ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn 1850-1904)


ヴェスペルチーナ・コグニチオ(黄昏考)

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 ヴェスペルティーナ・コグニティオ
    (黄昏考*訳注1

  ラフカディオ・ハーン

 超自然の恐怖――とりわけ夢の中での超自然の恐怖に、かろうじて匹敵する恐怖が、他にあるかどうか、私は疑う。子供達は夜昼なく、その恐怖を体験している。ところが成人(おとな)となると、眠りの中とか、病気による精神の極度な異常状態にある時でなければ、めったにそういうものには悩まされない。健康な覚醒時には理性が働いて、原初形態の恐怖がしまわれている、かの遺伝的な情動が潜在する領域の、はるか上層に想念の働きをとどめておくからである。しかし成人の場合、夢の中でのみ体験されるにせよ、覚醒時の恐怖でこれに比べうるものは無く、これほど深くしかも朦朧として、これほど筆舌につくし難い恐怖はないのである。その恐れの朦朧とした性質は、言語に絶しているのである。しかしその苦悶はあまりに強烈で、一定の刻限を超えて持続すると、命とりになりかねない。それというのも、こうした恐怖は、一個の生命から生ずるのではないからだ。それは個人的体験で解決がつくよりは、はるかに容量が大きい。それは誕生以前の、祖先の恐れである。当然ながら朦朧としている。遺伝された無数の、おぼろな、幾百万という恐れの複合体なのであるから。同様な理由で、その恐れの深さは底知れないのである。
 文明のもとでの精神の鍛錬は、恐怖というものの克服に向けられてきた。とりわけそれは、宗教に付随するその感情の倫理的面はべつとして、超自然的な恐怖の克服に向けられた。我々には、たいてい、潜在的にこの恐れが存在する。しかしその源はしっかりと防禦されている。睡眠時を除けば、それによって強靭な心の持ち主が惑乱されることは、めったにない。しかし、時として、全ての関係的な経験から、まるでかけはなれた出来事などにでくわすと、理性がその驚愕ととりくむ先に、想像力がとりこにされる場合がありはするが。
 幼年時代を過ぎてからは、私はたった一度だけ、この感情を強烈に体験したことがある。それは夢の恐怖を、醒めた意識の中に鮮やかに投影したものとして、いちじるしい出来事だった。しかもその体験は熱帯特有のものであった。熱帯地方では、気象条件のせいで、夢に魘されることは、我々の場合よりも、ずっと深刻な苦悶なのである。そしてそれは、たいてい昼寝の間にやってくる。余裕のある者は皆、夜を田園で過ごす。しかし明白な理由から、入植者たちの大半は町で昼寝をとり、その際起こることに甘んじなければならない。
 西インド諸島での昼寝は、北方の夏に我々が享受する、夢のない真昼の仮眠のように、爽快ではない。それは眠りというよりも、意識が朦朧となるのである。――まず脳髄の奥が重ったるく、厭な感じで始まる。精神と肉体がこぞって、光と熱の過重に、なすことなく降参してゆくのである。その際しばしば醜悪な幻想が訪れて、またしばしば心臓の烈しい高鳴りに、眠りが破られる。時としてまた、いつもは気がついたこともない物音にも、眠りは破られる。町全体が太陽にあられもなく照りつけられ、真昼に陰という陰を奪われ、通る人もなくなると、驚くほどの静けさになる。その静寂の中では、椰子の葉の紙のように鳴る音、海辺に物憂い小波が、乾いた舌をうち鳴らして、突然におし寄せる音、そういう音がばかに拡大されて耳に届く。そしてこの途轍もない静寂の真昼こそ、黒人にとっては魔の刻(とき)なのである。生きとし生けるものが光に酩酊して、感覚をなくしている。森さえが日光に酔い、蔓に包まれてうなだれ、居眠っている・・・。
 そうした昼寝から私はよく驚き醒めたが、最もたびたびあるのは、物音によってではなく、なにやらふいの驚愕の思い、としか言うほかはないものによってなのであった。思うに暑熱の肺腑に対する異常な作用かなにかで、体内に異変が生じた結果なのであろう。半ば意識のある状態と熟睡との中間の、黄昏の領域にあって、ゆるゆると息の詰まっていく感じが、もがくように起こってくるのであった。すると最もいまわしい想像が――生き埋めの幻想と恐怖が、たゆたうのであった。それらには、嘲ったり咎めたりする声が、と言うよりは声の観念が、伴うのが常だった。――<ほんとに光はいいな、この眼で太陽をおがむのは心地よいことだ>・・・外は昼間だ・・・熱帯の昼・・・太古の昼!・・・それなのに眠るとは!・・・<長生きをして、それを楽しんだところで、だが・・・>・・・眠りつづけろ!――お前の眼が朽ちたあとでも、このすばらしいものは何一つ変わらない!<暗黒の日々の来るのを、忘れぬがよい・・・なんとなれば、彼らは多数となるであろう!>
 そうした幻聴が耳の中で高まってくると、私はいくたび慄きながら、熱した寝台から跳ね起きて、外の静謐な、呪縛するような、途轍もない陽光を、板格子の日よけの隙間から、のぞいたことだろう。それから冷水を頭から浴びせて、焼けるような寝台に戻り、再びうとうとするのであったが、またもや例の声に、それとも自身の汗のしたたりに――これは百足の這う感じとなかなか区別しがたい――眠りを破られるのである。
 私は南十字星の輝く夜に、どれだけ焦がれたことだろう。夜になっても、町に涼しさがもたらされる、というわけではなかったが、あの無慈悲な炎天の圧迫からは免れられた。ああした陽光の感じは、なにか重みのあるものの溢れてくる感じなのだ。それは同時に溺れさせ、眩惑させ、焼きつけ、痺れさせる。それは液体電気という感じなのだ。
 ところが、日が沈んでからも、熱帯の暑気が、ますます増していくような感じのする時がある。山上での夜は、一年を通じてたいがい快適である。貿易風に面した海浜での夜は、なお快適である。そういう所の海に向いた部屋の中では、生温かい強風に愛撫されて眠ることができる。その風は突風やそよ風などではなく、絶えず吹きつづける風、――回転する世界にあおられた、厖大な空気の流れなのだ。しかし他の浜にある町々は、たいていは、貿易風を遮断する森林地帯の麓にあるので、蒸れた大気は夜間には、時として名状しがたいものになる。それは過熱状態にある温室の空気よりも、まだ始末におえない。そういう環境の中で眠ると、えてして、この上なくいやなたぐいの悪夢に襲われるものだ。
 私みずからの体験はこうだ。――

 U

 私は一人の混血のガイドを連れて、その島を旅行していた。ある晩、風下の浜にある小居留地で、一夜を明かさねばならなくなった。年とった寡婦の営む、そこの下宿屋のようなところで、宿を借りた。その晩、宿には七人のもの――老婦人とその二人の娘、二人の有色人の女中、それに私自身とガイド――きりだった。我々は階上の、一つ窓の窮屈な部屋に通された――その他の点では、むきだしの清潔な床と、古風な形のどっしりした家具類、ゆり椅子数脚の備わった、典型的なクレオール(*訳注2)風の寝室であった。部屋の一隅には、クレオール達がシャペル(chapelle)と呼んでいる、一種の祭壇を載せた受け棚があった。その祭壇の中には、聖処女の白い像がおさめてあって、前におかれた油壺に、小さな燈明が燃えている。植民地の習慣として、一緒に旅している従僕は、同じ部屋に寝るか、または敷居際に寝る。私の従者は、わたし用の大きな四本柱の寝台の横にマットを敷いて、ゴロリと横になると、たちまちいびきをかきはじめた。寝床に入る前に、私は自分で戸締りを確かめた。
 夜は息苦しかった。空気はねとつくようだった。庭に面した唯一の大窓は、開け放してあった。しかし大気はそよともしない。蝙蝠――とてつもない大蝙蝠――が音もなく飛びこんでは、飛び出ていった。一匹などはベッドの上を飛び回って、私の顔を翼で扇いでいった。熟した果実のむっとする臭いが、吐き気をさそうくらい甘酸っぱく、庭から立ちのぼっている。その庭では、椰子とバナナの木が、鋼鉄でできたように佇んでいる。町の上の森からは、樹上蛙や昆虫や夜鳥の、いつもの夜の合唱がふってくる。その騒音を正確に喩えるには言葉を欠くが、無数の鋭い打音に耳を傾けていると、砕けた硝子が幅広い滝となって、ゆるゆる落ちるさまが空想されてくる。私はうだった硬い寝床の上で、少しでも冷えた場所を捜そうと、無駄な寝返りをくりかえした。やがて私は起きあがり、ゆり椅子を窓の所へ引っぱりだして、葉巻に火をつけた。煙はゆらりともせずに滞っている。ひとつ吐くごとに、煙を吹き払わねばならなかった。私の従者は、いびきをかくのを止めていた。赤銅色の彼の裸の胸は、祭壇のほのかな光を受けて、ぬらぬら照り映えていたが、呼吸(いき)をしているようには見えなかった。死体であってもおかしくはない。重苦しい暑気は、いよいよ重さを増すようだった。ついに精魂つきはてて、私はベッドに戻り、寝についた。
 深夜をかなり回った頃であったか、私は悪夢に先立つ、あの最初のぼんやりした不安――なにかが起こりそうな懸念――を覚えた。私は半分醒めていて、夢の中で現実を意識していた。――自分がその部屋にいるのを知っていて、起き上がろうとした。たちまち不安は恐怖に変わった。自分が身動きできないことに気づいたのである。空中のなにか名状しがたいものが、意志を縛りつけていた。叫ぼうとしたが、どんなに力をしぼっても、誰の耳にも聞こえない、低い囁きほどにしかならないのだ。同時に私は、階段を上ってくる、押し殺したような、重々しい<足音>に気づきはじめた。本当の悪夢が始まったのは、この時である。声も出ず、体も動かない。恐るべき麻痺の恐怖――叫ぼう、もがこうとする意志の、救いようのない格闘。忍びやかな足音は近づいてきた――悪意に満ちた規則正しさで、ゆっくりと――数マイル底から階段を上ってくるように、少しずつ、少しずつ。それは敷居に達して、立ちどまった。そして徐々に音もなく、錠をさした扉が開いていった。<そいつ>は、身をかがめながら入ってきた。――服をまとった――女だ――天井に届くくらいの背丈の――見てはならない!床板がきしみ、そいつが寝台に近づいてきた。――その時――狂わんばかりに力をふりしぼって――私はびっしょり汗をかいて目醒めたのである。心臓は破(わ)れんばかりに鳴っていた。祭壇の燈明は消えていた。あやめもわかぬ闇であった。しかし<足音>が戻っていくのが、聞こえるような気がした。たしかに、床板の鳴るのをまた耳にした。まだ恐れに押しつけられていて、私は文字どおり、身動きもならないのだった。マッチをこすろうという分別は起こったものの、起き上がる勇気がなかった。息を殺して聞き耳をたてていると、ほどなく新たな闇雲の恐怖のうねりが私を貫いた。私はいくつかのうめき声を聞いたのである。長く引いた悪夢のうめき声――階下の二つの部屋から、互いに呼び交わしているように聞こえる呻きだった。すると私の側で、私のガイドが、しゃがれ声で恐ろしげにうなりだした。私は彼を呼び起こした――
 “ルーイス!――ルーイス!”
 私たちは二人とも跳ね起きた。彼の荒い息づかいが聞こえた。彼が闇の中で、短剣を手探りしているのが分かった。それから恐怖にかすれた声で、彼は訊いた。
 “旦那、聞こえますか”
 うめき手たちは、いよいよせわしく呻きつづけていた。すると突然に悲鳴がいくつか上がった。“奥様!”――“お嬢様!”――裸足で駆ける音、ランプの火をつける音、最後に、おびえた声のがやがやいう響き。私は立ちあがって、マッチを手探りした。うめき声と騒ぎはおさまった。
 “旦那”と私の従僕はまた尋ねた。“あれをごらんになったでしょう”
 “何のことだね”私は指でマッチをつかみながら、とまどって答えた。
 “あの女ですよ”彼は答えた。・・・<あの女>?
 その質問は私を仰天させて、身動きもできなくした。そして聞き違いではなかったかと、いぶかった。しかし彼は、自分に言いきかせるように、その方言で喋りつづける。
 “のっぽの、のっぽの――この部屋につかえるくらいの、のっぽでしたよ、あの死霊(ゾンビ)は。あいつが来たとき床がきしみました。わしは聞いたんです――見たんです。”
 ちょっとして蝋燭を点けおおせると、私は扉のところへ行った。依然として錠が――しかも二重にかけられていた。高い窓から人が入ってくることは、全く不可能であったろう。
 “ルーイス”と私は、自分で自分の言葉が信じられずに言った。“お前は夢を見ていただけのことだ。”
 “旦那”と彼は答えた。“夢なんかじゃございません。あいつはどの部屋にも入って、人に触っていたんです。”
 私は答えた。
 “莫迦なことを言うんじゃない。ほら!――扉だって二重に錠がかけてある。”
 ルーイスは扉には目もくれずに答えた。
 “ゾンビの出入りは、戸締りなどにはおかまいなしです。・・・この家は虫がすかねえ・・・旦那、その灯りをつけっぱなしにしておきなせえ。”
 彼は最後の文句を尊敬語を使わずに、命令するように言った。ちょうど共通の危険が迫った瞬間に、ガイドの口調がそうなるように。そして彼の調子から、私にまで恐怖が感染してくるのであった。蝋燭の光にもかかわらず、私は一瞬、目覚めた状態で悪夢の感覚を味わったのであった。いろいろな暗合は理性を麻痺させた。因果関係の説明に、原始時代の恐怖の妄想が、確実なことのように割りこんできた。私の幻影とルーイスの幻影との類似性、二人ともに耳にした床のきしり、すべての部屋につぎつぎに訪れた夢魔――それらのことが証拠としてつなぎ合わされるのは、不愉快この上もなかった。私は自分が幻を見たと思ったあたりの床板を、足で確かめてみた。床板は、私が先に聞いたのとちょうど同じ、大きなきしりを挙げた。“あれは夢なんかではございませんでした”ルーイスは言った。私は蝋燭を点けはなしにして、ベッドへ戻った。眠らずに考えにふけった。ルーイスもまた横になり、手を短剣の束に置いていた。
 私は長いこと考えていた。今は階下もすべて静まり返っていた。暑さもどうやらおさまりだしていた。時々涼しい風が、庭からそよそよ吹いて、陸風の立ちつつあることを告げていた。最前の恐怖もどこへやら、ルーイスは、すぐにまたいびきを立てはじめた。すると板の大きくきしる音がして、私ははっとした。私の足で試みた同じ床板であった。今度は、ルーイスの耳に入ったようには見えなかった。そこには何もいない。さらに二度ばかり鳴った――そこで私は納得がいった。最初には酷暑が、今度は気温の変化が、それぞれ板をたわめ、また、たわめ返して、音を発したのであった。不完全な眠りの状態である夢の中へは、物音は充分に聞こえてくる。それらは想像力に強く影響して、長い一連の、ゆがんだ幻想を作動させるのである。別々の部屋で、ほぼ同時に悪夢を体験したということは、その時のむかつくような大気の圧迫から、充分に説明できるはずだと、その時同じく私の頭に浮かんだのであった。
 二人の夢のいまわしい類似性ということが、いまだ説明さるべく残っていた。しばらく熟考したのち、この謎の自然な解決も、また見つけることができた。その暗合は、たしかに驚くべきものだったが、しかし似ているのは部分的にすぎない。私のガイドが悪夢の中で見たものは、おそらくアフリカに起源をもつ、西インド諸島の迷信のおなじみの創造物であった。しかし私の見た幻は、幼年時代によく私の眠りを悩ませたものであって、想像力に恵まれた、それとも呪われたとでも言うべき子供に、話して聞かせてはならなかった、ある恐いケルトの民話の印象から、自身で作りあげた幻であった。

  V

 後にこの体験を考察しているうちに、私は人が“暗がりの恐怖”と呼んでいるが、実際はそうではない、あの恐れの意味について考え及ぶようになった。暗がりは単にそれだけの条件では、決してあの感情――はっきりした幽霊の観念よりも数千年の時代をさかのぼる感情――を惹き起こしえなかったであろう。子供の表わす、あの遺伝的な本能的な不安は、闇自体への恐れではなく、闇と結びついている漠とした危険の恐れなのである。進化上から説明すると、この朦朧とした、しかし厚みのある恐怖は、実の体験――暗がりで活動する何ものかの体験――から生まれた印象を、最初の要素として持つのであろう。そして超自然の恐怖は、情動のずっと後期の発展段階として、それに入り混じったのであろう。夜行動物の眼の光る、原始時代の洞穴の暗がり――水を飲みに来るものを、捕えんと待ち受ける、破滅のひそむ、川岸沿いの木々の間にのぞく暗闇――恐怖のひそめる、繁った岸辺の薄暗がり――大蛇のねぐらの薄明り――慌ただしく飛びこんだ避難所にこだまする、飢えた野獣と追いつめられた人の憤怒――墓地、そして被葬者と洞穴を襲うものとの間に空想された、恐ろしい類縁性――すべてそうしたことが、そして闇と死との関係の、その他の無数の印象が、かの暗がりに対する先祖代々の恐怖をつくりだし、子供の想像に出没し、時として文明の保護のもとに眠る成人をも、今なお襲うのに違いない。
 夢の恐怖のすべてが、記憶以前の太古の恐怖というわけではない。しかし、遠くから眼に見えない力によって捕えられる、あの異様な夢魔の感覚――それは単に睡眠中に意志力が停止することで、充分説明がゆくであろうか。それともそれは“捕獲されたこと”の無数の記憶の、合成された遺伝ではなかろうか。たぶん真の説明が教えるのは、恐ろしい呪縛や恐ろしい罠などの、生まれる前の体験ではなく、人類はその発展途上において、今存在するよりもはるかに悪い恐怖の状態を、あとにしてきたという、進化論上の驚くにあたらぬ確かな事実にすぎまい。しかし悪夢の心理学上の謎はたっぷり残されていて、人間の有機的な記憶は、かつて滅亡したおぞましい生命体によっておよぼされていた、異様な影響にまつわる苦痛――その消え去った苦痛の痕跡をとどめていないだろうか、という問いへと誘うのである。

訳注1:The knowledge of man is an evening knowledge, vespertina cognitio, but that of God is a morning knowledge, matutina cognitio. ---Emerson Nature [人間の知識は黄昏の知識であり、神の知識は朝の知識である。――エマソン「自然論」]
訳注2:クレオール(Cleole)は、合衆国南部や西インド諸島などにおける、人種的言語的に混交した人々をいう。


 (原題:‘Vespertina Cognitio’ from Exotics and Retrospectives )



作品名:ヴェスペルチーナ・コグニチオ(黄昏考)
作者:ラフカディオ・ハーン
訳者:脩 海  copyright: syu kai 2020
入力:マリネンコ文学の城
Up : 2020.4.12