play7 煙草
無我夢中で走ったおかげで、息は切れぎれ。
頬の辺りを伝った汗を拭いながら、俺は目の前にあるドアを開けた。
開けた瞬間に外の風が身体に流れ込んでくるようにして入ってきて、俺はそのままに風を受ける。
――――校舎の屋上、ビンゴ。
そこには気だるそうにタバコを吸いながら、こちらに視線を流す唐沢竜也がいた。
「オマエ、電話しつこスギ。ストーカーかよ」
乾いた笑いを漏らしながら、俺を見る。
「気づいてんなら出ろよ」
ムッとしながらあいつの隣に座る。
久しぶりに嗅ぐタバコの匂いに違和感を覚えながらも、俺は唐沢が口を開くのを待っていた。
そしていつまでも喋ろうとしない俺にため息をつきながら、唐沢は不服そうに話し始める。
「なーに黙ってんだよ。聞きてーコト、いろいろあんじゃねーの?」
煙草の灰を落としながら、俺から視線を外す唐沢。
たぶんこいつは分かってるんだ。
自分の様子がおかしいと、俺が気づいて追ってきたこと。
俺が心配して、何度も・・それこそこいつが言うようにストーカーのごとく電話をかけまくったこと。
そんな俺の気持ちを知っていて、お前はここを離れなかった。
それって、まるで俺を待っていたみたいじゃないか。
俺は単純だから、そんなことにすら少しだけ浮かれてる。
・・ほんとにずるいよ、お前って奴は。
「オマエから話す気ねーなら、俺が先に質問してもいーよな」
唐沢の言葉に、俺は思わず面食らった。
まさか、俺がこいつに質問される立場になろうとは考えてもいなかったからだ。
「なんだよ、」
またタバコに口をつける唐沢を横目に追いながら、俺は聞き返す。
目は合わない。
煙を吐き出し、唐沢は一言いった。
「テディんこと、どーしたん?」
ここにきてその質問がくるとは予測できるはずもなく、俺は「ああ」とまぬけな声を漏らしていた。
「ちょっと前に話してきた」
「知ってる」
俺の語尾と重なる、唐沢の声。
「校門の前でタノシソーに話してらっしゃいましたから」
どこかつっかかるような言い方。こいつらしくもない。
「見てたのか、」
「帰ろーかと思ってたのに、おかげで校門抜けらンなかったんだぜ?
校門前であんないい雰囲気とか、オマエら独り身にとってちょー公害」
わはっとアホみたいに笑う唐沢。
なにがいい雰囲気だ。なにが独り身にとってだ。
俺がどれだけお前の一言に一喜一憂してて、お前のこと今も心配してるかなんてお前に分かるのか。
・・分かってたまるか。
こっちの気も知らないでそう茶化してくる唐沢に、俺は心底腹がたった。
「―――なんだよ、その言い方は」
その空気を察したのか、唐沢はやっと俺の方を向いた。
俺が怒るとは思っていなかったのか、少し驚いたような表情をしている。
「お前な、俺のこと怒らせたいわけ」
いつもの唐沢なら、「もう怒ってんじゃん」とか軽いノリでかわしてくる。
でも、今俺の目の前にいる唐沢はそうはしなかった。
何も言わずに、俺の目を見つめている。
その目からは何も感じ取ることができなかった。
「何があったのかは知らねーけど、俺に当たるなよ」
今度は俺が目を逸らす番だった。
唐沢はその時を待っていたかのように、再び口を開く。
「悪ィ、わかってんだ。今の俺、ちょーやなヤツなの」
そう詫びる唐沢の声は、やっぱりいつもとはどこか違っていた。
「わざわざお前が心配してきてくれてんのに、こんなみっともねーこといって。
マジでざまァねーよな」
いつになく後ろ向きな唐沢の発言に、次第に俺の怒りも冷めていく。
たしかにこいつの発言にはカチンときたけど、俺はここにきた当初の目的を忘れていた。
俺は唐沢のことを怒りにきたんじゃない。
おそらくなにかあったんであろう唐沢の、支えになってやりたくてきたんじゃないか。
「・・なにかあったんだろ、話せよ」
俺がそう言うと、唐沢は力なくふっと笑って短くなったタバコを床で潰した。
白い煙が消えるとそのタバコを指先で摘み、唐沢はそれをじっと見つめていた。
「これさ。弥栄に禁煙勧告されたときに、最後に一本だけーッつってもらったヤツ」
もはやゴミと化した吸い殻を見つめるその視線は、なんとなく愛しそうに見える。
「もしかしたら今回は禁煙成功すっかもとか・・わりと本気で考えてたんよ、俺」
「―――なんで、」
答えなんか分かってるくせに、質問するバカな俺。
それでもそうしたのは、そうでもしないとこの空気に耐えられそうになかったからだ。
そんな吸い殻なんか見つめてないで、俺を見て欲しかった。
弥栄がやったというそのタバコを見つめる、・・その視線で。
「弥栄に言われたっつーのもあったけど、なんかこの一本がさ」
指の間で吸い殻をくるくると弄ぶ。
「コレ見ると、「あー、弥栄が俺のこと心配して禁煙しろッていってくれたんだよなー」とか思っちゃって。
そーなると、こんな一本すら愛しくなっちまうワケ。・・単純だけどよ、やっぱそんなモンだろ?」
このタバコ一本に、唐沢はこれだけ思い入れを持っていた。
そんな想いは、分かるに決まってた。
唐沢がどれだけ弥栄のことを思っているのかも分かってる。
唐沢を好きな俺だから、分かる。
絶対に自分に振り向くことのない相手を想う心は、あまりに情熱的で脆い。
相手の行動や言葉に喜んだり落ち込んだり、そんなのは日常茶飯事だ。
たかがこのタバコ一本に対する思いも、だからこそよく分かった。
「ま、その禁煙も約1日で終わったけどな」
吸い殻を軽く床に投げた後、唐沢は苦そうに笑って俺を見た。
大切にしていた一本を吸ってしまった訳が、今回唐沢を落胆させた原因なのだろう。
それはどう考えても、弥栄絡みでしかなかった。
「わかってたつもりなんだぜ、イチオーは」
後ろに手をついて、空を見上げる唐沢。
「弥栄は内藤と付き合ってるし、俺が入るスキなんかねーって」
俺もふと空に目を向けてみる。
―――そこは哀しいほどに蒼かった。
「でも俺アホだから、やっぱどっかで期待しちゃってたっぽい」
静かな屋上に、唐沢の声だけがポツリポツリと落ちてくる。
それはまるで雨のように俺に冷たく降り注いでいた。
「そんで文化祭中に弥栄と内藤のラブ現場目の当たりにしちまって、見事にギョクサイ」
しょーもな、と言って笑う唐沢。
その姿が痛々しくて、哀しかった。
俺の前でまで、無理して笑ってどーすんだ。
せめて今くらいだけは、・・どんな顔してたっていいんじゃねーか。
「・・おかしくねーよ」
そう呟くように言うと唐沢は笑うのをやめ、また俺を見た。
「なんもおかしくねーだろ。だから笑うな」
慰めとかそんなんじゃなくて、ただ今の唐沢には笑っていてほしくなかった。
無理やり作った笑顔を向けられても、お前も俺も辛いだけ。
せめてそれを分かって欲しくて、そう自然と口にしていた。
「ムリヤリでも笑ってなきゃ、やってらんねーんだよ・・」
足を立てて、その間に唐沢は顔を埋めた。
微かに鼻を啜る音がする。
「全部自分のせいだけどよ。・・惨めすぎんだろ、こんなん」
たしかに相手を好きになるかならないかは、自分の勝手だ。
その勝手で傷ついても、誰にも文句は言えない。
よって、俺も唐沢に文句をいう資格はないのだ。
弥栄のことを好きな唐沢を、俺が勝手に好きになっただけなのだから。
「―――惨めでも、好きなもんは好きなんだから仕方ねーだろ」
垂れた奴の頭を一度だけ撫でてやる。
俺の言葉に唐沢は小さく頷いた。
・・さて、この言葉は一体誰に向けたものなのやら。