love6 友情
パタパタパタ・・
俺は玄関の前に立ちながら、右足のスリッパを踏み鳴らす。
もう、数分間もこの状態だ。
・・・・・兄者が帰ってこない。
いつも兄者がバイトをしている時間に「今日は夕飯はいらない」と、俺のケータイにメールが入った。
こんなことは初めてだったから、俺はどうにも落ち着けないでいた。
兄者はどんなことがあっても、俺の作った夕飯を食べたがるからだ。
兄者はああ見えてけっこうおっちょこちょいだから、店長に叱られてるのかなと思った。
バイト仲間との付き合いかなとも、思った。
だから俺は、めずらしく夕飯をカップ麺で済ませて、とくに興味のないテレビを見て、寂しさを紛らわすかのようにしていた。
それでも、兄者は帰ってこない。
あれから、一通のメールすらこない。
・・・・・・・・なんで?
俺は、なぜか例えようのない不安に襲われていた。
こんなの過保護すぎると、自分でも思った。
それでも、居ても立っても居られない。
とうとう俺は、自分でも無意識のうちに玄関からとび出していた。
もうすぐ春だというのに、冷たい風が身を凍えさせる。
数ヶ月前と変わったところといえば、その冷風が名前も知らない花の香りを運んでくることくらいだった。
当てもなく走りながら、思わず花の匂いに酔う。
不愉快なほどに鼻につく、甘い匂いだった。
・・兄者みたいだな。
すっかり冷たくなった鼻の頭を指でさすりながら、俺は思った。
兄者は花みたいな人だと、ときどき思うことがあった。
どことなく花のように、人を魅了する雰囲気がある。
魅惑して、夢中にさせて、欲求心をかきたてる。
だから、俺はいつも冷や冷やしてなくちゃならない。
「稜のことが、一番好きだよ」って何回言われたって、不安でたまらない。
いつも陽気な振りをしてたって、内心ドキドキしまくってる。
俺は、そんな・・・・気弱で小さなことでもいじいじする男だ。
「―――稜!」
ふっと、俺を呼ぶ声が聞こえる。
一瞬、嫌なくらい心臓がドキリと高鳴った。
兄者・・・・・?
振り返ったそこには、街頭に照らされた2つの影があった。
「こんばんわー」
「こないな遅くに、1人でどないしたんや?どこぞの狼に食われてまうぞー」
聞き慣れた、声だった。
闇夜に浮かび上がる白いパーカーを着た、紫苑。
先週に小遣いをはたいて買ったというマウンテンバイクに跨っている、大道寺。
本当にコイツらは、鬱陶しいほどいつも一緒に居やがる。
でも、それが時に恨めしかったり、羨ましかったりするなんてのは秘密だ。
「兄者が帰ってこねーから、」
走ったせいで、息が弾む。
苦しかった。
「花螢が?そらまた、何事や」
大道寺と紫苑が、首をかしげながら顔を見合わせる。
何事。
そんなの、俺だって知りたい。
「わっかんねーから、探してんだろ」
全てが、うまくいかない様に感じる。
吐き気がした。
「イラついとるからって、わいらにあたるなや。連絡はとったんか?」
俺の思いを察したかのように、大道寺の手が俺の肩に置かれる。
だんだんと、呼吸が整ってくる。
「・・とれてねー」
2人から視線を落とし、また鬱になる。
僅かな微風が、俺の髪を乱した。
「電話とかしてみたらどーですか・・?」
紫苑が、遠慮がちに提案する。
コイツが俺に気を遣うのは、珍しい。
それほど、俺はまいってる様に見えたのだろうか。
「・・・・・そーだな」
返事にならないような返事をし、俺は肩に置かれた大道寺の手を払った。
「まあ、そないな重く考えへんで。花螢かて、たまには遊びたいんやろ」
たしかに、俺は重く考えすぎかもしれない。
でも、この不安に抗うほど、俺は強くない。
俺には、この例えようのない嫌な予感が、どうか当たるなと祈ることくらいしかできなかった。
「そうですよ。なんか、稜さんらしくないし」
紫苑が微笑をして、肩をすくめる。
「わいらも、協力するさかい元気出しぃ、・・な?」
大道寺が、マウンテンバイクのギアをカチカチと弄りながら言った。
この2人は、本当に気が良すぎる。
大道寺は俺が手を除けたって、一瞬たりとも嫌な顔をしたりしない。
紫苑は一生懸命に、俺に気を遣おうとする。
こいつらは、似たもの同士なんだ。
それに比べて俺は苦し紛れの顔をして、そんな2人の前に居るに違いなかった。
「・・でも、やっぱなんかあったのかって、心配になるじゃねーかよ」
心の中の思いとは裏腹に、俺はちっぽけな言動で言葉を濁す。
コイツらといる時間を重ねれば重ねるほど、俺は心底嫌なやつだと思い知らされる気がしてならない。
「・・稜。そら、疑心暗鬼ちゅーモンやで」
大道寺は、どこか不服そうな口吻でものをいった。
それでも、切れ長な瞳はしっかりとこちらを見つめている。
そんなまっすぐな大道寺にすら、腹が立った。
「疑心暗鬼?俺がかよ」
噛んで吐き出すようにいう。
兄者がこの場に居たら、失笑をかいそうな物言いだ。
「そうや。ハルキの言うたとおり、お前らしくもへん。稜は、毎日毎晩一年中ポジティブ志向ちゃうんか?」
マウンテンバイクのハンドル部分にもたれかかるようにしながらも、大道寺の視線は俺から放れようとはしなかった。
鬱陶しいくらいのその視線から、俺はわざと目を逸らしていた。
「俺だって、人間なんだよ。ネガティブになることもありゃ、どーしようもなく泣きたくなることだってあんの。
お前は、俺を神かなんかだと勘違いしてるワケ?」
なるべく、明るい口調で言ってみたつもりだった。
それなのに、2つの視線はなぜかひどく痛ましい。
「・・かんにんな。わいこそ、柄にもなく余計なことぬかしてしもた」
苦汁を嘗めたような表情で、大道寺はそう詫びた。
・・まったく、なんやかんや言っても憎めない奴だと思う。
お前は、一個も悪くないだろ?
俺を責めてもおかしくないのに、何で謝るんだよ。
・・・いい奴すぎるだろ。
「・・・・稜さん。オレにも、今の稜さんの気持ち・・わかる気がする」
言葉を捜しながら、紫苑は一言一言を口にした。
俺は、その言葉に小首を傾げる。
「わかる・・って?」
「うまく言えないんですけど・・、大切な人が自分の傍から離れちゃったときって、やっぱすごい不安になるモンだと思うから」
紫苑の言葉に耳を傾けていたのは、大道寺も同じ様だ。
しかも、えらいご機嫌のよう。
「なんや、ハルキ。経験済みなんか?いつや、いつ?」
ニマニマいやらしく笑いながら、そう問う。
コイツも、これがなければなかなかだと思うんだけどな。
俺は、密に紫苑に同情する。
「べ、べつにそんなんじゃないですってば」
思わず墓穴を掘った紫苑は、慌ててそれを否定する。
2人のやり取りに、思わず笑みがこぼれる。
「オマエらって、ホントバカップル代表だよな」
笑いを堪えながら、そうツッコミを入れた。
こんなくだらない事に爆笑寸前の自分も、おかしい。
おかしいくらいに、笑えた。
「バカップルとはずいぶんなお言葉やこと!失礼してまうわ。なァ、ハルキ」
「オレたちから見たら、稜さん達だって変わりませんよ」
二人のやり取りにまた笑いをこぼしながら、やがて俺は背を向けた。
そろそろ、笑ってる場合でもないことに気がついたからだ。
俺は大道寺達の漫才を見るために、寒空の中外に出てきたわけじゃない。
・・そして、またこの2人だって、俺に気を遣って笑いをとった事くらいはわかる。
俺は、いい友達をもったもんだ。
「サンキューな、」
振り返って、ニッと満面の笑みを奴らに向けてみせる。
大道寺たちのおかげで、ずいぶん気が晴れた。
一人で鬱になっているよりも、ずっとよかった。
兄者が帰ってきたら、今夜のことを話そう。
兄者が、「もういいよ」っていうまで、ずっと話していよう。
アイツ等は、やっぱいい奴だって言いたい。
俺ら、いい友達持ったよなって言いたい。
他にも、顔を見て話したいことが山ほどある。
だから、兄者が帰ってくるのを、俺は俺達の家で待っていよう。
それで、今みたいな笑顔で「遅かったじゃん」とか言って、笑うんだ。
うん、それがいい。
それでいい。
「ええ笑顔や」
俺が家路への道を引き返すと、大道寺の嬉々とした声が聞こえた気がした。