今、ここにバックミュージックを流すとしたら何が似合うだろう?
渋く、『荒野の決闘』とか?
それとも野球対決なのだから、オーソドックスに『巨人の星』だろうか?
いっそ、スタン=ハンセンの入場テーマなんか流すと二人の闘争心はいい感じに燃える
かもしれない。
前回、鷲海 英の仕込みで突然の野球対決をやることになった諏訪内 哲と近藤 葉。
その二人は今、St・エルシア学園の野球部グラウンドにおいて対峙している。
片やピッチャーマウンド、片や右バッターボックスにそれぞれ立ち、目から光線でも出
さんばかりに熱視戦を繰り広げていた。
「おい、勝手にグラウンド使っていいのかよ? 夜間照明まで点けちゃってさぁ」
二人の決闘の立会人その一、田中冴子が少しおどおどしながら英に訊く。彼女、案外小
心にして恐がりなところがあるので、いくらここだけ明かりがついているとはいえ、夜の
学校にいるだけでかなり怖いみたいだ。
「だいじょ〜ぶ、だいじょ〜ぶ☆ サエったら心配症なんだから」
と返事をしたのは無論英ではない。いつの間にか合流をしていたSt・エルシア学園未
公認組織EBC首魁、信楽美亜子嬢だ。英が携帯メールで呼んだらしい。立ち会い人その
二である。
「でも、あたしを巻き込まないでほしかったわね」
と聞こえた不平は十徳神社の看板巫女の氷川菜織嬢。幼なじみの家の喫茶店からの帰り
に運悪く美亜子に見つかって連れてこられてしまったのだ。立会人その三だ。
「一応、宿直の先生に許可はとった」
そしてボソっと呟いたのはこの決闘を段取った張本人、英である。なぜか手にはかなり
大きいブーメランが握られていた。いつの間にどこから出したのか冴子にはさっぱりわか
らなかった。ちょっと目を離している間に、英の手に握られていたのだ。今更ながらつか
めない男だ。
「英、こっちの準備はおっけいだぜ!」
肩をブンブン回したり、柔軟体操などをしていた哲が、まずスタンバイ完了したようだ。
「こっちもだ」
そして続くように、素振りをしたりバッターボックスの感触を踏み込んで確かめていた
葉もそう言った。
「さて、どうやって勝負つけるんだ? 俺の魔球でこいつをノックアウトすればいいの
か?」
冗談とも本気ともつかない口調で哲が見物人たちに向かって言う。それに対する英の答
えは・・・
ブーメランが閃いた! 縦回転で哲の顔の脇をかすめ、そのまま見事な軌道を描いて英
の手元に戻ってくる。そして青ざめた哲が残る。哲の暴走阻止の為のブーメランかと冴
子はなんとか自分を納得させることにした。
「さすがヒカルくん! よ、芸達者!」
「・・・鷲海くんって、意外な特技もってるのね」
美亜子と菜織がそれぞれ感心している。
「打たれたら哲の負け、打ったら先方の勝ち、それでいいだろう」
英がそう言うと一瞬納得しかけた一同だったが、発言のおかしさに真っ先に気づいた哲
が途端に声を荒げる。
「どっちも俺の負けじゃねぇか!」
「打たれなければお前の勝ちでいいだろう」
でも、そんな哲の激昂なぞどこ吹く風で英は受け流す。哲は英に絶対敵わないだろうな
ぁと、冴子は漠然と思ったりした。
「あ、そっか。よぉ〜し、葉! 神奈川県ナンバーワン左腕(自称)の俺に勝てると思う
なよぉ〜!」
あっさりと英の言葉に納得した哲は改めて葉に向き直る。
「ふん、返り討ちにして、バットの錆にしてくれる!」
と、対戦相手の葉も妙なテンションでバットを構えた。ちなみにこいつの持っているバ
ットは哲のモノである。
「ミャーコちゃん、ゴングを鳴らせぇい!」
振りかぶった哲がそう要求すると、ノリのいい美亜子が高らかに叫ぶ。
「レディ〜〜〜 ゴーー!! カァ〜〜〜〜〜〜ン♪☆」
何だか、別の戦いが始まりそうなかけ声であった。
KISS? KISS!? KISS!!
第八話 『KISS!?』
哲が振りかぶった。小柄な体全体が矢を放つ寸前の弓のように反る。
第一球、投げた!
球種は哲が決め球としている、大きく曲がるスローカーブだ。
葉は少し驚いたようにそれを見送った。
「ワンストライク、だな」
もうすでに勝ったかのように高らかに哲が宣言した。葉も肯いてそれを肯定した。
葉が驚いたのは哲の投球フォームだった。小柄な体でも十二分に力のある球を投げられ
るあの独特の投球フォーム、それは今はいない彼の幼なじみの少女とうり二つとしかいい
ようのないものだったからだ。
「よくやるよ・・・」
葉が呆れたように呟いた。
だが二人の間に、妙な間が訪れた。
投げた球を返してくれる者がいないのだ。ようやくキャッチャーがいないというこ
とに気がついたようだ。
「おい、英。お前キャッチャーやってくれないのか?」
と、哲が申し出ると、英は無言で首を振った。二人の勝負に割ってはいるのを遠慮して
いるのか、ただ面倒くさいのかその表情からはくみ取れない。
「たく! 相変わらず冷たてぇ奴だよ」
すると、哲は文句をいいながらもボールを取りに歩き出す。こういう所は妙に素直な少
年だ。
「あのさ、なんであの二人、こんなわけわかんない勝負しているの?」
何の説明もなしに連れてこられた菜織が、英と冴子の方を向き直って訊いてきた。
「男と男には、拳を交えることでしか語れないこともあるのよ〜ん☆」
美亜子の答えはあえて無視して、菜織の視線は英と冴子に返答をもとめている。
「僕もわからない。田中に訊いてくれ・・・」
そして、英の視線も冴子にむく。そして、おまけに好奇に満ち満ちた美亜子も冴子を見
つめる。
「え? あ、あたいか!?」
いつの間にか三対の視線の集中にさらされた冴子は、どう答えていいかあたふたと慌て
てしまう。
確かに冴子は事の顛末を正確に把握出来てはいる。
でも、それを説明するには、哲の過去やら先ほどの青海とのキスの事とかを話さなくて
はいけない。でも、それを話していいのかどうか・・・
「まぁ、あとで哲の奴にでも訊いてくれ。あたいの口からはちょっと・・・」
頭をかいて、愛想笑いなぞしながらそう答える冴子。だが聡くある変化に気がついた美
亜子が、にやぁ〜☆といやらしく笑って冴子に訊く。その笑みに思わず身構える冴子。
「サエってば、いつの間にてっちゃんのことを名前で呼ぶようになったのかなぁ〜〜?」
「そういえば、そうね」
美亜子と菜織の興味が、別の方向に向いてしまったようだ。何とも言えない視線で冴子
を見つめ、答えをせかす美亜子と菜織。
「あ、えっと、それはだな・・・」
今度の問いはもっと冴子を困らせた。それはそうだ、呼び方を変えた理由が冴子にして
みてもよくわかっていないのだから。
あわあわと冴子が慌てていると、救いは横から来た。
「始まるぞ・・・」
英がボソリと呟く。すると球拾いに行っていた哲が、すでに第二球目を投げるために振
りかぶっていたところだった。
二人の興味が上手い具合に自然に逸れた。冴子はホッとため息をつき、勝負の続きを見
守る。
哲の第二球目は・・・
「内角低めのストレートだな」
英がそう言った。ずばりその通りの球が哲から投げられる。
「甘いわぁ〜!」
葉が高らかに叫ぶや、その球をすくい上げるようにスイングする。どうやらつき合いの
長いだけあって哲の性格などが二人の新旧相棒には読まれているようだ。
キィーーーーン!
快音が夜のグラウンドに響いた。
だが、打球は一塁ライン際をわずかに切れて転がっていく。ファールだったようだ。
「フン、あそこにうちのレギュラーがいたらジャンプ一番取って、お前のアウトってとこ
だったな」
運がよかっただけとしか思えないのに、哲は大いばりでそんなことを言っている。完璧
な負け惜しみだろう。
「そうなのかぁ〜?」
葉がバットで肩をトントンと叩きながら、英に訊いてきた。
英が首を横に振りその問いに答える。たしかに今の打球はプロの選手でもとれないくら
いの勢いがあった。
「あー! 英、てめえ身内を信じられないのかよぉ!」
「佐々木(ファーストの名前)に加速装置でもついていないと無理だ」
「もしかしたら佐々木には人類にはまだ解明されていない、すごい能力があるかもしれな
いだろうが!」
なんか話がずれてきている気がしないでもない。
「おい、哲。馬鹿やってないで続きだ続き」
葉がそうせかすと、哲はブツブツ言いながらも、ボールが消えた方向に球拾いに行く。
こういうところはホントに素直な少年でもある。
「あのさ、鷲海くん。今思ったんだけどね・・・」
菜織が何かに気がついたように英に訊いてきた。
「例えばさ、このわけわからない勝負で諏訪内くんが勝ったとしたら、それでどうなる
の?」
・・・・・・・・・
そういえば、そうである。哲が押さえたり、葉が打ったりしたとしても、この勝負で決
着がついたとして、それが二人の間に生じた問題の解決になるのだろうか?
・・・ 英は少し考えるように首を傾げた。
で、何も答えずに正面を向き直る。この勝負を段取ったわりには、英も深く考えていな
かったようだ。
「でもさ、てっちゃんなら勝ったら『わぁ〜はっはっは! 俺の勝ちだぁ!』って喜んで、
負けたら『ちくしょ〜! おぼえてろぉ〜!』って悔しがるだけな気がするよ」
美亜子がそう言うので、冴子は頭で勝った時と負けた時の哲を頭でシュミレートしてみ
る。美亜子の言ったとおりの哲しか浮かばなかった・・・ 菜織もそんな感じらしい。
「正樹のやつに諏訪内くんの十分の一くらいのお気楽さがあればねぇ」
と、ため息なぞついている。彼女も色々と苦労があるのだろう。
すると哲が球拾いから小走りで帰ってきて、再びマウンドに立った。どうにも間があく
勝負になってしまっている。
「さぁ〜て、ヒカルくん。第3球目はなんでしょうか!?」
美亜子はやることがないので、実況なぞを始めた。
「チェンジアップで先ほどと同じコース」
そして英は解説らしい。
「てっちゃん、振りかぶりました。誰だかわからない人、構えます」
そう言えば美亜子たちは葉の名前も知らないのだった。
「あいつは葉、近藤 葉って名前だよ。昔の哲の友人だそうだ」
『誰だかわからない人』じゃ可哀想なので、冴子が名前を教える。
「なんでサエが名前を知っているのか気になるところではありますが、その追求は後にす
るとして、てっちゃん投げました!」
「う・・・」
余計なことを言ってしまったかと冴子はひるむが、そんな事は関係なしに3度目の勝負が
始まった。
哲が投げたのは、これまた英の予想通りの球、チェンジアップだった。しかも、ボール
の縫い目が確認できそうなほどの超スローボールだ。
「ヨウくん、ずっこけました! あ、けど頑張って踏ん張ってます!」
見事にタイミングを狂わされた葉。哲はこの球を普通と同じリアクションで投げられる
のだ。神奈川の高校球児はこの球の前に三振の山を築いていっている、哲のカーブと並ん
だ決め球でもある。
「根性悪っ!」
葉はそう悪態をつくや、今にも倒れそうな姿勢のまま踏ん張って、何とかバットを振っ
た。コツン、と当たってポテポテと冴子たちが見学している3塁側に転がっていく。
「がぃーーーん・・・」
決まったと思っていた哲が、情けなく転がっていくボールを見ながら、擬音つきでショ
ックを表している。今の球で三振をとれるとかなり自信があったようだ。
「あぁ〜、三振とれたと思っていたてっちゃん、ショックで固まっています。頑張れぇ、
てっちゃん!」
美亜子の実況は、当然の如く哲よりになっているみたいだ。手をブンブン振って声援を送っている。
そして、ボールが見学者たちのところまで転がって来た。何となく冴子がそのボールを
拾う。そのまま、どうしていいかキョロキョロしていると、哲がグラブを上げて催促して
いるのが目に入った。
・・・投げれば、いいのか?
ハンドボールと違って力の加減がまったく掴めないが、とりあえず投げてみた。すると
ちょっとずれたけど、ボールは哲のグラブに見事な音を立てて収まった。
「サンキュ、サエちゃん☆」
こちらの呼び方も『ラーメン屋』から『サエちゃん』にいつの間にか変わったようだ。
その事に少し照れるとこもあるけど、嬉しくもあり不思議な気分の冴子だったのだが・・
・
「いったいてっちゃんとサエの間に、何があったんでしょうかねぇ?」
「少し、気になるわね」
「・・・・・・」
そんな彼女の横で聞こえるように円陣をくんでヒソヒソ話をする美亜子、菜織、英の姿
があると、顔に縦線が入ってしまう。
「さぁ〜て、サエとてっちゃんの間に何があったかは後でじっくり訊くとして、てっちゃ
ん構えます」
哲が振りかぶったので、ヒソヒソ話は終わり美亜子は実況を再開した。
「さぁ、ヒカルくん、この勝負も山場となってきましたが、てっちゃんはどう責めるでし
ょうか?」
「右で投げる・・・」
「へ・・・?」
英がいつもの通りボソッと言った言葉に、3人の少女が目を丸くした。すると哲は愛用
のグローブをマウンドに置いて、冴子たち見学者側に向かって振りかぶっている。
「うわー、てっちゃん凄い! 両刀使いだったんだぁ!」
誤解を産みそうな美亜子の絶叫が聞こえたらしく、一瞬カクンと姿勢を崩す哲だったが
左で投げるときより豪快なフォームで、ボールを投げる!
「卑怯モン!」
さすがにこちらも驚いたらしく、目を丸くしている葉だったが、さすがにそこは埼玉屈
指の高校生スラッガー、その球がただの直球ストレートだと気がつき、再び悪態をつきな
がら慌ててバットを振った。
チィーーン!!
葉の振り下ろしたバットが、何とかボールをかすった。そしてその打球はほぼ真上に高
々と上がっていく。どんどんどんどん上がっていく。
「通天閣打法か?」
打ち取ったと思った哲だったが、その打球があまりにも高々と上がっていくのを見て、
昔野球漫画で読んだある打法の名前を思い出していた。そして、目では打球を追いながら、
地面に置いておいたグローブを手探りで探し当て、それを拾うと打球の追跡に入る。これ
でこの打球を取れば哲の勝ちとなるのだろう。
打球が上昇を辞め、落下に入った。夜であるため、照明圏外まで飛んでしまったボール
は冴子たちからはもう見えなくなっている。でも、哲には見えているのかいないのか、ゆ
っくりと小走りに打球を追い始めた。
捕球姿勢のまま、あっちフラフラ、こっちフラフラと哲は打球を追っていく。
「たか〜〜く、高く上がった打球をてっちゃん、追います。あ、こっちに来ました」
皆が上を向いている状態だったため、気がついた時には哲は見学者たちのすぐ側まで来
ていた。
そして、打球もかなり加速がついてきた。哲が小走りから本格的な走りにギアを上げた。
打球は見学者たちの真上らへんに落ちてきていた。哲は「どいてくれぇ〜!」と言いな
がら見学者サイドに突進してくる。
そして・・・
ドッシャーン!
夜の校舎で凄い激突音が上がった。そして舞う土煙、打球はどうなったのだろうか?
ここからは離れた場所に一人立つ葉ビジョンでお送りしよう。
土煙が収まってきた。まず見えたのは、英とそれにしがみつく美亜子と菜織の姿だ。英
が激突寸前、この二人を庇って上手く身を交わしたらしい。だけど、3人とも何故か目を
丸くしている。
そして視線を少し下に移動させると、今度は掲げられたグローブが見えてきた。中には
しっかりボールが収まっている。この野球勝負、哲の勝ちになったようだ。
更に視線を下げていくと・・・
「!!??」
まず見えてきたのは哲の後頭部、そしてそのままもつれ合って絡み合って重なりあって
倒れている男女の姿があった。言わずとしれた哲と冴子だが・・・
ここからが問題だった。二人は顔面のある一部を接触させていたまま固まっていたのだ。
その場所は双方の唇・・・
簡略にいえば二人ともキスしていたのだった。ぶつかった衝撃でこうなってしまったら
しい。
「あのさ、そろそろ離れたら・・・」
気まずそうに菜織が二人にそう言うと、ハッとして弾かれたように離れる哲と冴子。お
互い何が何だかわからないって感じで呆然と見つめ合っている。
「キス、しちゃったね・・・ てっちゃんとサエ」
美亜子がそう遠慮がちに二人に事実を告げると・・・
「うわぁ〜〜!!」
無粋な少女の悲鳴。凄い打撃。そしてトドメに、
「ふぎゃぁ〜〜!」
という少年の哀れな悲鳴が夜のSt・エルシアに轟いたのだった。
田中冴子、16歳。色気も素っ気もない、ファーストキスであった。
−続く−
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