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                 サロン・ウラノボルグ 第11章


            デカンションへの旅
                   デカンションへの旅(2)デカンションへの旅デカンションへの旅 dekannsyonnheno      ――作者不詳(オリアンの某青年)


 第一章 バスタブ宇宙船

 或る日友達の宇宙人がやって来て、長いことお世話になったが、いよいよ地球を去ることにした、という挨拶である。しばらく前から悪性のインフルエンザにかかって寝こんでいるという噂で、見舞いに行こうと思っていた矢先だったので、風邪のほうは大丈夫なのかい、と訊いてみた。友はちょっと鼻をさすって、うん、宇宙へ出てしまえばどうということはないよ、ところで・・・と言葉を継ぐのである。君も一緒に来ないか、いろいろ案内してもらったお返しがしたい。私はちょっと思案した。丁度これといった用もない。変わり者の友が何を考えているのか、探り出したい興味もわいて、そうだな、つき合ってもいいが・・・。それなら、と宇宙人は言う、今からすぐ来たまえ、僕の下宿を知っているねと訊くので、私はちょっとぶっきらぼうに知らないと答えると、じゃあ一緒に出ようと言う。彼の下宿先をこれまで訪ねたことも、また彼のほうから誘ったこともなかったのは、妙な話だ。いつも彼のほうから姿を現わしたし、またいつの間にか彼の住居(アドレス)をよく知っているような錯覚に陥っていたらしい。そんなことを考えながら、この宇宙人と呼ばれるにふさわしい友と道を歩いていった。
 友の下宿は、少し行った先の安アパートの二階の一間だった。一二度前を通った覚えがある。なるほど、それで知らないのに知っているような気がしたのだと得心しながら、薄暗い階段をぎしぎしきしませ、友の先に立って上がった。部屋の中はアパートの外見ほど荒んではいなかった。むしろ清潔な感じがした。畳と電球のソケットの外には、見事に一物もなかった。
 「君、夜はどうしてるんだい」
 「どうもしやしないよ」
 毎晩、真暗な中で目だけ光らせているのは、いかにも宇宙人らしいと思った。手持ちぶさたに、何の気もなく押し入れをからりと開けてみた。友の軽い制止するような身振りも意に介さなかった。下宿生活者の本能的な無遠慮とでもいうものが、つい出てしまう。
 「なんだい、布団もないじゃないか。すると荷物だけはもう先方へ送ったわけか。なにかね、宇宙にもやっぱり引越し専門のU.F.Oとやらがあるのかい」
 友は私の皮肉な調子に慣れ切ったらしく、
 「君に引越しの手伝いまでさせては悪いからね。ところで、ちょっとどいてくれないかな。肝心なやつを出さなくてはね」
 何か見落としたものでもあったかなと、言われるままに押入れの前をのき、下の段を覗いてみると、初めは光の加減でよく見えなかったが、なるほど透明なプラスチックか何かでできた、細長い風呂桶のような形の箱がある。友は軽く指を引っかけ、暗がりから引っぱり出した。ずいぶんと軽いらしく、何の抵抗もなくその透明の風呂桶は指の先について来たばかりか、明るみに出してみるとやけに大きいのである。手袋から兎が跳びだしてきたような、呆気にとられた顔をしていたに違いない。友は――常はのっぺらぼうのように無表情であったが――微笑のようなものを口辺にスケッチして、これは彼のベッドであると言う。
 「すると君はヴァンパイアか何かのように、毎晩棺桶の中で寝ていたというわけか」
 私は透明なケースに指をふれながら言った。ケースは指の圧力に応じて揺れた。よく見ると数センチの距離をおいて畳の上に浮かんでいる。
 「それにしても、これでは君の身の丈に足りないではないか」
 私は浮かぶ棺桶か風呂桶の寝心地はどんなものかと、いつもの性急さから片足を踏み入れそうにしたが、宇宙人の友は押しとどめた。
 「君、着ているものを脱がなくてはだめだよ」
 「それではいよいよ風呂桶ではないか」
 「何と呼ぼうと、これは生活のあらゆる必要を充たしてくれる。そればかりか・・・」
 友は窓に寄って、建てつけの悪い、もともとの曇り硝子かそれとも歳月が曇らせたのか不透明な硝子窓を開け放った。外は早春の曇り空である。まだ薄ら寒い風が不意を襲う。その点を抗議しても、友はとり合わない。すぐに暖くなるよと言うのである。窓を開けたまま、彼はさっさと衣服を脱ぎ始めた。
 「何をしようというんだい」
 「一緒に風呂へ入ろうと思ってね。君も脱ぎたまえ」
 こういう場合、誰もが想像する淫靡な考えが頭をかすめたが、それにしては窓を開け放ったことと一致しない。互いに裸になることはさして奇異なことではない。初めて知り合った日のこと、丁度暑い夏の日盛りだったので、通りかかった銭湯で汗を流して以来、公衆浴場愛好者となった友としては、しかるべき場所で共に裸になることは少しも臆さない。だが理由も分からず裸になれと命じられたり、いきなり人が裸になったりするのは、どうも意識にこびりついた習性が反撥する。友はさっさと入浴スタイルになり、ただタオルが手にないだけで、例の風呂桶に足先から浸かった。丁度西洋人の入る小型のバスタブに、縮こまって首だけ出している塩梅だったが、奇妙なことにそれまで透明だった材質がいつの間にか半透明に曇り、おまけに湯がたっぷり溢れているように首から下も乳白光でつつまれていた。
 「いい湯加減だな。君も早く入れよ」
 この宇宙人は滅多に冗談を言わなかったのだが、私から日本語を洗練されるに及んで、私のシニックな気質までいつの間にか模倣しているらしい。だが、それはどうも木に竹をつぎたしたような、妙にそぐわない印象なのである。もしコンピューターが冗談を言うとしたら、きっと聞く人を同じしらけた気持にするであろう。せっかくの友の仰せであったが、二人入るにはいかにも小さな風呂桶であったので、その点を友に注意すると、答える代わりに友の首がふいと湯煙にもぐって見えなくなった。しばらくたっても浮き上がって来ないので、上からのぞき込むと、乳白色の雲が蓋のように閉ざしていて様子が分からない。躊躇していると、その雲の底から友の声がして、早く入れと言う。何か手品のようなトリックを予想し、急に好奇心が頭をもたげ、私はぬぐ手ももどかしく裸になると、棺桶に片足を突っこむような気分で、友を踏んづけないように用心して縁をまたいだ。乳白光の中へ足を入れると妙な生温かさだった。そのまま足でかき回したくなる衝動を抑えて底へつけ、もう一方の足を入れて膝の上まで雲に浸かった途端、乳色の雲はもうもうとせり上がって来るように思われ、あっという間に首まで浸かり、首をつつみ、気がつくと私は真珠色の雲の下に立っていた。宇宙人の友も同じように私の前に立っていた。
 「風呂桶の中がこんなに広いとは思わなかったよ」
 「物の大きさというのは相対的なものだからね。その気になれば、マッチ箱の中にだってもぐりこめるよ」
 「それじゃあ、鯨だって針の穴をくぐれるって寸法だな。君の本当の大きさというのはどの位なんだね」
 「私たちには定まった大きさはないと言ってもいいね。都合によって大きくなったり、小さくなったりするからね。ゆく先々の環境や住人に合わせるわけだ。だから私も自分が本当はどのくらいの大きさなのか、今では忘れてしまった」
 「まるでカメレオンではないか。もっとも彼らは色彩を変えるだけだがね。それでも生まれた時の大きさがある筈ではないか」
 「君は生まれた時の大きさを覚えているのかい」
 「それは赤ん坊の大きさは似たり寄ったりさ」
 「私たちの誕生は授精の瞬間から始まる。君たちは教育を、赤ん坊がある程度の段階に達した時から始めるが、私らの人生はすでに単細胞の段階から始まっているのだ。君らが個体発生と呼ぶ段階で、すでに将来のためのあらゆるコントロールや矯正が行われ、君らが誕生と呼ぶ段階では、すでに外界での活動に必要な大半の知識が授けられている」
 「君らの学校は子宮の中から始まるというのかい」
 「もちろん人工的な子宮だけれどもね」
 「するとその人工的な子宮から生まれた赤ん坊は、すでに一人前の面をしているというわけかい。怪物だな、それは」
 友は怪物という表現に気分を害した様子もなく――およそ感情の変化をとらえることが恐ろしく困難な能面であったが――、
 「子宮から出てももちろん成長は続く。君たちの時間の基準で、およそ五年間でいわば成人するわけだが、その間にもなにしろ必要に応じて身体を伸縮させているから、本当はどの程度の大きさに成長したのか忘れてしまう。また気にする必要もないわけで、成人した所で身体の外見的特徴が特に重要というわけでもない。私たちの成長というのは、生エネルギーの内部的な飽和のことなのだからね」
 五歳で成人すると聞いて、私はこの宇宙人は一体何歳なのであろうと気になったが、問うことを控えた。彼が幼稚園児や小学生の歳であるのを知ったりしたら、ひどく興醒めなことであろう。かわりに訊ねた。
 「君たちの成長の早いのは分かったが、それではあまりに人生が長きに過ぎはしないかね。何といっても人生の華は青春期なのだから」
 「私たちの人生は君らの時の基準で二十年、長くも短くもないね。君らと違って、私らには老衰というものがないから、人生の華である状態をいつまでも保っていける」
 「老衰がなければどうして二十年で死んだりするんだ」
 「私たちは死なない」
 「死ななければどうして人生は二十年なんだ」
 友は薄く笑ったようだった。寛大な微笑だったが、人をへりくだらせる笑いでも、気を悪くさせる笑いでもなく、あえていえば問いの不可解に対するとまどいであったろう。遠い伝説となった何かを思い出しでもするような。死という、私たちにとってはいまだに冷厳な現実である伝説を。
 話をしている間に私はあたりを見回した。曇っていた材質は再び透明度を取り戻し、頭上の雲も粒子が渦巻きだし整列するように思われ、忽ち氷のような透明な蓋に凝固した。私たちは百畳敷位の大きな部屋の中にいた。広さだけでなく、天井もぐんと遠ざかり、落ちてきそうな圧迫感を与えた。足元には普通の数倍はある畳の目がケバだっていた。ジャングルを這うように、白い昆虫のうごめく姿が畳目の間にあった。
 「ちょっと広げ過ぎたようだから、調節するまで待ちたまえ」
 「畳まで引越し先へもってゆくのかい」
 「気に入ったのでしばらく使おうかと思う」
 私たちの体の大きさに比較して、風呂桶の中は丁度よい広さにまで縮まった。あるいは私たちの身体の大きさが調整されたのであるか、いずれにしても天井までは身長の二倍位になり、四方が透明なのを別にすれば、小船の狭からぬ船底にいるようだった。気がつくと風呂桶は漂いだしていた。身に何の振動も覚えさせず、運動に伴う重心の抵抗もなく、いよいよバスタブ宇宙船は発進しようというのである。開かれた窓際に一瞬止まり、次にはあっという間に雲間を抜けて成層圏へ出ていた。船内には運転台らしきものも、パネルもボタンも見当らない。友は宇宙船が動きだすと、一方の隅のなめらかな曲線で一段高くなった、そのためにバスタブの印象を与えている、プラットフォームの端に腰を下ろした。その部分だけ半透明になっているので、おそらくこの平坦な隆起の下に動力が収まっているのだろう。
 「一体どうやって操縦してるんだい」
 「ちょっと待ちたまえ。今命令しているから・・・。O.K 、こっちへ来て坐らないか。しばらく地球のまわりを回転させることにしたよ」
 そのプラットフォームの縁に腰を下ろすと、案に相違して羽毛の布団に支えられたようだった。支えられたというのは、いわばクッションのように落ち込む感覚のかわりに、その場所では全く物の抵抗がなくなってしまうようだった。つまり宙ぶらりんではあるが、しかし重心まではなくならない。形容矛盾のようだが、無重力の状態から無重力の不快を取り除いた快適とでもいおうか。
 「こんなベッドで君は毎晩寝ていたのか」
 私は感心して言った。
 「うん、インフルエンザにはまいったがね」
 「君らほどの科学でも、そんな病気にかかるのかい」
 「いや、全く僕の油断だったのだ。そこの惑星へ行くと、そこの惑星の風土や生命の状態に体質を合わせるんだが、今度の場合はちと合わせすぎて、君らの病にまでつき合ってしまったというわけだ」
 「さっきの操縦の話だが、この船には計器類などは全然見当らないね」
 「それはすべて命令で動くように出来ているからさ」
 「しかし命令したようには聞こえなかったが」
 「それは声に出さなかっただけさ。心の中で対話すれば充分なのだ。この船は機械というよりも生き物のようなものなのだ。乗員の考えをいつでも読みとって、命令を待っている。時には気がつかないうちに、乗員の考えを先取りして、自分で行動することもあるが、その場合でも結果として乗員の期待を裏切るようなことは先ずないといってよいね。つまりこの船に乗りこんだ時から、僕とこの船は一体となったといっていい。かりに僕がずっと眠りこんでいたとしても、この船は僕の心が考えている通りの航路を間違いなく飛んでいくね」
 「でもそれはかえって危険ではないか。君の船にケチをつけるわけではないが、それでは乗員の心に負担がかかりはしないか。たとえば、君がもし狂っていたとしたら、船まで狂ってしまうわけではないか」
 「それは君がこの船の船長だったら言えるが、私たちは狂わない。それにもし機械が私たちの意志とは勝手に行動するのだったら、それは本当の機械とは言えないね」
 「だが勝手といっても、それは人間の労力を節約することではないか。機械がそこまで精神にくいこんで、精神に無用の労力を課するのは、今君もあてこすったが、人間には耐えられないね。人間のひよわな意志や知力を代行するのが、機械の本来の役目なのだ」
 「人類はそう考えているようだが、少しポイントを変えて眺めてみたらどうだろう。機械が肉体や精神の労力の代行をするというのは真実だが、その点だけを強調すると、いずれ人間の意志は衰えてしまい、機械力の前に人間の活動は取り残されて無力化してはしまわないか。つまり自ら創りだした機械の力をおのれの力として、その行為をおのれの行為として見ることが出来ずに、本来自己の可能性であるものから疎外されてしまうのだ。僕はそういう文明をいくつも見てきたよ。そこでは最後に機械だけが残って、それを創った生命たちは、船にへばりついているフジツボの群れのように惨めな存在に堕ちてしまい、いずれは船と共に沈没してしまうのだ。機械をおのれの生命と同化することが出来なかったからだ。そういう努力をしなかったばかりか、いずれは機械のほうが生命と妥協してくれるだろうという幻想をいつしか抱きはじめ、そうなったらそれはもう奴隷でしかないのだ。私たちにもずっと昔そういう時期があったが、機械に心を与えることによって私たちはその危機を乗り切ったのだ。自然という精巧な機械である私たちに心があるように、私たちの創る機械にもまた心がなければならない。そしてその機械を用いるということは、その機械の心と一体化することであり、いわば私たちが心の中で自省するように、機械と対話することなのだ。それは確かに君たちには緊張を要することかもしれない。スイッチやボタンの操作以上に入っていかない君たちの機械文明には、機械に心を知られるということはしゃくかもしれないし、自分の誤った判断しだいで機械と乗員が心中を遂げねばならないというのは、弱い精神には危険きわまることだろう。だがそれは機械によって同時におのれをも高めるということではないかな。機械と対話するには、それだけの精神が要求されるのだ」
 「お話は分からんでもないが、ところで僕にもこの船の操縦ができるだろうか」
 「君が機械に話しかけさえするならばね。声に出さなくてもいいのだ」
 私は耳を澄ましてみた。といってエンジン音一つ聞こえるわけではない。試みに呼びかけてみた。――おおい、機械やーい・・・。すると、ふいに心の中をなにやら生温かいものが吹き抜ける感じがして、ざわざわと頭の中が鳴りだした。何ものかが脳の背後からうさんくさげに窺っているような不快な気分がして、私は慌てて立ちあがった。船内を二三周するうちに、その不快感は徐々に消えた。私は今にも倒れそうな蒼い顔をしていたに違いない。友は例の微苦笑を浮かべた。
 「なんだろう、不意打ちされたような嫌な気持だった」
 「それは君が相手を信用しないからです。機械だって相手を選ぶ権利があるのだよ」
 「それにしても、心の中をのぞかれるというのは嫌なものだ。相手が機械であれ、何であれだ」
 「それは人間が、自分の心だけは秘密だという観念に凝り固まっているからだね。もっともそれはある程度必要なことなのだが。心はレンズのようなもので、思考はその焦点です。しかし心はまた反射鏡でもあり、光をとらえ、光を送り返す」
 「すると君には僕の心が読めるわけか」
 私は愕然となって訊ねた。
 「その気になればね」
 「ぜひその気にならないで欲しいものだ」
 私はさっきの不快感にこりて、つい口調を厳しくした。話に熱している間に、風呂桶宇宙船は地球を巡る衛星軌道に乗って、ゆっくり漂っていた。地球は足の下に、広大な球面となって広がっている。今まで幾人の宇宙飛行士がこの光景を眺望したかは知らないが、私としては写真や映像で見なれたせいか、これといった感慨がわかない。それよりか、上下左右透明な中に坐ったり立ったりしているので―船の中は一方に重力が働くようになっているらしい――、今にも地球の方へ小石のように落下して行きそうな眩暈を覚える。宙空になにごともなく、硝子の箱ごと浮んでいるようなのが、実に妙なのである。しばらくの間は、二人とも黙って、回転していく地球を眺めていた。
 するとふいに、風呂桶と並行した高さを、くらげのように形のない白くぼやけたものが、いくつかこちらへ漂ってくるのに気づいた。こんな高空に生き物が住めるというのは驚きだった。だがそれは明らかに運動していた。友の注意を喚起すると、驚いた様子もなく、あれは地球に寄生している宇宙生物だと言う。知的な生命体ではあるが、その生の燃焼を専らエクスタシーに求めているのであると。宇宙船に衝突するように見えたが、何のさし障りもなくすり抜けていった。通り抜けるとき、先ほどの機械との対話のように、頭の奥が軽くざわついたが、すぐに遠のいていった。
 「いったいどういう物質でできてる連中なんだろう」
 「あれは正確に言うと物質ではなくて、彼らは一つ違う次元を棲処としているんだ。彼らが興奮すると、ああいう物質的な光を出すんだよ」
 「地球に寄生しているといったね。僕の頭の中ものぞいていったよ」
 「君は寄生される心配なんかまずなかろうよ。彼らはエクスタシーを糧にしているのだから」
 「エクスタシーというと、つまりセックスのそれかい」
 「まあ似たようなものだけれど、彼らのは精神のそれなのだ。彼らは肉体を持たないから、精神と交わってエクスタシーを得るわけなのだ。彼らを受けいれるのは、彼らを神と呼んでいる信者だけだよ。そういう心の下地がなければ、彼らとて人の心には入っていけず、またエクスタシーも得られない。言ってみれば、彼らは宇宙の放蕩者であって、あちこちの星の住民の心に入りこみ、自分らを神と呼ばせ、精神的セックスに耽り放題、気ままなまねをしているんだけれど、しかし快楽を奪うだけでなく与えているんだから、文句を言う筋合いでもないでしょう」
 私はこんなふうに宗教の一面が暴露されるのが不愉快だった。
 「すると何かい、宗教とか神とかいうのは、みんな君たち宇宙人の不埒な仕業だというのかい」
 「すべてというわけではないけれども、多くはそういうことがきっかけとなったろうね。しかし宗教もある程度進むと、初めに悪戯心を起こした宇宙人にも、手に負えなくなってくる。どこの星でも、最初はたぶらかされる一方だったその星の住人は、次に住人同士たぶらかすためにその企みを用い、たちまち社会全体、種全体がそれに包まれ、もはや一人二人の宇宙人では手に負えなくなって、潮時を見て退散してしまうのさ。それに宗教というもの自体が、もともと宇宙人の干渉を必要としない。彼らがきっかけとなることもあるだろうが、神という観念は、生命進化の途上に現われてくる、完全なものへの要請を表現したものなのだ。その意味では、私たちにもまだ神の観念はあるといえる。ただし、崇めたり、エクスタシーの手段ではなく、いつかは到達すべき完全な存在への憧憬としてではあるけれども」
 セックスの話が出たついでに、私たちはお互いに裸なので――船内の気温は衣服を忘れさせるだけ申し分なかった――目はつい相手のいろいろな部分に落ちてしまうのだが、友の落ち着いた眼差しに対して申し訳なく思っても、私はしだいに落ち着きを失ってきた。その原因は主に、宇宙人の友の男たるべき部分への妙な気がかりであった。こう書くと誤解されそうなので、付け加えるが、友は無毛であった。おまけに普通の青年並の身体に、子供程のものがついているのを可笑しくも思ったが、今私を当惑させているのはそのことではなく、それさえも見当らないことなのである。かわりに少女のそれのような、露骨な言葉だが誰もが使うので使わせてもらうと――あっさりした・・目があるのだった。友の顔形や体の線は女性的ではなく、といって普通の男性とするにはどこかニュアンスが足りず、月並みに中性的とでも言うほかはない。いわば極力女性的なところを削り取った観音像的な、セックスとは無縁な顔つき、体つきをしていたというところだ。宇宙人の中には、両性具有の種も想像されている。彼が、あるいは彼女が?それであるとしたら・・・。友はどうやら私の当惑に気づいたらしい。誤解されない先に、こちらから切り出すことだ。
 「きみはひょっとして・・・」
 ふたなりかと言おうとして、言葉が詰まった。
 「君は男なのかい、女なのかい」
 「ははあ、そんなことを気にして顔を赤くしているのか。君たち地球の人間は、まだまだ性に関しては原始人だね」
 「まず問いに答えてくれ」
 「どっちかと聞かれても困るね。そもそも男と女に何の違いもないんだから」
 「それではアンドロギュヌスかい」
 「高等生物で両性を備えているのは非常に稀だね。自然がそれを創りだすには特別の条件が要るからね。僕の知っている例では、ある星では住民は両性器を備えて生れてくるが、使用不使用によってどちらか一方が発達し、他方は萎縮してしまう。繁殖の段階で両者を兼ね備えるというのは、高等になるほど負担が重すぎるのだ。それにこの星の住民の場合は、この星の土壌の特別の放射性物質のために、普通細胞の段階で行われる性決定が、誕生後にまで持ちこされたのに過ぎない。ある種の生物のように、両機能が同一個体の中で分化発達したというわけではない。そもそも真の意味の両性具有は、繁殖の段階では高等動物には無意味といってよいね。もともとこの宇宙の生命拡散のプログラムの中には、フリークとしてしか存在しないのだ。
 そして発生した場合でも、大抵この星の住民のように衰退するね。彼らは繁殖こそはどちらか一方の役を果たす外はないが、快楽の領域では両方のものを味わえることを知った。昔はタブーとして両性の快を味わうことは禁じられたものだが、文明が進むとその垣根が取り払われ、心理的には誰もが男であり女であることになった。そして快楽を追究して、しきりに両性器を対等に用いるようになった結果は、繁殖機能の低下となって現われた。性のエネルギーが一個体の中で分割されたため、彼ら‘ふたなり’から生れた子孫は虚弱で、長生きしなかった。終いには不妊者が殖え、世代の交代は完全に混乱してしまったのだよ。いわゆる‘性の乱れ’というものは本来種の繁栄に貢献するものなのだが――繁殖をコントロールする段階にまで達していない文明では、それは大抵人口不足と結びついているが――、この星の場合には種の衰退を招くことになったわけだ。
 この例からも分かるように、真の両性具有というのは、繁殖と快楽の機能が分離していなければだめだね。つまり繁殖という自然から課せられたくびきをのがれ――このことが文明の意味なのだが――、性を本来の自然の目的に従って種の維持と快楽とに両極化し、純化することなのだ。快楽で釣るやり方は、自然としてはうまく考えたが、文明はそれに代わる方法を発明しなくてはね。繁殖の機能を免れれば、残るのは性の心理だけだ。心理的には、私たちにしろ君たちにしろ、本来男でも女でもありうる。性の快楽に男も女もないからね」
 「お言葉だが、地球では男どもは、こと快楽に関しては女性を羨ましがるが」
 「それは君たちの社会が両性に分かれていることの心理的影響だよ。いまだに繁殖と快楽が結びついている段階では、本来純粋であるべき快楽が、道徳やタブーや羞恥によって歪められてしまうのだ。女がより多くの快を与えられているように思われるのは、女の生活がまさに性を中心とした狭い空間に閉じこめられているからに過ぎない。彼女らのエネルギーの大部分を、性の営みにはけ口を求めさせるような閉塞的な君らの両性社会の仕組みこそが、快楽の相違を作り出しているといってよい」
 「そうは言っても、生殖器の違いは、これはどうにもならないね。現に彼女らのエクスタシーの持続時間は、男らの奈落的なそれとは違って、はるかに長いことは知られているし・・・」
 「はたしてそうだろうか。そこにも、君らの繁殖と快楽をいっしょくたにする習性があるのではないか。繁殖から離れてしまえば、性の快楽はもはや局所的である必要はないわけだ。君ら地球の男性はejaction に快の大部分を求めるようだが、その点では女性のほうがはるかに性感の何たるかを心得ているようだ。だがその全身的な汎性感が男性に拒まれているというのではない。そのような性感が女性には暗黙に強制され、奨励され、君ら男性には禁じられただけのことだよ。たとえば君たち男性の大抵経験する‘夢精’の感覚を思い出してみたまえ。君らは夢の中では性器という局所的感覚をいつの間にか忘れている。君らは全身エロスの塊となってはいないかね。そして射精とともに目覚めた時にも、しばらくは夢幻の後味が続きはしないかね」
 「君のような宇宙人でもそれをやらかすのかい」
 私は驚いて訊ねた。
 「しばらく地球人になり切っていたからね」
 「すると君の本当の姿は・・・」
 私はいまさらながら少々の不安を交えて、友の身体を点検した。普通並の青年の体つきであったが、前よりも少し胴がくびれて、上半身が短くなっているような気がした。それは気のせいではなく、見る見る腰まわりが細くなり、両脚が竹馬のように肉が落ちだし、慌てて友の顔を見ると、ふさふさしていた髪が今は鬘を取りでもしたように見事に失せ、ビワの実を逆さにしたような頭部には眉のない両眼が光っていた。
 「おい、おい、怪物などにはならんでくれよ!」
 私は精いっぱいの落ち着きを示そうとしたが、いまいましくも声は震えていた。
 「もう地球を離れるんだから、もとの姿に戻ることにするよ」
 友のしゃべる唇の間には、つい今まであった歯並びが見えなくなっていた。幸い友の変身はここまでで、普通地球の未来人の姿として描かれるものとたいした違いはなかった。そして見方によっては、友の体はスマートといってもよい。ボディビルの誇張を取り去った均整が全体にあり、哺乳類の肉づきの無駄を感じさせないと同時に、また爬虫類の冷血的な皮膚の印象を与えるでもない。言ってみれば、プラスチックのスマートなキューピッド的なのであった。こういう宇宙人ならば、人形がわりに女の子のベッドの友として流行るであろう。
 「君がわれわれ人類に似ていてほっとしたよ」
 「それは君らの偏見というものさ。先祖が異なれば、知的生物の姿形も違ってくるよ」
 「猿以外から進化することもあるというわけかい」
 「君らが脳化と呼んでいる現象が起こりさえすればね。知性体は猿や哺乳類に限らないよ。脳化が起こるには、自然から絶えずハンディキャップや試練を与えられていなければだめだ。だから知性体はいつでも滅びの危険にさらされていると言っていい。その危険を乗り越えたものだけが、進化のピークに立つわけだ。そのためには、あまりに恵まれた環境でも、またあまりに厳しい環境でもだめなのだ。エデンの園では進化は起こらない。堕落の試練を与えられて、荒野に追放されなければね」
 「君たちぐらいに進化しても、まだその試練はあるのかい」
 「あると言えるね。ただし、もはや脳化の方向ではないけれども・・・」
 友は口を閉ざし、自らの言葉に思いふけるように――地球的な表現を用いれば――遠い目つきをした。私は友の顔から目をそらしたが、その拍子に先程の議論の発端となった友の部分に改めて気づき、中途半端に終った話の糸をそのままにしておくのも、私の論理癖が許さなかったので、
 「ところで、さっきの話だが、地球人の性生活についての君の観察の結果である御高説はありがたくうけたまわったが、まだ君の・・・君たち宇宙人のセックスに関しては、ご説明がなかったようだがね」
 「男女間の交わりというような意味でのセックスは、私たちの中ではもうないと言ってよいね。一つには、私たちは男女の区別というものを持たないし、といって君の言うようなアンドロギュヌスでもない。もう一つには、生殖ということが、私たちの個人的身体から切り離されているからだ。私たちのセックスは、君らの宗教家の用いるコミュニオンという言葉に一番近いね。といって全く精神的であるというわけではない。君も見ての通り、私らにはまだ生殖の痕跡器官が残っている。私らは胎児のある段階までは性別を与えられている。それは種の維持のために、生殖細胞を採取するためだ。いわば私らの性生活は胎児の段階で行われ、終結するというわけだ。
 その段階が終わると男女ともに生殖器は萎縮しはじめ、君らが赤ん坊と呼ぶ段階では、私らに何ら男女の差別はない。ただし男女のそれらの器官が全く無意味になってしまうのではなく、それらは快楽の器官として残される。そして男性器官を萎縮させると、それに応じて女性器が生じ、子宮を萎縮させると、それに応じてペニスにあたる器官が増大するというわけで、男女間の差がなくなるのだよ。男性のペニスはもはや射精しないし、女性のメンストルエーションももはや起こらない。性器はたしかにまだ局部的な性感の密集地帯ではあるが、繁殖と結びついていた時ほどの暴君性をもはや持たなくなる。エロスは全身的な現象となる・・・」
 宇宙人は話しながら、イラストレイトするつもりであったろうが、これまで奥底にしまわれていた物を引っぱりだした。それは以前に見かけた、少年のもののようなそれであったが・・・。
 「私たちはこれを友好のために使うんですよ。あなた方が挨拶がわりに接吻したり、握手したりするように、これを出会った相手と互いにさし入れるのです。ためしてみますか・・・」
 私は慌てて拒絶の身振りをした。
 「君の仲間はたくさんいるのかい」
 「めったに会いませんね。みんな好き勝手なところへ出かけて行きますからね。私たちが成人してからは、誰でも一人になるといっていいね。だから、たまに出会ったりする時は、コミュニオンが必要なのです。でも最後には、私たちは皆同じところへ帰って行くんですけどね・・・」
 友はまた遠い眼差しになった。
 「それは死のことかい」
 「私たちは死なないといったでしょう。私たちは、そこをデカンションと呼んでいます」
 「デカンション?」
 「私たちの窮極の世界だよ。私たちはいわば宇宙の渡り鳥のようなもので、時がくれば自然とそこへ惹かれ、還って行くんです。でも、もう話をやめて、地球を離れることにしましょうか」


 第二章  白鳥座61番星

 青い地球はその間にも、風呂桶宇宙船の下を音もなくすべっていた。大陸と海と、それらの大半をおおう白銀の雲、この平たい球面にうごめく無慮無数の生き物、一つの<世界>を足の下に転がす壮大な玉乗り――雨後の水たまりにわいたポウフラの群のように、明日をも知らず踊り狂う人類よ――今私は神のように汝らの世界を見下ろしている。汝らの時間は、有限な二次元において果てしなく営まれてきた。欲望、暴力、権力、残忍、裏切り、支配は地表を貪婪に這いめぐった。だが汝らの目標は平面世界ではなく、頭上にあることを思え。イカロスを墜落させたのは太陽神の嫉妬ではない。天翔ける同類に対する、平面人間の憎悪であった。彼らは囚人であるが故に、自分らを見捨てていく脱獄の徒を憎むのである。だが汝らの憎悪の唾は、今私にはとどかない。汝らはおのれの毒でおのれを罰するがよい・・・。
 などと高山のツァラトゥストラのような感慨にふけっているうちに、ふいと足下の地球が消えてなくなった。あるいは地球面が一瞬間に夜に覆われたのであったか。だがそれは太陽が地球の裏にまわったのではなかった。これまで太陽はどこか頭上に、直接の放射をさえぎっている虹色に散乱した雲のうしろにあったが、それも同時に暗くかげってしまった。そして皆既日食のように、淡い輪郭だけを残していた。星ぼしは姿もない。だが、かわりにこれまで黒暗暗としていた空間が、ほのかな白味を帯びているのである。そしてよく見ると、所々にほくろのような黒点がばらまかれている。慌てて友の方を見ると、何ごともないように落ちつきはらっている。
 「いったいこれはどういうことなのだ!」
 「裏宇宙に入ったのだよ」
 「裏宇宙!?」
 「または宇宙の裏通りとでも言いましょうか。そういう言い方でなければ、君には分からないでしょう」
 「つまり、宇宙には表と裏があるということか」
 「たとえればそういうことです。いま、空間飛行のために宇宙を裏返したのです」
 「真暗になってしまったのは・・・」
 「それは写真のポジとネガの関係と考えればいいでしょう」
 「すると今僕は、地球や太陽を裏返しに見ているわけか」
 「そういうことです。では出発しましょうか。君どこか行ってみたい所がありますか」
 そういわれても、私には天文学の知識がほとんどないので、とっさには思いつかなかった。
 「太陽系の惑星などは面白くもないでしょう。生き物もいないし、庭のようなものだし」
 “土星”と言いかけたが、そう牽制されてみると、なるほど馬鹿らしく思えた。すでに写真や探査機の送ってくる映像で知られた世界へ行ってみても、どうということはない。そこで昔読んだ科学小説のうろ覚えから、
 「白鳥座61番星というのは、惑星があるそうだが」
 「うん、あるね。あそこは変わったところだ」
 私は地球での呼び名なぞ、宇宙人には判るまいとたかをくくったのであるが、相手があっさり知っている様子にちょっと拍子ぬけした。だがその点で友を詮索したり、感嘆したりする前に、私は不思議な天体へこれから出かけていく興奮がにわかに起って、腸を締めつけていたので、そういう地上的な勘ぐりはもはや取るに足りないことであった。
 「でも子供が表へ遊びに出るようなもので、ここからひとっ飛びだよ」
 「しかし光で幾年もかかるというぜ」
 「あちらの世界では光が速さの単位だが、この裏世界ではいくらでもスピードが出せるんだ」
 その時、風呂桶宇宙船は発進したようだった。わずかな光芒を残していた足下の地球も、ほの白い空間の真黒な日輪も、一瞬にして消えてなくなった。月明かりの空のような、ほの明るい乳色の空間が私たちを包んでいた。だが、天のどこにも、光を発したり照り返したりするものがない。わずかに空間のチャームポイントのような黒子が、うっすらと浮かんでは消えるばかりである。
 「そう急ぐこともあるまいから、少し裏宇宙の光景でも楽しみたまえ」
 「あれらの黒い点は?」
 「比較的光の強い星を裏返しに見たものだ」
 裏宇宙の光景を楽しむといっても、楽しむほどの見ものもないのである。いわば映画館のフィルムが中途で切れたようなもので、ただ真白い画面ばかりの所々に、レンズのゴミが拡大されて見えるとでもいったものか。
 「ところで、この宇宙船はどんなエネルギーで飛んでいるんだい」
 私は退屈して話題を変えた。
 「見たところ推進装置もないようだし、エンジンが働いているような振動もないし・・・」
 「君らのロケットのようなものを考えては困るね。この宇宙船はエンジンも燃料も積んではいないよ」
 「それでよく飛べるね」
 現に飛んでいるのだから、それは愚かしい反問であった。この辛抱強い宇宙人は、私の不遜に気を悪くした様子もなく、
 「推進ということの根本的発想が、君らとは違うのさ。私らはエネルギーを空間そのものに求めている。いわば空間に反撥力を起こさせて、空間そのものに宇宙船を運ばせるのだ。君らの古代の哲人が言っているように、空間の原理は愛と憎しみだといってよい。私らの宇宙船は、その空間の憎しみを利用して飛ぶわけなのだ」
 「すると僕らは、この船もろとも、まわりの空間から憎まれて、追放されているということになるのかい」
 「それが空間の心理だね」
 「心理学で宇宙船が飛ぶとは思わなかったよ」
 私の精いっぱいの皮肉のつもりだったが、その時、薄明の空間に宵の明星ほどの光が灯り、たちまち光度が増していった。
 「あれは何だい。裏世界にも光る星があるのかい」
 「あれは表の世界では、君たちがブラックホールと呼んでいるものだよ」
 「するとブラックホールは、こちら側では唯一の光る天体というわけか」
 「ブラックホールはあまりにも密度が大きいので、こちら側にはみ出してきてしまった、いわば宇宙のヘルニアですね」
 おぞましい星はたちまち飛び去り、彼方に消えていった。相変わらず薄明の空間に、煤のような星ぼしの漂う世界が続く。するとその煤の中で、前方に並んだ二つの黒点が、急速に大きさを増していった。たちまち丸い染みになり、二つの星の間隔も開いていった。
 「もう着きますよ」
 「白鳥座61番星は二重星だったのか」
 「自分で言い出しておいて知らなかったのかい」
 「名前だけ覚えていたのでね」
 瞬く間もあらばこそ、風呂桶宇宙船は再び表宇宙へ入っていた。目も眩むほどの無慮無数の星屑が一斉に降ってわき、わずかの間の裏宇宙の旅であったが、あまりの急変に息も止まりそうであった。柔らかな乳白光に包まれた裏宇宙に較べると、表の世界はなんともよそよそしい冷たさに満ちていた。船は二重の太陽の一方へ寄っていく。その星を巡っている惑星らしい星が、他の星の中でひときわ明るく光りだした。船はその惑星へ向かっている。惑星は豆のような大きさから、梨ぐらいになり、西瓜ぐらいになり、たちまち宇宙船をさえぎるように前方に巨大な球面がせりあがってきた。惑星面には赤味をおびた無数の縞のベルトがめぐり、あちこちに目に見えてくるめく渦巻きが、できもののように吹きでている。それはわが太陽系の木星にうりふたつだった。
 「こんな星にも生命が棲めるのかい」
 「もちろん棲めないね。全体がガスの塊だからね。中心部では核反応が起こっている。太陽になりそこなった星といっていい。生命の棲むのはこの惑星の衛星たちだ」
 船はその衛星の一つに近づいている。母惑星と二つの太陽に照らされて、満月のように浮きあがってきたが、その肌はみずみずしい青色であった。
 「大気があるんだね」
 「大気も水もあるが、ただ・・・」
 風呂桶船はたちまちクローズアップする天体目がけて、大気の中を突入していった。もちろん空間の反撥力を利用して飛ぶ船だから、空気抵抗で熱があがったりするという不便もないのだろう、すでに何ごともなく一面の海の上を漂っている。
 「ただ、この星には陸地がまるでないんだ」
 「すると生き物たちは・・・」
 「海の中に棲んでいる。この星の生命は、専ら海中を舞台にして進化してきたわけだ。それは水陸の両界を持つ天体に較べると、大きなハンディキャップだ。進化は常に陸上において飛躍するからね。海中の環境は、陸上のそれよりもずっと安定している。自然が自然のままに展開するには、陸上よりもはるかに適しているわけだが、その安定性がかえって、進化を緩慢なものにするわけだ」
 「数億年前に生きた魚類が、いまだに変わらぬ姿で発見されたりするな」
 「ところが、この星では専ら海中において緩慢な進化が続けられた結果、知性的な文明が海中にも発生したという、珍しい例がみられる」
 船は母惑星の照り返しをうけて赤く染まっている静かな波の上を、風船のように浮かんでいたが、ふいに舳を傾けて海中へ潜っていった。
 「海中文明のハンディキャップがどんなものだか考えてみると、実に彼らの運命は涙ぐましいほどだ。彼らは――この星で一番進んだ連中だが――いまだに宇宙というものを知らずにいる。彼らの世界は海とその上の大気だけだ。大気がどんなところだか、彼らは少しずつ探検しているが、いまだその外に真空の世界があることなど思いもよらない。彼らにとって星ぼしの世界は、いまだお伽話なのだ」
 友の話しつづける間にも、船は無数の魚類の遊ぶ中をゆっくりと沈んでいく。魚らは、地球の種類とほとんど違いはないようだ。彼らの目つきは魚の目でしかなく、われわれを歓迎する知性体のものとは思われない。海上からの光はしだいに弱まっていく。ついには魚の発する燐光のほかには、ものの形も見分けられないほどだ。暗がりの中で、友の声だけがする。
 「文明の条件となる、道具やエネルギーのことを考えてみたまえ。たいていの魚類には手どころか足もない。それらは海中生活の妨げとなるばかりか、浮遊生活をしている彼らにはまるで必要性がないのだよ。手や足は木に登ったり、土を掻いたり、走ったりするためにこそ必要であれ、海中はそういう条件をすべて自前でみたしてくれるので、用のないところには発達しないのだ。で道具を使うことを覚え、それらを使いこなせたのは魚類ではなく、甲殻類や軟体動物であったわけだ。この星が母惑星と二つの太陽という複雑な影響を受けているため、この星の気象や地殻はかなりの変動をこうむってきた。それは海中の比較的安定した環境にも、影響を及ぼさずにはいなかった。海底火山の噴火、海水の凍結などといった周期的な大変動は、海中の生物にも生存のための闘争をうながし、進化のモメントをもたらした。小型の甲殻類や軟体動物のあるものは、生き残るために大きな魚を食料としなければならず、そこで彼らは集団化し、道具を用いて、一人ではかなわない獲物の狩猟ということを覚えたのだよ」
 「それは僕ら地球人の祖先が、集団でマンモスを倒したのを思いださせるね」
 「しかし文明のもう一つの条件となるエネルギーとなると、海棲人のハンディキャップははるかに大きいね。われわれ地上人類が容易に扱うことができ、最大エネルギー源である火について考えてみよう。火は暖を取り、調理するためばかりでなく、より強力な道具のための冶金技術に欠くことができない。海棲人が火について知るところがあるのは、ただ海底火山からわく熔岩の存在によってだけだ。だがそれを利用することなどは、長いこと思いつかなかった。ただ海水の温度が下がった時代には、彼らは自然と火山の近くに棲みついていた。地上人が火を自在に使うようには、火山を使いこなすのは容易なことではない。それは絶えず死と背中合わせの生存だ。その不安定な緊張の中で、彼らの生活技術はかえって磨かれ、進歩していった。
 地上人にとって移動自在な火が、文明への決定的な転機となったように、海棲人にとっては、電気がそれに代わるものだった。自然的に存在する電気は、最初は危険の使者だった。発電機を身に備えた生き物は、この星の海中にも稀ではない。それは海中では爆薬のようなもので、近づくものを一撃のもとに倒してしまう。そこで水棲人は、これら電気的生き物を、獲物捕りの道具として飼い馴らすことを覚えた。獲物ばかりでなく、知的生物間の戦闘にも用いられた。いわば自然の地雷のようなものだ。だがやがて電気そのものの性質が科学的に研究され、人工的に発電できるようになり、応用範囲も広がっていった。しかし地上人が考えるほど、それは容易なプロセスではない。なにしろ海水自体が電気にとって良導体なのだから、絶縁ということが最大の難関だった。電気の研究に命を捧げた殉教者たちの物語は、彼らの間では聖なる伝説となっているよ。
 だが一度電気を彼らの手の中に馴致しおえると、彼らの文明は飛躍的に進歩した。それまで未知の世界であった気体の世界が、同時に彼らの前に開けたのだ。ガスの存在は海中にも自然的に見られるが、海水の電気的分解によって、彼らにも初めて火というものが自在に与えられるようになったといってよい。ガスのあるものが、それだけを密閉した中で、マグマの一片を触れさせると燃焼するものであることが明らかになった時、彼らにとって新しいエポックが始まったのだ。海中で火を燃やすことの困難は、われわれ地上人には想像もつかないくらいだが、それでも彼らは電気につぐ火の文明を創りあげていったのだ。
 昔から水棲人の中の哲人と呼ばれる人たちは、世界の元素を地と海水と気体の三種に分けていた。地は熱くなると溶けてマグマとなり、海水を生みだし、さらに熱くなるとガスになると考えていた。そのガスの上昇していく世界を彼らは天と呼び、彼らの魂の死後赴くところと考えた。天の世界は長いこと伝説界であり、誰も生きてそこに到達したものはいなかった。燃えるガスが発見されると、天界は火の世界であるという考えが広まり、それは単に宗教的観念からばかりでなく、エネルギー利用の観点からも、彼らの天界に関する関心を増したのだった。そこで海中の圧力変化にも耐えうるような乗り物が開発され、いわば彼らにとっての宇宙時代が始まったのだが、それはまだつい最近のことである・・・」
 「妙なものが来るぜ」
 私は友の言葉をさえぎった。ほぼ暗黒に近い海底から、一面蛍光をまぶしたような、くらげの形をした巨大なものが、ふわふわと上昇してくる。それは宇宙船のすぐ傍らをすりぬけて、さらに海面へと昇っていく。くらげの傘の下には、ちょうど落下傘のように(ただし方向は逆だが)、円筒形のカプセルがぶらさがっている。
 「あれが彼らの天界観測船だよ。海中の気球というわけだ。彼らは海上が大気の世界であることを、まだ発見したばかりなのだ」
 そのくらげ気球は、よく見ると海中のあちこちに燐光を放っている。あるものは停止している。その一つの傍らを船が通りすぎた時、船のまわりを一瞬紫の明かりが包んだ。
 「今のは何だい」
 「攻撃されたらしいね。宇宙開発と同時に、気球の軍事利用も進んでいるようだ」
 「海中の文明もぶっそうだな」
 「気体の利用が進んで、兵器も大規模なのが造られてる」
 「彼らは好戦的なのかい」
 「文明を創るほどの生き物は、その初期の段階では、どれも好戦的だね。殺戮と富の蓄積欲は、文明の展開の大きなモメントとなっている。これは生き物の本性に根ざしたことだからね」
 「すると平和な文明というのは、形容矛盾ということになるのかい」
 「文明が展開していく段階では、平和というのは停滞と同じことだね。だから生のエネルギーが活発である限り、たえず平衡を破ろうとする運動がみられる。上昇過程にある生命では、闘争と不和とがたえず生の可能性を膨張させていく。戦争はいわば成長のやむにやまれぬ表現であり、この段階では破壊以上に与えるものの方が大きいのだ」
 「すると文明の進歩には破壊が必要とされ、戦争こそは文明のモメントであると、君ら宇宙人は言いたいのかい。その調子で、地球人にも戦争をけしかけてきたわけだな。だが戦争によって進歩するどころか、滅びていった文明はいくらでもあるではないか」
 「戦争ができるほどの文明なら、滅びはしないね。滅びる文明はすでにその活力を失っていて、他の文明に征服され、そのこやしにされてしまうのだ」
 「しかし、戦争によって共に滅びてしまう文明もあるのではないか。あまりにも兵器が発達しすぎて、戦争の破壊のあとには、もはや立ち直るだけの活力も環境も残されていないほどの荒廃を招く・・・。つまり今の地球人のことを言っているわけだが」
 「それは宇宙のいたる所で、大いに見られるね。実際、惑星ごと滅びていった文明は数知れない。すべての文明が順調に進むということは、宇宙のスケジュールには書き込まれていない。実際、生命の進化というのは、この宇宙の偉大な賭けなのだ。たった一個の生命を生みだすために、数億の精子が無駄に放出されはしないかね。宇宙のいたる所に、雨後の筍のように発生した文明が、すべてその使命を全うするとは言いきれないのだ」
 「その使命というのは」
 「一口に言えば、物質の克服ということだ」
 「それはいかにも宗教家の口にしそうなことだな」
 「君らの宗教とは全く無縁だね。物質を克服するのは精神力ではない。高等生命の持つ、まさに物質的な力なのだ。君ら人類の歴史を見ても分かるように、文明は先ず物質的環境を馴致することから始まった。道具やエネルギーのコントロール、食糧の生産、自然を都合のよいものに変えるための土木事業、これらは皆、生命の根源的欲求に支えられていた。つまり自然を克服し、あるいは少なくとも制御できるまでに知ろうという意志だ。この征服の意志は彼ら自身にも向けられる。彼ら自身もまた自然力であり、自然を馴致することを学んだ彼らが、彼ら自身の仲間を馴致したとて何の不思議もない。文明には階級というものがつきもので、支配と服従、これは単に生命進化のモメントが同類の上に及ぼされたに過ぎない」
 「すると自然は初めから不公平であったというのかい」
 「自然の仕掛けたバネというべきだね。本来同等であるべきものを、不公平に扱うことによって、そこに緊張が生じる。その両極化の緊張によって、初期の文明は展開したわけだが、またこの関係が石化してしまうと、文明も停滞する。奴隷が奴隷であることになれ、主人がいつまでも変わらないのでは、階級のモメントとしての役割は失われる。同じことは生産力の停滞についてもいえるね。もともと階級支配は、被支配階級を一種の自然力とみなすわけだが、それが完全にコントロールされてしまった時には、文明の発展も止まるわけだ。で階級の破壊が次には文明のモメントとなってくる」
 「君ら宇宙人は革命家でもあるらしいな」



作品名: デカンションへの旅(2)――第1章・第2章
作者:不詳
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入力:脩海
UP: 2012.5.5