サロン・ウラノボルグ

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1.サロン・ウラノボルグ

 今は昔、昔も今も、北と南のほどよい中ほどにあるナイナイバー国の領主マリネンコ伯は、原因不明の眠り病にとりつかれ、三百年間安楽椅子にもたれたまま眠り続けましたとよ。なんでも客人の一人が物語った当時流行の騎士物語があまりに退屈であったため、ついつい普段以上に長い居眠りをあそばれたとか。その噂の真偽はともあれ、この山深い平和な領国で、マリネンコ伯ほど人から面白い話を聞きたがる殿様はおりませんでした。その城を訪れた客人ばかりか、老若男女領民のだれもが年に一度は、伯爵の前に出て何か目新しいお話を作るなり、報告しなければなりませんでした。伯爵は温和な人柄でしたから、どこぞの国の王様のように、退屈な話をした者の耳を切ったり、鼻を切ったりはしませんでしたが、ついつい居眠りをしだすとそれがなかなか目覚めません。三日も、三十日も、一年もの間居眠りしつづけてしまうのです。そうするとそれまで平和であった領国においてばかりか、近隣の諸国においても悪いことや、疫病や戦争やらがはびこりだします。そこで善良な領民たちは、自分の番が来たときにはマリネンコ伯爵をなんとか居眠りさせないですむように、面白い話をない知恵をしぼって考え出さねばなりません。ところが客人たちの中にはそうした事情を知らずに、所望されるがままに退屈なほら話や自慢話にうつつをぬかす心得違いな者がおります。例の騎士がそれでありました。もっとも噂によるとそれは人間ではなくて、悪魔がこの世に災いをもたらすために化けて来おったのだともうします。それはともかく、ドン・キホーテでさえ狂気を通りこして耳栓をしたくなるほどの、退屈至極のほら話を聞かされたあげくに、伯爵はあっぱれ永の居眠りに就かれたのでありました。伯爵の居眠りにはある魔法の働きがありました。それというのも、伯爵が三百年居眠っている間に、世界にはさまざまな災いや戦争が起こり、世の中はどんどんと変わって行き、人びとは死んだり生まれたりしましたが、ここウラノボルグ城の中だけは時も一緒に眠りこけていたのです。


 伯爵の永の居眠りの間に、最初いつものことと思っていた臣下や領民たちは、だんだんと我慢ができなくなり、二人、五人、百人と、城を去り、領国を去って行きました。国ぐには荒廃し、世界には災いが渦巻いていましたが、居眠りしている殿様のそばで退屈な日々を送るよりはましだと思ったのです。最後には一人の忠実な執事と家族だけが残りました。残った者は伯爵の居眠りの魔法に守られて、いつまでも昔のままでした。ただ幼い息子と娘だけは、少しずつ成長して大人になってゆきました。そういうわけですから、ある日伯爵が三百年の眠りから突然目覚めたとき、かのリップ・ヴァン・ウィンクルや浦島のような憂き目を見ずにすんだことは、申すまでもありません。伯爵はあごが外れたかと思われるほどの大きなあくびを長々とした後で、いつの間にか安楽椅子ごと寝室に運ばれたことを不思議がることもなく、満ち足りた睡眠の後の上機嫌さで奥方の名を呼びました。まだ半分寝ぼけたようなその声に答える者はありませんでしたが、どうやらサロンの方から奥方の話し声が聞こえて来ます。マリネンコ伯は大儀そうに立ち上がってサロンへ向かいました。

 開幕

登場人物
 マリネンコ伯爵    ウラノボルグ城の当主
 ダルシネア      その妻
 ブルフローラ      娘
 ダックス        息子(消息不明)
 カイメラ氏       家庭教師兼執事
 客人
   夜男爵(バロン・ナイト)     伯爵の旧友
   アフララ嬢             幻を追う女
   ナタニエル            大望を抱いた青年
   モーグル氏            永遠の放浪者

 (ウラノボルグ城のサロン。ダルシネアと女客、談笑するところへ、マリネンコ登場)

マリネンコ 「おや、今日のお客様はうら若いお方じゃにゃん。そにゃたのお知り合いかにゃ」
ダルシネア 「あら、お目覚めでしたの。ご機嫌うるわしゅう。あまり長寝をなさって、ろれつが回っておりませんことよ」
マリネンコ 「さようか。一日にゃんとも良い夢を見ておった」
ダルシネア 「あなたが良い夢を見ている間に、お城からは皆んないなくなり、お国は住む人が誰もいなくなってしまいました」
マリネンコ 「にゃんの客人たちは----」
ダルシネア 「にゃんさまのお客人たちもみんなお立ちになりました。あなたが三百年もお昼寝している間に、あなたのお友達は皆お愛想ずかしと見えますわ。しっかりお目を覚ましていらしゃらないと、お客人どころか我が家も空っぽということになりかねませんわよ」
マリネンコ 「これはにゃんとも手厳しいにゃん、いとしのニャルシネアよ」
ダルシネア 「あなたはダックスがいなくなろうと、ブルフローラがあんなふうに変わった娘になろうと白河夜船の夢の中、少しは心配と言うことが--」
マリネンコ 「にゃんと、ダックスが? ブルフローラがにゃんとした?にゃ、それよりもこのご婦人をにゃんに紹介してはくれにゃんか」
ダルシネア 「私の新しいお友達のアフララさんですの。ウルのジグラト神殿でお会いしました」
アフララ 「ご機嫌うるわしゅう、マリネンコ伯爵」
マリネンコ 「にゃが天の城へ、ようこそ、アフララさん。おにゃまえから察するところ、さぞかしアフラシアを旅されて、にゃんまりと物語を聞いてまわられたにゃらん」
アフララ 「いいえ、わたくしは幻の世界を旅しておりますので、現実の世界のことはとんと存じ上げませんの」
マリネンコ 「ほう、幻の世界とにゃ。幻と言えばにゃ、にゃが古き友、永遠の放浪者モーグル氏を思い起こすがにゃ。モーグル氏も幻の国におるとにゃら」
ダルシネア 「ごめんなさい、アフララさん。主人は昔と今の区別がついておりませんの」
マリネンコ 「にゃんが友に昔も今もあらにゃんのにゃ。今宵はにゃんだか、めずらしき友が訪ねて来るようにゃ気がしてにゃらん」
ダルシネア 「おや、まだ日が沈んだばかりというのに、急にお部屋が暗くなりました。雲のない良い天気ですのに、変ですわね。夕焼けさえ隠れてしまったではないですか。カイメラさんに燭台の灯を点してもらわないと」

 (執事を呼ぶ。カイメラ登場)

カイメラ 「伯爵、やはりお目覚めでしたか。ご機嫌うるわしゅう。お客様がいらしております」
マリネンコ 「にゃはりにゃんの思うたとおりにゃ。しかもにゃんは、客人がどにゃたかもう分かっておる。お入りにゃされ、にょるなん爵!」

 (マントをまとった影登場)

バロン・ナイト 「失礼つかまつる。貴殿が三百年ぶりに目覚められたと聞いて、さっそくご挨拶にうかがった。お口が回られぬようなら、バロンと呼びなされ」
マリネンコ 「かたじけにゃん、バロン。にゃんはたった今目覚めたばかりにゃんど、早耳にゃことでごにゃる。どにゃたに聞かれたか」
バロン 「なあに、モーグル氏もたった今うたたねから覚めもうしてな、貴殿が目を覚ますところを夢に見ておったそうじゃ。たまたま客となっておったので、急ぎいとまごいをして、都合よく夜の翼に乗り、ウラノボルグへ参上仕ったしだいじゃ。いずれモーグル氏も参られるであろう」
ダルシネア 「いらっしゃいませ、バロン・ナイト。相変わらずお元気で何よりですわ。あなたといい、モーグル氏といい、たくは重宝な、いいえ貴重なお友達に恵まれましたこと」
バロン 「ボン スワール 奥様。相変わらずお美しい。オリオンは月神の嫉みに会い、射殺されて天に星として飾られても、なおプレヤデスの娘たちを追って止まぬと聞くが、わが思いもまたオリオンの如し。マリネンコ伯と貴女を競ったそのかみのことは今に忘れられませぬ。夜の世界に身を隠しても、なお心の貞節を守りぬき、いやます思いに胸のうずきやまざれば、伯との昔のよしみにかこつけ、恥らいつつもこうしておめもじに与かる身のつらさ、あわれにも思し召せ」
ダルシネア 「相変わらずの詩人でいらっしゃるのね。でも、いい加減にわたくしが恋人であったというフィクションはやめていただきたいの。娘も大きくなったことですし----」
マリネンコ 「にゃにゃ、かまわんにゃん。詩人はいつまでも恋に生きにゃされ。にゃんとて、バロンが恋仇であったと思えばこそ、そにゃたをひとしおいとおしく思うにゃれ」
ダルシネア 「この御二方にはついていけません(傍白)。カイメラさん、急に暗くなりましたので、蛍火をお願いね」
カイメラ 「今切らしておりますので、近頃はやりのプラズマーナはいかがでしょうか。少々パチパチ音がしますが、気の利いたやつで、招けば手元によってまいります」
ダルシネア 「それはエレクトリシチーとかいう舌をかみそうな妖精ではなくて」
カイメラ 「世間ではガリガリという科学者の発明と申しております」
マリネンコ 「プラズニャーニャーとにゃ、ネレクトネッチーとにゃ、にゃんにはとんと」
ダルシネア 「にゃんさまのお口にはおむずかしゅうございます」
バロン 「これは忘れておった。夜の翼をお城の屋根に留め置いたままにしておいたで、今立ち去らせましょう」

 (バロン窓に歩み寄って、うす暗い空に向かい一声叫ぶ。たちまち城外に夕焼け戻り、室内もとの明るさになる)

バロン 「夕焼けを待たずして夜に襲わるるは人の世の常なれど、ここウラノボルグの夕焼けはいつ見ても素晴らしいのう。わが青春のごとく、天地を焼きつくさんばかりの熱情に燃えておる。このような夕焼けを見ると今では不安になる。何かをし残したような---永遠の悔いのようなものが---飛び去りかねて---」
ダルシネア (同じく窓辺により) 「なにやら蝙蝠のようなものが飛び去っていきましたわ。ご趣味のよいこと」
バロン 「蝙蝠ではござらん。ペガサスよりも迅速にして従順、雲のごとき乗り心地の翼竜でござる。一度ぜひお試しあれ」
ダルシネア 「ご遠慮申し上げますわ。おや、花園でブルフローラが手を振っておりますわ。あなた(マリネンコへ振り向き)、娘をごらんになって下さいませ」
マリネンコ (窓辺により) 「若い娘が手を振っておるにゃれど、ブルルニョーニャがおらん」
ダルシネア 「あれがブルフローラでございます」
マリネンコ 「にゃんと、にゃんがひと寝入りする前は、にゃんの膝に乗っておったがにゃん」
ダルシネア 「にゃんさまのひと寝入りは、ひとなみの眠りではございません。まるで猫のようにたっぷりとお眠りでございまして」
マリネンコ 「それにしてもみゃか不可思議にゃ」
ダルシネア 「にゃんさまがいちばん不思議でございます」

 (夕焼け空から突然たくさんの黒い点が湧き出る。見る間に空の高きをくもの子のように散らばる)

マリネンコ 「にゃにゃにゃ、渡り鳥とも思えぬ、またも不可思議にゃ」
カイメラ (そばに寄り) 「あれは近頃のウェッブ族でございます。この世界の大空の到るところに電網と言うものが張り巡らされまして、勇敢な若者たちがそれを伝って、世界中を飛び回っておるのでございます」
マリネンコ 「にゃんの城の空にも、そのにぇん網とにゃらが張られておるにょか」
カイメラ 「さようでございます。幸いなことに彼らは田舎には興味がありませんので、皆ロンドルやトキオなどを目指して通り過ぎてゆきます」
マリネンコ 「彼らはなににょうあって空を急ぎ飛ぶにょにゃ」
カイメラ 「情報とか申すものを求めております」
マリネンコ 「にょう報とにゃ。それは物語のことか」
カイメラ 「いいえ、物語ではございません。彼らはそれをチャットと呼んでおります」
マリネンコ 「ニャットとにゃ。それはにゃんにゃん」
カイメラ 「まー、無駄口のたたきあいのようなものでございましょうか。ちょうどマリネンコ様が居眠りなされる前のような」
バロン 「おや、一人空よりイカロスが落ちよった。ちょうど花園の中に。ブルフローラ姫が目に留まったのでもあろう」

 (みなの目、空から落ちた若者とブルフローラに注がれる)

ダルシネア 「大きなトランクを大事そうに抱えておりますこと」
バロン 「ふむ、きっと野心家なのであろう」
マリネンコ 「ふにゃ、きっとニャットとにゃらがつまっておるにゃらん」
カイメラ 「ウラノボルグへ来るからには並みの若者ではありますまい」
ダルシネア 「ブルフローラといっしょにこちらへやって来ますわ」

 (ブルフローラ、アンテナのような翼をつけた若者と共に登場)

ブルフローラ 「あら、お父様がお目覚めでいらっしゃる。何だか夢のようですわ。小さな頃からずっと、お父様といえば、いびきをかいてお髯をひくつかせながら寝こんでいるお姿ばかり目にしてまいりましたので、まるで絵から抜け出した昔の人のようですわ」
マリネンコ 「そにゃたが、にゃんの娘のブルルローラか。少しの間に、さように大きく、美しくにゃったにゃん。にゃんは絵から抜け出したのでも、あの世から戻ったのでもにゃん。よき夢を見ておったにゃれば、ほんのしばしと思うたにゃれど、この世の時をあまたやりすごしたにゃんめり。そにゃたこそ若き頃のにゃんがいとしのニャルシネアの幻を見ておるようにゃ。ふにゃ、今も変わらぬにゃんがうるわしのスイート・ハートの生き写しににゃんにゃんにゃん」
ダルシネア 「ご無理なことをおっしゃると、お口がお回りになりませんことよ。あなたのお居眠りのおかげで、城に住む私たちは世の人なみに歳をとらずにすみましたが、子供たちは大人になりました。ブルフローラは花も恥じらう年頃になりました」
バロン 「花園に舞う清楚な蝶の如しですな。久しく見ぬまに、大きく美しゅうなられた、ブルフローラ姫」
ブルフローラ 「ボン・スワール、影おじ様。ごめんなさいまし、幼い頃、そう呼ばせて頂きましたわね。いつもおじ様の黒い影におびえていましたの。あれはどなたと乳母に聞くと、夜の国からおいでになった遠い親戚のおじ様とだけささやいてくれました。私はおびえながらも、夜の国のお客から目を離すことができませんでした。おじ様はそんな私に目を留めて、からかうようなしかめ面をして見せましたね」
バロン 「幼い姫をおびえさせるつもりは毛頭ござらんかった。光の中に生きておる子供は、夜と孤独を本能的に恐れるものじゃて、ちとフモールを覚えたのでござる。されど大人は、夜と孤独の中に安らぎと慰めを求めて、身も心もさ迷い入るのじゃ」
ブルフローラ 「私がおじ様の黒い影におびえたのは、光の中に生きていたからではありません。私自身孤独の中に生きていたからなのです」
マリネンコ 「にゃんと、わが娘が孤独の中にとにゃ!」
ダルシネア 「あなたがお話し狂いで、子供たちに見向きもしなかったからです。おまけに三百年も居眠りなさるなんて、父親としてお話しにもなりません」
バロン 「いやいや、お言葉ですが奥様、人が孤独であるのは、誰の責任でもありませぬ。高い心に恵まれて生まれた子供は、無理解な周囲に受け入れられずに、常に孤独なのです」
空から落ちた若者 「私もバロン・ナイトのお考えに賛成です」

(それまでブルフローラの背後に控えていた若者が、一歩進み出て、マリネンコはじめ一同にうやうやしく礼をする。マリネンコに向かって、)

若者 「初めてお目にかかります。あなたが伝説に名高い、眠れる物語り国のマリネンコ伯爵ですね。ようやく探しあてました。世間の誰もが、お伽話の世界のことと笑いとばしましたが、私は古い文献を読みあさり、必ずや実在の人物との確信をいだき、この世界のすみずみまで探し回っていました。たまたまウェッブ仲間と、この人影のまれな、荒寥とした山国の上を翔っていますと、荒れた花園に美しい女性が逍遥しており、傍らには蔦におおわれた廃墟のような古城が見えました。仲間は皆、このあたりの荒寥に恐れをなして散って行きましたが、私はなぜか胸騒ぎがして、この女性の身の上が知りたくて下りてみますと、ここが私の探し求めていた城であることがわかりました」
マリネンコ 「さようか、よくぞまいられた、お若い方。にゃんがニャイニャイバー国、別名物語り国のマリネンコにゃり。にゃれはにゃかにゃかの物語り上手とみえる。いささか、にゃんが城に関してふにゃおちんことを申すが、のちほどゆるりとうけたまわらにゃん」
バロン「余の愛すべき夜の翼を、蔦と見間違えたのであろう。夜はすべての秘密を隠し申す」
若者 「そうでしたか、夜男爵。お名前はかねがねうけたまわっております。私は、申し遅れましたが、ナタニエルと言います」
バロン 「はて、さて、余の名をどこで知られたか。余はこの物語で、初めて余の存在を明かしたのじゃが」
ナタニエル 「私はあらゆる伝説、神話を研究しました。書かれざるものも、これから書かれるものも」
バロン 「感心な若者じゃ。して、先ほど、余の考えに賛同されたのは・・・」
ナタニエル 「私は花園の中に立っている姫を見て、すぐに姫の孤独を感じとったからです。しかも、姫は蝶のごとくではなく、ちょっと言いにくいのですが・・・」
ブルフローラ 「いいのよ、ナタニエルさん、本当のことを言って。私は私の可愛い食虫植物たちに、蝶をとらえては食べさせていたのよ」
バロン 「ふむ、それは興味深い」
マリネンコ 「にゃんと、にゃんが娘が蝶を食らうようになったとにゃん」
ダルシネア 「娘ではありません、あのけがらわしい食虫植物たちです」
マリネンコ 「食虫植物にゃら、蝶を食らうのはかまうまいが」
ダルシネア 「あきれた無関心ですこと。私はカイメラさんに、すべて引き抜いてくれるようお頼みしたのですが・・・」
カイメラ 「申し訳ありません、奥様。あれらはお嬢様の心に深く根を張っておりまして、ちょうどラパチニの娘と同じように、お嬢様の心を傷つけずには滅ぼすことが出来ないのです。私が奇形植物学を教えさえしなければ・・・」
マリネンコ 「そのラパチニの娘とやらはにゃんにゃ、カイメラ君。にゃんのしらにゃん物語りにや」
ダルシネア 「あなたは、うちの娘より、よその娘のほうが大事なのですか。情けない」

 (その時、料理人の老婆とその夫の森番登場。)

料理女 「あれ、客間が騒がしいと思ったら、旦那様がお目覚めだで。それにお客様もたんといらして、今晩はおお忙しだべ。なあ、じいじ。たんと鵞鳥をしめねばなんめえ」
森番 「なあに、ばあば、昨日猪が庭を荒らしたで、しとめておいたのがあるでよ。旦那方の口に合うように料理すべいかい」
ダルシネア 「お二人とも、見てのとおり旦那様もお目覚めで、お客様もおいでですから、今晩はたんとご馳走を作ってくださいね」
料理女 「へえ、奥様。だども、ちいとお聞きしてよろしいべいか」
ダルシネア 「何ですの」
料理女 「わたすらここへ来りゃあ、旦那様のお居眠りのおかげで歳とらずにすむっちゅう言われて雇われましたが、今朝方なんの具合でしたべえか、大昔にわずらったロイマチがずうんと痛みました。今思えば、旦那様のお目覚めの兆候だったんでごぜえましょう。そうするちゅうと、明日から又昔みていに、毎朝ロイマチに痛めつけられにゃあなんめいか」
森番 「これ、ばあば。これまで何の病気も怪我もなく、楽してこれただけで有り難く思わねえかい」
料理女 「なんの、じいじ、もし昔の病気だらけのおいぼれにもどらにゃあならんのならば、なに好き好んで、こんな寂しいお館にいつまでもおるべいか。わたすはとうの昔にこうなることを見こして、お勤めは旦那様がお目覚めの時までと決めておりましたです,奥様。今晩だけは、お祝いに、とっておきのお料理を作ってさしあげますべえ。だども、明日はおいとまいただいて、町の息子のとこさ帰らしていただきますで」
ダルシネア 「まあ、そんなに急がなくても」
庭番 「そうだで、ばあば。ロイマチだけでなく物忘れもひどくなったかい。わっすらの息子はとうにこの世におりゃせんのだで。この城に住まずして、誰が三百年も生きられるもんかい」
料理女 「わたすらの息子がもうこの世におらんのだと。嫁も孫もか」
庭番 「そうじゃ」
料理女 「そんなら、わたすらはだまされたか」
庭番 「誰もだましてはおらんど。わっすらはそれを承知で、ここにお勤めしたことを忘れたかい」

(バロン料理女に近寄り)

バロン 「婆やさん、私がロイマチに良く効く<老婆の粉ひき場>を紹介してあげるから、今晩のところは安心して料理に精を出すがよい」
料理女 「へえ、旦那がそうおっしゃるなら、お頼みしますべい。できれば明日にでもお願いしますです」
バロン 「よろしい、さあ、行くがよい。ところで、ワインを頼みたいのだが」
料理女 「ワインですか。それが、ちょっと困りますです。地下倉には入れませんだ」
バロン 「それはまたどういう訳で」
料理女 「へえ、お化けが出ますです」
ダルシネア 「お化けですって!」
料理女 「へえ、そうです。旦那様がお居眠りの間は、お客様もなく、ずっとワインはどなたもお飲みにならなかったのですが、ある時うちのが・・・」
森番 「これ、ばあば。えへん、そうなんです、わっすがある時、何かの用事で地下倉に下りた時のことでした。用向きを終えて、ふとワインの樽の方を見ますってえと、なんだかまっ黒な、裸同然のものが、樽にへばりついてるじゃありませんか。わっすは犬か何かと思いまして、棒で追い払おうと近づきました。するってえと、そいつは樽の栓に吸い付いていた口を離して、赤い喉をへらへらと見せながら、わっすの方を火のような眼でにらみつけました。その恐ろしさと言ったら、あれは間違いなく悪魔そのものでした。わっすは心臓がぎゅっと締めつけられて、体中がたがたふるえながら、やっとのこと地下倉から這い出しました。とって食われなかったのが不思議なくらいでして。それ以来、わっすもばあばも、あすこには近寄らんのです」
マリネンコ(客間を見回して) 「ふにゃ、カイメラ君、この部屋の大鏡が見あたらにゃんが、いかがいたした」
カイメラ 「奥様のお頼みで、地下倉に移しました」
マリネンコ 「にゃんと、にゃんの友が鏡を・・・」
ダルシネア 「だって、娘が怖がりますし、私だってなんだかいつでも覗かれているようで、気持が落ち着きませんの」
バロン 「いやいや、一向にかまわんことでしたよ、奥方。これ、婆やさん、ワインはカイメラさんに任せるとして、今晩の料理をしっかりとお願い申す。なにせ、にゃん殿は、いやマリネンコ殿は、三百年間眠られたことゆえ、さぞかし空腹であられようぞ」

(料理女と森番、退場。それを見届けてから、バロンとマリネンコ、顔を見合わせ、同時にふきだす)

バロン 「ほっ、ほっ、ほっ。いやはや、なかなかの役者ですな。以前モーグル氏にお会いした時、ウラノボルグの上等なワインがいつでも飲めるようになったことを、大変喜んでおられた。ただし、しばらく訪れぬまに、目に見えて減っていくのを不思議がられ、それとなく余にあてこすられたが、もとより余の知らぬこと、いささか怪訝の思いでいた所、モーグル氏自ら、余の嫌疑を晴らしてくれたものでござった」
マリネンコ 「にゃんのワインはまたにゃんの友のものにゃり。カイメラ君,良いことをしてくれた。にゃれど、今宵はもとのごとく、友の鏡をこのサロンに運び入れてくれにゃん」

(サロン、しばらく暗くなる。やがてプラズマ―ナが二つ、三つ飛び回りだし、サロン明るくなる。マリネンコ、お気に入りの安楽椅子に、その他の人物たちも思い思いの椅子、ソファーにくつろぐ。カイメラ氏、男達にはワインを、婦人達にはティーを勧める。マリネンコの傍らの壁沿いには、等身大の黒光りする鏡がおかれている。)

カイメラ(アフララにグラーフ・マリネンコを勧めながら) 「アフララさん、あまりお話になりませんね。これは伯爵の名を冠した紅茶グラーフ・マリネンコです。世間では口のよく回るようになるティーと評判しています」
アフララ 「ありがとう、カイメラさん。でも、私のことはご心配なく。私は皆様のお話しを聞いているのがとっても楽しいのです」
マリネンコ 「にゃんの名を冠したティーとは一体にゃんにゃ」
カイメラ 「失礼ながら私の考案になるもので、セイラン国より取り寄せた茶葉に特別の香料を混ぜたものでございます。これは近隣の国々で飛ぶように売れまして、ウラノボルグ城の財政を支えております」
マリネンコ 「にゃんの名がティーとにゃらのにゃににゃって、世に広まっておるのか」
カイメラ 「失礼ながら、お蔭でマリネンコ様が実在の人物と思う者が誰もいなくなり、ウラノボルグは伝説の中に忘れ去られ、殿はこの数百年間平和にお眠りあそばしたのでございます」
マリネンコ 「さようか、礼を言おうぞにゃん」
カイメラ 「マリネンコ様もお召しあがりになられてはいかがですか」
マリネンコ 「にや、遠慮いたす。ところで(黒光りする鏡に目をやりながら)、モーグル氏はそろそろ現われそうなものだが」
バロン 「モーグル氏は所用のある由、遅れて参られるであろう」
ダルシネア 「モーグルさんは一体、なにを好き好んであの気味悪い鏡からお出入りなさるのかしら。無口な方ですから、これまで一度もお聞きしたことがありませんの。あのお黒いお顔に、アラビニア風の衣装をまとって、黒い鏡の奥から眼鏡だけ光らせ、にゅうっと現われなさる時は、森番の爺やでなくったって卒倒しそうになりますわ」
マリネンコ 「モーグル氏は夢の世界を永遠に放浪されておる方にゃん。にゃんとは夢友にゃれば、夢の世界で出会うモーグル氏は、青い眼と琥珀の肌をした美丈夫にょ。モーグル氏にとって、夢は光、この世は影にゃ。にょって、この世界に現われる時は、黒い肌えに赤目となるにょにゃ」
ダルシネア 「モーグルさんは、一体どんないわれから、この世をそんなに黒くお塗りになったのかしら」
マリネンコ 「人にはそれぞれ秘密があるにょって、にゃんもいまだ詳しくは聞きおらにゃん」
バロン 「それについては、余のモーグル氏よりいささかうけたまわった事がござる。今宵の語り部の口切りとして、余がモーグル氏を称えて作れるところの、つたなきバラッドをご披露もうさん」

       (第一章完。第二章は夜男爵の<鏡のバラッド>の予定)

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copyright: shu kai 2004
入力:脩 海(マリネンコ文学の城)