KISS? KISS!? KISS!!
第五話 『昔の彼、今の彼』
七月五日
その日、神奈川県下において夏の甲子園の予選大会が一斉に始まった。
このSSの主人公たる諏訪内 哲率いるSt・エルシア男子野球部は、去年高野連との
真っ向対決し、国会議員や女性擁護団体の支援まで受けて女子の強行出場をさせてしまっ
た為、結局半年の対外試合禁止のお沙汰を受けていた。よって一年ぶりの甲子園への再挑
戦の幕開けと相成ったのである。
そして、名も無き地方球場での一回戦。
諏訪内 哲はマウンドに立っている、彼の追いつづけている『夢』のために。
「はにゃぁ、もうはじまってるよ」
「ミャーコが寝坊したからだろうが!」
「田中先輩、まってください〜〜〜」
と、かしましい三人娘、美亜子に冴子にみよかが球場に到着したとき、一際高い歓声が
St・エルシア応援席側から上がった。
声に色をつけるなら『黄色』、その発生の契機となったのは、ある男が打った白球が場
外へと吸いこまれていったのを、その男の活躍を期待するSt・エルシア学園一部女生徒
が喜んでからだった。簡単に言うと、英が場外ホームランを打って、彼のファンが喜んだ
ということだ。
「ヒカルくん、かっこいいよ〜〜ん♪」
さっそく、歓声をあげる美亜子。来た早々、いいノリだ。
冴子は思ったより埋まっているスタンドで、適当な席を探していた。すると、最前列に
座る女性がこちらにむかって手を振っているのに気がつく。
「あれ、ラーメン屋の・・・」
「ちぃねぇちゃんだね。行こ☆」
そう、冴子達を呼んでいたのは、呼び名こそ「小姉ちゃん」だが、実際は哲より大きい
諏訪内家次女の心(こころ)だった。顔つきなど、彼女は哲によく似ていたりする。
「ちぃねぇちゃんもてっちゃんの応援に来たんだ、弟想いだね」
とっとと心の所に行って、隣りに座ってしまう美亜子。それにつられるように、冴子と
みよかもその隣りに座って観戦することになった。
「お前らも、わざわざご苦労だな。哲目当てで来てくれたってんなら、お姉さんは嬉しい
ぞ」
ぞんざいな口調でニカッと笑う心。冴子は、この自分の祖母の飲み友達でもある心が、
何となく苦手意識があったりした。それは男っぽいくせに妙に純情で引っ込み思案のとこ
ろがある冴子には、彼女の奔放さ加減が、少しうらやましいってこともあるかもしれない。
「へぇ〜〜、諏訪内先輩そっくりですぅ。」
みよかも、感心して心に向かってペコリと挨拶する。
「わたしは、橋本みよかって言います。St・エルシアの一年で、田中先輩専属のアシス
タントやサポーターをやってます」
ついにみよかに役職がついたようだ、むろん非公認であろうが。
「ば、馬鹿。なんだよ、そりゃ!」
慌てて、否定しようとする冴子だったが、それは心にはあっさり無視される。
「みよかちゃんか、可愛いな、うん。サエのこと色々と世話焼いてるんだって? 噂は聞
いてるよ」
さて、どんな『噂』なんだか・・・
「にゃは、そうなのよぉ〜ん。サエとみよかちゃんはラブラブなんだから」
明らかに冴子をからかって楽しんでいる風の心と、彼女に色々と吹き込んでいそうな美
亜子。こうなると冴子は顔を真っ赤にするしかない。ちなみに冴子に隣では『ラブラブ』
と言われて別の意味で真っ赤になっているみよかがいた。
なんとかして反撃をと思案する冴子、だがその思考はあっさり中断された。
再びあがる歓声。それに反応して4人がグラウンドに視線を移すと・・・
今度は、哲がホームランを打ったようだ。ちなみに哲の今の打順は6番になっている。
一年生で活きのいいのが入ってきたので、彼はクリーンアップを外れて投げるのに重点を
置くことにしたのだ。でも打順が変わっても彼の好打者ぶりは変わらないらしい。
「よくやったぞ、哲ぅ!」
「てっちゃん、やるぅ〜〜!」
すると、声援が届いたのか、はでに腕をブンブン振って答える哲。こちらもあいかわら
ずノリがいい。
冴子は、ふと去年の夏のことを思い出していた。あの時とまったくかわらず、哲達は明
るく元気に甲子園を目指すのだろう。その事がちょっと嬉しく感じてもいた冴子だった。
「哲も、野球はじめて3年ちょっとなのに、よくここまで上手くなったよ」
スキップしながら塁をすすむ哲を見ながら、感慨深げに呟く心。
「だねぇ〜、てっちゃん頑張ったもんね」
美亜子もいっしょになってしみじみとしている。
「へぇ、あいつ子供のときからやってたんじゃないんだ」
3年とちょっとといったら、哲が引っ越してきたときと一致する。つまり、哲はこの桜
美町に来てから、野球を始めたことになる。冴子はちょっと意外な感じがした。冴子は哲
を子供の時からの野球馬鹿かと思っていたのだ。
「こっち来てからだよん。ヒカルくんに張り付いて大変だったんだから」
美亜子は、中学の時から哲や英とつき合いがあるので、冴子なんかよりずっと哲や英の
色んなことを知っているのだろう。
何故か、話していると、自分の知らない昔の哲のことを冴子は知りたいなと思うように
なってきた。今度、何気なく聞いてみるかと思っていると、突然みよかが・・・
「あ〜〜〜、おもいだしましたぁ!!」
と、素っ頓狂な大声を上げて勢い良く立ち上がった。あまりの声の大きさに、ベースラ
ンニング中だった哲までもが、ビックリしてずっこけたほどだ。
球場の視線が我が身に集まるのを感じ取ったみよかは、慌てて再び座り込み、ここぞと
ばかりに冴子に密着して縮こまる。こういうところは、抜け目ない。
「何を思い出したんだい?」
心が興味深げに、身を乗り出している、隣の美亜子も耳がダンボ状態だ。
「えっと、諏訪内先輩って、中学の時、陸上やってませんでしたか?」
「ほぅ、よく知ってるな」
冴子は、何故にみよかが哲の前身を知っているのか、ちょっとビックリしながらも、興
味もあったので、みよかに抱きつかれたまま、言葉の続きを待っていた。
みよかも冴子の抵抗がないのを感じ取ったのか、ゴロゴロと猫のように冴子にじゃれつ
きながら、話を続ける。
「お兄ちゃんが中学3年の時に、全国大会に出れたんです。その時、お兄ちゃんに勝って
一位になった人が、諏訪内先輩にそっくりだったって思い出したんですよ」
みよかの兄、橋本まさしは現陸上部の部長で、去年のインターハイでは3位の好成績を
収めたスプリンターだ。その彼に中学生の時とはいえ勝っているということは、哲はかな
りのスプリンターだったはずだ。それが、どうして今は笑いながら野球をやっているんだ
ろうか・・・
「あたりだ、世の中狭いもんだなぁ」
心も、思わぬところから出た話に、感心しきりだ。これでみよかの言っていた人物が哲
であることが確定したことになる。
「やっぱりですかぁ〜、髪が短くなってたんでわかりませんでしたよ。それに、あの時の
諏訪内先輩ってば、田中先輩みたいで格好良かったのを覚えてます」
結局、みよかの話は冴子に帰結するようだ。それはそうと、みよかに哲に似ていると言
われて、冴子はいつの間にかマウンドに立っている哲に視線を移した。
「・・・似ている?」
男の子に似ていると言われて、どう反応していいかちょっと困っている冴子。その横顔
を美亜子を心が試合そっちのけで見て、感心しながら、ウンウンと肯いている。
「ホント、サエっててっちゃんに似てるね。気がつかなかったよ」
「あぁ、お姉さんも気がつかなかったよ、似てる似てる」
「でも、田中先輩の方が、ず〜〜〜〜〜〜〜っとかっこいいですよ!」
みよかのお約束てきな台詞で、オチがついたって感じになり、その後4人は試合をやい
のやいのと観戦していた。
そして応援の甲斐があったのか、St・エルシア男子野球部は無事一回戦を勝利で飾っ
た。7対0で七回コールドの、圧勝であった。九回まで投げずにすんだ哲が飛び上がって
喜んだのは言うまでもない。
冴子はずっと哲を見つめていたのだが、そのことにある意味に、まだ自分自身が気づい
てなかったりする。相変わらずの鈍感少女だ。
そして、冴子達も引き上げようとした時、ふと冴子は自分が誰かに見られているような
気がした。キョロキョロとあたりを見回す。
そして、かなり離れたところに立つ、一人の少女が彼女を見つめていたのを発見した。
顔は、よく見えないが、見たことのないデザインの制服に身を包んだ、髪の長い女の子
が、冴子を見つめていた。顔が見えないので、どんな表情を浮かべているかもわからない。
でも、みよかのように、自分のファンで熱い視線を冴子に送っている、そんな感じではな
い気がした。そして、冴子も何故かその子を引き込まれるように視線が外せない。
「はにゃ? サエ、どうしたの?」
美亜子の問いかけに、我に返った冴子は、いつの間にか置いてきぼりにされていたこと
に気がつき、あわてて美亜子達を追っかける。
「なに、ボーってしてたの? 格好いい男の子でもいたのかなぁ〜?」
美亜子の、からかい半分の質問に、からかわれているとわかりながらも、反論しようと
した冴子だが、横手から別の口が先に反論をした。
「田中先輩は、男の子なんかに興味ないんです! 変なこと言わないでください!!」
と、きっぱり言い切って、冴子の腕に抱きつくのは、言わずもがなのみよか嬢だ。
『男に興味がない!』と他人の口から言い切られてしまった冴子の顔には、縦線が見え
そうなほどの暗いオーラが纏われている。
「あたいは、いったいなんなんだよ・・・?」
冴子の哀しみの独白には誰も答えてはくれない・・・
そして、みよかの断言を聞いた心と美亜子は、顔を寄せ合い、いやらしく視線を冴子と
みよかに送りつつヒソヒソ話をしながら、足早に二人を置いて遠ざかっていく。
「・・・やっぱり、二人はああいう関係なのかい?」
「・・・えぇ、そうなんですよ。時たま、ハンドボール部の部室から、『悩ましい嬌声』
が聞こえるという報告も・・・」
こうやって、見てるとまるで哲と心がホントに姉弟だなと確認できる。やることが似て
いるのだ。
呆れかえって何も言えなくなっていた冴子が、ふと視線を先ほどの少女がいたところに
戻すと・・・
そこには、もう誰もいなかった。
「さ、田中先輩、二人で帰りましょ」
彼女にとっての邪魔者が居なくなり、ご機嫌のみよかが、冴子の返事も待たずに手をひ
っぱていく。
「あぁ、わかったから、そんなにひっぱるなよ」
こうなったら、みよかにつき合うしかないだろう。冴子が苦笑まじりみよかに引っ張ら
れながら球場を後にする。
自分を見つめる、一人の少女の視線に気づかずに。
その日の夕刻すぎ
冴子とみよかが、ロムレットでお茶でもしようということになって、店内に入ると、二
人をこの店の看板娘、伊藤乃絵美嬢が笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、サエちゃんに、みよちゃん」
すると、窓際の席に見知った顔が三人いた。
「あぁ、サエ、やっぱりみよかちゃんとデ〜トしてたんだ☆」
「ふぇ、煎餅屋とコケシ娘はやっぱできてたのかい?」
「・・・・・・」
台詞でわかってくれると思うが、冴子達を呼ぶ先客は、美亜子に哲に英だ。ちなみに英
は無言で手をあげる挨拶らしいリアクションはしていた。心と別れた美亜子が、どっかで
哲と英を捕まえて、ロムレットにやってきたのだろう。
すると冴子の傍らに控えていたみよかが、もの凄い速さで動いた。皆があっけに取られ
ていると、みよかは素早く哲の背後に回り込んでいる。そして・・・
「だ・れ・が・コケシ娘なんですかぁ〜〜〜?」
先ほどの哲の発言はどうやらみよか嬢の疳の虫にさわったようだ。両の拳で哲のこめか
みを『グリグリ』と攻撃する。その攻撃は見事に哲を悶絶させている。
「さぁ、誰のことだか、あっしにはさっぱりでさぁ・・・」
哲はお白州に引き出された下っ端悪人のようなにしらばっくれるが、みよかの攻撃がギ
リギリと音を立ててパワーアップした。
「す〜わ〜う〜ち〜先輩ぃ〜〜〜」
「あっしが悪かったです! ごめんなさい!」
みよかの『グリグリ』がパワーアップ!哲の強がりはわずか2秒で豹変し、あっさりみ
よかに許しを請う。が、みよかの『グリグリ』は止まらない。
「おごります、好きなモノ頼んでいいです、おごらせてください!」
「田中先輩の分もですぅ〜〜〜」
「どうぞたのんでください!」
今度は抵抗もせずに、あうあうとみよかの脅迫を受け入れる哲。よっぽど『グリグリ』
が痛いらしい。
「じゃ、許してあげますね。田中先輩、諏訪内先輩がおごってくれるそうですよ♪」
戒めをといて冴子に向き直ったみよかに、先ほどまでの鬼のような凶相はない。実にに
こやかだ。
そして、なぁなぁでみよかと冴子も哲たちの席に同席することになった。
まだ、こめかみをおさえて動けない哲に、英がボソっと言葉を贈った。
「口は災いのもと・・・」
「だね、ミャーコちゃんも気をつけようね・・・」
ハニーレモンパイ攻略に夢中だった美亜子がいきなり話を振られて、目を白黒させる。
「あたしは大丈夫よ、ねぇ?」
その言葉に他人を納得させる説得力というのは、微塵もない。思わず、その場にいたも
のみんなが吹きだした。
哲の回りには、いつも笑顔があるな。
自分も笑いながら、冴子は心の隅でそんな考えが浮かんできた。
その後、乃絵美もまじえて6人で、そこにいない伊藤正樹や氷川菜織の仲を勘ぐったり、
月末には帰ってくるという鳴瀬真奈美のドジぶりを語り合ったり、心の数ある武勇伝など
の雑談に華を咲かせて、一時間ほどで皆帰宅の途についた。
冴子と哲は家のある方向が一緒だったので、二人で一緒に帰ることになった。家の方向
がまったく違うみよかが、哲にむかって「私の田中先輩にへんな真似したら許しませんか
らぁ〜!」と宣告して、二人を辟易させたりもしたが、今は二人で並んで歩いている。
そして、冴子は球場でみよかが言っていた哲の過去、『陸上やってた』を思いだし、本
人に直接訊いてみることにした。
「お前さ、陸上やってたんだってなぁ?」
何気なく問いかけたつもりだったが、哲は文字通りは飛び上がって驚いていた。訊いた
冴子もちょっと驚く。
「どうして俺のちょっとミステリアスな過去を・・・」
「どこがだよ・・・」
哲のその間抜けな驚きぶりに、笑いながらみよかから聞いた話を哲にしてやる。
「へぇ〜〜、橋本先パイって、あの時の橋本さんだったのかぁ。世の中、狭いねぇ」
思いも寄らぬところにいた昔の知己に、哲はまだ驚いているようだ。
「お前、顔とか覚えてなかったのか?」
「男の顔、覚えるの苦手なんだよねぇ、俺」
冴子の問いに、あっさりと答える。なんか哲らしい言い訳だ。
そして、冴子は一番訊きたかったことを口にした。
「なぁ、そこまで速かった奴が、なんで陸上やめて野球やることにしたんだ」
もし、哲が陸上を続けていたら、きっと高校でも勇名を馳せていただろう、そんな気が
する。
その問いを聞いた哲は・・・
冴子がハッとするほど・・・
寂しげな顔をした・・・
「夢、だったんだ・・・」
ポツリと、哲が呟いた。冴子は、自分がした質問に、少し後悔していた。
「夢?」
冴子の口が、無意識に哲の言葉を反復する。
「そう、夢・・・ !?」
言葉を続けようとした哲が、急に足を止めた。
何かを見つけて驚いている、そんな風だ。哲の視線を冴子も追うと・・・
「あ・・・」
そこは哲の家の前、そして球場で自分を見つめていたあの少女が、哲の帰りを待つよう
に佇んでいたのだった。
少女が、ゆっくりとこちらを向いた。
大きな瞳が、哲を見つけ微笑んだ。
「てっちゃん、ひさしぶりだね」
少女の言葉には、いろいろな感情が溢れんばかりに込められている、そんな感じだった。
「あみ・・・」
哲が呟く。おそらく、それがその少女の名前だろう。
黙って見つめ合う二人をみて、冴子はまた自分の胸の奥に、かすかな痛みを感じた。
冴子の心が、静かに騒いだ。
−続く−
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