夜男爵の部屋 第17夜
過去からの招待状(1)
ゲスト 羽和戸玄人
対談・夢文学について バロン:夢遊星人さんの夢日記につづいて、羽和戸玄人さんが夢日記を掲載する気になられたので、このさい玄人さんと夢文学についての対談をもよおして、閑散この上ないこの文学サイトのおなぐさみともしようと思うが、どうじゃね。 玄人:バロンの夢についての蘊蓄をおうかがいしたいですね。 バロン:薀蓄というほどのものでもないが、誰でも夢ぐらいは見るであろうから、夢がなにかを知らないものはないであろう。 玄人:たいていの人は夢は泡沫と思っていますが。 バロン:まあ、現実世界の薄い影のようなものとみなしておるのであろう。そのとおりでもあるが、そうでもない。フロイトなどは、やはり現実との関連を重視しておるから、そのかぎりで興味をもたれるのであるな。 玄人:フロイトの現実は、無意識界の現実ということでしょうか。無意識界はふだん明瞭に意識しないので、夢と似たような世界なのでしょう。無意識界が現実とかかわるということから、夢を現実的に解釈しているわけでしょう。実際夢のほとんどは、フロイトで解釈できそうです。 バロン:それだけ人間はこの現実界にとらわれておるということじゃな。この現実界で容易に実現できないこと、隠された欲望・欲求の代償的実現ということが、夢の本質となるわけじゃ。しかも夢の中でさえ人間は容易におのれの欲望をはっきりと認めたがらない。ゆがんだ映像として、こっそり本音をちらつかせるだけなのじゃな。 玄人:そういわれると私の夢作品などは、ほぼ歪められた願望ということになってしまいますかね。そうした文学に、どういう価値を認めたらよいのでしょう。 バロン:そもそも夢にどういう価値があるかにかかっているでしょうな。単なる現実の代償であるならば、それだけのものじゃな。ネルヴァルやカフカやクビーンやラヴクラフトの夢文学が、彼らにとって単なる現実の代償としての慰めに過ぎなかったのであるか。ネルヴァルにとって夢こそ人生の価値のすべてであったように思われるが。 玄人:夢のために、この人生は縊死するに値したということですか。彼は夢を第二の人生と言っていますが、第二の人生を生きるには、第一の人生を放棄しなければならないようですね。そのためには、この現実の人生は支離滅裂このうえないものとなるわけですが。それほどまでの純粋な夢は、私はまだ見たことがありませんが。 バロン:君にせよ私にせよ、現実よりも夢に価値をおいておるのじゃが、やはり現実の強力な牽引力には打ち勝てずにいるのは仕方なかろう。それが夢にも反映して、フロイトのお世話になるわけであるな。カフカやラヴクラフトは、この現実からの圧力が強力に反映しておる文学であるといえよう。不安や不条理や恐怖が、彼らの文学の基調となるわけである。それが現実に生きておる人間たちにも、夢の世界からの強いメッセージとなるわけじゃ。 玄人:カフカはそうかもしれませんね。実際ドライな夢文学です。ラヴクラフトは夢の世界への郷愁のようなものが感じられますね。その点、夢世界への逃避の傾向が強いです。同時に恐怖によって、その世界から現実世界への回帰が迫られるわけです。しかも現実回帰が不可能であるため、たいてい死や狂気によって終わります。クビーンについては自殺願望が強いようで、一作だけですが黄泉の世界のような夢文学です。 バロン:純粋に夢に生きる文学者とはべつに、夢を気のきいた文学手段として用いる作家があろう。カフカやビアスにはその傾向があるが、ボルヘスなどはその後者の代表じゃな。夢の形式や特徴をかりて、独特のアイディアを展開するというわけじゃな。夢そのものでは文学にならない場合が多いが、それに文学的装飾やアイディアを加えて、読みごたえのあるものとするのが、本来の文学であろう。 玄人:それは耳に痛いですね。私のは文字どおり夢日記ですから、文学以前ということでしょうか。 バロン:夢そのものにも、単なる文学では表わせないものがあるであろう。それらは修飾しなくても、それ自体である真実や美を物語っていよう。この宇宙は我々の知る現実界ばかりではない可能性を、夢は暗示しておるのじゃ。それをネルヴァルは<精霊の世界>と呼んでいる。めったにない夢において、そうした隠された宇宙の真相が明るみに出されることもあろう。いわば形而上学的な夢であるが、これについては脩海さんにまかせるとしようか。 玄人:夢の中では不思議な能力が発揮されることがあります。語ってもだれも信じる人はいないでしょうが、語るだけの価値はあるようです。ユングもそのような夢にとりつかれたようですが、私の夢日記にも、いくつかその痕跡があります。脩海さんの夢のエッセイも面白く読みました。夢を形而上学で解き明かすというのは、特異ですね。それが分かる人は、そうはいないでしょうが。 バロン:文学に話をもどすと、夢文学の価値は、もちろん夢に関心を持つ人には元から価値があるのじゃが、経験の範囲を無意識界にまで拡げるという、人間の交渉できる世界の拡張ということがあろう。それを個人的レベルで行えば、単なる夢日記であるが、それを創作の材料とすれば、優れた文学作品にまで改良できるということじゃな。しかも単なる空想や想像ではなく、れっきとした夢体験が根底にあるので、十分な説得力を持ちうるということじゃ。 玄人:私も才能があればそうしたものに挑戦するのですが、なにぶん菲才非力ですから。私が唯一試みたのは、<風の中の家>だけです。 バロン:夢文学はどうも難解になりがちじゃ。おのれだけが分かっているという、内在的価値が優先するのでもあろう。そもそも夢に関心を持たない人には、まるで理解できないであろうから。その点作者はある種の優越感を持つのかも知れんな。しかし、それでは誰も読んでくれないわけだが。 玄人:その誰にも読まれない作品を、またまた載せることになりましたが、あしからず。置き場として利用させてもらいます。 過去からの招待状(1) やよい30日 葦舟に乗り組んで海へ出た。小さな船にたくさんの装備をして、航海の途についた。小島をみつけて数人で探険した。険しい岸をよじ登って頂に出ると、そこはすでにテレビ局が開発していて、円形の道がつくられていた。テレビに撮られない内に退散し、岸に座礁しかかっている船に再び乗りこんだ。嵐になった。波がかぶさって浸水した。乗組員は投げ出されたりして散り散りになった。命からがらどこかの海岸にたどりついて、沈んでいく葦舟をながめていた。傍らで裸に近い子供がなげいていた。寒そうだったので、着ていたジャンパーをかけてやろうとすると、かたくなに拒んだ。舟の沈んでしまったのがよほどこたえたらしい。我が身はさておいて、子供のことが気になった。彼は裸のまま、ゴミ用のポリ容器に隠れているのが見つかった。 うづきx日 床屋へ行った。儀式に出なければ。椅子に坐る。男と女がいる。夫婦か。はさみを入れる。どうも腰が据わらない。椅子からずり落ちてしまう。はさみを入れると椅子がやわらかくなり、床へ落ちてしまう。儀式は広い講堂で行われた。いっぱいの人だ。正面の演壇の背後は天からの光が差している。その空色の後光を背負って校長が立っている。神の威光か知らないが、もったいぶったしかけだな。一緒に後ろ口から入っていく罪人たちの間でそう言うと、だれかたしなめる者がいた。これから自分ら罪人の群は、皆の前で罪の懺悔をするのである。自分の名が呼ばれたような気がして、まだ入口の所で口から出まかせの懺悔を皆に代って喋りはじめた。どんな罪を犯したのかうろ覚えであったが、もったいをつけて弁解をはじめた途端、代表はだれかという声で自分はその任でなかったことに気づき、口を噤む。名前を呼ばれたので、てっきり自分が喋るのだと思いこんでしまったのだと言い訳した。わたしたち罪人は整然と坐った会衆の間の一角に、並んで坐った。傍らにはI子がいて、その隣の美少年と仲良くしている。やがて会衆は立ちあがり行進に移った。わたしら罪人も一列に行進した。向いからは一年下の生徒が行進してくる。わたしらよりは体も背丈も小さい。すれちがい、なんだか嫌なやつと顔を合わせそうだったが、やっぱり顔を合わせた。 うづき?日 明日嫁が来る。早く就寝して明日の式に備えなければ。五時におきる予定。目覚し時計を合わせる。針を右に回し左に回ししてみる。本当に五時に鳴るようにセットできたか見当がつかない。文字盤は数字の代りにわけのわからない記号。不安なのでもうひとつ腕時計の目覚しをセットして、枕もとに並べる。なぜだかKが来ていて、泊りこんでいる。嫁の話は唐突で、まだ相手が誰であるか、どんな顔なのかも知らなかった。クジでも引くような期待感。明日式に着て出る礼服が心もとなかった。チャンポンな着方で何とかなるだろうとたかをくくった。Kはとなりに布団を延べて、わたしの介添でもつとめるらしい。 明るい朝日が窓際のベッドいっぱいに差していた。布団の上でぬくぬくと寝ころんでいる。少し暑いくらいで汗ばみそうだ。カーテンのない透き通ったガラスの窓の外に、やはり透明なガラス窓を通して、前の家の部屋の中が見てとれる。なんだか悪いことをしているようで、いたたまれなくなってきた。前の家はボートレーサーの家族で、同級の女の子がいて、団欒のさまが覗かれた。反対にこちらも覗かれているわけだから、好き勝手にふるまえなかった。 うづき 道を行くと、馬を散歩させている休日の中流サラリーマン風のおじさん。馬は短いつなで牽かれることを嫌って、立ち往生している。ひっぱろうとしても道草を食っている。背中に乗ってくれと全身で表現している。その主人と馬のペットを横目に見て通りすぎ、少しきどって先を歩いていると、背後から馬の駆けてくる気配。ふりむく暇もあらばこそ、馬は首を低くして私の両足を突っかけ、ほうり投げた。私は空中で一回転して馬の首を転がった。そのままうまく行けば馬の背にすっぽりおさまったのだろうが、ずり落ちてしまった。馬はどうしても背中に乗ってもらいたくて、この挙に出たものと見える。主人があわててやってきて、馬を取りおさえようとしている。私はおかしくなって手伝う気にもならなかった。 久しぶりにレコードをかけた。ポピュラーな曲が幾枚かあったはずなので、さがした。他の盤の下敷きになって、埃にまみれたやつが出てきた。一つはサイモン・ガーファンクルのアルバムで、45回転盤の二枚入ったやつ。かけてみると例のコンドルだ。値段を見ると3,800円。こんな高いやつをよく買ったもんだと、われながら感心。だが探しているのはこれではない。つぎにひっぱり出したのは、小川友子かだれかの折り畳み盤で、三つに折れたやつを伸ばしてみると、両面に五曲ぐらいずつ入ったLP盤、かもめだのなんだの歌謡調。これも探しているやつではない。 さきほどの馬を散歩させていたおじさん、テレビの教養番組に出ている。もう一人の講師の相手をして、テキストの本を読みあげている。ゼミナールのテーマは認識の方法論。三段論法的な方法論に続いて科学的方法論を説いた所を読みあげる段になって、このおじさんは読み渋り、どこかおかしいと首をひねっている。あらかじめ頭の中で帰納法を先取りしていた私はいらいらしてきた。もう一人の対座する講師をみると、男の服装をしていたが、ワイシャツのボタンがはじけて、そこから二つの豊かな乳房がのぞいている。どこかでみかけた女だなと思った。急に小用が足したくなって座を立った。廊下へでて突きあたりの押入れを開けた。押入れの中へ用足しをしそうになって、あわててガラス戸を開けた。ばつが悪かったが廊下ごしに放尿した。もどってみると講義は終ったらしい。部屋も座敷から喫茶店風に変っていて、女講師もおじさんもくつろいでいる。私の坐った席の向いでは、三人の女がたわむれていた。その内の一人は頭巾をかぶって変装した女で、私にはすぐ誰であるかわかった。それはこの物語の主人公である夏目M子で、ちらちらと姿を現わしては話の進行に華を添えているのであり、いまは女三人寄り集まった気安さに、レスビアンまがいの遊戯に耽っているのだった。 うづき プロレスに疲れて自分の小さな部屋にとじこもり、椅子にもたれてうつうつとしている。二つの小窓の外は曇り空。雲が左の窓から右の窓へ流れていく。目を動かすと、ふいにシャッターの下りたように暗くなる。また目を動かすと、もとの灰色の空、灰色の空、灰色の空。わが心の情そのままに思われ、雲の動くさまと心の照応するハーモニーを詩になそうとし、ノートをとりあげ白紙の場所を求めたが、いくらめくってもすでに何かの詩が書きこんであり、情緒の失せないうちにとあせる間にも雲は流れ、階下に人声のする。自分を呼ぶような、がやがやいう人のむれ。 プロレスのあと何かをし残したのだろうか。すると部屋の戸があく。音がしないので閉め忘れたのであろうか。それにしては詩を書くときはいつも閉めておくので、閉めてあったここちがするのだが。入ってきたのははるみで、自分は椅子にもたれ半分寝ているふりをした。はるみはなんの用あるともしれず、探るように部屋の中を見、自分を見る。詩を見られることは恥ずかしく、自分ははるみの注意をそらそうとしたが、とっさにいい言葉が浮ばない。雲を見ていたら、ウトウトと眠くなったのだと言い、本当に自分でも眠くなり、椅子に深く体を落として、足を机の下に伸ばし、ほぼあおむけになって目をつぶった。はるみは何かからかうような、とがめるような言葉を発していたようだ。すると急に重いものが胸の上にのった。はるみの足であることは目を明かなくても分かった。はるみは自分に交叉するように椅子に寝そべって、両足を自分の胸まで伸ばしたのだった。自分はとりのける気にもならず、臭くもなかったので、そのまま何も考えず心地よく眠ろうとしたが、詩を見られるのではないかという気がかりが頭に残って、完全に眠りこめない。すると今度はSが入ってきて、騒々しくけん玉を探している。見つからないとみえて、証拠隠滅したなと言う。そのとおりだ、みんな証拠隠滅してしまった。自分もつぶやく。すると急に心が軽くなって、はるみの足が胸から消え、自分は立ちあがった。Sはミキサーを回している。何のジュースを作っているのか。ふたもしないので、けたたましく鳴っている。立ちあがると、はるみがからみつくように寄ってきた。はるみは化粧で隠していたが、醜女のほうであった。はるみと仲良くするのはあとくされがあるようで、気がすすまなかったが、はるみの体はなま温かく、つき放すにはおしく思われた。 うづき 雨の降る、雨の烈しくふる、登校の時間、早すぎて、烈しくふる雨、休んで小説を読む気になる。トイレの中の二匹の小犬、紙の箱におさまって、壺に落ちたらどうしよう。泳いで出るやら。小説はアマゾン地方の地底のトンネルでもあろうか、探険隊員の発見した魔の粉薬、椀にこねて食せば、おぞましきものに変身する。捨てようとして、そのうちの若干をもち帰る、撮影終り――というのはこの話は映画であった。――主役を囲んで地下のセットでパーティー開く。主役ヤマシロは奇怪なトリックで客をおどろかす。 京都の某町の複雑に入り組んだ裏街、自転車でぬける。夜であった。家と家との境なく、台所を通り、戸を開けると、そこはまた戸外ではなく、土間のようで、老人が布団をかぶって傍らに寝ている。そこを越してさらに戸を開けて出る。やっと家の外、庭やら露地やら、わらぶきの大きな屋根を支える丸木の柱、表通りに出る。昔このごたごたした町の奥にヲニシが住んでいて、よく遊びに行った。今はどうしたものか。またそのさらに奥には兄弟の住んでいた、ずぬけた大きさのアパートも。表通りでそこにつどっていた人の群にぼんやりまじっていると、すましてキリ子が通っていく。ずいぶんかわいくなった。脛もほっそりして、よく見えなかった顔も髪型も別人のようだ。少し先の畑の宅造地に祭りの太鼓がなって、二人の男が歌っている。よく見ると一人は自分だった。太鼓のリズムにのって・・・ さつき しめっぽい部屋の中、窓をあける。前はすぐ家が接して、開かれた窓から作業場らしい場所がのぞかれる。裏の窓をあける。陰になったしめった家裏。この部屋で夏は布団をもちこんで寝泊りすることがある。今は一冊のマンガ本を読みに入ってきた。机と椅子の他はがらんとして、いやな生きものがそこに出てきそう。椅子に腰かけて読んでいると、どやどやと女の子たちの一団、いつのまにか机がふえて教室になっている。マンガを読む手をおき、彼女らにクラブ?とたずねる。女たちは総じてとりつきようがなく、一人が生意気な返事。みるとチャイナである。こんな冷酷な女だったかなと思う。ターラが来るというので、あわてて立ちあがった。会っては大変とマンガを手にして、そそくさ教室を出る。校舎を出て校門へ向っていると、バスのような大きな車、窓に金網、中は見えない。精神病者だと言って、みな大回りしている。そのバスのそばで数人固まって話している。看護夫か医師のようでもあり、また警察官のようでもある。Mの野郎あばれたらつれこもう、こんなことを話している。さては教員のM山はとうとう気が狂ったな、他にもつれられていく者らがいそうだ。この学校もとうとう手が回ったなと思う。その時固まっていた人数の中から一人離れたものを見れば、トーケであった。一瞬目が合い、おれは笑って話しかけようとしたが、彼は他人を見るような一瞥をくれて、すたすたと校門の方へ行く。おかしいな、人違いだったかなと思う。トーケには双子のように似た別の男がいて、その男だったかなと思い、見るとその別のトーケが花壇のふちの石に坐っている。全くよく似ているが、やはりどこか違うようだ。どこがというと、顔立ちがインテリ臭さが輪郭に浮きでているといったくらい、頭もごま塩である。念のために彼に近づき、トーケさんかときいてみると、彼は薄く笑って、今校門へ去っていった男を指さす。でトーケに無視されたので、だいぶ気を悪くして校門を出る。左へ行こうか真直ぐ行こうかと迷っていると、前から沢山の女学生、困ったと思ったが、いまさら逃げるのもみっともない、中にターラやコモがいてはと思ったが、そちらを見ないですれちがう。しばらく行くと、小学生が垣根にかたまっていて、何かあるのか一人の女の子がのぞきこんでいる。背をかがめたので短いスカートの中が見えそうになった。ちょうどそばに電柱があって、その突き出たボルトに引っかかって、とうとうパンツが丸見えになったが、赤い毛色のものだったのには興ざめ。さらに行くと、いつの間にか自転車に乗っていて、前から来た小学生の自転車と道際で衝突しそうになり、倒れてしまったが、威厳をつくろって何でもなかったように起きあがり、体をこわばらせてさらに自転車を走らせていった。 さつき 気配、話し声、寝ている耳に部屋の戸の向うで若い女の囁き。聞き覚えがあるような。とっさに思い起こした、死んだ女の名、幽霊となって今そこに来ている。何のために、誰を訪ねて。恐怖、だが誰とは知らない死んだ女のいとおしさ。思わず女の名を叫んで、布団を這いでていた。さゆり・・・なぜかこの名が口をついて出た。よく知っているようで、また誰であったか。ただいとしさに這いずり戸を開けると、外の廊下の薄暗がりに人気はない。他の部屋の扉を、いくぶんやましくはあったが、なぜなら女は他の部屋を訪ねたのであるかもしれないので、かたっぱしから開けてあらためてみたが、女の姿はどこにもない。われに返り、がっかりして布団にもどる。あらためてひしひしと恐怖。なぜ女がすでに死んでいて、訪れた女が幽霊であると気づいたのか。記憶を探っても霞がかかって思いだせない。さゆりという名にも、身に覚えがない。だいいち女が自分を訪ねてきたのかどうかも確信がない。やはり勘違いであったのだろう。幽霊になってでも訪れてくる女。なんと魅力的であろう。だが空しい期待であることが知れた時の、うそ寒い落胆。この世にウイッチなりともあれよかし・・・ さつき あれの居ない大学に卒業後、幾度戻ったことか。考える度にぞっとする。もう講義に出る資格も必要もないのに、妙にしんとしたコンクリートの校舎のどこかで行われている授業に参加しているおのれを見出す。いまさら戻ってきたことに体が縮むような羞恥、椅子にもたれ目をつぶって居眠っている。休講なのか講師がなかなか来ない。学生達は去ろうとしないで、自習している。居眠っていながらいらだっている。遂に目を明ける。席が気に入らない。立って他の席を探す。席の間を抜ける時Nと顔を合わせる。軽く会釈する。Nは無視している。気がつくと教室は一杯になっている。空席がない。仕方なく元の席へ戻ろうかと考え、見るともう誰かが坐っている。教室の外へ出る。うしろからシブ達が来て何か企んだらしく、盛んに背を押してくる。走るように廊下の外れまで行き、階段を下り、下駄箱の所まで来てしまった。どうも授業に出さないようにする魂胆らしい。校舎はしんとして、もう授業が始まっているので、彼らに逆らって教室へ戻ろうとする。シブは一人残っておれを押しとどめている。戸口のところまでもみあって、やっと教室に入ると、もう教師は来ていて、しんとした中をおずおず席につく。理科の時間だ。かまきりのような顔の若い教師のタニが、怒ったように何かを説明している。やがて誰も教師の話を聞かなくなって、勝手な自習を始めている。いつかタニの姿も見えなくなった。二、三人前の席の某の机の上には、ばかでかい古びた百科事典がのっていて、引けば何でも細かいことまでわかりそうだ。中学生にはすぎた参考書だなと思い感心していると、両隣のタケ子とサタがおれをサンドウィッチにするような恰好でのり出してきて、イトの答えを見せ合っている。おれは遠慮してサタと席をかわった。サタは変な顔をしてためらっていたが、おれはさっさと身を動かした。その時気がついたのだが、おれは教科書ノート類一切忘れてきていた。二人の秀才に較べて、わが身を恥じること大であった。するとサタが気を利かせたのか、タケ子がおれの隣りに坐って、今度はおれに問題を見せてきた。おれは迷惑だったが、のぞいてみると和文英訳で、ちょっと見てもタケ子の訳は間違いだらけだった。急に自信がわいて、タケ子の誤りを一つ一つ直してやった。タケ子は感心して聞いているようだ。サタには気の毒だが、タケ子はすっかり信頼したようだった。 しわす 郵便が届いていた。妙な郵便だった。封が開いていて中身がこぼれている。封筒と一緒に郵便箱にほうりこんであった。外出しようというところだったが、もどって私あてのそれを調べてみる。珍しいことだから心がはやった。カタログらしい小冊子が二冊、それに印刷した名簿、案内状のようなもの――読んでみるとどうも大学の同窓生あてのものらしい。今どきなんの通知・・・卒業した同窓向けに特別の講義を設けるという、ふるって参加・・・なんのこった、おかしな商売をやっている者もある。予定の講義題目が掲げられている。ふと聴いてみたくなるようなものもある。名簿をみると大学の同期のものらしい。めぼしいやつの丸印がある。おれの名にも・・・ふとある男にも丸がついているのを見てふいに嫌悪を覚える。すべてがあほらしくなる。カタログに目を通す気にもならず、まとめて封に戻して、引出しにしまってしまう。気を滅入らせるだけの、過去からの招待状・・・。 自転車が長いこと行方不明になっていたが、今日再び見つけた。それを引っぱりだして駅の方へ行ってみよう。長いこと使わなかったから、チェーンもサビているだろう。途中で外れなければよいが。それにしても早く出かけたいものだ。自転車が長いこと見つからなかったが・・・。 きっと昨日の夜、戸締りをしなかったのが悪かったのだ。夜中に目が覚めてしまって、廊下へ出ると、ガラス戸が開いていて、玄関もあけっぱなしだ。こんな夜には悪いやつが来るに決まっている。門の方からひたひたと足音が聞こえる。植込みの木蓮の黒い茂みに、影が寄ってくる。思わず叫んでしまった。早くガラス戸を閉めなければ、玄関も閉めなければ、廊下から半身をのりだすようにして外をのぞきながら、ただ叫ぶだけでなかなかガラス戸は閉まらない・・・。 うづき 久しぶりに自家に帰ってきた。その新築した家は、もうそう新しいものではなかったが、朝の内は幼稚園児を集めてにぎやかであるらしく、今帰ってきた私にもその雰囲気が、まだあちこちの部屋に漂っているように感じられた。その部屋というのが一つ一つ入ってみるとやけに広いもので、私の家がこんなに広いとは今更ながら意外であった。園長をやっている中老の下男が、ぼっちゃんがお帰りというので、いやに気を回してくるのをうるさく思い、こんな立派な家がわが家であったことが誇らしく、なんだか表から裏まで開け放たれてす通しなのが気になったけど、その広場のように遠く広がる部屋部屋を歩き回ったのだった。そのうちに横手の庭の縁先へ出てみれば、砂利をしいた庭が五、六十メートル先の車通りと面していて、通りとの間にはほとんど境らしい境もなく、道と庭とが一つになって、そこにバスの停留場らしきものがあり、人がたくさん、勤め人やら高校生やら、帰りのバスを待っている。そのところに、ちょうど門の代りのように、一つ本箱が背高く置き忘れられていて、長年の雨風にさらされていた。私はふとその本箱がもう十年も昔に、そこに私が立てたまま置き忘れたものであることを思い出し、そこに並べた沢山の本のあったことを思い出し、もうたいてい朽ちてしまったろうと思いながらも、気になって庭へ下りようとして、意外に下りがたいのに気づき、なんだかひどく高いところから跳び下りるように、一大決心で跳び下り、胸を圧迫させながら庭の石にくつ下のままふわりとおり、その門のような本箱へ歩みよって、バス待ちの群れの不審がる気配も気にかけず、まだ完全に朽ちずにいた本を調べ、その中には長いこと紛失していた本がひどく雨風にいたんだ姿で見つかり、十年前の本と久しぶりに再会し、もう読めるかどうかわからないほど傷んでいたけれど、それらの本をひとまず家に運びいれようと腕いっぱいに抱え、運びだし、運んでいくうちに、本はしだいしだいに腕の中でくずれだし、こぼれだし、運ぼうにも運べず、見ればたいていはマンガ雑誌で、なぜこんなものを運んだのか、考える間もなく下男が近より、初老のいやに押しの強そうな下男が、私をとがめるように呼び、私はなんだか悪いことをしているように腹が立ち、ばつが悪く、くずれつづける本をかかえたまま、どうしようかと案じつづけていた。 さつき ある町のある街角のある建物の角の歩道沿いに、半ばふたの開いた長方形のリンゴ箱のような箱が置かれていて、通りがかりにのぞいてみると、中には生まれそこなった赤ん坊が沢山つまって捨てられていた。たいていが一つ目の赤ん坊で、頭の半面が色が変っていて、まだ生きているようだった。一人、二人箱の外へ這いだしたらしく、舗道に転がっているものもあったが、産婆のような中年の女が、それらを拾って箱にもどしていた。どうやら廃品回収の日にあたっていて、この建物からまとめて出された奇形児のようだった。今ではあまり沢山一つ目の赤ん坊が生まれるので、病院ではまとめてゴミの日に出す習慣となったのだ。 さつきx日 寝ているといろんな動物が布団の中へもぐりこんでくる。はじめに小さな奴、りすとかねずみとか、小熊とか犬とかが、つぎつぎ這いこんできては身の回りをごそごそうごめいている。気持が悪いのか、温かくて快適なのか、まあ我慢できなくもなかったが、とうとう丸太ほどもある大蛇が、頭の左の方から這いこんできたのには閉口した。大蛇はゆったりと足の方へもぐってゆき、足のほうからまた右手へのぼってくる。その体躯がねちっこく身にまつわりつくので、思わずけりさげてみたところ、頭にあたったようで、なんだか体ごとのみこまれてしまいそうな不愉快だった。布団を出て廊下に立った。外は風が吹いているらしい。廊下のはずれの壁にかかったカーテンが揺れている。そこでこの家のものらしい男が、板壁に開いた穴から外をのぞいている。ドアにあるのぞきレンズのようなものがはめこんである。何かよほど珍しいものが見えるのであろうか。その板壁はよく見ると穴だらけで、そこから風がしきりに吹きこみ、カーテンを揺るがせているのだ。風は音こそしなかったが相当強いらしく、雨風にさらされてだいぶ薄っぺらになったその壁は、今にも倒れそうだった。それを修繕するのが私の役目のようだったが、あてがうものとてはカーテンしかなく、それを釘で打ちつけても、どうも心もとなかった。そこで庭へ出て、薄暗い鳩小屋をのぞくと、ヒナが二羽かえっていた。どういうわけか親鳩がいないのでさがすと、軒下に眠っていた。 さつきx日 籐の揺り椅子に身をしずめ、足台に足をのばして眠りのおそうままに眠りこもうとすると、どうも体が窮屈で、こわばってきて、自然に椅子ごと前へのめってきてしまう。丁度左の頬が机の角に当たるらしく、かすったような感じがして、左頬をしかめてしまう。目をあけると、籐椅子と机の角とはかなり離れているのだが、目をつぶると、その角がどうも気になって、当ったような感じをおこしてしまう。何度か椅子の上で体を動かしてみたが、目をつぶるとすぐ窮屈感がおこって、椅子ごと前へのめってくる。角に当たりそうで左頬をしかめる。すると胸のあたりで沢山の手がひっかき回しはじめた。どうも悪魔がとりついているらしい。彼らがびっしり体にとりついて、なにやら悪さをしようとしている。眠ろうとすると体が硬くなって浮いてしまうのも、奴らのせいか。一体彼らにどれほどのことが出来るのだろうと、なすがままにさせて様子を見る。体全体を浮かせることが出来るものかどうかためしてみたが、どうも彼らの力には余るようだ。やがて彼らも力つきて、存在が感じられなくなった。私は旅の途中でブルムベリーという古い町の宿屋に泊っていることを思い出した。私を悩ませたのは、私にとりついている沢山の亡霊の手であった。 みなつきx日 町外れの夜の人家のまばらな車通りをうろつき、一軒の道路ぞいの、あまりはやりそうもないバーにはいり、いささか飲みすごしたのであったか、記憶ももうろうとして歩き回ったあげく、宿屋だか下宿屋だかに、いつのまにかその二階の一室に転がりこみ、気がつくと戸外は明るくなって、窓が開けはなたれているので、朝の気分がさわやかにさしこんでいたことよりも、なんだか前に大きな建物があり、学校のようで、そこの二階の廊下の窓からのぞく者がいて、ちょうど部屋の窓と方向が一致して、彼の顔がいやに意識され、おちついて寝ていられなかったので、しぶしぶ起きることにし、気がつくと窓ばかりかずいぶん解放的な宿泊所とみえ、扉まで開けはなたれたままで、はやほかの目覚めた者たちが廊下を行き来し、なかには何の用か部屋の中まで入ってきて、それがひとの部屋のようでなく、なんの挨拶もなく、また問うても相手にされそうもない様子だったので、しかたなく起きあがり、洗面のため廊下へ出、流しで歯をみがいていると、小さな子がよってきて、四角い流しのむかいでこれも顔を洗うらしいその間、ざわざわと沢山の青少年がこの二階家の上下にうごめいている音がするのを感じつつ、その子供を見ると、だんだん小さくなる背丈が流しのコンクリートのふちまで届きそうもないと思っていると、ふいに若い女があらわれて、子供をかかえあげ、見るとそれは赤ん坊で、思わず赤ん坊を産んだのかと言ってしまうと、女はにっこり笑って、左の乳房をはだけ、赤ん坊に乳をふくませたそのあまり目だたない乳房から目をそらし、流しのそばの壁を見ると、そこに女の手配書が貼ってあり、顔の写真がやけにぼけて、線条の影だけになっていたが、それは目の前の彼女であり、名前も変わっていたが、すぐにそれとわかり、手配書を読むと、彼女は下宿人のだれかれとひそかに関係しており、しかも病気をうつし、いつでも看護婦のように薬を持ち回っているのは、代償のつもりであったか、彼女がそのように多情な女とは思わなかったが、このことを壁の手配書で読んで、なにか悔やまれて彼女を見ると、もうどこかへ行ってしまっていて、しかたなく部屋へ戻ると、だれやらが入って掃除をしており、いったいトイレはどこにあるのかと聞いてみたかったが、どうにもとりつくしまのない表情をした青年だった。あい変らず開いた窓から顔がちらちらのぞいていて、どうも落ち着かない。今日はこれから行くところがあるような、ないような。 みなつき この学校の校舎の二階の窓から、放課後の教室になぜか一人とりのこされて、外の風景をながめている。西の方角には遠く山並がつらなり、やがて落ちていくであろう陽をいまだ予感させることもなく、なぜかよそよそしく心をはねつける東の方角には、O市の街並の家々が角ばった妙にとりすました線を見せて広がっている、その屋根屋根のかなたには、昼さがりのおぼろな薄蒼い空がかぶさっていて、不思議に心をそそるのだった。これらの家々の向うに求めているなにかがある。今にもそこへ行ってみたいものだ。それはいったい何だろう。わからないけれども心はうずくのだ。だれもいない校舎の二階になぜか一人とりのこされて、昼さがりの町をながめていると、不思議に心がうずくのだ。 ふづきx日 一枚の写真がある。恐怖の正体をとらえた写真であった。追われる人々と追い回すもの、追われる人々の恐怖にゆがんだ顔と顔、今にも追いついて、彼らをとって食おうとするかのような怪物。怪物?それはぼんやりした霧の断片にすぎなかった。あたかも透明な恐怖の所々がちぎれて露呈したような、その霧は電気を帯びてでもいるように筋模様をえがいて、それが見えない恐怖の両腕のように、逃げる者たちの背に迫っているのだ・・・。そのさして広くない風呂場には、すでに入浴者がたくさんいて、あまり身体のゆとりもないくらいだった。二つに区切られたそれぞれが四角い木の湯槽の、奥の空いた方に身を浸したものの、なにやら落ち着かない気配が入浴者の間にただよっているのは、この家にたむろしている恐怖のせいであった。みな黙って屍体のような体を、温かさを感じさせない湯にしずめている・・・。 ふづき その一杯飲み屋は中年の夫婦と二人の息子でやっていた。最初そこへ入ったのはどういうきっかけだったろうか。客が数人いて、どうやら酒のほかにお目当てでもあるのか、こちらをちょっと警戒するような目で見た。おかみさんはたいした美人のようでもなかったが、それでもさかなになるのらしかった。それよりも二人の息子、一人は中学生ほどで、一人はあとで知ったのだが、大学浪人ということだった。なんとなく落ちつかない気持ちでカウンターに向かい、酒を飲んでそこを出た。その辺はそうした酒の店がいく軒かならぶ、町はずれの広い通りなのだが、次にそこを通った時も、他の飲み屋に目をやりながら、またまたその店にふいと入ってしまったのはどういうわけだろう。ちょうど他の客はいなかった。黙って飲んでいると、いつのまにか浪人の息子(息子たちは二人ともボウズ頭だった)が隣の椅子に腰かけていて、いかにも今の境遇が不本意であるというツラをしているのだった。私は彼のチョクに一杯さしてやった。するとカウンターの中にいたおやじが私らの親しげなのを見て笑みをうかべ、いかにも似合いであると言いたげだった。私は職のない身なので、新聞記者であるといい加減なことを言っていたが、どうもそのやましさがどこからかもれてしまうようだ。浪人の息子は飲み屋のあとをつぐつもりはなかった。彼は私の家へ遊びにきたいと言ったが、私はあいまいな返事をしておいた。またいく日かして行ってみると、息子は浜松大学へ入れそうだということだった。これから試験があるのだが、ある人の紹介でまず大丈夫だろうというのだった。私はずいぶん遠くへ行くものだと思いながら、父親の笑顔を見、息子のむっつりした顔を見た。たちまち頭の中にその遠い国にある大学の、あたりは田畑か林にとり囲まれた教室での試験の光景がうかんできた。私と彼とは人生の川をへだてた両岸にいるようだった。飲み屋をでて市電にのって帰路についた。市電はちょうど帰りがけの人でこんでいて、切符を買う間もなかった。踏みきりで人が怪我をしたらしく、担架で運ばれていた。幸いそのサラリーマン風の男は生きているようだった。電車は徐行して路面を行き、踏みきりをこえて止まったところで降りた。降りる時料金を忘れていたのに気づき、あわてて乗りなおし、そばに車掌がいたので小銭を渡したが、その車掌は不思議と浜松大に入るという飲み屋の息子にそっくりだった。 ふづきの夜明け すずめらも隣人だったか梅雨の朝 はづき 大きなきのこ雲がKの町なかに斜めにあがっていた。それは文字どおり斜めなのであって、きのこが頭の重さで左に傾きかかっているようで、ほとんど静止していた。見た瞬間、暗い不安が原爆を暗示したが、そうではなく町なかの家が燃えているのであった。赤い光の芯が雲の底にぼんやりと見えた。よく見たく思い、家の最上階へあがろうとエレベーターに乗りかかると、急に閉まったドアにはさまれてしまったが、中にいた兄弟に開のボタンを押すように叫んで、なんだかひやひやしながら最上階へ運ばれ、さっそく窓から外をのぞき、兄弟の持っている双眼鏡をかりて火の中心を見ると、いましも一軒の家の骨組が赤い光の中にうかびあがった。中の人たちは助かったのであろうかどうか分らない。 ながつき 夢の中で発狂、発狂しつつ発狂に気づく。半ば発狂、幸い目覚める。また雪の山路の奥深くで、一台のバスが立ち往生したままいく年も止まっている。中には乗客、乗員の白骨死体。発見された時、全員裸体であったという。なんのためか、だれのためか、レポーターとしてここに来ている。 かんなつき ドロンコの国、ドロの国、ドレイの国。雨あがりの田んぼのように、どこもかも土色で、黒ずんでいて、空気までじめじめ土っぽくて、そんな曇天の国にたくさんのチョコレート色のドレイたちが集められている。なにをさせられているのやら、だれも定かには知らないが、とにかくドレイであるから逃げてはいけない。いつもだれかに監視されてビクビクしている。それもこの国のだれもがドレイなのであるから、監視するものもドレイで、たがいにドレイがドレイを監視しあって、ただ窮屈に臆病に生きている。そんな国がたまらなくなって、ドレイである私はある夜、といっても毎日が夜なのであるが、田んぼの中をどんどんと逃げだしていったが、たちまちあたりから追っ手の気配が迫ってきて、どこへも身を隠すところのないドロンコの中だから、とっさのことにドロの中に腹ばいになって、死んだまねをして、追っ手が気づかずに通り過ぎてしまってくれと願ったのもあだなこと、やっぱりつかまって、みんなにひったてられ、どこか広い建物の中へつれてゆかれ、処刑されるようであったが、しきりにトイレへ行きたくなって、実は逃げたのではなくてトイレへ行くつもりだったのだと言ったら、他のドレイたちもあっさり釈放する気になり、というよりももう興味を失ったようで、そこでトイレを探して建物の中をゆくと、間のやけに狭い廊下だか抜け道だかに入りこみ、先まで行ってみると、そこは映画館なのであるらしく、絵看板がいくつも立てかけてあるのだったが、見たいと思うのはなかった。 ・・・体育館にはブルマーに黒シャツの女子たちが集まっていて、その中にアイがいた。アイとは昨夜幾年ぶりかに逢ったばかりだった。駅前の人通りの中だったろうか、アイといく人かの少女とすれ違ったのだが、私は傘を差して、すまして顔をそむけて通ったので、彼女は気づいたろうか。いや私があまりに気どっていたので、彼女はよけい知らんふりをしていたようだ。今体育館でみる彼女は、昨夜におとらず新鮮だった。私一人が大人になったのだろうか。アイたちは体操とも遊戯ともつかないことをしている。たがいの体に少しだけ離れたところから、長方形やらかぎ形やらのプラスティック片を投げつけあっているのである。ふいにアイがこちらに向けて、その子供じみたブーメランを投げてよこした。それを拾って彼女の体へ投げかえすと、腹部をなでるようにかすめて落ちた。それがたわいもない遊戯なのであった。私たちはほかの女子の眼も忘れて、このなにやら意味深げなゲームを黙々とつづけた。 かんなつき下旬の日 巨人の出る地方、彼らはあまりにも足が長く、背丈が巨大なので、まるで空から怪鳥に襲われるように思われた。ある山道のせばまった所に、何軒かの旅館がならんでいて、それらは民宿か下宿屋のようなおもむきで、宿帳には名前と家族を記入するようになっており、連れはうまいこと一人身ですましこみ、私は下宿屋に下宿するのか就職でもするかのような気分であった。とにかく巨人が出るので、各部屋はしっかりと施錠しなければならず、万一のことを考えて、こういう細かなことになっているのであろう。小さな女の子がその日意地をはって外で遊んでいたところ、巨人に風のように取られたという。それはすでに童話になっていて、教訓として読まれていた。次の日、自転車で立って、しばらく行ってからこの童話の本を落としてしまったことに気づき、引きかえさねばならなかった。本はうっかり自転車でひいてしまった。開いてみたが、中の巨人の話は聞いたとおりのままであった。 しもつき みづうみで心中しやうといふことになつて、ふたりは夜行列車に乗りこんだ。睡眠薬をひとびんたづさへて、ふたりではんぶんこするつもりで、みづうみへつくのがまだるこくなり、列車の中で服してしまつた。ふたりはぐつすり夢のない眠りをねむつた。いつのまにか病院にゐて、彼女の方はすこしなやまされて吐いてしまつたのでよみがへり、あさましくもだへたようなあとあぢでいた。彼の方はふしぎに死ぬつもりはなかつたのだが、なかなか目がさめなかつた。彼女がよみがへつたといふニュースをいしきのどこかで聞いていて、ほつとして自分も目ざめなければとおもふのに、かへつて眠りはふかまり、心臓までとまつてしまつて、なんだか裏切られたやうな気がするのだつた。その予定のみづうみはかまきたことかいふところのやうな気がした。彼女と彼はもうどうにも自分らのしまつがつかなくなつて、つまりたがひにあいそがつきさうになつて、心中をはかつたのだつた。 しもつきx日 左手でしきりにしゃべるつづけるラジオ放送。なにを早口にしゃべっているのか、それを聞き分ければなにか秘密の情報でもえられはしないか。別のことを考えていて注意を払わずにいたが、関心を持ちはじめるとふいにかすれて消えてしまい、あとには耳鳴りが残った。 しもつき下旬 旅の途中のどこかの宿のはずれの一室の出来事だったと記憶する。宿の隣の家から親子の幽霊がやってきて、旅客を悩ませるのだった。なぜその家ばかりでなく隣の家にまで出るか。それは幽霊にきいてみないと分らないが、そもそも幽霊になったのは、その家を借金のかたか何かにとられて、一家が路頭にほうり出されてしまったからだ。私のところへやって来たのは女の幽霊であった。どうやら母親と小学生の娘らしかった。布団の中で体の硬直が感じられ、布団の上から、だれかがのしかかってくるのが感じられた。私は体を動かすことができないので、布団の両わきから手を出して、のしかかっているらしい者の足首をしっかりとつかんだ。幽霊はひどく腹をたてたようだった。私が少しも恐がらないのが意外のようであり、いらいらしていた。しきりにもがいて私に恐怖を起させようとしている。母親の方が特に腹をたてていた。女の子の方はいるかいないか、ほとんど観念のようであった。私はにぎった足首をずっと離さずにいたつもりだったが、気がつくと手は布団の中にあるままだった。幽霊は行ってしまったが、体の硬直はしばらくつづいた。 しわすx日 何年ぶりかにK市を訪れ、北西のはずれの路面電車の折れ曲がる角に当るあたりで、今夜泊ろうとしている昔のアパートの部屋は今も空いているだろうかと考える。こんなに夜遅くだから、もうほかに泊る所はないのだ。電車の通る大通りの裏手の真黒な路地をだいぶ行かねばならない。まず南へしばらく下って、それから西へ折れ、どこかはずれの方にあの家はあったはずだ。ふとわきを見ると本屋の店先が明るく照っている。雑誌の所でいくたりか立ち読みする者がある。光に目が痛むのもかまわず雑誌を見わたす。ポルノ雑誌がおいてあって、奥まったコーナーに背の見えるなかに特にハードらしいものを見て、手を出そうとしたが隣の男がじゃまで届かない。で手近においてあるやつをとってめくると、まるで屠殺場の写真のように裸の男女が数限りなく首をつっている。かと思えば銀粉をぬりたくった尻の上に、やはり銀粉をぬった首をのせるのを特技とするストリッパーの称賛的なインタヴューがある。かと思うと赤ん坊がごみ捨て場のようなところに沢山ばらまかれている写真――いったいどんなやつがこんな写真を撮るのか、無限に不愉快になって、ポルノもここまでゆきつかねばならないのかと、さすがに不気味になって、早く今晩はどこかに泊りたいと思ったが・・・。 しわす下旬 もののけが布団の上に感じられ、のしかかってくる圧力に、皮膚の感覚がたちまちざわざわと抵抗して、息苦しさにかっと目を見開くと、ぼんやりした中に光の霧のように広がるものが見え、よく見ようとするとかえって輪郭を失ってしまったが、たしかにそれは若い男の顔と肩の一部らしかった。恐怖を押しのける強がりに、だれだおまえはと叫んだが、それは声になったかどうか、代りにどこかでうめく声を聞いたようだった。目をつぶると再び布団の上に圧力がして、肌が圧されてざわつき、今度ははっきり見てやろうとかっと目をあけ、宙を見つめると、光の霧がそこにあり、やはり男の顔と肩のようであったが、いっそうぼやけていて、だれの顔かも見きわめがつかないままだ。ただ薄く笑っているようにも見え、またはもっと渋い顔のようでもあったが、はっきり見定めようとする意志と反比例して輪郭を失っていく。だれだおまえはと又も叫んで目を閉じ、一体あれはそこに見えるものであったか、それともそこにあるように見えた頭の中の考えであったか疑う心が起り、また目をあけたが、いっそう形は失われていた。ままよと思い、もののけのなすままにわが身を委ねることに、恐怖とは裏腹な快楽が覚えられ、あたかもわが思いがわが身をさいなむごとく思い、なにやらみだらなことを口走ったようでもあった。 むつきx日 部屋の掃除。箒でゴミを掃きだしているところへ侏儒の老婆。蜘蛛でも掃くように掃きだそうとしても、いっこうに動じない。ただの老婆でないと知る。小児ほどに縮めた老婆だが、頭のバランスがやけに大きい。顔はしわだらけ、笑ってるのかしかめつらなのか、いくら掃いても掃きだされないところをみると、普通ではない。恐れのあまり目をあけると、暗い中にぎらぎらする窓の薄明り。心身に充電した恐れのエネルギーから、どんなものでも見えてしまう。その見えようとするものを押しもどし、放電を封じるように目を閉じる。目をあけた所が河原であったなら、この恐れに耐えられようか。恐れながらも恐れについて考える。 むつきx日 夏の憂鬱。窓からのぞく青々とした空に漂う白雲。こんなに鮮かな空の青さは胸が痛くなるばかりだ。かと思うとたちまちはげしい驟雨。窓も廊下も開けはなたれて、遠慮なくしぶきが襲う。あわててガラス戸を閉めにかかる。机の上も本棚の本も、したたかにしぶきをあびたはずだ。こうして窓も裏表の廊下も閉ざしてしまうと、息苦しくてしょうがない。夏は始まったばかりだというのに、それだけに胸苦しい。なにかをしなければならないのに、それがかえって遠ざかってしまったかのように。夏はいつでもいやな季節だ。体は燃えるように熱いのに、どこにも希望は燃えたたない。古いノートを見ていて、しきりに心が痛むのはなぜか。 むつき 森の秘密。森の中へいつのまにか分けいって、一本の樹がとくに気になり、立ちどまって見あげている。なんの樹であるか、木肌は粗い雑木のようであるが、この冬枯れの森の中で緑の長細い葉を茂らせて、頭上数米をとざしている。樹はやや斜めに生えたかして枝ぶりが一方にかたよっている。たぶんくすの木かもしれないと思ったが自信はない。そこへ一人の森の男が通りかかったのを問うてみると、xxxxであろうという。なるほどそんな名のときわ木があったような気がする。近くに鳥居はみえないけれども社があるらしく、神聖な木なのでもあるらしい。そう思ってもう一度枝ぶりを仔細にみてみると、葉のたれさがり気味の先端から、豆科のように蔓の伸びているのがうかがわれる。蔓草がからんでいるのではなく、枝の先が巻きひげのように宙を泳いでいる。奇異にも思わなかったが、今きいた名をすぐ失念してしまったのが悔やまれる。男の姿は森の先へ消えた。どこかで会ったこともない他人であったが、この森には自分よりも正当な関係があるらしい。少くともこの森となんらかの生活上のかかわりを有していて、自分のようなワンダラーではない。とはいえこの森は自分の滞在している家のすぐ裏手にあり、家のすぐそばまで迫った灌木を這いぬけるようにくぐって、この森中へ分けいったのである。ここはまだ家のそばなのだが、灌木の密にさしかわす枝と、ときわ木の多い森の薄暗さで家は見えず、ただ人声が時折その方面から枝をぬけてくるのである。 その人声をあてどに、さえぎる茂みに腹ばって下をくぐろうとして、ふと見ると落葉の中に黒いべえ独楽がいくつかうずもれている。手にとるとそれぞれ角と尻にすりが入っていて、いくつかの尻には独楽の芯のようポツさえ工夫されており、磨いたものの根気と技倆が偲ばれるのだった。独楽の表は大洋とか三原とかありふれた名で、捨てられたにしては錆もふいていなかった。家には親族ででもあるか知らない顔が沢山客として来ていて、丁度広いテーブルに一同がつき食事をとっている最中だった。卓の上には沢山の皿や小鉢が並べられて、皆てんでに口を貪婪に動かしているのだが、ここに奇妙なのは、彼らの表情は少しも旨そうではないのだった。その口だけを見ていると、男も女も、美男も美女も、みだりがましい食欲をあらわにしているのだが、顔はいかにも義務的にまずいものを口にしているようなしかめつらをしている。席をさがすでもなく卓を一巡して、彼らの口元を観察していると、食う行為がひどく猥雑に思われて仕方ない。 きさらぎx日 かつて教えたことのある身に同窓会に出てくれという通知がきたので、どういう連中であったか今は殆ど忘れている彼らを呼ぶ方も呼ぶ方、行く方も行く方、とにかく出てみねば気のすまない気がして、会のある野中の一軒家へ赴いてみると、すでに来ているのは同僚であったTaで、彼も呼ばれたところをみると、来るのはどういう連中なのか、待っていても一向に姿があらわれない。Taは昔と変らぬ上機嫌な神経質で、適当にあしらっていたが、どうもつまらなく外へ出ると、起伏の多い野原の薄暗く広がる中で庭になっている窪地の底に、なにやら宝物でも掘っているような男がいる。下りてみると落葉のつもった下に何かが埋まっているらしい。男は棒切れでそれをほじくっているのだが、なんだかいやな予感がして止めようとしたが、その前に予感が実現してしまった。ほじくり返されて出てきたのは人骨らしく、腕のそれらしいものに腐れた布地がまといついている。きっと姿の見えないこの家の主の屍が、野原のどこかに埋まっているにちがいない気が最前からしたのだが、それは来る時この庭の窪地を通って、その感じがしたのであった。よく見るとその布地は女物の衣服のようで、殺されたのは女であったようだ。ここから逃げださねばならないという衝動が野原の枯葦の中をずんずん歩ませていく。と反対にお前は逃げられないのだという誰かの強い暗示が、心の中を目に見えない風のように通って、後へ後へ押しもどそうとする、そういう抵抗を感じた。野原は全体がすり鉢のように低くなっているらしい。そのふちから向うは薄い空がのぞくばかり。その堤のような上にふいとオートバイが何台かあらわれて、獲物をとり囲むように斜面を下ってくる。いよいよ来たなと思い、枯葦の間をくぐりながら彼らから姿を隠そうとしたが、なにぶんにも位置が悪い。ついに枯草の茂った所に平たく死んだようにもぐりこんで、運を天にまかせるつもりで目をつぶった。 うづきx日 三枚の絵を未完成で不満であったが提出した。しばらくしてどれも裏に優の印を押されて戻ってきた。あらためてながめてみる。鉛筆でデッサンした上に、上の方だけ暗色の色をぬったままにしたのや、形や構図さえいまだ曖昧のままのものもある。顔のようでもあり、木や草のデザインのようでもある。それらが幻想的にくすんだ配色の中で、うかびあがったりぼやけたりしている。こうした幻想絵画を私はすでにいくつも習作していて、それらが部屋中に散らばり、周囲にいくつも掛けられている。あたかもごみくずかなにかのように、うちやられている画帳もある。それらは単に空想をみたすための趣味であって、芸術的価値というものに重きをおいたわけではなかった。それらの自作をながめて、われながら芸術家であることにひそかな誇りを感じてはいたが、それを他人にはもちろん、自身にもはっきりとした自覚的言葉にもたらすことははばかられた。虚栄心とプライドとの妥協であったかもしれない。すると絵を見たいという女性がたずねて来て、彼女は優を押された三枚の絵のうわさを聞いて興味をいだいたのであるらしかったが、私の出したその絵を見、壁の絵を見、またぞんざいにうち捨てられた画帳を拾いあげてめくりなどして、黙ったままであったが、その両眼には感嘆と承認が雄弁にかがやいていた。私は私の幻想画家としての才能にわれながら驚いていたのであるから、他人に認められても特に興奮したりはしなかった。彼女の沈黙的称賛を好もしく思った。壁にかかった絵の中の特に大きな一枚はとりわけ彼女の注意を惹き、私もまたあらためてまじまじとながめてみた。フュゼリの夢魔をおもわせる題材のようであったが、それほどはっきりした輪郭をもってはいず、灰色の物体が不思議な実在感を伴って、しかも何であるということははっきり言えずに、長く横たわっている。他の絵もその非現実性にもかかわらず、みなこの不気味なほどの実在感で見る目を吸い寄せていた。それらは最初の印象ではぼんやりした未完成のものに思われるが、しばらくみつめていると、あたかもその視線の中に何か対象に生気を与える力があるかのように、みるみるはっきりした具象性をもって画上に浮びあがってくるのである。私はこの魔術をいかにして身につけたか、自分でもおぼつかなかったが、とにかく私の絵画の秘密はそのテクニックにあるようだった。 作品名:過去からの招待状(1) 作者:羽和戸玄人 copyright: hawado kuroto 2021 入力:マリネンコ文学の城 UP:2021・5・20 |