love3 先輩
「ふー…」
なんとか道にも迷うことなく部室に着くことができた自身に、俺は自ら賞賛を送った。
よく頑張ったぞ、俺!さすがだぞ、俺!
「…おい、花螢。お前はなにアホヅラしてドアの前に突っ立ってんだよ」
そう見知らぬ声に後ろから軽く罵倒され、びくっとなりながらその声の方を振り返る。
「ったく、相変わらず後輩のくせに気ィきかねーな。早くどけ」
そこには思わぬイケメンが不機嫌そうに立っていた。
艶艶した漆黒の黒髪に、切れ長な瞳。
加えてその目の下にはほくろがあって、なんかえろい。いや、妖艶とでもいうべきか。
背も高くてスタイルもいいし、こんなモデルみたいな奴が間近にいるのか。
と驚かされたのもつかの間、その美しい顔からは考えられないような罵声が現在進行形で
俺に浴びせられているわけで、なんというか世の中いろんな人がイルンデスネと言わざるを得ない。
「す、すいませんでした」
後輩、と言われていたのでとりあえず深々と頭を下げて謝っておく。
もちろんドアを避けるように移動もした。
「……」
いきなり黙ったイケメンをちらっと見ると、なんとも怪訝な表情で俺をじろじろ見ていた。
「ほ、他にもなんか失礼ありました…?」
こんな怖そうな先輩がいる部活で、記憶がないまま練習するなんてムリかもしれん…。
そう早くも自信をなくしていると、ふと手が伸びてきて「殴られる…!?」と目をつぶる、が。
「珍しく素直になってんじゃねーよ。俺がいじめてるみてーになんだろうが」
その手は殴ることなく、俺の頭をポンと一回撫でただけだった。
先輩の顔を見ようと目を開けると、すでに先輩は部室のドアを開けて中に入ろうとしていた。
もしかして口が悪いだけで、ほんとはいい人なのかもしれないな。
ただの直感だけど、俺はそう思った。
「…お前、また赤点でも取った?」
制服のボタンをはずしながら、先輩は俺を振り返ることなく問いかけてくる。
俺はなんとかパッと見で、自分の名前がかいてあるロッカーを見つけた。
「え、なんですか…?」
ロッカーを開け、その中に鞄を押し込む。
「や、なんかお前。いつもと感じちげーから」
ぎくっ。
もしかしたら、この先輩にはうすうすバレているのか?
ていうかもうこの発言はその予備軍と言っても過言ではないだろ。
「あははは、そーですかね…榛名、さんの気のせいだと思いますよ」
先輩が前に立っているロッカーの名前が目についたので、言葉に確信をつけるために名前を呼んでみた。
この人は先輩だし、さん付けが妥当だろう。そう思ったからだ。
「……は?」
少し離れたところから、俺の方をじろっと見たと思ったら、そのままずんずんとこちらに歩いてくる。
「お前、今俺のことなんつった?」
し、しまった―――!!
よかれと思って呼んだ名前を、どうやらハズしてしまったらしい。
「え、えっ…と、榛名…さん?」
劉といいこの先輩といい、なんで俺はふつうの呼び方をしてないんだよ。
わかるわけねーじゃん!
てかなんで軽はずみに適当に呼んだの俺!
「お前、ほんとに花螢か?」
とまさかの質問をされて、とりあえずそれには精一杯イエスと頷ける。
当然、俺が今自分の顔を思いっきり引っ張ったって、それがバリッとマスクのようにとれて、
他の顔が下から出てくるなんてことはないからだ。
でも、だったらこの状況の答えはどうごまかす?
…たぶん、この鋭そうな人が相手だ。
ごまかせないだろーな。
「もちろん、俺は俺なんですけど…ってェ!?」
そう目を逸らしながら言うと、頬を指先で思いっきり引っ張られる。
やっぱり俺、疑われまくってる!?
「じゃあ、俺の好物言ってみろ」
とりあえず俺の顔自体はマスクとかじゃない本物って信じてくれたみたいだ。
(てゆーかそんな技術者みてーなヤツ、そうそういねーっつの!)
でも、その代わり今度は内面に疑いを持たれているらしい。
そりゃそーだ。
たぶんこの人は、この場で俺の異変を適当に流してくれるような生易しい性格してない。
覚えてるわけじゃねーけど、俺の本能がそう言ってる。
こいつには逆らうなって!
「…すいません、わかりません」
この人の顔も名前も覚えてないのに、好物なんかわかるわけがない。
適当に言っても、たぶん見抜かれる。
先輩のため息が聞こえた。
「今度はどうした」
そう聞いてくる声は、少し俺を気遣うようにひそめられていた。
興味本位とかじゃなくて、先輩は俺を心配してくれてるんだ。
しかも"今度は"ってことは、前にもやっかいになっているのかもしれない。
…この人になら、話しても大丈夫かも。
そんな気持ちが俺に口火を切らせた。
「…信じてもらえないかもしれないんすけど、」
ことの経緯を大まかに説明すると、意外にも先輩はすんなり納得したようだった。
「疑わないんですか?」
あまりに簡単に受け入れられてしまった俺は、動揺を隠せなかった。
「現におかしなお前を見てるしな。非現実的だが、記憶喪失なんてなくもない話だろ」
あまりに先輩が軽く言うので、一瞬また呆気にとられたけど、俺の気持ちも少しだけ軽くなった気がした。
もしかしたら、気を使ってくれたのかもしれない。
「このこと、俺と兄貴しか知らないんで内密にお願いします」
そういうと、先輩は無言で頷いてくれた。
劉だけじゃなくて、他にも俺の事情を知っていてくれてる人がいるってのは正直少しだけ心強い。
劉にばかりフォローさせるのも悪いし、これで部活もなんとかやっていけそうだ。
「これで兄貴には聞きづらいことも聞けるし、ありがたいっす」
そういって、俺は着替えを再開した。
先輩も着替え始めるかと思ったけど、まだ俺の傍に立ったままだ。
「聞きづらいこと?」
どうやら、そこに引っかかりを覚えたらしかった。
「んー…たとえば、俺って付き合ってるヤツいたかーとか。
そしたらウマくやんないとだし、ちょっと気がかりだったんすよ。
兄貴には家族だからなんとなくそーいう話題って聞きづれーし…」
はははと笑って、軽く言ったつもりだった。
しかし、先輩は何も反応しないし、何も言ってくれない。
不思議に思って、俺は声をかけてみる。
「榛名さん?」
「…付き合ってた」
ぼそっと聞き取れるか取れないかの大きさで、先輩は呟いた。
「俺と付き合ってた」
何かの聞き違いか、それともジョーダンなのか。
でも、ジョーダンにしては声のトーンが低い。
聞き違いにしては、俺はあまりにもはっきりと聞き取れてしまった。
俺と榛名さんは、付き合ってた…のか?
「…っあ!だから先輩には俺がヘンなのすぐバレちゃったんすね。
すいません、俺そういう記憶も全部なくって」
ためしに、もしこれがジョーダンだとしたらすぐに先輩が弁解できるような言葉で。
でも、たとえ先輩が俺とほんとに付き合ってたとしても先輩を傷つけない言葉で、一応対応してみたつもりだ。
「…花螢、」
先輩が俺の名前を呟いて、なにかを言い出そうとしていた。
その時、
「ちわーす!ってあれ、まだ榛名さんと稜しかいねーのー?
ホームルーム長引いたから、まあまあ急いできたのに〜」
突然勢いよく部室のドアが開けられ、外から入ってきたのは赤髪の男だった。
榛名さんのことはさん付け、俺のことは呼び捨てってことはたぶんこいつとは同学年って認識でいーんだよな?
と、だんだんこういう判断にもなれてきた俺は、密かに脳内で冷静に考えていた。
「…お前と同学年の麻田。お前は"だっち"とか呼んでたな」
いい匂いが鼻先をふわりとかすめたかと思うと、榛名さんがさり気なく耳元に唇を寄せて、そう教えてくれる。
俺は赤髪、もといだっちに気づかれないように僅かに頷いて見せた。
「じゅーぶんおせーよ、だっち」
先輩に教えてもらった通りのあだ名で適当に返してみるが、相手には何も感づかれなかったようで、俺たちはそのまま軽く会話をした。