ヴィルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff 1802-1827)

幽霊船

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ドイツ・後期ロマン派の作家ヴィルヘルム・ハウフのアラビア風の童話集「隊商(Die Karawane)」のなかの一篇「幽霊船」は、枠小説としての設定の中で語られています。その設定と、童話としての語り口を離れても、戦慄をさそう怪異の克明な描写によって、海の怪談の一傑作としての地歩を失わないでしょう。


 幽霊船

 ヴィルヘルム・ハウフ作

 私の父はバルソラ[=バスラ、南イラクの中心都市]で小さな店を営んでいました。彼は貧しくも裕福でもなく、なにか大胆なことをするには、なけなしの財を失うことを恐れて、手を出したがらない人々の仲間でした。彼は私をふつうに、まっとうに養育してくれましたので、やがて父の手伝いができるまでになりました。ちょうど十八になった時のことです。その時父は、最初の比較的大きな投機を行ったのですが、たぶん金貨千枚にも当たるものを海に委ねたことが気をまいらせたのでしょう、亡くなってしまいました。その父が死んだことも、ほどなくして私は、彼にとって幸運であったと考えざるを得ませんでした。と言うのは、それから数週間もたたないうちに、父が財産を投じた船が、沈んでしまったという知らせが届いたからです。しかしこの災難によって、若い私の勇気がくじけることはありませんでした。私は父の遺産のすべてを金銭にかえ、外国で運をためそうと旅立ちました。父に仕えていた一人の年とった従者が、昔からの忠誠から、私の身と運命とから離れようとせず、同伴しました。
 バルソラの港で、私たちは順風にめぐまれて乗船しました。私が船客として乗った船は、インド行きの船でした。すでに十五日ほど通常の航路を進んだとき、船長が私たちに嵐を予告しました。彼は気遣わしげな面持ちでした。どうやら、このあたりの水路をよく知らないので、嵐を乗り切るのが不安なようでした。彼は帆をすべてたたませ、船はごくゆっくりと進んでゆきました。夜になりましたが、明るく寒い夜で、船長は嵐の徴候を見あやまったようだと考えました。ふいに、これまで気がつかなかった一隻の船が、私たちの船のすぐそばを、漂いすぎてゆきました。甲板からは、荒々しい歓呼や叫び声がひびきわたりました。この嵐の前の気がかりな時なのに、とても不思議なことに思いました。ところが、私のそばにいた船長は、死人のように顔を蒼ざめさせ、叫びました。「私の船はもうだめだ。あれは死神の船だ!」この異常な叫びについて、問いただそうとしましたが、その前にすでに、水夫たちがわめき叫びながら、なだれこんできました。「あんたがた見たかい」と彼らは叫びました。「わしたちはもう助からんぞ!」
 そこで船長は、コーランから慰めの言葉を朗誦させ、自ら操舵席に座りました。しかし無駄でした。嵐がみるみる吹き起こり、一時間もたたないうちに、船はめりめりと鳴り、座礁しました。ボートが下ろされ、最後の水夫が救助されるやいなや、船は眼の前で沈み、私は無一物で海に漂っていました。しかし悲嘆はそれだけで終わりませんでした。嵐はいよいよ恐ろしく、つのってゆきました。ボートはもはや制御不能でした。私は年とった従者にしがみついていました。けっして互いに離れないことを、約束しあいました。やっと夜が明け始めました。しかし、東の空に赤味がさしたと思うと、私たちの乗っているボートを風が捕らえて、転覆させてしまいました。それからは、船乗りの姿は目にしませんでした。転覆の衝撃で私は気を失っていました。気がついたとき、私は忠実な老従者の腕の中にいました。彼はひっくり返ったボートの上にのぼり、私を引っぱりあげたのです。
 嵐は静まっていました。私たちの船はもはや影も形もありませんでしたが、ほど遠くないところに、ほかの船を見つけました。波がそちらの方に私たちを押しやっていました。近づいてみると、それは、昨夜私たちの船のそばを通りすぎて、船長がひどく恐れをなした、その同じ船であることが分かりました。私はこの船に対して奇妙な恐れを覚えました。船長が口にした言葉は、恐るべき事実となりましたし、その船の外見は荒んでいて、どれほど近づいても、どれほど大声で叫んでも、船上にはだれも現われなかったのです。私は気味わるくなりました。しかしこの船は、私たちの救われるただ一つの手段でした。ですから、私たちを奇蹟的に護ってくれた預言者ムハンマドを、私たちは讃えました。
 この船の前の方に、長い綱が垂れさがっていました。それに向かって、私たちは手と足でこぎ寄せ、つかもうとしました。やっとそれがうまくゆきました。私は大声を張りあげましたが、相変わらず船の上は静かなままです。そこで、年若い私を先に、綱をよじ登りました。ところが、なんという恐怖でしょう。甲板をふみしめたとき、私の目になんという光景が現われたことでしょう。甲板の上は血で真っ赤にそまっており、二十から三十名の、トルコ服を着た死体がころがっていました。中央の帆柱には、サーベル[片刃の剣]を手にした、立派な服装の一人の男が、立っていましたが、その顔は青白く、ゆがんでいて、その額には大きな釘が突き刺さっていて、彼を帆柱に釘づけにしていました。彼もまた死んでいました。恐怖のあまり、私の足は動きませんでした。息さえできないほどでした。私の同伴者がやっと上がってきました。甲板上の光景を見て、彼もまた驚愕しました。なにしろ誰も生きているものはなく、たくさんの陰惨な死体ばかりでしたから。
 心底おびえながら、私たちは預言者の加護を祈り、やっとのこと足を先に進めました。一歩ごとに、私たちはあたりを見まわし、なにか新しいもの、もっと恐るべきものが現われてはこないかと、用心しました。しかし、ほかに変わったことはありませんでした。見わたすかぎり、なにひとつ生き物の姿はなく、私たちと大海原があるだけでした。大きな声で話すことさえ、私たちはあえてしませんでした。マストに釘づけにされている、死んだ船長が、その凝固した眼を、私らの方へ向けるのではないか、あるいは、殺された者のうち誰かが、その頭をめぐらすのではないか、と恐れたのです。しまいに私たちは、船室へ下りる階段のところまで来ました。私たちはそこで自然と立ちどまり、顔を見合わせました。どちらも、たがいの考えをはっきり言う、勇気が出せなかったのです。
 「ああ、だんな様」と私の忠実な従者は言いました。「この船で、なにか恐ろしいことが起こったのですね。しかし、下の船室に殺人者どもがうようよしていたとしても、このうえ死人のあいだで過ごすよりは、連中にどうされるかは分かりませんが、降参しておいたほうがましだと思います。」私の考えも同じでした。私たちは思いきって、どきどきしながら下へおりてゆきました。下もまた、死んだように静かでした。階段を踏む私たちの足音だけが響きました。船室の扉の前まで来ました。私は扉に耳をあてて、聞き耳をたてましたが、何も聞こえませんでした。私は扉をあけました。部屋の中は、乱雑な有様でした。衣類や武具や、そのほかの調度が、いりまじっていて、すべてが雑然としていました。乗組員たちか、あるいは少なくとも船長が、少し前に飲み食いしたことは、あたりに散らばっているものから判りました。私たちはさらに、船倉から船倉へ、部屋から部屋へとめぐり、いたるところで、絹や真珠や砂糖などといった、豪華な貯蔵品を見つけました。こういうものを目にして、わたしは喜びのあまりわれを忘れました。船には誰もいないのですから、すべてを私のものにしてよいものと、考えたからです。しかし従者のイブラヒムは、私に忠告して言いました。――「私らはたぶん、まだ陸地から相当遠いところにいますから、人手もなしに、二人だけでは、そこまでたどり着くのはむりです。」
 食料や飲み物はたっぷりと見つけたものですから、私たちはそれらで元気を回復し、やがてふたたび甲板に上がりました。しかし、甲板ではやはり、凄惨な死体の光景が、肌を粟立たせました。私たちは死体を見ないですむように、海に投げ捨てることにしました。ところが、なんとも身の毛がよだったことには、どの死体もその位置から動こうとしないのでした。まるで魔法にかかったように、甲板に張りついているのです。それらを取り除くには、甲板の板を取り外さねばならなかったしょう。それには道具がありませんでした。船長もまた、帆柱から離れようとはしませんでした。彼のサーベルさえも、そのこわばった手からもぎとることができませんでした。
 私たちはこの嘆かわしい状態を思い悩みながら、その日一日を送りました。夜になりかけた頃、私は老イブラヒムに眠りにつくように言い、私自身は甲板にでて、救いが現われないか、見張りをすることにしました。ところが、月がのぼってきて、星の位置から十一時ごろでしたろうか、私はたまらない眠気に襲われて、甲板の上にあった樽の後ろへ、思わずあおのけに倒れこみました。しかし、それは眠りというよりも麻痺に近いものでした。私ははっきりと、波の船腹を打つ音を聞きましたし、帆が風にはためいて鳴る音も聞こえました。ふいにデッキの上で、男の足音と声が聞こえるように思われました。私はそちらのほうを見るために、起き上がろうとしました。しかし、見えない力が私の五体をしっかりと押さえていて、目を開くことさえできないのでした。しかし、声のほうはいよいよはっきり聞こえてきました。なんだか陽気な船乗りたちが、甲板の上を走り回っているようでした。時々、命令する者の力強い声が聞こえるように思い、また綱や帆が上下する音も、はっきりと聞こえました。しかし意識はしだいしだいに薄れてゆき、より深い眠りにおちいると、もはや武具の鳴る音だけが聞こえるように思いました。
 目覚めた時には、太陽はすでに高く昇っていて、私の顔を焦がしていました。驚いて私はあたりを見回しました。嵐や船や死人や、夜のあいだに耳にしたこと、すべてが夢のように思われたのです。しかし目を上げると、すべてが昨日のままでした。死人たちは動かぬままに横たわっていましたし、帆柱には船長が、動かぬままに釘づけにされていました。私は私の夢を笑って、立ち上がり、私の老いた従者を探しました。
 彼はすっかりもの思いにしずんで、船室に座っていました。彼のほうに歩み寄ると、「ああ、旦那さま」と声高に言いました。「私はこの呪われた船でもう一晩過ごすくらいなら、海の一番深い底にでも、寝ていたいくらいですわい。」彼の悩みの原因をたずねましたところ、こう答えました。――「二、三時間眠ったころでしょうか。私が目を覚ますと、頭上で、人が走り回っている音が聞こえました。最初は旦那さまの足音かと思っていましたが、少なくとも二十人は、上で走り回っていました。呼び声や、叫び声も聞こえました。しまいに、どっしりした足音が階段を下りてきました。それからは、なんの覚えもないのですが、時々数瞬間だけ意識がもどってきて、その時に、上の帆柱に釘づけにされているあの同じ男が、そこのテーブルに座って、飲んで歌っているのが目に入りました。そして彼からほど遠くない甲板の床に、緋色の服を着て横たわっている男が、船長のそばに座って、酒を注いでいました。」こんなことを、私の老いた従者は語ったのです。
 みなさま、私がとても気味悪い思いをしたことは、お分かりかと思います。それは決して錯覚ではなく、私もまた死人たちの声をはっきりと聞いたのです。そんな仲間たちと航海するなどは、背筋が寒くなりました。わがイブラヒムは、しかし何かをじっと思案していました。「思い出したわい!」と、しまいに彼は叫びました。それというのも、経験豊かな、広く旅をした彼の祖父が教えてくれた、ある文句が彼の頭に浮かんだからです。その文句は、どんな幽霊や、魔物に対しても効力があるのでした。また彼が言うには、私たちを襲ったあの不自然な眠りも、コーランからの言葉を熱心に唱えるならば、今晩は防げるであろうということでした。老人の提案はすっかり私の気に入りました。
 不安と期待のうちに、夜が近づいてきました。船室のわきに小部屋がありました。私たちは、そこにこもることに決めました。部屋の扉に、船室内が見わたせるように、十分な大きさの穴をいくつか開けました。そうしてから、内側からできるだけしっかりと扉を閉めました。イブラヒムは扉の四隅に預言者の名をしるしました。そんなふうにして、私たちは夜の恐怖を待ちうけました。またも十一時ごろになったとき、ひどく眠気がさしてきました。私の同伴者は、コーランからの言葉を唱えるように忠告しました。それは効果がありました。突然に、頭上が騒がしくなったようでした。綱がきしり、甲板に足音が行き来し、いくつもの声がはっきり聞き分けられました。私たちは、固唾をのんで、数分間座ったまま待ちうけました。すると、なにかが船室への階段を下りてくる足音がしました。老人はこれを聞くと、祖父が彼に教えた、幽霊や魔法に対して効果のある文句を唱え始めました。

  「なんじら、大空よりおりきたるもの
   なんじら、深海よりのぼりきたるもの
   なんじら、暗き墓穴にはいずるもの
   なんじら、火よりうまれきたるもの
   アッラーはなんじらの主にして支配者なり
   あらゆる魔物はアッラーに従うなり」

 白状しますと、私はこの文句の効果を、頭から信じていたわけではありません。それで、扉が開いたとき、私の髪の毛は山のように逆立ちました。私がマストに釘づけされているのを見た、あのりっぱな服を着た大男が、船室に入ってきたのです。今もなお額の真ん中には、釘が突き刺さっていました。剣はしかし、鞘に収めていました。彼のあとから、もう一人の、それほどりっぱでない服装をした男が入ってきました。彼もまた、上の甲板で横たわっているのを目にしました。船長と目した男は、青白い顔をしていて、大きな黒髯をはやし、荒々しい眼をぎょろつかせ、部屋中を見わたしました。彼が私らが後ろに隠れている扉のそばを通ったとき、その姿はありありと見えました。彼はしかし、扉にはまったく注意をはらう様子はありませんでした。二人は船室の中央にあるテーブルに腰をすえました。そして、知らない言語で声高にしゃべったり、おたがいにほとんど怒鳴りあっていました。彼らはどんどん大声になり、激昂してゆき、ついに船長は拳でテーブルを叩きましたので、その音は部屋中に鳴りわたりました。もう一人の男は荒々しく笑って、いきなり立ち上がり、船長についてくるよう合図しました。船長も立ち上がり、サーベルを抜き、二人ともに部屋を去りました。
 彼らが去ると、私たちは、ほっと息をつきました。しかし私たちの恐れは、まだまだ終わりませんでした。甲板の上では、いよいよ騒々しさがましてゆきました。急ぎ足で走り回る音や、叫び声や、笑い声や、わめき声が聞こえました。ついには、地獄の騒動もかくやと思われる事態になりました。甲板が帆柱もろとも、私たちの上に落ちてくるかと思われたほどの、剣戟の音と叫び声でした。――ふいに深い沈黙が訪れました。何時間もたってから、思いきって甲板に出てみますと、すべてが前のとおりの光景でした。一人として前の様子を変えたたものはありませんし、全員が木で出来たようにこわばっていました。
 そんな風にして、その船の上で数日がすぎました。船はたえず東に向かっていました。そちらには、私の計算では陸地があるはずでした。ところが、昼の間は数マイル進んでも、夜の間に再三後もどりしてしまうようでした。日が昇ると、いつでも同じ地点にいたからです。私たちはこれを説明するのには、死者たちが夜ごとに、帆をいっぱいに広げて、後戻りしているのであると、考えざるを得ませんでした。これを妨げるために、私たちは、夜になる前に、すべての帆をたたみました。そして船室の小部屋の扉のばあいと、同じ手段をほどこしました。私たちは預言者の名と、それに加えて祖父の呪文とを、羊皮紙に書きつけ、たたんだ帆のまわりに結びつけました。私たちは小部屋のなかでおびえながら、その結果を待ちうけました。幽霊は今度は、さらにひどく暴れるようでした。しかし、なんと、翌朝には、帆は前の日にたたんだままの状態でした。私たちは昼の間は、船をゆっくり進めるために、必要なだけの帆を張りました。五日もたつと、かなりの距離を進みました。
 六日目の朝、ほど遠くないところに、ついに陸地を見つけました。私たちは奇蹟的に救われたことに対して、アッラーと預言者に感謝しました。この日の昼から夜にかけて、私たちは岸に向かって進み、七日目の朝には、どうやらすぐ近くに町が見えてきました。私たちはたいへん骨折って、いかり(碇)を海に下ろすと、いかりはすぐに底につきました。甲板にあった小型ボートを下ろし、力いっぱい町に向けてこぎました。半時間もこぐと、海に注いでいる川の流れに入り、そこで岸に上がりました。町の門で、私たちは町の名を尋ねました。それがインドの町であり、最初私が渡航しようとしていた地方から、遠くないことが分かりました。私たちはキャラバンサライ(隊商宿)へおもむき、冒険の旅の疲れをいやしました。その宿で、私は賢くて、ものの分かった人物はいないか尋ねました。私は宿の主人に、私の求めているのは、魔法について少々知識のある人物だと、打ち明けたのです。彼は私を町外れの通りに案内し、一軒のみすぼらしい家の扉をたたき、私を中に入れ、ムーライをたずねなさいとだけ教えました。
 家に入ると、灰色の髯をはやした、鼻の長い、小男の老人が、私のほうへやってきて、用件を尋ねました。賢いムーライを探していると告げますと、彼は、私がそうだと答えました。そこで私は彼に助言を求めました。あの死者たちをどう扱ったらよいか、彼らを船から運び出すにはどうしたらよいかを尋ねました。彼は答えました。――その船の者たちは、おそらくなんらかの悪行のため、海に呪縛されているのであろう。たぶん、彼らを陸に運ぶならば、魔法は解けるであろう。しかしこれをするためには、彼らが横たわっている床板を取りのぞくほかはない。その船と財宝の全部は、私が見つけたようなものであるから、神が認めた正当な私の所有物である。しかし私がすべてを極秘にし、ありあまる財宝から、彼にいくらか贈り物をしてくれるならば、その見返りに、奴隷たちをつれて、死者たちを運び出す手伝いをしよう。
 そこで私は、彼にたっぷりと報酬を出す約束をしましたので、私たちはノコギリとオノを携えた五人の奴隷とともに、出発しました。途中で魔法使いのムーライは、私たちが運よく思いついて、たたんだ帆に、コーランの言葉を巻きつけたことを、しきりにほめちぎりました。それは我々が助かるための、ただ一つの手段であったと、彼は言いました。
 私たちが船にたどり着いたのは、一日のまだかなり早い時間でした。すぐさま全員で仕事にかかり、一時間もすると、すでに五人の死体が小舟に乗っていました。奴隷の何人かが、陸までこいでゆき、そこに死体を埋めねばなりませんでした。彼らが戻ってきて、語ったところでは、死者たちは埋葬する手間も要らず、土の上に置かれたとたんに、こなごなに崩れてしまったといいます。私たちは死者たちをノコギリで切り出す作業をつづけ、暮れるまでには全員が陸に運ばれました。
 とうとう、甲板にいるのは、マストに釘づけにされた人物だけになりました。私たちは、帆柱から釘を抜こうとしましたが、だめでした。どんなに力をこめても、毛ひとすじの幅も動こうとはしません。私としては、どうしたら良いものか、お手あげでした。彼を陸地に運ぶために、マストを切り倒すわけにはゆきませんし。けれども、この困惑から、ムーライが救ってくれました。彼はすぐさま、壺に土をつめてもってくるよう、一人の奴隷を陸に向かわせました。壺が持ってこられると、魔法使いはその上に神秘な呪文をとなえ、死者の頭上に土をふりかけました。死者はただちに両眼を開き、深く息をつきました。ひたいの釘の傷からは、血が流れ出しました。今度は簡単に釘を引き抜くことができました。傷ついた男は、一人の奴隷の腕の中に倒れこみました。
 「私をここまでつれてきたのは、どなたか」彼は、少し回復の様子を見せてから言いました。ムーライは私を指し示しましたので、私は彼のほうへ進み出ました。「かたじけない、見知らぬ異国の方よ。あなたは、長い苦悩から、私を救ってくれた。五十年間というもの、私の肉体は、大波の中を航海していた。私の魂は、毎晩肉体に帰るように、永遠に罰せられていたのだ。しかし今は、私の頭が土に触れたことで、私は罪を許されて父祖のもとへおもむくことができる。」私は、彼がどのようにして、こうした恐るべき状態にいたったのかを、話してくれるように頼みました。彼はこんな風に語りました。
 「五十年前のこと、私は有力な、名望のある人物として、アルジェ[アルジェリアの首都]に住んでいた。ひと財産作りたいという欲望にかられて、私は一隻の船を仕立て、海賊を働いた。この生業を、すでにいく月かつづけた頃のこと、ある時ザンテ島で、一人の回教の托鉢僧を船に乗せた。彼はただで渡航しようと思っていた。私も私の仲間も、粗暴な連中であり、聖職者などというものには、敬意を払うどころか、むしろ軽侮をもってぐうしたのだった。
 ところがある時、彼が聖なる熱意にかられて、私の罪深い行いを叱責したとき、夜になって私の船室で、舵手としたたかに酒を飲んだあおりで、私は怒りが押さえきれなくなった。托鉢僧ふぜいが、私に言ったこと、スルタン[イラム王朝の君主]にさえ言わせなかったであろう言葉に、怒りが心頭に発して、私はデッキに駆けのぼり、彼の胸に短刀を突き刺したのだった。彼は死にぎわに、私と私の部下たちに呪いをかけた。私らは、地に頭をつけるまでは、死ぬことも生きることもできないというのだ。托鉢僧は死に、私たちは死体を海に投げこんで、彼の脅しを嘲笑った。しかし早くもその夜のうちに、彼の呪いの言葉は的中した。船員の一部が、私に反乱を起こしたのだ。激烈な戦いの末に、私に味方するものは敗れ、私はマストに釘づけにされてしまった。反乱を起こした者たちもまた、深手をおって倒れ、やがて私の船は、大きな墓のようになってしまった。私もまた目がかすんでゆき、息が止まり、死ぬものと思った。
 ところが、それはただ体が硬直して、動けなくなったただけであった。次の日の夜に、私たちが托鉢僧を海に投げこんだ、ちょうどその時刻に、私と仲間のみなが目覚め、命がよみがえってきたのだ。しかし、私たちはあの晩したとおりにしか、しゃべったり行動したりすることができなかった。この五十年間、そうやって私たちは、生きもせず、死にもせず、航海をつづけていたのだった。というのも、我々はどうやって陸地にたどり着けただろうか。嵐の中を、いつでも帆をいっぱいに張って、我々は狂喜しながら突き進み、ついには崖に打ちあたってくだけちり、疲れはてた頭を海の底に横たえることができるものと期待したものだが、そうはうまくいかなかった。今やっと私は死ねるだろう。見知らぬ救い主よ、あらためて感謝する。財宝があなたに報いるならば、私の船を、感謝の印として受けとられよ。」
 船長は、そのように話してから、頭をがくりと垂れ、死んでしまいました。すぐさま彼は、仲間と同じように、塵となってくだけてしまいました。私たちはその塵を小箱に集め、陸地に埋めました。それから私は、町で労働者を雇い、彼らに私の船の修繕をさせました。船にあった品物を、ほかの品物と交換して、大きな利益をあげたのち、私は船乗りを雇い、わが友ムーライにたっぷりとお礼をし、祖国へ向かって船出しました。途中、あちこちの島や地方で寄り道をして、私の商品を市場に出しました。私の商売は、預言者の嘉(よみ)するところとなり、九ヵ月後には、死に臨んだ船長が私に与えた財産を倍にして、バルソラへ戻りました。私の同郷の者たちは、、私の富と幸運に驚き、きっと名高い船乗りシンドバッドの、ダイアモンドの谷を見つけたのだと思いこみました。私は彼らが信じるにまかせました。そこで、それ以来バルソラの若者たちは、十八になるかならないかで、私のように幸運をためすために、世の中に出ないわけにはいきませんでした。私はといえば、のんびりと安穏な暮らしをおくり、五年毎にメッカに巡礼して、聖地で主の恵みに感謝しました。そして、船長と彼の部下たちのために、神が彼らを天国へ迎えいれてくれるようにと、祈願しました。
  

  (原題:Die Geschichite von dem Gespensterschiff)



作品名:「幽霊船」
作者:ヴィルヘルム・ハウフ
翻訳:脩海   copyright: shu kai 2017
入力:マリネンコ文学の城
Up: 2017.3.18