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小山駅

栃木県小山駅新幹線も止まります。アニメ映画「秒速5センチメートル」にも登場します


東京スカイツリーのパーツも小山市で制作されたようです


祇園城のパンフレット

小山義政公が描かれております


小山政光と寒川尼

小山氏初代で源頼朝の鎌倉幕府樹立に貢献した小山政光と頼朝の乳母を務めたその妻寒川尼です。寒川尼はその後、頼朝より地頭にも任じられております


小山氏はもともと太田氏を名乗っておりました。鷲宮神社のある武州太田荘が一族発祥の地なのです


小山評定


小山といえば関ヶ原の戦いの前哨戦「上杉景勝征伐」の際の徳川家康の小山評定で有名です

ここで石田三成の挙兵を知り一同と評定に!



備中青江
小山義政が鷲宮神社に奉納した備中青江ではありませんが、
上野の国立博物館の二振りの備中青江

ここには鷲宮神社の備中青江(国重文)もあるはずなんですが

ユーチューブ備中青江動画


https://www.youtube.com/watch?v=K-y4zY0bEM0

小山義政の乱略年表

1376
小山義政鷲宮神社に太刀「備中青江」を奉納
小山に鷲宮神社を分祠

1380
裳原の戦い 宇都宮基綱を討ち取る
小山義政の乱発生!鎌倉府の軍勢小山の祇園城攻撃
小山義政鎌倉公方足利氏満と和睦

1381 
京の将軍足利義満より討伐許可。鎌倉府再び小山攻めを再開
鷲城攻防戦
小山義政降伏、出家し永賢となる

1382 
永賢(義政)祇園城を焼き、長子若犬丸と共に粕尾城に篭る
足利氏満粕尾城攻略
小山義政粕尾山中赤石河原で自害
若犬丸逃亡

1386 
若犬丸挙兵!祇園城奪取
足利氏満古河に布陣
若犬丸祇園城放棄

1387
小山若犬丸、常陸小田孝朝のもとに潜伏していることが露見、足利氏満は上杉朝宗らに攻撃を命令
若犬丸難台山(男体山)城に逃走

1388
上杉朝宗10箇月の攻城戦の末難台山城攻略
若犬丸三春の田村義則のもとに逃走!

1396
若犬丸新田義宗の子等と田村で挙兵!
足利氏満白河の結城満朝の館に入る

1397
会津に逃亡した小山若犬丸自害
若犬丸の二児会津で捕らえられ神奈川の六浦に沈められる

ユーチューブ動画






須賀神社 栃木県小山市の史跡にいってきた

【小山義政の孫の墓所】横浜市金沢区六浦

栃木県小山市の史跡〜間々田駅編

小山義政正室【小山芳姫】御堂〜栃木県栃木市

思川ほとりの小山政光・寒川尼像



















鷲宮神社に奉納した

小山義政絵馬

鷲宮神社に奉納した

源頼朝絵馬

鷲宮神社に奉納した

梶原景時絵馬
実は鷲宮神社は梶原景時にもゆかりの深い神社です

ユーチューブ動画


源義家駒つなぎの桜〜鷲宮神社〜

【粟原城】城塞化した戦国時代の鷲宮神社

花崎城と鷲宮神社に行ってきたBY麻布狸穴





















































































































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下野の名門小山一族のページ

トップ>下野の名門小山氏のページ

鷲城と小山義政


栃木県小山市はあの平将門を討ち立った藤原秀
郷(俵藤太)を祖とする小山氏の本拠です。

鷲城はその小山氏の本拠【小山三城】の一つです

残りは祇園城と長福城

小山義政は南北朝時代後期の小山氏当主でそ
の所領は下野だけでなく武蔵・下総に及びました。

鷲城城内にあの埼玉県の鷲宮神社を分祠した鷲
神社があることから鷲城と呼ばれます。

小山義政は荒廃した鷲宮神社を再興し、刀剣
「備中青江」(国指定重要文化財)を奉納した人
物でもあります。

小山市初代小山政光は源頼朝の鎌倉幕府樹立
におおいに貢献しその妻寒川尼は頼朝の乳母を務
め、のち地頭職に任じられた人物でもあります

小山芳姫(おやまよしひめ)
小山義政の乱で悲劇の最期を遂げた小山芳姫。その芳姫が鷲大明神の力で生まれ変わったというイメージ。小山義政が鷲宮神社に奉納した備中青江を手にしております

鷲城攻防戦
涙の小山芳姫 
鎌倉府と小山義政の鷲城の戦いをイメージしてみました 備中青江を抱きしめる小山芳姫。刀には愛する小山義政の名が刻まれています。600年ぶりの再会・・・

小山芳姫  鷲は舞い降りた!


小山義政正室【小山芳姫】御堂〜栃木県栃木市


栃木県栃木市星野の小山芳姫御堂です。近くの寒川林道の奥には「よしひめはかしょ」があります


鷲城 (小山三城の一つ)


長福城・鷲城・鷲神社_栃木県小山市の史跡


栃木県小山市の長福城・鷲城の動画


鷲城
鷲神社
鷲城は思川のほとりに築かれています。南北朝時代の遺
構が良く残り国指定史跡になっております。小山義政の
乱の主戦場の一つ
鷲城の中には小山一族が篤く崇敬した埼玉県の鷲宮神社を分祠した鷲神社がたちます

鷲神社
鷲城説明板
鷲宮神社を分祠しました


鷲城
鷲城
横矢がかかってるらしいです。
虎口らしい
長福城 (小山三城の一つ)

長福城跡石碑
長福城土塁
祇園城と鷲城のつなぎの城

祇園城 (小山三城の一つ)

祇園城空堀
実なし大銀杏
祇園城空堀です。戦国時代までにかなり改変されていま
すが、壮大な遺構が残ります
落城時の悲劇の伝説の伝わるイチョウ。祇園城が落ちる時、井戸に飛び込んだ姫がさしたいちょうの枝が成長したという伝説があります

天翁院 (祇園城の曲輪もかねた小山氏菩提寺)

天翁院
小山氏累代の墓
下野の名門小山氏の菩提寺です。祇園城の曲輪も兼ねており周囲に土塁や堀が残ります。祇園城の北に位置します 藤原秀郷を外する名門小山家累代の墓です。左奥に
小山義政の墓もあります

須賀神社 (天王様)

小山氏の先祖藤原秀郷が平将門を討ったとき京都の祇園社を勧請したのが始まりと言われます。また徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝祈願をしたことでも知られています 祇園城落城時の悲話の伝わる石


鷲宮神社(埼玉県久喜市)


戦国時代の鷲宮神社(粟原城)を

イメージしてみた


戦国時代の鷲宮神社は粟原城の中に取り
込まれ、鷲宮神社神主大内家が城主を兼
ねておりました。南・東・北を河川沼沢地帯
に囲まれ、さながらのぼうの城の忍城のよう
な浮城でした。羽生城が上杉方の北条攻
めの拠点となると、まさに粟原城は最前線と
なりました。

また北条軍が北上すると物資の集積基地
へと役割が移行していきます

鷲宮神社
鷲宮神社碑と柊姉妹
いまさら説明の必要もない鷲宮神社です。小山義政が
南北朝時代後期に再興しました
小さくて良く見えませんが、電柱に柊姉妹の幕が垂れております。

鷲宮神社の源頼朝お手植えのもっこく
鷲宮神社源義家駒つなぎの桜
もはや株だけですが・・・
鷲宮神社は源氏にもゆかりの深い神社です

鷲宮粟原城大手口
粟原城空堀跡
鷲宮神社が粟原城だったときの大手と言われる場所で
す。この先に城主を兼ねた鷲宮神社神主の館がありま
した
粟原城の空堀跡といわれる箇所です。堀跡はこの奥で
右に直角に折れています

小山家初代小山政光はもともと埼玉県の鷲宮神社のある武蔵の国太田荘の領主で太田四郎政光を名乗っていましたが、領地がえで下野の国の小山に移り小山政光を名乗るようになりました。1150年位の平安時代のお話です。鎌倉幕府の開かれる40年くらい前です。
隣の結城家は小山政光の三男(?)朝光が初代です。後に徳川家康の次男であり豊臣秀吉の養子となった【秀康】を迎えたことで有名なあの結城です。結城秀康ですね!


戦国時代の鷲宮神社(粟原城)


戦国時代の鷲宮神社!兼武の神職と呼ばれた鷲宮神社神主大内家の本拠【粟原城】です。東武線をはさんだ反対側の粟原地区が城の中心部と言われた場所で大手門や城主を兼ねた神主の館などがありました。また鳥居の周辺には中世より大乗院などの仏閣も存在していたようです。粟原城の支城【花崎城】や近くの騎西城・岩槻城などでも検出されていることから、堀障子も書き加えてみました。当時は北条家の物資集積基地や岩槻城の支城としても機能していたようです。周囲を河川や泥沼地帯に囲まれた天然の要害の地ですが、南北朝時代よりさらなる防御力強化の為、城塞化が始まったようです。鷲宮神社が城だったことは日本城郭体系にものっているので城マニアには比較的昔から知られていましたが・・・

諏訪大社の諏訪家(武田信玄の側室諏訪御料人の実家・下野国一宮二荒山神社の宇都宮家など武家が神職を兼ねるのはそれ程まれでもないようです。


花崎城〜粟原城の支城 埼玉県加須市 

鷲宮神社(粟原城)の西に位置する埼玉県加須市の花崎城跡(花崎城山公園)です。戦国時代には鷲宮神社のある粟原城の支城で低湿地の微高地に築かれた城でした。また発掘により堀障子も出土しました。近くには城の守護神である花崎鷲宮神社もあります。小田原攻めの上杉方と交戦!ここで鷲宮神社神主満仲の嫡男細萱(大内)泰秀が討死しております。享年11歳
戦国時代の鷲宮神社(粟原城)もこのような城だったと思われます

花崎遺跡

説明板
花崎城

堀障子
花崎城

水堀
花崎城

水堀
花崎城

水堀
花崎

鷲宮神社