夜男爵の部屋


第11夜 夜の中心への旅 第3・4章

マリネンコ文学の城Home
夜男爵の部屋Top

 夜の中心への旅

 ハワード・クロフト 作


 第三章 夜への序章(1)

<・・・にも拘らず、私の心が彼方の「別の世間」にふとした憧れを覚えかける時、私は不思議と満ち足りた気持になり、そうした乾涸びた追憶に、切ない思いですがるのである。>
      ――H・P・ラヴクラフト


 羽和戸玄人の未完成の小説のエスキスでは、幼年期の家族関係についてはメモが残されているだけで、詳しいことは分らない。そのメモの記載も真実であるか、単に小説上の設定であるか、今となっては事実を調べるすべもない。そもそも彼の小説の構想が、自伝というよりも、象徴的なイベントの積み重ねであるので、そういう詮索は、地理的環境設定の曖昧さと共に、等閑に付してよいのではないか。玄人が物心ついた時、周囲に認めた人達は皆大人ばかりであった。まず父母がおり、祖父がおり、そして叔母さんという人がいた。祖父は戦前から長く教員をやって、教頭にまで昇った人であるが、今では家で悠々自適の日々を送っていた。祖母はすでに亡くなっていた。どちらも母方の父母である。叔母さんというのは駆け落ち同然で家を出て、子供もないまま戦争寡婦として家に戻って来ていた。二人姉妹で、男子のない家のことであったから、玄人の母が婿を取った。長く子が出来なかったが、三十を過ぎて初産の喜びに会った。玄人が生れたのは戦時中のことである。物心ついた時に、父親はすでに復員して、会社勤めをしていた。叔母もぶらぶらしている訳にいかないので、勤めに出た。家には幼い玄人と母親と祖父が残された。
 この祖父というのは、学校を辞めてから、長い教師生活の反動のように読書と囲碁と“発明”
に明け暮れていて、孫の玄人には通り一遍の関心しか示さなかった。自分から玄人に何事かを教えることも稀で、ましてや娘夫婦に口出しすることは控え、ただおのれの趣味の世界に閉じこもっていた。そして玄人が小学校へあがる前に亡くなっていたので、玄人の記憶には殆ど影のような印象しか残していないのである。また父親も家へ帰ると寡黙な人であった。玄人を殆どかまわなかったばかりか、煩がって遠ざける方であった。母親とよく何かで言い争っていた。祖父や叔母の手前、手荒なことは控えたものの、時にはつかみ合いでもしそうなほど険悪な場面になることがあった。玄人はそういう時、どちらにもつかず隅で小さくなっていた。玄人はこの普段は口数の少ない父親を嫌ってはいなかった。ただ近づいてもかまってくれないので、いつも母親や叔母の方へ行くだけであった。ある時、玄人があまり煩く父親にまといつき、からかったので、父親は本気になって怒りを発し、ものすごい形相で玄人を追ったことがる。玄人は父親に追いかけられたその時の恐怖を、後のちまで憶えていた。
 で、玄人が頼って行くのは結局、母と叔母であった。母はなかなか気の強い女であった。夫の母というのが、既に亡くなっていたが、夫と一緒に暮らしている間息子に全く頭があがらず、女中のようにこき使われていたという噂を聞いて、自分の息子をそういう増長した人間に育ててはならないと、いつか固く思いこむようになった。それで一人息子の玄人には、めったなことでは甘えさせなかった。そればかりか玄人がちょっと駄々をこねたり、親をないがしろにした態度をとると、厳しく叱った。で、玄人はいつしか心の一方で母親を懼れるようになっていた。玄人が心から甘えることが出来たのは叔母であったが、昼間は勤めに出ているこの叔母の帰宅を、玄人は心待ちにしていた。叔母は玄人の子供らしい遊びに根気よく付き合ってくれたが、ふと母親に遠慮する時があって、玄人の心に不満の影を落とした。

 羽和戸玄人は小心な少年だった。その小心さをどこから受けついだのかは知らないが、一歩家の外へ出ると怯えた兎のように小さくなってしまい、はや幼年期の頃から世間の子供達とろくろく対等に遊ぶことが出来なかった。唯一の例外は近所の一つ年下の女の子だった。幼年期に男の遊び友達を持たなかったこと、いつも一人の女の子とばかり遊んでいたことは、彼の精神形成の最初から、人間関係に対して大きなハンディキャップとなったようである。彼には同じ年の男児というものが理解できなくなってしまったのである。彼らは野卑で、騒々しくて、ちょっとのことにつけこみ、揶(からか)い好きで、とにかく放し飼いになっている動物園の獣よりも、たちがわるく玄人には思われた。
 それでも玄人は“男の世界”を無視することは出来なかった。そこには幼年期の血を躍らせる遊びと冒険があった。一人の女の子との退嬰的な遊びの世界にはない、精神の広がりがそこにはあった。それで彼も時には男児の群れに混じって遊びに加わり、野原や森を跋渉する冒険に参加した。だが彼は常に隅にいる少年であった。常に人の後尾につき従う少年であった。そして彼らの間では絶えず小心な魂の圧迫感を覚え、はずかしめられ、仲間はずれにされ、鬱屈した心を家まで運んでくると、母や叔母に向ってその鬱憤を爆発させるのだった。そして母から逆襲されると、どこにも吐き出し口のない心は、おのれの周りにいつしか自閉の空間を形づくっていった。

  彼がどれ程小心な子であったか、小学一年になった頃のある日の追憶がそれを物語っている。玄人は友達に誘われて、その子の家に“ベエ独楽”をやりに行った。小暗い林の道を抜けてその家につくまでに、玄人は帰り道を心配して道順をよく覚えておいた。きっと友達は送ってくれるだろうという気もあった。だがベエ独楽をやっているうちに段々空が曇ってきたので、玄人は気もそぞろになって、早く帰りたいとばかり念じていた。ベエ独楽にも熱が入らず、みんなが早く止めて欲しいと思った。空はいよいよ曇ってくる。玄人は帰り路が心配のあまり、とうとう帰ると言いだした。友達は止めなかった。また送ろうともしなかった。熱心に遊びを続けている。で、一人で帰る他はなかった。自分でしっかり覚えていたつもりの林の道を半分程行くと、早くも自分はもう道を間違えたのではないかという気がして来た。記憶ではこの先広い道に出るのだが、それはいつの間にか無くなっていて、自分はどこまで歩いてもその道に出ないばかりか、もう家にも帰れないような場所に迷いこんでしまう――一度そう思い出すと、自分の記憶がもう一切あてにならなかった。もう少し先まで行って確かめてみるだけの勇気も起らなかった。
 で、彼は友達の家へ引っ返した。またベエ独楽をやりたくなったのだと言い訳して、遊びに加わった。遊びが早く終わって、友達が送ってくれることばかりを考えた。遊びはなかなか終らなかった。玄人はまた止めると言いだした。今度も友達は送ろうという気配はなかった。玄人はその時自分でももう抑えきれなくなって、ワッと泣き出していた。みんながあっ気にとられて見ているのもおかまいなしだった。友達は玄人が泣きだした訳をどうやら気づいたらしく、あるいは気づいていてこれまで知らんふりをしたのか、やっと送る気になって、他の少年達も連れだって彼を林の出口まで案内した。玄人は無くなってしまったと想像した道がそこにあるのを見て、ちょっと意外な気がした。そこから先はいくらなんでも送って貰うのが恥ずかしい気がして、一人で帰った。その後、その友達の家へは行かなかった。

 話が前後したが、小学校へあがった当初、玄人は人生最初の疎外の苦痛を舐めねばならなかった。学校とはなんと騒々しい、気違いじみた世界だろう。これまで人間の間ではどんな場所でも聞いたことのないがさつな音の洪水が、叫びと笑いと走り回る騒ぎと、椅子や机のぶつかる音が、彼の周りに狂っていた。彼は身を小さくして、あらゆる知覚を心の中に封じこめ、それらの物音の一つとしておのれの中に入ってこないようにと、心身を緊張させた。それは苦しい努力だった。本来幼少年期には、外界へ向って最も鋭敏に開いているそれらの感覚器官――目、耳、触覚――のすべてを、外界からの無礼な侵入に対して全面的に閉ざしてしまおうというのである。それはただ神経を磨り減らすだけの無益な努力だった。
 教室の中の彼は椅子に化石したように坐って、暴れ回る級友たちを何か異形の生物を見るような目でながめていた。授業が始まると、彼はわずかながらほっとするのだった。見知らぬ大人が高くなった壇の上の大きな机の後ろに立つと、狂いたった蜂の群れのような神経を脅かす雑音は小川のせせらぎぐらいに静まり、これまで何の目的があったとも知れない狂騒の中にいた生物達が、どうやら一つの意志にいやいやながら統一されていくらしい凪が感じられ、彼はひとまず安堵の息がつけたのである。だがそれは単に比較の問題であって、気心の知れない生物と同席しているという緊張は、学校にいる限りついに和らがないのだった。そして自分もまた彼らの一員であることを無理やり意識させられる授業の場面を、彼は懼れた。“先生”という他人に返答しなければならない時、皆の前で声を出さねばならない時、――何か他所からの遠慮会釈ない意志によって、自分が皆の前に、他人の前に曝け出されねばならない場面を、彼は懼れたのである。
 こういう心理的苦痛に加えて、あるいはその故に、玄人にはまた学校で大便が出来ないという生理的苦痛が加わった。人間関係の緊張の中に入っていくと、――入っていくことを予想すると――彼の腹は自然と柔らかくなるのだった。玄人は凝っと椅子に坐って我慢するだけだった。時には耐え切れなくなって便所の側まで出かけていっても、排便ということの羞恥がどうしても他人の前で扉を開けさせないのだった。玄人は便所の側の藪に隠れて、人のいなくなるのを待った。そして自由に入っていける女子を羨んだ。だがそういう苦痛の中で、玄人はいつか腹具合をコントロールするすべを心得ていった。小学校、中学校を通じて、とうとう玄人は学校で排便したことは一度もなかった。高校へ入って初めて、その羞恥から免れることが出来たのである。
 玄人は小学校での“自己”疎外の苦痛を、親に話すことが出来なかった。父親はすでに名ばかりの遠い存在となり、母親をいつしか心の片隅で惧れ憚るようになっていた玄人は、その見返りを学齢の関係でまだ学校に上らずにいた女友達に求め、また伯母に求める外はなかった。玄人の小心を見ぬいて、いつもそこに鞭撻の鞭を加えようとしていた母親に、おのれの心の弱さを曝すわけにはいかなかった。いつも鞭打たれている者の、いつの間にか習い性となった鞭への怯えであり、また無残に鞭打たれるおのれの姿に対する恥の意識であった。玄人の母親がこういう気丈な女になったのは、一つには夫が息子の教育には少しも役立たぬことを知り、自然“父”の代わりをしなければならず、また一つには息子を我儘な人間に育ててはならないという、子に対する女教師のような過剰な優越感を持ったことであろう。その結果は息子の心を自分から遠ざけることであった。子が自然に母親に求めるものを母親に見いだせなくなった時、とりわけ玄人のように情愛に貪婪な人間には、そこに感情の疎遠が忍びこむのもやむを得ないことであろう。
 玄人がただ一度だけ、自分の学校での苦痛を涙ながらに語ることが出来た相手は、小学校に上る前まではしばしば遊んでいた一人の女の子だった。彼女は玄人と一緒に泣いてくれた。しかしそうした同情でどうなるというわけでもないことが分かっていたので、それは一度限りだった。学年が一つ下であるというだけでも、同じように遊んだりすることには羞恥が伴った。まして女の子とつきあうことは、少年達のあいだではタブーだった。男女で遊ぶときはつねに集団で遊んだ。そこで残された玄人の心のはけ口は叔母に向かった。
 叔母は自分の甥であるだけに、母親のような厳しさを以って玄人に接する必要はなかった。そこに玄人の甘えはつけこんだのであった。全く家に叔母がいなかったら、玄人の外に内に鬱屈した心は、どこにはけ口を見いだしたことであろう。玄人は叔母に甘えることで、かろうじておのれの心のバランスを保つことが出来た。そしてそこから次第に“世間”に対しても、おのれの自信の足場を築いていくことが出来るように思った。玄人に必要であったのは、鞭撻と同時に同情であったのだ。小学校一年の終り頃から、玄人の学校での“黙んまり”の緊張は次第にゆるみ始め、二年、三年と上るにつれて、普通の小学生と見た目は変わらないまでに回復した。だがそれは、まだまだ見掛けだけのことであって、幼少年期に蒙ったこの心の歪みは、苦境にある時の玄人に絶えず甦って、彼の人生を破壊していったのである。

 玄人は時にはなかなか心の優しい少年でもあった。小さな頃から、電車の中などで乞食を見掛けると、母親に金を貰って施しにいくのだった。施される側のプライドについては、その頃の玄人は何も知らなかった。そしてこの習慣も母親が“しつけ”たものかも知れなかった。また学校で年中苛められている、なりの汚い少年に玄人はいつも同情していた。クラス中が大騒ぎをして、定規で叩いたり、追いかけ回している尻に玄人もついて、何とか逃がしてやりたいと思っていた。その同情のせいであったか、いつしか玄人はその顔も衣服も真黒な少年と友達になっていた。どこか線路沿いの小屋のような家に住んでいたのだが、玄人はそんな所に人間が住めるとは当時とても想像できなかったので、後々まで半信半疑であった。ある日、生まれて初めてカレーライスを食べたといって、玄人にいかにも大事件のように話す少年であった。玄人が後に他の市に引っ越した時も、一番残念がってくれた少年でもあった。玄人は自分が弱者であるために、虐げられている者や、ゲームなどでも負けそうになっている方に自然と応援するのであった。しかし自分から手を貸して、強者に対抗するだけの度胸はなかった。
 玄人は段々に小学校生活に慣れ、友達も出来るようになっていった。だが、まだ完全にうちとけていない自分を、折々発見するのだった。それは人の上に立たされた時とか、人に勝つことを強いられた時とか、つまり勇気が必要とされる場合で、そういう時は玄人は思わず自分の殻の中に閉じこもって、何事もなしえずにいる小心なおのれを発見するのだった。それを補ったのは玄人の弱者に対する同情心であったが、この幼少年期には純粋であった感情は、長じるにつれて、次第におのれの利己心をカムフラージュする、人に対するなれなれしさに変わっていった。後にそれは友達に対する場合の、必要な仮面となっていった。
 玄人の女子に対する態度も、小学校では違ったものになった。それまでの幼友達との間のような、へだてのない付き合いは教室では不可能だった。玄人はかえって、席の並んだ気の強い女の子に苛められさえしたのである。そして男子の間に共通の、女子との交際に対する羞恥に、いつの間にか玄人も染まっていた。しかし相変わらず幼なじみとは付き合っていた。時に玄人が自分の悩みを話すと、同情もしてくれた。だが彼女は玄人が憧れるような女性ではなく、幼友達に過ぎなかった。“女”を意識していないのだ。それは何故だったろう。貧乏な家の子で、美しくなかったからか。玄人が女を意識するのは、美人であって、身なりが立派でなければならなかった。そうした美少女の前に立つと、玄人は緊張して一言も喋れないのだった。クラスに一人か二人いるそうした女子には、男子の誰もが無言のうちに一目置いていた。玄人は早くも沈黙の恋の切なさにとらわれ、帰り道に彼女らの家の前を通ると、不思議に胸のときめきを覚え、その家がただの家ではなく、神秘な殿堂のように思われるのだった。
 
 こうして幼少年期のセンチメンタリズムと、弱者の内攻的なヒロイズムの中で、次第に学校生活に適応していった小学三年の終り頃、玄人の一家は父親の仕事の都合で他の市へ引っ越すことになった。父親の勤務先が変わって、通勤が遠くなったことと、この際玄人の将来のために田舎町を出て、都市圏のいい高校へも入れるようなレベルの高い小中学校に学ばせようという、孟母にならった母親の熱心な意見に押されて、田舎町の生活に飽き飽きしていた父親も賛成したのである。叔母も引き続き同居することになった。これまでの家は処分が決まるまで、知人夫婦に留守居してもらうことにし、某市の郊外に手頃な借家を見つけた。玄人は引っ越すまではクラスメートや幼友達と別れるのが辛かったが、新しい家に入り、新しい小学校に通いだすと、たちまち前の町や小学校のことは忘れていった。クラスメート全員から手紙が来ても、返事を書くのが億劫になって、出さずにおわった。クラスや学校や環境が変わると、前の人間関係はきれいさっぱり忘れてしまうという、これからも玄人の人生で幾度も繰り返される性癖であった。その一番の理由は羞恥であったろう。羞恥が介在すると、玄人はもはや心のバランスが取れなくなるのである。そして今ひとつは、人間関係というものへの、玄人の少年時代からの軽薄な考え方であった。これは後にいよいよ明白になっていく、玄人の感情の上での欠陥に根ざしていた。
 
 

 第四章 夜への序章(2)


 新しい学校では勉強の進みが早かった。前の田舎の学校では満点をとっていた玄人も、たちまち自信を無くしていった。手を挙げると、三度に一度は間違っていた。さいわい転入生の玄人に気を使ってか、玄人がさっそく手を挙げたことを誉めただけで、担任の女教師は一度も指さなかったが、玄人は段々控えめに挙手するようになり、とうとう正解の自信があっても、頭の中で自己満足するに留まるようになった。前の町で築いた人間関係を、再び最初からやり直さねばならないのも辛いことだった。長いこと友達が出来ずにいた。出来ても長続きしなかった。小学校入学当初の、心身が硬直するような自閉症状にまで後退することはなかったものの、代りに顕著になったものは、玄人の白昼夢の習性だった。玄人は授業に退屈すると、ぼんやり窓の外へ眼をやった。注意されると、顔は教師の方を向いていたものの、頭の中では全然別な空想が浮かんでいた。父兄会ではたびたび注意され、母親に叱責されたものの、玄人の空想癖は止むどころか、かえって狡猾さに隠れ、悪化していくようだった。
 玄人の空想は、本や漫画やクラスの女の子を材料にしていた。気に入ったストーリーがあると、その中の主人公をおのれに置き換えて、頭の中の劇場で上演するのである。観客はおのれ一人であるため、場面(シーン)はしばしば好きなように変えられ、放恣に陥った。たとえば、ある漫画から採ったラヴ・ストーリは、とりわけて玄人のお気に入りのテーマだった。ハリスという王子が、愛する女を敵公爵の手から取り返し、追ってくる公爵の手のものに一人奮戦し、あえなく矢を受けて倒れながらも、吊橋を切り離して恋人を救うという、玄人の自虐的なヒロイズムに不思議に叶ったストーリーだった。玄人は幾たびもそのハリスになって、吊橋のたもとで敵公爵と対峙して闘うのだった。時には玄人は死なずに逃げることもある。だが最も玄人の心を痺れさせたのは、身に矢を受けて公爵に蹂躙されながらも、恋人を逃がれさせたという満足感にひたる時であった。だが時にはそのまま死んでしまうのが惜しくなり、公爵が去った後でひょっこり生き返り、恋人のもとに姿を現わして、感謝と情痴の中にいつまでも仲良く暮らすという、ハッピーイエンドの筋書も新たにつけ加えられた。
 この美しい女のために命を落とすという空想は、繰り返されるたびに被虐の度を加えていった。ある時の空想では、玄人は美しい女に親の仇とねらわれる悪人だった。人気の無い森の中で、その美しい女は白刃を手にして、玄人を追いつめる。玄人はその気ならば、返り討ちに出来る。だがあいにく玄人の剣は折れ、あるいはどこかに置き忘れてきてしまった。絶体絶命の窮地である。そう思った途端、玄人はいつもの悲哀に満ちた、痺れるような魂の陶酔を覚えるのである。こんなにも自分は彼女に憎まれている。その憎しみのためになら、自分は命を犠牲にしてもよい。ただ死ぬ前に、自分のこの真心を女に分ってもらえないのが、何としてもつらい・・・。また時には玄人は、女の前にひざまずいて命ごいをしてみるのだった。女は玄人がどんなに嘆願しても許そうとはしない。その悲しみの中で、玄人は胸を貫かれて死ぬのである。玄人が高学年になるにつれて、この種の空想はますます被虐的になり、今度は二人の美しい姉妹が玄人を木に縛りつけ、さんざん刃で苛むのだった・・・。

 こういう空想癖は、小学校半ばから、中学・高校まで止まなかった。しかし玄人はまた好奇心の強い少年であったので、こういう艶(なま)めいた空想ばかりにとらわれてはいなかった。これも同じ小学生の頃、玄人は後にゼノンのアキレスと亀のパラドックスとして知ったのだが、同じようなことを考えていた。教室の斜めになった机の上に、たまたま一滴の水が垂れている。次第次第に自分の腕のほうに、にじり寄ってくる。しかしその滴は自分の腕を濡らすことは出来ないであろうと思う。なぜなら、滴と腕の間の距離はつぎつぎと半分ずつ詰まっていくが、常に半分ずつ残っている。どんなに近寄っても、やっぱりその半分を越すことは出来ないだろう。玄人が不思議でならなかったのは、こうした明白な考え方が、現実にいとも容易に破られていくことだった。世の中の不思議を思う時、玄人は先ず何よりも、この机の上の一滴のしずくを思い浮べた。
 玄人の空想癖が、全面的にマゾヒズムや、サディズム(マゾヒズムの裏返しとしての)にのめりこまなかったのは、何よりも玄人の中に芽生えた、科学に対する興味のおかげだった。気まぐれだが教育には熱心であった母親は、「科学画報」を毎月買ってきて玄人に与えた。玄人は畳に腹這いながら、画が主体のその本を飽かずながめるのだった。「昆虫」「天気」「宇宙」「電気」など、毎月ごとに目新しい知識が玄人の前に開けた。その頃はまだ玄人も、生き物に対して極端な嫌悪を覚えることがなかった。捕虫網をにぎり、虫籠をさげて、玄人は原っぱや雑木林を歩き回った。くわがた、かぶと虫、髪切り虫、金ぶん、スイッチョン、キチキチバッタ、それらの幼虫、赤とんぼ、銀やんま、カナカナ、ハンミョウ・・・最後のものは、牛乳ビンに鰹ぶしをつめて、土に埋めておくと、必ずかかっているのだった。とりわけバッタの幼虫を玄人は好んで捕らえた。籠に入れて成育を観察するのであるが、いつも親になるまで待てない。餌を忘れて共喰いすることもあるが、だいたいは玄人の遊びの犠牲になってしまう。玄人は積み木の家を建ててやって、その中にバッタを放つ。しばらく横になって、自分もバッタの一匹になったように、積み木の家の住人をのぞきこんでいる。やがて空想にも飽きると、玄人はバッタを中に入れたまま積み木をガラガラと崩してしまう。何匹かは下敷きになって潰れてしまう。助かったのも、脚がもげたり、どこかがひしゃげていたりする。玄人は急に不愉快になって、それら犠牲者を庭へ捨てにいく・・・。
 玄人はまた、レンズに対して異常な執着を抱いた。凸レンズ、凹レンズ、色消しレンズ、プリズム――光をまともに通さないものなら、どんな硝子の破片でも集めた。それらから顕微鏡や望遠鏡を組み立てた。倍率を計算し、ボール紙で筒を作った。それらは後に母親にせがんで買ってもらったのに較べると、貧弱きわまりない代物で、のぞき見た対象がてんでに歪んだり、五彩の光雲に包まれていたりしたが、玄人には現実世界を違ったものに見せる魔法の筒のように思われた。玄人が生まれて初めて盗みということの味を体験したのも、このレンズに対する執着からだった。その味は苦いものだった。

 小学校六年の時に、同じ机に並んだ少年と玄人は、これまでにない程親しい間柄になった。学校のうちそとで遊ぶ時はいつも一緒で、双方の家にお互い毎日のように出入りしていた。この少年は物語が好きで、いつも玄人に読んだ小説の筋を面白おかしく話してくれたばかりか、自分でも創作をするのだった。その創作は玄人の子供じみた空想よりも、なかなか気が利いていて、しかも大人びていた。玄人は少年の話の中に出てくる“接吻”などという言葉に、ひそかに身の震えるのを覚えた。玄人の読んだ<にんじん>の中ではその場面が省かれていたが、少年はにんじんがガールフレンドと初めての接吻をかわす場面をどこかで読んでいて、玄人の前で詳しく報告した。玄人は自分の特別な関心が見抜かれるのを恥じながら、いつの間にか犬のようにその話をせがんでいる自分に気づいた。
 玄人はその少年と競うようにして小説を読むようになった。学校図書館では足りなくなって、公園の森の中にある妙に薄暗い図書館へ借りだしにいった。玄人には博物館のように思われた公共施設の小さな附属図書館で、いつも中年の美人の“小母さん”が奥から出てきて、図書を貸してくれるのだった。そこも玄人は少年から教わったのだった。玄人は最初のうちは一人では行けずに、少年と同行した。玄人の臆病を知っている少年は、書庫の暗がりの中で原爆被災者の写真などを見せて、威かすのだった。その悲惨な写真の与えた衝撃は、その時のグラビア紙のいやな臭いとともに、いつまでも玄人の記憶に染みついていた。
 玄人とその少年の間がだんだんに刺々しくなっていったのは、一つには競争意識のせいであったかもしれない。それが趣味や興味が似ていることもあって、一層つのったのである。競争はだんだんに勉強や遊びにまで浸透していった。玄人は少年の裏をかくことを覚えるようになった。玄人はそれをいつも、少年に対するしっぺ返しのつもりでいた。少年が玄人をじれったがらせる仕返しに、玄人はまた少年に対して秘密を育むようになった。一人でこっそり公園の図書館へ行って、少年よりも多くの本を読もうとした。またある時、自転車に二人乗りして出かけた時に、少年がからかって、置き去りにしようとしたのを根に持ち、次の時には自分の方が少年を完全に置き去りにした。仕返しの量が勝っているのも当然だという気がした。うなだれてとぼとぼ歩いてくる少年を尻目に、玄人はとうとう戻らなかった。こういう悪化していく仲違いを決定的なものにしたのは、玄人が少年からプリズムを盗んだことであった。
 ある日学校の砂場で遊んでいる時、少年は砂の中にキラキラ光る硝子の破片を見つけた。端が欠けて、しかも完全な平面ではない、ちっぽけな三角柱のプリズムだった。玄人の蒐集の中には、まだプリズムらしいプリズムがなかったので、玄人はそれを欲しいと思った。自分が見つけずに友達が見つけたのが、不公平な気がした。玄人は素直に欲しいとは言えなかった。何かと交換しようとも考えなかった。さらに悪いことには、少年は玄人のレンズ収集癖を知っていて、その小さな硝子片をことさらに見せびらかしたことだ。教室に戻った少年は、プリズムを机の中にしまった。玄人はそれをこっそり見ていた。隙を見て盗み取った。少年が机の中をひっくり返して捜しているさまを、玄人は知らん顔をして横目で見ていた。最後に少年は、玄人に向かって、哀しげな声でプリズムの紛失を告げた。玄人はすっかり落ち着き払って、一緒に机の中を捜すふりまでした。少年は諦めたようだった。やがてプリズムのことは忘れてしまったようだった。玄人もまた、盗んだことをいつの間にか忘れていた。
 するとある日のこと、家の机の引き出しの中のレンズをしまってある箱をのぞくと、玄人の大切にしている一番大きな、上等な凸レンズがなくなっていた。箱をひっくり返して何度捜しても見つからない。その中には盗んだ貧弱なプリズムも混じっていた。まったく迂闊なことだった。玄人は少年があがりこんで、自分の引き出しをいつもの調子で開けてみるだろうことをうかうか忘れて、自分の犯罪の証拠をそこに蔵っておいたのだ。その日少年はやって来て、ろくに話もしないうちに急いで帰ってしまった。それでもまだ玄人は、少年が盗んだとは信じられなかった。どこかに置き忘れたのかもしれないと思って、あちこち捜した。最後に少年の家へ出かけていった。少年はむっつりしていた。玄人をそっけない態度でむかえた。玄人はすぐに言いださないで、外へ誘った。二人黙って道を歩いた。玄人はプリズムのことは口に出せなかった。ただ失われたレンズへの執着が、心を一杯にしていた。謝るなどということは考えなかった。なんとか自分の犯罪を顕わさずに、レンズだけ取り返したいと思った。
 玄人はあいまいな言葉で哀願した。自分が“あれ”をどんなに大切にしているか、解らせようとした。少年がプリズムを失った時の哀しげな調子を、いま玄人は取っていた。少年は始終むっつりした表情を崩さなかった。少年の目を見た時、玄人は今やどんな哀願もむだであることを読みとった。だが、レンズのことを思うと、玄人は哀願せずにはいられなかった。最後に少年は突き放すような、嘲るような調子で言った。草の中へ捨てちゃったよ。それは盗みを認めたというよりも、ただ調子を合わせただけだという、優越した感じだったので、玄人は半ばは信じることができなかった。しかし、半ばは本当に捨てられてしまったような気がして、少年が漠然と指さした草叢のあたりを、この時初めて屈辱らしい屈辱を覚えながら、少年の嘲りを背に、草叢を手で分けてみたりした・・・。
 レンズはとうとう出てこなかった。玄人はまだ、少年が復讐をしたのではないと、半分思いこんでいた。それは煎じつめれば、自分がプリズムを盗んだことがバレたのだということを、おのれに認めさせることの羞恥であった。しかし二人の間は終っていた。玄人はまだ未練を残していた。だが少年は玄人を見限っていた。玄人の方を見ながら、クラスの仲間とひそひそ話をする少年の目は冷え冷えとして、玄人は身のちぢまる思いがした。やがて中学へあがり、別のクラスになった時、玄人は心からほっとした。その後も玄人は盗みに近いようなことを何度も行なったが、みな玄人の“もの”に対する度はずれた執着から起こるのであった。