Richard von Volkmann=Leander (1830-1889)


泉になった墓・小鳥

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リヒャルト・フォン・フォルクマン=レアンダーの童話集から、特に大人が読んでも意味深い二篇を選んでみました。童話の書き手は大人ですから、子供には読みとれない部分があっても当然です。それ故に、大人も童話を愛好するのです。実は、子供になったつもりの大人が書いたものは、子供にはたいして面白くないかもしれません。宮沢賢治などもその例にもれませんが、この二篇も、たぶん表面的にはどうあれ、子供むきではないかもしれません。大人のようには、身につまされることがないからです。ともあれ、名品を味わってください。(訳者)


 泉になった墓

 フォルクマン=レアンダー作

 わたしが今日お話ししようとする墓地は、緑の山の中ほどの高みにあって、そこで二人の小さな子供が遊んでいました。その墓地の所属する小さな村は、これまた、木の茂った谷の上の方の、高いところにあって、下の方の青い川を船でゆくと、よく雲に隠されていたものでした。墓地の方は村よりも、さらに高いところにあって、そこにたくさんある黒い十字架は、まるで青空に突きささるかのようでした。村人にとって、死者を村から墓地へ運ぶのは、かなり骨の折れる仕事でした。墓地のある緑の草地まで登る道は険しく、石だらけでしたから。しかし、彼らは好んで、そこに埋葬をおこないました。というのは、山に住む者は、谷間では居ごこちの悪さを覚えるのです。谷間にいると、わたしらが地下室に下りたときに感じるように、息苦しく、不安な気持になるのです。彼らが死んだときには、なおさらのことです。山の上の高いところに、彼らは埋葬されねばなりません。そこから、彼らは遥かに大地を見わたすことができ、船の通る谷間を見おろすことができるからです。
 その墓地の片隅に、一基の見捨てられた墓がありました。その墓の上には草ばかりが茂って、その草の中に隠れるようにして、だれが植えたのでもない、白や青の小さな野の花が、ひとつふたつ咲いていました。というのも、墓の中には一人の年老いた独身者が葬られていて、彼には妻や子がないばかりか、彼のことを気づかってくれる人を、だれ一人あとに残さなかったからです。彼は異国からやって来たのですが、どこの国からかは、だれも知りませんでした。彼は毎朝、山の頂に登って、何時間もそこに座っていたものでした。やがて彼は死にましたので、村人は彼を埋葬しました。名前があったことはたしかですが、どういう名であったか、やはりだれも、墓掘り人でさえ、知りませんでした。教会の過去帳には、ただ三つの十字と、そのあとに、「異国の老独身者、しかじかの年齢で死去、キリスト紀元しかじかの年」とだけありました。
 たしかに、この墓について知られていることは、ほんのわずかでした。しかし、今わたしがお話ししようとしている、墓掘り人の二人の小さな子供たちは、墓地の片隅にあるこの見捨てられた墓が、ことのほか気に入っていました。この墓の上でなら、思うぞんぶん遊んだり、走り回ったりしてよいことになっていて、ほかの墓は手をふれてもいけなかったのです。ほかの墓は、どれも注意深く手入れされていました。草はま新しく刈り込まれて、ビロードのように見えましたし、墓の上にはいろいろな花が咲いていました。墓掘り人は骨を折って、村の井戸から水を運び上げねばなりませんでしたが、毎日とても念入りに水やりをしていたのです。また、多くの墓の上には、花環や色とりどりのリボンが置かれていました。
 「トリーネちゃん(トリーンヒェン)」と、見捨てられた墓の前にひざをついていた、小さな男の子は言いました。彼は小さな手で墓の側面にうがった穴を、満足げに見つめながら言いました。「トリーネちゃん、ぼくたちの家ができたよ。いろんな色の石でゆかをつくって、その上に花びらをまいておいたよ。ぼくが父さんで、あんたが母さんだよ。お早う、母さん、子供たちはどうしてるね」
 「ハンス」と、小さな女の子は答えました。「あんたはせっかちなのよ。あたしまだ、子供を生んでないの。でも、すぐに何人かできるでしょうよ」 そして、彼女は墓や藪のあいだを走り回り、両手にいっぱいのカタツムリをのせて、もどってきました。
 「ほうら、お父さん、もう七人の子供が生まれたわ。七人のとてもきれいなカタツムリの子よ」
 「それじゃあ、子供たちをすぐに、ベッドに寝かせようよ。もうおそい時間だから」
 二人は緑の葉っぱをもいで、穴の中にしき、その上に色とりどりのカタツムリを置きました。そして、さらに一つ一つを、緑の葉でおおいました。
 「ちょっと、静かにしていて、ハンスちゃん(ヘンスヒェン)」と、小さな女の子は声をあげました。「子供たちに、歌を歌って聞かせなくては。それは、あたしが一人でしなくっちゃ。お父さんは、いっしょに歌わないものよ。あなたは、まだお仕事をしていてちょうだい」
 そこでハンス坊やは走りさり、トリーネ嬢はとてもすてきな声で歌いました。

  みんなそろってお眠りなさい
  わたしの七人の子供たち
  やわらかなベッドのなかで
  やすらかにぐっすりお眠り
  いけませんよふとんのしたから
  あんよをだしたりする子は

 ところが、一枚の葉が動きだし、その下からカタツムリのひとつが、細いつののある頭をのぞかせました。そこで、小さな女の子は、指さきで頭を軽くたたいて言いました。――「お待ち、グステル、あんたはいつも、いちばんお行儀が悪いのね。今朝も、頭にくしを入れさせなかったし。すぐにベッドにもどりなさい!」 そして、彼女はもう一度歌いました。

  やすらかにぐっすりお眠り
  いけませんよふとんのしたから
  あんよをだしたりする子は

  みんなが眠りについたなら
  天使がお部屋に飛んできて
  七人の子を見てこう言うよ
  おまえさんの子はみんな白くて健康だ
  神さまからのお言葉があるよ
  子供たちは信心ぶかいかねと

  あたしの子はみな信心ぶかくてございます
  みな天国にはいることを楽しみにしています
  ミルクとパンをどうもありがとう
  神さまによろしくどうぞおつたえを
  ふとんからあんよをだしたりする子は
  もう一人もいませんとね

 彼女が歌いおわると、七つのカタツムリは、みな本当に眠りこんでしまいました。すくなくとも、まったく動かなくなってしまいました。そしてハンスちゃんがまだ戻ってこないので、小さな女の子はもう一度墓地の中を走りまわり、新しいカタツムリを探しました。彼女はエプロンにたっぷり集めると、墓のところへ戻りました。そこにハンスちゃんが座って、待っていました。
 「お父さん」と彼女は呼びかけました。「あたし、もう百人子供ができたわ」
 「いいかい、母さん」と小さな男の子は答えました。「百人の子供なんて、多すぎるよ。わたしらにはままごとの皿一つと、ままごとのフォーク二つしかないのに、子供たちは、どうやって食べたらいいんだい。それに、百人の子を持つ母親なんて、いやしないよ。百も名前なんてないしさ。洗礼のとき、子供たちにどうやって名をつけたらいいんだい。みんなもとに返しておいで!」
 「いやよ、ハンスちゃん」と小さな女の子は答えました。「百人の子供たち、とてもかわいいの。みんなあたしに必要なのよ」――
 そうこうするうちに、墓掘人の若い妻が、二きれの大きなバターつきパンを持って、やってきました。ちょうど夕方をつげる鐘が鳴ったのです。彼女は二人の子供にキスして、抱きあげ、墓の上に座らせてから言いました。「あなたたち、新しいエプロンを汚さないようにするのよ」――ふたりは二羽の雀のように静かに座って、パンを食べました。
 ところで、年老いた独り者は、そのさびしい墓の中で、すべてを聞きとっていました。というのは、死んだ人も、その墓で人が話すことは、なんでもとてもこまかく聞いているのです。彼はまだ自分が小さな男の子であったころのことを、思いだしていました。そのころ彼も、一人の小さな女の子を知っていて、いっしょに遊んだものでした。二人はままごとの家を作り、夫婦ごっこをしました。彼はまた、時がたって、その小さな女の子が大きくなってから、もう一度出会ったことを思いだしました。それからあとは、彼女に関することは、いっさい耳にすることがありませんでした。というのは、彼は自分一人の道をあゆんだからです。その道はたぶん、そうたやすいものではなかったのでしょう。なぜなら、そのことについて考えれば考えるほど、また彼の墓の上で、子供たちがおしゃべりをすればするほど、彼はいよいよ悲しくなってきたからです。彼は泣きはじめました。どんどん泣きつのりました。そして墓掘人の妻が、子供たちを彼の墓の上に座らせ、子供たちがちょうど彼の胸の上に座ったとき、彼はなおいっそう泣きつのりました。彼は両腕を差しのべようとしました。子供たちを、胸に抱きしめずにはいられない気持がしたからです。しかし、そうはゆきませんでした。彼の上には六フィート[約2メートル]の厚さの土がのっていました。六フィートの土というのは、とても、とても重いのです。そこで彼は、ますます泣きじゃくりました。そして、墓掘人の妻がとっくに子供たちを連れかえって、ベッドに寝かしつけたときにも、彼はあい変わらず泣いていました。
 さて、翌朝のこと、墓掘人が墓地を歩いていると、あの古い見捨てられた墓から、泉がわきでているのでした。それは年老いた独り者が流した涙でした。その泉は墓の盛り土から、きらきらと流れ出ていて、しかもちょうど二人の子供たちが掘って、小さな家とした穴から発しているのでした。そこで墓掘人は喜びました。もう花にそそぐための水を、村から険しい道を登って、運ばなくてすむからです。彼はその泉にきちんとした溝をつけ、大きな石で囲いを作りました。今からは、新しい泉の水で、墓地の中のすべての墓に水をまきましたので、墓の上の花たちは、これまで以上に美しく咲きました。ただ、年老いた独り者のねむる墓だけは、彼は水をまきませんでした。それは誰もたずねてくるもののない、古い、見捨てられた墓だからです。それにもかかわらず、その墓の上には、ほかのどの場所よりもたくさん、山野の花が咲きました。そして二人の子供たちは、たびたび泉のそばに座って、水車を作ったり、小さな紙の舟を浮かべたりしました。

(原題:Eine Kindergeschichte )



 小鳥

 フォルクマン=レアンダー作

 ある夫婦が、一軒のこじんまりした、きれいな家に住んでいました。二人の充実した幸福にとって、何ひとつ不足するものはありませんでした。家の裏手には、年ふりた美しい樹々の立つ庭がありました。その庭で、妻はごくめずらしい植物や、花を育てていました。ある日のこと、庭の散歩に出た夫は、花々がはなつすてきな香りを楽しんでいると、こんな思いがわきました。――われながら、なんて仕合わせ者なのだろう、とても善良で、かわいらしくて、気のきいた妻をめとったのだから。彼が心の中でそんな思いをめぐらせたとき、彼の足もとで何か動くものがありました。
 かなりの近眼であった夫が、かがんでよく見ると、小さな鳥でした。たぶん巣から落ちたのでしょう、まだ飛ぶことができないのでした。
 彼は小鳥を拾いあげ、しげしげと見てから、それを妻に見せにもってゆきました。
 「いとしい妻よ」と彼は呼びかけました。「一羽のひな鳥を捕まえたよ。きっと夜鳴き鶯[*訳注]になるだろうよ」
 「そんなばかな」と、 妻は小鳥に目もくれないで言いました。「鶯のヒナが、どうしてうちの庭に来るもんですか。親鳥の巣なんて、庭のどこにもありませんよ」
 「ぜったい間違いないんだよ、これは鶯なんだ。ところで、ぼくは一度、庭で鶯が鳴くのを聞いているんだ。このひな鳥が大きくなって、鳴きはじめたら、それはすばらしいだろうな。ぼくは鶯の鳴き声が大好きなんだ」
 「でも、そんなのではありませんよ」と、あいかわらず顔をあげずに、妻はくり返しました。というのは、彼女はちょうど靴下編みをしていて、編み目をひとつ落としてしまったからです。
 「いや、いや、まちがいない」夫は言いました。「今見て、はっきりとそう分かるよ」 そう言って、夫はヒナ鳥を鼻のすぐ近くによせました。そこで、妻も近くへよってきましたが、大笑いをして、声を張りあげました。
 「あなた、ただの雀じゃないの」
 「妻よ」と、夫はもうかなり腹を立てて答えました。「なんてことを考えるんだ。このぼくがだね、世の中でいちばん平凡なものと、夜鳴き鶯とをとりちがえるなんて。君は自然学などは、これっぽっちも知りはしないくせに。ぼくは、子供のころに、蝶の標本や、かぶと虫の標本を持っていたんだぜ」
 「でも、あなた、聞いてちょうだい、鶯ってこんなに広いくちばしと、こんなに大きな頭をしているかしら」
 「もちろんだとも、鶯はそうなんだ。これは鶯だとも」
 「でも、言わせてもらうけれど、ぜんぜん違うわ。だって、ピヨピヨ鳴いてるじゃないの」
 「鶯のヒナだって、ピヨピヨ鳴くんだよ」
 そんなやりとりをしているうちに、とうとう二人の口げんかは、本物のけんかになってしまいました。しまいに夫は、腹立たしげに部屋を出てゆき、小さな鳥かごを持ってきました。
 「その気持ちのわるい鳥を、この部屋に置かないでちょうだい」と、妻は夫がまだ扉口に立っているうちに、彼に向かって叫びました。「私は飼いたくないの」
 「この家の主人が、ぼくでないというのかい」と夫は答え、小鳥を籠の中に入れ、蟻の卵を人にとってこさせ、食べさせました。ひな鳥はおいしそうに食べました。
 そして夕食時には、夫と妻はそれぞれテーブルのはしに座って、ひと言も言葉をかわしませんでした。
 あくる朝、妻はまだずいぶんと早い時間に、夫のベッドのそばに来て、まじめな顔で言いました。――「あなた、昨日は、ずいぶんと物わかりがわるくいらして、私にとてもひどくおあたりでしたわね。私は今、もう一度あのひな鳥を、よく見てまいりました。あれはまちがいなく雀の子です。お願いですから、あの鳥を捨てさせてください」
 「ぼくの鶯に手をふれるな!」夫は怒りくるって叫びました。そして妻の方を見ようともしませんでした。
 こんなふうにして、二週間が過ぎました。そのこじんまりした家からは、幸福と平和が永遠に消え去ったかのようでした。夫はぶつぶつと不平を言い、妻は、不平を言っていないときは、泣いていました。ひな鳥だけは、蟻の卵を食べて、どんどん成長してゆきました。翼も目にみえて伸び、まもなく飛びたとうとしているかのようでした。ひな鳥は、籠の中をピョンピョン跳ねまわったり、籠の底の砂に座って、頭を羽の間に差しいれたり、身をふるわせて、羽をふくらませたりしました。そして、ピヨピヨと鳴きたてるようすは、まぎれもなく雀の子でした。小鳥がピヨピヨと鳴くたびに、妻には、胸の中を針でつかれるような思いがしました。
 ある日のことです。夫は外出していて、妻は部屋の中にひとり座り、泣いていました。思いかえせば、これまで何と幸福に、夫と暮らしていたことでしょう。朝から晩まで、何と満ち足りてすごしたことでしょう。そして夫は、どんなに彼女を愛してくれたことでしょう。それなのに、今は、あのいまわしい鳥が、家に入ってからというもの、なにもかもが終わってしまいました。
 ふいに彼女は、すばやい決断をした人のように、立ちあがりました。そして籠から鳥をつかみだすと、窓のところへ行って、庭へ跳びださせました。
 そのすぐあとに、夫が戻りました。
 「あなた」と妻は言いましたが、夫と目を合わせることができませんでした。「災難が起こったの。ひな鳥を、猫が食べてしまったの」
 「猫が食べたって?」夫は驚愕のあまり、身をこわばらせて、反復しました。「猫が食べたって?うそだ!きみは鶯をわざと逃がしたんだ。君がそんなことをするなんて、思ってもみなかった。君は悪妻だ。ぼくたち夫婦の仲は、永遠に終わったよ!」そう言いつつ、彼の顔はすっかり蒼ざめてゆき、目には涙が浮かんでいました。
 妻はその様子を見て、はっとしました。あの鳥を逃がすなんて、とてつもない悪いことをしたことに、気づいたのです。そして彼女は、声をあげて泣きながら、庭に走ってゆき、まだそこに見つけて、とらえることができはしないかと、見まわしました。はたして、道の真ん中に、ひな鳥は跳ねたり、羽ばたいたりしていました。まだ十分に飛べなかったのです。
 そこで妻は、ひな鳥を捕らえようとして、走りよりました。しかし、ひな鳥はすばやく花壇に逃げ、花壇から藪に逃げ、藪から藪へと逃げました。妻はそのあとを必死の思いで追いかけました。彼女は花壇やその花を踏みにじってしまいましたが、まったく気にも留めませんでした。その小鳥を追って、三十分も庭をかけまわったのです。やっとのこと、彼女は小鳥をすばやくとらえました。顔を真っ赤にして、乱れきった髪のまま、彼女は部屋に戻ってきました。彼女の両眼は喜びで輝いていました。心臓は激しく打っていました。
 「大切なあなた」と彼女は言いました。「鶯をもう一度つかまえましたわ。もう怒らないでね。ほんとに私がわるかったの」
 すると夫ははじめて、もういちどやさしい眼(まなこ)で、妻を見つめました。妻を見つめていると、夫は、この瞬間ほど彼女が美しく見えたことはないように、思われました。彼は彼女の手から小鳥を受けとり、それを鼻のすぐそばに近づけ、あちこちをしげしげと見てから、頭を横にふって言いました。
 「ねえ君、君の言うとおりだったよ。今やっと分かったよ。これはどう見ても、ただの雀だね。こんなひどいまちがいをするなんて、不思議だけれど」
 「ねえ、あなた」と、妻は答えました。「私に気をつかって、そうおっしゃるんでしょう。今日見てみると、この鳥はほんとうに、鶯のように見えてくるのよ」
 「ちがうよ、ちがう」と、夫はその鳥をもういちどよく見て、大笑いしながら、妻の言葉をさえぎりました。「これはまったくありきたりの、――雀のヒナさ」 それから彼は、妻に心のこもったキスをし、言葉をつづけました。「この鳥を、また庭にもどしておいで。ぼくたちを二週間ものあいだ、不幸にしてしまった、馬鹿げた雀を、飛びたたせておやり」
 「だめよ」と妻は答えました。「それは残酷だわ。この鳥はまだ、羽が生えそろっていないの。ほんとうに猫が捕らえてしまうかもしれないわ。もう二、三日、飼ってあげましょうよ。翼がもっと伸びるまで。そしたら、その時飛びたたせましょうよ」
 このお話の教訓はこうです。――ある人が雀をつかまえて、それが夜鳴き鶯であると思いこんだら、決してそのことを彼に告げてはいけない。さもないと、それを悪意に取るであろうから。それに、いずれは彼も、みずからまちがいに気づくであろうから。

[*訳注:Nachtigall =夜鳴き鶯(よなきうぐいす)、小夜鳴き鳥(さよなきどり)、ナイチンゲール。スズメ目ヒタキ科に属する鳥で、日本の鶯(スズメ目ウグイス科)とは違う。上部の羽毛は褐色で雀に似ている。]

(原題:Der Kleine Vogel)



作品名:泉になった墓・小鳥
作者:リヒャルト・フォン・フォルクマン=レアンダー
訳者:脩 海 copyright:shu kai 2016
入力:マリネンコ文学の城
Up : 2016.12.19