ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn1850−1902)

ファンタスティクス」より


悪魔のざくろ石・万聖節の夜・他

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1877−1887年の間、ニューオーリンズでジャーナリストとして活躍していた頃の、ハーンの珠玉の小品集Fantasticsから、今回は5篇を取りあげてみました。「それらの作品は、ニューオーリンズの風変わりな生活から、私の受けとった印象です。熱帯の町から生まれた夢想です。全作品を通して、一つの双子の観念が貫いています。即ち、愛と死です。それらのとる姿が、私の受けた印象では、この土地の生活の物語を体現しているのです。」(ハーン)と自ら語っています。旺盛な好奇心と、自在な想像力によって紡ぎだされた、表現主義の先駆ともいえる、諸作品です。


目次:悪魔のざくろ石/黄金の泉/万聖節の夜/私が花であった頃/超人



 悪魔のざくろ石


 La Raza Latina (ラテン民族)紙の、リマ在住通信員である、リカルド・パルマは、スペインの征服時代にさかのぼる、南米の珍奇な伝承を、蒐集している。El Carbunclo del Diablo と 題されている次の伝説は、その一つである。


 名高い征服者達(Conquistadores)の一人であるフアン・デ・ラ・トルレが、リマ市近郊の聖域(huacas)のひとつで、莫大な財宝を発見し、手に入れると、スペイン兵達はまことに血眼になって、原住民の古い要塞や墓地で宝をあさり始めた。中にディエゴ・グミエル隊長の部隊に所属する、三人の弩(いしゆみ)兵(ballesteros)がいて、彼らはミラフローレスにある聖域を、徒党を組んであさっていた。すでに何週間をも費やして、宝掘りを続けていたが、ちっぽけなものですら、価値のあるものを見つけ出せなかった。
 1547年の(復活祭の日曜日の前の)聖金曜日のことであった。その日が聖なる日であることなどおかまいなく、なにしろ人の強欲の前には、聖なるものなどは何一つないので、その三人の弩兵は、朝から夕方まで、汗水たらして喘ぎながら、宝探しに精を出していた。しかし、一体の木乃伊のほかには、何も発見できなかった。三ペセタで売れそうな小物や、陶器でさえ見つからなかった。そういうわけで、彼らは、悪の祖であるサタンに身を委ねて、あらゆる天使(Powers of Heaven)に毒づき、冒涜の言葉を吐きちらしたので、あまりのことにサタンでさえも、耳に綿をつめたほどであった。
 この時すでに、日は沈んでいた。冒険家達は、けち臭い原住民達が、金や銀の、どっしりした、豪華な柩(ひつぎ)に納められもせずに葬られているなどとは、ばかばかしいやら、いまいましいやらで、悪態をつきながら、リマへ戻る支度をしていた。その際、一人のスペイン兵が、おもいきりひどく木乃伊を蹴とばしたので、木乃伊は相当な距離を転がっていった。すると、キラキラする宝石が骸骨から落ちて、その後をゆっくり転がっていった。
 「おやまあ(Canario)!」 兵士の一人が叫んだ。「あれは、なにが光ってるんだ。サンタ・マリア! なんと見事なざくろ石だ!」
 そして、その宝石の方へ歩いてゆきかけたが、その時、木乃伊を蹴とばした兵士が、したたかな乱暴者であったが、彼を呼び止めた。
 「待ちな、お前さん。わしが喜んで、あのざくろ石を人に渡すと思うかい。あの木乃伊を見つけたのは、わしなんだからな」
 「あんたこそ、悪魔にでもさらわれちまいな! わしが最初に、光るのを見つけたのだ。わしが生きてる限り、他のやつにはとらせんぞ!」
 「おっと、どっこい(Cepos quedos)!」三人目の兵士が剣をぬき、頭上でひゅうひゅう振り回しながら、大声で言った。「わしのことを、忘れなさんな」
 「べらぼうめ(Caracolines)! サタンのかみさんにだろうと、くれてなるものか」 乱暴者はそう叫んで、短剣を抜いた。
 そして、三人の仲間の兵士の間で、熾烈な闘いが起こった。
 翌日のこと、労役につかわれている原住民達(Mitayos)が、争った者の内の一人の死骸を見つけた。他に刺し傷だらけの者が二人いて、告戒聴聞僧を呼んでくれと懇願した。死ぬ前に、二人はくだんのざくろ石について語った。三人が闘っている間、不気味な、ギラギラする光で闘いを照らしていたのだと言う。しかし、その後、ざくろ石は誰にも見つからなかった。伝承では、それは悪魔に由来するものとされている。毎年、聖金曜日の夜になると、この伝説でもって有名になった聖域ジュリアナ(huaca Juriana)を通る旅人は、その宝石の不吉な輝きを、見ることが出来ると言う。


原題:The Devil’s Carbuncle
 




 黄金の泉


 (これはとある夏の夜の払暁(あかつき)に、オテル・デュー(Hotel Dieu 市立病院)において、スペイン語圏アメリカから来た流浪の老人が、スペイン人老司祭に語った物語です。私はこれを、ほぼ老司祭の口から聞いたままに記しています。)


 「わしは眠れませんでした。嗅いだこともない花の匂いがしていましたし、新しい土地へ来て、わくわくする気持が、頭をさえさせていました。空には見たこともない星座が輝いています。この新世界は、わしには、エデンの園そのものに思われました。たぶんそんなことが合わさって、わしは熱病にでもうかされたように、うわついた気分になりました。わしは起き上がって、星空のもとを出歩きました。兵士たちの重い寝息が聞こえました。鋼鉄(はがね)の胸当てが、うす明かりの中に燦(きらめ)きました。時々、馬が鼻を鳴らし、見張り役の兵たちの、規則的な足音がしました。向こうの深い森を見ていると、一人でその中に彷徨っていきたいという、わけのわからない渇望が起こってきました。セヴィリアにいた頃、夏のことでしたが、髯面の兵士たちから、魔法の国のような新世界の話を聞いたときにも、そんな渇望が起こりました。危険などは考えもしませんでした。なにしろ、あの頃のわしは、神も悪魔も恐れませんでしたので。部隊長はわしのことを、あの向こうみずな部隊の中で、一番の向こうみずと見ておりましたな。わしは陣を越えて出ました。胡麻塩頭の歩哨は、彼の挨拶をわしが不機嫌に無視すると、唸るように乱暴に咎めました。わしは彼をののしって、陣の外へどんどん歩いてゆきました。

 あの南方の、素晴らしい夜空の深い青色が、薄紫へと薄らいでゆきました。そして地平線は、椰子の木の梢の後ろで、黄色く明るんでゆきました。最後に、金剛石のきらめきのような南十字星が、消えてゆきました。はるか背後で、スペイン兵の吹く召集ラッパが鳴りひびいて、熱帯の朝のかぐわしい大気を、伝わってきました。それは別世界から聞こえる音楽のように、遠く、かすかに、甘美に、震えていました。しかし、わしは引きかえそうなどとは、まるで思いませんでした。夢でも見ているように、わしは、同じ不思議な衝動に駆られて、進みつづけました。ラッパの呼び声は、前よりも弱々しく、もう一度鳴りました。異国の花の異様な芳香のせいでしたか、香料を実らせる木々の香りのせいでしたか、熱帯の空気のまといつくような暖かさのせいでしたか、あるいは魔法であったのか、いずれにしても、これまで知らなかった感情が、わしをとらえていました。わしは泣けるものならば、泣いてみたかった。わしは、これまでの獰猛な気性が、わしの心から消えていくのを感じたのです。野生の鳩が木から飛んできて、わしの肩に止まりました。わしは自分が鳩をなでているのに気づいて、笑ってしまいました。血で赤く染まった手と、罪で黒く塗られた心の持ち主である、このわしがそんなことをするとは。

 日の光が広がり、明るみが増して、緑と黄金の楽園が現われました。蜜蜂ほどの大きさの、不思議な、金属的にきらめく色彩の鳥が、まわりで唸っていました。鸚鵡が木でやかましく鳴きたてました。猿どもが、枝から枝へと、めざましく敏捷に、伝ってゆきました。言葉に表わせないほど美しい、無慮無数の花が、シルクの花芯を陽に向けて開きました。夢の中のような森の、眠りを誘う香りが、わしをますます酔いしれた気分にさせました。そこは、わしには魔法の土地のように思われました。スペインにいた頃、ムーア(*1)たちが、日の出る辺りにある国々の噂話に語ったような、そんな魔法の土地に思われたのです。そのせいでしたろうか、わしはいつのまにか、ポンセ・デ・レオン(*2)の探した黄金の泉について、夢のようなことを考えていました。

 すると、思いなしか、木々がぐんと背伸びしたように見えました。椰子の木は大洪水以前にさかのぼるほど古く見え、インディアンの羽飾りのような樹冠は、青空に届くかと思われるほどでした。ふいにわしは、ひろびろした空き地に自分がいるのに気づきました。そこはとてつもなく高い太古の木々によってとりまかれており、円い空き地全体は、緑の影につつまれていました。地面は苔と、香りの良い草や花が、一面に厚く生い茂っていて、その柔らかな葉や花弁を足で踏んでも、音がしませんでした。そして木々の円形の囲みのどの方面からも、地面が傾斜していて、その先には、キラキラする水をたたえた巨大な水盤がありました。その水盤の真中には、以前にグラナダのムーアの宮殿で見たことのあるような、噴水がそびえていました。水盤の水は、恋をおぼえ始めたた女の瞳のように深く、澄んでいました。ずっと底の方には、金のつぶの散らばった砂が見え、噴水の雨がおちて波紋を描いたところは、虹色に見えました。不思議なことに、その噴水は、人の手になったものから噴きだしているのではありませんでした。それはあたかも、底の力強い水流が、水盤の輝く水面の上方に、水を噴き上げさせているかのようでした。わしは甲冑をはずし、服を脱いで、喜び勇んで、その泉に跳びこみました。思ったよりも、ずっと水の深さがありました。水晶のように透きとおっていたので、だまされたのです。底にもぐりつくこともできませんでした。わしは噴水のところまで泳ぎました。そして驚いたことに、水盤の水は山の泉水のように冷ややかなのに、中央にある生きた水晶のような噴水の柱は、血の温かさを持っていました!

 わしはこの奇妙な水浴びで、言うに言われない気持のたかぶりを覚えました。わしは水の中で少年のようにはしゃぎました。わしは森に向かって、鳥たちに向かって、大声で叫びさえしました。鸚鵡たちが椰子の木のてっぺんから、わしの叫びをまねて、叫び返しました。そして、泉から出た後も、わしは疲れも、空腹も、覚えませんでした。しかし横になると、深い、のしかかるような眠りに襲われました。子供が、母親の腕の中で眠るような眠りでした。

 目を覚ますと、一人の女がわしの上にかがんでいました。彼女は一物も身につけていませんでした。非の打ちどころのない美しさと、その肌の熱帯の色とで、彼女は琥珀でできた像のように見えました。彼女の流れるような黒髪には、白い花々が編みこまれ、彼女の大きな両眼は、奥深い黒色をしていて、絹のような睫毛に縁どられていました。彼女は、わしがこれまでに見たインディアンの若い女のようには、金の飾り物をつけたりはしていませんでした。ただ、髪に白い花をつけただけでした。わしは天使でも見るかのように、賛嘆しながら彼女を見ていました。背の高い、ほっそりと、優美な姿は、まるでこの世のものとは思われませんでした。わしの罪深い全人生を通じて、初めてのことでしたが、わしは女を前にして、畏れを覚えました。とはいえ、その畏れには、歓びも混じっていないわけではありませんでした。わしはスペイン語で彼女に話しかけました。しかし彼女は黒い眼を更に大きくして、微笑するだけでした。わしは身振りで伝えました。彼女は果物と瓢箪の椀に入れた澄んだ水を、わしのところへ持ってきました。彼女がもう一度わしの上にかがんだ時、わしは彼女に接吻しました。

 わしらの愛の生活について、語らねばならないでしょうか、神父さま。それはよしにして、ただその年月が、わしの人生にとって、一番幸せな時だったとだけ言っておきましょう。あの不思議な土地では、天と地が抱擁しているように思われました。あれはエデンでした。楽園でした。決して飽きることのない愛、永遠の若さがありました!ほかのどんな人間も、わしの味わった幸福を味わいはしなかったでしょう。けれども、またどんな人間も、これほどの喪失の苦しみを受けはしなかったでしょう。わしらは果物を食べ、泉の水を飲んで暮らしていました。わしらの寝所は苔と花でした。山鳩がわしらの遊び相手で、星々がわしらの灯火でした。嵐も雲もなく、雨も暑さもなく、かぐわしい匂いと、鳥たちのさえずりと、水のつぶやきとで、眠気を誘われる、なまぬるい常夏でした。椰子の木が揺れ、森の宝石をちりばめたような胸の歌鳥が、一晩中歌いました。わしらはその小さな谷を、一度も離れませんでした。わしの甲冑も、わしの上等な剣も、錆びついてゆき、わしの服も、まもなくすり切れてゆきました。しかし、そこでは服などいらないのでした。いつでも暖かく、光あふれ、穏やかでした。“私たちは、ここでは決して年をとりません” と彼女は囁きました。しかし、これは本当に若返りの泉なのか、とわしが尋ねると、彼女はただ微笑して、指をその唇に当てました。彼女の名前さえも、わしは知ることができないのでした。彼女のしゃべる言葉も学べませんでした。ところが、彼女の方はわしのしゃべる言葉を、驚くほどすばやく学びました。わしらは一度も、いさかいなどを起こしませんでした。わしは彼女に対して、不機嫌な顔をすることでさえ、はばかったのです。彼女は、いつでも優しく、陽気で、愛らしかったのです。――しかし、こんなことをお聞かせしても、しかたありますまい、神父さま。

 わしらの幸福は非の打ちどころのないものでした、とまで申すつもりはありません。そうではなかったのです。一つだけ奇妙な不安の種があって、それがたえずわしを悩ませたのでした。毎晩、彼女の腕の中で寝ていると、スペイン兵のラッパの音(ね)が聞こえたのです。それは死人の声のように、遠くから、かすかに、不気味に響いてきました。それはわしに呼びかけている、陰鬱な声に聞こえました。そしてその音が、わしらのところへ漂ってくるたびに、彼女は震えて、その腕をわしの体に、いっそう強く巻きつけるのが感じられました。そして、わしが接吻をして彼女の涙をとめるまで、泣きつづけるのでした。あの年月を通して、わしはラッパの音を聞きました。年月と申しましたか? いいえ、数世紀と言ってよいでしょう!なにしろ、あの土地では決して年をとらないのですから。わしの仲間たちがみな死んでしまった後も、わしは数世紀にわたって、ラッパの音を聞きつづけたのです。

 (司祭は灯火の下で十字を切り、祈りの言葉を呟きました。「つづけなされ、あなた(hijo mio)」と、しばらくして言いました。「すべてをお話しなされよ」)

  わしは腹立たしかったのです、神父さま。わしは、わしの生活を悩ませたあの音が、どこからやってくるのか、自分で確かめたいと思ったのです。その晩、どういうわけか、彼女はとても深く眠りこんでいました。彼女に接吻しようと、かがみこんだ時、彼女は夢の中で呻きました。彼女の黒い睫毛の上には、ひと粒の澄んだ涙が煌(きらめ)いていました。すると、その時、あのいまわしいラッパの音が起こったのです――」

 老人の声は、いっ時途切れました。弱々しい咳をして、血を吐いてから、彼はつづけました。――

 「これ以上話す時間が、わしにはほとんどありません、神父さま。わしは二度と、あの谷へ帰る道を見つけられませんでした。わしは彼女を永遠に失ったのです。人の世界をさまよってみると、わしの話せない言葉を、彼らは話していました。世界は変わっていました。やっとスペイン人に出会った時、彼らの話す言葉は、わしの若い頃聞いたものとは違っていました。わしの体験を話す勇気などは、ありませんでした。わしは狂人の仲間入りをさせられたことでしょうから。わしは古い世紀のスペイン語を話します。わしの同国民は、わしのしゃべり方が変だと馬鹿にします。あなた方の新しい世界で、わしが長く生活していたならば、わしの考え方や、振る舞いやが、今のものとは違うので、わしは狂人扱いされたことでしょう。しかし、わしはそうしませんでした。熱帯の沼沢地で、ニシキヘビやワニと暮らし、人の踏み入らない森の奥や、名もない川の岸辺や、滅亡したインディアンの都市の廃墟で暮らしてきました。そして彼女を探し求めるうちに、わしの力は衰え、わしの髪は真っ白になりました。」

 「あなた」と老司祭は叫びました。「そんな悪しき思いは棄てさりなさい。あなたのお話は聞きとりましたが、司祭ででもなければ、誰もがあなたを狂っていると見なすでしょう。あなたが私に語ったことは、私はすべて本当だと思います。教会の聖伝説の中には、同じくらい不思議なことが、たんと語られています。あなたは若い頃は相当な罪びとでした。だから神があなたの罪を、まさにあなたを罰するための手段にして、あなたを罰したのです。けれども、神は数世紀にわたって、あなたが悔い改めるようにと、あなたを生かしてくれたではないですか。未だにあなたを、女の姿において誘惑している悪魔のことなぞは、すっかり忘れてしまいなされ。悔い改めて、あなたの魂を、神に委ねなさい。そうすれば、私もあなたの罪を赦しましょう。」
 「悔い改めるですって!」 死にかけている男はそう言って、彼の大きな黒い目で、司祭の顔をじっと見つめました。その両眼は、再び彼の青春の烈しい炎で燃えあがるかのようでした。「悔い改めるですって、神父さま。わしには出来ません! わしはあれを愛しています! わしはあれを愛してるんです! 死の先にもし生命があるならば、わしはいつまでも永遠に、彼女を愛しつづけます。自分の魂よりも、わしは彼女がいとしいのです。わしの魂が天国へ行く望みなどより、死んで地獄へ堕ちる恐れなどよりも、わしはずっと彼女がいとしいのです!」

 司祭はひざまずき、顔をおおって、熱心に祈りました。彼が再び目を上げた時、男の魂は罪の赦しを受けないままに、この世を去っていました。しかし死者の顔の上には、司祭が不思議に思うほどの笑みが浮かんでいました。そこで、祈祷(Miserere)を忘れて、思わず、「ついに彼女に出会ったのだな」と呟いていました。東の空が明るむと、魔法のような日の出の光に染まって、朝霧が日輪の上方に、黄金の泉となって立ちのぼっていました。



訳注:*1.ムーア(Moor)=北西アフリカのイスラム教徒。8世紀にスペインを征服した。
    *2.ポンセ・デ・レオン(Ponce de Leon)=スペインのアメリカ大陸探検家(1460生-1521没)。フロリダで<若返りの泉>を探したとされる。



原題:The Fountain of Gold





 万聖節の夜


 万聖節の夜――それは白い月が煌々と照らし、澄み渡った、真夜中であった。
 西空低く、爽やかな風が吹きおこり、墓の間を吹きぬけ、影のものらに囁きかけた。
 墓の間には花が咲いていた。
 花々は月の面を見つめていた。それらから、千もの眼に見えない香気が、夜の中へ立ちのぼっていた。
 風は花の上を吹きつづけ、ついには、花々のやわらかい目蓋が閉じはじめ、月明かりの中の香気も薄らいでいった。
 風は花たちを目覚めさせようとしたが、それらは夢見ることのない眠りに、落ちこんでいった。
 花の香りは、花の眼に見えない魂の、現われにほかならない。花たちは、月明かりの中でこうべをたれ、十二時になると、とわにその目を閉じた。花の命である香気が、消え去ったのだ。
 そうして風は、古い、白い墓の間で、しばらく悼み、それから糸杉と影のものらに囁いた。――「これらは、供物ではなかったのか?」
 影のものらと糸杉は、不気味なお辞儀で、謎めいた返事をした。風はさらに尋ねた。――「誰のためにか?」 影のものらと糸杉は、沈黙をまもった。
 それから、風は幽霊のように、いくつもの白い墓の、裂け目からもぐりこみ、闇の中で囁き、また出てきては、身震いし、哀悼した。
 影のものらも、同じく身震いし、糸杉は、夜の中で歎息した。
 「これは神秘なことだ」 風はすすり泣いた。「わたしの理解を超える。夢さえ死に絶えた闇の中に住む、あのものたちへ、なにゆえこれらの供物を、捧げるのか」
 しかし、木々も、影のものたちも、答えなかった。うつろな墓たちも、声をあげなかった。
 すると、オレンジの木の森でそよぎながら、南風がやって来た。そして、椰子の木の長い葉を、翼の風であおぎ起こし、年古りた墓地に、千の花の魂をつれもどした。そうして、南風は花たちの魂に囁いた。「小さな、花の魂たちよ、答えておあげ、私の嘆いている腹からに」
 そこで、花の魂たちは、死人たちの白い市(まち)の、白い通りを、香りで満たしながら、こう答えた。
 「わたしらは、愛する人を失った者が、万人を愛する方へ捧げた、供物なのです。父を失った者が、万人の父へ捧げた、生け贄なのです。わたしらは、死者については知りません。無限なる方の秘儀は、わたしらには明かされていないのです。わたしらの知るのは、ただ死者たちが、決して眠られることのない方に見まもられ、眠るということです。あなたは、花たちが死ぬのを見ましたね。しかし、花たちの香気は、風の翼の中に生きつづけ、神の世界にかぐわしく満ちわたるのです。同じように、良き行いがなされたあとには、香気が残り、愛する人が失われたあとには、残された人の心を、追憶がなぐさめるのではありませんか」
 糸杉たちと、影のものたちは、ともども、お辞儀で答えた。そこで、西風は嘆くのをやめ、その薄絹の翼を広げ、日の出る方向へ飛び去っていった。
 月は傾いてゆき、ものの長い影を、いっそう長くさせた。南風は糸杉を愛撫し、それから、花の魂たちを引きつれ、薄れつつある星々の方へ、飛び立っていった。


原題:The Night of All Saints





 私が花であった頃


 私はかつて、花でした――大きくて美しい花でした。私の花の杯は、雪のように白くて、馥郁とした香りに満たされていて、その上に止まる、虹の羽をした虫たちを、酔わせました。私を見る人たちには、昔のローマの皇帝たちの、宴席に使われた、没薬を混ぜた、ワインカップの美しさを、思い起こさせました。
 蜜蜂は、光まばゆい夏の間、私に歌いつづけました。風は、暑熱の中で、私を愛撫しました。夜には、露の精が、私の白い花の杯を満たしました。象の耳よりも大きな葉をつけた、巨大な植物が、生あるエメラルドのような、緑の天蓋で、私を覆っていました。
 遠くには、神秘な、絶え間ない讃歌を歌う、せせらぎが聞こえ、無数の鳥が囀っていました。夜には、私は、繻子のように、つやつやした花弁の間から、星々の果てしない行進を見つめました。そして、昼になると、私は黄金色の花芯を、絶えず日輪のまなこへと向けました。
 胸に宝玉を散りばめた、ハチドリが、日の出の方角から飛んできて、私のそばに巣を作り、私の花の杯に残っている、香りたかい露を飲みました。そして未知の国の不思議なことどもを、私に歌って聞かせました。――魔法使いの花園にだけ咲く、黒い薔薇とか、南国の月夜にのみ、花芯を開く、その香りが死をもたらす、お化けユリとかの。

 *    *    *

 私の緑の命の糸は、断ち切られて、彼女の髪に、私は挿されました。私は、死の緩やかな苦悶を感じませんでした。夜のように漆黒の、つややかな髪の中に、捕らえられ、星のように輝く、蛍のようには。私の命の香りが、彼女の血に混じり、彼女の密かな心房に入るのを、私は感じました。私が花に過ぎないのを、私は悲しみました。

 *    *    *

 その晩、私たちは一緒に死にました。彼女がどのように死んだのか、私は知りません。私は、彼女と共に、永遠の眠りにつくことを、願っていたのです。けれども、不気味な風が、窓から吹き寄せ、私のしおれた花弁を引き裂き、枕元に白いむくろを、散らせたのです。しかし、私の魂は、かすかな香りのように、まだ、静かな部屋にさまよい、蝋燭の炎のあたりに、浮かんでいました。

 *    *    *

  私とは種類の違う、ほかの花々は、彼女の安らぎの所の、上方に、咲きつづけています。それらの生き生きとした、花弁の中には、彼女の血が生きています。それらに、香りを与えているのは、彼女の息です。それらの、透明な、緑の葉脈に、命を与えているのは、彼女の生命です。しかし、夜の魔法の時間には、慈悲深い露の精が現われ、夏の日の終わりを悲しみます。そして、私を運びあげ、彼女の墓にしたたる、水晶の涙に、私を溶け入らせてくれるのです。


原題:When I Was a Flower





 超人


 吾輩は三千年間生きつづけてきた。吾輩は人類とこの世界に飽きあきしている。この地球は、吾輩の住処とするには、狭くなりすぎた。この灰色の空は、鉛の覆いのようで、今にも落ちてきて、吾輩を砕いてしまいそうだ。
 吾輩の頭髪には、一本の白髪もない。三十世紀の間の塵埃も、吾輩の眼を曇らせなかった。だが、吾輩は地球に飽きあきしている。
 吾輩は千の言語をしゃべり、諸大陸の有様などは、書物の文字と同じくらいに、精通している。天界は、吾輩の目には、くり広げられた巻物を、読むかのようだった。地球の内部も、吾輩にはなんの秘密も隠していない。
 吾輩は、海底の最も深い場所をも、究めつくした。黄色く波うつ砂が、乾いた骨のような音を立てて流れる、荒蕪の地をも究めた。納骨所に朽ちていく者らや、地下墓地に秘められたおぞましい光景を目にしてきた。ダウラギリの、清らな雪の中にも身を置いた。人の足を踏み入れない、恐るべき迷宮のような密林にも、踏み入った。死火山の内部に、降り立ちもした。河馬の背中や、てらてらする鰐の甲羅が、水面のあちこちに浮かぶ、湖や川の地域にもいた。幻影のような氷河が、墨色の海に漂う、地の果てにも赴いた。生き物のいない土地、山々が、原初の地球の激しい陣痛によって、千々に引き裂かれた土地、見渡すかぎり、乾いた、突こつとした廃墟が、月面のように広がる土地、干あがった海や、人類誕生の遥か以前に、流れやんだ急流によって刻まれた川床、そうした奇怪な地域を、吾輩は究めたのだ。
 あらゆる世紀の、あらゆる知識、あらゆる事物における、人類の技術と熟練と狡猾のすべてを、吾輩は我がものとしたのだ。それだけではない!
 生と死とがたち現われて、彼らの太古の秘密を、吾輩に囁いたのだ。人類がこれまでに探究して、徒労に終わったことのすべてが、吾輩にとっては、何ら謎ではなくなった。
 このちっぽけな世界の、あらゆる快楽を、吾輩は味わいつくさなかっただろうか。吾輩よりもひよわな身体ならば、灰と燃やしつくしてしまうほどの快楽を。
 吾輩は、エジプト人と共に、インドの王達と共に、ローマの皇帝達と共に、数々の神殿を築いてきたのだ。吾輩は、征服者達が世界を征服する手助けをしてきた。吾輩は、テーベやバビロンの王達と、幾夜となく酒宴の馬鹿騒ぎをつづけた。吾輩は酒と血に、酔い痴れてきたのだ!
 地上の数々の王国と、それらの富と栄光は、吾輩のものであった。
 アルキメデスが欲した、かのテコでもって、吾輩は帝国を興隆させ、王朝を転覆してきたのだ。いや、それどころか、吾輩は神のように、世界を吾輩の手のひらに握っていたのだ。
 男の心を喜ばせようと、若さの美と女の愛とが与える、すべてのものを、吾輩は手中にした。アッシリアの王も、ソロモンも、サマルカンドの支配者も、バグダッドのカリフ(教主)も、東洋の最果ての国のラジャ(王)も、吾輩が愛したほどには愛しなかった。吾輩の数限りない、愛の営みにおいて、吾輩は人が考えうる限りの、人の心が望みうる限りの、すべてをわが身において実現させたのだ。人の手が、かの不滅と称される、ペンテリクス山(訳注1)の大理石に結晶させた、すべてのものを、吾輩は実現させたのだ。それとても、吾輩のこの鉄の四肢ほどには、不滅ではあるまいが。
 そしてまた、エジプトの王達が、彼らの永世の夢を刻んだ、かの薔薇色の御影石のように、吾輩はいつまでも血色が良い。
 それなのに、吾輩は、この世界に飽きあきしている!
 吾輩は、求めるものはすべて手に入れた。欲したもので、手に入れなかったものはない。――ところが、吾輩は今、いたずらに欲し、しかも、決して手に入れることのないものがある。
 この地球上に、吾輩の友となる者が、一人としていないのだ。吾輩を理解できる精神の持ち主、吾輩をあるがままに愛しうる心の持ち主、それが一人もいないのだ。
 わが知ることを、もし口にしたならば、生あるものの誰一人として、理解できまい。わが知ることを、文字に書きとめたとて、いかなる人の脳も、吾輩の思想を理解できまい。人の姿をとり、人のなすことすべてをなしうるばかりか、人のなしうる以上に完璧になしうる者でありながら、吾輩は、これらの脆弱な仲間と、同じように生きねばならない。彼らのひよわな精神のレベルにまで身を落とし、彼らのちっぽけな仕事の真似事をしなければならない。神の叡智を持つ、この吾輩がだ! あのギリシャの夢想家達は、何と気の触れていたことだろう! 彼らは、神々が一人の女を愛するために、人間のレベルにまで身を落とすことを、讃美したのであるから。
 かつて幾世紀もの間、吾輩は息子をもうけることを懼れていた。吾輩の不滅の青春を、引き継がせることが出来たかもしれない息子だが、――吾輩は、いかなる地上の生き物にも、わが秘密を分かち与えまいと、用心をおこたらなかったのだ。今や、そうした杞憂の時は終わった。この時代の、堕落した人類の、わが腰より生まれたいかなる息子も、我輩に相応しい連れとは、とてもなりえまい。海洋はその底を変え、新しい大陸が、紺碧の淵より隆起し、地上には新しい人類が現われよう。それほどの時が経たねば、わが思想の片鱗ですら、わが息子は理解できなかろう。
 未来は、吾輩のために、いかなる喜びも用意してはいない。吾輩は、百億年の未来の諸相を、予め知っている。これまで起こったことが、すべて再び起こるであろう。これから起こることは、すべて既に起こったことなのだ。吾輩は、砂漠に住む者のように孤独だ。人間どもは、吾輩の目には、傀儡(くぐつ)としか映らぬようになり、生ある女の声とて、吾輩の耳には、少しも心地よくはない。
 ただ、風や海の立てる声にだけ、吾輩は耳を傾ける。とはいえ、それらの声ですら、吾輩を退屈させる。それらは、三千年昔にも、年古りた木々や、太古の岩の間で、同じ音楽を、吾輩に囁き、同じ讃歌を、吾輩に歌っていたのだから。
 今宵、吾輩は、三万六千九百たび目の、月の満ち欠けを見ることになろう。わが眼は、月の白い面を眺めるのにも、飽きあきした。
 嗚呼! わが身を、別の星の世界へと、二つの太陽によって照らされた世界や、巨大な月の群によって取り巻かれた世界へと、運びやることが出来さえしたならば、吾輩は喜んで、限りない年月を生きつづけもしようのに。その別世界では、吾輩は、わが知識に匹敵する知識と、わが友とするに相応しい精神の持ち主を、見いだすやも知れない。――そして、おそらく、吾輩の愛しうる女達をも。スカンジナヴィアの伝説にある幽霊のような、また、このちっぽけな地上人類の、ひよわな母親のような、空虚で、中身のない女や、よこしまな女(El-women 訳注2) などではなく、不滅の子供達を産むに相応しい、不滅の美しさを持った女達を。
 いやはや、なんとも!――わが意志よりも強く、わが知識よりも深い、力が存在するのだ。“火のように聴く耳を持たず、夜のように盲目な” ある強大な力が、吾輩をとこしえに、この人類の世界に結びつけている。吾輩は、岩に鎖でつながれて、決して止むことのない苦痛にさいなまれているプロメテウスのように、絶望という禿鷹の鋭い嘴によって、とわに内臓をついばまれていなければならないのか。あるいは、吾輩のこの輝かしい肉体を、とわに消滅させねばならないのか。
 吾輩は、太陽が光を失い、冷たくなるまで、生きつづけるやもしれない。しかし、吾輩はもはや生きつづけるのに、飽きあきしている。
 吾輩は、まさに動物が死ぬように、人の形をした最も惨めなものが死ぬように、もののみごとに死ぬとしよう。あとには、人の頭の理解できるような、いかなる書き物も残すことはあるまい。吾輩は、煙が立ちのぼるように、影のように、わたつみのまなかの波のかしらの、一つぶの泡のように、蝋燭の炎が吹き消されるように、この世を去ろう。私が何者であったか、だれも知ってはならない。三千年間、絶え間なく打ちつづけたこの心臓、地上いたるところの土を踏みしめた、この両足、諸国民の運命を形づくってきた、この両手、この地球の子らがこれまでに知った、あらゆる知識よりも、千倍もの叡智を蓄えた、この脳、それらはみな、程なくして消え去るであろう。 
 とはいえ、やはり、この脳の驚異的な組織を打ち砕き、滅ぼすことは、人類の夢想する神々に相応しい脳であって、この地上の知識のあらゆる記録の蓄えられた、神殿であることを思えば、惜しまれもする。

 月が昇った。なんとまあ、死人の顔のように白い、死の世界であることよ。そなたもまた、感じる心があるならば、無限の夜の中を、屍のように巡ることを、どんなに喜んでやめることであろう。そして、吾輩に従って、夢さえも死に果てる、さらに暗い無限の中へと、赴くことであろう。


訳注1:Pentelicus=アテネの北東にある山。上質の大理石の産地で、パルテノン神殿の建設に使われた。
訳注2:El-women=不詳。仮に邪神(El)に仕える女としておく。Shadowings中の「夢の書」の断章7にも、若い男を誘惑する実のない鬼女として言及されている。


原題:The Undying One


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作品名:悪魔のざくろ石・万聖節の夜・他(「ファンタスティクス」より)
作者:ラフカディオ・ハーン
翻訳:脩海 copyright: shuh kai 2014
Up: 2014.5.