save7 来訪
2006年2月11日 真崎翔太
電話をしてから10分程度で、草壁さんは俺達の部屋のインターホンをならした。
特に迷うような経路でなくてよかったと、草壁さんは穏やかな表情で笑っていた。
「コーヒーです。どうぞ、」
リビングのソファに座った草壁さんに、マグカップを渡す。
普段来客のない俺達の家に、必要以上のマグカップなど、当然存在しなかった。
だから、少し気は引けるものを、草壁さんの分には山瀬の物を借りる事にした。
山瀬だって尊敬してる人な訳だし、あとで断っておけば、べつに文句もないだろう。
「ありがとう、」
俺も自分のマグカップを持って、その隣に座った。
発熱のせいでか、若干頭がクラクラするが、せっかく来てくれた草壁さんに、それを悟られてはいけないと思った。
――家まで来てもらったというのに、これ以上の迷惑はかけられない。
そう頭の隅で考え込みながら、コーヒーを一口飲む。
「このマグカップ、とても綺麗だね。」
渡したマグカップに目を留めたらしい草壁さんが、それを軽く上げて示した。
「俺も、この色が気に入って買ったんですよ。アイツも同じのを買ったんですけど、」
そうなんともなしに言うと、草壁さんは少し困惑したような表情で首を傾げた。
「という事は、これは山瀬君の物なのかな。使ってしまって平気だったの、」
困惑の理由は、どうやらこのマグカップにあるようだった。
俺はまた、無意識のうちに草壁さんに気を使わせるような事を言ってしまったらしい。
自分は、つくづく無神経な奴だと心の中で反省する。
「大丈夫ですから、気にしないで下さい。」
俺の言葉にホッとしたらしく、草壁さんは一息ついて、コーヒーを一口飲んだ。
「翔太君は、ブラックコーヒー派なんだね。なんだか意外だな、」
ついいつもの調子で、ブラックを入れてしまっていた。
・・・もしかして、苦かったのだろうか?
「山瀬の奴が好きなんで。あ、砂糖か何かいりますか?」
俺が立ち上がろうとすると、ふと隣から小さな笑い声が聞こえてきた。
電話のときと同様、また俺はこの人に笑われているらしかった。
・・・・もしかして、俺って草壁さんのツボ?
「あ、いや・・いいよ。ごめん、笑ったりして。」
その言葉に俺は再び腰を下ろすものを、何故俺が彼のツボをついてしまったのか、まるで心当たりが無いでいた。
その状況が、なんだかとても歯がゆい。
そんな俺の心境を汲んだのか、草壁さんは柔らかそうでわりかし色素の薄めな髪をかき上げて、再度口を開いた。
「ただ、君達は本当に仲が良いなと思ってね。」
そのふわりとした柔らかな笑顔は、思わずこちらも微笑んでしまいそうなほどに優しげだった。
時に、人間は何よりも表情から感情が滲み出やすい生き物だと思うことがあった。
怒っている時は当然表情は歪むし、嬉しい時や楽しい時は、自然と頬が緩む。
時と場合によって、それは良かったり悪かったりしてしまうけど、俺は人間に「表情」があってよかったと思う。
表情があるからこそ、相手が幸せなのだと感じ、それによって自分も幸せになる事ができる。
20年弱生きてきて、それを最近知った。
そのきっかけは、おそらく山瀬なのだと思う。
山瀬が笑えば俺は幸せだし、山瀬が辛そうであれば俺も苦しいと感じる。
最近では、そう思う事が暫しあったが、今の瞬間も良い意味でそう感じた。
「おそらく、君達はずっと付き合っていくんだろうね。僕にはそういう友人がいないから、少し羨ましいな。」
ずっと・・それは、いつまでの事を指すのだろう。
社会に出るまで、互いが家庭を持つまで、老人になるまで、・・・・死ぬまで。
"ずっと"の範囲は、人それぞれだ。
そしたら、俺たちはいつまで付き合っていけるのだろうか。
・・俺は、いつまで山瀬と付き合っていきたい?
まだ、わからない。そんな事は、・・・・わからない。
プルルルルル・・・・・・
突然の電子音に、心臓がはねる。
その発信源は、どうやら草壁さんの携帯電話らしかった。
「ごめん。出てもいいかな、」
どうぞ、と俺は了承する。
草壁さんが電話に出ている間、俺は簡単な惣菜でも作ろうかと思い、キッチンへと向かった。
この時間では互いに腹も減るし、山瀬も夕飯は食べてくるだろうが、何か作っておけば、それはそれで喜ぶだろう。
冷蔵庫の中を漁っていると、切れ切れに話す草壁さんの声が聞こえた。
口調から言って、相手はおそらく会社の上司か何かなのだろう。
しきりに・・・何かを謝っている?
どうしたのかと不安に思いながらも、俺が詮索してはいけない事のような気がして、俺は一通りの材料を取り出すと、早速調理にかかったのだった。