それは今となっては、儚い幻想となってしまった。
 漠然ではあるが、彼女なりにいつか来るであろうその日のことを考えては、いかにも少
女らしいシュチエーションを夢想したりしていたのだ。
 それは、夕暮れの校舎だったり、夜景が綺麗なとある高台だったり。そして、見つめあ
う二人が優しく抱き合い、そして・・・ まぁ、そんな感じだったのだろう。
 でも、彼女を襲った現実は、突然で、おまけに色気もムードもへったくれもあったもん
じゃなかった。
 場所は夜のグラウンド、見物客はいるし、なによりそれが『事故』として起きてしまっ
たのだ。
 田中 冴子。彼女は、突然のファースト・キスに驚き叫び、そして冴子にしかわからな
い理由から、一目散にその場から駆けだしていた、逃げたのだ。
 キスの相手であった、諏訪内 哲の顔面に鉄拳を叩き込んで・・・


KISS? KISS!? KISS!!
 

 第九話 『KISS!? その後に・・・』


「・・・てっちゃん、生きてる?」
「白目むいてるわね・・・」
「こいつは、こう見えても頑丈だから、このくらいのことじゃ壊れないと思うんだが」
「同感」
 右目の周りに漫画のようにくっきりとした青痣をつけ、何とも言えない格好で倒れてい
る哲の周りを、英、美亜子、菜織、葉で取り囲んでいた。
 ちなみに哲は、冴子の一撃による肉体的ダメージによるものか、それともまたもアクシ
デントでキスをしてしまった精神的ダメージか、はたまたその両方なのか、倒れたままピ
クリとも動かない。菜織が言ったように白目をむいて、車に轢かれたカエルのような格好
のまま固まっている。
「あぁ、そういえば挨拶も何もしてなかったな。俺は近藤 葉。こいつの幼なじみってト
コだ」
「あたしは信楽 美亜子だよ〜ん☆ ミャーコちゃんて呼んでねん」
「あたしは、氷川菜織。諏訪内くんとはクラスは違うけど、まぁ友達ね」
「鷲海 英。こいつの投げる球を受けている」
 倒れている哲を囲んで、自己紹介なぞ始める四人。 
「しかし、どうするよコレ?」
 と葉が指したのは地面にある哲だ。
「家まで持ってくしかあるまい。こんなのでもエースだから」
 と言うや、英がヨイショっと一気に哲を担ぎ上げた。そのまま米俵のように右肩に哲を
背負い込む。人間の扱いとして、そしてけが人の扱いとしても正しいかは疑問なところだ。
 そして、そのまま成り行きで解散撤収となった。家の方向が違う菜織と校門で別れ、英
と美亜子と葉と荷物と化している哲の4人はそれぞれの家がある商店街の方向へと歩いて
いく。
「でさ、でさ? 何で葉くんとてっちゃんが勝負することになったの?」
 程なくして美亜子が、好奇心に瞳を爛々と輝かせながら、葉と英に事の発端を訊ねてき
た。ずっと訊きたかったことなのだろう。
「僕も知りたい」
 勝負を段取ったわりには原因を知らない英も葉に視線を向ける。すると葉は困ったよう
に頭をかいてこう言った。
「実はよ、俺も何で哲がここまで怒っているのか、さっぱりでなぁ・・・」
 そう言えばそうだ。第7話を思い出していただければわかると思うが、葉と再会した時、
哲はすでに怒っていたのだ。しかもその原因は第6話にあった葉の恋人であり哲の幼なじ
みでもある青海が、不意をついて哲の唇を、ファーストキスを奪ったのが発端といえば発
端なのだが・・・
 だがこの辺の事情は。ここにいる3人にわかるはずもない。
「う〜〜ん、葉くんがてっちゃんの親の仇ぃ、とかってわけじゃないよねぇ?」
「哲の父ちゃん母ちゃんは元気にラーメンつくってるだろうが」
 美亜子が調子はずれなことを言ってくるのはお約束として、3人はそれぞれ疑問を抱え
て哲を抱え、いつの間にかラーメン屋『紅蘭』の前に到着していた。
「あれ、ミャーコちゃんに英くんに・・・ 葉くんじゃない!?」
 店先で水を撒いていた法子が、その3人を目ざとく見つけた。てくてくと小走りに近寄
ってくる。
「あぁ、法ねーちゃんか。ひさしぶり」
「ホント、大きく育っちゃってぇ! お姉さんビックリだよ」
 バンバンと喜んで両手で葉の身体を叩いているうちに、法子はようやく英の肩に背負わ
れている哲に目がいった。
「英くん、その担いでるのなに? うちのてっちゃんに似てるんだけど?」
「似てるんじゃなくて、そのモノ」
 そう言うと英は、哲を肩から下ろして背中と肩を持って支えて、無理矢理に立たせる。
こうすると、出来の悪い操り人形のようにカクカクしてて面白い。ちなみにまだ白目をむ
いているので、彼の意識は現実に戻ってきてないみたいだ。
「やぁ、法ねーちゃんただいまぁ☆」
 と美亜子が腹話術のつもりなのか、口を閉じたまま裏声で喋る。それに合わせて英が哲
を勝手に動かしている。完全にオモチャと化している哲だった。
「えっと、法子には何が何だかさっぱりわからないんだけど・・・」
 ちょっと見ないうちに、操り人形状態になってしまった弟を前に法子はオロオロしてい
る。  
「とりあえず上がってくれる? てっちゃん持って」
「合点だ!」
 と美亜子の裏声に合わせて、英が哲の右手を挙げる。ここまで息が合うと芸として売り
出せるかもしれない。
 
 ちなみに哲と先ほどキスシーンを演じたもう一方の少女はその時・・・

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 どこをどう走ったかも覚えていない。気がついたら自分の部屋でベットに顔を埋め、枕
を被ってこうやって叫いていた。
 そして先ほどから断片的に、だがしつこく頭の中で繰り返し写っているのは、哲とのあ
のキスシーンだった。
 哲の方ではいきなりの事で全然記憶に残っていないかもしれないが、冴子の方は違って
いた。
 彼女には哲の唇が来るまでの過程が、ちゃんとわかっていたのだ。
 あの時、打ち上げられた球を追いかけていた夢中だった哲だが、冴子はその時、そのボ
ールを一生懸命追いかけている哲の顔に、いつの間にか見とれていた。視線が哲の顔から
離せなかったのだ。
 哲がだんだん近づいてきた時、冴子は何故か哲の唇のあたりを見ていた。そして頭には
ボンヤリとだが青海と哲のキスシーンが浮かんでいた。
 哲がそのままボールを追って冴子の方に飛びついてきた時、冴子は彼女自身も気がつか
ないうちに、哲を抱き留めていたのだ。哲はその時、はじめて自分が誰かにぶつかったと
気がつき、あわてて横を向いたら、そこには冴子のドアップがあった。
 そこでクライマックス。冴子は何と自分から哲の唇に自分の唇を押しつけていたのだ。
冴子自身、先ほどの抱擁と同じで、無意識のうちの行動だった。でも全然抵抗も何もなか
った、その時の冴子はそうすることが自然だったのだ。哲とキスがしたかったのだ。
 そして美亜子のツッコミが冴子の耳に入って、彼女はようやく我に返り哲から唇を離し
た。
 自分の取った行動が鮮明に思い出される。そして目の前には呆然と冴子を見つめる哲の
姿があり・・・
 そして彼女は駆けだしたのだった、哲の前から逃げ出すために。その前に繰り出した右
ストレートが無意識だったのが、冴子らしいといえるかもしれない。
 つまり、あの校庭でのキスは無意識だったとはいえ、冴子自身がやったことだったりし
たのだった。
 だから冴子はここで頭を抱えてパニくってるのだ。これから哲の前にどんな顔して出れ
ばいいか、全然考えつかない。
「あたいは、あたいは、なんであんなコトしちまったんだよぉ〜〜〜〜〜」
 冴子のパニックはしばらく続きそうだ。

「へぇ〜〜、てっちゃんは今度はサエちゃんとキスしちゃったんだぁ」
 ついに家に着くまで目を覚まさなかった哲は、そのままベットに寝かされた。その後、
法子が淹れてきたお茶をすすりながら、美亜子が主になって法子に事情を説明したのだっ
た。おかげで少し誇張されてはいるが、何が哲の身の上に起きたかは何とか伝わったよ
うだ。
「・・・今度は?」
 法子の発言の一部に美亜子は反応する。キラーン! そして美亜子の瞳が妖しく輝いた。
こういう所は異常に耳ざとい少女だ。
「と言うことは、てっちゃんはその前にも、他の誰かとキスをしたんですか、お姉さん?」
 レポーター口調になって、美亜子は法子に質問する。法子は慌てて自分の口を両手で塞
いでアワアワとするが後の祭りだ。
「えっと、それは、法子の口からはとても言えないんだけど・・・」
「否定しないと言うことは、やっぱりてっちゃんはサエ以外の誰かとキスをしたというこ
とですか?」
 もうすっかり美亜子のペースである。マイク代わり突き出された湯飲みを前に、法子は
自分のことを追及されているかのように、手をバタバタさせて困惑している。
「もしかして、青海がここに来たのと、なんか関係あるのかい、法ねーちゃん?」
 葉の追い打ちにさらに慌てる法子。ここまで態度に出れば、もうバレバレだ。
「さぁ、どうなんですか、お姉さん!?」
「法ねーちゃん!?」
 美亜子、葉両名にズズイと詰め寄られて、法子は眉を八の字にしては、どうしていいか
わからなくなっている。この中で一番の年かさだとは思えない見事な狼狽えっぷりである。 ・・・その時であった。
「話は聞いたよ」
 哲の部屋の扉が勢いよく開き、入ってきたのはこの家の次女、心であった。どうやら隣
の自分の部屋にいたらしい。心がこのタイミングで出てきたという事は、まだこの部屋に
は盗聴器でもしかけられているのかもしれない。そう思うと哲が少し哀れであるが話の展
開には関係ないので放っておこう。
「心ねーちゃん」
 葉が突然の登場に驚き半分呆れ半分と言った感じで、その名を呼んだ。そしてその心は
と言うと、ズカズカと部屋に入るやまず一発、葉の頭を小突いた。
 咄嗟のことで、唖然となる残り四人。
「いってぇ〜〜〜、何だよいきなり!?」
 葉が頭をさすりながら不平をもらすが、その葉を上からビシッと指さし、心は言ったの
だった。
「お前がしっかりしてないから、もめごとが起きてんだよ、わかってんのか?」
「では心さん、てっちゃんに何が起きたか、ぜひ真相を!」
 そして美亜子の湯飲みマイクが、今度は心に突き出される。
 その質問に、湯飲みをもって心が答えようと咳払いをした時だった。
「う、う〜〜ん・・・」
 ベットから唸り声が・・・
「あ、てっちゃん起きたのかな?」
 法子が、そう言って哲の顔にパタパタとエプロンで風をおくる。そして、みんなの注目
も哲の方にむいて真相激白はしばし待たれることとなった。
「う〜〜〜ん、う〜ん、うん?」
 しばし一人で唸っていた哲だったが、程なくゆっくりと目を覚ましていった。
 目を開けてしばし、パチクリとしながら周りをキョロキョロと見つめ、ムックリと上体
を起こす哲。
 そして、自分の部屋にいる面々をじっくりゆっくりと見回した哲だったが、おもむろに
腕を組んでしばし瞑目するや、口を開いた。
「俺、なんでここで寝てるの? それにこのメンバーにどうして葉がいるんだ?」
 その問いに一同、お互いの顔を見合わせるばかりだ。
「どーも、頭が痛くてよく思い出せないんだが、俺、今日試合で投げた後、何してたんだ?」
 腕を組んでしきりに首を傾げる哲、その様子を見て美亜子が皆を代表するような感じで
哲に問いかけた。
「あのさ、てっちゃん。もしかして記憶、とんじゃってない?」
 哲は、そう問われて、困ったように笑って、頭をかいたりした。
「いやぁ、何だかさっきから頭ん中で、思い出すなぁ〜〜って感じのプレッシャーが掛か
ってるんだよ。何かやったのかい、俺?」

 どうやら哲、ここ数時間の記憶が飛んでしまったとの事だ。
 その原因が冴子とのキスにあるのか、それとも鉄拳にあるのか、はたまた別の理由があ
るのか・・・
 物語はこれから、佳境になだれ込む予定である。

 −続く−
 
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