夜男爵の部屋 


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      風の中の家 第五話      橋を越える

                         羽和戸玄人 作


 <十五の歳に、私は故郷から百マイル余り離れた田舎の村の住人となった。到着した翌日の朝のこと――九月ではあったが、七月の朝のようによく晴れて暖かであった――私は樫の木の森へ散歩に出た。胡桃の木がいりまじって、頭上を厚くとざしていた。地面は岩だらけで、でこぼことしていて、若木の茂みや灌木がおおい、道といっては牛の通るそればかりであった。私のたまたまたどった小道は、樫の大木の枝の陰になっている、五月の朝のようにみずみずしい緑の草に縁取られた、水晶のように透明な泉へと通じていた。一すじの日の光が上から射しこんで、金魚のように水中で戯れていた。
 子供の頃から、私は泉の中をのぞきこむのがことのほか好きであった。小さくても深い円形のくぼみを水が満たしていて、その周りを、あるものはぬるぬるした苔でおおわれた、ほかのものは裸のままだが、赤や白や褐色などのさまざまな色を帯びた石たちがとりまいていた。泉の底は粗い砂でおおわれ、それらは一すじの日の光の中で燦然ときらめいて、自らの光で泉を照らしているかのように見えた。一箇所では、噴出する水が、砂をはげしく乱していたが、泉をにごらせることも、その硝子のような表面を波立てることもなかった。その様子は、何か生き物の現われようとしているかのようだった。たぶん、水苔の薄衣
(うすぎぬ)をまとい、虹のしずくの帯をつけ、冷たく、清らな、とり澄ました表情をした泉の精が、美しい娘の姿をして。>
               ――ナサニエル・ホーソン 「泉の幻」より



 子供の頃クラスメイトとよく遊びに行ったR川へ受験が終ったら釣りに――それも一人で出かけようと漠然と考えだしたのは、英語の勉強をしながら lake だとか river だとか lonely だとかの単語が貧しい環境の中で唯一想像を満足させるセンチメントの糧となった時からである。アルファベットでつづられたリズミカルなことばが鎮静剤のように彼の苛だつ心をしずめた。文法や単語の機械的な暗記の合い間に、かみしめるようにして読んだホーソンの美文 The Vision of the Fountain の中に自然のすべてがあった。奪われたものがことばの中に代償として見つけだされた。泉の傍らに横たわって水底の不思議なまなこに見いっているふつつかな少年は、また影の中に実在を探し求めているおのれ自身の姿であった。虚実はいつしか逆転して、ことばの影を実在の上に投げかけずにはいられなくなる。狂わしいほどの受験の責め苦がすべてを灰色に押しつつんだ時にも、ことばはひそかなささやきをやめなかった。遠い岸を望んで溺死しかけた彼が、波のまにまに手近な岸へと運ばれ、ともかくも堅い大地を踏みしめることができた時、憑きものが落ちたように訪れた心の静謐に幻影の網が投げかけられた。
 下駄箱の下部のがらくた類のつまった引き出しに、少年の頃使った釣り道具がまだ捨てられずにしまってあるのを彼は見つけだした。最後に釣りに行った時のこと――中学時代だった――が思いだされた。釣り糸と針と浮きと鉛のほかに木製の餌箱があった。記憶に間違いなければ、その時使ったキジかサシかの残りが、捨てずに箱の中に封じられたままのはずだった。子供の頃そうしたことは何度かあったが、これほど長い期間忘れていたことはない。たいてい干からびて茶色い紐のようになった蚯蚓が見つかったが、今彼の目の裏に浮かんだのは、この長い年月の間に繁殖しつづけた真白い蛆虫が箱一杯にうようよと蠢いているさまであった・・・。
 竿とビクも物置に見つけ、結局餌の蚯蚓だけを買えばよかった。準備をしているのが母親の目にとまり、それなら昼の用意が要るだろうと言う。さり気なく出るつもりが、遠足にでも行くような気配りをされるのは腹立たしくもあったが、もっともなことと思い、サンドウィッチのつもりで食パンにバターをぬっただけのものを紙に包み、牛乳壜を一本添えた。
 「一人で行くの」――丁度お見合いのために遠方から家に来ていた年長の従姉が妙な目顔で尋ねた。何か後ろめたいことをするかのように彼は黙って目をそらせた。一人で行くということがひどく惨めな状態であると彼女から哀れまれているようで、おまけにそれを口に出されてあたかも難詰されるかのような思いをさせられたことに心が硬化した。そもそもおのれの独立的な行為であるべきものが、他者の環視の中で他者の感情と連関して動いていくなどということが、彼にはこの上ない屈辱に思われた。おのれの生活は彼らの生活と切り離されてあるべきものなのに、一歩彼らの生活から踏み出していく行為をとるたびに行為そのものが彼らの間を通過していかねばならず、彼らの好奇心とおせっかいとの対象となり、おのれが何か後暗いことを企む犯罪者であるかのような思いをさせられることばや態度や視線をあびせられる――それはたえず彼の神経を刺激することとなり、無言の憤りをつのらせていった。
 出がけの従姉のことばは、自転車を物置から引き出す彼の動作をひどくぎこちなくした。彼女は玄関口で見送っているようだった――その鬱陶しい視線が背中に辛くあたるのをふり切るようにして、彼は古自転車にさり気なくまたがり、道へ出た。すぐ右へ折れてこぎ出すと、この先の時間がひどく重く感じられた。おのれ自身を楽しむことが罪悪であるかのようないまわしい咎めだて――それが哀れむべき不可能事であるとでも言いたげな眼差の色――暗示的であるだけにふり払い難い予言を門出にしなければならなかった腹立たしい羞恥は、この先のすべてを何かに対する義務を機械的に果たす儀式のようにみなして克服するほかはなかった。街中を行く間にすれちがう人の眼差の中にも、彼は同じ非難がこめられているような後ろめたさに責められた。彼らから逃れて一体どこにおのれ自身を楽しむ場所があろうというのか。それはおのれ一個の快楽であっても、まさにおのれ一個のものである故に犯罪の疚しさを感じさせずにはおかない他人の目の力であった。
 彼は苦しまぎれに一つの口実にすがった。その口実はすでに考えぬかれたものであり、護符(おまもり)のように懐におさまっていた。その文句を唱えることで彼はある種の弁解じみた勇気をかきたてた。それはただ単に今日が日曜日であるということである。おのれ自身を楽しむこともまた、すべての人が楽しむ権利を持つ日曜日においてでなければならなかった。妥協であると共に深い羞恥が平日に遊びに出るという考えをはばんでいた。さもなければ彼の犯罪は一人楽しむということの外に、他人以上に楽しむという疚しさが加わらねばならない。その二重の犯罪を克服する力を彼はおのれの中に見いだせなかった。

 国道は街中を出はずれたところで起伏にさしかかった。油をろくにさしていない古自転車のペダルは急に重たく感じられる。それは逃亡する者の最後のひとふんばりをうながした。すでに道の左手には田畑や樹々のまだらな緑が広がっている。にわかに開けた空間には、春の明るい陽光が、砕けた硝子の粉のように一様にふりまかれている。重い気分のわだかまっていた心は、たちまちにいつもの状態とは似つかわしくない浮わついたふくらみにとまどいながらも、長い間圧迫された生活からの解放を、自由を、今ひかえめに喜ぼうとしている。緑と光と空間とは、この年月欠けていたものの象徴であった。それらを求めねばならない――一つの解放の儀式のように。ペダルを踏む一足一足がそのためのスケジュールのように彼には思われた。
 目をあげて緑と光とを貪る――それもまた予定された感情の昂揚であり、幾たびも心の中で演習されたことを今その通りに実行していた。つつましい実感であっても心はいそいそと迎える。起伏を一つ越すとまた起伏があらわれる。勢いよく回る車輪は開放感そのものである。しかし長く耽る間もなく、ためらいだす。あまり速度の出ることを怖れて思わずブレーキをかける小心に応じてふてくされたかのように。やがてガード下をくぐると向うに大きなカーブを描いてひときわ長いスロープが見え、その上まで達すればR川に渡された橋が目に入る。
 車輪の回転がにわかに重くなる。上り坂にかかって勢いよく走ってきたはずみが徐々に消費されて、やがてこいではいられなくなる。坂の中途で片足をついて見上げると、坂の頂越しに橋の銀色のアーチの一部が小さく見えている。停まった自転車の傍らを車がそっけなく往来する。街外れの午前の国道にやわらかな春の日差しは万遍なくふりそそぐ。片足をアスファルトに支え、ブレーキをしっかり握っているものの、後ろに引かれる重力の不安定感。眼は風景にくれた一瞥ですべてを貪婪に吸収しようとする。その欲望の烈しさはたちまちに軽い落胆をもたらす。ささやかなものに度外れた情熱を注いだあとの気落ち。
 風景は坦々とした草の緑のほかには与えない。強いて欲望しなければその緑が捉えられないかのように感じたほど、それは媚のない、そっけない緑であった。自然はすでに死んでしまったのか、心の裡においても、外界においても。野原や木々や堤をおおう若草は、もはや秘密を色彩のヴェールの背後に包んでいないのか。その中での一体化を願望させる何かを・・・しかし、今日の彼は少し感傷を求めすぎていた。あるよりも多くのものを見ようとして、おのれの感情をそこに加え、その反応の頼りなさの原因を風景に求め、そこから二重の落胆がはねかえってくる。結局、共に見る目を持たないことがわざわいしているのであろうか。あまりの即自性は感覚を鈍麻させ、気分を滅入らせる・・・「一人で行くの」――出がけの従姉の言葉を彼はまたも追い払わねばならなかった。
 川の堤と堤の間は2キロほどの幅がある。中ほどに二本の流れがあり、一本はR川であり、それに支流のM川が橋の下流で合流している。堤と川岸との間には、田畑や野原や林が広がっている。堤にさしかかる手前で国道はゆるやかにカーブし、堤と平行するようにのぼって、最後はかなり急激に橋へと折れ曲がった。その先は真直ぐな道がどこまでも宙(そら)にかかっている。橋の幅は狭い。対向する大きなトラック同士が、ほとんど触れあわんばかりにしてすれ違って行く。自転車道と車道の区別もない。自転車は橋の手摺りにもたれかかるようにして狭い歩道をのろのろ進む外はない。
 欄干から見下ろすと、橋脚は目まいがするほど巨大なコンクリートの柱だ。川岸には釣人の姿がちらほら見られる。R川そのものは長大な橋がまたいでいるにしては、比較的幅が狭かったが、両岸の草に触れるほどに濁った水をたたえて、ゆったりと流れている。その流れの上に橋の上から竿を出し、川の中程に糸をたれている釣り人がいる。一体糸が届くのかどうか、他人事ながら気がかりな程流れまで距離があったが・・・。そういう釣人をいくたりかよけつつ、傍らを影とともに行きかう車の気配に脅かされながら、橋の中程を越えた。
 そこに橋の横手から、川の向う岸の堤へと下りていく階段が作りつけられていた。彼は自転車を抱えて一段ずつ下った。橋下に下りるとすぐ先に支流のM川が流れていて、そこに木橋がかけられている。木橋を渡ると小川の流れ込んでいる所があって、幅三メートルほどのその小川の岸には釣人がたむろしていた。日曜日には、この辺が釣人でにぎわうことを彼は予想しないではなかった。なぜ彼は日曜日に来なければならなかったのか。彼は釣人の孤独を求めながらも、その孤独をあまりに意識させられる羞恥にたえられず、かえって誰もいない川岸へ釣りにくることを惧れていた。彼は一般のレジャーを求める人たちの一人であるかのような、少なくともその人たちの中に交じっているふりをしなければ、孤独が味わえないのだった。だから日曜日でなければならなかった。<日曜日>という人の心を開放する雰囲気が周囲になければ、彼は家を出ることもできなかった。
 小川沿いの草の径を自転車を転がしていく。ここではまだ腰をすえて釣り糸をたれる気にはなれずに、とうとう堤の水門の所まで来てしまった。そこは小川の両岸がコンクリートで固められ、水が浅くなっている恰好の遊び場で、子供たちが手に網を握って、流れの中で魚を追っている。自転車を堤の上に押し上げ、見下ろすと、流れは水門の先で段々に川幅を広げて沼のような湿地帯に変わり、そこは釣人たちが一番集まる場所となっていた。マーケットの人ごみに交じるように彼は沼へ下りて行った。釣堀と見まがうばかりに人の居並んだ間に彼は場所を決め、釣道具を準備した。
 竿を伸ばし、釣り糸をたれながらも、心は一向に落ちつかなかった。孤独になることを惧れて、見かけだけは人の群に紛れこんでみたものの、かえって浮きあがってしまったようだった。向う岸の同じ年の若者たちが、さっきから妙な目つきでこちらを見ているような気がしてならない。いや、実際に彼らは彼の存在をいぶかしんでいるようなのだが、ひょっとして顔見知りなのではないかという気がして、彼は目を合わせることも、ましてや頷くこともさけていた。彼は窮屈な気持をしいて抑えて、退散せずにいた。一時間、いや二時間、がまんすることが彼には必要な儀式だった。釣り糸をたれながらも、心を浮子に集中することができなかった。おまけに一向に引きがない。浮子の周りの水面は静まり返っている。彼は竿を泥に差して立ちあがり、人々の何気ない視線に挑戦するように、近くの草むらに放尿した。それから沼の水で手をゆすぎ、パンを取りだして、対岸の若者たちに背を向けてほおばった。
 パンはうまくなければならない、と彼は思った。苦痛な儀式だった。昼食を終えると、さすがにこの場所に長居することは滑稽に思われた。彼は時の過ぎ去ったことに感謝しながら、竿を手に再び自転車を転がして、もと来た堤をのぼった。小川の岸沿いにもどり、橋の上に出る階段のある土手の下まで来ると、階段のすぐ横の草地に、若いアベックが窮屈そうに寄り添ってお弁当を開いている姿が目にとらえられた。上を通る車の埃を浴びながら、ごみの散らばった中で、何だか見合いでもしているように行儀よく食事をしていた。それがかえってそこだけを特別な世界にしていた。彼は伏目がちに気がつかないふりをして、自転車を橋の上まで引き上げた。
 彼はR川へ来るまでの途上で、今日の日を漠然と二段に分かっていた。まず釣人にとって人気のある釣り場へおもむくこと、これは家人にも釣りに出ると言った以上、どうしても義務として、儀式としておもむかねばならない場所だった。そこでの苦痛の数時間を送った今、彼は開放感とともに晴れておのれ本来の目的を心の前面に出すことができた。橋を越えてくる時に、彼はR川の手前の広々とした無人の空間に目を通していた。こちら側の岸ではめったに釣りをしたことはなく、また釣人も少なかった。今彼はそこに向かって橋をもどっていた。堤から橋下へ降りて、畑や灌木の中をぬける野道を走ると、やがてまばらな雑木林へと達した。冬枯れのままの林の中には不規則な形で水流がいりこんでいて、沼地のようになっていた。やはりR川に流れこむ小川の一つであったが、林の中では澱んでほとんど流れているとも見えなかった。ここには予想したように釣人の姿はなかった。浅い水はレンズのように鈍い光をそっけなく反射していて、見るからに魚の釣れる場所ではなさそうだった。岸には茎の乾いた丈高い草が生い茂り、その中にしゃがみこむと姿も隠れてしまいそうだった。
 彼は自転車を草の中に置いて、釣竿を手に沼の周りを回った。子供らがザリガニとりをしている外には人に出会わなかった。雑木が水際まで密生しているところでは、小径は沼を外れ、頭にかぶさるくらいの低い枝の下をぬっていく。と、林を出外れ、田んぼの中の畦道に変わる。その田んぼの外れの野道に一人の若者が背を向けて立っていた。なぜそこに立っているのかは知れないが、彼の姿を見つけて、孤独者同士の気恥ずかしさから、背を向けたのかもしれない。彼はそ知らぬ顔をして田んぼの端を歩いていったが、ふと妙な気がした。さっきも野道を来る途中で、彼の姿を遠くに小さく見たような気がした。そして今彼の姿を再び見た時、これは自分の知っているある友人ではないかと思われたのである。どのようにしてかは知らないが、彼は今日自分がここにくることを知っていて、ひそかに自分の後を追ってきたのではないかと。そして今言葉をかける勇気がなく、無言の背中を見せているのではないかと・・・。
 その友人は中学時代を通じて親しくしていたが、同じ高校を受けたことで、受験の成否が交友に暗い影を投げてしまった。彼は少しテストの出来に不安があったので、それを誇張して、もうすかっり落ちるものとその友人に告げていた。友人は大袈裟に嘆く彼をいろいろに慰めてくれたが、落ちたのは友人の方だった。合格発表の日に、彼はその友人に近づけなかった。彼はおのれの不誠実を恥じる以上に、人を慰めたり、人を助けることの出来ない人間なのだと知った。彼はその友人を避けるほかはなかった・・・。
 再び雑木林に入りながら、彼はこの錯覚を頭からふり払った。だが、もし自分と同じほど孤独な男がこの世にいるならば、それは“彼”に違いないというぼんやりした予感は消えなかった。すると突然足下で大きな羽音がして、草むらの中を見えないかたまりがすばやく走った。影は沼をよぎり、またすばやくどこかの草むらに消えた。彼は夢を破られたが、人に出会ったほどには驚かなかった。何だかこういう場面を小説で読んだような気がして、彼は自分が釣り糸をたれるのはここでなければならないと思った。水際の葦がとぎれて、その合間に身がすっぽりおさまる場所を見つけ、彼はそこに腰をおろし、釣り針を投げた。
 心は鎮まった。しかし長くはここにおれないだろうという気がした。心は鎮まりながらも、どこかに苛立ちが、にせの感情があった。彼は水面を見つめた。竿先から力なく釣り糸がたれ、力なく浮子が浮いている。その浮子が元気づくことを彼はほとんど期待していない。それは単なる口実に過ぎない。他人への、そして自分への・・・。彼は水辺の草木を見た。茎の間をかすかに流れる水泡を見た。そしてこうべを上げて、おおいかぶさる木々の枝とそれらを透かしてやわらかな青空を見た。何もかもおのれの中に取り入れてしまおうという貪婪さで。――それにもかかわらず、底なしの空虚な壜に吸いこまれるように、それらの光景はしばらくするとただ苛立ちをあおるばかりに思われた。なぜだろう、自然とおのれとを一体にしてしまえないのは。それは彼が詩人ではないからなのか。が、それ以上に彼の中の虚偽の感覚が彼を満足させないでいるのだ。
 大きな水音がして、こぶしほどの蛙が沼に跳びこんだ。そのまますいすい泳いで対岸の草の間に隠れた。波紋が光を散らし、浮きをゆさぶり、彼は釣り糸をたれることの滑稽を覚えた。彼は葦の茎の中に背をたおした。葦の茎は乾いた音を立ててしとねに変わった。彼の姿は今誰にも見られていないであろう。だがこの他人の目を標準にするところに、おのれのニセの感情の根本があるのではないか・・・。かすみのかかった少女の眼のような春の空が物憂く広がっている。その空にもすでに西へ下っている陽は、成熟の翳りを宿らせている。
 彼はこの春、ある大学に受験したが、試験の終った次の日からもう浪人の準備をしていたほどであるから、午後遅く発表を見に行って合格を知った時には、心のいろいろな重荷がいっぺんに吹きとんだ気がしたと同時に、一種の虚脱感を覚えた。日が経つにつれ、受験のために払った大きな犠牲と失ったものの重荷は、彼の開放感に憂鬱の味つけを加えていった。この大学を受けるまでのさまざまな後退、変節は彼の心をセンチメンタルにしていた。自嘲的とさえ言えた。彼は単に大学へ入学することの代償に、人生の目的の純粋性を失っていた。彼の覚えたのは二流の競走馬の勝利感だけであった。その上、高校生活の間に、彼はおのれのセンチメントを人に告げるだけの心の柔軟性まで失っていた。彼は友人を失い、自己自身をも失った・・・。
 再び大きな水音がして、彼の物思いは破られた。どこか右手の草の蔭で音は起った。彼はふとさっきの、田んぼの端に立って背を向けていた若者のことを考えた。なぜ彼はあそこに立っていたのだろう。今もまだ立っているのだろうか。もし彼が“彼”ならば、自分がここへ来るのをどうして知っていたのだろう。彼は考えまいとして身を起した。裏切り・・・だが、人生において克つとは、成長とともにたえず人を裏切っていくことではないか・・・だが、そんな人生は・・・自分に責任があるとすれば、それはおのれの弱さからくる不誠実だ・・・おのれのどうしようもない性(さが)だ・・・おのれの人生にさえ責任がもてないのに・・・自分はエゴイストだが、その結果に耐えるだけの覚悟をしている・・・。
 波紋がゆれながら川面の右手から流れてきた。かすかだが風が起こった。急に空が翳ったような気がする。水に映る影に不安な予感がひそんでいる。あるともない浅い水の流れに運ばれて、今こちらへ漂ってくるものがある。それはうつぶせになった水死体のようだった。その透明な幻を通して、水底の枯れ葉が見えていた。この沼で針先にかかるのは亡霊でしかなかった。

 彼は釣竿を引きあげて、糸を竿にからみつけた。針先の蚯蚓はふやけて白っぽくなっている。雑木林を抜け、自転車にまたがり、R川の岸へ向った。橋は下から見上げるといかにも巨大だ。彼を圧倒している悩みの大きさそのままに・・・。岸では釣人の竿がちらほらみられた。。川幅の広いR川そのものでは、少年の頃あまり釣りをしたことがなかったが、岸に立って見ると、彼は急に生き物を捕えることに子供のような欲求を覚えた。今度は本気に釣ってみる気持ちになった。水は鉛色をして、岸一杯にまで迫り、とろとろと流れている。その不思議な重量感は大きな魚を潜ませているような期待をいだかせた。彼は餌箱から新しい蚯蚓をだし、のたうつやつを半分にちぎり、無慈悲に針の先に通した。
 浮子は川の中ほどに浮かんだまま、動きもほとんど流れもしない。時々半透明な濁りの中に鯉ぐらいの大きさの魚影が浮かぶ。魚がいないのではない。他の釣人は辛棒強く針を上げたり、投げたりしている。彼は魚の影に目が移って、腰がすわらなかった。いくども場所を変えているうちに、だんだん橋から離れていった。流れの澱んだところでは、幾尾もの大きな魚が戯れているのが見てとれたが、どうも蚯蚓には見向きもしない。彼はいつか蚯蚓をつけなおすのをやめてしまって、いくども上げ下げするうちに針だけになってしまったものを投げこんでいた。川は先へ行くにつれて、しだいに岸が低くなり、岸と水際の区別がなくなり、川幅が広がってきたが、代りに浅くなった。その浅い水の中を魚は腹ばうように泳いでいる。手づかみできそうな位だが、水の中へ入るのはためらわれた。
 いつの間にかずいぶん遠くへ来てしまった。しかしこの辺は知らない場所ではない。この先の田んぼの径を行き、帰るあてもある。だが川沿いの径には川の水があふれていて、かなり土が柔らかくなっているので、はたして通れるかどうか不安ではあった。するといつできたのか、川の上に危なっかしげな木の橋が架けられているのが目に入った。丸太で組んで、その上に板を打ちつけただけの、足をかけただけで揺れそうな心細い橋だった。彼はふと渡ってみる気になった。自転車を岸に置き、釣竿を手にして踏みだして見ると、案外しっかりした踏みごたえで、難なく川を越えた。
 川を越えた先には一間幅の道がのびていて、すぐ先の森の中へつづいている。森の道はかなり踏みならされており、黒々とした土の上には落葉もまばらであった。やがて道の右側の木々の間に民家がちらほら見られるようになり、更に行くと、右側の道沿いに黒ずんだ家々がとぎれなく並んでいた。左側はただ鬱蒼とした森の木々に覆われている。家々のすぐ背後にも森は迫っていて、この路地には奥行きがないようだった。人の住んでいる気配はあっても、人影に出会わなかった。人々が出払っているためであろうか、生活の物音がしない。犬も鳴かない。子供の姿も見かけない。それでもこの街路が生きているという印象を与えるのは、道の黒々とした清潔さと、そしておそらく妙な既視感のせいであったろうか。
 家のほとんどは二階家であって、窓には厚手の木格子がはまっている。家並全体が森の木の下闇につつまれているため、影のようなおもむきを与えた。森とともに朽ちていく有機体の臭気がそこから発散しているように思われた。彼はこの街路へ入った時から見られているような気がした。それは他人の家の庭に侵入するかのように、彼を神経質にした。で、彼の少し前を彼と同じ方向へ、一人の中年の男が歩いていくのに気づいた時、彼は驚くよりも、共犯者を見つけたように安堵した。男はその自信なげな歩き方からして、この街路の住人ではなく、やはり彼と同じ通行人に思われた。男は影のように歩んでいく。彼は気づかれない程の距離で男の後をついて行った。
 男はこの街の沈黙におびえているようだった。さわれば異臭をたてて崩れてしまいそうな家々に、それでも人の住んでいる気配があった。その沈黙の気配に男は気おされていた。男はふいに右手に曲った。一角だけ浅いT字路があって、男はその行き止まりで足をとめた。他の家と変わるところのない二階家がそこにあって、男は二階の彼の部屋を見上げていた。妙な羞恥が男を打った。彼の妄想する宇宙があの部屋に閉じこめられている。外から見るとなんとみすぼらしく、貧寒としていることか。男は玄関のガラス戸を開けて家の中に入り、そのまま挨拶もなく、すぐわきの梯子段をそっと二階の自分の部屋へあがっていく。自分の後を見知らぬ若者がつけてきていることに気づかなかった。若者が男の開け放しにした玄関から入り、同じく階段をそっとあがってきたのにも気づかなかった。
 男は部屋の中で物思いにふけっていた。ずいぶん長い間この部屋で暮していたような気がする。歳月の経つのも忘れていた。そんなに長いこと暮しながら、この家の人達と一度も顔を合わせたことがないのはなぜだろう。これまで一体どうやって生きていたのだろう。たしかに物を食ったり、いろいろな用を足したりしたはずだ。それなのにこの家の人達を見たこともないのは・・・。この家の人達ばかりではない。この街路で一度たりとも人影を見かけたことがあるだろうか。いつでも誰かがいるのは分っている。誰かがおれを見ている。それなのにおれには彼らが見えない・・・。おれは生きている。それにしてもどうやって生きてきたのだろう・・・。
 彼はふと壁にかかっている鏡を覗いた。おのれの顔を正視することに耐えないかのように目をそらした。確かにここでは時が経っている・・・。陰険に、狂いなく、嘲弄しつつ。そしておれには過去が思い出せない・・・。この街のこの部屋に閉じこめられて、どれほどの年月が過ぎたのか・・・。
 彼はたった今目醒めたばかりの人のように、ふとあたりを見回し、聞き耳をたてた。寝過ごしてしまったのだろうが、はたして今が何時なのかが分らない。外では陽射しが燃えているのであろうか。あるいは日はすでに傾いて、不安な夕暮が迫っているのかもしれない・・・。あるいは、暗黒の夜が不眠の眼をかっと見開いているのかも・・・。痛いような憧憬が壊れ時計をきしませるように、彼の胸をつらぬいた。
 彼は窒息感を覚えて立ちあがった。今あがって来た階段を再びそっと下りていった。戸外はたそがれていた。誰が置いていったのか、玄関の横には釣竿が立てかけられていた。彼は表通りへ出た。この黄昏ははたして自然のものなのか、この街路だけに固有のものなのか。それを確かめるすべはない、この街に閉じこめられている限り。街路の外れには川があって、橋が差しかけられていることを彼は知っていた。橋はいつでも工事中であった。別にそれと立て札がしてあるわけではなかったが、土が盛りあげてあったり、スコップが転がっていたりするので、彼はいつしかそこは通行止めに違いないと思いこんでいた。橋の手前まで出かけて、荒い草の生い茂った堤にかかっているその木橋のとば口を見ただけで、彼はいつも引き返してくる。堤の草むらに分け入ってみようとしたこともない。まるで彼には好奇心が失われていた。
 森の街路のもう一方の先がどこへ通じているのか、彼は確かめたことがない。その方面へ行くことは彼には鬼門のようにためらわれた。その方面に向うと黄昏は一層濃く感じられ、森は果てしなく深まるように思われた。今彼は橋の方へ向って歩きだしている。黒土の上を踏むおのれの足音さえ響かない。街路は沈黙の中に眠っている。それでいて油断なく彼を見張っている。何のために・・・彼を逃がさないためか・・・彼がよそ者であるためか・・・。家々のたたずまいは嘔吐そのものに感じられた。どの窓にも、どの戸口にも、黒々と闇が凝り固まり、こびりついて、さわればねとつきそうだった。あるいは蟻塚のようにぽろぽろと潰れもしよう。そこからにじみ出てくるものが、這い出してくるものが、何とも言えず彼には厭わしかった。
 森は途切れて川の堤に出た。川の上にも黄昏は落ちている。川岸の力ない草木をそよりともゆるがす風は立たない。大気はここでも森の中のようによどんでいた。陽はどちらへ傾き沈んでいったのか知らない。方位も分らずに、彼はいつの間にか橋を渡っていた。狭い木橋であったが、両側に粗い手摺りが作りつけられていて、細長い箱の中を行くようだった。この橋がどうやって川の上に支えられているのか、見当も付かなかったが、彼は何の不安もなく渡った。
 向う岸につくと、彼はどちらという当てもなく堤の上を歩いた。川が屈曲しているためか、更に向うに橋の架かっているのが見えてきた。気がつくと堤には人がぞろぞろ歩いていた。人々はどこから来るのだろう。彼は今日が日曜日であることを思いだした。ピクニック客や釣人たちがこぞって家路につくのだ。ふり向くと彼の渡って来た橋からも、たくさんの人がやって来る。堤の上は繁華街のように人出で賑わっている。みなが影の列となって次の橋の方へと向っている。その橋の手前には売店まで出ているようで、団子の旗が立っている。
 人々は一様な歩調で同じ方向にぞろぞろと歩いていく。彼はふいにこれらがみな故郷の町の人々であることに気づいた。顔見知りや旧友がいたわけではない。長い歳月が過ぎて、彼らは一般の人と見分けがつかなくなってしまったろう。彼もまた、彼であることに気づく人もおるまい。しかし彼らは全くの他人ではなかった。彼らの後について行けば、故郷の町へ帰れるだろう・・・。
 二つ目の橋もまた、人一人通れるだけの幅の木橋だった。人々は数珠つなぎになって渡っていく。彼らの会話の気配だけが、空気を媒介しないで直接彼の意識にひびいている。彼は蜜蜂の羽音に囲まれているような、おびえとくつろぎをともに覚えた。橋は流れの途中でどういう工法であろうか、くの字なりに折れている。彼はさっきから前を行く美しい女に気を取られていた。どこか見覚えのある顔立ちであった。ゆで卵をむいたように白く、なめらかな皮膚であった。彼の知っていた女であるならば、しかしこんなに若くはない筈だった・・・。女は連れもないようで、誇り高い姿勢で颯々と橋を渡っていく。
 向う岸につくと、幅の広い道が木の下闇に延びていた。人々は三々五々並木の道を町へ向って歩んでいく。家並が見えてくるにつれて、人々は散らばり、いずこかへ消えていく。彼の注意した女の姿はとうになかった。故郷の町はずいぶん勝手が違っていた。
 もう夜遅くであるらしかった。しばらくすると道を行く者は彼一人になった。舗装された広い道は、しかし車一台通らない。人影の絶えた道をなおも行くと、街路樹の寂とした梢の間に巨大な煙突が幾本も見えてきた。ここは町の工場地帯であった。煙突の間にはそっけないコンクリートの建物が現われてきた。工場はしかし死んでいるようだった。巨大な煙突は見上げると押しつぶされそうな威圧感を覚えさせたが、どれも煙を吐いている気配がない。
 なぜここを歩いているのだろう、と彼は思った。煙突の威圧が与える不安感だけではない不安が彼の中にあった。誰も通らない通りで、しかし彼は何かを探しているような気がした。それはふいに前方から響いてきた声で明らかになった。彼はわれに返ったような気がした。“戻ってこいよ” と言ったその声には聞き覚えがあった。忘れていたものが彼の中でにわかに甦った。声とともに数人の男たちが通りの反対側の歩道をやってくる。<おれが帰ってきたことを彼らに告げなければ・・・>――彼は学校をずる休みした少年のような羞恥感を覚えた。
 声は近づき、男たちの気配は増した。影の塊がいくつかに分れた。声をかけようとした時、ふいに彼は気が変わった。彼らは彼に気づかずに通り過ぎていった。
 またおれはどうして忘れることができたのだろう。すべてはおれのいない間にすっかり変わってしまったことを・・・。昔、この町のどこかにあったおれの居場所も、今では夢語りでしかない・・・。彼らだって、亡霊にしか過ぎなかったのだ。一体どんな悪霊に導かれて、時の迷路の中のこの袋小路に迷いこんだのだろう。亡霊の棲み処にしか過ぎないこの町のどこに身の置き所を求めようとして・・・。
 突然の反省に彼は愕然として身震いを覚えた。重く沈む心とは裏腹に、彼の足はいつか速まっていた。この夢魔のような煙突から、人影のない通りから、死霊の町から、どこなりとも逃れたかった・・・。

     *        *        *

作品名:「橋を越える」
作者:羽和戸玄人
copyright: hawado kuroto 2010
入力:マリネンコ文学の城
Up: 2010.6.30