夜男爵の部屋
第10夜 夜の中心への旅 第2章
夜の中心への旅 ハワード・クロフト作 第2章 編者のインターリュード 謎の人よ、歳月を越えて時の間(はざま)を放浪する罪の人よ、自ら社会を捨て、人間を捨て、この世の幸を捨て、おのれ自身をも棄て去らんとする風狂の人よ。私は今も見る、その悲哀に曇った眼を、汗と労働に青く黄ばんだその面を、額に太く刻まれた二本の皺を、気弱そうに軽く結ばれた薄赤い口唇を、歳を包み超越したようなその容貌を。それら一つ一つのありありとした実在感に、私ははっと愕いて、夢と現の境から我に返る。不思議な男よ。あなたは一体何者であったのか。私の問う言葉に、ただ弱々しげな微笑と共に、<それは私にもわからないのです。私が何者であるか、私がどういう人間なのか、あなたにわかったら教えてください>そう答える声が返ってくる。それは私のような青二才を相手にした韜晦であったに違いない。そのことはいずれわかることなのだが・・・。 私は過去の靄の中から再び彼の弱々しくも静かな、悟りに達した声を聞く。その声は初め私を魅惑し、ついで苛立たせた。私は意地悪な気分から、その声が感情の荒々しさ、刺々しさで乱されることをいつしか期待した。人間であることの欠陥が、そこにも現われていて欲しかった。だが彼は私のその手には乗らなかった。私の激越な議論にも、棘を隠したあてこすりにも、ただ寂しく微笑むだけであった。私はあきらめて、この人は馬鹿か本当の人格者なのだろうと思った。だがそのどちらでもないことはいずれ明らかになる・・・。 私が羽和戸玄人に最初に出逢ったのは、夏休みのアルバイトで、ある製本所に働いた時のことだった。私は大学四年生だった。私はこういう手の労働をするのは初めてで、場になじめずに止めようかという気になっていた。私が止めずに続けたのは、そこに働く一人の年長の男が、実に親切に手順を教えてくれたばかりか、話のうまが合い、彼と一緒に働くことが楽しくなってきたからに他ならない。仕事が終ると、彼は私を立ち飲み屋に連れて行き、ビールをおごった。彼が自分のビールに二級ウイスキーをつぎたして貰っているのを見て、私はいかにも労働者らしいと思った。また一緒に労務者ばかりの集まる汚らしい立ち食いの店で、蝿の落ちた煮物を皿に取りながら、場違いな議論を交わして、周りの者たちから胡散臭い目付で見られたりした。私は彼の下宿へも出掛けて行った。 四畳半ばかりが幾部屋もある、あまり人の入居しているようには見えない、長い廊下の鍵の手に曲っている、薄暗い、シンとした古アパートだった。その廊下の折れ曲がった所にある階段をあがって、同じ造りの二階へ出、南に向かった廊下の突きあたりの窓からの採光が、昼間はただ眩しいばかりで、一向に暗さを追い払っている様子のない、その暗い廊下の中途にあるのが彼の部屋であった。中へ入ると、さすがに廊下よりは明るいが、両側は隣室の壁で、東に向かった窓はくっつくくらいの近さの隣家の建物にさえぎられて、ほとんど無いも同然だった。その窓のとぼしい光を補っているのが、天井に小さく開けられた明り取りだった。屋根瓦を除けて硝子をはめこんだもので、すでに歳月に曇っていた。その斜めの明り取りを見上げていると、西洋の屋根裏部屋とはこんなものかと、ロマンチックな気分になるのだった。 その屋根裏部屋に羽和戸玄人は寝起きしているのであった。最初に入っていった時、私には空部屋にしか見えなかった。家具調度らしいものが殆ど見当らないのである。壁は青いモルタルが吹きつけられていて、何の飾りも、箪笥も、その寒々とした感じを覆っていない。外から帰った部屋の主が、衣類を脱いで壁に掛ける時だけ、そこにぽつねんと人間の住居の気配が生じるのであった。部屋の真中には炬燵が置かれていた。その外には新聞も雑誌も、湿気に隆起した畳の荒野を破ってはいない。夏に炬燵というのは変に思われるかもしれないが、要するにテーブル代りなのである。そのむきだしの電気炬燵を間にして、私たちは団扇を手にして喋りあった。彼は殆ど外食していたが、夜遅くまで喋って空腹を覚えると、一つしかない何時洗ったともしれぬ、柄のついた鍋を持ち出してきて、インスタントラーメンを作り、ドンブリがないのでまず私に鍋のまま食わせ、ついで自分の分を作るのだった。 そういう不便を避けるため、私達が親しくなるにつれて、彼の下宿へ行く時は相当なものを近所の店で買いこんでいくようになった。彼は家では一人酒をやらなかったが、私のために一升壜や角壜を置くようになった。余り遅くなると彼は泊まることを勧め、これまで人の布団で寝たことのない私は、最初は辞去していたが、ある晩酔いが回ってとうとう一夜を彼の布団で過ごしてしまった。彼は一つしかない布団を私に奪われて、畳の上で寝ていた。それがきっかけで私はしばしば泊まるようになり、果ては一週間もぶっ続けで居据わったこともあった。暑さが耐え切れなくなった時、私は初めて逃げだしたのである。泊まる時の布団の出し入れによって、私はそれまで遠慮して覗かずにいた押入れの中味を見ることができた。布団や衣類の外はがら空きに近いものだったが、傍らにラジオや本が寄せてあるのに気づいた。本はいいとして、なぜラジオを押入れにしまっておくのか、不思議に思ったので、訊いてみると壊れているのではなくて、「人が恋しくなるからね」と照れたように答えた。 私と玄人とのおしゃべりは、専ら私のほうが話し手で、彼は聞き手に回った。最初玄人の話におずおずと耳を傾けていた私は、いつの間にかなれなれしくなるにつれて逆転しているのに気づいたのである。その頃、長い間、議論の相手らしい相手にめぐり会わなかった私は、従順な聞く耳がありさえすれば、相手の迷惑をもかえりみず、高尚な話を吹っかけるという悪趣味に陥っていたのだが、玄人には、穏やかに聞いているものの、不思議に手応えが感じられた。そればかりか、時には軽くあしらわれているような不安さえ覚えた。<うん、なるほど、うん、うん、それで・・・>そればかりを微笑しながら繰り返すのであったが、最後にチクリと刺すような一言を付け加えることがあった。その一言がなければ、私も玄人は私の議論を呑みこんだふりばかりしているに違いないと思いこめたのだが、そしてこの得体の知れない相手に対する私の大学生としてのプライドも満たされたのだが、私は何だか彼の微笑の中に深い意味を見るような気がして、時にふと口を噤むことがあった。 その微笑は悲しみと嘲りと憧憬と諦めの奇妙な混淆に思われた。そして話し相手に向けられているというよりも、おのれ自身の心に向けられているように思われた。そして私もそれを私に向けられた侮辱と感じるよりは、そこからにじみ出てくる悲哀と自嘲の影に強く打たれるのだった。羽和戸玄人がどんな経歴の人間であるか、彼は確かな所を語らず、また私も訊きだすだけのぶしつけさを持ち合わせなかった。ただいろいろな職を転々としたこと、おそらく大学は出ていないこと、それくらいだった。羽和戸玄人が知力のある人間だという私の直感は間違っていなかったろう。職場ではたえず普通の人間のふりをし、時には普通以下に思わせようとする玄人だったが、その羊のような温和な目に、時にびっくりするほど場違いな知性の光が裏切られることがあって、それを人に見られたことに気づいた玄人は、少年のように顔を赤らめるのだった。 玄人が何か知力というものを罪のように恥じ、隠そうとしていることに私もだんだん気づいてきた。それは“和光同塵”などという道学者流の謙遜とはほど遠い、玄人の内面の深いものに根ざしているように思われた。それがどのような感情であり、意識であるのか、私には玄人と付き合った短い期間、最後までおぼろげにしか分らなかった。玄人が私にだけはそのおのれに課したタブーをある程度まで破ったのは、私がアルバイト学生という気安さがあったためであろう。それでも最後の内奥の意識の一線までは、私も踏みこむことが出来ず、また玄人もそこまで胸襟を開こうとはしなかった。それは単に年齢の差異のためばかりではなかったであろう。玄人は私には十は年長に思われた。おそらく三十を過ぎていたであろう。そういう年齢の差を、玄人は私に殆ど覚えさせないのだった。まるで同輩を扱うような態度で私に接していた。そのためにかえって私のほうが恐縮したのであった。 私は一月程で製本のアルバイトを止めてしまったが、その後もしばしば彼の下宿へ出入りした。彼の方もいつでも歓迎してくれ、私がしばらく顔を見せないと、その次に行った時には、ひどく寂し気な恥じらいを見せるのだった。羽和戸玄人は職場では誰にも人当りがよく、好かれているのだが、彼ら仕事仲間を決して下宿に招くことはしなかったようだ。気をゆるめた時に、どうかして正体を見破られてしまうことを懼れたのであろうか。それとも他に理由があるかもしれない。世間というものに、自分の私生活にまで干渉されたくはなかったのかもしれない。だが私と話している時には、彼はそういう懸念や心配から免れていられた。無責任な一介の学生である私の故に。 彼が案外寂しがり屋であることは、私のご無沙汰の後の顔見せに見せる、彼の表情に表われたと今書いたが、普段はそんなそぶりは一切見せない彼なのである。まるで孤独に生きることが自分の運命であると覚り切ったように、いつも平安な表情をしていた。で、ある晩遅くまで話しこんで、ふと会話が途切れたまま、双方おのれの想念とたわむれて、穏やかな沈黙がしばらく続いたあと、ふと羽和戸玄人が大きな歎息を洩らした時には、私は真実びっくりしたのである。玄人もその無意識のおのれの心の表白に苦笑いして、 「君、寂しくないかね・・・」 と言った。私はどう答えていいものか途方にくれた。その言葉にはいろいろな意味がこめられているように思われた。自分のような中年男と深夜喋っていても、面白おかしくもないだろうにと、自嘲のようにも響いた。また私に女と付き合えと勧めているようにも聞こえた。だが寂しがっているのは玄人自身なのではないか。それを見られた照れかくしに、私にその寂しさを押しつけているのではないか。だが私よりも十も年上の男の寂しさを、私にどうできるというのだろう。だから寂しいのは私でなければならない。 「そう言われると、寂しいですね」 「僕はこれでも昔はセンチメンタルな男だったんだよ。いつでも沢山の人間に取り囲まれてないとね、一人じゃ居たたまれない気がしてくるんだ。仲間の行く所にはどこへでもくっついていくし、悪所通いも拒まなかったんだよ。自分の見知った人間が周りに見えなくなると、この世に一人ぼっちになったようなパニックだね。だからそういう仲間の間では、時には気味悪がられるくらい、付き合いのいい男だったんだ。でもどこかにこれは行き過ぎだという気持があった。あまりに小児じみている。自分一人では何も出来ない、常に人に頼ろうとする気持で仲間に交わっている。こういうやり方では本当に自分というものを退治できない。付き合いのよさの中で抑えてきた自分というものが、いつの間にか苛々と頭を擡げだしているのに気づいたんだ。僕は自我を滅却していたのではなく、ただ自分の欲望を果たすために人に奉仕していることに気がついたんだ・・・」 彼が自分の過去の話をするのは初めてだったので、私は緊張して聞いていた。 「センチメンタルの前には、僕は一匹の盲目の獅子だった。透明な檻の中で誰にも聞こえない咆哮を続ける狂った猛獣だった。でももうそれはどうでもいい。そのあと僕はセンチメンタルな小児になった。咆えていたのがいつの間にか歔欷するようになった。人間というのはその両極端を何度でも振幅するらしいね。で、またもや僕はそのセンチメンタルな自分が嫌になった。自己嫌悪を覚えるようになったのだ。今でもそういう過度な小児性には、自分にその素質があるだけに、いつも注意しているつもりなんだがね」 玄人は口を閉ざした。喋り過ぎたことを後悔しているようであった。私はこの機を逃すまじと、 「そのセンチメンタルな小児と盲目の獅子というのは、僕にも分ります。おっしゃられたように(私はいつか尊敬語を使っていた)その二つの素質は誰にでもあるんじゃないですか。要はその間のバランスを取ることで、その、その・・・」 私は慌てて喋りだしたために後が続かなかった。玄人は笑って、その後を受け、 「そのバランスを取るということは、獅子と小児が同時的であるとすれば、理想的な中庸というものになるんでしょうね。ところが獅子と小児が人間の心の成長のフェイズだとしたら、月の満ち欠けのようにたえず同じことを繰り返すほかはないと、そういうことになってしまうんです。ある時は泣き、ある時は咆え、それからまた泣く・・・無限の繰り返しです、人間が成長しようと思う限りは・・・」 「成長のフェイズだというのは判ります。僕もそう考えるべきだと思います。でも・・・」 相手が正論でも、議論を面白くするために反論せずにはいられない私は続けた。 「でも、それはちょっと抽象的に過ぎやしませんか。人間なんて、自分の心がいつでも掴めているとは限らないんです。自分が獅子なのか、小児なのか、咆えてる人間だって、心の中では泣いているかもしれないし、泣いてる人間だって、心のどこかでそんな自分を軽蔑しているに違いないんです」 「だからこそ、君、人間は成長できるんですよ。咆えたり、泣いたりする自分の狂態を、心のどこかで観察している。ただ観察するだけで、自分ではどうにもならないけれども、その認識がいつかはテコとなって、機会が来れば人間を前へと前進させていくんですよ」 「でも、さっき無限の繰り返しと言ったじゃないですか。それがどうして前進なんです」 私の得意とする揚げ足取りである。 「停滞することが出来ないから、前進と言ったまでです。前へ進もうとしない人間には、心の中にどんな矛盾もありませんよ。また矛盾があったって、それをごまかしている限りは停滞です。ただ、前進するというのがそう容易いことではないということです。何といっても人間は過去という荷物を背負(しょ)ってるんだし、それが高峰に登ろうとすればするほど重荷になってくるんです。だから、いつか自分は前進していると思ったのが、後戻りしていたり、同じところを行きつ戻りつしていることに気づくわけです。その荷物があまりに重い時は、どこかの谷底に寝っ転がっているのが一番楽でしょう」 私は玄人の最後の言葉に、自嘲気味の所があるのに気づいた。自分の今の位置を谷底と表現したのだろうか。 「それでは今のあなたは、獅子と小児のどちらなんですか」 論理に負けそうになった私は、ぶしつけに訊ねてみた。 「私は・・・・・・」 玄人はふと悲し気な顔をした。余計なことを喋ってしまった、おかげで自分自身解決のつかない袋小路へいつの間にか追いつめられた、という後悔の表情をした。私もその当惑した顔を見るのを気の毒に思って、話題を別のことに持っていった。 羽和戸玄人は何故その少なからぬ教養を生かしきれない職業についていたのだろう。私はしばしば考え、その理由を想像してみた。単に学歴の問題であろうか。どれほど知力や教養があったところで、社会はそれに見合うだけの職を学歴のない者には与えようとしないのか。だが意志さえあれば、そういう底辺から這いあがれない筈はないであろう。好んで肉体労働に生活の資を求める必要はない筈である。ではその意志が問題なのであろうか。常に自分にとってより良いもの、相応しいものを求めようとする向上心が羽和戸玄人に欠けているのか。だが玄人が自ら獅子と小児の譬えを引いたように、当然そこから駱駝であった羽和戸玄人を想像しなければならない。彼にもそういう努力の時があったに違いない。それでは彼は一度達した高みから墜落した人間であるのか、あるいはそこから何らかの理由で逃げだした人間であるのか。これは大いに考えられることである。人生の挫折の体験によって自信を失い、好んで底辺の職業に逃避するあの人種であろうか。それならば彼のプライドは、自らおとしめたとはいえ、絶えず傷ついている筈である。そして結局はそのプライドの痛みと、屈辱の大きさによって、再浮上するか、あるいは全く駄目な人間になってしまうかのどちらかでなければならない。羽和戸玄人のプライドはどこにあるのだろう。彼は人に気づかせずに、やはりそのプライドのひそかな痛みをかこつことがるのだろうか。 私は時として彼の眼に浮かぶ悲哀の色を思い浮かべた。それは何か自分の運命を諦めきった諦観の人か、または何らかの過去の重みを荷わされた魂の苦行者のそれのように思われた。彼は自分を堕としたものが何であれ、それから逃れようとしないのだ。再び屈辱をバネにして世の中に這いあがって行こうとはしないのだ。彼のプライドはそこまでなまってしまったのだろうか。あるいはその屈辱を好んで身に受け、プライドを好んで傷つけることによって、彼の心を背後から押しつけている過去の何ものかの呵責をかろうじて支えていると言うべきだろうか。つまり彼もキリストと同じ背に十字架を負う人間であるのか。だが何を償うために。キリストは人類の罪を贖おうとした。それは誇大妄想狂的であるが、それなりに高尚な行いであった。羽和戸玄人は何を償わんがために屈辱の十字架を自ら背負ったのであろう。私はこの質問を彼に向けるだけの勇気がなかった。<あなたはどうしてそんな不毛な人生を自分に課しているんですか> 私は幾度か口をすべらしそうになった。その度に彼の穏やかな顔を曇らせるのが気の毒な気がして、そしてもし彼にもまだ余剰なプライドが残されているなら、私との仲が気まずいものになるのを懼れて、舌の先にとどめたのである。 私と羽和戸玄人の親交は四ヶ月ほどで終った。ある日彼は今の職場を辞め、南の方へ行く予定であることを語った。 「僕は寒さが嫌いなんでね」 弁解ともつかぬ弁解を微笑で包むと、それ以上を語らなかった。私もただ気持が妙に沈むばかりで、詳しく聞きだす機転が回らなかった。私の落胆をどう解釈したのか、彼は上機嫌に話しかけてきた。そしてちょっと指折り計算して、 「来週の水曜日、最後の給料が入る予定だから、その晩、君と二人で飲み明かそうじゃないか。勿論、下宿じゃしみったれていけないから、外でね。払いは僕が持つよ」 その羽和戸玄人との最後の晩ほど、私の心に深い印象を残した一夜はない。十月下旬の薄ら寒い夜だった。早くも温かい鍋物や酒の香りが道行く勤め人の足を緩めさせる飲食街のとある寿司屋で、私たちは御輿を下ろした。寿司屋はいつも立ち飲み屋や、うす汚い煮物とか焼き鳥の店でコップ酒を傾ける私達には、比較的過ぎた場所だった。玄人の言葉通り金銭では中舟ぐらいに乗った気でいた私も、あまり負担を掛けてはと少々尻が落ちつかぬ思いだった。それを察したのかどうか、玄人はしきりに銚子を差してきた。最初いつもに似ず重かった私の口も、半ばやけくそに乾す杯のおかげで、次第にほぐれてきた。玄人は意外にこういう所に慣れているように見えた。コップ酒しか知らぬ労働者と見ていた私は、この比較的大きな寿司屋に入った当初から、銚子を持つ手つきまで、彼が寸分も臆した所のないのを見てとった。私は寿司のネタについては殆ど知らなかった。で何を食うといっても、ノリ巻きぐらいしかピンと来るものがない。それもかっぱなどと言われると、何のことか分らない。で玄人があれこれ通ぶりを発揮して注文するのを、真似して尻につく他はなかった。 玄人の飲みっぷりは、これも労務者には似つかわしくない優雅なものだった。少しもがつがつした所のない、それでいて底なしのようにどこまでも入って行く、酔いも顔に表われず、深酔いするにつれてかえって蒼みを増していった。玄人は枡酒というものを注文した。私にも勧めたが辞退した。一合枡になみなみと注がれた冷酒を、角に乗せた塩を舐めながら顔色も変えずに乾す彼を横目で見ながら、私はこの人は昔は相当な酒豪であったに違いないと思った。その晩のお喋りは専ら私の役であった。大学を出てからの見通しについて、問われるままに語り、また私の書き始めていた卒論のテーマであるイギリス経験論について、勝手な熱を吹いた。ロックやヒュームなどという名前に、玄人はいささかも鼻白んだりせず、興味を持って聞き入っていた。その晩は私は何か心の中にとどこおっている、なかなか解けないしこりのようなものをおぼれさせるために、普段以上に熱弁を振るい、普段以上に酔いを発した。それで何時その店を出たのか記憶にない位で、気がつくと玄人はどこかの薄暗い扉を開けて、私を中へ押し込んでいた。 私はバーという所へ入ったのは初めてだった。入る時にチラリと店の名を見た気がする。<どんづまり>とあった。照明の薄暗い、勝手の知れない場所へ、突然踏みこんで、おまけにどこからともなくすかさず飛んできた<いらっしゃい>という艶めいた声に圧倒され、目をパチクリさせて臆している私の背を押して、羽和戸玄人は隅の色のついたほの暗い光のにじんでいるボックスの一つへ私を押しこんだ。私は羞恥と妙な期待のために酔いの引いていくのを覚えた。これから何が起こるのであろうか。するとおしぼりを手にした肌も露わな女達が現われて、一人は玄人の傍へ、一人は私の傍へ、そのはちきれそうな薄い衣服につつんだ腰を落とした。 「あら、羽和戸さん、おひさしぶり」 玄人の側に坐った女は、尻を据えながら甘ったるい声を出す。 バーには他に客がいないようだった。退屈していた所へ私達が入っていったので、女達は必要以上に上機嫌であるらしかった。私は先ず玄人がこういう所に出入りしていることに目を瞠った。玄人は私の視線には答えず、“ママ”とかいう女と親しげな会話をかわしていた。それは一日の仕事の終ったあと、給料を手にしてこういう所でくつろぐ一介の労働者の姿だった。彼はなぜ最後に私にそういう姿を見せて去ろうというのであろうか。ママの肩に手を回し、何事か語らっている彼の横顔は、意識して私に何かを告げようとしているようであった。それでは結局彼にもプライドというものがあったのだろうか。<おれだってこの位の所は出入りしてるんだぜ>そう誇っているのだろうか。あるいは<君は僕のことを何か聖人君子と勘違いしかけているようだが、そういう見下した同情は一切ご免だよ。人間なんてそんな甘いもんじゃないぜ>そう語っているようでもあった。 私は何だか無性に悲しくなって、やけに酒が飲みたくなった。一人で四人分のビールを独占しているように、次々とコップを空にした。女達が手を叩いてはやしたて、はやしたてられるままに飲み乾した。なぜ私はそんなに荒れたのだろう。偶像の落ちたのがそんなに悲しかったのか。これまで何か人格者か苦行者のように見てきた羽和戸玄人が、女となれなれしく戯れているのを見て、怒りのような、幻滅のような、また自分でもわけの分らない羨望にかられて、<おれだって、おれだって、堕ちてやる>いつかそう頭の中で叫んでいたのである。だが荒れ狂ううちに、私はだんだん心の中で喜悦のようなものを覚え始めているのに気づいた。<羽和戸玄人もまた人並の人間であったのだ>これまで彼との間にいつの間にか私のほうから取り出していた気取りや、てらいや、虚栄などが、ここに来て一気にくずれさり、私は初めて羽和戸玄人の心の中へ何の先入見もなく踏みこんでいけるような自信を覚えたのである。しかしそれが彼との最後の晩であろうとは・・・・・・。 私に酒乱の気味があるのに気づいたのも、その晩のことであった。私は自分の側に坐った大した美人でもない女の腰にすがりついたまま、ビールのコップを手放そうとしなかった。そしてさすがに心配しだした女がコップの口を手でふさぐのを取りのけ、自分でビールをついであくまでも飲みつづけるのだった。 「大変な子を連れてきちゃったわね」 ママが玄人に言う声もうわの空だった。 「いいよ、飲ましてやりなよ」 玄人の声が聞こえた。ここまで酔いながらも、私はまだ玄人にぶしつけな質問をするだけの勇気を欠いていた。 「羽和戸さん、僕は、僕は・・・何だか自信を失くしそうです」 そんな意味のないたわごとを、甘ったれて何度も繰り返していた気がする。 私達はいつの間にか店を出て、よろよろとする体を支え合いながら、何の歌か今は思い出せない流行歌を放吟しつつ、車の警笛を物ともせず道の真中を闊歩して行った。玄人もまた酔っているようであった。私ほどではなかったが、私の酔いに合わせていた。そして車が来ると、私を道端へよけさせるのであった。途上の立食いラーメン屋へ寄り、ラーメンの束が自分の口の中へ吸いこまれていくのを、何か奇現象のように不思議な感覚でながめ、再び道へ出た時、玄人は向き直って私に言った。 「君、女を知らないんだろ」 私はその唐突な言葉に少し酔いが醒めるような気がした。私の顔は酒の赤みでまぎらわされはしたものの、きっと羞恥のため赤みを増したに違いない。こんな質問になんと答えられよう。玄人は私の肩に手を置き、押しやるようにして言った。 「じゃあ、行こうか」 その言葉には裏の意味が含まれていて、私の心を妙な期待と恥で震わせた。しばらく行ってから、玄人はまた振り返り、 「君には彼女がいるの」 <いる>と答えれば、今夜のこれからの冒険がふいになるような気がして、私はとってつけたように「いない」と答えていた。私はもはや自分の内部から湧き出しているものに、逆らうことが出来なかったのだ。 羽和戸玄人は先に道へ出て待っていた。私は目を合わせるのが恥ずかしいようで、頭を垂れて彼のうながすままに大通りへ出た。彼はさっぱりした顔をしていた。私は彼もことを果たしたのだろうかと、その時ばかりでなく、今もよく想像にとらわれる。入浴だけしてさっさと出て来たのかもしれない。だいぶ長いこと私を待っていたようであるから。だが私のもう一つの想像は、冒涜的ではあるが、また私の気に入るものであった。それは女と交わっているというよりは、おのれの情欲によって侵されている傷ましくも悲しい苦行者の姿である。私に関していえば、私はこの晩の体験によって、女性に対する過剰な羞恥を退治することが出来た気がした。<彼女>に対する裏切りを(たとえ空想の相手であれ)、けがれと感じないわけではなかった。しかし女に対する正常な感覚が、それで備わったような自信を覚えないではなかった。そしてもし<彼女>にも他の男性との同じ機会が与えられるならば、嫉妬を覚えないといえば嘘であるが、それでこそ平等で対等な関係になるのではないか、そんな都合の良い弁明とも反省ともつかぬものを、頭の中でこねくり回していた。 その翌日、私は生きているのが辛いくらいの二日酔いと、<童貞>を清めたことの満足と後悔の夢の中に、一日中寝ていた。そして頭痛が晴れるにつれ、不思議な男羽和戸玄人についてのいつもの推測を、床にあおのけに寝たままいつの間にかめぐらしていた。羽和戸玄人は一種の悟りに達した人なのだ。諦観に近いところに身を置いている人なのだ。ありあまる才気を持ちながら、好んで俗人と同じレベルに下り、俗人になりきろうとしている人なのだ。それは俗人を見下して“へり下る”態度ではない。自分自身を俗人に見立てるムリを犯しているのだ。だがそのムリを彼に強いて、そこに安住させているものは何なのだろう。それは彼の背負っている十字架に違いない。だが同じ十字架を背負いながら、キリストのは希望があり、羽和戸玄人のは希望がないように見えるのは、また何故だろう。それはキリストは人類のために十字架を担ったのに対し、羽和戸玄人は所詮、おのれ自身の過去の何事かのためにそれを担っているに過ぎないからであろう。そこに彼の救いの無さがあるのだ。どこにも希望を見ない頑固さがあるのだ。だが羽和戸玄人自身、それに気づいていないだろうか。それは彼のように内省的な人に気づかれずに見過ごされるには、あまりに大きな欠陥ではないか。 だがその欠陥があまりに大きなために、彼自身それに対して何事もなしえずにいるのでは。おのれのそういう感情的欠陥に対して無力であることを、またおのれの罪の一つに加えて、さらに十字架に重みをつけ足しているのではないか。私は今では遠い過去に向ってはっきりと言うことが出来る。<羽和戸玄人よ、あなたには人間に対する本当の愛情がなかったのだ>と。その愛情の欠陥をよく知り、悩んだからこそ、彼は自分を罪人として、身を贖罪の世界に落としこむことが出来たのだ。そしてその世界において、どんな希望も、救済も見ないことによって、逆説的におのれの魂の救済を計ったのであると・・・・・・。 だがまるで個人的苦悩というものを持たないかに見える、弟子達によってそれらがすべて“人類の苦悩を代りに担う”超越的なものに変えられてしまったキリストよりも、羽和戸玄人の方がはるかに人間的ではないか。キリストはもはや人間的ではない何ものかである。弟子達が彼を“神”に祭りあげたとしても何の不思議もない。彼らの正しい直観である。羽和戸玄人は自分の罪の責任を自分で取ろうというのである。自分以外の誰の責任でもなく、また誰の代りに悩もうというのではない。そこに彼の人間としての本質的な狭さがあり、出口のない袋小路があるのである。 あくる日、私は引っ越しの手伝いに彼の下宿へ出かけて行った。たいした荷物があるわけではなかろうが、顔出しをしないと私の気が済まなかった。で彼の部屋がもぬけの殻であることを発見した時の私の驚愕と不安な予感を、ここにくだくだしく書くまでもないであろう。私は一階の管理人の扉を叩いた。私が何度も出入りするので顔なじみになった小母さんが出てきた。羽和戸玄人は前の日立ったという。私が二日酔いでのたうっている間に、彼は“南の方”へ去って行ったのである。小母さんは預り物があるといって、新聞紙に包んだかなりの厚さのものを奥からもって来た。それには私宛の封書が添えられていて、中には一片のメモが入っていた。 見送られるのもてれくさいので、 一人で消えることにした。 この中にあるものを読んでくれたまえ。 今度逢う時まで預けておくことにするよ。 K・H 羽和戸玄人と別れてから長い歳月が過ぎた。私も当時の彼の年に近づいている。しかし彼は私に預けたものをついに取りには来なかった。新聞紙に包まれていたものは、未完の小説であった。その他に日記や、雑文帳や、詩を書き散らしたペーパーなどがはさまっていた。彼はいつかその自分の半生を描いた小説を発表するつもりであったのだろうか。だが未完成のままに、いつの間にか気が変ってしまったのであろう。理由はどうであったのか知らない。自分の小説がレベルに達していないと見たのか、あるいは小説を書くことの虚栄心を恥じたのか。あるいはおのれの過去を暴くことの苦痛に耐えられなくなったのか。いろいろ考えられる。また私もここに書かれたものが、彼の真実の半生の記であるのか、またはフィクションに包まれたものなのか、今となっては詳らかにしない。ただ私との交際のずっと以前に書き始められ、中断され、放置されたものであるには違いない。比較的完成した部分の文体の重苦しさ、“彼”で語られる断片的な心理的発展の部分の不徹底、そうした小説として収拾のつかない混乱に彼自身サジを投げ、書き続ける意欲を失ったのかもしれない。私は羽和戸玄人に代ってこの小説のバトンを受けつぐにあたり、断片や空隙や辻褄の合わない所を、日記やメモやまた想像で補い、適当に詩をはさみ、また代名詞を固有名詞に置きかえることで、この小説に何とか一貫した形を与えてみた。こういう他人の作物を自分のもののように作り替える不遜な作業を、人はけしからぬと思い、またくどくど弁解する前に“出来映え”如何でことは決まるのだと言うかもしれない。その“出来映え”については編者は何とも言えない。ただこの小説に意味があるとすれば、羽和戸玄人のように特異な人生を送り、特異な悩みを持つ人は、この世に少なかろうが、全く稀な例ではないように編者には思われるからである。編者にこの小説を世人の目に曝す勇気を与えているのは、この後の思慮である。 羽和戸玄人はどこかでこの自分の小説を目にするかもしれない。その時、他人の小説を無断で発表する編者の不遜さを寛大な心で扱ってくれることをここに願って、長々しい幕間の筆を擱くことにする。 作品名:夜の中心への旅 第2章 編者のインターリュード 作者:ハワード・クロフト copyright: howard croft 2014 入力:マリネンコ文学の城 Up: 2014.1.21 |