love5 後輩
今日は、月が明るい。
街頭が少ない田舎道を、月明かりを頼りに歩く。
花螢を家まで送った後の俺が目指す場所は、駅だ。
後輩を家まで送るなんて、今時彼女相手でもやらないんじゃないかと自分の面倒見の良さを疑っていた。
誰だって、自分に降りかかる面倒事は振り払うだろう。
とくに自分は、そういった人間の代表だろうと踏んでいた。
しかし、それを覆したのが花螢稜という男だった。
基本、先輩後輩といった面倒な関係を断ち切っていた俺は、当然花螢にもそう接していた。
しかし、それでもあいつは俺の後をついて回っていた。
俺のプレーに惚れ込んだだの、無口なところが格好いいだのぬかして、真っ正直に懐いてくる後輩を邪険にするのも面倒になった俺が、いつの間にか折れて今の状態に至る。
だから、もう今更だった。
あいつとなれ合った時点で、俺は面倒を被ったのだ。
今更、あいつを家に送ることも、…守ることもどうって事はない。
(月…か)
歩む足を止め、頭上に掲げられた満月を見上げる。
…俺が他人に対して疑り深くなったきっかけの日も、丁度こんな満月の出た日だった。
信頼していた先輩に裏切られた。
悲しみより先に、あの人が憎かった。
もう誰も信用しないと誓った。
だから、あいつには――花螢には、同じ思いをして欲しくない。
そんな思いが屈折して、先ほど強がりじみたことを言った。
「…だから、お前も俺を信用するな」
さっき花螢に対して吐いた言葉を、何気なく呟いてみる。
我ながら、汚い言葉だと思った。
根から、そう思っているわけではないくせに。
――むしろ、
「みーっけた」
背後から、見知らぬ声が聞こえた。
反射的に振り返る。
「…誰だ」
暗闇のせいで細かい風貌は分からなかったが、背格好からいってどうやら男のようだった。
「楢宮れーす!って、んなことはどーでもいんだよ」
楢宮と名乗った男は、長身をゆらゆらと揺らしながら、俺に近づいてきた。
咄嗟に足場をならす。
コンクリートに散らばった小さな砂利が、ザラザラと音を立てた。
「…おっとォー?逃げるとか考えてんなよ〜。シンシンからのオイイツケなんだかんよ」
気付いたときには、目の前に相手の目があった。
――紫色のガラス玉。
光を帯びない両目は、ふとそんな印象をうけた。
「目的はなんだよ、金か?」
目を逸らさずに聞く。
逸らしたら最後、なんとなくそんな感じがしていた。
「金ェ〜?いんないいんない。俺らが欲しいのは、ワンコだけ」
大きな口に、にまっと屈託のない笑みを浮かべて楢宮は言った。
まさか、こいつが言ってるのは花螢のことか…?
「でさあ〜。アンタ、さっきワンコと一緒に帰ってたっしょ?どーいったゴカンケイ?」
なぜ俺たちが一緒にいたことを知ってる…?
まさか、つけられていたんだろうか。
その事実を知られていたことに、僅かながら不信感を覚える。
「つけてたのかよ、趣味悪ィ」
「答えろよ。俺、シカトされんのが、いっちゃんムカつくのよネ〜」
何か尖ったもので顎を持ち上げられ、そのまま上を向かせられる。
ちらっと視線を落とすと、それが爪だと分かった。
黒く塗りたぐられた、長い爪だ。
「…あいつは、ただの後輩だ」
相手の手を払いのけて、手短に答えた。
俺の答えを聞いた楢宮は、つまらなそうな顔で溜め息をつく。
「アンタァ、つまんねーなー。」
すっかり俺に興味をなくしたらしい楢宮は、いそいそと離れていった。
「何が、」
「怖がんねーし、嘘つきだ」
このペテン師、とどやされる。
…俺がいつ嘘を言った?
「俺のどこが嘘つきだよ」
俺は、たしかに真実をいったつもりだ。
花螢は、後輩。
…間違ってない。
「後輩だなんて、思ってねーんだろ?」
あの口が、またにんまりと笑む。
嫌いな笑い方だ。
…あの人に似てる。
「いやいや〜、皮肉な話だねん。ワンコはアンタんこと、なーんとも思ってないっしょ?」
俺の鼻先に爪を立てて、首を傾げる。
その動作は、まるで幼い子供のようだ。
なんとも思ってない。
楢宮の言った言葉を、頭の中で復唱する。
「それでいい」
なんとも思われていなくていい。
…それでいいのだ。
「ホント、つまんねーの!」
小石を蹴るような動作をして、声を上げる。
本当に子供みたいな奴だ。
無垢な子供のようだからこそ、純粋で真っ直ぐに向けられた狂喜が恐ろしい。
…そう思った。
「頭ン中じゃあ、やらしーコト考えてんだろ〜、イケメンさんよお。アンタ、ワンコの鳴いた声聞いたコトあんの?」
鳴いた…声。
そんなの聴いたことがあるわけなかった。
俺は、今まであいつのいい先輩だったのだ。
そして、…たぶんこれからもソレで居続けるのだろう。
「ねえよ」
冷めた声で答える。
自分でも、これほど冷たい声が出せるものなのかと驚いた。
それに満足したのか、楢宮は嬉しそうな声色で俺の鼓膜を貫いた。
「イイんだぜ、…アイツの声」
自分の耳を疑った。
目の前にいる男が何を言っているのか、即座には判断できなかった。
「何を…言ってる」
「恐怖にひきつった声。アンタにゃあ、あんな声出せねえヨ?」
他人に対して、ここまで怒りが募ったのは久しぶりかもしれなかった。
気付いたときには、楢宮に殴りかかっていたのだ。
「――お前、少し黙れ」
しかし、俺の拳は空を描いていた。
たしかに顔面を狙ったのだ。
楢宮は、俺の前方にすらいなかった。
「あっぶねーなァ。やだねえ〜最近の子はキレやすくってェ」
俺の背後から、だらだらしたテンポの奴の声がする。
…いつ移動した?
「お前、花螢に何したんだよ」
振り返らずに、後ろにいるはずの相手に声を投げかける。
「ちっとイジワルしただけだってぇ。ンな怒んなよ〜」
楢宮は、花螢を襲った黒スーツの男と関係があるのだろうか。
花螢を付け狙う男が、いきなり二人出てきたのだ。
無関係とは思えなかった。
・・コイツらは、危険だ。
そんなことは、とっくにわかっていた。
それでも俺は・・・真実を突き止めなくてはならない。
その真実が、今はすぐ目の前にあるのだ。
花螢。お前のために突き止めてやるよ。
―――俺はいい先輩だからな。