エドガー・アラン・ポオ(Edgar Allan Poe 1809−1849)

                                                                        
 アメリカ合衆国マサチュセッツ州ボストンに旅役者を両親として生まれる。早くに孤児となり、アラン家に養なわれ教育を受けるも、長じて養父と不和断絶の間柄となり、貧困の中に、文学に全てを捧げた人生を送る。ポオの文学は一口にモダンの一語で言い表わせるであろう。近代文学はポオに始まり、果たしてポオを乗り越えたであろうか。ロマン主義と科学精神、論理癖と詩的陶酔、合理性と不条理、正気と狂気、絶望と希望、残酷と高雅、深刻と諧謔、およそ人間精神の中のあらゆる矛盾と両面価値とを一丸としたその文学世界は、近代人の苦悩と深く共鳴したのであった。
 翻訳城ではその多面的多彩な作品群の中から、比較的読まれることの少ない傑作を中心としたサンプルを載せる予定である。その最初にとり上げた「妖精の島」は、ポオの自然観や芸術観、更にそれらに託した人生観が明瞭に読み取れる愛すべき小品である。
 訳者の佐々木直次郎(1900-1943)について一言しておくと、日本のポオ翻訳史において、最初の格調高い、厳密な翻訳を成し遂げた先達である。巷に流布する某社の改変された粗悪な‘佐々木直次郎訳’ではなく、翻訳城では<純正訳>として「ポオ小説全集」を底本とした。(K)


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                  妖 精 の 島


                    エドガー・アラン・ポオ 作

                      佐々木 直次郎  訳



          Nullus enim locus sine genio est.
          (註1 「げに守護神のあらざる土地なし。」)
                     セルヴィウス(註2)

 “La musique,” とマルモンテル(註3)は、わが国の翻訳ではすべて恰もその精神を嘲弄しているかのように“Moral Tales”(註4)と訳されている、あの“Contes Moraux” (原註1)の中で、言っている、――“La musique est le seul des talents qui jouissent de lui-meme; tous les autres veulent des temoins” (註5 「音楽はそれ自身で楽しむ技能の唯一のものである。他のすべては立会人を必要とする。」)と。彼はここでは、美わしい音を聴いて得られる快楽と、それを創造する能力とを混同しているのだ。その演奏を鑑賞する第二者がいない場合には、音楽は、他の如何なる技能より以上に、完全な享楽を与えることが出来るという訳ではない。また、それが孤独でいる時に十分に享楽され得る効果を生ずるということは、他の技能と共通しているに過ぎない。かの話し手(ラコントゥール)(マルモンテルのこと:Kai)が明瞭に心に抱くことが出来なかったか、それとも警抜に対する彼の国民的な愛好のためにその表現において犠牲にしたところの観念は、疑いもなく、高級な音楽はわれわれが全く唯一人でいる時に最も完全に評価される、という極めて尤もな考えなのである。この形式におけるこの命題は、抒情詩をそれ自身のために、またその霊的な利益のために愛する人々には、直ちに承認されるであろう。しかし、音楽以上にさえ隔絶という附加的の情緒に負うているところの、追放された人類の手の常に届くところにある一つの快楽があり、――それは恐らく唯一つのものであろう。私は自然の景色を眺める時に経験される幸福のことを言うのである。まことに、地上で神の栄光をまともに見ようとする人は、その栄光を孤独で見なければならぬ。少くとも私にとっては、――ひとり人間ののみならず、土から生じている声なき緑なすもの以外の如何なる生物の――存在も、風景の汚点であり、――その場所の守護神と不調和なものなのである。げに私は、暗い谷や、灰色の岩や、無言で微笑む水や、安からぬ眠りに溜息(ためいき)をつく森や、すべてのものを見下している高慢にして注意深い山嶽などを、眺めることを愛する。――それらのものを、ただ一の広漠たる生ある有情の全体の、巨大な部分として、眺めることを愛する。――その全体の形球形であるが)はあらゆる形の中でも最も完全な、最も包括的なものであり、それの道は仲間の遊星の間にあり、それの柔和な侍女は月であり、それの間接的の主権者は太陽であり、それの生命は永遠であり、それの思想は神の思想であり、それの享楽は知識であり、それの命数は無限の中に失われ、それのわれわれ自身に対する認知はわれわれ自身のあの頭脳を悩ます極微動物――われわれがそれ故に純粋に無生の物質的のものと見做しているところのもの、ちょうどそれらの極微動物がわれわれを見做しているに違いないのと同じ風に――に対する認知に類似しているのだ。
 われわれの望遠鏡とわれわれの数学的研究とは、無智極まる牧師どもの信心ぶった口吻(こうふん)にも拘らず、その空間、従ってその容積が万能の神の眼には重要な事柄であることを、あらゆる点においてわれわれに確信せしめるのである。星の動く旋道は、最大多数の物体が衝突せずに回転するに最もよく適合した旋道である。それらの物体の形は、正確に、与えられた表面の範囲内で最大量の物質を包含するようなそのようなものである。――そしてその表面そのものは、別のに配置された同じ表面に収容し得るよりも以上に稠密な人口を収容するように布置されているのだ。また、空間そのものが無限であるということは、容積が神にとって一の目的であるという考えに反対する何等の論拠でもない。何故ならば、それを充たす無限の物質があり得るからである。そして、われわれは、物質に生命力を賦与することが神の操作における一つの原則――実際、われわれの判断し得る限りでは、その主要な原則――であることを明かに認めているのだから、それを、われわれが日毎にそれを発見し得る細微なものの領域に制限されていると想像して、壮大なものの領域にまで拡張しないのは、論理的だとは言い難い。われわれは、果しなく旋道の中に旋道を――しかし上帝であるところの遙か遠くの一つの中心の周りをすべてのものが回転しているのを――見出す如く、同じように、生命の中に生命を、より偉大なるものの中により小なるものを、また神なる霊体の中に万物を、類推的に想像することが出来ないであろうか?要するに、われわれは、自負心のために、人間が、その現世のかあるいは未来のかどちらかの天命において、彼が耕作し軽蔑しているところの、かつそれが働いているのを彼が見たことがないというよりも深くはない理由で霊魂があるということを否定しているところの、かの夥しい「谷の土塊(つちくれ)」よりも、宇宙においてもっと重要なものである、と信じている点において、馬鹿馬鹿しいほど誤っているのである。(原註2)
 こういう気持や、またそれに似たような気持は、常に、山や森の間の、また河や海のほとりの私の瞑想に、世間の人々がきっと空想的と名づけるに違いないところのものの気味を与えているのだ。私はそのような風物の間を、幾度も、ずっと遠くまでも、またしばしば一人で、歩き回った。そして、自分が数多のうす暗い深い谷をさまよい、あるいは数多の澄みきった湖に映っている空を眺めた時の感興は、自分が一人でさまよい、眺めているという考えによってよほど深められる感興であった。ツィンメルマン(註6)のあの有名な著作にあてつけて、" la solitude est une belle chose; mais il faut quelqu'un pour vous dire que la solitude est une belle chose ”(註7 「孤独はいかにも結構なものである。が、誰か、孤独は結構なものであるということを、諸君に言う人がいなければならない。」)と言ったのは、何というおしゃべりやのフランス人(原註3)だったろうか?その警句はいかにも反駁することの出来ないものである。が、その必然性は存在しないところのものなのだ。
 かつて私が山また山の、もの淋しい河がうねり、陰鬱な沼が眠っている、遙か遠い地域の間を、ただ一人で旅をしているうちに、――図らずもさる小川と島とのあるところへ、ひょっこりと出たのであった。樹の葉茂る六月に、私は突然そこへやってきたのだが、その景色を眺めながらうとうととまどろめるように、何かわからない或る馥郁たる香を放つ灌木の枝の下の、芝地の上へ身を投げた。そうしてのみその景色を眺めるべきだと私は感じたのだ。――そういう幻像の性質だったのである。
 太陽が将に沈みかけようとしている西の方を除いて――すべての側には、森が新緑鬱蒼たる壁となって立ちめぐらされていた。水路が鋭く曲がっていて、だから直ぐ見えなくなっている小川は、その牢獄からの出口がないように思われ、東の方の樹々の繁った深緑の葉に吸いこまれているように見えた。――そしてその反対の方向には(自分が長々と横たわり、上を仰いでいたので、そう見えたのだが)、空の日没の泉からこの谷の中へ、素晴らしい金色と深紅色との瀑布が、音もなく、絶えず、流れ落ちているのであった。
 私の夢みるような眼の眺めたその短い通景(みとおし)の中ほどに、こんもりと新緑に覆われている、一つの小さな円い島が、流れの面の上に横たわっていた。

  岸と影とは雑(まじ)りあい
  共に空(くう)に懸(かか)れる如く見え (註8)

透明な水はまるで鏡のようで、緑柱玉(エメラルド)色の芝生の斜面(スロープ)の何処からその水晶の領分が始まっているのか、殆んど言い難いくらいであった。
 私の位置は自分をして小島の東端と西端との両方とも一と目で見渡せるようにさせたが、その両方の眺めには奇妙に著しい相違が認められた。西の方はすべて一の庭園の美しさの輝かしい聖地であった。それは斜の日光の眼の下で光り赤らみ、花で美しく微笑んでいた。草は短く、生々(いきいき)していて、甘い香を放ち、しゃぐまゆり(アスフォデル)が処々にまじっていた。樹木はしなやかで、陽気で、真っ直ぐで、――晴やかで、ほっそりしていて、優美で、――東洋風の姿と葉ぶりと、滑らかな、つやつやした、雑色の樹皮とを持っていた。すべてに生命と歓喜との深い感じがあるように思われた。そして天からは少しの風も吹かないのに、それでも、翼のあるチューリップと間違えられそうな無数の蝶があちこち静かにひらりひらりと舞っているために、すべてのものが動いているのだった。(原註4)
 小島のもう一方の即ち東の端の方は、最も黒い蔭の中に覆われていた。ここでは、陰気な、しかし美しい、平和な憂鬱が、あらゆるものに滲(し)みわたっていた。樹木は色彩が黒ずみ、形と姿勢とが悲しげで、――もの淋しい、陰鬱な、幽霊のような恰好に絡みあい、死の悲哀と不時の死との観念を伝えていた。草は糸杉(注9)の濃い色を帯びていて、その葉身の先はうなだれていた。そしてその間の此処彼処に、低くて狭い、さほど長くない、墓のような様子をしてはいるが、そうではない、小さい不恰好な塚がたくさんあった。もっとも、その上や周り一面には、芸香(へんるうだ)と迷迭香(ローズマリー)とが這い上っていたが。樹木の蔭は水の上へ重苦しく落ち、その中へ没して、水の底に暗黒を染みこませているように思われた。私は、一つ一つの影が、太陽の次第次第に低く沈んでゆくにつれて、それの生えている幹から不機嫌に離れて、こうして流れに吸いこまれるのだ、そして、他の影が時々刻々に樹木から出て、埋められてしまった前のものに取って代るのだ、と空想してみた。
 こういう考えが、一度自分の空想を捉えると、大いにそれを刺激し、私は直ちに夢想に我を忘れて没頭してしまった。「もしかつて島が魔法をかけられたということがあるなら、」――と私は独言(ひとりごと)を言った。――「これこそ、それだ。これは、その種族の滅亡から残存しているあの少数の優しい妖精たちの巣窟なのだ。あの緑の墓は彼らののだろうか?――即ち、彼等は人類がその生命を返すように彼等の美わしい生命を返すのだろうか?死ぬ時に、彼等はむしろ傷わしくだんだんに憔悴してゆくのではなかろうか?あの樹木が一つ一つ影になってゆくように、彼らの実体を解体してしまうまで消耗して、彼らの存在を徐々に神にさせるのではなかろうか?その消耗してゆく樹木と、その蔭をのみ、そうして餌食にしたものによって益々黒くなる水との関係は、妖精の生命と、それをのみこむ死との関係であり得ないだろうか?」
 眼を半ば閉じてそういうことを考えこんでいる時、その間に太陽は急速に沈みゆき、渦巻く水流はその水面に無花果(シカモア)の樹皮の、大きな、目を眩ますばかりの、白い薄片――その薄片は、その水上におけるさまざまな位置のために、ちょっと想像すると何とでも好きなものに思われそうだった――をのせながら、島の周りをぐるぐると回っていたが、――私がそういうことを考えこんでいるうちに、自分がそれまで夢想していた正にその妖精の一つの姿が、島の西端の光明のところから暗黒のところへゆっくりと進むように、私には見えた。彼女は妙に脆い丸木舟(カヌー)の中に真直に立ち、ほんの幻のような一本の橈(オール)でそれを推し進めて行った。まだためらっている日光に照されている間は、彼女の態度は歓喜を表わしているように思われた。――が蔭の中へ入ると悲哀が彼女のその態度を変えた。ゆっくりと彼女は漂いゆき、遂に小島を回って、再び光明の区域へ入った。「今あの妖精のすませた一回りは、」と私はもの思いを続けた。――「彼女の短い一年の周期なのだ。彼女は自分の一冬と一夏とを流れ過ぎたのだ。彼女は一年だけ死に近づいたのだ。何故と言うと、彼女が蔭の中へ来た時に、彼女の影が体から落ち、暗い水の中へのみこまれて、その水の黒さを更に黒くしたのを、私は確かに見たのだから。」
 それから再びその妖精をのせた舟が現われた。が妖精の態度には憂慮と不決断とが多くなり、快活な歓喜が少くなった。彼女は再び光明のところから去って、幽暗(それは刻々に深まってきた)の中へと漂うてゆき、再び彼女の影は体から黒檀の水の中へ落ちてその暗黒の中へ吸いこまれた。こうして幾度も幾度も彼女はその島を回り(その間に太陽はその眠りに就こうと急いで下って行った)、そして光明のところへ出てくる度毎に彼女の体には更に悲哀が加わり、その体は更に弱くなり、ずっと元気がなくなり、一層朦朧となってきた。それから幽暗のところへ入る度毎に彼女の体からは更に暗い蔭が落ち、それは一層黒い影の中に覆われてしまうのだった。けれども遂に、太陽が全く沈んでしまった時、今やもとの姿の単なる亡霊に過ぎない妖精は、その舟と共に黒檀の水の領域の中へ淋しく入ってしまった。――そして彼女がそこから出たかどうかということは、私にはわからない。――何故なら、暗闇があらゆるものの上に落ちて、彼女の魔法のような姿は私にはもう見えなくなったのだから。


 原註1 Moraux はここでは moeurs から出たものであり、「流行の」、あるいはもっと厳密に言えば「風習の」、という意味なのである。
 原註2 潮のことを語る時に、ポンポニウス・メラはその論文 “De Situ Orbis” の中で、「世界は大きな動物であるか、それとも」云々と言っている。
 原註3 大体は――バルザック。――私は語を記憶していない。
 原註4 “Florem putares nare per liquidum aethera.”――P・コマイア。



 註1 (本文中に移す)
 註2 Servius Honoratus ――四世紀の後半から五世紀にかけて生きていたと推測されるローマの文法家。ヴァージルの註釈者として知られている。
 註3 Jean Francois Marmontel (1723――1799)――フランスの著作家。ヴォルテールの弟子であった。悲劇、論文、小説等の著作がある。“Contes moraux”は1761年の作。
 註4 「道徳的の物語」。
 註5 (本文中に移す)
 註6 Johann Georg Zimmermann (1728――1795)――スイスの医師にして哲学者。その「有名な著作」というのは、「孤独論」 “Ueber die Einsamkait” (1755)をさすのであろう。
 註7 (本文中に移す)
 註8 作者自身の青年時代の詩「海中都市」(または「死の都」、「罪の都」)の中の次の二行の詩句を少しく変えたものであろう。
  「塔と影とは雑りあい
   すべてが空に懸れる如く見ゆ。」
 註9 糸杉の樹は死を象徴する。


   


著者:エドガー・アラン・ポオ
作品名:妖精の島
翻訳者:佐々木直次郎(1900−1943)
底本:「エドガア・アラン・ポオ小説全集第4巻」昭和7年、第一書房。
入力者:脩 海(エポス文学館)
アップロード:2006.9.29

<入力に当たっての方針>
1.新字新仮名に改める。ただし、送り仮名については、みだりに変えない。
2.主な変更点:
ラコントゥウル、チュウリップ、ロオズマリイ等、は長音符に変える。<ラコントゥール、チューリップ、ローズマリー等。/於いて<おいて/且つ<かつ/屡<しばしば/廻る<回る/嘗て<かつて/横はり<横たわり/口吻<(こうふん)と読み仮名を振ったが、(くちぶり)も可/
3.註の中のあるものを、読者の便宜を考えて、本文中に移した。