エドガー・アラン・ポオ(Edgar Allan Poe 1809−1849)

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                           群集の人

                       エドガー・アラン・ポオ 作
                       佐々木    直次郎 訳


             Ce grand malheur, de ne pouvoir etre seul.

             (註1:「独りでいることの出来ぬこの大きな不幸。」) ラ・ブリュイエール(註2


 あるドイツの書物(註3)について、“es laesst sich nicht lesen ”――それはそれ自身の読まれることを許さぬ――と言ったのは、尤もである。それ自身の語られることを許さぬ秘密というものがある。人々は夜毎にその寝床の中で、懺悔聴聞僧の手を握りしめ、悲しげにその眼を眺めながら死ぬ、――洩らされようとはしない秘密の恐ろしさのために、心は絶望にみたされ咽(のど)をひきつらせながら死ぬ。ああ、折々人の良心は重い恐怖の荷を負わされ、それはただ墓穴の中へ投げ下すより他にどうにも出来ないのだ。こうしてあらゆる罪悪の精髄は露(あら)われずにすむのである。
 あまり以前のことではない。ある秋の日の黄昏(たそがれ)近くのころ、私はロンドンのD――珈琲店(コフィ・ハウス)の大きな弓形張出し窓のところに腰を下していた。それまで数箇月の間私は健康を害していたのだが、その時はもう恢復期に向っていた。そして体の力がもどって来て、倦怠(アンニュイ)とはまるで正反対のあの幸福な気分――心の視力を覆うていた翳(かすみ)―αχλυζ η πριν επηεν(註4)がとれ、智力は電気をかけられたように、あたかもかのライプニッツ(註5)の率直にして明快な理論がゴージアス(註6)の狂愚にして薄弱な修辞学を凌駕する如く、遥かにその日常の状態を凌駕する、といったような最も鋭敏な嗜欲にみちた気分、――になっているのであった。単に呼吸することだけでも享楽であった。そして私は、普通なら当然苦痛の源(もと)になりそうな多くのことからでさえ、積極的な快感を得た。あらゆるものに穏かな、しかし好奇心にみちた興味を感じた。葉巻(シガー)を口にし、新聞紙を膝にのせながら、、あるいは広告を見つめたり、時には部屋の中の雑然たる人々を観察したり、あるいはまた煙で曇った窓硝子を通して街路をうち眺めたりして、私はその午後の大部分を楽しんでいたのであった。
 この街は市の主要な大通りの一つで、一日中非常に雑沓してはいた。しかし、あたりが暗くなるにつれて群集は刻一刻と増して来て、街灯がすっかり灯(とも)るころには、二つの込み合った途切れることのない人間の潮流が、戸の外を頻りに流れていた。夕刻のこういう特別な時刻にこれに似たような場所にいたことがそれまでに一度もなかったので、この人間の頭の騒然たる海は、私の心を愉快な新奇な情緒でみたしたのであった。遂には、店の内のことに注意することはすっかり止(や)めて、戸外の光景を眺めるのに夢中になってしまった。
 初めのうちは、私の観察は抽象的な概括的な方向をとっていた。通行人を集団として眺め、彼等をその聚合的関係で考えるだけであった。しかしやがて、だんだん詳細な点に入ってゆき、姿、服装、態度、歩き振り、顔付き、容貌の表情、などの無数の変化を、精密な感興を以って注視するようになった。
 通り過ぎてゆく人々の大部分は、満足した事務的な風采をしていて、ただ人込みを押しわけて進んでゆくことだけしか考えていないように見える。彼等は眉を顰(ひそ)め、眼をくるくると回す。側を通る人にぶつかられても、少しもいらいらしたような様子を見せず、ただ身装(みなり)を直して急いで歩いてゆくのだ。他の連中は、これもなかなかたくさんいるが、動作がせかせかしていて、顔をほてらせ、周囲の人がひどく込んでいるので、そのために孤独を感じているかのように、独り言をいい独りで身振りをする。自分の道を邪魔されると、この連中は急に呟くのをやめて、その代りに身振りの方をいよいよ盛にし、そして唇にはぼんやりしたような大袈裟な微笑を浮べながら、邪魔をしている人間が通り過ぎるのを待っている。衝きあたられると、その衝きあたった者にむやみにお辞儀をし、いかにも当惑しきったような顔をする。この二つの大きな階級については、今まで記したこと以上に特にはっきりしたところは何もない。彼らの服装は、正に端正と名づけらるべきものに属している。彼等は疑いもなく、貴族、大商人、弁護士、小売商人、株式仲買人――上流社会(ユパトリッド)の者や、社会の俗人――閑人や、自分自身の仕事に忙しく携わり、自己の責任の下に業務を行う連中――である。彼等は大して私の注意を惹き起さなかった。
 商店や会社の事務員と言った連中は一目瞭然たるものであった。そしてそれに私は二つの著しい区別を見分けた。いかがわしい商店などの若い事務員――きちんと合った上着をつけ、磨きあげた長靴をはき、髪を油でてかてか光らせ、横柄な唇をした若い紳士たちがいる。何となく動作のはしっこいこと、それを他(ほか)にもっとよい言葉がないので事務机風(註7)と名づけてもいいが、それを除いては、これらの人々の身嗜みは、約十二箇月ないし十八箇月前にはこの上なく上品(ボン・トン)であったものの正確な模写であるように、私には思われた。彼等は上流階級のうち棄てた流行を身につけていた。――そして、これがこの階級の最上の定義を含んでいるのだ、と私は信ずる。
 信用ある商館の上のほうの事務員、即ち「世慣れたしっかり者」といった方も、間違うはずはなかった。楽に坐れるように仕立てた黒または茶色の上着とズボン、白の襟飾(クラヴァット)とチョッキ、広い丈夫そうに見える靴、厚い靴下とゲートル、などでそれとわかるのだ。彼等はみんな頭が少しばかり禿げていて、右の耳は、永年ペンを挟むのに使ったので、頭から離れてつき出ているという奇妙な癖がついている。彼等がいつも両手で帽子を脱いだり被ったりすること、がっしりした古風な型の短い金鎖のついた懐中時計を持っていること、なども私は見てとった。彼等の気取りといえば体面を損じないということであった、――もしそういう立派な気取りというものが実際あるならだ。
 威勢のよい面構(つらがま)えをした人間もたくさんいたが、これはあらゆる大都会に横行しているあのしゃれた掏摸(すり)の輩(やから)に属する連中だということが、私にはたやすくわかった。私はこれらの手合をよく詮索するように気をつけてみた。そして一体どうして紳士たちがこいつらを本物の紳士と間違えるのか想像し兼ねた。袖口がひどく脹[ふく]れていることや、いやに何の腹蔵もなさそうな様子をしていることで、すぐ怪しいと気づかれる筈なのだ。
 賭博者どもも少なからず見つけたが、これはもっとたやすく見分けがつく。彼等は、天鵞絨(ビロード)のチョッキに、変り模様の頸布(ネカチフ)、鍍金(めっき)の鎖に、金銀線細工のボタン、という正にいかさまぺてん師の服装から、嫌疑のかかり易くないことこれに及ぶものなし、という物堅く飾らない牧師の服装に至るまで、あらゆる種類の服装を身につけていた。それでも、この連中はみんな、酒浸りのために黒ずんだ顔色、ぼんやりした朦朧たる眼、固く結んだ青い脣、などで区別がつくのだ。その上、私がいつでも彼等を看破することの出来る特性は、他にもう二つある。話をする声の調子の用心深く低いことと、拇指を他の指と直角をなす方向に普通以上に広げることだ。こういういかさま師どもと一緒に、習慣は幾分異にしているが、やはり一つ穴の貉(むじな)といったような種の連中を、私はしばしば認めた。これは、小才を利かしてごまかして活計(くらし)を立てる方(かた)々、と定義してもよかろう。彼らは二つの隊に分れて公衆を餌食にしているように思われる,――即ち伊達者(ダンディ)の隊と、軍人の隊とだ。前者ではその主な特徴は長い捲毛と微笑とであり、後者では肋骨ボタンをつけた上衣と顰め面とである。
 上品と名づけられているものの階段を下って、私はもっと暗くもっと深い考察の題目を見出した。顔の他のところはみんなただ卑劣な謙遜の表情だけを表わしているのに、眼ばかりが鷹のように光っているユダヤ人の行商人たち。ただ絶望のために已むなく夜の闇の中に恵みを乞うているまだ性質(たち)のいい物貰いに、苦い顔を見せる体格のがっしりした職業的な乞食ども。確かにもう死神の手の中にありながら、それでも何か思いがけない慰め、何かの失った望みを捜し求めでもするかのように、一人一人の顔を哀願するように眺めながら、群衆の中をとぼとぼとよろめき歩いてゆく、弱々しい蒼ざめた病人たち。長時間の遅くまでの労働から何の喜びもない家庭へと帰ってゆく内気な若い娘たち。彼女たちは無頼漢(ごろつき)どものじろりと見る眼に憤って見返すよりも涙ぐんで身を縮め、そいつらにじかに触れられてさえ避けることが出来ないのだ。また、あらゆる種類、あらゆる年齢の私*子(じごく)、――表面はパロス島(註8)の大理石で内部は汚物でみたされているかのリュ-シアン(註9)の彫像を思わせるような、女盛りの正真正銘の美人――襤褸を着た、胸の悪くなるような、もう全く駄目な癩病やみ――若返ろうとする最後の努力をして、宝石をつけ脂粉[しふん]をごてごてと塗り立てている、皺のよったの――まだ恰好も十分ついていないほんの子供のくせに、永い間の交際(つきあい)でその道の恐るべき嬌態(コケットリー)もすっかり上手になっていて、悪行では姐さんたちと肩を並べようという激しい野心に燃えているのなど、また、数えきれぬほどいる何とも言えない酔っ払いども、――襤褸っきれを着て、顔に打傷をつけ、どんよりした眼をして、呂律(ろれつ)の回らぬ舌でしゃべりながら、よろめいてゆく者――よごれてはいるが破れておらぬ着物を着て、肉欲的な厚い脣、丈夫そうな赧らんだ顔をして、少しふらつきながらも肩で風を切ってゆく者たち――かつて以前は上等の地であったもので、今もなお念入りに十分ブラッシをかけた着物を着ている連中――不自然なくらいしっかりした軽快な足取りで歩いているが、その顔色は凄いまでに蒼ざめ、眼は恐ろしく血走って赤く、群衆の中を大股に歩きながら、手にあたるものは何でもみんな震える指で掴みかかる者ども。以上のような連中の他に、パイ売り、荷担ぎ、石炭運搬人夫、煙突掃除人。それから筒琴(オルガン)弾き、猿回しに、歌う者と呼売りする者とが組になっている小唄の読売り人。襤褸を着た職人たちや、あらゆる種類の疲れ切った労働者たち。そして、すべてが騒々しく乱雑に躍動していて、それが耳にやかましい音を立て、眼に疼(うず)くような感覚を与えるのだった。
  *入力者注[穴かんむりに果。ちなみに、じごく women of the town とは街娼婦のこと]
 夜が深くなるにつれて、私にはこの光景(シーン)の興味も益々深くなって来た。というのは、群集の一般的性質が著しく変って来た(穏やかな方の人々が次第に引き上げてゆくと共におとなしい趣がなくなり、夜更けがあらゆる種類の醜穢[しゅうわい]をその洞穴から押し出すにつれて、粗野な方の趣が前より一層無遠慮にはっきりと浮き上って来たのだ)ためばかりではなく、最初かげってゆく日影と争うている時には弱々しかった瓦斯灯の光線が、今や遂に優勢となって、あらゆるものの上に燦然たる、ちらちらする光を投げかけたからである。すべては黒く、しかし燦爛としていた、――ちょうどタータリアン(註10)の文体が譬えられているあの黒檀のように。
 その光の強烈な効果は、私をしていや応なしに一人一人の容貌の吟味をさせた。そして、窓の前を過ぎ去る光の世界が迅速なために、個々の顔に一瞥以上を投ずることは出来なかったが、それでも、その時の私の特殊な心の状態では、その一瞥の短い間にさえ、しばしば、永い年月の物語を読みとることが出来るように思われるのであった。
 額(ひたい)を硝子にくっつけて、こうして一心に群集を詳しく見ているうちに、突然、一つの顔(六十五か七十歳くらいのよぼよぼの老人の顔)が現われて来たが、その顔は、表情が全く特異なものであったので、忽ちに私の注意を悉く惹きつけ吸いこんでしまったのだ。その表情に微かにでも似たようなものは、それまでに私は一度も見たことがなかった。それを見た時最初に考えたことが、もしレッチ(訳注11)がこれを見ていたなら、自分の描いた悪魔の化身よりもずっとこの方を好んだろう、ということであったことを私はよく覚えている。最初の注視の短い一瞬間に、その表情の伝える意味を分析しようと努めた時、私の心の中には、用心の、吝嗇[りんしょく]の、貪欲の、冷淡の、悪意の、残忍の、勝利の、歓喜の、極端な恐怖の、強烈な――無上の絶望の、広大な精神力の諸観念が、雑然と且つ逆説的に湧き上ったのである。私は奇妙に、眼が覚め、愕然とし、魅せられたようになったのを感じた。「どんな奇怪な経歴があの胸の裡に書いてあるだろう!」と思わず私は独り言をいった。それから、その男を見失わないようにしよう――その男のことをもっと知りたい、という烈しい欲望が起った。大急ぎでオーヴァコートを着、帽子とステッキとを掴むと、私は街路へ跳び出して、その男の行くのを見た方向へと群集を押しわけた。というのは、その時彼はもう見えなくなっていたからだ。多少骨を折って漸く私はその姿の見えるところまで来て、その男に近づいてゆき、そしてぴったりと、しかし彼の注意を惹かないように用心しながら、その後をつけて行った。
 私は今やその男の風采を十分吟味する機会を得た。彼は背が低く、甚だ痩せていて、見たところ非常に弱々しそうであった。着物は大体、きたなくて、ぼろぼろであった。が折々彼が強くぎらぎらする灯火のあたっているところへ来る時、私はその亜麻布(リンネル)の衣服が、よごれてはいるが美しい地のものであることを見てとった。そしてもし私の眼の誤りでなければ、彼の纏うている、きっちりとボタンをかけた、明かに古物らしい外套(ロクロール)の裂目から、一個のダイヤモンドと、一ふりの短刀とをちらりと見かけたのだ。こういうことを目にとめたので私の好奇心は益々高まり、この見知らぬ男がどこへ行こうとその後をつけようと決心した。
 もうその時はすっかり夜になっていて、濃い、じっとりとした霧が、この都会の上にかかっていたが、それがやがて本降りの大雨となった。この天候の変化は群集に奇妙な影響を与え、群集全体は忽ち新しい動揺を起して、無数の雨傘に蔽われてしまった。波立つようなざわめき、押し合いへし合い、がやがやいうやかましい音は十倍も烈しくなった。私自身はといえば、大してこの雨を気にかけなかった、――体の中にはまだ以前の熱が潜んでいて、それが湿りを多少危険過ぎるくらいに心地よいものにしたのだ。口の周りにハンケチをくくりつけて、私は歩み続けた。半時間ばかりの間老人はこの大通りを辛うじて押し分けて進んで行った。そして私は彼を見失いはしまいかと恐れて、ここではぴったり彼にくっつくくらいにして歩いていた。一度も頭を振り向けて後を見なかったので、彼は私に気づかなかった。やがて彼はある横通りへ入って行ったが、そこはやはり人でいっぱいではあるが、今まで通って来た本通りほどひどく込み合ってはいなかった。ここへ来ると、彼の様子は明かに変化した。彼は今までよりもゆっくりと、また目当(めあて)もなさそうに――もっとためらいがちに、歩いて行った。見たところ何の目的もなさそうに幾度も幾度も道を横切った。そして雑沓はやはりなかなかひどいので、そういうときには必ず私は彼にぴったりとついて行かねばならなかった。その街は狭くて長い通りで、それを歩くのに彼はほとんど一時間近くかかったが、その間に通行人は次第に減って、通常、公園の近くのブロードウエイ(註12)で午(ひる)ごろ歩いている人の数ほどになった。――ロンドンの人口と、アメリカの最も繁華な都会の人口とには、それほど大きな相違があるのだ。もう一度道を曲がると、私たちは煌々と灯火(あかり)がついていて活気の溢れているある辻広場へ出た。すると見知らぬ男のもとの態度が再び現われた。顎は胸のところへ落ち、眼はその顰めた眉の下から、彼を取巻いた人々に向って、あらゆる方向に、激しくぐるぐる回った。彼は絶えず根気よく道を急いだ。しかし、その辻広場を一巡りすると、ぐるりと回ってもと来た道へひき返すのを見て、私は驚いた。もっとびっくりしたことには、彼はその同じ歩みを数回も繰り返すのだった。――そのうち一度は、突然ぐるりと回った時に、もう少しで私を見つけるところだった。
 こうして歩くのにまた一時間を費したが、その終りには最初とは通行人に道を妨げられることが遥かに少くなった。雨は小止みなく降っていた。空気は冷々(ひえびえ)して来た。そして人々は家路へと帰ってゆくのであった。いらいらした身振りをして、この流浪人(さすらいびと)は割合人気(ひとけ)の少い裏通りへ入って行った。四分の一マイル[400m]ほどあるこの通りを、彼はそんなに年をとった人間には全く思いもよらない敏捷さで駆け下り、追っかけるのに私は非常に難儀をしたほどであった。数分の後私たちはある大きい賑かな勧工場[かんこうば=bazaar 初期の百貨店]へやって来たが、この場所はその男のよく知っているところらしく、ここでは、大勢の買手や売手の間を、何の目的もなく、あちこちと押しわけて歩いている時に再び彼のもとの態度が現われたのであった。
 この場所で過ごしたかれこれ一時間半ばかりの間、彼に気づかれないようにしてその近くにいるのは、私の方でずいぶん用心を要することであった。幸いに私は弾性ゴムのオーヴァシューズをはいていたので、少しも音を立てないで歩き回ることが出来た。一度も彼は私が見張っているのに気がつかなかった。彼は店から店へと入り、別に値段を聞くでもなく、一言も口を利くでもなく、びっくりしたような、ぽかんとした眼付きであらゆる品物を眺めているのだ。私はもう彼の振舞いにすっかり驚いて、この男についていくらか納得出来るまでは決して離れないでおこうと堅く決心した。
 高く鳴る時計が十一時を打ち、そこにいる人々はぞろぞろと勧工場から出て行った。ある店の主人が鎧戸を閉める時に老人につきあたったが、その瞬間、強い戦慄が彼の体中を走るのを私は見た。彼は急いで街へ出て、ちょっとの間不安げに自分の周りを見回し、それから信じられぬような疾さで、曲がりくねった人通りのない道をいくつも走り抜けて、もう一度私たちは、出発点のあの大通り――あのD――館(ホテル)の街に現われた。しかしその街はもう前と同じ光景ではなかった。そこはやはり瓦斯灯で煌々と輝いていた。が雨は土砂降りに降り、人影はほとんど見えなかった。見知らぬ男は蒼くなった。彼はむっつりしてさっきは賑かだったその大通りを数歩足を運んだが、それから深い歎息をもらしながら、河の方向へと足を向け、種々さまざまなうねりくねった道をまっしぐらに進んで、遂にある大劇場の見えるところへ出て来た。ちょうど芝居のはねた時で、観客は出口からどっとなだれ出て来るところであった。私は、老人がその群衆の中に身を投じている間、息をしようとするかのように喘ぐのを見た。が、彼の容貌に現われていた強い苦悩は幾らか薄らいでいるように思った。彼の頭はまた胸のところへ落ちた。私が初めに見た時のような様子になった。今度は彼が観客の大部分の者の行く方へ行くのを、私は見てとった、――が要するに彼の行動のむら気はどうも私には理解し兼ねるのであった。
 彼が進んでゆくにつれて、その人々もだんだんちりぢりになり、彼のもとの不安と逡巡とがまたもどって来た。暫くの間、彼は十人か十二人ばかりの飲んだくれの一行にぴったりくっついて行った。がこの人数も一人減り二人減りして、最後に、ほとんど人通りのない狭い陰気な小路に、たった三人だけが残った。見知らぬ男は立ちどまり、ちょっとの間深く思案に耽っているようであった。それから、非常に興奮したような様子をして、一つの路をずんずんたどって行ったが、その路は、これまで歩き回って来たところとは全く違った地域の、市のはずれへと、私たちをつれて行った。それはロンドン中でも最も気味の悪い区域で、そこではあらゆるものが、最も悲惨な貧窮の、また最も恐ろしい犯罪の、最悪の刻印を押されていた。思いがけない街灯の薄暗い光で、高い、古びた、虫の喰った、木造の長屋が、その間の道も見分け難いくらい思い思いのいろいろな方向へ、倒れそうにぐらついているのが見えた。鋪石は、生い茂った草のためにその道床から押しのけられて、でたらめにごろごろしていた。恐るべき汚物が、つまった溝の中で臭気紛々として腐っていた。大気全体が荒廃の気にみちみちていた。それでも、私たちが進むにつれ、人の世の音が次第にはっきりと甦って来て、遂には、ロンドンの住民の中でも最も無頼な連中が大勢あちこちとよろめき歩いているのが見えるようになった。老人の元気は、消えかかろうとする灯火のように、再びゆらゆらと燃え上った。もう一度彼は活発な歩き振りで大股に進んで行った。突然街の角を曲がると、赫々[かくかく]たる光がぱっと眼に射し、私たちは、あの大きな場末の放縦の殿堂――悪魔ジン酒の宮殿――の一つの前に立っているのであった。
 その時はもう暁に近かった。が、まだ幾人かのあさましい泥酔漢がそのけばけばしい入口を押しあいながら出たり入ったりしていた。半ば叫ぶような喜びの声をあげて老人はその中へ押し入り、忽ち以前の態度に返って、何も明かな目当もなく、人込みの中をあちらこちらと歩き回った。しかし永くこうしていないうちに、戸口のほうへどっと人が押しよせてゆくので、そこの主人が夜の戸締りをしているのだということがわかった。その時、私がそれまでそんなに辛抱強く見張ってきたその奇怪な人物の容貌に認めたものは、絶望などというものよりももっと強烈な何かであった。それでも彼は歩き回ることをやめずに、狂気じみた元気で、直ちに歩を返して大ロンドンの中心へと向った。永い間彼は疾く走って行った。一方私は、全く驚きはてながらも、今や心をすっかり奪われてしまうほどの興味を感じているこの穿鑿[せんさく]をやめまいと堅く決心しながら、その後を追うて行くのだった。私たちが進んで行くうちに太陽は昇った。そして、もう一度この繁華な町のあの最も雑沓する商業中心地、D――館のある街へやってきた時には、その街は前の晩に見たのとほとんど劣らないくらいの混雑と活動との光景を呈していた。そしてここでも永い間、刻一刻と増して来る雑沓の中に、私はなおもその見知らぬ男の追跡を続けた。しかし、相変らず、彼はあちこちと歩き、終日その喧囂[けんごう]の巷から外へ出なかった。こうして、二日目の黄昏の影が迫って来た頃、私は死にそうなほど疲れはててしまい、この放浪者の真正面にたちどまって、じっとその顔を眺めた。彼は私を気にもとめずに、その重々しい歩みを続けた。そこで私は後をつけるのをやめて、じっと黙想に耽った。「この老人は、」と私は遂に言った。「凶悪な犯罪の象徴であり権化であるのだ。彼は独りでいることが出来ない。彼は群集の人なのだ。後をつけて行っても無駄なことだろう。これ以上私は、彼についても、彼の行為についても、知ることはあるまいから。この世の最悪の心は、Hortulus Animae (註12)などよりももっと気味の悪い書物だ。そして "es laesst sich nicht lesen"(註13「それはそれ自身を読ましめぬ。」)というのは、恐らく神の大きなお慈悲の一つなのであろう。」


註1:[本文中]
註2:Jean de la Bruyere (1645-1698)――フランスの著述家。
註3:というのは、終りの方に出ている "Hortulus Animae"のことである。
註4:"αχλυν απ οψδαλμωυ ελουη πριυ επηευ" Homeros,Ilias,s,127. その意は「両眼からその上に以前に覆うていた翳を取除いた。」
註5:Gottfried Wilhelm Leibnitz(1646-1716) 有名なドイツの哲学者。
註6:Gorgias(前485頃-前380頃) ギリシアのソフィスト、修辞学者。プラトーの対話の一篇に"Gorgias"がある。
註7:deskism--deskと ismを合わせた作者の造語で、翻訳者を困らせる言葉である。ボードレールの"genre calicot"に倣って「店者風(たなものふう)」とでもしてもよいだろうか。その他ドイツの訳者たちによって"Ladenschwengelbeweglichkeit""Heringsbaendigereifer""Zopfichkeit"などと訳されている。
註8:Paros--ギリシアの多島海の中の一小島。古来、白大理石の産地として有名である。
註9:Lucian--二世紀のギリシアの有名な風刺家。
註10:Tertullian (quintus Septimius Florens Tertullianus) (150?-230?)--初期のラテン教会の師父の一人。主著 "Apologeticus"の他 "Ad Martyres" "De Baptismo" "De Poenitentia"等、宗教上の著述が多い。
註11:Moritz Retzsch (1779-1857) -- ポオの時代に生きていたドイツの蝕鏤師(エッチャー[銅版画師])、画家。ゲーテやシルレルの作の挿絵を描いた。
註12:Broadway -- ニューヨーク第一の大通り。中央公園(セントラル・パーク)からボーリング・グリーンの広場に至る。
註13:グリュニンゲル[書店刊]の Hortulus Animae cum Oratiunculis Aliquibus Superadditis. (原註) [Hortulus Animae (「魂の小園」)は16世紀初期に流行した迷信的な文と野卑な挿絵のついた祈祷書]
註14:[本文中]





作者:エドガー・アラン・ポオ
翻訳者:佐々木直次郎
原題:The Man of the Crowd
底本:「アッシャア家の崩壊」角川文庫 昭和39年16版
入力者:脩海
Up : 2012.7.11

<入力に当たっての方針>
1.新字新仮名に改める。ただし、送り仮名については、みだりに変えない。
2.主な変更点:ラ・ブリュイエエル→ ラ・ブリュイエール、など長音は長音符にする;或る→ある;廻る→回る;恰も→あたかも;就いては→ついては;嘗て→かつて;著た→着た;猶ほ→なお;箇々→個々;屡→しばしば;その中→そのうち;Hortulus Animoe →Hortulus Animae 、その他明白なつづりの誤植;エクチャア→エッチャー;ニュウ・ヨオク→ニューヨーク
3.註の中のあるものを、読者の便宜を考えて、本文中に移した。
4.なお[ ]内は入力者の補注である。