love9 再会
・・最悪だ。
稜が悪いんじゃない。僕が、すべて悪い。
僕には稜が居るのに、黒神さんと親しくしすぎたのがいけなかった。
稜は電話までしてくれるほどに、僕の帰りが遅いことをすごく心配してくれてた。
でも、その電話を受ける直前まで、僕はなんやかんや言って、黒神さんにカラダを触らせることを許してしまっていた。
理由も言わずに帰りが遅くなって、帰ってきた途端セックスをしてほしいと頼んで、いざとなったら、自分がつけた以外のキスマークが僕のカラダにあった。
そればかりか、僕が吸っている筈もない煙草の香りまでする。
・・稜が怒るのは、当然だ。
なのに、「嫌い」なんて言ってしまった。
どうしよう。
もう、稜にあわせる顔がない。
稜のいうとおり、僕は調子がよすぎるんだ。
黒神さんにもいい顔をして、稜にもいい顔をして。
けっきょく、どっちも傷つけてる。
稜が好きだとどんなに叫んでも、それはもう今更なんだ。
稜に分かってもらえなくちゃ、意味がない。
自然と溢れ出てきた涙を拭う。
すると、ポケットに入っていた携帯が震えた。
ドキン、そう心臓が音を立てて動いた。
・・もしかして。
微かな望みを託して、僕は早急に電話に出る。
「稜・・!?」
通話ボタンを押すなり、僕は彼の名前を叫ぶ。
その声に驚いたようで、電話の相手がこくりと喉を鳴らしたのが聞こえた。
『・・・・すいません、紫苑です』
申し訳なさそうに電話越しに謝ったのは、ハルだった。
今更、恥ずかしさが募ってくる。
深呼吸をして、少し荒れた息を整えた。
そして、改めて携帯を耳に当てなおす。
「ごめん・・、ハル・・」
『・・平気です』
お互い、口を閉ざしてしまった。
どうしよう。
また、涙がこぼれてきた。
隣に稜が居ない寂しさと、自分への罪の重みで、身体が押しつぶされそうだ。
稜が、こんなにも僕の一部だったなんて、今まで気付きもしなかった。
けっきょく僕は、偽善者ぶってたんだ。
稜を、今までのまま好きでいたい気持ちと、黒神さんに憧れている気持ち。
どちらも捨てきれなくて、最終的にはこんなことになってしまった。
大体、どうして黒神さんから煙草を取り上げた?
身体の心配というのも、もちろんある。
けど、形に残る思い出が欲しかったんだ。
僕は、ポケットに入っていた煙草のケースをぎゅっと握った。
「・・・・・・ハル、」
電話の向こう側へと、呼びかける。
涙は、止まらない。
「僕、稜にフラれちゃったよ・・」
エッと、声がした。
思いもしなかっただろう言葉に、ハルは驚きを隠せないでいるようだ。
それは、そうだろう。
僕だって、未だにこの状況を飲み込めてない。
・・というよりは、飲み込みたくなかった。
『・・・オレ、少し前に大道寺センパイと外歩いてたときに、稜さんに会ったんです』
泣いていることを悟られないように、咳をする振りをした。
こんなことしても、たぶんハルにはわかるんだろうけども。
僕は、黙ってハルの話に耳を傾けた。
『寒い中、一人で走ってました。・・ランニングでもしてるのかと思って、オレたちは気軽に声をかけてみたんです』
電波の先でのハルの声は、少し戸惑っているようにも聞こえる。
『そしたら、・・花螢センパイが帰ってこないから、探してるって言ってました。稜さん、いつもと全然様子がちがくて・・。
言葉なんかも、すごい刺々しいんです。オレ、あんな稜さん初めて見ました』
そうだよ。稜は、すごくやさしんだ。
・・・・・黒神さんと会っていて帰りが遅くなった僕なんかのために、息を切らして探してくれるような・・。
本当に、僕には勿体無いほどやさしい人なんだ。
『・・なにか・・あったんですか・・・?』
ハルなら、聞いてくれる。
ハルなら、こんな馬鹿な僕にどうしたらいいか教えてくれる。
話してしまえば、楽になれる・・?
でも、認めたくないんだ。
稜が僕に嫌悪していたことも、・・僕が稜を「嫌いだ」と言ったことも。
僕には、そんな勇気すらない。
『花螢センパイ・・、』
・・・ハル。
こんなに愚かな僕に、そんなやさしい声をかけちゃいけない。
君も、稜と同じでやさしすぎるんだ。
「・・わざわざ、ありがとう・・・」
プツ。
僕は、通話を切った。
いい後輩をもったな。
僕を心配して、電話をかけてきてくれたハル。
そのおかげで、稜がどれだけ僕のことを思っていてくれたかも知ってしまった。
稜はあのとき、僕を殺したくなったかもしれない。
僕にとって、稜がいない世界で生きていくことは、酸素がない所で生きていくことと同じくらい不可能なことなんだ。
だから僕は、殺されたも同然だった。
とうぜんの酬いなんだ。
とぼとぼと、また当てもなく歩き出す。
涙をたくさん流したせいで、身体中の水分を失ってしまった気がする。
――喉が、渇いていた。
ちょうど道端に自販機があったので、とりあえずなにか飲み物を買うことにする。
僕はポケットから財布を取り出して、小銭を探した。
・・・・・十二円。
思わず、溜息が出る。
千円札を出してまでは買う気がしなかったので、僕は我慢することにした。
振り返って、また歩き出そうとする。
「わっ、」
僕の後ろに並んでいたらしい人と、思いっきりぶつかってしまった。
本当に、ついていない。
「す、すいませ・・・・・」
顔を見上げる。
黒い髪と、煙草のにおい。
・・そして、眼帯。
嘘だ・・・・、こんなの。
黒神さんが、いる。
「劉・・・・・・・」
暗がりでも街灯のせいで、そう僕の名前を呟く唇がはっきりと見えた。
「・・・・・・・・・・、」
例えようのない感情が、身体中を駆け巡る。
それでも僕はなにもせずに目の前にいる男だけを、ただ呆然と見つめていた。
「・・どうした。目が赤いぞ」
すっと、心地いい指先が目元に触れた。
ほんのさっき、僕はこの人を振ったのに、なんでこんなにやさしくするんだ。
僕の周りには、やさしい人が多すぎる。
「・・黒神さん、」
彼の片目を見上げて、僕は数時間ぶりにこの人の名前を呼んだ。
ついこの前に口にした名前なのに、ひどく懐かしい。
それは、僕が黒神さんを既に「思い出」にしてしまったからだ。
むりやり思い出にして、心の片隅に閉まってしまった。
すべて自分の都合のために、こんなに素敵な人を忘れようとしていた。
でも、忘れられるわけがないんだ。
「・・なんだ?」
僕の呼びかけに、柔らかい声が戻ってくる。
そして、彼の指先が僕の目元から離れていった。
「・・知ってましたか、」
―――頭が重い。
黒神さんは、僕の話を聞いてくれるかな。
僕の愚かさを、受け止めてくれるかな。
「・・僕って、ホント性格悪くて、自分のことしか考えらんなくて、思いやりの欠片もなくって、」
視界に、じわっと涙が浮かんだのがわかった。
言葉が、続かない。
そしたら、何度となく触れた大きな手が、僕の腕を引いて、そのまま抱き寄せた。
「・・思いやりのない奴が、どうして泣く?・・自分を知りきれてねえのは、お前の方だ」
そういって僕の涙を隠すように、広い胸元に頭をあずけさせてくれた。
・・温かい場所だった。
「だ、って・・僕は、」
言い継ごうと口を開くと、黒神さんの手が僕の口元を軽く押さえた。
「・・黙っとけよ。また、キスするぜ」
今、心にダメージを受けすぎた僕の前に、この人は現れてはいけなかった。
痛みきった心の中に、潤った彼の優しい声が届くたびに、胸がますます苦しくなる。
自分がサイテイだと、思い知らされる。
「・・なんで、飲みモン買わねえんだよ。金ないのか?」
口元から手が離れ、預けさせてくれていた身体が離れていく。
・・前よりも、黒神さんは僕に触れたがらなくなった。
当然、だよな。
「小銭がないから、いっかなと思って・・」
「お前って、案外ケチだな」
「け、ケチ・・!?」
黒神さんの言葉に思わず過敏に反応してしまうと、互いにふっと吹きだした。
目が、合う。
「やっと、笑ったか。お前は、そっちの方がいい」
満足げに笑って、黒神さんは僕の髪をそっと撫でた。
心地良かった。
「何が飲みたい、」
ふと、そう問われた。
え、と聞き返す。
「飲みモンくれえ、おごってやるよ」
そう言って、黒神さんは自販機の前へと移動した。
僕も数歩歩いて、それを追う。
何に・・しよう。
「早く決めろ、」
もうお金を入れたのだろう。
ボタンが点灯していた。
「じ、じゃあ、黒神さんと同じやつでいーです」
けっきょく飲みたいものが決まらなかった僕は、とっさにそう答えた。
「・・なんで俺と一緒なんだよ、」
呆れたような、気の抜けた溜息が聞こえる。
すこしだけ、心臓の辺りがきゅっと締め付けられた。
「・・嫌ですか、」
傷ついた声が喉から漏れて、そう問う。
この期に及んで、僕はまだこの人に嫌われたくないと思っているのだろうか。
「・・嫌っていうか、同じもんだと交換できねえだろうが」
・・と、思いもしなかった言葉が、僕の元へと届けられた。
思わず、喉に笑いがこみ上げてくる。
そして、それを思いっきりはきだしてしまった。
「・・何笑ってやがる」
「だって、そんな子供みたいな理由・・っ」
押さえ込もうとしても、それを突き破って、次々に笑いが込み上げてくる。
ホントに、この人には負ける。
「・・たく、馬鹿野郎」
ピッと、ボタンを押す音が聞こえた。
缶が音を立てて落ちる。
落ちてきた缶を、黒神さんは僕に渡した。
なにを選んだのかなと思って、くるりと缶を手の中でまわしてみる。
――ブラックコーヒーだった。
「ブラック好きなんですか、」
温かい缶を両手で握って、彼に問う。
少し冷たかった手が、だんだんあたたかくなってきた気がする。
「甘ったるいのが嫌いなんだよ」
また、ボタンを押す音がした。
僕がもっているのと同じ缶が、黒神さんの手の中に握られる。
甘ったるいのがきらい、か。
「・・人間も、ですか」
そうぽつりと零すと、黒神さんは少しの間押し黙っていた。
「・・そうだな。お前はべたべたしてこねえから、一緒に居て楽だ」
振り返って、そう無表情で言う黒神さん。
ホントに、この人は稜とは正反対の性格だな。
稜は、僕を素っ気無いと文句をいうけど、黒神さんはそんな僕を、一緒にいて楽だという。
この2人を比べる事自体がおかしいんだろうけど、ふとそんなことを思ってしまった。
「・・おい、」
そんなことを考えていたら、ふと彼が僕を呼ぶ。
ドキリ、と心臓が跳ねる。
「なんですか・・?」
聞き返すと、数歩近づいてきた。
距離が、縮まる。
僕の足は、地面にへばりついたようにして動かない。
「さっき泣いてた理由、聞かせてくれねえのか」
目じりの辺りに、彼の親指がそっと触れた。
泣きすぎたせいで、そこは少しヒリヒリとしていた。
「・・ホントに、意地悪な人だ」
缶を握る力が、少し強くなる。
・・熱い。
そこから、全身に熱が伝わってくるみたいだ。
「たしか、前にも言われたな」
「言った気がします」
微笑する。
その頃が、懐かしいとさえ思った。
まだ、こんなことになるなんて、露ほどにも予想できなかったあのとき。
たとえあの頃に戻っても、僕はまた同じことを繰り返してしまうんだろうな。
なんとなく、そんな気がする。
「少し、落ち着いていくか?それから、話せばいい」
スーツのポケットから何かを取り出して、僕の目の前でちらつかせた。
目を凝らしてみると、それは車のキーだった。
――黒神さんの車に乗ること。
罪悪感がないといったら、嘘になる。
べつに何をするわけでもないが、あの状態の稜を家に置いたままにしてしまったことも、気にかかっていた。
それでも今の僕はまだ不安定で、支えが欲しいくらいにぐらついていた。
・・少しの間でも、その支えが黒神さんであってもいいだろうか。
「・・ありがとうございます、」
揺れるキーの真下に、右手を差し出す。
手のひらの上に、それがゆっくりと音をたてて落ちてきたのがわかった。