love8 疑惑
ガタン、
玄関の方で、物音が聞こえた。
ドキリと、鼓動が高鳴る。
嫌な緊張感が、胃の辺りでグルグルまわり出す。
・・・・・・・兄者が、帰ってきた。
俺は、座り心地のよくないソファから立ち上がって、リビングを出る。
廊下は、少し寒かった。
・・鍵を開けて、玄関のドアに手をかける。
ガチャ、
「・・ただいま、」
いつも聞きなれていた声だったけど、やけに懐かしく感じた。
兄者。
少し疲れてる?
どーしたんだよ。
いろいろ問いたい事は、たくさんあった。
しかし、うまいこと頭脳がついていってくれない。
「おかえり」
だから、とりあえず笑顔で「おかえり」を言ってやる。
兄者からしたら、たかが帰りがおそいことくらいで俺がうだうだ言ってるのは、うざったいと感じてるかもしれないし。
「・・・・・・、」
沈黙。
これほど気まずい空気が流れた事が、かつて俺たちの間にあっただろうか。
・・・・俺の記憶上では、ない。
「・・稜、」
そして、その沈黙を破ったのは兄者。
「・・しよう?」
「え、ぁ・・兄者・・っ?」
そのまま兄者は倒れ込むようにして、俺に抱きついてくる。
兄者から誘ってくることはめずらしいから、俺は嬉しいというよりは、驚きの気持ちのほうが勝っていた。
「なんか・・あったのかよ、」
抱きついたまま動かない兄者の背に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめてやる。
こんなに帰りが遅かったのには、トクベツな訳があるのか。
辛いことがあったのか。
その背に、心で問う。
「別れたくなかった・・、」
俺の質問には答えずに、兄者は独り言のようにそうこぼしていた。
その後、兄者は俺の部屋にやってきた。
話はしたかったけど、このままだと兄者が壊れてしまいそうで恐かった俺は、彼が望んだままに愛撫を始めた。
だって俺は、不器用で、臆病な男だから。
「りょう・・、」
上から快楽を与えていく。
その合間に、俺は兄者の表情を盗み見た。
俺の予想では、たぶん今日の帰りが遅かったのには、深い事情がある。
そして、それは決して兄者にとってプラスになるような出来事ではなかったんだ。
・・・・・・・・・・。
「・・兄者。今日は、やめようぜ」
兄者の滑らかな肌に這わせていた舌を、止める。
俺の言葉に驚いたようで、兄者はベッドからカラダを起こして、俺の顔をじっと見つめていた。
「なんで・・?」
兄者が、眉根をひそめる。
「だって。兄者、全然気持ちよさそうじゃないんだもん」
そう俺が躊躇なくいうと、兄者は顔を真っ赤にして、それを否定してきた。
・・焦ってる、そう思った。
「そんなことないっ」
カラダを起こした兄者に、まだ跨っていた俺は、そのまま手を伸ばして兄者の髪に触れた。
ぴくりと、兄者のカラダが震える。
「・・じゃあ。さっき、俺のことだけ考えてた?」
顔を近づけて、相手の瞳の奥を見つめる。
そこには、あくまで冷静な表情の俺が映っていた。
でも、それを映し出している瞳は、わずかに揺れている。
「・・・・・ごめん・・、」
ひそかに肯定してくることを望んでいたけど、結果は懺悔の言葉。
ずるいな、兄者は。・・いちばん、ズルイ。
否定はせずに、肯定を避ける。
俺がこんなに想ってるってこと、兄者には伝わってないのかよ・・?
触れていた漆黒の髪を少し持ち上げると、兄者の白い首筋が露になった。
そして、そこには無数の赤い痕が咲き乱れていた。
俺がつけたものじゃないことは、俺自身が一番よくわかる。
そして、兄者の反応からも。
「・・コイツのこと、考えてたの?」
「り、稜・・」
今の兄者、最高に追い詰められた顔してるよ。
鏡向けて、見せてやりたいくらい。
俺は複雑な気持ちのまま、その痕の上を舌でしつこいくらいに舐めて、後にきつく肌を吸った。
前よりもさらにはっきりした赤が、白い肌にはとても映えていて綺麗だった。
「・・煙草くさい。兄者って、吸う人だった?」
「稜・・・・・・ごめん、もうやめてよ・・」
まるで俺が尋問でもしているかのような口ぶりに、俺の脳はますますグツグツと音を立てていた。
もちろんそれは、兄者だって察しているだろう。
だから、俺を止めようとする。
これ以上、自分が苦しまないために。
兄者。俺が今、どんだけ苦しいかわかってる?
帰り遅いのすげー心配して、帰ってきたと思ったら、キスマークつけてきた。
俺の知らない煙草のにおいまで、持って帰ってきた。
そんなカラダのままで俺にセックスしろだなんて、一体なに考えてんだよ。
・・俺は、あんたのオモチャでもなんでもない。
「その『ごめん』って、なんだよ?帰りが遅かったこと?誘っといて、上の空だったこと?・・それとも、浮気したこと?」
俺を見つめる兄者の瞳が、ますます揺れた。
泣きたいなら、泣けばいい。
俺は浮気されたって、絶対に泣いてなんかやらない。
・・絶対、泣いたりなんかするかよ。
「浮気なんかじゃない・・。僕は・・、」
ずっと俺を見つめていた視線が、逸らされる。
俺は自分でも判断できないうちに、反射的に兄者の顎を強く掴んでいた。
「言いたいことあんなら、俺の目見て話せよ」
ぐっと上を向かせて、無理矢理俺の目線に合わせた。
兄者と視線が合うたびに、頭のイライラが募る気がする。
そんな顔で、他の男を見たのか?
・・ふざけんな。
「・・・・・・ムカツク、」
ほぼ、発作的だった。
頭に血が上った俺は、兄者の細い手首をつかんで、そのままベッドに押し倒した。
そして有無を言わせる前に、脱ぎかけのワイシャツを無理矢理脱がせて、先程の愛撫でたちかけた乳首に舌をあてる。
「やだ、稜っ」
俺の強引さに身の危険を感じたのか、身体をジタバタさせて、俺の手からなんとかして逃れようとする。
けれど、俺は自分で思っていた以上に兄者の手首を強くつかんでいたようで、兄者の抵抗ではぴくりとも動かなかった。
「・・俺も、やだ。兄者が、他の男と浮気すんの」
被さるように兄者にキスをする。
ただし、貪るだけの無意味なキスだ。
そして、兄者がキスに気をとられているうちに、俺は彼のズボンを下着ごと剥いだ。
「っん、・・!?」
自由になった腕で、俺の背中を叩いてくる。
その手が、「やめろ」と必死に訴えていた。
「兄者、うるさい」
「やめ・・ッ、りょぉ・・っ」
俺が下半身に触れると、涙を含んだ声で俺の名前を呼ぶ。
今の俺には、ただネガティブにしかそれを受け入れることはできなかった。
「あんたさ、調子良すぎねえ?」
また、キスを欲す。
唇が触れ合った途端に舌を挿入すると、兄者は俺の舌に勢いよく噛み付いてきた。
「いっ・・」
その痛みに、思わず俺は兄者から離れる。
「稜なんか、嫌いだ!」
その隙に俺を突き飛ばして、兄者は部屋を走り出て行った。
あまりに残酷な言葉を残して。
その背中を見て、今更ながらに後悔し始める。
せめて、話ぐらい聞いてやればよかった。
もしかしたら、相手が一方的に迫ってきただけかもしれない。
そんなことは、今までにも何度かあったのに。
それでも今回は、少し違う気がしていた。
兄者を疑いたくなんかなかったけど、疑うざるを得ない条件があまりに揃いすぎた。
「別れたくなかった」
たしかに兄者は、そう言った。
どういう意味の「別れ」かは、俺には全く想像もつかない。
しかし、その相手に少なからずとも好意を寄せていたことは確かだ。
・・・・・・・・・・・・。
もう、俺たち駄目かもしれない。
そんな思いがつのって、枕に顔をうずめた俺だった。