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             第13章 デカンションへの旅(4) 断章3


 断章3<彼方へ

 母惑星への還りの旅では、彼は常になく寡黙であった。その顔にはどことなく憂いの翳さえさしているようなので、私は気になった。彼はこれまで地球の基準でいうと、決して快活ではなかったが、常に落ちついていて、心配事などというものは、そんな言葉すら知らぬげに見えた。だから急に沈みこんだ様子に、私は何か言葉をかけるべきか、それとも知らぬふりをして、その不可解な発作のおさまるのを待つべきか、決しかねているうちに、船は惑星へ着いたのである。彼はもの憂げに船から降りて、まだ私が降りないうちから、すたすたと歩き出した。ちょっと意外に思って、その場に立ったままその背中を見送っていると、やがて思い出したようにくるりと振り向いて、いつもの微笑を浮かべながら、私の方へ戻ってきた。もう何の屈託もなげなその微笑を見て、私の胸は軽くなった。彼の方へ走り寄って、まさかね、置き去りにされるんじゃないかと思ったよ、顔は笑ったが、言葉はかなり真剣味をおびてしまった。これまでいつも彼がそばにいたので、遠く地球を離れていることに何の不安もなかったのだが、一人になるという意識が思いがけず襲ってきたことで、私は心中かなり取り乱したようだ。
 「それがね、君とはもうお別れしなくちゃならないんです」
 「えっ、しかし・・・どうして」
 「時が来たんです。私の待っていた時がね。前に話したでしょう、あのデカンションへ行くには、その時が来なければだめだって。熟した果実がおのずと重力を感じだすように、私もあの世界からの呼ぶ声が聞こえるような気がするのです。この世界での見聞や知識や体験が、私の中であまりにも重くなってしまったのかもしれませんね。私は自己の殻を破って、軽くならなければいけないのです」
 「しかし、しかし、君はそんなに若いじゃないか。僕らの星では・・・ちえっ、比較にならないか。それとも、君は僕とつきあうのが退屈になったんじゃないか。なにしろ銀河系の田舎者だからね」
 論理ではかなわないので、スネた調子になってしまった。
 「そうムキにならないでください。私もあなたと別れるのは悲しい」
 そう言いながらも、彼の顔は少しも悲しそうではなく、微笑を浮かべていた。ただそれはバカにした笑いではなく、いかなる愛着をも超越した心の広量を伝えていて、腹を立てる気も起こらないのだ。仏陀が悲しむ時にもこんな微笑をするのだろうと、ふと思った。
 「あなたはあの船に乗ってお帰りなさい。あなたの考えひとつで、この宇宙のどこへでも飛んで行くでしょう」
 「今すぐ君はデカンションとやらへ行かねばならないのかい」
 「どうして先へのばす必要があるのです。この世界では私の心を惹くものが、もう何もないのです。またそういう執着心があったら、私はあの世界から呼ばれないし、私もまたこの世界にとどまりたいと思うでしょう。そこには心のほかには何の障害もないのです」
 「では、僕もいっしょに行くと言ったら」
 「君には執着心がありすぎて、とてもあの世界へ入ることはできないでしょう。それに一度入ったら戻ることはできないのです。といっても、デカンションへ入った者が、この世界へ戻りたいと思うわけではありません。より良い世界から劣った世界へと、誰が移りたいと思うでしょう。それは執着によって惑わされた眼の持ち主だけです」
 「君のことをオト(兄弟)と呼んでいいかい」
 「いいですよ、オトよ」
 「では、オトよ、君の言うようなことは、地球では宗教と呼ばれている。宗教というのは、死の恐怖をアヘンのような作用を与える言葉でくるんでしまうことだ。君の言うデカンションもまた宗教の一種で、約束されたものは、仰々しい修飾でぬりたくられて正体の見えなくなった死にすぎないとしたらどうだい。君はデカンションから帰った者はないという。そこがどんな世界だかは、デカンショという狂った科学者の脳髄に浮かんだたわごとを信ずるしかない。一体君らのように科学も知識も極めつくした高等生物が、相も変わらず愚にもつかない宗教などにうつつをぬかしているのが、僕にはどうしても合点がゆかないのだ。そうではないか、オトよ、信じるしかない世界なんて、宗教の宣伝する大ボラとどこが違うんだい」
 と私は一気にまくしたてて、息をついた。地球人の知性のほどを、まんざらではなく披瀝したつもりだ。彼は別に動じたふうも、軽蔑したふうもなく、黙って聞いていたが、私が一息いれると、
 「君のいう地球の宗教というのは、私の知る限り、たしかに99%はイカサマかもしれない。というのは、宗教はたしかに真理を目ざしているのだが、その真理を映す鏡が濁っているので、たいていの人には真理とマヤカシとの区別がつかないのです。地球では、少数の覚醒した人たちがデカンションの存在に気づいていました。前にも言ったように、デカンションは見る人によって様々な変幻を与える万華鏡のようなものです。そこで彼らは、彼らの瞥見したものを、それぞれの心の趣きに従って天国や極楽として表現したのです。もちろんそうしたものは影の影にすぎません。それらは心の執着の反映以外のものではない。デカンションはそれを希求することによって到達されるのではなく、そうした心の動きが消えてのちに、磁力のようにかえってこちらが牽き付けられていくのです。私は今その磁力を感じるのです」
 「それがもし罠だとしたら」
 「だれが罠をかけるのです。もし神がわれわれのために罠をかけるのだとしたら、その罠にすすんでかかることが、われわれの使命ではないですか」
 「罠をかけるのはたいてい悪魔ということになってるね」
 「悪魔ね」
 彼はちょっと微笑を浮かべて、
 「ではその悪魔も神なのでしょう」
 「君は死がこわくないのかい。少なくともこの世界以外のところへ行く、しかも帰ってこられないとなれば、僕には死と何ら択ぶところなく思えるよ」
 「デカンションは天国や極楽ではないけれども、また死でもないんです。神様や天使の周りに、学校の生徒のように行儀よく並ぶ君らの星の天国や、蓮の葉の上で居眠りする極楽やは、そうしたものはたしかにわざわざ出かけていくに値しない場所です。私たちは創ろうと思えば、それらをたやすくこの地上に実現できるのだから。デカンションにはそうした世界もあるかもしれない。いや愚かな者たちは自分らの回りにそうした世界の幻想を創りあげて、この世と何ら変わりないものの中に閉じこもってしまうかもしれない。それならばわれわれはデカンションに赴くまでもない。そこではもっと別のことが可能になるはずだ。そこではこの世界では不可能であったことが可能となり、この世界では知られなかったことが知られるはずだ。君はさっき私たちがあらゆる知識を極めつくしたと言ったが、私たちでさえ所詮この世界のことを知りつくしたにすぎないのです。それ以上のことを知るには、この世界を抜けでるほかはない。そして向こうの世界ではすべてがこの世界よりまさっているので、この世界に帰ってくることなどだれにも考え及ばないのです」
 「それで、デカンションが死でないというのは?」
 「死はこの世界にとどまることです。この世界で滅びることです」
 「デカンションへ行くのは君の魂かい」
 「タマシイ?あなたは魂などというものがあると考えてるんですね」
 「じゃ、君はなま身のままであの世界とやらへ出かけるのか」
 「この世界での私自身は滅びるでしょう。肉体も魂とやらもいっしょに。この世からデカンションへ行くのは、何も私自身でなくていいのです。それにそんなことは不可能です。この点がデカンショ博士の偉大な発明の核心なのですが、博士はデカンションを発見したばかりでなく、そこへ行く方法も考えだしたのです。簡単に言うと、この世での私の存在をあの世界へ刻印することなのです。つまり私自身のコピーをデカンションへ送りこむのです。その際、私を作っている物質は原子に解体されます。そうしてこの世では私は死にますが、あの世界で生きつづけるのです」
 私たちは話しながらぶらぶら歩きだしていた。はじめ何気ない散策のように思われたが、時々彼がちらちらと目をあげて方向を計るようなので、私にも行き先が分かってきた。私は最初気づかなかったが、船は天文台の近くに下りていた。やがて一つの丘を登りきると、松に似た木々に囲まれたドームがそこに見えていた。私は本能的に足を止めて、先へ行こうとする友の腕をギュッとつかんでしまった。友は振り返って、穏やかな眼差で私の視線に応えた。
 「ねえ、もう少し考えてからにしたっていいじゃないか」
 とは言ったものの、この言葉はひどく自信のないものだった。彼の知情意はるかに優れた穏やかな眼差のもとでは、まるで子供が大人に物を言ってるようなひけ目を覚えてしまうのだ。これはとんでもないあつかましい、でしゃばりかもしれないぞ。私の感じている不安や理由のない反撥は、彼の目から見ればまるで児戯に類するものだろう。なぜ私はこうも、彼のデカンションとやらへの出立に対して反撥を覚えるのだろう。私は彼が私をこの遠い星に置き去りにして、どこかへ消えてしまうのを、まるで仲間から森の中へ置き去りにされかけた子供のようにスネているのかもしれない。私は彼が最後に私を地球へ安全に送りとどけてくれるものと、これまで安心しきっていたのである。私は今の今まで、彼とは対等の生き物のつもりでつきあっていた。なるほど彼らから見れば、文明の遅れた地球人の一員かもしれないが、文明の遅れているのは何も私のせいではない。人類のスタートが遅れただけだ、とどこかで開き直るものがあって、また彼の方もことさらにその差異を誇るイヤミな面を見せたことがなかったので、私たちは互いに友人としてふるまっていたのである。しかし私は彼の寛大な態度に、少し甘えすぎたようだ。一体私の言葉などが、彼にとってどれだけの意味があっただろう。そう思うと私はおのれを恥じ、急に空気の抜けたような落胆を覚えるのだった。私はこの宇宙人に対して友人として愛着さえ覚え始めていた。彼の不在が、なにがしかの苦痛を伴った空虚とさえ感じられた。しかし彼は、愛着を持つものはデカンションへ入る資格はないと言った。彼にはそういうトリヴィアルな心の引っかかりなどは、とうに超えられているのだろう。たしかに名前を持たず、すべての両性男女が互いにイモと呼ばれ、オトと呼ばれる彼らの社会では、個人的執着などは思いもよらないことなのだろう。私のこういう反省を知ってか知らずか、彼は静かに私の手をふりほどき、微笑を浮かべた顔をゆっくりとうなづかせて、悠然とした足どりで去っていった。私はその背中が松林の中に隠れかくれ、小さくなり、やがてドームのドアの前にはだかり、その中に吸い込まれていくまで見送っていた。
 この星の長い一日が黄昏て、大地から人工の光源が靄のように立ち上りだす中を、私は半ば放心して、船のほうへ重い足を引きずっていった。


          *         *         *


カイメラ 「以上が、<デカンションへの旅>の残された草稿のすべてです。博士がこの世にあられた時に、完成の労を惜しまれたことは残念ですが、これだけでも十分にお楽しみいただけたかと思います」
デカンショ 「まるで他人の書いたもののように聞かせてもらいました。デカンションは当時私が思った以上に奥の深い世界でな、まあ当たらずとも遠からずではあるが、皆様方もあまり本気になさらぬよう」
バロン 「なによりも博士がデカンションにいらっしゃるのが、一番の証拠ではござらんか。全くこの世と連絡のないところではなさそうでござるな」
デカンショ 「恥ずかしながら、いまだ私にも執着心がある証拠である。弥勒はその執着心を断つために、56億7千万年後に元の世界に帰還することを弟子たちに語ったが、早くも私はうかうかとあなた方に呼び寄せられてしまった。しかしそれも中途半端な器械を発明した咎であろう。カイメラさんにお願いしておくが、この際この器械を破壊してくれぬか。人を悟らせるよりも、誤らせることが多いであろう。人類にはまだ一万年は早い装置じゃ」
カイメラ 「せっかくのご発明を、世に知られることなく破壊するのは気が引けますが」
デカンショ 「まさに、世に知られる前に破壊してほしいのじゃ」
バロン 「博士、それではもはや、この世界に戻ってこられなくなるのではござらんか」
デカンショ 「釈迦もキリストも、実は一度もこの世に戻ってはおらんのじゃ、バロン。すべては執着心から生まれた民衆の願望じゃ。私もそれで本望じゃよ」
カイメラ 「では、どのように破壊したらよろしいでしょう」
デカンショ 「大きなハンマーで、光学装置を破壊すればよろしい。今すぐに」
カイメラ 「博士とはもうお別れですか」
デカンショ 「感傷は無用じゃ」
カイメラ 「分かりました。では、今ハンマーを持ってまいります」

(カイメラ、マリネンコほか一座のものにうなづいて退場。)

マリネンコ 「初めてお会いして、面白きお談義をお聞かせ願い、面白き物語をご披露されて、さてにゃん、もうお別れとは、残念至極にゃり」
デカンショ 「オリアンでは一期一会と申しまして、ただひとたびの出会いを大事にいたします。マリネンコ殿と言葉をかわせたことは、この世界もまんざらではない気がいたします」
マリネンコ 「デカンションは、にゃんのよう理解できにゃん世界にゃれども、にゃんとにょう懐かしさを覚えさせるにゃり」
デカンショ 「デカンションは、マリネンコ殿にとってゆりかごのようなものですから」
マリネンコ 「さようにゃるか、それゆえに懐かしさを覚えるにゃるか」
デカンショ 「そもそもこの世界もまた、デカンションあるが故に存在するのです」
マリネンコ 「にゃれば、にゃんと博士とは一心同体であるにゃらん」
デカンショ 「光栄至極でございます。これもまた coincidentia oppositorum と申せましょう」

(カイメラ、大きな鉄槌を肩に担いで再登場)

カイメラ 「器械を壊すのはよろしいのですが、その前にブルフローラ姫にお目覚めしてもらいます。ということは、博士とのコンタクトはそこで途切れることになりますが」
デカンショ 「では皆さま、これにて。ブルフローラ姫がお目覚めになったら、肉体をお借りした失礼のほどを、よろしくおとりなしくだされ・・・」

(しばらく沈黙が一座を支配する)

ブルフローラ 「皆さま、なにを黙っていらっしゃるの。私の方ばかりじっと見つめて」
ダルシネア 「フローラちゃん、正気におかえりですのね。デカンショ博士はまた行ってしまわれて、娘はもとの娘で、わたくしにはなにが何だか、眩暈がいたしますわ」
バロン 「ブルフローラさんにはまったく驚きますな。博士が消えてみると、まるですべてがブルフローラ姫の自作自演のように思われ申す。たくさんの人格があなたの中に潜んでおるのですな」
カイメラ 「私としては、ブルフローラ姫を通して博士の声が語ったたものと思いますが」
バロン 「同じことですな。ブルフローラさんの意識しない人格は、他人と同じでござるから」
カイメラ 「いずれにしても、博士に依頼されたとおり、この器械に一撃を加えますので、皆さまお下がりください」

(カイメラ、光学器械様の装置に近づき、ハンマーを振り上げ、一撃を加える。金属音と共に、硝子の砕けるような音が響き渡る。)

バロン 「これで人類の進歩が一万年遅らされることになったわい」

(その時、ハンマーの一撃の音と呼応するように、遠くから爆音が聞こえ、どんどんと大きくなり、何かが城に近づいて来る様子)
 
ダルシネア 「何でございましょう、あの音は。都会で流行るモーター・カーとやらのようですが、それにしてもけたたましいこと」
カイメラ 「見てまいります」

(カイメラ急ぎ退場。)

バロン 「若者どもがマフラーをはずして、爆音を立てて得意がっておるのでござろう。それにしても、このような辺鄙な土地に、迷惑なことでござる。とにかく私らも下へまいろう。」

(全員ゆったりと退場)



作品名:サロン・ウラノボルグ第13章「デカンションへの旅(4)断章3<彼方へ>」
作者:不詳
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入力:脩 海
Up : 2012.6.23