KISS? KISS!? KISS!!
第三話 『そして想いは・・・』
「お前、伊藤正樹のことが好きなんだよ、きっと」
冴子は、自分の部屋のベットに突っ伏して枕に顔を埋めていた。
哲に言われた言葉が、ずっと頭で反響して木霊して耳から離れない。
あの後、どこをどう通って帰ってきたかも覚えていない。ただ、哲の前にいたくなかっ
た。彼の前から逃げ出して、家に帰ってきた。そしてそのまま祖母にただいまも言わずに
部屋にとびこんで、ずっとベットに突っ伏していた。
『お前、伊藤正樹のことが好きなんだよ、きっと』
まだ、壊れたテープレコーダーのように、哲の言葉が頭に残って離れない。
よく美亜子などに、からかい半分で同じことを言われてはいた。でも、哲が言ったのは、
冗談では逃げられない、真摯な重みがあった。だから哲の前から一目散に逃げ出したのだ。
「・・・あたいに、どうしろってんだよ」
いつの間にか、冴子は泣いていたようだ。哀しかったわけじゃない。辛かったのだ。胸
の中で隠していた想いが、哲の一言で溢れてきてしまった、そんな涙だった。
顔を押しつけていた枕に大きなシミが出来ている。こんなに泣いたのはもしかして初め
てかもしれない・・・
「どうすれば、いいんだよ・・・」
いま言葉に出していることが、なんの意味があるのかも、冴子自身にもわかっていない。
ただ、今までに感じたことのない想いがグルグルと複雑に頭の中で交錯して、どうして
いいか冴子にはわからないのだ。
そのまま、枕に顔を押しつけていた冴子が、ふと顔を横に向けると・・・
「!?」
突然、信じられないモノが冴子の目に飛び込んできた。
ここにいるはずのない哲が、煎餅かじってお茶を飲んでいたのだ。
気づいてみると、バリバリと遠慮なく煎餅をかじる音も部屋中に響いていた。
哲はベットの横に置いてある卓袱台に、座って漫画なんか読んでいた。ついでに直線距
離で一メートルも離れてないのに、冴子にはいつから居たのか全然わからなかった。もし
かして、ずっと前から居たのでは・・・
そしてさっきとは別種のパニックが冴子に押し寄せてきた。
「おおおお・・・!?」
ベットから跳ね上がって、哲を指さし唸る冴子。顔はみよかの如く真っ赤になっている。
「お前、いつから、どうして、あたいの部屋に居るんだ? と、言いたいんだろ」
妙に落ち着いた哲が冴子の言いたいことを、ほぼ完璧に代弁してくれたので、あかべ
このようにカクンカクンと何度も肯く冴子。
「えーと、いつからは四十分位前だ。どうしては・・・」
そこで哲は、傍らに置いてあったあるものを、冴子にズイっと差し出した。彼女が毎日
学校に持って行ってるスポーツバックだった。何故哲がこれを持っているのだろうか?
「お前が、俺に投げつけたモノを届けに来てやったんだよ」
「投げつけた?」
冴子はわかってないみたいなので、かわりに少し説明を入れさせていただく。
衝撃の台詞の直後。
「・・・・・・・・・」
二人の間に、沈黙の幕が下りた。すぐ間近にあるお互いの顔、視線がはずせない。
ここですでに、恋愛レベル白帯の冴子の頭はかつて無いほどのパニック状態になってい
たのだ。
顔が赤くなって青くなってと忙しい冴子、ここから逃げだそうと彼女の本能はそう選択
した。
そして、冴子は・・・
「わぁぁぁぁっ!」
と叫ぶや、肩にかけてたスポーツバックを振り上げ、哲に向かって投げつけたのだ。何
が入ってるかは内緒だが、総重量5キロ近い重さのバックをだ。
この反応は予想できなかったらしい哲は、突然至近距離から発射された凶器をさけるこ
とも出来ず顔面に直撃を受けた。
そして身軽になった冴子は、その場から、哲の前から逃げ出したのだった。逃走の前に
攻撃を加えるあたり、冴子らしいというか何というか・・・
「俺ってなんなの・・・?」
冴子の走り去る方向の逆方向に、冴子のバックと共にはじき飛ばされる哲。そんな哲の
哀れな自問は冴子の耳に届いていない・・・
その時生じた『忘れ物』を届けに、哲はわざわざ来訪したようだ。
「・・・ってわけだ」
そして再び、ズイッと差し出されるスポーツバック。その目はジト目になっている。
「あはははは・・・」
乾いた笑いで、それを受け取る冴子。ばつが悪いったらありゃしない。
「だっけど、人の部屋にノックもなしに入ってくんなよな・・・」
でも、なにか言ってやらないと気が済まない冴子。ベットに腰を下ろし、菓子鉢に入っ
ていた堅焼き煎餅に手を伸ばす。
「俺はな、婆ちゃんにバックだけ届けて帰るつもりだったんだよ。そしたら何かお前が変
だから様子見てくれって婆ちゃんに頼まれてな」
「ふんふん」
「で、台所でお茶いれて煎餅見繕って、ちゃんと何度もノックして」
ここで哲は『ちゃんと』の部分のアクセントを強調して、言葉を続ける。少し説明をい
れると、哲は持ち前の社交性によって冴子の婆さんとも仲が良く、よく出前帰りにこの煎
餅屋によってお茶など飲んだりしているので、冴子の家の台所はよく知っているのだ。
「返事がないんで入ったら、お前がベットに突っ伏してたんで、待たせてもらったんだよ。
わかったか?」
ようやく哲出現のプロセスが判明したのだが、冴子の気恥ずかしさは拭えない。でも、
彼が冴子の為に淹れておいてくれたらしい冷めたお茶を一口すすると、先ほどまでの胸
の苦しみがゆっくり中和されていく感じがした。
「ちなみに婆ちゃんは、お前が心配で心配でしょうがないからって」
「うん」
「家の小姉と一緒に、美亜子ちゃんトコに呑みに行ったぞ」
「あ、なんだよそりゃ?」
冴子の婆さんはかなり気が若い。そして、最近なぜか哲の下の姉ととても仲が良いのだ。
年の差が50近くあるのだが本人達曰く「マブダチ」だそうである。ついでに言うまでも
ないが、美亜子の家はBARである。
「まったく、しょうがないなぁ・・・」
思わず苦笑がもれる。でも哲との会話していると、緩やかに『いつもの自分』に戻って
いく気がした。張り裂けそうに辛かった胸の苦しみも、哲の言葉と、彼の存在感で緩和さ
れていった。きっとそれは、いつもとかわらず接してくれる哲のおかげだろう。
だけど・・・
それでいいのかと囁く、もう一人の自分の声が、冴子には聞こえていた。
自分が気づいてなかった、いや気づかないふりをしていた想い。このまま隠して、正樹
と、いまの関係を続けていきたい、そんな風に考える自分もいた。
でも、それじゃいけない、そんな気もした。
沸き上がる様々な想い。冴子は目を閉じて、自分自身をゆっくりと抱きしめた。自分を
勇気づけるように・・・ そして、深い深呼吸を一つして・・・
「なぁ・・・」
「ん?」
そして冴子はゆっくりと口を開いた。
「あたいさぁ・・・ どうしたらいいと思う?」
短い、二人の間でしか意味が通じそうにない冴子の問いかけ。彼女は逃げたくなかった
のだ。あの少年を好きになったということから。
「俺が言っていいのかな?」
少しの沈黙のあと、哲がそう言った。いつもの彼と違って、落ち着いた優しげな言葉で。
「お前に答えてほしいんだ」
冴子ははっきり答えた。そしておぼろげではあるが、哲が何をいうかもわかっている。
だから彼女はずっと悩んでいたのだ・・・ どうしていいのかわからなくて・・・
「お前が好きになった伊藤正樹は、お前の想いに答えてくれないと思う」
哲の言葉が、心に染み込むように入ってきた。
そう、冴子にもわかっていたのだ、その事は・・・
冴子が好きになった正樹は、氷川菜織が見守りつづけて、鳴瀬真奈美に追いつこうとし
た彼の姿だったのだ。その正樹が、二人を捨て自分を選んでしまったら、それは冴子の好
きになった正樹ではなくなってしまうのだ。
きっと、冴子にもそのことがわかっていたのだろう。でも、気づかないふりをしつづけ
ていたのは、まだ正樹を好きでいたかったから・・・
不器用な彼女の想いは、そうやって空回りしていたのだ。
「はっきり言ってくれたなぁ」
苦笑しながら哲に言い返す冴子。でも、今、冴子は清々しい気分になっていた。長いこ
と自分を騙し続けていた重荷が、一気に抜け落ちた、そんな感じだった。
「でも、その方が親切だろ?」
哲も、いつもの悪戯小僧のような雰囲気にもどっていた。
「うん、じゃあアイツのこと、諦めた方がいいのか、あたいは?」
自分でも驚くほどスラスラと、そんな言葉が出てきた。
その問いかけに対する哲の答えは、
「いや、あせることないよ。好きでいたりするのは、自由なんだし。ま、いつかきっとお
前のまえにマサヤン以上に好きになる男が現れるさ。いい男は沢山いるんだし」
と、いかにも彼らしい、どこか味のある言い方だった。
「そうだよな、あせることないよな」
哲の言葉を聞いて、やっと自分が求めていた答えが目の前にでてきた。冴子はそう感じた。
いきなり決めることではないのだ。ゆっくり、この想いに決着をつければいい。それでいいのだ、きっと・・・
でも、哲は何でこんなに自分のことがわかっているのだろうか? そんな疑問も頭に浮
かんだが、それはすぐ消えた。今の冴子にはどうでもいいことだった。
ただ、哲の存在がありがたかった。側にいてくれるのが嬉しかった
う〜ん、と背筋を伸ばして、ベットに倒れ込む冴子。
「なぁ、お前って変なやつだよな」
そのまま天井にぶら下がった、年代物の室内灯を見ながら、哲に問いかけた。
「そうか?」
「うん、変だ。それにお節介だし」
「親切と言ってくれ」
「ついでにスケベだし」
「それは否定できない・・・」
何気ない言葉のやりとりも、心地よかった。哲と話していると明日から、またいつもの
自分に戻れそうだった。
こうして冴子の16歳の不器用な恋は、一人の少年の前でゆっくりと幕を下ろしていっ
たのだった。
−続く−
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