love10 危機
薄暗い倉庫の中にまんまと引っ張り込まれた俺は、ホコリっぽいマットの上に乱雑に投げ飛ばされた。
見えないホコリにむせ返っていると、突如顎を痛いくらいに強く掴まれる。
「ンだよ・・っ」
その手の先を睨むと、全身黒ずくめのあの男がいた。
数日前のあの記憶がふと脳裏によぎり、思わず唇を痛いくらいに噛みしめる。
「相変わらず、苛め甲斐のある表情をするな」
耳元でそう低音で囁かれ、身体の芯がぞわっと凍った気がした。
なんか反論しろ、俺。
こんな押されたままの状況なんて、らしくないだろ?
・・わかってるのに、喉の奥から声が出てこなかった。
それに、なにより一番腹が立つ。・・くやしい。
「――また、苛めてやろうか」
不意に首筋をすっと指先でなぞられ、いきなりのことに驚いた俺の肩が僅かに跳ねる。
その場所には、もう奴につけられた跡なんか残っているはずがないのに、一瞬熱帯びたような感覚がした。
跡が残っていなくても、身体が覚えてる。
そんなことを奴に仄めかされたようで、どうにも俺は居たたまれない気持ちがしていた。
「しんしーん、ナニワンコとイチャついてんだよォー」
後ろから、がばっと腰のあたりに抱きつかれる。
このゆるい口調と声音は、間違いなくあのキンパツだ。
これ以上ないくらいの最悪メンバーの集結に、当の俺はいろいろと考えることを放棄しかけていた。
考えたって、その理屈が通用するような奴らじゃない。
それは榛名センパイの話を聞いた時から、うすうす感じていたことだ。
だったらもう、こうやってピンチを目の前にしてぐだぐだ考えたってムダ。
でも、それはイコール諦めるってことじゃない。
これから俺がとる行動ひとつひとつで、最悪の事態を回避していく。意地でも。
バカだなんだといい加減言われ続けた脳みそに頼るよりも、俺は俺の直感を信じることにしたのだ。
「殿」
なるべくしっかりした声を出せるよう一息吸ってから、俺は主犯格に呼びかけた。
「なんでしょう」
一歩退いた場所にいる彼の表情はうまく読み取れなかったけど、きっとあの笑顔をはり付かせているに違いない。
「あんたの考えてること、人づてに聞いた」
「榛名くん、ですか」
あえて名前を出すことを避けた俺の配慮も空しく、殿はなんてこともないように軽々とセンパイの名前を口にした。
相手がどこからどこまで自分たちのことを把握しているのかわからない。
これに対しては、正直ビビらざるをえない状況だ。
「彼、あなたのことをよく気に入っているようですね」
足音が近づく。
「僕とあなたの邪魔をするようであれば・・と考えてもみたのですが、僕の"神様"はそうはなさらなかったので」
カミサマ・・?
一瞬疑問に思ったものを、こいつ自身が前世を崇拝していたことを思い出し、ああとすぐに気がついた。
こいつの神様は、前世なんだ。
前世がしなかったことを自分がするのはおこがましいと、そう考えているのかもしれない。
いや、そうに違いなかった。
・・・・・あー。俺にはとうてい頭の痛い世界だな。
「どの道、彼に聞いたというのならば話は早いですね」
俺の目の前で歩みを止めた殿は、そのまま腰を下げて手下二人に目くばせをした。
嫌な予感がしたときにはもう遅く、俺の四肢は完全に奴らに押さえつけられていた。
「ッ離せよ、こんなのヒキョーだろ!」
抗議する俺に、まるで愛しいものを見つめるようなまなざしを静かに向ける殿。
そんな顔したって、やってることがやってることだ。
その矛盾は忘れようにも忘れられるはずがなかった。
「本当はこんな場所ではなく、もっときちんとした場所であなたを愛でたかったのですが・・」
そこはお許しください、と殿は長い睫毛を伏せた。
そこもなにも、この状況の中で逆に俺はあんたの何を許せばいいんだと問いたいね。
「どんなにきちんとした所だろーがベルサイユ宮殿だろーが、俺は兄者以外と愛を育む気なんかございませんだっつの!」
"兄者"という言葉を聞いた瞬間、殿の表情が強張った気がした。
そうだ。兄者・・俺の兄。それは、コイツにとってのキーパーソンだったのだ。
「やはりどの時代であっても、あなたのお兄さんは僕たちの仲を邪魔しようとするのですね」
「なに言ってんだよ!邪魔してんのは、お前だろ・・っ」
そうだ。こいつは自分の理想の為に、大きな勘違いをしてる。
目の前が見えなくなってる。
もう、冷静な判断ができなくなってしまっているのだ。
先祖が云々、俺にはそんなの知ったこっちゃねー。
俺には俺のやり方、生き方がある。
それはこいつだっておんなじなんじゃないのか?
「お前、センゾサマがどーたら言ってっけど、自分の意志はねーのかよ?」
俺の問いかけに殿は一瞬何を言っているかわからない、そんな表情を漏らした。
そしてすぐにふふっと上品に笑った。
「神の意志が僕の意思。それ以外なんて考えたこともない」
俺の頬に細い指を這わせてくる。
こいつの恍惚とする笑みを見て、俺はもう言葉で説得しようとしても無駄なのではないかと思い始めてしまっていた。
殿にとって自分の先祖は唯一神。
俺の言葉になんて惑わされるわけがなかった。
「ただ僕はあなたと一つになりたい。それだけですよ、花螢稜くん」
赤い唇が近づいてきて、避ける間もなく俺の口元を掻っ攫っていった。
「ッ、んん・・っ」
みずみずしく濡れた舌が俺の舌を、歯列を、すべてをなぞっていく。
舌を引っ込めようとしてもうまく絡め取られ、逃げることができない。
まるで今の俺の状況そのものだ。
「・・可愛いですね。もっとたくさん君の声をきかせて」
唇が離されると、頬に添えられていた指が俺のユニフォームの入り口に忍び込んできた。
冷たい指の感触に、思わず身体が跳ねる。
「っ」
「あっれ、ワンコー?キモチよくなってきちゃった・・?」
後ろから足元を押さえつけていたキンパツが耳元で囁いてきて、ついでといわんばかりに耳の中に長い舌を侵入させてくる。
「あ、やめ、ろッ」
「ウソウソ。キモチんだろ?エロい声してんぜ?」
好き放題に耳の中で舌が踊っている。
ぐちゅぐちゅと生々しい音がダイレクトに脳内に入り込んできて気持ち悪い。
それに身体の芯がビリビリしていておかしくなりそうだ。
喩えようのない感覚に軽く息を乱していると、殿の指が腹から上へと遠慮無く這ってきた。
「鍛えてらっしゃるんですね。程よい筋肉が、触れていて心地よいですよ」
「っ、ん、くすぐって、え・・」
顔を逸らして声が漏れないように必死に歯を食いしばる。
すると横から俺の手を拘束していた黒服の男と目が合った。
「本当にお前は他人に触られることが好きなようだな」
そして、噛み付くように乱暴なキスをされた。
舌使いももちろん俺の意志など真っ向から無視した荒々しさで、俺の思考と口内はとうにぐちゃぐちゃだった。
もう、つらい。
もう、あきらめたい。
解決法なんて、とうてい見いだせそうになかった。
「・・おや、おとなしくなってしまいましたね」
「諦めたんじゃねーノ?」
「駄犬も少しは賢くなったようだな」
こいつらの声が遠い。
いっそ気絶でもして意識だけでもこの場から逃げてしまいたかった。
もう・・限界だった。
「稜!!」
扉が激しく開け放たれる音とともに、聞き慣れた声が俺を呼ぶ。
なぜかこれだけは俺の耳にはっきりと聞こえた。
そんな、・・兄者の声がするなんて幻聴じゃないのか。
「石貝さんに協力してた甲斐があったぜ。今度飲み代おごってやらねえとな」
これは・・あきらさんの声か?
なんでこの二人の声が聞こえて・・・・?
「ノックもなしに入ってくるなんて、無粋ですねえ」
俺から離れ、殿は立ち上がる。
「こんな古くせえ倉庫にノックする馬鹿がいるかよ」
「無粋なんて、あんただけには言われたくない」
ハッと短く笑い声を漏らして、あきらさんが言う。
続いて、最高潮に殺気立った兄者の声。
・・・・・・なんだよ、この白馬の王子様展開。
俺ってば、単純だからときめいちゃうぜ・・?
「なんで二人がここにいんだ・・?」
ぼうっとした頭で、俺は敵より先に二人に問う。
「知り合いの刑事にある一件の調査を頼まれててな。いろいろ探っていくうちにその頭がこの学校にいるって事が分かった。
高校生って知ったときゃ驚いたぜ」
「それでその裏を取るために学校にきてた黒神さんと僕がばったり会ってね。
その人がどこにいるか人に聞いてるうちに、稜と倉庫の方にいったって言うから急いでここにきたんだ」
少し肩があがっている二人を見て、すごく必死に探してくれたことが見て取れた。
その気持ちだけでも嬉しくて、それだけでも俺は胸がいっぱいになった。
「よけいな真似をしてくれますね。もう少しで僕は、」
「花螢!!」
殿の声に、また見知った声がかぶってくる。
ドアの付近で息を乱しながら俺の名前を叫んだ榛名センパイが視界に入った。
こんなに俺を心配して助けにきてくれるみんながいる。
俺はこんな状況下でも、それがうれしくてありがたくて仕方なかった。
そんな感動にひそかに打ち震えていると、榛名センパイがそのままの勢いで走ってきて俺の前で止まった。
感動の再会に熱い抱擁?とか思っていると。
「おぶ!?」
なぜか俺の頬を目いっぱいの力で殴り倒した。
そして、吹っ飛ぶ俺。
たぶんこの場にいた誰もが想像しなかっただろう。
この状況にあっけにとられ、俺を押さえ込んでいた奴らまで俺から手を離した始末だ。
「おいバカ、いつまで寝てんだ!早く行くぞ!」
あまりの痛みに呻いていた俺の手をとって、榛名センパイは全速力で倉庫のドア目がけて走りだした。
俺も引っ張られるがままにそのまま引きずられるように走る。
そして、兄者の横を通った。
「あ、あに・・っ」
「稜!僕も後から追うから早く逃げて!」
倉庫から出る寸前、兄者の顔を見た。
心配そうに俺を見つめる顔。
俺だって兄者が心配だった。
こんな危険な奴らのいる所に自分だけ逃げて兄者を置いて行くなんてとも思った。
でも、あそこにはあきらさんもいる。
なによりこのことに自分の手で決着をつけたいという強い意志がすれ違った兄者の瞳から見て取れた。
きっと、二人がこの件に終止符を打ってくれる。
だから俺はこれ以上迷惑をかけないように、全速力で走る。
足が痛いことなんて忘れそうだった。
とにかく、走る。走る。走る!!
今はただ、俺を全力で引っ張って走ってくれるセンパイを信頼しながら走ればいいんだーーー。