Jonas Lie (ヨナス・リー 1833-1908)
海魔
ノルウェーの作家。幼少年期を北部ノルウェーの北極圏で過ごす。その体験は、後にThe
Visionary or Pictures of Nordland (英訳名:「見霊者あるいはヌールラン県の面影」1870)として著される。海軍学校に入ったが、視力の障害で断念し、クリスチャニア(オスロ)大学に入学し、法学を学ぶ。卒業後は弁護士よりも、ジャーナリズムに引かれ、作家となる。日本では、イプセン、ビエルンソン、キーランドほど知られてはいないが、彼らと肩を並べる19世紀のノルウェーの作家とされる。 * * * ここにとりあげた「海魔」は、前掲の書の中の一挿話である。スカンジナビアの荒涼とした自然の中に生きる者たちの、アニミスティックな伝承もしくは世界観が、淡々とした語り口で物語られている。自然の暴威こそが妖怪なのであり、その非情な運命との闘いを、彼らは魔との闘いとして考えざるを得ないのである。 (なおこの翻訳は、ドイツ語訳および英語訳をもとにした重訳であることを、お断りしておきます。) |
海魔 ヨナス・リー 作 ヘルゲランド[ノルウエー北部の一地方]のしもてのクヴァルホルムに、エリアスという名のある貧しい漁師が、妻のカレンとともに暮らしていた。彼女は以前は、アルスタドハウグにいる牧師のもとで働いていたが、今は二人で小さな家に住み、夫は日々の糧のために、ロフォーテン諸島で漁業に雇われていた。 荒涼としたクヴァルホルムは、とても気味のわるいところだった。夫が出かけているあいだに、しばしば妻は、何かよくないことでも起こっているような、不気味な騒音や叫びを聞いた。ある日には、彼女が高台で羊の冬の餌を刈っていると、山の下の浜辺で話し声がはっきりと聞こえさえしたが、その時も、彼女はだれなのか確かめてみるだけの勇気が出せなかった。 夫婦はともに勤勉な働き者であり、毎年一人ずつの子供が生まれた。七年後には、その小さな家には、六人の子供が夫婦とともに暮らしていた。その頃になると、エリアスは六本の櫂でこぐボートが買えるだけの金を蓄えていた。エリアスは自前のボートで、独立した漁業をいとなもうと思った。 ある日のこと、彼はヒラメ取りのモリを手にして浜辺を歩きながら、自前のボートについて考えていると、岩の突きでた後ろで思いがけず、巨大なアザラシにでくわした。日を浴びていたアザラシは、エリアスにおとらずびっくりしたが、エリアスの方が先に気を落ちつけ、とっさに獣の背中の首の下あたりに、長くて重いモリを突きたてた。 しとめたと思ったときに、アザラシは突然に尾部でもって高だかと身を起こし、船のマストのようにのびあがり、血走った両眼で彼を見つめ、歯をむき出してにやついた。その様子が、あまりに敵意にみちて、邪悪であったので、エリアスはほとんど気絶しそうになった。それからアザラシは海に走りこみ、血で赤く染まった泡が海面にのこされた。その場はそれだけで終わったが、午後になって、先端のへし折られたモリの柄が、ちょうど漁師の家のたっている小川沿いの、船着き場にうちあげられていた。エリアスはしかし、その出来事を忘れてしまった。夏になって、彼はボート小屋を建てはじめ、秋にはついに六本の櫂でこぐボートを手にいれた。 さて、ある晩のこと、いつものように床についても眠らずに、新しい六本の櫂でこぐボートについて考えているうちに、ボートをよりよく保管するために、両側に小さな支えをつけておくべきではないかと思いついた。彼は自分のボートがとても自慢だったので、真夜中に起きだして、ランタンを手にとり、ボートを点検することを面倒とも思わなかった。そして小屋の中に立って、ボートを照らしたとき、網をかける鉤(かぎ)の上のすみに、突然一つの顔が現われた。それはあのアザラシのにやついた顔にそっくりだった。その顔はいっ時、彼とランタンを憎々しげに歯をむいてあざ笑っていたが、やがてその開いた口がどんどん大きくなり、とうとう大男が現われ、納屋の扉から飛びだしていった。エリアスはその男の背中に鉄のモリが突き立っているのを見たとき、ことの理由がのみこめてきた。しかし今のところ、自身の命よりも、ボートの方が心配だった。彼はランタンを持ってボートに乗りこみ、見張りをつづけた。翌朝、妻が納屋に来てみると、彼はボートのなかで眠りこんでいて、そばには燃えつきたランタンがあった。 一月のある朝のこと、二人の男と彼のボートで漁に出たときに、川口の岩礁の近くの暗がりから、あざける声が呼ばわった。――「大きなボートを手に入れたなら、エリアスよ、その時は気をつけるがよい!」 しかし、エリアスが大きなボートを手に入れるまでには、長い歳月が過ぎた。彼の長男のベルントは、すでに十七歳になっていた。ある秋の日のこと、彼は家族をともなって、ボートでラーネンに向かった。六本の櫂でこぐボートを、十本の櫂の大きなボートと交換するためであった。数年前にエリアスが雇った、堅信礼を受けたばかりのラップ人の少女が、一人家に残った。 ラーネンでは、目あてのボートを手に入れることができた。小さめの大型ボートであった。土地のボート造りの一番の職人が、この秋にちょうど仕上げて、タールを塗ったところであった。エリアスは、ボートがどんなものでなければならないかを、熟知していたので、喫水線から下が、このボートほど上手に造られているものを、これまで見たことがないように思った。上部は、たしかに――少なくとも経験の浅いものにとっては――少々ぶかっこうに見え、格別美しいわけではなかったが。船大工はそうした点で、すべてエリアスと同じ見方だった。「言わせてもらうが」と彼は言った。「このボートは、これまでラーネンで作られたもののなかで、一番速い帆船になるだろうよ。一つ約束するならば、このボートをエリアスさんに安く譲ってあげてもよい。それはだな、決してボートの改造をしてはならんこと、タールを塗った板に、線一本引いてもならんということだ。」エリアスがこの約束をして、やっと彼はそのボートを自分のものにできた。 エリアスがもちろん知らずにいたことがある。それは、あるよそ者が、その大型ボートを造るにあたって、船大工に喫水線から下の造り方を教えたのである。船大工は、喫水線から上は、なんとか自力で作らねばならなかった。前もって、エリアスがそれを買えるように、安く売ることを勧めたのも、このよそ者であった。同時に彼は、ボートに印をつけてはならないという条件を定めるよう、船大工に命じたのである。こんなふうにして、よそ者は、昔からの船乗りの風習である、船首と船尾の板に十字を記す、ということが出来なくさせたのである。 さて、エリアスは新しいボートに乗って家に帰る前に、市場へよって、自分と家族のためにクリスマスの食料を買い入れた。なかでも、土瓶にいれたブランデーを買った。上乗の買い物にほくほくしていたエリアスは、妻もろともに、飲みすごしてしまった。ベルントもまたブランデーに口をつけていた。それから、彼らは新しいボートで帰路についた。エリアスと家族と、クリスマスの備えの食料のほかには、底荷はなかった。ベルントは船首に座った。妻は二番目の息子とともに、帆の綱をにぎった。エリアスは舵のそばに座った。そして二人の年下の、十二歳と十四歳の息子たちは、交代で水の掻いだしにあたることになっていた。前途の航程はたっぷり八海里[ノルウェーの一海里は約7.1キロメートル]あった。いよいよ海に乗りだしてみると、ボートは処女航海の試練を受けねばならないことが分かった。風は徐々に嵐へと強まってゆき、大波の泡だつ波頭がくずれだしていた。 エリアスは今、どんな船を彼が所有したかを知った。ボートは海鳥のように波の間をすりぬけ、一滴の水もかぶることがなかった。通常の大型ボートならば、どれもこのような荒天では必要となったであろう、全面的に縮帆するまでもないことに、エリアスは気づいた。しばらくして、彼は海上ほど遠くないところに、いっぱいの人を乗せて同じだけ縮帆した、一艘の大型ボートを認めた。それは同じ方向に向かっていた。エリアスは、それまでその船に気づかずにいたことが不思議だった。そのべつのボートは、彼のボートと帆走を競い合っているかのように思われた。そのことに気づくと、彼はふたたび帆を広げずにはいられなかった。ボートは矢のような速さで、岬や、島や、岩礁を通りすぎていった。思えばエリアスは、こんなにもすばらしい帆走をしたことは、これまでに一度もなかった。彼のボートが、ラーネンで一番であることが、いまや明らかになったのだ。 波浪はいよいよ高まっていった。まもなく巨大な激浪が、ボートの上におし寄せるまでになった。大波はベルントの座っている舳(へさき)からなだれこみ、艫(とも)まで流れていった。 暗くなる頃には、もう一艘のボートは相当に近寄ってきたので、乗船者のあいだでひしゃくを投げ合うこともできそうなくらいであった。夜にかけて、いよいよ嵐の度の高まっていく海上を、二艘のボートはあい並んで航行していった。本来ならば、再度とっくに縮帆していなければならなかったのだが、エリアスはこの競い合いで、負けを認めるつもりはなかった。彼はできるだけ長く縮帆をおくらせたいと思った。少なくとも、相手のボートが、同じだけの必要にせまられて、縮帆をするまでは待とうと思った。 ブランデーの土瓶がボートの中を、頻繁に往来した。寒さだけでなく、体が濡れることに耐えねばならなかったからだ。ボートのわきの黒い波の上には、燐光がきらめいていた。エリアスには、相手のボートが火のような波浪の中をつき進んでいるように思われた。むこうの索具さえも、明るい燐光の中で、はっきりと見てとることができた。荒天用の水夫帽をかぶった乗員の姿もまた、エリアスははっきりと見てとれた。しかし相手のボートは、風上の側を向けていたので、乗員の背中だけが見えた。その後ろ姿も、くりかえし高くあがる船べりに、たいていは隠されてしまった。 突然、巨大な激浪が、ベルントの座っている船首から、ボートを襲った。エリアスはその白い波頭を、すでにはやく闇の中にうっすらととらえていた。激浪は、一瞬間、ボートを停止させ、船板をふるわせた。それから、ほとんど転覆しかけたボートがもちなおすと、船尾の方から流れ出ていった。エリアスは、ほかのボートから恐るべき叫び声を耳にしたように思った。そのあと、帆を操っている妻の声が聞こえた。それは彼の胸を切り裂くような叫び声だった。――「神さま、なんてことに、エリアス!波がマルタととニールスをさらってしまった!」一人は九つ、もう一人は七つの、一番下の子供たちだった。二人はベルントのそばに座っていたのだった。「帆を放すな、カレン。さもないと、もっと失うことになるぞ!」 彼はそう答えただけだった。 四度目の縮帆が必要であった。それをし終えて、エリアスは、嵐がさらに強まってくるので、五度目の縮帆をしなければならないのに気づいた。他方、どんどん重量を増していく波を突き進むには、絶対に必要な以上の縮帆をするわけにいかなかった。しかし、どうにもならず、帆はさらに小さく絞られていった。泡だつ波浪が顔にうちあたり、とうとうベルントと、母を手伝っていた弟のアントンは、やむなく帆げたにつかまりさえした。ボートが五度目に縮帆しても持ちこたえられないときに、避難する方策であった。 しばらく姿が見えなかった隣のボートが、突然またエリアスのボートのそばに現われた。帆の具合は、彼の船とそっくりであった。しかし、今度は乗員の様子はひどく嫌悪をもよおさせた。帆げたにつかまっている二人の男は、かぶった水夫帽の下からのぞく顔は蒼ざめていて、波の異様な光に照らされて、人間よりも幽霊に似ていた。彼らは一言も言葉を発しなかった。 闇の中の少し遠くに、エリアスは激浪の白い波頭の高まりをふたたび眼にした。大波はどんどんと近寄ってきた。彼はそれを受けとめる準備をした。船首を波に対して斜めに向け、帆を可能なかぎり広げさせ、波を乗り切るために必要な速力を得ようとした。激浪は滝のように荒れ狂いながらボートを襲い、ボートはふたたび転覆しそうになった。危険が去ったときに、妻はもはや帆のそばに座ってはいなかった。そして、アントンももはや帆げたにつかまってはいなかった。二人は船外に押し流されていた。 今度もまた、エリアスは恐怖の叫びを耳にしたように思った。しかし、それにまじって、彼の妻が不安のあまり彼の名を呼ぶのが、はっきりと聞こえた。妻が海に流されたと知ったとき、彼は「イエスの名にかけて(しまった)!」とだけ言った。彼女のあとを追いたい気がしたが、船に残った者たちを救うことが大事であることが分かっていた。ベルントと彼のほかの二人の息子、ボートの水のかいだしを長いことつづけて、今は船尾に座っている十二歳と十四歳の息子が残っていた。こうなっては、ベルントは一人で帆げたに注意しなければならず、みずからを守り、父を助けることに、汲々としていた。エリアスは舵を手放すわけには行かなかった。手に鉄のような力をこめて握りしめていた。そのため手の感覚はとっくになくなっていた。 先ほどと同じく、隣のボートは今度も、大波の襲ったあいだは見えなくなっていたが、ふたたび闇の中に浮かびでたとき、むこうに彼自身と同じように舵をとっている、一人の大柄な男が目に入った。この男はおもむろに身をめぐらせた。その時エリアスはやっと気づいたのである――その不気味な人物の背中には、ちょうど水夫帽の真下から、エリアスのなじみの六インチ[約15センチ]の長さの、ヒラメ取りのモリがつき立っていた。ほかならぬ海の魔物が、その船を彼の船にともなわせたのである。海の妖魔を目にしたものは、破滅する。エリアスはこの航海が最後になるであろうと予感したが、息子たちには怯えさせないために、何も語らなかった。しかし自らの魂は神に委ねた。 しばらくして、嵐によぎなくされて、彼は進路を変えた。吹雪になって、どの方向に陸地があるのか、夜明けになるまでは、もはや見当がつかないことを覚悟した。航行をつづけるあいだ、おりおり船尾の子供たちは、寒さを訴えたが、それに対してこの嵐ではどうにもならなかった。そればかりか、彼はべつの考えにとらわれていた。復讐したいという思いが、彼の中でだんだんにつのっていった。もし残った子供たちの命に危険がなかったならば、彼は突然彼のボートの向きを変えて、嘲笑するかのように伴走し続けている、相手のボートを海の底に沈めようとしたかもしれない。以前に魚のモリがあの妖魔を傷つけることができたのであってみれば、ナイフか魚鉤でもって、今同じことができるに違いない、と彼は考えた。この世で最も愛するものを彼から奪い、さらにあきたらずにいる、あのものを倒すためには、喜んで命をかけたであろう。 夜更けの三時から四時のあいだに、闇の中にふたたび白波の壁が現われた。それはとてつもない高さだったので、エリアスははじめ、岸壁の砕け波にちがいなかろうと思った。しかし間もなく、前方から巨大な波がせまっていることが分かった。彼は、むかいのべつのボートから、笑い声が起こるのが、はっきり聞こえたような気がした。それとともに、一つの声が夜の中へ呼ばわった――「さあ、おまえのボートをあやつれ、エリアスよ!」 破局を予感したものの、エリアスは「イエスの名にかけて(なにくそ)!」と叫び、息子たちに、ボートが波をくぐる時に、全力を出してオール受けの柳のバンドにつかまるように、ボートが海面に浮かび上がるまでは、手を放してはならないと命じた。彼は年上の子を、船首のベルントの方へ行かせ、年下の子を手元に置いた。彼は息子の顔をそっとなで、しっかりつかまっていることを確かめた。やがてボートは白波の下に飲みこまれ、ふたたび船首から頭をもたげ、もう一度水にくぐり、今度は竜骨を上にして高く浮かび上がった。エリアスとベルントと、十二歳のマルチンは、ボートのそばにいて、柳のバンドにしっかりつかまっていたが、三人目の息子は消えていた。 今なによりも大事なのは、マストの索の一方を切り離すことであり、そうすることで、マストがたえず下からボートを揺さぶらないように、ボートの脇に浮かばせることであった。それから、竜骨の上に登り、船底から栓を打ち抜いて、ボートを水面からもちあげすぎている空気を抜くことが大事であった。非常に骨折って、それらがやっとうまくいった。エリアスが先に竜骨に登り、二人の息子が登るのを助けた。そして彼らは長く暗い冬の夜を、そこに座って、船底に取りついた手や足を痙攣させながら、くりかえし何度も波を浴びていた。とうとう、父親がずっと支えていたマルチンは、疲れはてて死に、音もなく海中へすべっていった。ときどき彼らは援けを求めて叫んだが、やがて無意味に思われて、それもやめてしまった。 今はエリアスとベルントだけが、転覆したボートの上に座っていた。 「わたしはもうだめだ。間もなく、母さんのあとを追うだろう」とエリアスは言った。「おまえは男らしく耐え忍ぶなら、きっと助かるだろう。」 それから漁師はその息子に、海魔のうなじにヒラメ取りのモリを突きたてた話をした。その魔物が、いま彼に報復したのであり、「借りを返す」まではやめないであろうと。 夜が明けそめた午前九時ごろ、エリアスは傍らに座っているベルントに、真鋳の鎖のついた銀時計を与えた。その鎖は、ボタンをはめたチョッキから取り出すときに、二本に引きちぎられてあった。まだしばらく、彼は竜骨の上に座っていた。さらに明るくなったとき、ベルントが見ると、父の顔は死人のように蒼白く、死の直前によく起こるように、髪の毛があちこちにすきまができていた。そして竜骨につかまっている手の皮はむけていた。息子は父の死が近いことを察した。そして船の揺れが許すかぎり近くへ寄り、父を支えようとしたが、それに気づいてエリアスは言った。 「しっかりとつかまっていろ、ベルント!イエスの名において(いいか)!わたしは母さんのところへ行く」 彼は後ろ向きに、竜骨から波に落ちこんだ。 こんな目にあった誰もが知っているように、海は荒れるだけ荒れると、徐々に静まっていった。竜骨に座って、つかまっていることが、ベルントにはずっと楽になった。明るさがますにつれて、新たな希望もわいてきた。嵐はないでゆき、すっかり明るくなったとき、ベルントはなんとなくその海域を見なれているような気がした。家郷に近く、クヴァルホルムへと向かっているように思われた。そこで彼はまた、援けを求めて叫び始めたが、彼のなじみの海流の方により多くの望みをかけた。その海流はある所で、島の岬が波浪をさえぎって、穏やかにしている、陸地の方へ向かっていた。期待したとおり、海流はだんだんに彼を陸地に近づけていった。とうとう彼は岩礁のすぐ近くまで来たので、ボートの脇に浮かんでいるマストが、険しい岩沿いの波に打たれて浮いたり沈んだりした。ベルントは、長く座ってしがみついていたので、体のふしぶしがこわばっていたが、力をふりしぼって、なんとか岩の崖によじ登り、マストを引き上げて、ボートを固定した。 家にとどまっていたラップ人の娘は、何時間も援けを求める叫びが聞こえるような気がしていた。とうとう、その呼び声がやまなかったので、彼女は高台に登ってながめてみた。すると岩の崖にあがったベルントと、そばに転覆したボートが、崖に打ちあたりつづけているのが目に入った。彼女はボート小屋へ駈けおり、古い手漕ぎボートを海におし出し、海岸沿いにこぎ、島を回って、崖から彼を救出した。 ベルントは冬の間じゅう病みついていた。娘が彼の看護をした。春が来たが、彼は以前のようには漁に出なかった。このことがあってから、クヴァルホルムの人々からみて、彼は時に少々気が変になった。彼は海が怖くなったために、海へは二度と出ようとしなかった。しばらく経ってから、彼はラップ人の娘と結婚し、メランゲンへと移っていった。そこで開墾地を買って、今はたっしゃに暮らしている。 * * * (翻訳Source:"Das Seegespenst", Gespenstergeschiten aus Skandinavien, herausgegeben von Worfgang Koerner,Fischer Taschenbuch,1979 The Visionary or Pictures of Nordland, translated by Jessi Muir, Project Gutenberg. "The Fisherman and the Draug", Weird Tales from Northern Seas, translated by Nisbet Bain from the Danish, Project Gutenberg.) 画像はJohn Martin, The Deluge (1834年) 作品名:海魔 作者:ヨナス・リー 翻訳:脩 海 Copyright: shu kai 2017 入力:マリネンコ文学の城 UP:2017.2.18 |