AMBROSE BIERCE (1842-1914?)


妖夢―夜の幻影―

マリネンコ文学の城Home
翻訳城Top

ビアスのこの夢に関するエッセイは、彼の怪談の楽屋裏を知ることができて興味深い。彼の怪談に関する興味が、深層心理に発していることがよく解る。それにしても、ビアスに限らず、アメリカの怪談作家が死体に対して特別のobsessionにとらわれていることは、考察に価しよう。(S.K.)


 妖夢 ―夜の幻影―

 アムブローズ・ビアス 作


 私の信じるところでは、夢を見る才能は、価値ある文学的天分であり、現今では知られていない何らかの技法によって、夢が供給するとらえどころのない空想を、つかみとり、固定し、利用できるようになったならば、我々は<とてつもなく素晴らしい>文学を手に入れることであろう。その天分は、捕獲し、飼い馴らすことによって、家畜として育てられた動物が、新しい能力と力とを獲得するように、驚くほど改良されるであろうことは疑いない。我々の夢を飼い馴らすことによって、我々の仕事時間は二倍になるであろうし、最も実り多い仕事が、夢の中でなされるであろう。実際のところ、<クブラ・カーン>[コールリィヂColeridgeの詩]が証するように、夢の国は属州なのである。
 夢とは何か。記憶のゆるやかで無法な連結であり、覚醒した意識の中でかつて存在した事柄の、無秩序な継起である。それはひび割れた墓からとび出してくる、新旧を問わず、正邪を問わず、ごったになった、死者の復活であり、各自が<生きていたときの服装をしていて>、舞台監督官(the Master of the Revel)の謁見に与ろうと、走りながら互いの衣装を奪い合いつつ、乱雑に押しよせてくる。監督官?いや、彼は彼の権限を辞職してしまい、彼らは彼を意のままにする。彼の意志は死んでしまい、ほかの者の意志とともに表われてはこない。彼の判断力もまた失われてしまい、判断力がなければ、驚く能力も失われる。苦痛や喜びを感じることはあろうし、おびえたり魅せられたりすることもあろう。しかし、彼は不思議に思うことができないのだ。ぞっとすることも、途方もないことも、不自然なことも、それらはすべて単純で、正しく、もっともなことに思える。滑稽なことも面白がらせないし、不可能なことも不思議がらせない。夢を見ているときだけ、人は真の詩人になる。彼は<全霊これ想像のかたまり>(訳注1)なのだ。

 (訳注1)The lunatic, the lover, and the poet
    Are of imagination all compact.
    (Shakespear:A Midsummer Night’s Dream act5.scene1)
    狂人、恋人、詩人は
    全霊これ想像のかたまり。
    (シェイクスピア「真夏の夜の夢」より)


 想像は単に記憶に過ぎない。一度も観察したり、体験したり、聞いたり、読んだりしたことのないものを、想像してみるとよい。例えば、胴体も、頭も、四肢も、尻尾もない動物とか、壁も屋根もない家とかを、想像してみるとよい。しかし、目覚めている時には、意志と判断の助力を得て、我々はいくぶんなりと統制したり、指揮したりできる。記憶の貯蔵庫から、役立つものを取り、不要なものを、時には骨折りながら、排除するというふうに、取捨選択できる。ところが、睡眠中には我々の空想が、<我々のあとを引き継ぐ>。夢の空想は、群をなして来たり、互いがまじりあい、くっつきあい、互いの要素から構成されるので、その結果、全体が目新しいものに見えるようになるのである。しかし、おなじみの、想像の構成要素がそこにあり、ほかには何もない。覚めていても寝ていても、我々は想像から何ひとつ新しいものを得ることはなく、ただ新しい適合があるばかりである。<夢が作られている素材>(訳注2)は身体の諸感覚によって集められ、リスが木の実をためこむように、記憶の中に蓄えられている。しかし、五感のうち一つだけは、夢の織物に何ひとつ寄与しない。これまで夢に匂いをかいだ人はだれもいないのだ。視覚、聴覚、触覚、そしてたぶん味覚は、どれも我々の夜ごとの娯楽に、糧を供してくれる労働者である。しかし、眠りの神には鼻がない。あの鋭い観察者であった古代の詩人たちが、睡神をそのように描写せず、彼らの従順なしもべであった古代の彫刻家たちが、それをそのように表現しなかったのは、驚くべきことである。たぶん後者の名士たちは、後代のためを思い、時と災難とが、この点に関して彼らの作品を必然的に訂正し、自然の事実に合うようにしてくれるだろうと考えたのであろう。

 (訳注2)We are such stuff
     As dreams are made on;
     (Shakespear:The Tempest Act 4, scene 1, 156-157)
     我々は夢が作られている素材なのだ。
     (シェイクスピア「嵐」より)


 夢を、それが夢とまがうように、語ることができる者がいるだろうか。どんな詩人も、そのように軽やかな筆さばきを持っていない。風に鳴るハープの音を、言葉にするに等しかろう。うんざりする連中(属名Penetrator intolerabilis [がまんならない侵入者])の中の、よくある一種であるが、ある物語を読み終えると、――たぶん、名文家によるものなのであろう――人を啓発し喜ばせようとでもするのか、その筋書を念入りに説明しようと骨折る者がいる。そして、あきれたことに、もうその物語を読む必要がないと考えるのだ。「実質的に同じ事情と条件のもとに」(と州間の商法にあるように)私は同じ違反を犯すべきではないであろう。しかし、私はここで私自身のあるいくつかの夢の筋書を記そうと思っているが、「事情と条件」は、それらの夢自体が読者には接することができないという点において、同じではないと考える。それらの夢の貧弱な部分を記録しようと努めはするものの、普通以上の成功を高望みはしない。私は夢というとらえがたい精霊の尻尾をおさえるだけの塩をもたないのだ。(訳注3)

 (訳注3)I have no salt to put upon the tail of a dream’s elusive spirit. :
 put a pinch of salt on a bird’s tail (鳥の尾に一つまみの塩をのせてとらえる)という言い回しをひねったもの。


 私は黄昏の中を、見知らぬ木々のそびえる大きな森をとおって歩いていた。私はどこから来て、どこへ行くのか、知らなかった。私は森の厖大な広がりを覚え、その中でただ一つの生き物であると感じていた。ある忘れてしまった犯罪、おぼろげな推測では、日の出に対してなされたらしいのだが、それを償わねばならないという恐るべき呪縛にとらわれていた。機械的に、望みなく、私は巨大な木々の枝の下を、森の不気味な寂寥を貫いている小道を歩んでいった。やがて、小道を横切って暗く、とろとろと流れている小川に出くわした。見ると、それは血の流れだった。右手に曲って、私はその流れをかなりの距離までさかのぼっていった。やがて、森の中の小さな円形の空き地に出た。そこはぼんやりした、現実離れした光で満たされ、その明かりで、空き地の真ん中に、白い大理石でできた深い貯水槽が目に入った。それは血で満たされていて、私がたどってきた流れは、そこから流れ出たものだった。貯水槽の周囲には、それをとり囲む森との間に、――たぶん十フィート[=3メートル強]の幅があり、大理石の巨大な板で舗装されていて、――人間の死体が並んでいた。二十体あった。数えたわけではなかったが、その数には何か私の犯罪との、重要な、不吉な関係があることが分かっていた。たぶんそれは、私がその犯罪をなしてから、数世紀単位での時間を表わしていた。私はただ、その数が正しいということが分かっていただけで、それを数えて知ったわけではない。死体は裸で、中央の貯水槽のまわりに、それから車輪の輻(や)が放射するように、釣り合いよく配置されていた。足は外に向けられ、頭は貯水槽のふちを越えて垂れ下がっていた。どれもあおむけに横たわっていて、かき切られた咽喉の傷から、血がゆったりとしたたっていた。私はこの場面を見ても、動じなかった。それは私の犯罪の自然な、必然的結果であって、私を動揺させなかった。しかし、あるものが私を不安と恐れで満たしていた。それはゆっくりと、仮借なく、くり返してうちつづけている、ある不気味な脈動であった。どの感覚に伝わってくるのかは、判らなかった。それとも、科学や経験には知られていない、ある経路をとおって、意識に侵入してきたのかもしれない。この仮借なく規則的に反復する、とてつもない脈動は、気を狂わせそうだった。それは森全体に浸透していて、ある巨大な、鎮めがたい悪意の表われであることが、感じられた。
 この夢については、それ以上覚えていない。たぶん、循環器がふさがれた不快感に、その原因があるに違いない恐怖に打ち負かされて、私は叫び声をあげ、自身の声によって眼が覚めたのであった。

 つぎにその骨格を示そうとする夢を見たのは、かなり若い頃のことである。まだ十六になっていなかったろう。私は今では相当な歳だが、その夢を見てから一時間後に、布団の下で縮こまって、恐怖の記憶で震えていたときと同じように、ありありとその内容を思い出す。
 私は夜中の限りなく広い平地に、独りでいた。私の悪夢の中では、私はつねに独りなのであり、たいていは夜である。どこをみても、木々は目に入らず、人の棲家も、流れも、丘もなかった。大地は短く、粗い植物でおおわれているように見えた。それらは、平原が火で焼かれたかのように、黒く、ずんぐりしていた。何のためとも分からずに、私の歩んでいく道は、ところどころ、火のあとに雨が降りでもしたような、浅いくぼみに溜まった水で、途切れていた。これらの水溜りは、どちらの側にもあったが、重たい黒雲が水に映った空をよぎったり、それが過ぎ去って、鋼のような星の光をふたたび現わしだし、その冷たい光で、水面がどす黒く輝いたりすると、そのつど消えたり現われたりした。私の行く道は西に向かっていた。その方向には、地平線上の低いところに、雲の長くたなびく下で、深紅の光が燃えていて、それは測り知れない距離の印象を与えた。この印象を、私はのちにドレの絵画に見つけるようになったのであるが、彼の絵画には、彼のどの筆づかいにも、予兆と呪詛とがこめられている。歩んでいくにつれて、この不気味な背景の上に、銃眼のついた胸壁や塔の輪郭がシルエットとなって現われてきた。それらは、旅を進める一マイルごとに、膨張してゆき、ついに考えられないほどの高さと幅に達し、視野の広範囲を占めるようになった。しかしその建物は、いっこうに近づいているようには思われなかった。意気消沈して、望みもなく、私は焼け焦げた、禁断の平原をもがき進んでいた。巨大な建物はさらに大きくなり、ついにもはや視界に収まりきれなくなった。いくつもの塔は頭上の星をおおい隠していた。それから私は、開かれた門から、一つ一つの石が父の家よりも大きい、巨大な石造りの柱の間を通って、中へ入っていった。
 内部はまったくのがらんどうだった。廃墟のほこりで、すべてが覆われていた。ぼんやりした明かりが、――それだけで十分に明るい、夢の中の不規則な明かりである――廊下から廊下へ、部屋から部屋へと進むことを可能にし、手で押すとどの扉も開いた。部屋の中は壁から壁まで、長い距離があった。どの廊下も、行きどまることがなかった。私の足音は、廃墟となった建物や、死体のおかれた墓の中でしか聞かれない、あの異様な、うつろな響きをたてた。この恐るべき寂寥の中を、私は何時間もさすらっていた。何かを探しているという意識はあったのだが、何を探しているのかは分からなかった。最後に、その建物の最奥の角とおぼしきところで、私は一つの窓のある、普通の大きさの部屋に入った。この窓をとおして、測り知れない遠くにある西の地平線上に、相変わらず燃えている、あの紅蓮の光が見えた。それはあたかも眼に見える予兆であり、永遠に燃えつづける火であった。その陰鬱な、不吉な輝きの、おびやかすような赤い色を見ていると、ある恐るべき真実が思い浮かんだ。何年もあとになって、私はそれを一つの奇想として、詩に表現しようとした。

 人類はいたるところで、死に果てて久しい
 天使たちはみな、どこと知れない墓に入っている
 悪魔どももまた、ついに十分冷たくなった
 そして神は、大いなる白い玉座の前に、死んで横たわる

 光は部屋の薄闇を払うだけの明るさがなかった。で、いくらかの時間が経ってから、私は部屋の一番遠い隅に、一個の寝台の輪郭を認め、何かよくないことを予感しながら、それに近づいた。私のこのいやな冒険も、ここでついにある恐ろしいクライマックスをむかえて、終わるだろうと予感したものの、私をその成就へと向かわせる呪縛には、逆らうことができなかった。寝台の上には、部分的に衣服をまとった、一人の人間の死体がのっていた。それはあおむけに横たわっていて、両腕を両脇にまっすぐ伸ばしていた。嫌悪しながらも、恐れずに、その死体の上にかがみこむと、恐ろしいほど腐敗しているのが見てとれた。革のようになった肉から、あばら骨がとび出し、くぼんだ腹部の皮膚を通して、背骨の突起が見えていた。顔は黒く縮んでいて、唇は黄ばんだ歯をむきだしにして、おぞましい笑いで毒づいていた。閉じた目蓋の下がふくれているのは、両眼が全身的腐敗を免れていることを示しているようだった。そして、それは正しかった。私が両眼の上にかがむと、それらはゆっくりと開き、落ちついた凝視で、私の両眼をのぞき返したからだ。できるものならどんなふうであれ、私の恐怖を想像してみてほしい。私のどんな言葉もそれを感じさせる足しにならない。その両眼は私自身のものだったのだ!絶滅した一種属の断片的痕跡である、時も永遠も完全には消し去れなかった、あの言語に絶する物体、あの憎むべき、いとわしい、死すべき存在の廃物、神も天使も死んだあとに、いまだ意識を保っているあのものは、私自身だった!

 くり返し見る夢がある。私自身の夢の一つ(*原注)が、この種類に属する。これは語るに価する、十分に変わった夢であると思われる。とはいえ、実のところ、私のさまよえる夜の魂にとって、眠りの領域が少しも楽しい狩猟場ではないと、読者が思いはしないか、私は懸念する。この点はそうではないのである。私の夢の国への探険の大多数は、たいていの人の場合もそうであろうと思うが、ごく心地よい結果で終わっているのである。わが夢の想像の働きは 蜜蜂が巣へ戻るように、獲物をたずさえ、身体へと戻ってくる。その獲物は、分別の助けで、蜂蜜に変えられ、記憶の貯蔵庫に蓄えられて、とわの喜びとなるのである。しかし、今私が語ろうとしている夢は、二重の性格を有している。その体験においては、異様に恐ろしいものであったが、それが引き起こした恐怖は、それの原因である一出来事と、滑稽なほどつりあわないので、思い出すと空想をくすぐられるのである。

 (*原注:私の示唆によって、故フローラ・マクドナルド・シィーラーShearerは、この夢のドラマを、彼女の詩集「オーラスの伝説The Legend of Aulus」で十四行詩に表現した。)

 木々のまばらに生えた地方の、ある開けた土地を私は通っている。不規則な空間をかこむように、あちこちに並び立つ木々の間から、耕作された畑や、異様な知性を持った存在の住む家が、かいま見られる。夜明け前であろう。満月に近い月が西空にかかっていて、風景を幻のようにまだらにしている霧をとおして、血のように赤く輝いている。足のまわりの草は、露でしとどにぬれている。あたり一面は、沈みつつある満月の異様な光に照らされた、夏の始めの頃の朝の光景である。私のゆく道の傍らに、一頭の馬がいて、音を立てて草を食んでいるのが見える。私がそばを過ぎようとすると、馬は頭をもたげ、ちょっとの間動かずに私を見つめ、それから私の方へ歩んでくる。その馬はミルクのように白く、穏やかな顔をしていて、目つきも友好的である。「この馬は性質が優しいぞ」と私は考え、立ち止まって撫でようとする。馬はその眼を私の眼に注いだまま、近づいてきて、私に人の声、人の言葉で話しかけるのだ。このことはびっくりさせるよりも、恐れの念を起こさせる。私は直ちに、この我々の世界に立ち返ってしまう。
 その馬はいつも私の母語でしゃべっているが、そのしゃべる内容は一度も分からない。思うに、その馬が心に思うことを言い終える前に、私が夢の国から消え去るのであり、その馬も、私がそれに話しかけられて恐怖するように、私が突然消えるので恐れを抱き、夢の国からたち去るのであろう。その馬が伝えようとすることの趣旨を知ることができるなら、私はそれなりの報酬を支払おう。
 たぶん、ある朝、私はそれを理解するだろう。そして、もはやこの我々の世界へは戻ってこないだろう。

(原題:Visions of The Night )



作品名:妖夢ー夜の幻影ー
作者:アムブローズ・ビアス
訳者:脩 海 copyright: shu kai 2016
入力:マリネンコ文学の城
Up : 2016.9.18