夜男爵の部屋・第七夜

ネロポリスU

夜男爵詩集後編

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余の往年の詩集「ネロポリス」は一個人にあてたるプライベートな詩集にして、長くウラノボルグ図書室に眠りつづけしものを、管理人の好意でその半ばを以前に掲載し、サロンメンバーの好評を得たりしものなれば、このたび羽和戸玄人氏の熱心な勧めをいれ、残りの詩篇をもメンバーの高覧に供せんとおもいたてり。その際不適切なる言葉の訂正などを氏の斧正に委ね、人の目に触れて不快なきよう配慮したり。作品の価値そのものの判断は読まれる方の趣味好悪に委ねたい。(B.N.)


バロン・ナイトの詩集「ネロポリス」は約40篇からなり、その内半数は既にサロン・ウラノボルグや「ネロポリス」において掲載されている。半数が省かれた理由は、一つには詩想において類似するものがあるためと、またこれが多分主な理由であろうがエロチシズムに関わるものが、インターネットという媒体にふさわないものとされたためであろう。後者の場合には表現を和らげることによって、詩として可能なものは全て取り上げた。前者については、おそらく作者が感じるほどには、陳腐でも繰り返しでもなかろうとおもう。ネロポリス前編と比べて、後編が特に読み劣りするというわけでもなかろうと編者は判断して、掲載を承諾されたバロンの厚誼に報いたいと願っている。(H.C.)



          ネロポリス U

             ――夜男爵詩集後編


 CONTENTS:A VISION/アングストフォル/そも憧憬とは/月世界/人魚姫/葦の歌/神の九十九の顔/心変わりの日/私が他人になった日/るうまの宴/天使への上昇/ことばの幽霊/The Lord of Night/ヒュアキントス/文法の悪魔/太陽の使徒/帰ってきた小学生/彼と彼女/日蝕/大都会サファリパーク


   A VISION

 わがふる里は
 還りの路
 人の姿通わない
 異形の国
 見知らない時に掉さす
 葦の小舟(おぶね)
 黒檀の太陽
 濾過した雲の粒子
 おもいの果ての
 洞窟の石の蔭の
 地下水の夜の
 囁きの壁のほとり
 そこにこそ
 わがまぼろし
 わがまぼろしのおくつき・・・
 
 旅の人よ
 過去をよぎる人よ
 この道を行け――
 (夜の燈台は
  こう告げる)
 不安の上り列車が
 楽しげな旅客をのせて
 気むずかしい勤め人を運んで
 いらだたしげな警笛を残して
 レールの上で年老いていった・・・


   アングストフォル

 寂寥の夜道をわれはもとめる
 安らぎの闇路をわれはたずねる
 この世のいずこに
 人という“気配”のたえた放縦の地があろう 
 真実(まこと)の寂寥の中で
 あらゆる情欲は死にたえるであろう
 闇を求める情欲もまた・・・

 われは不安をもとめる
 不安の情欲を求める
 闇と夜の犯罪に抱かれ
 昼を冒涜し
 あらゆる理由をうしない
 あらゆる弁護を無用にし
 正気と狂気のヴェールをつきぬけ
 無法のエーテルに酔い
 さらに・・・
 さらに・・・

 大気は情欲にみち
 闇は誘惑を囁きかける
 夜は待ち伏せする
 目と耳と口とで・・・
 不安が待ち伏せする

 この世のいずこに
 情欲の果てる地があろうか
 真実(まこと)の夜よ
 赤裸の寂寥よ
 なんじを見いだすとき
 情欲は死にたえるであろう
 もはや慰めのトリックは終り
 ただ氷りつく虚無があるばかり
 まのあたりの死があるばかり


  そも憧憬とは

 くぎられた青空
 とらわれのポエジー
 そも憧憬とは
 牢獄の鉄格子の窓
 貧血の羽ばたき

 そも憧憬とは
 井の底にのぞく星空
 ひとしずくの
 化象のさざなみ
 ふりあおいではならない
 沈黙の沈殿する
 鏡の奥に
 永遠をかいま見んとならば
 
 ひたすらにおのれを想うこと
 おのれのこころのほかに
 ふりかえるものをもたないこと

  月世界

 人通りのない
 暗い夜道をひとり歩いていた
 家々は泥棒のように寝静まり
 垣根のすぐうしろで
 影のささやきをかわしていた
 大気には電流があふれ
 ぴりぴりと警告が肌に鳴った
 すると道のかたわらに
 妙に気になる掲示板が立っていた
 闇の中に黒々と
 
   この先
      月世界

 ふいに家々は消えてなくなり
 道は闇になだれて落ち
 身は石のように宙を飛んでいた
 両脚を前にふんばり
 しりもちつくように飛んでいた
 音もなく飛んでいた

 鉱滓(かなくず)の波の
 凍てついた月世界
 汚物のあふれ
 ひからびた原っぱ
 大きなクラーテル
 あられもなく
 小さなクラーテル
 かくれもなく
 輪状山
 クレバスの淵に
 しりを冷やす
 風も立たない

 りんと鳴りわたる虚空の中では
 嘔吐も凍えるばかり
 むかつく汚物の原に
 沈黙は黒く凝(こご)りつき
 妙に心地よくいざなう
 宇宙飛行士の勃起・・・
 飛行士はバランスをうしない
 墜落した

 闇の中に黒々と

   この先
      月世界


  人魚姫

 波音静かに打ち寄せる
 人住まない浜辺に
 貝殻と砂の間で
 夢のように囁く声
 おお 人魚姫
      人魚姫
          人魚姫
 人住まない浜辺に
 あるかないかの波音
 夢のようで
 松風のあい間に囁く声
 おお 人魚姫
       人魚姫
           人魚姫
 陽はやわらかに
 そよ風は眠り
 浜辺は沈黙し
 砂は温かなしとね
 夢のようで
 遠い沖に
 はじける波の泡
 おお 人魚姫
      人魚姫
          人魚姫
 君の髪は緑の藻草
 君の乳房は鱗に覆われ
 君の真珠は――
 おお 君の真珠はどこに――
 君の心は魚の心
 君の思いは海の思い
 おお 人魚姫
      人魚姫
          人魚姫
 人住まない孤島に
 波音静かに打ち寄せ
 貝殻と砂の間に
 情欲のすすり泣き
 陽は温かに照り
 風は死んでいる
 おお 人魚姫
      人魚姫
          人魚姫
 波の底深く
 海藻の森ざわめき
 灰色のさんごそびえ
 歌う白骨の群
 夢のようで
 君の真珠のいざない
 男どもをほろぼし
 シレーネの唄は
 沖の白波にむせび泣く
 おお 人魚姫
      人魚姫
          人魚姫
 心ない君よ
 男の心を奪え
 魚の裸身を波打たせ
 心の偽善を哂うかに
 陽の光温かな砂浜に
 冷たい真珠を輝かせ
 男の情欲結晶し
 本能と本能のむつみあい
 陽は温かに浜辺を照らし
 無垢の楽園に
 そよ風は目醒めた
 おお 人魚姫
      人魚姫
          人魚姫


   葦の歌

     1
 枯草の溝にうずくまって
 過ぎていく列車の
 人影のない窓の
 黄色い明かりを見送っていると
 誰かがうふふと
 そばで笑ったようだった

 枯れた葦の間の
 夕闇の中から
 見えない粒子が
 頭のうしろで
 あざ笑ったようだった

 おれはゆっくりと立ち上がって
 枯草の中に小便をした

     2
 またうしみつ頃に
 怖れの夢から醒めて
 ねがえりをうつ時に
 夜の鳥のはばたきめいて
 ささやきかける言葉の暗示

 魔の国のあやかしどもの
 夢の敷居に歌うかのよう

 わがシツォフレニイ


  神の九十九の顔

 その神の名をアラーという
 その神の名をエホバという 
 その神の名を父という
 その神の名を息子という
 神の外に神なく
 神の内に神なく
 唯一にして絶対で
 愛にして嫉妬で
 慈悲であって報復で
 望みであって絶望で
 およそあらゆる願いであって
 あらゆる恐れであり
 絶対の支配であって 
 絶対の服従であり
 まったき安心であって
 まったき不安であり
 特権であって
 平等であり
 無知蒙昧であって
 啓蒙であり
 支配者にして
 奴隷であり
 命令であって
 方便であり
 真実にして
 詐欺であり
 脱俗を装って
 卑俗であり
 権力であって
 人道を恵み
 神の名でもって
 魂を欲望に売りわたし
 神の名でもって
 魂を悪魔に服従させ
 すべてを許し
 すべてを憎み
 すべてを高め
 すべてを堕としめ
 およそ妄想の中の妄想
 虚妄の中の虚妄
 真理の中の真理
 愚昧の中の愚昧
 叡知の中の叡知
 詐欺の中の大詐欺
 非道の中の非道
 狂気の中の狂気
 これぞヒューマン・コメディー
 これぞディヴァイン・コメディー
 これぞ神の喜劇!
 喜劇は繰り返される
 神の呼び名はいまだつきない
 仮面舞踏はやまない
 不死の吸血鬼は
 人の心から不覚の血を吸いつづける
 従順を注ぎこみ
 生を装った死を注ぎこみ
 巨大さで目をくらまし
 手足をしびれさせ
 狂った齧歯類のように
 希望の水涯にひた走らせる
 神の名はいまだ枚挙されずにいる


  心変わりの日

 ぐろっこん
    ぐろっこん
 どこかで鳩が鳴いている
 ぐろっこん
    ぐろっこん
        鳩が鳴いている
 鳩は争いの鳥
 鳩は平和を知らない
 ぐろっこん
    ぐろっこん
        名乗りをあげている
 鳩は恨みの鳥
 鳩は不幸の鳥
 ぐろっこん
    ぐろっこん
 鳩よ
 おれを責めるな
 おれを責めるな
 時の向う側から
     おれをおびやかすな
 不幸の鳥よ
 無垢の鳥よ
 ぐろっこん
    ぐろっこん
 過去のこだまが
    おれを責めたてる
 ぐろっこん
    ぐろっこん
 時の向う側で
    鳩が呼んでいる

  
  私が他人になった日

 わたしが他人になった日に
 わたしのエゴはどこへ行くのか
 おまえはおまえがおまえであると思っているな
 ――ある晩わたしの“頭”が答えた
 いまからおまえはおまえではなく
 おまえの代わりにおれがおまえになる
 おれはおれなのだから
 つまりおまえはおまえではなくなるわけで
 おまえを失くしたおまえがどこへ行くのか
 さあて そんなことは知らないねと

 わたしが他人として生きる日に
 わたしである他人とは何ものだろう
 ――わたしである他人が答えた
 おれはおれではあるが
 おまえはおれではないね
 おれはおまへを征服したのだ
 ――わたしの“頭”はこう語った
 
 “われおもう”であるわたしのわれは
 いつからわたしでなくなったのだろう
 われがわたしでなければ
 わたしのわれは
 いったい誰のわれだろうか
 こんなにも明ルなわたしのわれは
 わたしのわれでなくなることを拒んでいる
 だがわたしはわれではないのだ
 たった今から他人がわたしに代わった

 そのとおりと他人であるわれは言う――
 おまえはおれではない
 おれはおまえではない
 だがこの瞬間からおれはおまえに代わった
 どこに不都合があろう
 そもどこにわれの違いがあろう
 誰でもわれでおまえで
 おまえのわれとおれのわれと
 われおもうことにいかなる違いがあろう
 ――われである他人はこう嘲った
 
 だが――とわたしは反論する
 わたしにはおまえが理解できない
 おまえの心はわたしの心ではない
 おまえは他人であって
 わたしはおまえを恐れる
 この恐れるわれこそわれではなかろうか

 わたしの“頭”は陰険に笑ったようだった――
 恐れることがわれの証明ならば
 動物にも立派にわれがあろう
 恐れるわれはおまえでなくともよかろう
 だが――とわたしはおののいた
 このおののきはわたしのおののきだ・・・
 そして誰のおののきであってもよかろう――
 わたしである他人はうそぶいた

 わたしがわたしでなくなった日に
 わたしであるわたしは何ものなのか
 わたしの手はそらぞらしく
 わたしの足は毛深く
 わたしの声はよそよそしく
 わたしの目は勝手に物を見さらし
 わたしの耳では笛に合わせて小人が踊り
 わたしの鼻はいまいましく上向き
 わたしの舌はだれの食欲のために
 いそいそと唾液を滴らせることだろう
 
 わたしの顔はもはやわたしではなく
 わたしのおもいはわたしではなく
 わたしの考えはわたしの考えではなく
 こう考えるわたしもわたしではなく
 そういうわたしもさらにわたしではなく
 わたしがわたしをなくしてしまった時に
 わたしはわたしをわたしと知らずに
 どこぞのわたしとわたしとの間を
 わたしのわたしはわたしを尋ねて
 だらしなくわたりあるくことでもあろう


  るうまの宴

 ゆうやみせ
 まるこのきしべ
 さまよいゆ
 けばいねのほの
 ほのかにわ
 らうあざけりの
 そのささや
 きにかぜこたえ
 やみをなが
 してふきゆけば
 くものひま
 よりもちづきの
 つみびとて
 らすあからがお
 かげはおど
 りていねのほに
 うつるはあ
 やしもののけの
 かなしくく
 るうまのうたげ
 つきはむか
 しのつきならず
 かぜはむか
 しのかぜならず
 なおもさま
 よいさまよいて
 かりたのく
 ろきあぜみちの
 とおきむこ
 うのひとむらの
 かげなすこ
 だちのぞみゆき
 ふとながる
 るはほしひとつ
 ゆるゆるゆ
 るととびゆきて
 なにいいた
 げなそのまなこ
 こころたち
 まちくらみゆき
 つぶやくこ
 とばちょうろうの
 ざんげのい
 のりほとばしり
 とおくすぎ
 にしゆめのひび
 ゆめのまた
 ゆめかききえて
 われのみひ
 とりつきかげの
 むなしくて
 らすこのいまを
 あゆみゆき
 ゆきくろきもり
 たずねたず
 ねてくいのとき
 いのちのざ
 んげささげつつ
 おもいでさ
 えもきえはてし
 まかいのゆ
 めにみをささぐ


  天使への上昇
        ――To H.P.Lovecraft

 天使と語らった人が
 口径10m/m筒長2mの屈折鏡の傍らで
 影のインタヴュアーの質問に
 にこやかに応じている
 その影のさした面長な笑みには見覚えがあり
 私には怪奇な天文学者の正体がわかった

 “天使へと私は上昇して
 彼らから秘められたメッセージを受けとり
 人類の限られた人たちのために発信します”

 暗い天文台の
 暗い観測室で
 姿のないインタヴュアーに
 暗い人は応えた
 その発信する霊波に
 闇夜の天使たちは
 まばたきを返しているようだった
 
 私は寒い夜の寒い布団にくるまって
 じっと天井を見つめていると
 やがて天文台のドームのように屋根が開き
 黒い夜空が現われてきた
 天使たちのまなこをそこに見た
 私の体はふいと重力から開放され
 天使たちのまばたきに吸い寄せられ
 かるくかるく上昇していく
 
 “ああ、これが昇天するということなのだ!”

 星たちの鋼くずのような
 冷え冷えとした輝き
 私は発情した霊魂のように
 光のインテリジェンスと交わろうとする
 そして虚脱

 私は夜の中にくぐまっている
 暗い天文学者はどこへ行ったろう
 椅子の下では黒猫の目が光っている
 私は苦痛のあまり叫んだ
 私は苦痛のあまり叫んだ夢を見た


 ことばの幽霊

 <ばうばく>ということばが 私の頭のかたわらに
 いついてしまってどうも 気になって困るのである
 こいつはことばのくせに 姿かたちがそなわっていて
 まくらもとで無言のまま じっと坐っているので
 私は彼の存在がじゃまっけで ならないでいるこいつは
 ことばのくせにこどものように でっかい頭をして
 からだの方は妙にちんちくりんに ちぢこまってるのやら
 うずくまっているのやら 正確にいうとちょうど私の
 右の側頭部のやや上あたり なんだか目があるようでないようで
 じっと私のひたいを見つめて いるようなのだ
 私はそいつがじゃまっけで なかなかねつかれずにいる
 ねがえりをうって<ばうばく> の方へひたいを向けると
 ふいに彼が――ただのことばであることに 私は
 気づくのであるが しばらくするとまた 彼は
 じゃまっけなことに 小さな不具の子供のように
 私のまくらもとにうずくまり 私のひたいを見ているのやら
 なにを見ているのやら じっと目をすえて考えこんで
 いるようなのだ おそらく彼は自分が
 ただのことばのくせに こんなところへほうり出されてしまって
 とほうにくれているのだろうか それとも例のことだまというやつは
 こいつのことではなかろうかしら などと私は
 <ばうばく>ということばに 悩まされ
 いっこうに眠れないでいる きっと彼は
 <ばうばく>氏は 私に理解されたがっているのだろう
 私は頭をしぼって 彼の存在を解き明かしてやらなければ
 ことだまは夜ごと あきらめの悪い幽霊のように
 私のひたいをうらめし気に 見つめつづけるのだろうか
 
 と思って私はまた ねがえりを打ったが
 するとばかばかしいことに 彼はやはりただの
 ただの<ばうばく>という ことばなのだ
 ということが瞬間に解ってしまい
 彼はつけもの石がのけられたように 私のひたいから
 消えてしまったが それにしてもすなおな
 幽霊であった と私は安堵して
 眠りについたのであったが・・・Da capo


  The Lord of Night

 おおい――おおい――と呼んでいる
 とおくで呼んでいる・・・このおれを
 呼んでいるのはこのおれか

 All is night, all is night,
 Past was not, future will not be,
 Now is night, night is all.

 鳴いているのはどんな鳥だ
 不吉なサイレンを鳴らしてる
 夜の鳥――狂気の鳥

 Comming and going, rising and falling,
 Time is ringing, time is singing,
 Now is silence, all is silence.

 また今夜も遠い火の不安にめざめた
 めざめたままに不安は鳴りやまない
 たしかに燃えているのはこのおれだ

 Ringing and singing, thinking and sinking,
 Maddening fire comes and goes,
 Sadly tired, rages fire.

 おれは燃えつくすものの恐怖と
 夜の狂気を沈黙させよう
 おれのこの確かな肉体で・・・

 Comes the Lord of Night, Lord of Might,
 Dreaming, panging, licking, kicking,
 He comes to love and die in the night.

 やがて夜が明けよう
 このおれの屍のうえに
 見知らぬ朝日が嘲笑っていよう

 Into the night goes the Might,
 Into me faints the Lord of Night,
 Dreams of lust, dreams of Light.


  ヒュアキントス

 庭にはヒヤシンスが花盛り
 ほっそりとした身のこなし
 私のヒヤキントスは背伸びをし
 夕風としとやかな語らい

 私のヒヤキントスは身をのばし
 ほっそりと首すじをのべ
 においやかな白いうなじをかしげ
 おみなごのようなうなじをのべ

 私のヒュアキントスはほこらかにためらい
 ためらいつつあざわらい
 気がつかずにいる彼をにくくおもい
 無言のままはさみをにぎりしめ

 無言のままわき腹を差しとおすと
 大きな悲鳴をあげて奥様が
 奥様があわてて走りよりしかばねの
 しおれた白いうなじを悲しんでいるその様が

 私はおかしかったので笑うまいとしたが
 ついにっこりほほえんでしまったのです
 庭のヒヤシンスは今花盛り
 私のヒヤキントスは死んでしまったのです


  文法の悪魔

 なかで森のことばの
 なにをいる君はもとめて
 さがすおれはいみを
 よりふかいよりもことば
 ついにためにこむ黙り

 どんなことばた君はみつけ
 したに枯葉の森の
 おれはたみつけことばを
 いじょうのことばねむっている
 したにしめりのわくらばの
 
 どんな名もつことばその
 ところの落ちた地上に
 おれはない知らただ
 うえにその葉のている書かれ
 へない知られ神“沈黙”

 神ところのたないとらえことばの
 神すぎる静かためにいる中おりの
 かれはでいる病み閉所恐怖
 かれはであるな傲慢神
 かれはないでき我慢放屁の口

 かれはゆくとおり谷間森の
 ない風のようでは荒れる
 かれはない歌わように鳥の
 ない鳥もちないかすみ網
 とらえかれをなかに文法の

 かれはないもた名を
 かれはない知らことばを
 すべてかれはのなかすべて
 かれはである精ないみえ
 なかの森のことばの


  太陽の使徒

 電波の笑い
 光の光速(スピード)に酔い
 熱の歓喜雀躍し
 重力のエーテルを波うちゆく
 そのごとく
 精神の波長よ
 肉体の牢獄より発進せよ
 真昼の夜にかがやく太陽こそ
 あなたの帰ってゆく故里だ
 土も水も大気も
 あなたにとっては重すぎないか
 海も氷も魚も
 鳥も風も繁殖も
 あなたの羽衣に値するだろうか
 彼女の彼の愛でさえも――
 肉を焦がす熱帯の太陽
 これからもいくつのヒロシマを
 のみつくすことであろう巨大なレヴィアタン
 いや いくつの地球を小遊星に砕くであろう
 かの終末の光こそ
 あらす 肉体の審きを告げる光こそ
 あなたにとって帰還の希望ではないだろうか
 あなたはあなたのすわっていた石段の上に
 一片の影を残して天球へと飛翔する
 かの灼熱の光球をはるかにのぞみつつ――
 肉体にとっての破滅が
 いまはあなたにとっての快適なエレメントだ
 あなたは宇宙のちっぽけな流刑地を離れて
 灼熱の光球の中にあなたの兄弟を見いだすだろう
 あなたの父母をあなたの神をあなた自身を――
 あなたはヘリウムと水素の間で
 すてきな夢の恋人とたわむれる
 すてきなイエスをボーイフレンドに
 すてきなマリアをガールフレンドに持つだろう
 光量子(フォトン)の船に一等航海士としてのりくんで
 あなたのメデイアを銀河の果てまで
 探し求めにゆくだろう


  帰ってきた小学生

 町の小学校の六年生のあるクラスに
 十幾年ぶりで帰ってきた男子生徒が
 喪われた義務教育の残りをとりもどそうと
 大きな体を小さな机の小さな椅子に
 窮屈そうにちぢかませていた
 このふってわいた大きな小学生は
 十幾年前のある記憶のどんよりした日をさかいに
 長い長い間だれからも行方不明になっていたのが
 きっと世の荒波にもまれ
 いまさらに学力の不足を思い知らされたのであろう
 ある朝十幾年前の同じ教室の同じ机の同じ椅子に
 なにごともなかったかのようにすわっていた
 それでも子供たちの間でやはりはずかしそうに
 男は大きな体をなるべく小さくなるようにして
 他の生徒と努めて変わらないそぶりをしているので
 先生もクラスメートもやはりそしらぬふりをして
 とくに変わったことが起こったようには思わないようにした


  彼と彼女

 彼は生まれ
        生き
          死んだ
 彼女は生まれ
         生き
           死んだ
 彼らは生まれ
         結ばれ
            死んだ
 彼は生まれ
        生き
          死んだ
 彼女は生まれ
         生き
           死んだ
 彼らは生き
        結ばれ
            死んだ
 彼は生まれ
        生き
          死んだ
 彼女は生まれ
         生き
           死んだ
 彼らは生まれ
        生き
          死んだ
 彼は・・・・・・・・・


  日蝕

 風が吹いていた
 南へ去っていった
 大気の渦を慕う子らが――
 中天には真夏の太陽
 雲の欲望が従順に
 地平を飾る――
 銀の道を行く肌は
 日光になぶられることを願う
 風が来て
 光から熱を奪っていった
 男はいぶかしげに
 まばゆい日輪を見上げた
 空は蒼く
 光は目の中で黒ずんだ
 きっと風が
 太陽に打ち克ったのだろう
 ――男は推理した
 男は知らなかった
 男の肌が日蝕を感じていたことを
 しばらく行くうちに
 男の不快はつのってきた
 こうして歩いていることが不愉快で
 世界には目的が失われてしまったかのようだ
 なま温かい風の吹く
 白昼の夢の中で
 男は知らなかった
 男の意識を蝕んでいる
 空の穴のような日蝕を――
 家々と畑と草むらと
 駅へと伸びるアスファルトの細い道と
 空にふりまかれた
 目に見えない白昼の闇がおしつつんでいく
 男は不安になった
 空は蒼かったし
 その変哲もない蒼さが
 妙に気にかかった
 すこし先に駅前のビルディングが浮かんでいる
 そのしっとりと濡れたような輪郭が
 はっと意識を打った
 真昼に亡霊を見たかのように――
 おれはとうとう発狂するのだろうか――
 男は知らなかった
 世界が終末を迎えていることを
 欠けたままの太陽が
 これからの永遠(とき)を支配するであろうことを
 昼の中に隠れていた夜が
 今からはだれの意識にも
 黒い翼の羽搏きを聞かせるであろう
 光から熱を奪い
 生き物のように肌をなぶる風が
 空の穴から冷たく吹き寄せるであろう
 

  大都会サファリパーク

 人はなぜ歩くのか
 人はなぜしゃべるのか
 昼なお暗い地下道に
 せわしない靴音が
 うつろな頭を素通りする
 足どりを邪魔されて
 罵声が降る
 遠くで鳴る春雷
 マルコは年をとったとはいえ
 世間ではまだ働けないほどの
 老齢ではない
 マルコはしかし
 いつからか年をとらなくなった自分に気づいた
 いつからか季節が死に
 時間が人をおきざりにしていった
 ぜんまい仕掛けの時計のように
 毎日毎日
 うつろな響きをたてる空洞が
 人間の頭のように思われてきた

 模範的な事務員であったマルコは
 ある日不用を通告され
 模範的に会社を辞めた
 古時計がとり払われたように
 人々はしばらく空白を覚えたが
 やがてずっとしなやかな電気時計がかかったので
 マルコは蜘蛛の巣のかかった納屋の奥の
 古ぼけた道具類のように
 人々の記憶から消えてしまった

 人はなぜ歩くのか
 せわしなく足を運ばせて
 マルコは歩くとすぐに疲れてしまう
 体が疲れるのではない
 魂が飽いている
 目的があるように
 動いている足を見ると
 マルコはどこか知らない
 魔法の国にいるような気がする
 あれらのぜんまい仕掛けの足たちは
 真面目に
 爆弾でも抱いているように
 まるであちこちの火のついた導火線を
 踏みつぶしでもするるように
 マルコの頭のまわりで
 かんしゃく玉を鳴らしている

 マルコのふてくされた寝姿は
 不快と同情と
 腹立ちと好色とを
 急ぎ足に炸裂させる
 マルコのかすかな反抗心は
 しかしすぐに消えて
 どうでもよいことだと
 思い直すのであった
 
 マルコは陽のあるうちは
 じっと公園のベンチに坐っていたし
 時にはビルの日向の人通りに
 大きなショッピングバッグをたずさえて
 くすんだスカーフに頭を包み
 管理人から追い払われるまで
 ガソリン臭い日光を浴びていた

 公園の噴水が
 彼女の洗濯場であった
 暑い日には
 沐浴の場であった
 人が見ていても
       いなくても
 彼女は静かな森のニンフのように
 裸体になったものだ
 雨が降ると
   素敵なシャワーだと思った

 夜はたいていきまった地下道にかえる
 そのほうが疲れないからだ
 探すことはしんどいことだ
 マルコはいくつかのねぐらをさだめている
 男どもにじゃまされなければ
 長いこと住みついている
 彼女が坐ると
 やがて大きな紙バッグをさげた女たちが
 一人また一人
 両側に並んでいく
 マルコは彼女たちを
 仲間だと思ったことはない
 めったに言葉をかわさない
 あいさつやおしゃべりは
 あっちの世界では
 存在を知らせる信号だけれども
 こっちの世界では
 だれもが心得よく
 沈黙を美徳にしている
 おしゃべりは
 人形たちのすること
 
 沈黙が彼女たちを守っている
 マルコは時にしゃべりたくなる
 口までことばがとびでてくる
 するとふいに魂をしびれさせる疲労が
 彼女を無意味の世界につれもどす
 しゃべれば彼女の呪縛はとけてしまうだろう
 今度こそ何が何だかわからなくなり
 彼女自身を彼女でないものに
   ゆずり渡してしまうだろう
 マルコは冬眠に入るリスのように
 沈黙の毛皮にくるまる

 ある晩
 男女のどなりあう声に
 マルコは浅い眠りを破られた
 隣の女に男がからんでいた
 マルコもほかの女たちも騒がなかった
 襲われた女だけが
 男の欲望を口汚くののしり
 男の顔につばを吐きかけていた
 男はナイフで女を一突きして
 侮辱されたおのれの欲情に復讐すると
 足早に去っていった
 マルコも女たちも動かなかった
 傷ついた女だけが
 一声うめいて身をふるわせただけで
 もとの静けさにかえった
 やがてだれが知らせたのか
 ポリスのサイレンがひびくと
 女たちはわれに返ったように
 そそくさと身の回りをまとめ
 傷ついた女を残して
 てんでの方向に散っていった

 マルコは隣の女の胸に
   ナイフが突き立てられたとき
 おのれの胸の中で
   何かが完成されたような気がした
 へその緒のように引きずっていた何かが
   一思いに断ち切られたような――
 女たちのだれもが
   こういう言葉はもう忘れていたが
 <感動>していたようだった
   もはや感動をふみこえてしまった
 おのれに感動していた

 マルコは歩きながら
 いつになく興奮していた
 ものを考えなくなったマルコは
 心の固いガードを突き破ろうとしている
 盲目の齧歯類の攻撃を感じた
 ものを感じなくなったマルコは
 自分の身体とは思われない底から
 せかれてはこぼれようとする痛みを覚えた
 マルコは熱い涙に襲われるには
 てごめにされる処女のようにかたくなだった
 マルコは疲れを忘れて歩いていた
 危険な情感が汗のように
 すみやかに毛穴から発散してくれるようにと
 わたしは
     わたしを哀れむために
        ここにこうして
      生きているのではないのだ
 わたしは
     わたしを哀れむために・・・

 夜明けの都会の
   醒めきったコンクリートの上を
 帰りはぐれた亡霊の影がよろめく
 やがて陽が登り
   ビルの隙間から白光がさし
 たちまちに色彩のない都会の朝の
   ビジネスライクな空間が広がると
 マルコの夜の熱病にも
   宿酔(ふつかよい)の吐き気が沈殿し 
 蹴ちらされそうな
   足音のジャングルのせまる中で
 水たまりの青空のように底なしの眠りを
   ビルのはざまにむさぼった   

 都会の機械じかけの喧騒
 機械の手となり足となった人間と
 鋼鉄の流れるベルト
 なにかのしかけで
 流れては止まり
 止まっては流れる
 意志の苛立ち
 マルコはたくさんのサイボーグたちが
 歩く者に対して敵意をもって見つめる
 停止のひと時をことさらにのろのろと横断する
 いまにもたちどまって
 ガラスの目玉のみまもる前で
 アスファルトに寝ころんでしまうのではないかと
 そんな腹立たしさを彼らに与えて
 彼らは彼らで腹いせに
 マルコがわたりきらない前に憎々しく
 一斉に勝ち誇った雄の叫びをあげ
 われ先にと空間を憎みながら
 逃げていったものを一刻も早くとらえようと
 機械となった意志を駆りたてていく
 
 公園の玉砂利は無関心な音を立てる
 松の木は互いによそよそしく
 芝草は人をこばんでいる
 整然と並ぶベンチの
 一分の狂いもない直線
 なにもかも
    どうしてこんなに
       こぎれいなのか
 その几帳面な空間に
 収容される者たちの心を
 幾何学的に製図してしまう
 昼休みににぎわう
 サラリーマンやOLの姿は掃きだされ
 閑散とした空間を
 雀が一羽つぶてのようによぎって
 ベンチにとまった
 傾いていく日影が
 ほこりっぽくみすぼらしい温かさで
 松の頂を照らしている
 また一羽雀が来て
 離れたベンチの後ろにおりた
 やがて陽は雲にかくされ
 わずかなほてりもさえぎられると
 にわかに夕方のうそ寒さが予感される
 
 マルコはポケットから古びたチョコをあさり
 一かけらを時間をかけてしゃぶってから
 のろのろと立ち上がった
 雀たちはとっくにどこかへ飛び去っていた
 人々が明日の仕事のために
    家路へつく頃であった
 マルコは駅へと足を向ける
 彼らの靴音の立てる
    軽快なリズムを聞くために




作品名:ネロポリスU 夜男爵詩集後編
作者:夜男爵(バロン・ナイト)
copyright: baron night 2011
入力:マリネンコ文学の城
UP:2011.3.7