ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn 1850-1904)


夢魔の感触

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翻訳城では、ハーンの夢や悪夢に関するエッセイを、幾篇かとりあげることにします。進化哲学にもとづいた解釈が、単なるファンタジーを超えて、今日的興味をそそることでしょう。


 夢魔の感触

  T

 幽霊を信じている人の幽霊への恐れは、一体どういうものなのであろうか。
 あらゆる恐れは体験――個人の体験であれ、民族のそれであれ、また現世の体験であれ、忘れられた生物のそれであれ――の結果である。未知のものへの恐れもまた、それ以外の起源を持ちえない。幽霊の恐怖も、過去の苦痛の産物であるに違いない。
 おそらく幽霊への恐怖は、その存在を信ずることと同様、その始まりは夢にあったのであろう。それは特異な恐れである。それほど痛烈で、それほど曖昧模糊とした恐怖は他にない。こういう厚みのある、しかも曖昧な感情は、たいてい超個人的である。遺伝的な感情――つまり死者の体験によって、我々の内部に引き起こされた感情である。
 その体験とはどのようなものか。
 幽霊が恐いのはどうしてなのか、その理由をはっきり説明したものを、私はどこにも読んだ記憶がない。だれであれ幽霊を怖がった覚えのある、教養のある知人十人ばかりに、その恐怖の理由を詳しく語るよう、その恐怖の裏にある幻想を明確に述べるよう、尋ねてみるとしよう。一人でもその質問に答えられるかどうか、怪しいものである。口伝もしくは文献の形での民間伝承は、なんらこの問題に解明の光を投げない。実際、幽霊に裂き殺された人の伝承など様々あるが、そういう粗雑な空想の産物は、幽霊の恐怖の特異性を説明するわけにはいかない。それは肉体への暴力の恐怖ではないのだ。それは頭で考える恐怖でさえない。つまり自ずと容易に説明のつく恐怖ではない。もし肉体上の危険のはっきりした観念にもとづく恐怖であったならば、そういうことはあるまい。その上、原始人は幽霊を引き裂いたり、貪り食ったりできるものと想像していたかもしれないが、一般に考えられている幽霊は、まさに触れることのできない、重さのないものとしてなのである。(原注)

 原注:ここで一言つけ加えておくならば、日本の古伝説、譚詩の多くには、幽霊は人の首を“もぎとる”ことができるものとして描かれている。しかし幽霊の恐怖の起源に関するかぎり、そうした物語は何事も説明しない。その恐怖を発展させた体験は、空想上ではなく、現実の体験であったに違いなかろうから。

 さて、私は次のような大胆な説を立てる。一般に幽霊に対する恐れとは、“幽霊に触れられる恐れである”――あるいは言葉を換えると、超自然的なものを想像するのが恐ろしいのは、主としてそれが触れる力を持つと想像するからであると。肝心なのは、ただ“接触”するだけで、傷つけたり殺したりしないことだ。
 その接触の恐れ自体は、体験の結果であろう。思うに子供が闇を怖がるように、個人の中に遺伝的に蓄えられた、生まれる前の体験から来るものが、ほとんどであろう。そこで、一体だれが幽霊に触れられる感覚を体験したのだろうか。答えは単純である――《夢の中で幽霊に捕まったことのある人はだれでも。》
 人類よりも古い恐怖――原初の恐怖の要素が、子供の闇を恐れる気持の中にあるのは疑いない。しかし、それより明確な幽霊への恐怖は、きっと夢の中での苦痛の遺伝した結果、つまり祖先の悪夢体験から成り立っているのであろう。このように、超自然的なものに触れられることの本能的恐怖は、進化論の上から説明されうるのである。

 さて、ここで私の理論の例証とするために、ある典型的な体験を述べさせてもらうこととしよう。

  U

 私が五つの頃であった。私はある離れた一室で、一人寝るように言いつけられた。その部屋はそれからは、いつでも“坊やの部屋”と呼ばれた。(その頃私は名前で呼ばれることはめったになく、ただ“坊や”というふうに呼ばれたのである。)その部屋は細長く、天井はやけに高かったが、高い窓にもかかわらず、ひどく薄暗かった。暖炉が付いてはいたが、そこで火の焚かれたことは一度もなかった。それに“坊や”は、その暖炉にお化けがいると勘ぐっていた。
 “坊やの部屋”では、夜燈(ひ)を残しておいてはいけないという決まりになっていた。それというのも、ただ“坊や”が闇を怖がるためだった。“坊や”が闇を怖がるのは、厳しく治さねばいけない、精神の病気のように判定されたのだった。しかし、その療治によって、かえって病気はひどくなっていった。それまで私は、明るい燈火の点いた部屋で、乳母にお守をされて眠るのが習慣になっていた。暗闇の中で一人寝るように宣告を受けたとき、私は恐怖のあまり死んでしまうにちがいないと思った。しかも、その時の私には残忍この上ない仕打ちに思われたのだが、私のあの家の中では一番陰気な部屋に、文字どおり鍵をかけて閉じこめられたのであった。夜毎に私がベッドにぬくぬくとおさまるや、燈りが取りさられ、鍵が錠の中でカチリとなって、燈りの保護とお守の足音とが、二つながら遠ざかっていく。すると恐怖の苦悶が私を襲ってくるのだった。真っ黒な空中になにかが固まりだし、大きくなるように思われ(その大きくなるのが聞こえるような気さえした)、とうとう私は叫んでしまうのだった。叫びをあげるたびに罰をくらったが、しかしそれは同時に燈りを呼びもどし、その安心に比べれば罰などなんでもなかった。この事実はとうとう知られるところとなって、今後は“坊や”の叫びには一切留意しないよう、お達しが出されたのだった。
 どうして私は、こんなに気も狂わんばかりに怖がったのか。一つには、私にとって暗がりは、つねに恐いものの棲み処だったからである。思い出すかぎり昔から、私は悪夢に悩まされていた。その悪夢から醒めると、私にはきまって夢に見た姿かたちが、部屋の陰にひそんでいるのが見えるのだった。それらは直ぐに消えていったが、数瞬の間なにか実質のあるものに見えるのだった。しかも、それらはいつも同じ姿をとっていた。・・・時には夢という前触れもなしに、夕暮時にそれらを見た。部屋から部屋へと私を追いかけ回し、また階から階へと、深い階段の空間を上がってきて、長い暗い手を伸ばし、私に追いすがるのだった。
 そうした化物のことを私は訴えるのだったが、その結果は、そのことを口に出すのを禁じられ、そんな化物などは存在しない、と告げられるのがおちだった。私は家中の人に訴えたのだった。家中のだれもが、同じことを言った。それでも私の両眼が証人だった。その証人が拒否される理由として、私にはただ二つの説明方法しかなかった。あの化物は大人を恐れていて、私が小さくて弱いものだから、私にばかり姿を見せる。それとも、家中が諜し合わせて、何かぞっとする理由から真実を言わないでいる。私にはこのあとの方の説明が、よりもっともらしく思われた。というのは、私はそばに人がいる時でも、いく度かこの化物を目撃したのだから。そのことから発覚した秘密事は、この幻影に劣らぬくらい、私をおびえさせたのである。私がきしむ階段の上や、波打つカーテンの陰に目撃し、また耳に聞きさえしたことを、語ってはならないと言われているのは、なぜなのだろう?
 「なんにも坊やに悪さをしたりしませんよ」と、夜一人にしないで欲しいという私の嘆願のたびに、無慈悲な答えが返ってくるのだった。しかし、お化けは実際私を害したのである。ただ彼らは、私が眠りこむまで、そして彼らの手中に落ちるまで、待つのだった。なぜなら彼らは、私が起きたり、身動きしたり、叫んだりできなくなるような、神秘な方法を心得ていたのだ。
 真暗な部屋にそういう恐怖をたずさえた私を、一人閉じこめるというやり方は、言語に絶する。私は数年間その部屋の中で、言うに言われないほど苦しめられたのである。そこでやっとのこと、幼年寄宿学校にやられることになった時、私はけっこう嬉しかった。そこでは化物も気をくじかれたのか、めったに姿を現わさなかった。
 お化けらは、私のそれまで知っていた人々とは違っていた。彼らは暗色の服を着た影のような姿の者たちで、自身を無残に歪めることができるのだった。たとえば天井まで伸びあがり、天井をよぎって、さらに身を伸ばし、頭を逆さまにして、反対の壁に沿うことができた。彼らの顔だけははっきりしていて、私はその顔を見ないように努めた。また私は夢の中で、その化物を見なくてすむように、目を醒まそうとして、指で目蓋をつまんだ(あるいはそうしたと思っただけだったろう)。しかし目蓋は封印されたように、閉じたままだった。・・・何年も過ぎて後に、オルフィラの「発掘概論」(*訳注)の中の、不気味な図版をはじめて見た時に、幼年時代の夢の恐怖が胸の悪くなるような驚愕とともに蘇ってきた。しかし“坊や”の体験を理解するには、オルフィラの挿図を活発に生きているものとして、そしてある途轍もない歪形状態(アナモーフォシス)においてのごとく、たえず伸びたり歪んだりするものとして、想像してもらわねばならない。

 *訳注 Orfila's Traite des Exhumes :フルタイトルは、Traite des exhumations juridiques : et considerations sur les changemens physiques que les cadavres eprouvent en se pourrissant dans la terre, dans l'eau, dans les fosses d'aisance et dans le fumier.1831,Paris, by Orfila, Matthieu Joseph Bonaventure (1787-1853).[「法的死体発掘概論」云々]

 しかしながら、そうした夢魔の顔を見るだけならば、“坊やの部屋”の体験のなかで最悪のものとは言えなかったであろう。悪夢はいつもある予感、すなわち空気中のなにやら重苦しい感じで始まる――意志がしだいに消されてゆき、身動きする力がだんだん麻痺していく。そうした時、私はたいてい、燈りの消えた大きな部屋に、一人ぼっちでいるのに気づく。そして最初に不安を感じるのとほぼ同時に、天井までの中間の部屋の空気が、陰気な黄色味を帯びた光に照らしだされ、物の形がぼんやりと見えるようになる。しかし天井そのものは真暗なままである。これは本物の光が燈ったのではない。そうではなく、暗闇の奥で色彩が変化していくように思われた。嵐の前の晩などに、夕焼けのあの戦慄的な光景が、やはり同じような不吉な色彩の効果を見せるのである・・・。私はすぐさま逃げようと試みる――(一足ごとに水の中をかちわたるような感じがする)――そして時には部屋の中ほどまで、うまく逃げおおせる。しかしそこまで来ると、いつでも足がぴたりと止められてしまうのである。なにか名状しがたい抵抗にであって、麻痺してしまうのである。隣の部屋では愉快な話し声が聞こえる。私がいくらあがいてもたどり着けない扉の上の、明かり取りからは、燈りが見えている。大声で叫べば、助かることが分かる。しかし懸命の力をふりしぼっても、ささやき以上の声が出せないのである。・・・ここまでは、ある名状しがたいものがやってくる徴候にすぎないのであった――それは近づいてくる――階段をのぼってくる。私にはその足音が聞こえる――押しころした太鼓の音のように轟きながら――どうして他の人にはこの音が聞こえないのだろう・・・長い、長い時間をかけて、物の怪はやってくる――ぞっとする一歩ごとに、企みをこめて休止する。それから、音もなく錠をさした扉が開くのであった――ゆっくり、ゆっくりと――。そいつは入ってきた。何ごとか喋っているのだが、声にならない。両手を伸ばして、私をつかみ、そして真っ黒い天井へ向って放り投げるのである。落ちてくる私を捕まえて、何度も何度も何度も、放り上げるのである・・・。その時の感情は恐怖ではない。恐怖自体は最初つかまれた時に、麻痺してしまっていた。その感情は生きた人間の言葉では、とても言い表わせない。触れられるごとに、苦痛などというものよりは、はるかにおぞましい戦慄に襲われたからである。私という存在の、もっとも内奥にある秘所を貫くような戦慄であった。それは全く未知の感覚領域に、思いもよらない苦悩の受容力をさらけださせた、一種の厭わしい電撃であった・・・。こんなふうに私を苦しめたのは、たいがい一人の仕業だったが、また何人ものグループによって捕えられ、一人の手から次のものの手へと、放り回された記憶もある。それは何分もの間のことに思われた。

  V

 そうした物の怪の幻想は、どこから来たのであろうか?私は知らない。おそらくは嬰児期のなんらかの恐怖の印象からか、あるいは私の生命ではない他生における、なんらかの恐怖の体験からであるかもしれない。その謎は永遠に解けない。しかし接触の戦慄の謎については、明確な仮説を立てることが出来る。
 まず、その感覚の体験そのものは、“単なる想像”として片づけるわけにはいかない、と主張させてもらおう。想像力は脳活動を意味する。想像上の快苦もまた神経作用と切り離しえないのであり、それらが肉体にとって重要であることは、病理学的影響によって充分証明されている。夢の恐怖は、その他の恐怖におとらず、人を殺すことがあるのだ。そこで、これほどの強烈な情動が、研究に価しないとするのは理にかなわないことである。
 この問題の考察にあたって、もっとも顕著な事実は、悪夢の中でつかまれる感覚は、覚醒時の日常生活でおなじみの、あらゆる感覚とは、まるで異質であるということだ。この違いはどうして生じるのか?あの戦慄の並はずれた重量感と、深さとを、どう解釈したらよいのか?
 すでに示唆したことだが、夢中の人の恐怖は個々に違う相対的な体験の反映ではなくして、祖先が夢見た恐怖の体験を、数限りなく集積したものの表象であるということは、大いにありそうである。もし実人生の体験の総体が、遺伝によって伝わるものならば、同様にして夢の生活の体験の総体も伝わるはずである。そして通常の遺伝では、どちらの種類の遺伝も、おそらく別々に伝わっているであろう。
 そこで、この仮説を認めるならば、夢魔につかまれる感覚は、夢の意識の最初期の段階――人類出現のはるか以前――にその源を発するのであろう。思考や恐怖が可能になった最初の生き物は、その天敵に捕獲される夢をたびたび見たにちがいない。その原初の夢の中では、たいして苦痛を想像することはなかったであろう。しかし後代の生物に、より高度な神経が発達するにつれて、それに伴う夢の苦痛の受容能力も、増大していったことであろう。さらに後代になって、知力が発達すると、超自然の観念が夢の恐怖の性質を変え、増強したことであろう。加えて、進化のコースを一貫して、そうした感情体験は、遺伝によって蓄積されていったことであろう。宗教的信仰への反動から発展したたぐいの想像的苦痛のもとには、野蛮な原始的恐怖が、ぼんやりと生き残りつづけているであろう。そして更にそのもとには、太古の動物的恐怖のいっそう朦朧とした、はるかに底の深い基部があるのだろう。現今の子供の夢の中では、そうしたあらゆる潜めるものらが、悪夢が来たって増大するごとに、一つ一つ積み重なっている測り知れない奥深いところで、立ち騒ぐのでもあろうか。
 個々の悪夢の幻影が、それらの活動する脳髄よりも古い歴史を持ったりするものだろうか、という疑問が起こるかもしれない。しかし夢魔の接触が与える戦慄は、幻影に襲われることの総体的民族体験と、夢の中でのなんらかの接点を示唆しているように思われるのである。それは<自我>の奥処(おくが)――陽のさす生命からなんの光も達しない深淵――が、眠りの間に奇妙に撹乱され、その暗黒の底から幾百万年を単位にしても測りえない記憶の慄動が、じかに応答するのであるかもしれない。

 (原題:: Nightmare-Touch from Shadowings )



作品名:夢魔の感触
作者:ラフカディオ・ハーン
翻訳:脩海   copyright: shu kai 2019
入力:マリネンコ文学の城
UP:2019・6・25