夜男爵の部屋 第15夜


最短詩集(ミニマム・ポエトリー)

ゲスト 羽和戸玄人

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バロン:今晩はどういう風の吹き回しか、羽和戸玄人さんが手土産を持って突然の訪問ときた。三年ぶりになろうかのう、噂どおりならばアフララさんとお暮らしのようじゃが、いかがおすごしか。
玄人:ご無沙汰しています。何の報告もなしに、長らく姿を消していましたが、私の性なのであしからずご容赦下さい。
バロン::なんの、このサロンの人物たちは皆気まぐれこの上なくてな、一年二年消えたところで、さして気にも留めておらんよ。むしろその方が不人情であろうが、われわれは全員創作上の人物であるから、それはそれで少しも困らぬのじゃ。アフララさんはお元気か。
玄人:今元気にシルクロードの旅などに出ています。私はその元気についてゆけないので、つれづれのままに詩などをまとめましたので、ご高評をうかがいに出むきました。
バロン:詩もよかろうが、長編小説の連載が中断しておるようじゃが、夢遊星人さんも気にかけておった。
玄人:読み返してみて、あの悲惨な青春がひどく気を滅入らせるようになりまして、たとえフィクションであっても、果たして公開すべきものなのかを考えさせられました。主人公が今で言う登校拒否になるところがもっとも苦渋に満ちており、それをなかなかのり越え難いのです。しかしそこまで載せなければ、この小説を公開した意味はないようにも思います。すでに長年月経っていますが、まだ時間が必要なのです。
バロン:まあ、そうやって未公開に終る小説はいくらもあるであろうな。作者にとってあまりにも重過ぎるのであろう。
玄人:私自身はこの小説を経たことによって、ずいぶん気持が軽くなりました。もっともそれ以後の小説も、連作<風の中の家>でご存知のように、青春期の影が色濃く投影されています。その後、詩に向ったことによって、さらに気持を上向けることができました。
バロン:それは良いことじゃな。文芸は発表することがすべてではなく、創作そのものにある種の治癒力が備わっているのじゃ。余の<ネロポリス>などは、もはや時代を超越した骨董品のようなものじゃが、いまでも拳拳服膺して心を慰めるよすがとしておるわい。
玄人:私の詩も歌い捨てのようなものですが、何年かしてたまったものを読み返し、作り直していると、わが心が沈潜して、世に詩人の書いた詩以上に、印象深く読まれてくるのです。たぶん世の中の標準の詩に及ばないとしても、すくなくとも作者としてもっとも深く解釈できるわけですから。
バロン:料理も結局自分が調理したものが最高であるように、ある程度の才があれば、おのれの文章や詩がもっとも興味深いものとなるのじゃな。カントは老いて自分の書いたもの以外には理解できなくなったそうだが、もっともなことであるな。
玄人:私の詩は無論独創ではなく、さまざまな詩人の影響を受けています。ハイネやレーナウのような抒情詩人や、特にこの国の和歌や俳句の詩法が、私の気に染まって、おこがましいようですがミニマム・ポエトリー(最短詩)という形式を作ってみました。形式というよりは、むしろ出来るかぎりわずかな言葉で、瞬間の印象を凝縮するという趣向ですから、とにかく俳句のような決まった形や約束事はありません。
バロン:最短詩といえばまず俳句じゃが、俳句ではまずいのかね。
玄人:俳句では詩として制約が多すぎる気がします。それはもともと俳句が社交文芸であったせいです。季語や古典との連想、なによりも決まりきった省略的な言葉遣い、それらは俳句に参加するものたちの共通の理解と言うものに支えられ、あるいは寄りかかって、言語以外の要素をあまりにも多く必要としているのです。詩は基本的に言語芸術です。言語に表わされたもの以外には、すべて暗黙の了解から生じる、あるいは言語には現われていない個人的、社会的、歴史的コンテクストに過ぎません。それらのcontextが詩の大部分を占めてしまっては、言語は形無しということになるでしょう。一例をあげてみますと、

 「文金の高」が輝く芙蓉が咲いて   高塚一碧楼

 「これを単に一幅の美人画として見ることはできない。
 太陽の光の中に、目ばゆくも咲き誇っている芙蓉の花よ。そこに文金の高島田を結った麗人が立っているかいないか、そんな事実はどうでもよい、否そんな実在的な現象をスケッチしているものでもない。一碧楼の目は、心は、何を求め何に憬れているのであろう。芙蓉の花も、そこに咲いているかいないか、或いはそんな自然現象も何も見ているのではなかろう。彼の抱く大きな大きな心の空虚、それがあたりいちめんに充満しているのではないか。樹を吹く風のひびきも、地を蔽うている日の光も、やがて消え去る現実の虚無のはてしない大きな穴、そうした暗黒な世界に自分自身を凝視しているに違いない。
 華やかな芙蓉の輝きの中に文金の高島田の美人を配してこれを夢想し、幻覚し、そこに空虚の大穴をうめようとする若い詩人の苦悩を見出すのである。」 (黒田忠次郎「秀句の鑑賞」s,38河出より。イタリック引用者)

 この俳句の鑑賞は、俳諧人にとってはまさにこの通りの解釈が可能なのでしょう。しかし一体文金高島田の美人と、芙蓉の花の、どこをどう揺すれば、大きな大きな心の空虚や現実の虚無のはてしない大きな穴が生まれてくるのだろうか。すべて言語の次元ではなく、俳句という文芸のcontextから生まれてくると考える他はないのです。これはもはや言語芸術ではなく、秘伝に近い伝統芸なのです。
 高塚一碧楼という人の人生や生活については何もわかりません。文金高島田が伝統的に持つ美学も、現代では死語に近く、漠とした美観以外にはつたわりません。それを虚無と対比する感覚を当時の俳諧人以外には持てないのです。つまりこの詩は、美の形骸だけを残して死に果てたといって良いでしょう。それにしても美しい形骸ですが。
バロン:そもそも君は詩をどのようなものと考えているのかね。
玄人:バロンを前にしておこがましいですが、ミニマム・ポエトリーに関して、私の考える詩について言いますと、最短の詩とは実のところ辞書に他ならないということです。詩は基本的に言語です。言語の最小単位である単語が、すなわち詩に他ならないのです。私は学生のころ退屈すると、よく辞書そのものを読んだものです。辞書の中にはある種のロマンがあり、詩があります。辞書の中にWolkenkratzerなどという語が出てくると、それがそのまま詩なのです。いわゆる形としての詩は、そこから出発して、そこに終ります。辞書によって解釈できない詩などは、邪道と言って良いでしょう。言語以外のあらゆるコンテクストをはぎとっても、なお残る言語本来の詩こそが、真の詩であり、そこにとどまってこそ言語芸術と言えるのです。つまり詩はecritureそのものです。
バロン:君の説には基本的に賛成だが、辞書のないところでも詩は成立するのではなかろうか。歌謡のようなものは、辞書を引くわけにはいくまい。
玄人:言語には目に見えない辞書があります。文字のない未開人の間では、記憶が共通の語彙や語の意味を提供してくれます。そうでなければ言葉などは成立しないわけですから。その共通の言語使用が、ホメロスやカレワラのような口承文芸を生み出したのです。現代人がそれらの古典を読めるのも辞書のお陰です。
バロン:それでは君の詩は辞書のようなものというのだね。
玄人:辞書そのものではありませんが、辞書を読むようにして解釈できるということであって、決して文金の高島田から虚無が生まれるということはありません。
バロン:詩が辞書の範囲にとどまるというならば、優れた詩人の独創性というものはどうなるのかね。単に辞書の語彙を増やすだけのものなのか。
玄人:詩人が言葉を作るという意味ならばそういうことですが、ダンテやゲーテがそういう詩人ですが、そもそも文字であれ音声であれ、言葉とはいったいなんでしょうか。たった一つの単語であっても、それを目にし耳にする人の人生の全体験がそこからかもし出され連想されるものなのです。詩は詩人が作り出すばかりではなく、詩に接する人が、そこから詩を生みだすのです。その出発点が言葉であり、その終点もまたそれぞれに解釈された言葉でしょう。詩の独創性は詩を読む側にあるのです。
バロン:平凡な詩にも深い意味が込められることがあるものじゃな。それも読む人のなせるわざということじゃろう。詩を読む人もまた詩人でなければならないということじゃのう。
玄人:言葉が詩を作り、また言葉がそれに接する人を詩人にするのです。
バロン:まあ、とにもかくにも君の詩を披露してもらえんかね。
玄人:ではわが拙い最短詩を。ひとまず第一部の<七里靴>を。



最短詩集(ミニマム・ポエトリー)

T 七里靴

七里靴にて
七歩歩まん
北斗の方

海光る
巌にむすぶ
蟹の庵

蟹を追う
海の水の塩辛き

つぶて投げ
一点動かぬ
ふな虫

灯台守にならんとせし
絵空ごとの

海胆を見る
浅海
子供心に

登り来て
ただ海の色
小豆島

内海の朝まだき
オリオン
アルゴーの船

墓地をゆく
夕暮れ
かれこれの人
死にたりと

聖フランシスの
見替えるものなく
うばすての里

ものみな
装いを棄てて
日輪虧く

夢に見し街路(とおり)
午影(ひるひ)顕かなり

路の角(くま)燃え立ち
まだ見ぬ世界へ
急がれぬ

渦模様
世界の果ての
明るみて

落葉香る
山肌の土に
身はゆかし

影おぼろ
ただひとたびを
夢の日々
  ――ハレー彗星に

土のさが(タマス)
空のさが(サトヴァ)とあり
身は一つにして

日影落つ
空のまなかに
闇ひらく

雲のうろこ
ひとつひとつ数ふ
夕暮れ

雲のうらへ
真珠色はしる
落日

嵐去って
夜の雲間の
濃紫

命十億年の迷夢(マーヤ)
DNAの滴
絶えよ

命蒼ざめ
われまた蒼ざむ
命なりけり

命拒まず
命にてわたる
法(ロゴス)の海

越えし人
沙羅双樹下に
姿(かたち)なく

ニーチェと釈迦
相会す午
バオバブの根に

靴失くしてゆく
畦道の
雨上がり

苗木生ふる
小山上(へ)に
少年影二つ三つ

滞り払わんと
古き宿おとなふ
光る夜道

白き教会に唾して
家路の務め人

青い靴からかわれて
家の庭に赤子の降る

ユークリッド幾何学の窓から
曇り空

指切って
しみじみと書を読む

登りつきて
古き墓
犬のほえ声

お父さん
僕たちをこんな処に
置き去りにしないで下さい

馬車馬の
都会の心
忘れたり

吐きたきものみな吐く
居酒屋小学校のかしましさ

ビール半ダース空け
ひとり飲む人

空のコップ所在なく
握りては置く人

飲んでも馬車馬
飲まれても馬の酔い

飲まぬは付き合いがたしと
まわらぬ舌に

屋台にいやみを言いてより
非情を定めとす

金湯水と見なして
報復せし日も遠く

金なくして
生かされしを悟る
山頭火という人

飛ぶ鳥のねたきは
大地に生かされあること

人の生の煩(こちた)きは
人の手に生かされあること

爪切ること幾たびか
伸びるを懼る

夜の裏庭
幼女ら密かに接吻す
黒き口唇

うらぶれし
学生姿のまま
なにを憤る彼

壁の眼(まなこ)に接吻す
夜の寝覚めの不安

 *   *   *

(俳句風に)

綿雲につられて歩む風と草

桜ちり人なき午の崖の上

この春は歳星の金太白の銀

ユピテルの色なくヴィーナス春嵐

歳星落ち太白昇る春夕べ

出会いがしらに立ち止まるいたちの仔

春寒く名を忘れしほど昔の人

配所いそぐ冬星座三日(みか)の月

こちこいと誘いし鳥の待たぬ日永

わが影の鴨驚かして春日くれ

枯草に蜘蛛はしる音あたたかな

童女跳ねて親雀小雀一列の背

こつこつと枯れ松に音する森の春

高き木の高さ窮めてゲラ飛びたつ

緑(あお)亀の所在なき身に草萌ゆる

鳰の出る方うらなふ水駘蕩

窓日影鳥影一閃春夢射られ

石膏の雲落つる陽の永き憂ひ

雨滴(しずく)ひとつ落ちきたる檪葉の繁り

海豚座 矢座 子狐座 夏の宵

立つとなく若木の伸びる葉の顫へ

しなやかに生物わたる麦の風

朝顔や虚空をさぐる蔓ありて

朝顔咲いて白き項の今いづこ

曇天に朝顔ひとつ藍(あお)ひとつ

秋暮れて播く人のなき種集め

黒ぐろとまどろむ種の不死の夢

待宵草小さく叫びて手折られぬ

街灯(ひ)のもとに生首ひとつ待宵草

大魚と小魚と迅りゆく夏川

押し出され押し出されて小滝落つ

落つる水にふれて確かめたきことあり

なるせろに声して山路行きなずむ

炎天の川原墨にそめ蝌蚪のひしめき

蛙まねて蛙鳴きやむ水田道

ほのかなる燈籠の紅き路地の門

今宵夏の祭り太鼓の古社

仔かみきりなれも実を食むはぐれ桑

堤刈る草の香やよし鳴く鴉

暑き道何まどいゆく黒芋虫

夏草に気高き母猫は死児を見ず

モナドひとつ瞳(まど)をたたきぬ蛍道

玉蜀黍(とうきび)なればこそ参差(しんし)なきを愛で

針槐樹(アカシア)の若枝宙(そら)をさぐる虜囚

杜若しおれて沼蛍一つ

いく星霜(としつき)ありやなしやを秋の風
   ――アンドロメダ星雲へ

風草のほの紫に野枯れそむ

林道急ぐ背に秋の落日

一つ星隠れ栖む庵魚の口
  ――フォーマルハウトに

ひぐらし鳴く裏山道の闇ゆかし

嵐来る夜空に月運ぶ

山栗を煮て憂し仔虫の白き

柿の種用なし石と化せ

寺ぬけて月なき夜のぬすと橋

百舌鳴くやわれも変わらずかれも変わらず

鵙かへらず栗の木病んで残る秋

勇士ゴルゴンの頭(かしら)つかみ来たる枯野
  ――ペルセウス座に

ひたひたと犬に越されし古都の秋

長い橋夜寒に歌い二輪の人

長い橋歌わぬ心で秋の暮

流れ星白き痕(あと)ゆれ木枯息む

時雨空夜鷹鳴く山の黒さ

一筋の道流れ去る苅田の暮

真黒き冬空より鋼鉄(はがね)の声 Ding an sich

椋鳥の空に宿借る冬木立

台形星(トラペジウム)光る雲乱れ瞳(まなこ)うるむ
  ――オリオン大星雲に

木枯の吹く方青みて北十字

ぬか星よ星の賑わい外れ来て
  ――プレヤデス星団に

青ひとつぶ落ちてありけり小春道の辺

寒き橋身投げし人の歌かなし

寒き橋身投げし人の屍動く

道問うに人なく冬の星応えなく

夕時雨光るもの高まり沼一面

桜草(プリムラ)の一株にて足る冬の園
 ――To Macdonald's At the Back of the North Wind

北風の髪の乱れに稲光りかも
 ――同上

わが影の顕わならん夜の雪の原

どか雪に檜のむくろ香ばしき

緑鳩(あおばと)の枯葉に眠る目蓋赤蟻(あり)ひとつ

夜河原に仔犬鳴きやまぬ寒星

放れ鳥蝶のごと舞う冬河原

 *  *  *

鷺のゆく
夕空
家なく
友なく
懼れなく
水田の
光る

一本(ひともと)の撫子
踏まれてあり
ただひともと
世の終りに

いつまでも
堕ちずにあれ
天の川
蛍ゆく

遠山影

水色
ひとつらに
利鎌月
太白
歳星

郭公の啼く
夢見ここち
夕暮れ
屋敷杜



作品:最短詩集(ミニマム・ポエトリー)T七里靴
作者:羽和戸玄人 copyright: hawado kuroto 2019
入力:マリネンコ文学の城
Up : 2019.5.23