夜男爵の部屋
第12夜 夜の中心への旅 第5・6章
夜の中心への旅 ハワード・クロフト作 第5章 夜への序章(3) 中学へあがる寸前に、玄人の父親が亡くなった。父親は玄人には最後まで他人であった。父親のその徹底した無関心ぶりが、お前は勝手に何でも自分の好きなものになるがいい、という寛大さに映り、玄人は煩い母親と対比して、かえって尊敬のようなものを覚えるのだった。玄人は父親になついた経験はない。たまに思いだしたように、お土産などを年に一、二度ぶらさげてきても、その時ははしゃぐだけで、感謝の言葉も出ず、翌日はもう父親の存在を忘れているのだった。ただ父親が読書好きで、玄人にも関心のある本を読んでいると、母親にそそのかされて、玄人はおずおず拝聴に出かけた。<相対性理論>や<空間論>などというものを、小学生の玄人は本でも朗読するように聞かされた。玄人が解っても解らなくても、正座した膝に手をおいて、あまりに熱心に聴きたがるので、父親は追い払うこともできず、子供相手に難しい話をする大人げなさに気が引けるのか、最後には玄人が何を訊いてもそっぽを向いてしまうのだった。そういうそっけない父子の間柄であった。 父親と母親は相変らずよく言い争った。父親の怒声が聞こえてくると、玄人は布団の中で身を縮ませた。母親がヒステリックに言い返す声も、よく透った。玄人はどちらに味方するわけではなかったが、母親の言い方が少し憎々しいと思い、あんなことを言われれば、どんな人間でも怒らずにはいられまいと考えるのだった。母親さえ口を慎めば、父親も怒りはしないのにと、訳は分らないながらも、心の中で父親に加担することがあった。玄人はとにかく喧嘩というものが嫌いなのだった。理由はどうあれ、喧嘩を起すものが悪いと、いつか思い込むようになった。それで、黙っている父親にわざわざ喧嘩をしかける、母親の態度が解せないのだった。玄人は、自分なら人の怒りをわざわざ招くことは、相手が強者であることが分かっている場合はなおさらだが、気でも狂わない限り不可能なのにと、弱者の本能的論理で考えた。で母親が泣き出したりすると、それ見たことかと、意地悪な気にさえなるのだった。泣いている母親というのは、いつも強者の態度しか玄人に見せない母親と同一人であることが、玄人には実に不思議な気がした。何か世の中がひっくり返ったような、聞いてはならない、見てはならない場面が演出されているような、この世ならない気持に玄人を駆り立て、玄人は深く布団の中にもぐりこんで、耳を閉ざすのだった。最後には叔母が間に入って、二人を宥めるのであった。 父親が心筋梗塞で突然亡くなっても、玄人の心には一時的な悲しみの外には、何の深い印象も残さなかった。これまで雲の上にいたような同居者が、突然いなくなっただけで、その人は玄人の心に何らかの印象を残そうという努力さえ吝しんでいたのであるから、それは当然の結果であった。玄人は、家の中で喧嘩というものがなくなっただけ、かえってほっとしていたかもしれない。だが父親の死が家の経済に与えた影響は、そう簡単には済まされなかった。しかしそれも、玄人のあずかり知らぬ所であった。玄人はこれまで、家の金を持ってくるのが、主に父親であることを、殆ど知らなかった。そんな生活の基本的なことを、これまで母親はなぜ玄人にはっきりと教えなかったのだろう。玄人に対して常に優越した位置に立とうとしていた母親は、自分もまた誰かに養われている身であることを玄人に教えることを、作戦上不利であると感じたためであろうか。玄人は小遣いを殆ど母親から貰っていた。父親がまれに気まぐれに与えようとすると、その額が多すぎる時は、母親は不機嫌な顔をした。それでいつの間にか玄人は、金を握っているのは母親であると思い込んでいた。で父親が亡くなっても、家が金銭上困るかもしれないなどということは、長い間考えないままに過ごした。それをいつか身の回りに感じるようになったのは、中学も終りの頃であった。 父親の亡くなった当初は、大して金銭上の不安はなかった。蓄えがあったし、勤め人の叔母が同居していた上に、田舎町に残してきた家付きの土地を最後の拠り所とすることが出来た。玄人が成人(ひと)となり、金を取るようになるまでのゆとりは、余程のことがない限り、見通しを立てることが出来た。それでもただ出て行くだけでは不安なので、母親は昔習い覚えた洋裁を再びとりあげ、時々思い出したようにミシンや編み機に向う姿が見られた。で玄人は経済上の不安から全く免れていられた。この無知が果たして玄人の精神形成に余計な不安を与えないことで、資するものであったか、または全くの“おぼっちゃん”であることで、世間の常識への適応を怠らしめたものであるか、それは後になって判明することである。玄人にはただ、家が裕福なのか困っているのかつかみ所がないという、中途半端な意識状態が長くつづいたのである。ある時は高価な望遠鏡を買ってもらい、ある時は一本の傘をも惜しむような家の経済のアンバランスが、また玄人の精神をも不安定にしていった。 中学校に入る前の春休みに、玄人はヘルニアの手術を受けた。時々腹痛を起こすので、この際医者の勧めで、たまった水をとり除くことになったのである。ついでに虫垂をも切除して、四、五日入院した。学校へ出た時は、もう新学期は始まっていた。玄人が恥ずかしがりであることを知っている母親は、学校へは盲腸炎の手術をしたことにしていた。ところが、まだ朝礼や体操などに出られない玄人が、理由として盲腸ですと言うと、クラス中がくすくすとしのび笑いをもらすのであった。なぜかヘルニアであることが知れわたっていたのである。玄人は羞恥で圧倒されながらも、あえて気づかないふりをして、盲腸であることを押し通す外はなかった。それが中学校での最初の打撃であった。玄人はひたすら、小さくなる外はなかった。 中学校では、玄人の興味は先ず化学実験に向った。試験管やらビーカーやらスポイトやらを、小遣いで買い求めて、足りないものは学校の理科の実験の時間に、残り物を失敬した。リトマス試験紙や硫酸銅の粒などがよくねらわれた。王水などというのを調合して、徽章や十円玉をぴかぴかに光らせたりした。しかし塩酸や硝酸などという物騒な薬品を部屋に持ちこんでくるので、母親はたちまちヒステリーを起こした。玄人の手も、それらの薬品で真っ黄色になっていた。それらの名を聞くのもおぞましい薬品は、薄めて縁の下に捨てられた。玄人の化学熱は一時的なものだった。 次に凝りはじめたのは、天体観測だった。玄人の夢想癖は、そこに完全な満足を見いだしたようだった。同時に玄人の無機的なものへの執着は、いよいよ募り、完成していくようだった。天体ほど玄人の夢想にとって、好都合な対象はなかった。玄人はある日、「大宇宙の旅」という本を読んだ。天体好きな主人公の少年が、お伽の国を通って、エンケ彗星や女神のようなフォトンに案内されて、宇宙の果てまで旅をするという、まことに蠱惑的な科学啓蒙書だった。著者は、<丹波の国上夜久野>という仙人の住みそうな山村にいる天文学者だった。玄人はさっそく、主人公の星野宙一少年のように、天文学者を志そうと思った。その夜から早速、レンズ狂時代の産物の手製の望遠鏡で、あっちこっち星空を覗きだした。そのささやかなガリレオ式望遠鏡では、土星のリングも、衛星チタンも見えなかった。だが、最初のうちは大きな望遠鏡がなくても、玄人は星空の美と神秘に堪能することができた。玄人は一つ一つの光の点に、一個一個のレンズを愛撫するような愛着を覚えた。しかも、それらの天の宝玉は、手に取ることができないだけに、なおさら玄人の情に殉ずるマゾヒズム的な憧憬に、いっそうよくかなったのだった。玄人の夢想はこの地上を遠く離れていった。火星やケンタウルス座のプロキシマの方が、この世界のどの国よりも近しく思われた。天を眺めながら歩いていて井戸に落ちたという昔の哲人のように、玄人は回りのことに無関心になった。あるいは、星を愛する本当の自分と、周囲に合わせる偽りの自分との、二重生活に陥っていった。玄人は、自分が星好きであることを、誰にも知られないように努めた。 この二重生活は、何も今に始まったことではなかった。小心翼翼のうちに過ごした幼年期から、絶えず人に対しておのれの心を隠すことを習い覚えていった、その当然の帰結であり、世間というものに対して、適当に付き合うための密かな心の準備であった。秘密を最初から好んだわけではなかったが、侮辱を惧れる羞恥が強まるにつれて、自分の中にある最も鋭敏な部分に、たとえ肉親であっても他人の無遠慮な手で触れられたくないという、経験的な警戒心が、いつか心の奥深く巣食うようになったのである。だが、その拒絶的な態度を人に対してあからさまに出してしまえば、玄人はたちまち周囲の人間からエゴイストと見られ、敬遠される他はなかった。そこで玄人はますます秘密を秘密として深め、本当の自分は常に隠しておき、世間には見せかけだけの自分を表わして、外面(そとづら)だけを適当に合わせればよいのだという、直感的な処世訓に到達していったのである。しかし、玄人にはそれを上手く最後まで演じこなすだけの器量が欠けていた。こうした無理から生ずるいろいろな矛盾が、玄人の性格や行動のあちこちに吹いて出たからである。そして玄人自身、最後はその二重生活に疲れ、継続するだけの気力を失っていった。 玄人の心の二重生活の結果は、中学校でのいい加減な生活態度となって表われた。学校では何をやっても本気になれなかった。玄人の本気は、学校生活とは別の所にあった。この何事にも手を抜くという態度は、玄人の小心に元はといえば原因があるのだが、そこに価値観の比重が加わったためにいっそう目立ってゆき、最後には玄人の処世上の定まったプリンシプル(原則)とまでなりかけていたのである。玄人は考査の度に、担任教師からもっと出来る筈だと叱咤された。それは妙に玄人のプライドをくすぐる叱り方だった。おれは“本気”にさえなれば誰にも負けないのだが、ただ人に勝つのが嫌だから手を抜いているので、おまけにおれには外に本気になるものがある――そういう自分一人で悦にいる妙なプライドだった。それはおのれの本心を表わすことを控える習慣が、いつか生活全体に染みわたって、何か陰徳を誇りとするような、知においても肉体の力においても、控え目な努力を尊ぶ性癖を玄人の中に育てさせたのであった。それはもしも小心という心理的欠陥さえなければ、立派な美徳でありえたかもしれない。だがそうではなかったために、この見かけの謙虚さは、おのれにやむなく強制されたものとしての歪みを受けていたのである。 結局、問題は人間関係への自信のなさであった。その自信の欠乏が、玄人の中で外への自分と内なる自分の区別をもうけさせ、価値の比重を後者におき、その余力ばかりを前者に向けさせたのである。玄人は何も自分の天文趣味を恥じる必要はなかったのだが、そういうロマンチックな自分が他人から笑われることを惧れ、それを自分一人の秘密にしておきたいと思い、また本当の自分はもっと勉強が出来るのだが、それを全力であらわしてしまうと、玄人の一番嫌った他人の注視を集めてしまい、そのことは玄人は心のどこかで望んでいないこともないのだが、おのれの小心がその栄誉に持ちこたえるだけの強さを持たず、ために常に、二流三流で甘んじることに、おのれのプライドを傷つけない程度に包み隠し、そしてスポーツにおいても常に目立たず、隅にいながら、時には離れ技をやって、周りの者の目をみはらせ、抑えられたプライドの鬱憤を一時的に晴らし、晴らしながらも自分が出過ぎたことに、小心な羞恥を覚えるのだった。 そんな玄人がある学期に学級委員長に選ばれたというのは、玄人にとってはまさに青天の霹靂であった。いつでも人の風下に立ち、烏合の衆に立ち混ざろうと努めてきた玄人が、よりによって人の上に号令をかけ、人の生活に干渉し、人の面倒を見なければならないというのである。玄人はこの時ほど、おのれの無力とエゴイスティックな衝動を感じたことはない。それは何かこれまで安穏と温室の中に寝そべってきた怠惰な動物が、突然サーカスに売られて人の前で演技しなければならない時の、戸惑いと憤りに似ていた。人の注視がおのれに集まり、焼き尽くすような羞恥が絶望のあまり居直った心を硬直させ、玄人は立ちあがって言葉を発することも出来ず、ただふてくされるだけであった。<一体この無力なおれにどうしろというのだ>玄人は心の中で叫んでいた。以前に保健委員に選ばれかかった時、自分は人の世話をするのが嫌いであると、本気に拒否した玄人であったが、今はどう言い逃れる道もなかった。出来れば<おれは臆病でダメな人間なのだから、委員長はつとまりません>と言いたかったかもしれない。だが玄人のプライドは、そこまでおのれを滑稽に、惨めに見せることには耐えられなかった。玄人は暗い心で家路についた。 一体誰が自分に票を入れたのだろうと思った。まるで見当がつかなかった。自分のようなダメ男を信頼するような人間はいる筈がない。冗談に入れられるほど、自分は級友に憎まれてはいない。後になって玄人はそれが女子の票であろうと、おぼろげに理解することが出来た。自分のような大人しい男を上に立てておけば、彼女らは安心なのであろうか。全くお節介なことだと、女子に持てたのがこの時ばかりはいまいましいの他はなかった。だが玄人は小心者によくあるように、物事を重大に考え過ぎ、物事の暗い面ばかりを誇張して考える習慣にいつか陥っていた。実際委員長の役をつとめて見ると、クラスの誰もが玄人に大したことを期待していないのに気づいた。それに気づくと、玄人はすかさずその雰囲気に甘えるようにした。おれがだらしない委員長なのは、君達が勝手に選んだから悪いのだと、心の中で弁解しつつ、ただ授業の始めと終りに号令をかけるだけの存在に身を隠した。そうして早く学期が終り、再び群衆の中の一人に戻れることをひたすら心待ちにした。だが学期の終りに、担任教師がごくろうさんと言う代りに、ただ号令をかけるだけだったなと洩らし、クラスが笑った時、玄人はさすがにプライドが傷ついたような気がした。 第6章 夜への序章(4) 玄人の叔母が再婚することになった。職場結婚で、式後は遠く西の方へ赴任する夫について行くことになったのである。玄人の母とは十ちかく年が開いていた。(羽和戸玄人の小説のエスキスやメモにも、彼を取り巻く家族、父親についても、叔母についても、大して具体的な事情は記されていない。このリアリズムの欠陥は、彼の小説を貧弱にするものであるが、たぶん羽和戸玄人の目ざしたのは、リアリズムではなく、一人物の特異な心理的発展を追うことであったのだとすれば、この欠陥は大目に見て良いであろう。小説を書かざるを得ない人間が、必ずしもその才を持っているとは限らないからである。) 玄人がこの世で心から好いた人間といえば、叔母の他になかった。玄人は叔母の前でならば、自分の心の内奥の秘密まで話せるような気がした。じっさい、自分で恥じていること以外ならば、何でも話したのである。玄人は一度信頼感を起こすと、明けすけに何でも告白してしまう質(たち)で、そのために傷つくことがままあったのである。玄人が秘密と思って話したことでも、相手は人に言いふらしたり、揶揄(からかい)のたねにした。母親もまた、その信用のおけない相手だった。母親や、その他の裏切る人間は、玄人が何を羞恥としているのか理解できなかった。あるいはまた狡猾に感じ取って、それを悪用した。で玄人は他のすべての人間に対しては警戒心が発達したが、叔母の前だけは心から自由に振る舞えるのだった。叔母は玄人の話すことを母親に告げ口しなかったし、あるいは少なくとも玄人のいる前では話題にしなかった。母親のように玄人の話しの端々にアラを見つけ、咎めたり、頭ごなしに禁止したりすることがなかった。ただ叔母は、玄人がなつかないのを妹の所為にしかねない母親に気兼ねして、時々玄人を遠ざけるようなそぶりを見せたのが不満であったが、また反対に母親に内緒で玄人と共謀して、秘密を分けあっているような気分にさせることもあった。 叔母との思い出の中で最も楽しく玄人の印象に残ったのは、小学生の夏休みに、叔母の会社の同僚との貸し切りバスでの海への旅行に、叔母に連れられていったことであった。その時母親は、加減が悪くて行かれなかったのを玄人は残念に思ったが、あとではよかったとさえ考え直したのであった。人見知りする玄人は、会社の人達が話しかけたり、頭をなでたりすると、ただかしこまるばかりで無邪気な所がなかったが、叔母と一緒の席で窓の外の景色を眺めているうちに、次第に愉快になってきて、しきりに叔母にものを尋ねた。叔母は一つ一つ教えてくれたが、終いには煩くなって、他の人との話しにうわの空になって行くので、叔母の注意を自分だけに向けさせようとする貪婪さが玄人を不機嫌にさせ、今度は叔母が話しかけても仕返しに知らん顔をした。だが玄人の不機嫌が甘えにあることを見抜いている叔母は、すぐ取り入るすべを心得ていた。玄人は再び上機嫌になった。そうか――と玄人は思った――これが母だったら、きっと自分がふてくされたのを憎たらしく思い、憎まれ口の一つも利くだろうに、叔母は本当に自分の心を分ってくれているのだ。でいよいよ叔母に甘えるのだった。それを可笑しがった同僚の女性が、ぼくにはお母さんがいないの、と笑いかけたが、玄人は“そうだ自分には母親なんかいないんだ”と思ってみた。 そういう叔母が結婚していなくなったことは、玄人にとって打撃であったばかりか、これまでまがりなりにも玄人の精神に感情のバランスを与え、抑制を与えていた支柱が失われ、世の人間と玄人との間の軋轢を和らげる慰撫の役割を果した避難所が失われることでもあった。玄人はその代償物を人間ならざるものの世界に求める他はなかった。 中学校の半ばから、玄人の性格は少しずつ変わり、内向の度を強めていった。それと同時に玄人の感覚にも変化が現われてきた。叔母がいなくなった孤独感と共に、性的な成長がそこに影を落とし始めた。玄人の遊び友達は、自分よりも大人しいクラスメートか、または騒々しいが人の良い勉強のできない級友だった。頭の良い級友や運動家は敬遠した。一緒にいると威圧感を覚えて、気持がくつろがないのだった。自分が、性格上の欠陥である小心を覚えなくてすむ連中を、特に選んだのである。そういう友達とは騒々しく騒ぐことができた。どこかに性格の欠陥や、劣等感を持ち、勉強のできないことを苦にしている、それらの気のおけない級友たちの中で、玄人は全くおのれの小心を忘れ、一時の忘我と小心者同士の感情の交流の中に、陽気さを発見することができたのである。だが一歩彼らから出外れると、玄人はそこにおのれ一人の夢想の世界を用意していた。そこでは現実の人間達はすっかり影をひそめて、無機的な星ばかりが輝いているのだった。 であるから玄人の友情というものの考え方も、すべての友達を自分が騒々しく陽気になれる遊び友達とみる無意識の観点から免れることが出来なかった。つまり玄人は専ら自分自身の気晴らしのために、友達を求めたのである。だから友達を捨てたり、替えたりすることは、玄人には比較的容易だった。レンズや天体に対するのと同じ愛着を、友情に対して覚えることは先ず無かった。玄人は友達を利用し、その友情を受けとることはあっても、自分から利用され、友情を与えることには吝かであった。玄人は常に乞食のように友情からの施しを求めながら、また乞食のようにその代償を払うことなどは夢にも考えなかった。自分が友達に甘えることはあたり前でも、友達が自分に甘えることには我慢がならなかった。たいていの友人は玄人のこのエゴイズムを見抜いて、玄人がプリズムを盗んだ友達のように見切りをつけ、または時期が来ると自然に疎遠になった。玄人は長く未練を持たなかったばかりか、いつまでも自分にくっついてくる友達を憎みさえもしたのである。 玄人が叔母を失った頃、同じクラスで父のいない少年が近づいて来た。最近父を亡くしたばかりのその少年に、最初は玄人も共感を覚え、二人は友達になった。玄人はその少年の前で道化て見せたり、自分の小遣いがない時にはその少年に駄菓子を買わせたりした。しばらく仲良く付き合っていたが、その内に玄人は、その少年がいつも自分の回りにべたべたとくっついてくるのが、疎ましく思うようになった。一人で居ようと思う時、一人で帰りたいと思う時、少年は目ざとく玄人を見つけて一緒になった。こういう“厚かましさ”がますます玄人の嫌悪感をつのらせて行った。その大人しい少年は玄人の何とないとげとげしさに、許しを乞うような目つきをした。自分は甘えながら、人に甘えられることを何よりも嫌う玄人は、和らぐどころかかえって素っ気なくするのだった。少年が近寄ろうとすればするほど、玄人は少年を突き放していった。 玄人の嫌悪はすでに生理的なものにまで変わっていた。少年の妙に生白い女のような肌に、玄人の感覚は拒否的な戦慄を覚えた。その手に触れられるだけで、体の中に体毛が逆に生えたようなザワザワする感覚にとらわれた。体育の時間に、腕と腕とを合わせなければならなくなると、乱暴に地面に投げつけたりした。玄人は自分がこんなにも残酷になれることが不思議であった。時にはすまないとも思った。しかし生理的嫌悪はどうにもできなかった。反省して少年に近寄っても、すぐに少年の肌の色や言葉つきが変に体にねとついてきて、耐えることができなくなるのだった。少年は自分が何か玄人の機嫌をそこねることをしたと思い、友達を介添えに詫びを入れてきたが、玄人はついに聞きいれなかった。少年の嘆願に一言も口を利かず、眼も上げなかった。介添えの友人が怒ったような声で、少年を慰めながら連れていった時、玄人は吻っとした。やっと一人になれたと思った。 玄人の空想癖、夢想癖は中学も終りに近づくころから、しばらく騒々しい中学生活の中で鎮まっていたのが、急に勢いを増してぶり返してきたようだった。さすがに教室ではその機会も少なかったが、朝夕の通学の路が、玄人にとっては夢の時間だった。玄人はこの頃からしきりに遅刻するようになった。朝の登校の時に、ぼんやりと夢遊病者のような足取りで歩むので、たいがい校門に着くまでに鐘がなっていた。玄人も段々横着になって、間に合いそうもないと分るとわざと回り道をして、時にはホームルームの終った頃、ひょいと顔を出すことがあった。担任の教師も呆れ果てて、いつか注意するのもやめ、玄人が時間に遅れて、バサバサの髪の毛に寝ぼけ眼で入ってくると、クラス中がどっと笑い、一緒に苦笑いするのだった。 だがいつもこんな呑気なことですんだわけではない。遅刻するお蔭で玄人はいつも帰りの掃除当番をやらされた。それも玄人はサボルようになった。いつも帰りのホームルームが終ると、挨拶の終らない先に、サッと鞄をもって逃げだしてしまうのだった。でクラスの連中は、“生意気な”玄人を制裁することにした。玄人は逃げれば逃げられたが、どうせいつかはやられるのだと覚悟して、大人しく制裁に甘んじた。玄人はクラスの者に殴られたのは初めてだった。さすがに意気銷沈して、以後はひたすら小さくなろうと努めた。 中学も終りの頃には、玄人の夢想は孤独に彩られていった。玄人の好んで思い浮べた空想は、どこかこの世の果てにある燈台であった。岩と砂浜の他には、人家の一つとしてない荒涼とした風景に囲まれた小さな岬に、その燈台はこの世界のただ一つの命のように、ぽつんと灯っていた。そこではいつも夜だけがあった。燈台からは一筋、二筋、黄色い光芒が先広がりに伸びていったが、そのために夜は少しも明るくならないのだった。その燈台は何のためにあるのか。沖にはこれまで一隻として、船が姿を現わしたことはない。空は墨色の折り紙を張りつめたように、真黒だった。そこには星が、やはり金色、銀色の星型を張りつけたように散りばめられていた。時には月が出た。月はこの世の月のように、空を乳色に流してしまわないで、墨色の空の中で窮屈そうに肩を縮めていた。玄人は燈台守だった。毎晩篝火を焚いて、大きなレンズの先から光を送っていた。レンズの光は夜空を掃いて、星々の間に溶けこんでいった。星々はその光に応えて、ゆったりと巡っていった。玄人は星の燈台守だった・・・。 作品名:夜の中心への旅 第5・6章 夜への序章3・4 作者:ハワード・クロフト Up:2016.3.26 |