夜男爵の部屋

第8夜 Anschauungen ―散文詩集

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夜男爵の詩を愛するごく少数の人のために、草稿の中から詩と呼ばれてよいものを集めてみました。アンシャオウンゲンとは<見る>ということです。見ることに主眼をおいた散文詩集です。(H.C)


          Anschauungen ― 散文詩集

                      夜男爵 作



緑の丘の斜面に真っ白な猿の首が載っかっていて目を閉じている様が寝ているようだ。鼻先が垂れるくらいに長くて間がぬけて見える。その右隣にはゴリラの首がそっぽを向いている。青い格子縞の肌なので何か魚のようにも見え、そう見ると確かに口のあたりが魚である。ゴリラの頭の上にはやはり水色の、くちばしの長い海鳥が顎を休めている。丘はそれらの物言わぬ記念碑の下で緑の草と橙色の花とを踏みしだかれくぼんでいる。また猿の首の左には甲羅をなくして膨れた餅のようになった真っ白い亀が、今にも歩みだそうと首を長くしている。その左斜め上から丘のなだらかな稜線にかけて石灰岩のでこぼこと露出したところがある。そのはずれに上半身を丘の向こうに隠して、衣服も肌も真っ白くなった一人の女がうつぶせに倒れている。膝の少し下まで来る釣鐘のようなスカートから並んだ太い両足が半分まで見えて、あとのくるぶしから先は石灰に埋れている。それは捨てられた人形のようにも行き倒れのようにも見え、この丘の上のすべての静止したものたちが見捨てられた廃物のように見えるのと照応していた。


嵐が踊りながらやって来る トントン足を踏み鳴らしてやってくる かすかなかすかな足踏みが 次第次第に 狂ったような高潮に達して 乱舞して力つきる 彼はびっこの老人のように見える 歩みのたびに右肩が踊り 左肩が踊り ぎくしゃくと人形のようではあるが 彼の老いたる身を突き動かす 歓喜の甦りを もはや抑えるすべはない 酩酊の風が耳もとで歌う そそのかし からかい ただ無邪気に 彼の存在を笑う 彼は踊る 踊る 踊る 悲しみが足踏み鳴らし 彼の肉を突き破る 遠く 遠く 確かな足どりで鳴っている それは盲目の希望 この瞬間における実現 くり返しくり返すことのほかに どんな望みがあろうかと
      (ヴィヴァルディの海の嵐に寄せて)


意識と眠りとの間の不用意な魔術的時間 感覚が遮断されるとともに一時的にかえって実在の機能が高まりをみせる 目の中の黒い闇を見つめると奥深い夜の大空となって広がる その時ならぬ堅固な広大な空間の意識に眩暈を覚えて視線をゆるめる 見つめつづければそこに深淵の奥のもろもろの形が現われてしまうであろう また眠りにおちつつある時ふと何かの拍子に目を開けてしまうと 頭の中にわだかまっていた渾沌がそこにもやもやとした白いかたまりとなって投げ出されている 視線を定める間もなくふと掻き消えてしまう 何かを見てしまうことの恐れがそこに残されている


わたしは 海のようなものだ すべてを呑みつくして 静まり返っている さざ波一つ立たない ただ徒労の文字だけが浮かぶ かしこくもならず おろかにもならない もの知りにもならず 知らずとて 知ることといささかの違いも覚えない いかなる努力も ただ広漠として つかむもののない海の中へ没してしまう 記憶や思い出に なんの頼りがいがあろう 時々わたしは風景を収める枠が欲しいと思う それはただ今を生き 今に連なることのほかではない 過去と今とを反復の鎖によってつなぐことである  そうしてたいていの人は職業という重い錨を海の中へ投げる その重さによって過去とつながる その動かない船が一生と呼ばれる わたしはわたしの過去に反復の錨を投げることができるだろうか おそらくわたしは 一生という名の船を持たずに終わるだろう 臨終の時にも 相変わらず海のままであるだろう わたしの海になれ親しもう つかむもののないその中へ 今を次々に投げこんでいこう その瞬間だけがわたしの命である


解け残りの雪の上には釣人の足跡が印(いん)されている。その雪の上に板を敷いて腰を下ろした。傾いた陽射しは背後から向かいの岸を照らして、すでに夕の気配と影が雪の残ったこちら岸の冷ややかな空気の中に感じられる。向かいの切り立った岸は今光を真向かいから受けて、黄色みのまさった褐色と笹やそれに似た名も知らない常緑の植物の緑に燃え立っていた。その波うつ縁取りがそのまま流れの静かな水の上にさかしまに倍化されて、それはほとんど区別のつかない透明さで上下に連なっているように見えた。ただ水面下の像はほんの微かながらちらちらと揺れているようで、あざやかな青空ににじんでいくように思われた。青空は川の中ほどで急にかげりを増して黒ずんでいった。影の国と光の国の境がそこにあるようだった。向かいの岸に立つ黄色と緑のふくよかな面上に、ときどききらきらする光の縞が陽炎のように立つ。岸に近く小さな鳥影が一つ、二つゆっくりと移動している。かいつぶりの夫婦であろう。その立てる水のわずかな乱れが、陽炎となって岸の面上に映るのである。不意に子供の声がどこからかした。それは頭の上の今下りてきた岸の上から、枯れ葦の間を抜けてくるように聞こえたが、川岸で聞く子供の声の方向ほどあてにならないものはない。それは時によって魔法をもたらし、また実にそっけなく魔法を破る。


夜の中に青ずんでいく遠い山並の中に、なにやら奥深く死の惧れがひそんでいて、心をいたく沈ませる。それは遠い憧れでありながら、その黒ずんだ青の中には不思議な罠が隠されているような。古代人は夜の黒い山影の中に死の国を見たことであろう。そこの奥深い暗闇の中にこそ、生の絶対的否定としての死の帰属する場所を見たことであろう。その限りなく心を沈ませる惧れがまた不思議なエロスとなって、憧憬をいざなうのはなぜであろうか。死の国はまたそこから生の湧き出てくる国でもあるからか、あるいはまたエロスこそは死の国へといざなう死出の鳥でもあろうか。姿の見えない不吉な鳥の声の暗い空から降る夜の山道を人里へと下りながら、闇夜よりもなお黒く空を限る山影の中に、古代人の想像に深く刻印したであろう死の威容を見た。


森の奥深くあちらにもこちらにも縊死者のぶらさがっている場所がある。窪地や茂みの陰さえあれば、巣籠もる鳥のようにそれぞれの死に場所を求めた者たちの姿がある。その死に顔は悲しげであるよりも、なによりも滑稽だ。しかめ面をした顔、歪んだ顔、間のぬけた長い顔をしたもの、天を仰いだもの、いぶかるように首をかしげたもの。どれも皆日々一様に身の丈を伸ばしていく。上着やズボンのポケットは皆裏返され、足元には彼らのこの世の最後の持ち物が散らばっている。彼らにとって用のないばかりか、誰にとっても用のないものばかりが。女の縊死者はどれも衣服をはがれ、セーラー服や下着やスリップがあちこちの茂みにひっかかっていたりする。なかには地上に下ろされ陵辱をものがたる無残な姿勢で枯葉の上に横たわるものもある。まだ春浅い森の中には冷気があふれ、腐敗のかすかな臭いは腐葉土の甘美な発酵の中にまぎれている。やまつつじの蕾のまだ固い頃、森の奥には縊死者の列が一斉に花開くのである。


わたしの中の渾沌として渦巻くものをバターのように攪拌すること そこに形をとって現われるものがわたしの決断である 一つの観念の糸をたぐってわたしを動かすことは気が利いている上に面倒がない バターのわたしからはためらいと悔いとがいつまでもわたしの足をとらえて 底なしの中へ引き入れてやまない けれども瞬間に決断しなかったこと 逡巡とためらいが結局において正しい答えを出してはいなかっただろうか その瞬間にバターとなったわたしが躊躇したことは 結局においてわたしにとっては何ものでもなかったと わたしの中で振られるさいころがわたしにとって最も正しい決断ではないか そして悔いは結局のところわたしを信じられないところからくる迷いである バターとしてのわたしが決定するものを目先の観念によってくらまされることである 何と多くの無駄がそこから犯されたことであろう


私の心の底には絶対の虚無がある わたしが何を行おうとどんな喜びを持とうと それらはしばらくの間わたしの虚無を見えなくする気晴らしにすぎないではないか 仕事や労働や稼ぎなどはただわたし自身の虚無に無関心になるための しかもわたし自身の虚無によって鼓舞された自己否定ではなかったろうか 金銭は最もよくわたしの虚無を隠す手段であった わたしの読書もまた果たして一時の気晴らし以上のものでありうるだろうか 絶対の虚無に代わる絶対の価値をそこに見いだせるだろうか すべては すべての価値は相対的である わたしはその気になればなんにでも どのようないとなみにも一時的な興味をいだきうるだろう 興味とはすなわち気晴らしへの要求に過ぎない わたしは真剣さを探してはいるが すでにその探すことにおいて真剣さを失っているのである わたしのあらゆるいとなみは絶対の虚無から出でているからである そしてすでに相対的なことに区別を立てることすら無意味であると言わねばならない いかなる努力も結局わたしの虚無をいかんともすることができないからである ヘーゲルを読むことと小説を読むことといかなる違いもないはずである 知を働かせることと情を働かせることとはともに私の虚無をおおい隠すためのいとなみに過ぎない わたしが前者に価値をおくのは単なる虚栄の心である 虚栄もまたわたし自身をよりよく気晴らしさせるための手段である 絶対精神も愛も窮極の認識もわたしの底なしの虚無の淵に呑みこまれて姿も形もないではないか わたしはむしろ虚無なるが故にそれらを求めるのである あらゆる欲望や希望や生活の充足もまた虚無によって動かされたわたしの自己忘却の喜びにほかならない 虚無は底なしであるから絶えずそれは満たしつづけられねばならない 虚無を満たすことにおいていかなる価値の違いがそこにあろうか それはただ虚無の隠されている時間の長さによって測られるに過ぎない いかなる生き方においても虚無が遅かれ早かれ顕わになるものであるならば あれこれの生き方の間にいかなる価値の違いがあろうか 価値の差こそ虚無の現われにほかならず あらゆる価値が相対的である以上虚無の現われでない価値は存在しない それゆえに人生のあらゆる転変盛衰は人生の価値そのものに何らの違いをもたらしはしない それは虚無の現われが姿を変えるだけのことである 希望を果たして終わった人生と果たさずに終わった人生とどれだけの価値の違いがあろうか 希望が希望としてとどまる間はそれは絶えず充足の夢によって満たされている虚無の姿である 希望が現実の充足によって満たされた時それはもはや追憶のほかには充足を知らぬ虚無の姿である そして追憶にすがればすがるほど虚無は顕わとなっていくであろう そして新たな希望によってその深淵を満たさねばならないであろう かく虚無によって走らされながらわたしはまた虚無に対して開き直ることができねばならない それをふさぐいかなる絶対の価値ももはや見い出されないのである以上 わたしはむしろあらゆる価値を相対のものとする虚無に賭けねばならないであろう その時虚無はわたしにとっての絶対となる 絶対の虚無はわたしの中のただ単なる真空であるが そこから逃れようとする反発の心において否定と映るのである 虚無を満たそうとする価値の立場において無なのである けれどもまさに無の立場に身をおくならばあらゆる価値は等しいものとなり無の前の無と化すのである そのとき虚無は逆転された絶対の肯定である 虚無はあらゆる価値を呑みこむことによって絶対の価値となる 神や絶対精神でさえ虚無の前には相対的な価値である 絶対的価値としての神は他のあらゆる価値を相対化して無と化さしめるが 無そのものを相対なものとすることはできない 神の絶対の価値を求めていく時むしろそこに無が現れてくるのでなければならない 神の愛は虚無であるが故にあらゆるものを受け入れることができる そこからあらゆる相対的価値を生み出すことができる 虚無から逃れることは神から逃れ絶対から逃れることにほかならない そして虚無こそは神の絶対の姿であると言えよう 神においてはもはやあらゆる希望が絶えるのでなければならない さもなければ神の愛は無の前に相対的でしかないであろう 無こそ神でありわたし自身である

10
わたしは過去からあるいは過去において、今に残る何を学んだであろうか。私の唯一の職業的時期においては確かに豊富な経験内容に富んだ活動があった。けれどもそれらは何一つ将来を支える根とはなり得なかった。根本においてそれらはすべてわたしの否定されるべき方面の発現に過ぎなかった。確かに最もポジティヴな方面である人づき合いのよさにしても、それはむしろ私の本質の発現であるよりも、わたしの否定において私を発現するといういかにも依存的な生き方にほかならなかった。そうした依存的な心がけでの生活が私自身の内面を支えるよりも眠らせる結果に終わったのは、わたし自身をわたしを取り巻くエレメントの中に埋没させてしまったからである。少なくともそこには二重人格的な狡猾さと融通が必要なのであったが、あまりにも深く依存の中に没入してしまったのであった。そこで得た認識や習性は従ってほとんど普遍的な価値を持ち得なかった。なぜならそれは閉ざされた世界での甘えの関係であり、他の世界との接触においては通用しないもろさを露呈するからである。それは内のみがあってほとんど外のない世界であった。わたしの得た習性はほとんど内の関係に過ぎず、そこにそれが社会的普遍性を欠く根本の欠陥があった。

11
かたまった雲のない青空の部分にも ヴェールのように薄いまくがかかっていて 空全体が水蒸気の層からなるような感じを与えた そのために空の青は立体的な柔らかさを感じさせるのであった 目を南のほうへ転じると地平の上を横に長くのびる雲が重なりあっている それはそれぞれが地平を四分の一周する大きさの なにか生き物の横たわる姿に思われる 上に重なる姿は奇怪な魔物のように思われ 下にそれを押しのける古代の老いたる預言者の姿があった その預言者はまた二重の顔をしていて 狷獪な容貌にもまた横たわる浮浪者のようにも見えた それはブレイクの版画そのままに思われた 目を北西の方向へ転じると そこにはうって変わってふくよかな綿雲の作りなす うさぎや犬のぬいぐるみの世界があった 青空を見あげて見つめていると その真ん中にふと翳のような部分が生じてくる それは目の中に隠されている黒い内的なあるものなのだが それを探しているうちに青空の色そのものが翳りを帯びたことに気づいた 西の方を見ると荘厳な落日の景があった 茜色に染まった雲よりも まず西の空の中ほどにかかる明暗の乱れた斑紋を渦巻かせている壮大な雲塊が目を奪った それはどこかの星雲を間近から見たような宇宙的な啓示に満ちていた このような雲の感情をどのようにして捉えたらよいのであろうか それは明暗の細部の一つ一つのつぶの中にはなかった それらをつらねた綜合の感情の中にも何ものかが失われるようであった それはいずれかに感動がかたよってしまうからであるように思われた そして目を落日のあとを追って沈ませた時 そこにはターナーの世界があった そこでは雲と雲との間の青空は二段の色彩に分かれていて 地平に近いほうは 水色という言葉がそのまま色の本質をなしている 流れるような溶けいるようなお伽の世界のはかなさがあった 日の沈んでいったあとには にわかに山並の上の隠されていた黒い山並が姿を見せたかと思われるような遠い堡塁が現われ その形が少しずつ移ってゆきさえしなければ 確かにそれは光明の陰に死を予感させる不吉な山影であったにちがいない 地平の下から射す光の加減で白く輝いたり翳ったりをくり返していた雲塊に やがて墨色が流れ 墨色が濃いねずみに変わっていく 西北の地平をかえり見ると すでに脅かすような夜の色が雲を呑みこんでいる そして不思議な逆説のように 東南の低い空に重なりあっていた悪魔と聖者の背後からは どこをどう反射してきたとも知れぬ落日の名残りが そのすそを茜に染めているのが見られた

12
過去はそれ自体として空白の空間でしかなく、記憶の中にはなに一つ充実した手ごたえを与えるものがなく、すべてを呑みこみ透明に静まりかえっている。空虚のふちにただ悔いのいらだちだけが、それとても小さな棘のように、ひき裂きもせず抜けやらぬままにいつまでもふるえるばかりである。記憶は決して人生を満たすものではなく、記憶もなく生きる動物が最も充実した存在を感じているであろう。過去の栄光も名声も業績も、現在の充実によって支えられていなければ無でしかない。失意のナポレオンにとってかつて皇帝であったことがいかほどの意味があろう。悔いさえも空々とした愚痴に過ぎないであろう。それはただ棘のように空虚の中にふるえる波動となって、空虚の形を描きだすに過ぎない。過去はただ現在によって、また未来によって忘れ去られることによってのみその充足を見いだす。いたずらに過去の意味を求めることで過去は空の中に孤立するであろう。

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人里からほど遠からぬ小山の連なる地帯のはずれの辺りに、木の取り払われえぐられたような地肌を露わしているある低い山があって、そこには夜になると不思議な怪物が出るという噂なのであった。数人の連れと山道をそこまで登ってみると、なるほど山肌の大部分が工事現場のように無惨にえぐられていて、何かそこに秘密のたくらみでも隠されているように思われた。すその藪に隠れるようにして夜を待ち、やがてくら闇となると、なにやら山の脇腹に巨大なものが動き回る気配があり、驚くまもなくそのものの二つのまなこが煌々とした輝きを放って地上高く睥睨しているのを見た。どのようにして逃れたのかは知らないが、翌日ふたたび来て見ると、一台のブルドーザーが置かれていて、それが正体であるらしかった。あの爛々と輝くまなこを思いだして、なんだか物足りない種明かしに思われた。

14
大きな流れ星を見た。頭の真上いるか座のあたりをまっしぐらに南に落ちていった。一瞬の蒼い閃光のあとに蒼白い煙が残って、蛇のようにくねってしばらく見えていた。そしてあとにはまた何事もなかったように、暗い空に変わることのない星座がまたたいている。西の空には沈みかけている半分の月が、古いランプのように親しげに懸かっている。道端の暗がりに待つ宵草のシルエットが並んでいる。その花の付いた頂を手探りに折り取ろうとして、爪を立てた時、断末魔の悲鳴のような叫びをキーとあげた。不吉な気がしてためらったが、すでに半ば首は折れていた。もぎ取るよりほかはない。待つ宵草よ、君はなぜキーと啼いたんだね。街灯の明かりで見ると黄色い花が生首のように生々しい。

15
人のいない堤の下の小径を昼下がりの薄日を浴びながらどんどん歩いてゆくと、径はしだいに草深くなってゆき、灌木の陰をぬけてゆき、ついに細い流れに先を閉ざされてしまっていた。あとに戻るのもまた堤を登って横手の畑を抜けるのも不愉快であったから、しばらくその細い緩やかに流れるあまり深そうでない、底の土にはいろいろな虫の潜んでいそうに見える誘惑的でない小川のふちに立ってためらったのち、靴をぬぎズボンのすそを膝の上まではしょり、そろそろと水の中に下りた。裸足の足の底にやわらかい泥の感触は思ったより心地よく、狭い流れをすぐに渡ってしまうのが惜しいように思われた。向こう岸は流れ着いたゴミなどが堆積していて、水の中にいるより汚らしく感じられた。しばらく土の上に坐って足の乾くのを待ち、それから靴をはいて途切れた径があたかもそのままつづいていくかのように草の上を踏みならした径をまたたどっていく。旺盛に繁茂した川原の草のいきれが秘密の世界の情欲をささやいて、妙に心楽しくさせる。径はロータリーのような草むらをめぐって左右に分かれる。ためしに左へ踏み出すと先に車の止まっているのが見える。出口をふさがれたような不快を覚えて右の方向をたどる。案のじょう径はこの地点で合流している大きな流れに向かって、先は足を踏み入れるのがためらわれる泥の中に消えている。そこで少し戻り、草の中を細い径が川の方へ伸びているのを見つけておいたその小径に入り、腰ほどもある草を分けて、わずかに釣人の通るらしい跡をたどっていくと、また小さな流れに先を閉ざされていた。けれどもそのすぐ先には本流があって、姿は見えないが石の川原の広がっているので知れる。靴をぬいでみずすましでも泳いでいそうなほとんど止まった水を渡り、草の間を数歩もゆくと、大きな流れが潺潺と瀬をなして奔っていた。そのそう深くもなさそうな流れに足を入れて、片手に靴をさげ、ゆっくりとかち渉る。渉ったところはちょうど川と川とが合流するところにできた三角形の洲をなしていて、三方のどこから来るにも水を渉らねばならない。その安心感が心地よい漂流者の気分にさせる。陽射しに温まった川原石の上に腰を下ろし、水の流れる音に世界から隔てられているような思いがして、好奇の目を懼れる要のないのをさいわい、そのまま大の字になって、目に当たる日の光を腕にさえぎってうとうとしていた。顔を横に向けるとすぐそばを浮きつ沈みつ踊りつつ、しなやかな不思議な塊りが絶え間なくのたうっている。その一方の側を縁どって緑の柱がどこまでもすうっと伸びている。しばらくそれが対岸の灌木の緑であることを忘れていた。不透明にのたうっている動きの塊りが川水であることも忘れていた。すると絶え間ないせせらぎの中に子供の声が混じって聞こえるように思われた。いつものあれだろうと思って気にかけなかった。それでもいつまでもつづくようなので気になって顔をあげて対岸の繁みを見た。子供の姿はない。また横になってしばらくするとせせらぎの音が子供のしゃべる声に聞こえだす。とうとう立ち上がって向こうの繁みを見ると子供が二人驚いたようにこっちを見て、慌てて繁みの中に隠れてしまった。なんだか興をそがれたようで、靴を手にして川原を歩きだした。川を遡ると流れはゆるくなり深くもなさそうなので、その誘惑的な水の中をどんどん上流へとおし進んでいった。

16
道の端のコンクリートに腰を下ろして棘のついた枯れ枝の端くれをなにげなく拾って、その堅い棘がなかなか欠けずに本から取れてくるのを爪の先でもてあそんでいた時、なにか小さな黒い塊りが水門の陰から急に落ちている小径を転げるように走ってくるのが目の右角に映った。それは真っ黒いいかにも小さな動物で、生き物よりもぬいぐるみが発条じかけで跳ねているように瞬間思われた。それは無心に短い坂の途中まで下りてきて、ふと顔を上げて立ち止まり、そこに人のいるのを認めて、たちまち回れ右をしてもと来た道を水門の陰へ走りこんでしまった。その人の姿を認めて立ち止まるまでの数瞬の動きがいかにも無邪気なおとぎ話のようだった。彼は人の通う道をわが道と心得て、いったいあの跳ねるような足どりでどこまでゆくつもりだったのだろう。彼の予定は思わぬ邪魔が入ってすっかり狂わされてしまったのである。針槐の下から腰を上げて水門の上へ出てみると、草深い川岸のどこに隠れてしまったとも知れない。代わりに女のなにやら掛け声がして、うしろに子供を乗せた中年の女がリズムをとって自転車をこいでくる。それを背に聞きつつ先へ歩いていく。

17
覚醒と眠りのはざまに、夢とも思惟とも想像ともつかぬイメージが、眼前に見るようなパースペクティヴを与えられて現われることがある。意識は半ば眠りながら、空間表象の働きだけが眠りにとり残されて時ならぬ内面の世界の外界への投影を行っているのであろう。そのような瞬間には思惟はあたかも他者の声となって思いがけぬことを語りかけ、想像はそのまま実在を見るような世界となって眼前にありありと浮かびでる。意識はそれが目を開いた状態において見ているものではないことを知っている。明瞭な距離の観念がかえってそれが実在ではないという疑念を生む。眠りにあることを知っているだけに、またそれは完全な夢でもない。いわば空間表象の夢の世界への誤った適用とでもいうべきものである。このような状態において以前に見たものの一つ。――夕暮れ時のような空を背景に低い山が二つ連なっている。山はシルエットのように暗くなっていて、どこという特徴もないのである。木々は針葉樹であろう暗い中に不思議なくらい一本一本の輪郭がはっきりして、刈田のように突きたっている。それはなにか顕微鏡で見るような微細なところまでが目を凝らしさえすれば見えてきそうなくらいだった。両方の山には送電線の鉄塔がそれぞれ立っていて、それ以外には、いやむしろその故になんの変哲もない低い山だった。けれどもその光景がすぐそこに手に取るように見えたためであろう、そこになにか求めているものが隠されてでもいるような刺すような郷愁を覚えた。それと同時にそれが実在の山ではないことの意識が生じ、目を閉じているおのれに気がつく。

18
夕空を背景にした黒い山や森やまた一本の喬木であっても、それらの光景の中には魔力に近い郷愁をそそるなにかがある。ふと通りすがりに、それはできれば知らない町であるとなおさらだが、夕空のわずかに残った光を背景にぽつねんと立つ一本の欅の木を認めた時に、そのシルエットの暗示するどこか知らぬところへたちまち錐のような痛みが突き抜けていくのを覚える。それは一瞬に近い短い時間であって、たった一度の緊張で糸が断たれてしまったかのように、それがなんであるかを見つめる間もなく消え失せてしまう。その感情がまさに絶対の徒労であることを自ら知っているかのように。ただ残された悲哀とともに歩み去るほかはない。この光と闇とのかもしだす対照の思いがけない効果は、必ずしも黄昏時の空を背景にするとは限らない。ある時、林のうしろを通る道路の灯火で空がかすかに白くなっているその背景に、木々が一つの塊りとなってなにか黒々とした墳墓の丘のように見えていた。それに斜めに向かって歩んでいる方向と相乗して、あたかもその中に帰っていく懐かしい場所のあるかのような心の寒々とした昂揚を覚えた。おそらく光を背景にして影のリアリティは増すのであろう。影は実体性を帯びて心の中のやはり影のように普段は実体性のないあるものと呼応する。形のないものが形を求めて飛翔する。その飛翔の痕跡が憧憬の痛みとなって奔るのである。光を前にして夜空そのものもまた実体性を帯びてくる。現象と本体との関係について思惟しながら、ある夜町外れの車通りを歩いていた。道が広々とした田んぼに出るところでふと見あげると、灯火で明るくなった空間とのきわだったコントラストをなして、初冬の晴れ渡った黒々とした鋼のような空が圧倒的な実在感を帯びてこの世界に覆いかぶさっていた。Ding an sich ! と思わず口にしたのは、それはその響きがそのまま天空として実在化したかのような錯覚を覚えたからである。それは実際は Ding an sich についての啓示ではなかったが、空間そのものさえもが光と影の戯れの前に物として現われてくることの一つの例となろう。

19
水瓶座のηζπγでつくる矢はずのような形のζηを延長したすぐ先に、レンズの曇りかと思われるかすかに滲んだ微光星があった。他のかすかな星と比べると確かにぼーとした広がりを持っているので、これがハレーなのであろう。たまたま目立つ配列のすぐそばにあったので容易に見つけられたが、もしもっと星のまばらな場所にいたら、勘で捜すだけでは相当に手間がかかったであろうと思われるほどの淡い姿である。七分方円くなった煌々と照る月の明かりのためもあろう。ペガサスの四辺形もために影を薄くしている。

 <影おぼろ ただひと度を 夢の日々>

20
弥生のある日山道をいく。風景の開けたところへ出ると心が昂揚する。その昂揚をなにかに留めておきたい気がするその端から、すべては刹那であると思う。立ち止まればすぐに退屈が待っている。刹那に燃えたものを刹那にほうむる。ただ記憶とイマジネーションが残る。ささやかな流れに沿ってささやかな滝に出る。名ばかりのと思い笑った心はその落ちる水を見て不思議に魅せられる。透明な塊りが押し出され押し出され落下する重力のミステリー。気持ちが不思議に明るくなる。さらに山道をゆき、湖のはずれの駐車場の上に出る。木々の間から見ていると、人の群れの中から見あげた若い女がいる。その時ふと、かつてこの女のようにあの場所からこの山の木々を見あげていたことがあったような気がした。その時の感じが甦るような、そしてあの滝からここへ来る道々もあの滝を訪れた昔のことを想像していたのである。帰り道、下りてきた険しい斜面を登っていく途中に、先にすれちがった登山者の手にしていたなんの木かつるつるした枝が落ちていた。すると彼が長く道連れにしたであろう友を投げうって、俄然這い登りだした姿が浮かぶのである。

21
葉を落とした枝の間から見えている白壁の所どころに、気のせいかかすかに黄ばんだ色彩の反映のようなものが映っているのに気づいた。気になってレンズを通して見ると、枝のあちこちに新芽が吹きだし始めているのである。肉眼ではそれがあるかなきかの黄色っぽいけぶりとして白い背景の上に漂っている。気がつけば雨の中にみずみずしい緑が目に媚びるように萌えだしている。花が過ぎて初めて春の勢いが胸をさわがせる。ふと毎年毎年この現象に気づいていたのではないかと思う。好奇心まで新たであるというのは喜ぶべきことか。ささやかなことであるがために、いつまでも時をおきさえすれば驚けるのであるか・・・

22
雨の中での透明な認識の瞬間、記憶から曇りが晴れて赤裸々な実相がそこに現われてくる。このような認識はその時は強烈ではあるが、すぐに意識の習慣のかげに隠されてしまう。その一つ、将棋の駒と人生との関係。駒はその動きが盤上において決定されている。その動きを何手も先まで読むことが将棋のコツである。けれどもその読みが本能的に嫌いであった。それというのも駒の上になにか独立した神秘な意思のようなものを想像していたいのである。それゆえに考えることを厭うたのであった。そのことはわたしの人生についての考えそのものであった。盤の上で動きを定められた駒であることを拒み、常に自由な飛躍的存在であろうとしたのである。それゆえに将棋において下手であるとともに、人生においても下手でなければならなかったが、上手な人生に少しも未練を持たなかったのである。少なくとも将棋の駒ではない・・・。またひとつ、コモとの一件はいかにも気違いじみた一人芝居であり、見通しのないことであった。それが人生の過去への見通しの中でありありと実感される。おそらくそのことをコモから聞かされたモコはあの時たしかに妙であった。その気持ちが今分かるであろうか。たしかに哂いはしなかった。それが救いではないか。それにしても何一つ見通しのないことではあった。それゆえにかえって向こう見ずになれたのであろう。

23
あるものを一人だけで楽しみたいという烈しい欲求から、ほとんど罪悪の意識もなく盗みに近いことを働いていた少年の頃。その動機においては純粋であっても、公の立場から言えば他人を顧みない自己中心の欲望、まちがいなく泥棒の心理なのである。一人の人間の所有でないということが、その意識から盲目にされていた。たしかに個々の人間に対する盗みには罪悪感が働くが、公の所有に対してのそれが希薄なのであった。おのれに純粋であることは、しばしば他に対して無関心であることである。しかも他者の群れの間に敷かれたレールの上をゆかねばならないのである。青少年期の純粋さが薄汚れて見えるのは、かつて見えなかったものが見えるからである。けれどもそれもまた狭められた視点に過ぎないであろう。人生の広い観点から見るならば、とるに足らぬエピソードである。自己自身に純粋に生きることは、一つの防禦の姿勢であり、それだけにまた一層排他的になる。それは他者の間に敷かれたレールの上ではもはや自己自身を維持することが不可能な点までつきつめられてしまう。そこに青少年期の純粋さの悲劇がある。彼はいまだ自己自身において自足するだけの自己における豊かさを持たないからである。

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いろいろな樹を見ているとある名状しがたい感覚にうたれることがある。とりわけまっすぐに伸びようとする樹々には特別の感じがある。必ずしも高樹にかぎらず、重力と反対の方向へ細々とかよわく伸ばした腕の先にどこかほこらかにゆれている広葉、その感覚のいわくをことばにすることができずにいる。そこにはある単純にして明快な意志が感じられる。それが実にあからさまに空を背景にした空間へ上昇の線として描かれるのである。人間の曲折した心情がとても思いもよらないあっけらかんとした大胆さで、人間のある意志の方面がそこに目にみえる形で実現されているのである。それはただ嘆じるほかはない単純さである。樹の感情は人間にとってあまりに直截であって、ただふしぎな感嘆を覚えるほかはない。樹のように単純で明快でありたいというのではない。樹の感覚をわがものにしたいと思うのである。樹のてっぺんでゆれている一葉の葉の気持になって共にゆれてみたいと思うのである。それは人間にとっては不可能性の感情である。したがって感傷であるほかはない。

25
自分で自分につくりだした表象におびやかされるということは妙なことである。自己自身の製作をもはや認めることができずに、あたかも他から与えられて自律的に自己に働きかける異物であるかのように、それらの表象をながめる。その原因はわれとつくりだした表象であるとはいえ、表象そのものは自己に固有のものではなく、もともと他より自己の内部に刻印された痕跡であるからである。いかなる表象もまず感覚に与えられ脳髄に刻印されたものの復元でしかなく、したがい派生的、二次的である。またつねに一次的なものの特徴、性質を保持している。想像、夢は脳髄に起因しているとはいえ、意識のうちに現われてくるものは脳髄の無からの創造ではなく、かつて脳髄にに与えられ脳髄が保持したものを内的刺激によって呼び起こしたものにすぎない。呼び起こされたそれらの表象は意識に対して独立した対象としてそこにある。すべてが意識内で演ぜられることは少しの相違ももたらさない。要はあらゆる表象は感覚印象同様に意識にとってつねに外的対象としてとらえられる。表象(感覚と区別された)を呼び起こす原因は私の内部にあるが、呼び起こされた表象に対してわたしはわたしの意識の全体をもって反応する。犬の感覚印象ばかりでなく犬の観念もわたしをおびやかす。犬の観念をわたし自身が呼び起こしたことは、それを対象として反応することを妨げない。かくしてあらゆる表象はその起源が外的内的いずれにあれ、意識にとっては他在である。わたしの考えさえわたしにとっては自己意識の対象である。であるからわたしはわたしの考えに反応するのである。自己意識とは対象として見られたわたしであり、すでに私にとっての他在である。わたしはわたしを意識する時にわたしを他在にゆずりわたす。わたしがわたし自身に驚くことができるのはこのためである。わたしを意識するわたしをわたしは意識できない。意識されたわたしはすでに対象であるところのわたしであるから。・・・・・・わたしが巨大化した鶏の群れにおびやかかされたのもむりからぬことであった。庭にはかれらが土からわいた兵隊のように数をましている。いったいかれらが大きくなったのか、人間が小さくなったのか。そんなことをいぶかりながら逃げまわっている。かれらの堅いくちばしで乱暴につつかれて、砂嚢の中へのみこまれた人間どもは、いったいどんな気分であろう。胃袋へ達する前に絶命していればまだしも・・・

26
ちっぽけな古本屋でホーソンの文を集めた大正か昭和初期のテキストを見つけた。カバーは関係のないものをつけてあって、三百いくらの値がついている。それをさり気なくはずすと、下には160円の値がかかれたままである。当然そちらのほうでなければならない。内容をみると紀行文や old manse から抜かれた珍しい随想ばかりである。この国で出された教室用テキストでなければ手に入れてもよいのだが、すぐに買う気にはならなかった。こんなものが昔出されたというだけがゆかしかった。そこから隠遁者と海辺とメランコリーが匂ってくる。160円でも躊躇されたのには、全くの一文無しに近い状態だったからだ。浮浪者や失業者の集まる界隈の半ば慈善で行われている食事や生活品を最低の値で給する施設においてさえ、群がる底辺の者たちが顔や身なりはやつれて薄汚れてはいても、けっこう陽気に物を食ってしゃべりあっているのを、ただ見ているだけであった。その数日前までは、まだある母娘の家に書生同様居候をしていた。ただ飯を食うだけのために母娘に頤使されていた。だれ一人身寄りもなく、この母娘に拾われて、ただ大学へ入ることだけを目的に生きていたのである。働くということは全く頭に浮かばなかった。この家を出ればただの浮浪者であって、浮浪者をやとうものはこの広い世界といえども皆無であることを、知り合いの浮浪者から聞き知っていた。その男の食いものの入ったビニール袋をある時のぞいてみると、こぶしほどの飯のかたまりが死んだ蝿といっしょに入っていた。手でつかんで取りだすとぼろぼろとくずれて、まるで泣きたい気持そのままであった。その飯をいつかは蝿といっしょに食わねばならないのだから。

27
タンポポを径の傍らにたえまなく見つついく野。冬枯れの野にあるかなきかの紫をたった一つ心細げにともらせていたおおいぬのふぐりを見つけて、手を出しかねたその loneliness はいまいずこ。やがてからすのえんどうが貪欲に草莽のこころざしをはびこらせる。たんぽぽは老いて白頭を悲しみ、日盛りになずなの群れはすでに喪心して途方にくれている。亡者の群れ、猛く命短く、はるののげしは気づかぬ間に散った。きつねあざみはいつまでもあざみ、はるしおんはうなじをたれる。うなだれて春の空白をひたすら悲しむ。じしばりは空位をうかがう僭主、小雨に濡れたははこぐさはおしろいに恥じらいを見せるひもつきの女官。楚々たるのぼろぎくには短い春をとりおさえる爪がある。一朝羽化して虜囚の身をはなつ。見送るつばなのぬきんでた首。五月晴れのある日、すかんぽが赤茶けたこうべをつらねる径をすぎて橋のたもとから堤にのぼると、堤の両なぞえには今をさかりに紫ののあざみが咲き競っていた。春の最後のほこらかな帝王、のあざみはしばらくつきない。間に王朝の興亡をどこ吹く風と、坊主頭のこうぞりな(髪剃菜)。堤を下りて雑木林に入り、はりえんじゅの白い花の匂う下でしばし休らう。

28
述べもせず創りもせず、ただ自己自身の鏡であるような作物。なによりもストーリーテラーであってはならない。ついでモラライザー、ティーチャーであってはならない。自己自身に対してのみ語る時、あらゆる嘘やつくりごとから免れうる可能性が少なくとも最大限与えられる。

29
ガラス戸の外には透明な陽光が結晶している。そよとの空気の乱れはない。のきばに近く三匹の鬼ぐもが黒い団子のように寄りそってぶらさがっている。なにやらふわふわと落ちていくものがある。透きとおっつた昆虫たちだ。今生まれたばかりのようにたよりなげに天からふってくる。そのうちの硝子の線のような一匹のかまきりが、地にたどりついたところで、そこにはすでに地上生活をけみして獰猛となった他のかまきりが待ちかまえていて、新来者のひ弱な細い頸に襲いかかったのである。かすかな抵抗をなしえたところで、生存の法則の前になんの効果があろう。彼は生まれたばかりですぐさま仲間の生存のために餌食とならねばならない。彼の頸は大地に触れて、茶色がかったきりんの頸のように優美に倒れている。またのすりがとんびを襲ったことがあった。とんびは空中で居直って、逆襲の姿勢をとった。ちょうど犬にふいを襲われた猫のように。



作品名:Anschauungen -- 散文詩集
作者:夜男爵
copyright: baron night 2012
入力:マリネンコ文学の城
Up:2012・11・10