Nathaniel Hawthorne(1804-1864)

夜のスケッチ――雨傘の下から

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  夜のスケッチ
  ―雨傘の下から―


  ナサニエル・ホーソーン


 雨の降る冬の日は、室内にこもれば、とても快適だ。そうした日の最上の勉強は、または最上の娯楽はーーどちらとしてもよいがーー、窓からけぶって見える、暗い光景とは打って変わった光景を描写している、一冊の旅の本である。私の経験では、そうした場合には、著者が頁の上でくり広げている事柄に、想像力は明確な形や、鮮明な色彩を与えることに、最もうまくゆくのであり、著者の言葉は、魔法の呪文となって、無数の様々な絵図を呼び起こすのである。不思議な風景が、見慣れた部屋の壁をとおしてほの見え、異様な姿をしたものが、暖炉のまわりの聖域にまで押し入ってきそうになる。私の部屋は小さいが、アラビアの砂漠の、海洋ほどもある広がりをおさめるだけの、十分な広さがある。その乾いた砂のうえを、暑い陽射しのなかで我慢づよく歩む駱駝をつれた、隊商の長い列がとおり過ぎてゆく。私の部屋の天井は、高くはないが、その下に中央アジアの山々を、積みあげることができる。その峰々は、空の中ほどの雲のはるか上に、白くそびえている。そして税金のかからない富である、私のつつましい想像の資力によって、東洋の市場の豪華な商品を、この部屋まで運んできて、遠い国々から買い手の群を呼び寄せ、あたり一面に陳列された高価な品物を売って、相当な利益をあげることができる。とはいえ、交易のかしましさのさ中に、またはほかの何であれ、身の回りに起こっているように思われる出来事の最中に、雨粒が時折り窓ガラスを叩いているのが、聞こえることは事実である。窓の外には、ニューイングランドのある町の、一番静かな通りの一つが見えている。しばらくすると、幻もまた消え去り、いくら命じても、ふたたび現われようとはしない。そうなると、宵闇ともなったことだし、憂鬱な非現実の意識が、気分を滅入らせる。そこで時計が就寝の時を告げるまでの時間、戸外へくりだし、世の中が全部が全部、一日耽っていた影のような素材からできているわけではない、ということを確かめにゆきたくなる。夢想家という者は、あまりに長く空想の世界に住んでいると、外界の事物までもが、内界のそれと同じ、非現実なものに思えてくるのだ。
 そこで、十分に暮れた頃、私はけばだった外套のボタンを固くはめ、傘をひらいて、戸外へくりだす。傘のシルクのドームは、たちまち眼に見えない雨滴にうたれて、したたかに反響する。扉の前の段の一番下に立って、私は、放棄してきた炉端の暖かさや快適と、今飛び込もうとしている陰鬱な闇や不快な寒さとを、較べてみる。すると、雨粒と同じ数だけの、不安な予感が起こってくる。男子としてだらしない、と自らを叱咤しなかったならば、私は家の中に引き返し、スリッパーを履いて肘掛け椅子に座りなおし、本を手にとり、昼間そうしたように、怠惰な楽しみのうちに一晩をすごし、不名誉のうちに就寝したことであろう。多くの旅行家が、地球をめぐる旅に出るさだめの彼の足が、郷里の道のはずれに差しかかったときに、疑いなく、同じ身震いする躊躇を感じて、一瞬の間、冒険精神を失ったものである。
 私自身の場合は、人間的性質が乏しいので、多少の不安を感じても許されるだろう。私は空を見上げるが、空らしいものがない。無窮の空間どころか、ただ何もなく、見とおしがたい闇だけがある。あたかも、宇宙の組織から、天とそのあらゆる光が消し去られたかのようである。あたかも自然が死んでしまい、世界が喪服を着、雲が哀泣しているかのようである。その涙を頬に受けたまま、私は眼を地上に向けるが、下界においても、慰めとなるものはほとんどない。遠くの道角に、街灯がぼんやりともっている。道沿いをわずかに照らしているその明かりは、私の行くてに待つ苦難を現わしだしているが、微かなだけに、その苦難が誇張されて見える。あそこに大きな雪だまりの、薄汚れた白い残りが見える。あれは三月下旬になっても、まだ歩道をふさぐだろう。あの冬の荒野を、越すか抜けるかして、先へゆくしかないのだ。その先には、一種の<絶望の沼Slough of Despond>(*訳注)がある。泥と汚水とを調合した、くるぶしまで、脚まで、首までとも、要するに底の知れない水たまりである。その上には街灯の明かりさえ届かない。時々観察したところでは、朝から晩にかけて、だんだんとそのおぞましさが増していくのである。もしその深みにはまることがありでもしたら、地上とはさようならである。また、聞こえないか!ほえたける水の流れが、なんと荒々しく轟いていることか。その猛烈な流れは、ひとところ街灯の明かりで、赤く照らされているが、ほかは黒暗々として、音だけがかしましい。ああ、もし私が、あの猛烈な、汚水の激流をわたりそこねて、流されたならば、検死官は、泥水の中でだけは、人生の苦難を終えたくないと思っている、不幸な一紳士の検死にあたることであろう。
 
 *訳注:John Bunyan(バニヤン)のPilgrim’s Progress(天路歴程)に描かれる寓意的な沼。罪と罪悪感の象徴。

 どっこい!こんな得体の知れないおぞましいものの間近に、もう一刻もとどまっていられるものか。これらと格闘することを長くためらうほど、いっそう敵しがたく思えてくるではないか。いざ、前進だ!すると、見たまえ!顔や胸にちょっと雨を浴び、ズボンの上部に泥が跳ねかえり、左の長靴が氷のように冷たい水でいっぱいになったほかは、たいした損傷もなく、街角にたどり着いた。街灯は私のまわりに赤い光の輪を投げている。そして、先方の角ごとに、ほかの明かりが灯っているのを目にしながら、より明るい場面へと歩んでいく。しかし、ここは寂しく陰鬱な通りだ。ブラインドがすべて閉ざされた、背高い建物どもは、むっつりと荒天にいどんでいる。ちょうど人が雨風を顔に受けて、まばたきをしているかのようだ。集まった雨水が、なんと騒々しく、ブリキの樋から落ちていることだろう。風の吹く音もさわがしく、四方八方からいっせいに襲ってくるかのようだ。私がしばしば観察したところでは、この場所は、海の上で船を襲ってわれらの鉄壁の岸辺に打ちつけたり、森の中で、山のような土をつけた厖大な根もろともに、大木を打ち倒すようなしわざをするたぐいとはちがった風の、ぶらついたり、たむろする所であった。ここでは風どもは、ささやかな気まぐれのいたずらで、楽しんでいる。ちょうど今、街灯の明かりの端を通っている、あの気のどくな婦人を、風どもが襲っているではないか。ひとつの突風が、彼女の傘を奪おうとして、逆さむきにしてしまった。べつの風が、彼女の外套のフードを目の上にかぶせてしまう。他方、三つ目の風がやってきて、彼女の衣服の下のほうで、ふらちな振る舞いに及んでいる。幸いなことに、このご婦人は、くもの糸のようにか弱くはない。丸々とした、肉づきのよい女性だ。さもなければ、これらの空中の虐待者どもは、彼女を箒にのった魔女のように、軽々と宙にさらって、この辺にある最も汚い下水溝に下ろしたであろうことは疑いない。
 ここから先は、堅固な舗装路をあゆんで、町の中心部にはいる。ここでは、戦場か選挙かで、何か大勝利がかちとられでもしたかと思わせる、華やかな明るさがある。二列の店の並びが、地面にまで届くくらいの窓から、両側に光を投げ合っている。その一方で、頭上には、漆黒の夜が天蓋のように広がり、その光輝を封じこめている。濡れた歩道は、一面に赤い光で照らされている。雨粒は、空からルビーが降りでもするように、きらめいている。樋からは、火のような水が吹き出ている。私にはその光景は、人間たちが精神界をあゆみながらまき散らす、欺瞞の輝きの象徴のように思われる。このようにみずから眩惑されながら、彼らをとりまいている見通しがたい闇を忘れている。その闇を晴らすには、天からの光をもってするほかはないのだが。結局のところ、それはうらわびしい光景であり、その中をさまよう人々もうらわびしい。ちょうどそこにやって来た人は、長年荒天に慣れ親しんできたので、嵐が吹こうが、「きょうだい、元気かい」と、親しい挨拶をかけられでもしているようだ。彼は引退した船長である。ダブルの厚い船員服に似た得体の知れない服に身をつつみ、ちょうど海上保険会社へ向かっている。そこで彼のような老船乗りの仲間たちと、嵐や難船やの昔語りにふけるのである。突風が彼らのしわがれた声に口をさしはさむが、その言葉をみなが理解するであろう。つぎには、だらしのないなりの不幸な紳士にであう。外套をあわただしく肩にまとい、騒々しい風と競いながら、雨粒の間をすり抜けようとしている。なにか家庭の緊急事でもが、このみじめな男を暖かい炉端からせきたて、医者を探させている。おや、あの浮浪児はどうだ。ちょうど雨樋の下でも気にもせずに、店の窓の珍奇な品を見つめている。たしかに雨が彼の生まれながらの領分だ。彼は雨とともに雲から落ちてきたにちがいない。蛙がそう思われているように。
 絵になる光景が現われた。しかもすてきな絵が。若い男と娘が、どちらも外套に身をくるんで、木綿の傘一本のわずかな保護のもとに、身を寄せ合っている。彼女はゴム製の上靴をはいているが、彼の方は舞踏靴である。彼らはまちがいなく、正式の舞踏会か、ひとり頭一ドル、飲み物つきの、予約制の舞踏会に出かけるところだ。それだから、お祭りの華々しさの期待に誘い出されて、陰鬱な嵐にあらがっているのである。ところが、あれまあ、はなはだ嘆かわしい災難が!薬屋の窓の赤、青、黄色の光のまばゆさに目をくらまされて、彼らは解け残ったすべりやすい氷に足をとられてしまった。そして四つ角にある洪水のたまりに、まっさかさまに落ちこんでしまった。不運な恋人たちよ。人生における傍観者であることが、私の性分でなかったならば、君たちの救援をこころみもしたであろうに。そうもゆかなかろうから、私は誓う。君たちが溺れ死んだならば、君たちの運命について悲愴な物語をつづり、たっぷりと涙を誘って、君たち二人をあらたに溺れさせよう。君たち、若き友よ、足が届いたのかい。なるほど、彼らは水の精と川の神のように現われ、どす黒い水溜りの底から手に手をとってあゆみでる。彼らは水をしたたらせ、気落ちして、恥ずかしげに、しかし冷たい水にも冷えることのない愛情にぬくもりながら、家へと急ぎ帰る。彼らは多くの者にとってあまりに厳しすぎる試練に耐えたのだ。全身どっぷりと苦難に投げこまれながらも、誠実でありつづけるという試練に。
 私は先へとあゆむ。私の姿が明かりの灯った窓から光を受けたり、あるいは間の暗がりによって黒ずんだりするように、人の世の出来事のさまざまな面から、心をうつ喜びや悲しみをくみとる。私の精神がそれ自身の色彩をもたない、カメレオンのようなものだと言うのではない。いま私は比較的奥まった通りへはいっていく。そこは富んだ家と貧しい家とが入りまじって、一連のきわだって対照的な光景を呈している。ここにもまた、黄金の中庸が見いだされるであろう。むこうの窓を通して、家族の一団が、祖母と、両親と、子供たちが、薪の燃える明かりの中で、全員が影のように揺らいでいるのが見てとれる。猛烈な風よ吹くがよい、冬の雨よ、窓ガラスを打つがよい。なんじらはあの炉端の楽しみを損なうことはできまい。たしかに、ここに家もなくさすらい、妻子のかわりに、夜と嵐と孤独とをいだいている私の定めは厳しい。静まれ、不平家よ。暖かい炎が幸せの像のほかは隠しとおしても、暖炉のまわりには疑いなく、より陰鬱な客たちが座っているのだ。おや、ここにはさらに明るい光景がある。りっぱな邸宅で、舞踏会をもよおすため、各部屋はカットグラスのシャンデリアーと雪花石膏のランプとで照明され、いたるところの壁には明るい風景画がかけられている。するとそこへ、馬車が止まって、細身の美女が現われる。二本の傘でおおわれて、玄関にしずしずと入り、軽快な音楽のなるなかへ消えてゆく。彼女はそもそも、夜風と雨とに気づくことがあろうか。たぶん、あるだろう。そして、死と悲しみは、そもそもあの誇り高い豪邸に入ることがあるだろうか。それは今宵その広間で踊り手たちが陽気になるのと同じほど、確かなことである。そうした思いは私の心に悲哀を覚えさせるが、満足をあたえもする。このみすぼらしいあばら家に住んで、元気づく暖炉もない貧者も、富者を彼の兄弟と呼ぶことができることを、その思いは教えるからである。どちらの家庭にも住まっているにちがいない悲しみによって、またどちらをも別の家へと導いてゆくであろう死によって、兄弟と呼ぶことができるのだ。
 先へ、さらに先へと、私は夜の中にあゆみいる。いまや私は町の一番のはずれにたどりついた。そこでは最後の灯火が闇とよわよわしく闘っている。あたかも天地の創造されない宇宙空間の境に立って、見張りをする、最遠の星のようである。ごく卑近な源から、おおいなる崇高の感情が生じることがあるのは、不思議である。ここでの地下に落ちる滝が、うつろに鳴る響きによって、そうした感情がかもしだされるのである。ここでは下水溝の滔々とした流れが、鉄の格子の下にまっしぐらに落ちこみ、もはや地上からは見えなくなる。その神秘の声にしばらく耳を傾けてみるとよい。すると空想によってびっくりするほど拡大され、その錯覚に微笑を誘われるであろう。今度はべつの音が、車輪の回る音がおこる。郵便馬車が町の外へ向けて、舗装路から重々しくころがりでて、道の泥水をはね飛ばしていくのだ。あわれな乗客たちは、一晩中眠たげに起きていたり、とぎれがちに眠ったりをくりかえしながら、わが家の安らかなベッドを夢見ては、気がつくと相変わらず馬車に揺られていることになるであろう。わが運命はもっとましだ。まっすぐとわが住み慣れた部屋へもどり、暖炉にあたって心地よく体を温め、思いにふけったり、ときどき居眠りをしたり、だれもが眼にするような光景に不思議なものを空想していたりするだろう。しかしその前に、こちらへやってくるこの孤独な人物を眺めてみよう。彼はブリキのランタンを携えていて、回りの地面に打ち抜かれた穴の円形模様がを映しだされている。彼は恐れることなく未知の闇の中へ進んでいく。私には、彼のあとについて、そちらへ進む気にはなれない。
 この人物が私にひとつの教訓をもたらしてくれよう。ほかにもっと適切な教訓がないので、それでもって私のスケッチを終えることができよう。彼は彼の前のうら寂しい道を歩むことを恐れない。なぜなら、彼の家の炉端でともされた彼のランタンは、同じ炉端へともどる道を照らしてくれよう。このようにして、憂世の嵐をついて闇夜をさまよう身である我々は、天の火でともされた信仰のランプを携えるならば、それは必ずやその輝きがそこから借りてこられた天国へと、我々を導いてつれもどすであろう。


(原題:Night Sketches ーBeneath An Umbrellaー )



作品名:夜のスケッチ――雨傘の下から
作者:ナサニエル・ホーソーン
訳者:脩 海 copyright: shu kai 2016
入力:マリネンコ文学の城
Up: 2016.12.6