ニコラウス・レーナウNikolaus Lenau, 本名Nikolaus Franz Niembsch Edler von Strehlenau, 1802−1850)

 

 19世紀前半のオーストリア=ハンガリーのドイツ語圏の詩人。ハンガリーの農村Csatadに生まれる。ウィーンその他の地で気まぐれな学生生活を送る。そののちシュツッツガルトにおもむき、シュバーベン派の晩期ロマン派詩人たちと交際し、最初の詩集(1832年)を出す。理想の地を求めてアメリカに旅立ったが、失望して一年で戻り、その後はウィーンとシュツッツガルトを行き来しつつ、詩作に専念した。1844年には狂を発し、死までの6年間を精神病院に送った。
 レーナウにはバイロンに倣った叙事的作品も多いが、その本領は清冽で憂愁に満ちた抒情詩にある。その重厚で軽やかなムジーク(形容矛盾のようであるが)は、ドイツ的抒情のultima thuleを極めたものと言えよう。




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 レーナウ詩抄<憂愁の旅人

               ニコラウス・レーナウ 作

                  翻訳copyright:shuuji kai 2005



 戒めと願い/霧/過去(こしかた)/秋の情感/秋/憂愁の旅人/
 葦の歌/虚妄
(ヴァニタース)/わが花嫁




   戒めと願い

  そんなにもせわしく
  疾風のように
  生きることはなかろう
  なごやかな春の
  らんまんを見よ
  幸福の歌を聞け
  なんとまあ
  お前の頬の蒼白さよ

  バラはしおれ
  バラはふたたび咲く
  温かな春風にさそわれ
  鶯もまた帰る
  ふたたび君の姿を
  見つけるだろうか

  ‘あんなにも真心から
  火のように
  はやてのように
  とらわれなく
  生きたいものだ
  あの山の奥に
  消えていった
  あの電光の
  いのちのように’

                     原題:Warnung und Wunsch


    霧

  霧よ
  沈鬱な霧よ
  おおいつくせ
  谷と川を
  山と森を
  われのために
  こぼれる夕陽を
  なごりなく

  ひろやかな大地を
  お前の灰色の夜の中へ
  奪いとれよ!
  そうしてまた
  われに悲哀をもたらすもの
  わが過去(こしかた)をも
  奪いされよ!

                     原題:Nebel


    過去(こしかた)

  宵の明星
  蒼ざめた火花
  またたき
  われをまねく
  哀愁の星
  陽はまたも沈む
  死の寂けさ

  軽やかな宵の雲
  たなびき
  柔らかな月照る空
  色さめたバラの
  花輪編む
  陽のしかばねに

  逝く日々の墓地
  沈黙の過去(こしかた)よ!
  心の嘆きをほうむり
  そうして
  あわれ 喜びも!

                     原題:Vergangenheit


     秋の情感

  ざわつく槲(かしわ)の森の
  気むずかしげな声
  とぎれない曇天に
  秋の風
  てあらく ひややかに
  さすらう者を追う

  秋には風は
  森をさわがす
  死の下手人
  われには過去は
  幸福の刈り畑
  吹くばかり

  ひからび
  力なくゆれる
  樹々のわくら葉
  ひと葉 またひと葉
  よろめき落ちる
  森の小径に
  すきまなく

  わが旅の道
  ふさがんとてか
  いよよ深く
  散りしく落葉
  歩みをとどめよと
  今すぐこの場で
  死ぬがよしと

                      原題:Herbstgefuehl


    秋

  今は秋だ
  木の葉が舞い落ちる
  別離の悲哀が
  森を吹きぬける
  荒海に過ごしたこの身は
  春と鶯をとらえそこねた

  空はあんなにやわらかで
  あんなに光り輝いたのに
  その温かい光は失われた
  海には波の華もなく
  荒い風は歌わなかったのに

  そうしてわたしには
  若さが悲しく過ぎ去った
  春の幸福をとらえないままに
  秋は別離の冷たさで
  わが身を吹きぬける
  こころは死を夢みる

                      原題:Herbst


    憂愁の旅人

  人生(いのち)の岸辺に
  われはさまよう
  思い鬱して
  死の海に見いる
  身にまといつく霧の衣
  人生(いのち)の岸辺は
  いよよすさびまさる
  うちよせる波の背
  高く 高く
  なぎさをうつ
  したたれ
  なみだよ
  したたれ!
  さまよいゆけば
  われは見る
  はるかな昔に
  失せはてた愛の時
  影のひとびと
  あざみながら
  かたわらを飛びゆく
  古傷の燃えたつ
  痛みあらたに
  わが望みの死灰
  愛する人たちへの
  とむらいの花輪
  かたわらをはためきすぎ
  嵐の乱舞に引き裂かれ
  わがこころ
  いよよすさびまさる
  美しかった日々に
  幼いわたくしは
  くもりなく喜び
  いのり ひざまずいた
  十字架のキリスト
  今は打ちくだかれ
  なぎさに倒れる
  死の波に洗われ――
  ふとそら耳に聞く
  あやしの声音
  耳そばだてれば
  とりとめないお喋り
  海のかたより
  とおもえば
  鳴りわたる
  ほのかな合唱
  ふたたび沈黙
  ただしおさい
  ただひとり
  わがつれあいの
  むっつり顔の友
  言葉なく指さす
  暗い波のそこ
  ひしひしとその身を
  わがかたえにすりよせ
  われを抱擁せよ
  寡黙な‘死の想い’よ!

                     原題:Der truebe Wandrer


    葦の歌

     1

  夕陽彼方に
  わかれをつげ
  ものうい一日は
  今死にはてる
  池のおもわに
  うなだれる柳
  しめやかに
  ふかぶかと

  われまたいとしい人に
  わかれをつげる
  こぼれよ
  なみだよ
  こぼれでよ!
  ざわめく柳
  もの哀しく
  葦またかぜに
  みをふるわす

  わがうれいの
  ひめやかなおくがに
  ほのぼのとやさしく
  遠いひとのおもかげ
  あしのはざまに
  やなぎのえだに
  またたく宵のほし

     2

  やみふかまり
  雲はしる
  雨おち
  風さわぎ
  嘆きの声
  ‘池よ
   お前の星影は
   どこへ消えた’

  消えうせた光を
  波だつ湖水に
  湖水の底に
  風はたずねる
  わが哀しみの底には
  あなたの愛のほほえみは
  もう見つからない

     3

  ひとの知らない
  森の小径を
  夕焼け空
  あしのおいしげる
  ものさびた岸辺を
  おとめよ
  ひとりさすらい
  きみをおもう

  くさのしげみに
  やみたれこめるとき
  なにやらゆかしく
  あしのざわめく
  あしのうれえる
  あしのささやく
  なくがよしと
  なくがよしと

  なにやらかすかな
  かぜのおと
  きみのこえ
  きくような
  きみのうた
  いともうるわし
  ぬまのみずに
  しずむよな

     4

  陽がしずむ
  くろ雲がはしる
  うっとうしく
  気がかりに
  風つどい
  つのりゆく

  あおじろく
  あらあらしく
  そらをさく
  いなずま
  いけのおもてに
  たまゆらのおもかげ
  うつしつつ

  いなずまのひらめきに
  きみのおもかげ
  みるような
  あらしにみだれる
  ながいかみの
  はためきを
  あかあかと

     5

  静まりかえる
  池のみず
  やさしくやすらう
  月のかげ
  みぎわのあしの
  みどりのこうべへ
  蒼白のバラの
  ひかりのかんむり

  むこうの岡には
  さすらうしかの
  まなこをあげて
  夜をうかがう
  たけたかい
  あしの奥に
  ゆめみるとりの
  みじろぎしばしば

  わがまなこ
  うちふせてなく
  心のそこのそこ
  きみのおもい
  あまくゆく
  しめやかな
  夜のいのり

                    原題:Schilflieder


    虚妄(ヴァニタース)

  かいのない努力
  かいのない奮闘は
  わずかばかりの君の命を
  くらいつくす
  夕べの鐘の鳴りわたり
  狂わしい疾走の止むときまで

  旅の途上に
  自然はこころよく
  君にひらいた
  聖殿のやどりを
  それなのに君は
  目もやらずに
  わだちを邁進していった

  花の香り 小夜啼鳥
  乙女のくちづけ 友のことば
  君を呼びとめ 殿堂にまねく
  それなのに
  先へ 先へと
  君は急いだ

  君のかたわらには
  一人の痴女がいて
  君にわるさをしかけていた
  灰色の遠くへ向かって
  たえず指さしながら
  ‘ごらんよ あんた
  もうそこに
  光り輝くゴールが!’

  女が君にこびをうり
  約束したところの
  黄金や力や誉れやらは
  ただただ遊女のてれんてくだ
  どれもこれもが
  実のないたわれごと

  見たまえ!
  性悪女は
  まだまだ君を遠くへさそっている
  老いぼれとなった君なのに!
  さてさて君のつれは身を隠した
  君はひとり立ちすくむ
  墓の前に

  もう額の汗もぬぐえない
  君のとっくむ相手は死なのだから
  性悪女のあざみ笑いを
  はるかに聞きつけながら
  君は斃(たお)れる!

                      原題:Vanitas


    わが花嫁

  かなたの山の端
  かすみに失なわれ
  金色の光の前垂れかけ
  しとやかに舞い踊る
  宵の雲

  山のかなたの
  光こぼれる空に
  わがまなこのゆくとき
  夢みここちのして
  影なす悲哀の
  わがこころをはむ

  なにとはなくおもう
  わが花嫁の
  かなたに住まうかと
  みめこころの枯れるさきに
  われのゆき 愛するを
  いたみつつ
  待ちこがれるかと

  思わず乱れるあくがれ
  山々へ 乙女へ
  われをかりたて
  あまかける願いのふらす
  至福のなみだ
  まなこよりあふれる

  するうちに
  山々闇にとざされ
  雲は夜にまぎれ
  星影ひとつまたたかず
  嵐が目醒める

  嵐われを叱り叫ぶ
  のぼせあがった愚か者よ
  どこへゆくのか?
  とどまれ!
  お前の花嫁の名は
  ‘苦しみ’
  二人のうえに
  祝福をたれるのは
  ‘ふしあわせ!’

                      原題:Meine Braut


 翻訳・入力:脩 海
 アップロード:2005.12.4