love7 訣別
「ッ黒神さん・・!」
ついさっきまで、限界だと呟いていた彼の唇は、僕の首筋に痛々しい痕を付けていった。
どうして、こんなことをするのかと問いたかった。
彼に嫌われていないことくらいはわかっていたけど、こんな風な対象として見られていたとは思っていなかった。
それとも、その場の雰囲気のせい?
どちらにしろ、僕がこの状況を何もなく打破しなければならないことに変わりはなかった。
「離してくださいっ、」
そんな隠せないところに痕を付けられたら、稜に見られる。
稜は学校でバレないように気を遣って、いつも見えないところに痕をつける。
それなのに、首筋なんかに痕がついていたら、隠しとおせるわけがない。
稜を、不安にさせたくないのに。
「やだ、やめッ・・」
どんなに抗っても、ピクリとも動かない黒神さんの腕。
こんなことをして、このひとはどういうつもりなんだろう。
どうしたら、こんなことをやめさせられるんだろう。
ぐるぐると、いろんな考えが頭の中で渦巻きだす中、黒神さんは僕の制服のワイシャツを無理矢理たくし上げてきた。
「ッあ、」
「・・・・・、」
そして、彼はその手の動きを止める。
「・・やっぱり、付き合ってる男が居るのか」
たぶん、昨日の夜に稜がつけた痕を見たんだと思う。
・・でも、なんでそんな顔をするんだ。
傷ついたような・・・そんな顔、黒神さんには似合わない。
・・・・そして、すぐにいつもの小馬鹿にしたような笑みに変わる。
「リョウ、ってんだろ。彼氏の名前、」
ドクンと、心臓がいやな音を立てた。
「なんで・・、」
身体が、気持ち悪さを訴えてくる。
どうして、黒神さんが稜の名前を知ってる?
僕は、一度も稜のことを話したことがなかったはずなのに。
「・・さあな。自分の胸に聞いてみろよ、」
「僕が寝てる間に、ケータイ見たんですか・・・?」
パッと思いついたことを、口に出してみる。
「誰が、そんな下衆な事するか」
・・・・・・わからない。
目の前にいるこの人が、わからない。
そういえば、出会ったときからつかめない人だった。
何を考えているのか、外観で判断できない。
でも、そこに惹かれたのはたしかだ。
そんな黒神さんが、憧れだった。
・・・・それなのに、こんなことって。
「・・・でも、何でこの状況なんですか」
僕に彼氏がいたって、この人にはなにも危害はないじゃないか。
それなのに、僕はどうしてこんな目にあわなくちゃならない?
僕の問いに、室内中に沈黙がはしる。
「・・劉、」
・・・・・・・・・。
黒神さんが何かを言おうとしたとき、聞きなれたケータイの着信音が室内にこだました。
また、心臓がドキリとする。
僕は、驚いている黒神さんをしりめに、腕を振り払って、制服のポケットからケータイを取り出した。
「・・誰だよ、」
不機嫌そうに僕の上から退け、黒神さんは近くにあった煙草に火をつけた。
僕はケータイを開いて、中のディスプレイを確認する。
・・・・・・・稜だった。
「・・・稜、です・・」
電話に出るのをためらっていると、黒神さんは煙草の白煙を吐き出しながら、こういった。
「――出れば、」
思わず、自分の聴覚を疑った。
理由はハッキリしないが、僕と稜の関係をよく思わない彼がこう言う。
僕は、少し不思議に思いながらも、電話に出た。
「・・もしもし、」
『兄者、なんかあったのか?帰りおせーから、』
僕の応対と、稜の不安そうな声が、電波の中で入り混じる。
・・僕は、けっきょく稜を不安にさせてるんだな。
「・・大丈夫だよ。今から帰る、」
『あ、べつにまだ用事とかあんなら、いーんだけどさ。・・・・ただ、心配だったから』
ひとつ、咳払いが聞こえた。
・・・それは、無理矢理明るく振舞うときの、稜のくせ。
・・・・・・・ごめんね、
「・・ありがと、」
礼と懺悔を、一度に心の中から吐き出す。
同時に、早く稜に会いたくなった。
『もォー、兄者ってばみずくせーよ!俺らの仲じゃん』
「うん、」
じゃあ、
そういって、僕は通話を切った。
「・・黒神さん、」
ケータイを握り締めたまま、僕は黒神さんの方をみる。
「お帰りか、」
僕の方に目線もあわせずに、彼は溜息混じりの言葉を発す。
「・・はい、」
なんとなく、居心地が悪い。
「一人で帰れよ」
「・・・はい、」
「飯はうまかったかよ、」
「・・はい、ごちそう様でした」
煙草を、灰皿にすり潰して。
「・・俺の事を、どう思ってる」
鋭い一方の瞳が、僕に向けられる。
こんな質問は・・・・・・・・ずるい、
「・・黒神さん、・・・・・・・・僕は、」
この後をどう続けようか迷っていたら、唇に冷たい感触が触れた。
幾度となく交わしたことのある、心地良い冷たさだった。
「・・・好きだ、」
その感触が離れていって、代わりに鼓膜を突き破ってきた言葉。
なによりも、重みのある言葉。
どこか、気付かない振りをしている自分がいた気がする。
「・・・・・、」
「答えが分かってるのに諦めきれねえのは、」
「言わないでください、」
ほろりと、自然と言葉が漏れた。
「・・これ以上、僕を困らせないで下さいよ」
微笑した。
――困るのは、相手がコノヒトだから。
出会ったときから、この人相手に僕は悩み続けてきた。
いつもしている眼帯も、
何を考えているのかわからない心の中も、
・・たまに見せる、優しい笑顔も。
・・・・・・全部が全部、僕にとっての悩みの種だった。
黒神彰という人間は、魅力のカタマリなんだ。
「・・俺は、エスだからな」
「ドエスです」
笑いあった。
こうやってこの人と笑い合うのは、もしかしたら最後かもしれない。
そんな気持ちが心を横切って、不意に切なくなった。
友達になんて、最初からなれなかったんだ。
僕はこんな素敵な人に思われてしまったから。
「・・早く、彼氏のもとでもどこでも行っちまえよ」
気付けば、新しい煙草をまたふかし始める。
あの煙草みたいに僕への恋をつぶして、また新しい恋をしてください。
「・・はい、」
荷物を、もつ。
「いつか、俺が迎えに行ってやる」
つらい。
人に好かれることが、こんなにもつらい。
実らない恋は、ただつらくて痛いだけだ。
「・・・・・・回収です、」
灰皿の横にある、煙草の箱を取り上げる。
「俺から、煙草まで奪う気か」
「吸いすぎは、よくないですから」
こうやって、この思い出を忘れないようしよう。
こんなに素敵な人に好意を持ってもらえたことを、いつまでも誇りに思えるように。
「・・さよなら、」
ドアまでの距離が、短い。
少しだけ、目の奥が痛む。
・・・・・・振り返りざまに彼を見ると、最後の一本の煙草を灰皿にすり潰していた。