KISS? KISS!? KISS!!
 

 第四話 『夏のはじまり』


「ねぇ、せんせい?」
「何、諏訪内くん?」
「顧問引き受けてくれたことは、すっごく感謝しているんですが」
「わたしも野球は好きだったから、気にしなくていいわよ」
「・・・あの、自分だけのユニフォームつくらんでくれません?」
「・・・だめかな?」
「さぁ?」
 六月も終わる頃、St・エルシア学園グラウンド内男女野球部練習場に、胸にどでかく
「天都」とかかれた、とても野球のとは思えないカラフルなユニフォームを着た新顧問と
男子野球部キャプテンの間で行われた会話より抜粋・・・


7月2日

 桜美総合体育館、そこで高校女子ハンドボール神奈川県大会決勝が行われていた。
 いま、コート上で熱戦を繰り広げているのは、美星女学園とSt・エルシア学園のハン
ドボール部である。
 両校ともインターハイへの出場がかかっている一戦のため、全校あげて応援にかけつけ
の大声援を送りあっている。
 そして、当然St・エルシア側の応援席には、この会場の誰よりも大きな声で声援を送
っている二人の少女の姿があった。
「きゃぁ〜〜〜!! 田中先輩、がんばってください〜〜〜!!」
「・・・きゃぁ、いらんだろ、きゃぁは」
「サエェ〜〜〜! そこで正義の鉄拳をくらわしちゃえ〜〜〜!!」
「・・・ハンドボールでも、さすがにそれは退場でしょ、ミャーコちゃん」
「田中先輩!」「サエ!」
「「ファイト!!」」 
「・・・俺、耳聞こえなくなってきた」
 以上の台詞から察してもらえるだろうが、一人のプレーヤーを集中的に声援をおくって
いる二人は、田中冴子に心酔陶酔の橋本みよか嬢と、田中冴子の一の親友である信楽美亜
子嬢である。そして間でブツクサと小言と泣き言を言っているのが、一応、このSSの主
人公であるはずの諏訪内 哲である。
 彼は、運悪く二人に挟まれて座っているのだ。この応援席でもっとも大音量を味わえる
席であろう、きっと・・・ 実際、哲の耳には二人の少女の絶叫の他は、もう耳鳴りしか
聞こえなくなっていた。
 ちなみに哲とよく行動を共にしている鷲海 英は、この事を予期していたらしく、かな
り離れたところに座って声なき応援をしていた。
 そして今や白熱の決勝戦も終盤に差し掛かっていた。ポイントは22対20、僅差で負
けているのがSt・エルシアである。
「しっかし、まずいよなぁ〜〜」
 二人の少女によって創られている喧噪の世界の中で、試合を冷静に観戦していた哲が呟
いた。
 試合は序盤、St・エルシアが優勢だった。このままの流れで行くかと思われていた試
合だったが、美星の監督が出したある指示によって試合の形勢は一気に逆転してしまった
のだ。
 田中冴子の徹底マーク、これだけでSt・エルシアの得点力は激減してしまったのだ。
 エルシアの得点パターンには、八割以上なんらかの形で冴子が関わっているのを見破ら
れてしまったらしい。
 直接シュートをきめることも多いのだが、冴子のプレー真価は敵陣の深くまで切り込め
るところにあった。つまり、攻撃の起点となっているのだ。
 それを封じられたSt・エルシアは、徐々に追いつかれ、そしてついに逆転されてしま
ったのだ。
 St・エルシア側には、明らかに焦りの色が見られる。そして本来のプレーが出来なく
なっているのが哲には感じられた。
 とくに冴子は自分本来の力が出せずにいることで、焦りといらつきが明らかに見て取れ
る、痛々しくすらある。
「なんだかなぁ・・・」
 哲はそんな冴子のプレーを見て、ポツリと呟いた。どうも気にいらないのだ。
「もっと楽しくやったほうがいいんじゃないか」
 今の呟きが、哲の今の心情である。あんな辛そうな顔してスポーツはやるもんじゃない、
笑ってやるものだ。それが哲の変わらぬ信条でもあった。 
 ふと哲は昨年の夏の、あの緑上高校との試合を思い出していた。
 そういえば、あのガメラ−無礼なことに哲はあの投手の名前をガメラとしか覚えていな
かった−と英の最後の勝負で一番でっかい声がしたんだよなぁ・・・
 それで、チームメイトがリラックスして助かったのを思い出した哲は、自分も真似してみ
ようと、息を思いっきり吸い込んだ。
そして、思いっきり声を張り上げた。
「サエちゃん、ニッコリいこうぜ〜〜〜〜!!」
 言ってしまった後で、我ながら間抜けで場違いな声援だと思った哲だったが、その声は
黄色い声援飛び交っているというのに、何故かしっかりと体育館内に響き渡っていった。
 あちこちで起きた忍び笑いが、体育館中に蔓延するのに10秒もかからなかった。
 当然、照れ屋な冴子も顔を真っ赤にして試合そっちのけで哲の方にむかって何か大声で
言っているようだ。笑い声と声援と耳鳴りのせいで哲にはまったく聞き取れないが、感謝
の言葉を叫んでいるわけじゃないのは、一目でわかる。
「ミャーコちゃん、通訳」
「にゃは、りょーかい! えっとね、『てめえ、なに言ってんだ! 応援するならちゃん
としやがれ、ラーメン屋!』だってさ」
「やっぱ、声援に感謝しているわけじゃないか」
「むぅ〜〜〜〜、当然です! 先輩ももっとしっかり応援してください!!」
 すると、となりに座る怒りのコケシ少女が、哲の耳を引っ張って冴子のかわりに抗議し
てきた。
「痛い痛い〜〜」
「むぅ〜〜、わかりましたかぁ?」
「了解です」
 して、哲はみよかのお仕置きをうけて、結局自身が痛い思いをし、冴子に恥ずかしい思
いをさせただけだったが、哲の声援は試合に思わぬ効果を生んだりした。
 St・エルシア側が、哲の声援のおかげでリラックスしたのだ。
 そして堅さのとれたSt・エルシアの動きが目に見えて良くなっていったのだ。
 そして、コート上にいる冴子たちには、笑顔が、楽しさが、戻ってきていた。
「そうだよ、楽しくやろうぜ、サエちゃん」
 今度はこっそりと、哲は満足そうに呟いたのだった。

 結局、St・エルシアは試合に負けてしまった。
 34−33、一点差、僅差の負けだった。終盤、冴子は自らをディフェンスに徹し、尚
かつ攻撃の指示を出すなど、チームの攻守の要となって活躍したが、それでも一歩及ばず
であった。
 でも、これで卒業する3年生の選手からは、これからチームを託すにたる後継者が見つ
かった為か、満足げな笑みが浮かんでいた。その笑みを見て哲は来年の自分はあんな顔を
出来るかなと、そんな事を思ったりした。
「ま、その前に今度の夏だね・・・」
 そう自分に言い聞かせるように言って、哲が試合後の余韻がまだ残る体育館を後にしよ
うとした時、ふと哲の耳にある言葉が入ってきた。
「・・・ちくしょう・・・」
 小さい、でもしっかりと聞こえたその言葉は、冴子の声だった。悔しくてたまらない、
そんな感情に涙が混じっている、哲はその声からそう感じ取った。
 視線を何となくコート上に戻す。すると、コートには背を丸めて悔しさに震えている冴
子の背中を見つけた。
 そんな冴子を慰めようとしているが、上手く言葉をかけられないみよかと美亜子もいる。
でも、彼女らの声はここまでは聞こえてこない。
「あそこから、聞こえたのかな・・・」
 幻聴か? 哲はそうかと考えたが、あの冴子の言葉はそうは思えない現実感があった。
それに耳で聞いたというより、心に聞こえた、そんな感じもなんとなくしている。
 まぁ、いいか。
 と、哲は深く考えずに自分を納得させる。あまり悩まない男だった。
「頑張れよ、まだ来年があるさ」
 そんな冴子の背に、哲は励ましの言葉をかけたのだった。

「・・・ちくしょう・・・」
 冴子は、悔しかった。自分の力を出し切ってもなお勝てなかった、自分自身の力のなさ
が一番悔しかった。
 先輩たちは、よくやってくれたと誉めてはくれた。でも、勝ちたかった。よくやったじ
ゃ彼女自身が納得できなかったのだ。
「サエ〜〜」
「田中先輩・・・」
 自分を応援して、気遣ってくれている美亜子とみよかに感謝の言葉を言いたいのだが、
まだ冴子は俯いたまま、悔しさに震えることしかできなかった。
 そんな時だった。
「頑張れよ、まだ来年があるさ」
 そんな小さな声が、耳に入ってきた。それは去年の夏に、あの球場で聞こえた声と同じ
響きをもっていた。
 ふとふりかえると、哲が笑って手を振っているのが見えた。また、離れているというの
に、声が聞こえたらしい。
「そうだよな、来年があるよな」
 ようやく、悔しさが吹っ切れたらしい冴子は、笑顔を哲に見せると、そのままの顔で美
亜子とみよかに向きなおった。いきなりの冴子の急変に目を点にしている美亜子とみよか。
「ありがとな、二人とも!」
 ようやく言えた感謝の言葉。下を向いてたって何も変わらない。前を、上を見なきゃ。
冴子はそう自分の言い聞かせた。
「うん、サエもがんばったよ!」
「田中先輩、素敵でした!!」
 とたんにいつもの調子を取り戻した二人は、口々に冴子の活躍を礼賛しはじめた。おも
わずたじろいでしまう冴子だったが、それも何か今はありがたかった。
 すると視界の端に、英と連れだって会場を後にするのが目に入った。
「ありがとな・・・」
 素直に、その背に冴子にそう呟いたのだった。

「煎餅屋ってさぁ」
「ん?」
「笑うと可愛いんだな、けっこう・・・」
 そんな会話を帰宅中にした哲と英であった。 

−続く−
 
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