるかどうかを、薬を調整する目安にしましょう、ということで今やっております。

 私は十何年間、前の医者から引き継いで、薬を減らすことばかりやってきましたけれども、3名の方だけですね、確かにこれは減らしすぎて悪くなったというのは。その3名は失敗例なので鮮明に覚えていますけれども、後の方はだいたい上手く行っていて、今のように症状が悪くなるように見えても、本当は昔からあったことを、薬を減らしたために言えるようになったということなんですね。
症状を言えるようになるということは良いことなので、これはちょっと後でお話しますけれども、今有名になっている北海道浦河の「べてるの家」の人たちの話をこの間聞いたんですが、症状をお互いに話すことによって、みんなコミュニケーションを取り合っているんだと。症状がなくなったら私達はコミュニケーションが出来なくなります、とおっしゃってました。あそこでは「幻覚・妄想大会」というのをやっているので、薬で症状を取っちゃったらそれが出来ませんと言われて、なるほどそういうものかと思いました。                                                    


また、最近外国からいろいろ新しい情報が入ってきて興味を持っているんですが、欧米先進国では1950年代60年代から、それまで2〜300年続いた入院中心を止めて、地域中心になってきています。日本では5年か10年位前からになりますから、欧米より大袈裟に言うと半世紀くらい遅れているんで、欧米が入院中心主義から脱してどうなっているかということに、日本の将来のことを考える上でも非常に関心を持っているんですが、どうも向こうでも今、反省が出て来て、患者さん達を社会に出したのはいいけれども、その受け皿がない、とまたいろいろな問題が出てきている。
特にアメリカが一番問題で、ホームレスが増える。お金がなくて無銭飲食や無賃乗車をして刑務所に入る、というような酷いことになっているらしいんです。
 ヨーロッパでもかなりそういうことが問題になってきて、一部の地区にそういう人が集まってしまうという問題になっていて、一時はこの「脱入院」あるいは「脱施設化」施設といっても壁があるわけではないんですけども、なにかこう、吹き溜まりみたいな所に集まりつつようだという事がいわれています。日本は割合社会が平等になっていますが、向こうはかなり階層が分かれているので、どうも低い方へ行ってしまうということで、壁の無い病棟が地方地方に出来ているというようなことが、最近言われだしています。
私など、地元の小さな町にいますと、別にどうという事は無いのですが、都会へ行くほどやはりそういうことがあるんでしょう。東京では昔から山谷はドヤ街と言われていましたし、田園調布というと我々のイメージだとお金持ちが住んでいる所というようになります。都会に行くとどうもそういうことが起こりうるようですね。
ですから、日本の良いところは、あんまり階層の無いことなので、今までは欧米を目標に追いつけと言ったけれども、そろそろ欧米とは違ったやり方を模索する時代が来ているのではないかと思います。最近それに関してアクト(ACT)と言うことがいわれています。
アサーティブ・コミューニティ・トリートメント(Assertive Cmmunity Treetment)というのですが、強いて日本語に訳すと「積極的地域生活支援プログラム」となります。
ここでやっていらっしゃることも多分そういうことだろうと思います。これを日本の精神医療界では盛んにアクト、「アクト」と言っているんです。
 これに対する批判ととしては、これもまた横文字そのままのクロージング(Closing)とダウンサイジング(Downsizing)。こういう言葉が氾濫しています。
クロージングとは病院を閉鎖してしまうということ。イタリアでは国立病院を全部廃止したんです。
ダウンサイジングとはサイズを小さくすることで、病床削減ということです。
日本語で言えばいいと思うんだけど、横文字を使っているとなんか新しいように聞こえるらしいんですね。もっともらしい横文字が出てきたからそういうことなんで、またあんなことを言ってるわ、ということで進めていただいたらいいんですけども、このアクトというのは、これ(病院閉鎖、病床削減)が前提になっているそうですね。ですから今まで病院にかかっていた、費用とか働いていたスタッフを、これからは地域にごっそり持ってくること、地域でそういうことをやるんだ、ということで、病棟閉鎖と病床削減がなくて「アクト」だけやるのは間違いだということですね。
 日本でいくらワアワア言ってもまだ病床は沢山残っていますし、閉鎖なんていうことは民間病院では通用しないでしょうから、まだここまではいきませんが、私のよく知っている、山梨の県立病院では、そこの院長がもう自分の所だけでも、クロージングではなくダウンサイジングをやろうとしています。しかし県立病院では予算でやってますから、今まで病院にかかっていた予算を地域に移す、ということなので、かなり役人は抵抗しているらしいんですが、県立病院の院長ですから、多分やるでしょう。
私も、これからアクトなんていう言葉だけもてあそんでいたんでは駄目だ、病院をまずダウンサイジング(病床削減)をやってから病院閉鎖に移る。そうやらないと駄目だといってます。
実は今、送ってもらった論文を読んでお話しているのですが、これからは日本にあったようにやらなければいけない、アクトという言葉だけを輸入して、新しいことをやっているようなことを言っては駄目だという主張をしておりました。


 チョット突拍子も無い話ですが、「うじ虫を使った治療」というのを最近読んだんですよ。
これは精神科ではなくて壊疽といって糖尿病で足が腐ってくるんですが、現代医学ではこれの治療法が無いんだそうです。ですからもう、いろんな所で現代医学が限界に来ているということが一つあるんです。
 これをやっているのは岡山大学です。昔、20世紀の初めの頃にあった治療法なんですが、いろいろ新しい治療法が出て来たために廃れてしまった。でも現代医学では腐った足を元に戻す方法が無いので、結局切断するしかない。そこに、腐った肉が好きな蛆(うじ)を置くんだそうです。36時間すると蛆(うじ)は腐った部分を全部食っちゃって綺麗になる。そして蛆(うじ)は一週間くらいでハエになって飛んでいってしまうそうです。3回くらい蛆(うじ)を交代すると綺麗になってしまう。
これは今年の3月に正式に倫理委員会で承認され実際にやっているそうです。
 ですから今、現代医学では限界が見えてきて、昔に一回戻ってやった方がいいという病気が沢山あるようですね。それに関して、医療情報誌でチョット目に付いたのは、東洋医学には昔から「未病」(みびょう)という考えがあるんですね。これはどういう事かというと、現代語に直しますと「未だ病気にはなっていないが、病気に向かう状態」だということ。
自覚症状は全然無いんだけれども検査だけで異常がある状態です。ですから健康時に検診で血液を調べてみると、あそこが悪い、ここが悪い、これは異常だ、というのが「未病」なんですね。
もう一つは、自覚症状があっても検査では異常がないという場合です。精神科の病気というのはみんなこれなんですよね。症状はあるんだけど検査では異常がないという状態。ですから、統合失調症はみなそうですよね。ですからこれは、東洋医学の考え方では、統合失調症というのは「未病」ではないかと思うんです。あんまり深刻に考えなくてもいいんじゃないかと。ただ、はっきり異常があると、やっぱり幻覚とか妄想があれば、定義上病気と言わざるをえないのですが、しかしそれもまあ、良くなることが結構あるので、普通は皆さん「未病」の状態であるというふうに考えた方がいいんじゃないかと、この考えを見て最初は思いました。
 「未病」に対する言葉は「己病」(きびょう)です。そしてこの未病と己病の区別で大事なのは、己病には治療が必要だと。未病は何かというと養生だと。ですから多分、精神科の病気の大部分は「未病」の状態にあるわけなので、一番大事なのは治療ではなくて養生だろうということです。
日常生活での注意です。食事、睡眠、便通、その他いろいろなことに注意することによって「未病」が「己病」になるのを防げるし、「己病」を治療してまた「未病」にもどすためには、やはり「養生」が主になると最近は思うので、今、薬を飲ませているのは治療の段階をやっているけれども、もしこの「未病」というのが大部分の状態であれば、一番大事なのは普段の養生であると考えて頂く方がいいのではないかと思います。
 ですから医療機関はほんの氷山の一角みたいなもので、やはりこのよう上が根本にあっての医療機関の利用であると、そういう考えに行ったほうがいいのではないでしょうか。ただ、医者の方は自分達が主導権を持っているように思っていますから、これとの戦いというほどでもないけれども、あまり向こうのペースに乗らないようにするのも、これからは必要だと思いますね。
そのかわり養生ということになると、「自己責任」ということになります。医者が主導権を取っている間は、病気が悪かったら医者のせいだということになりますし、医者もまたそのつもりでやっていますけれども。まあ、今はこういう時代に来ているのではないかと思います。


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