大島を出てから5年経っちゃいました!
伊豆大島は、広いです。東京から、近いです。(当たり前です、東京都なんですから)
便利です。
およそ30年前の三宅島にしても、10年前の母島にしても、内地と比べると、それぞれ『やっぱり島だから』
というような生活でした。
でも、大島では、そうそう『う〜〜〜ん困った』という状況に陥らずにすんでます。
主人は仕事がありますが、私は、ここではまったくの放し飼い??状態です。
正直、慣れていません。
でもまあ、のんびり、自分の時間で島を体験できるのですから、楽しもうと思っています。
2012年
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7月 7月20日 「伊豆大島に行く」 もしかしたら、また島に行く、そんなこともあるのかと思っていたけど、とうとう来ちゃった…って感じです。 で、ここに大島でのあれこれを書こうと思っています。 とりあえず、ってことで、この先、いろいろ工夫してみます。 どんなことに出会うか、わくわくとドキドキですが、その前に引越しという大仕事が待ってます。 まずは、それをクリアしなくっちゃ。 なにを持っていく? 引越しの選別作業、というより、前の引越し荷物の片付け、状態です。 母島から持って帰った荷物が約8年間眠ったまま、だったりして。 「かあさんは捨てられないからね〜」 と家族にいわれながら、しかたないでしょ、どれもこれも大切な思い出なんだから、とつぶやく私です。 引越しって、なにもかもが『0(ゼロ)』になってしまうんですよね。極端かもしれませんが…(^_^;) また新しい人間関係を築くためのエネルギーは大きなものが必要です。 そんなこと、わかってるのに、いつまでこんな生活をするの?と、引越しを否定的に見ている自分がいます。 そうなんですよね、わかっていますよ、そんなことは。 でも、でも、でも、新しいことに出会うチャンスも広がります。 同じ人生だったら、いろいろなものに出会いたい、そういうチャンスがあるならチャレンジしたい、なんて、大きな声でいうにはちょっと恥ずかしいけど、結局、好奇心には勝てないんですね。 で、心のよりどころは、机なんです。 使う使わないは問題外です。『ある』だけで、いいんです。で、今回も無理矢理荷物に押しこんでしまいました。 あと一週間もすれば、机でパソコンを打っている自分がいるでしょう。 そのイメージは、向こうでの生活が快適なものになる、という大切な心構えにもなります。 なんて、ちょっと構えながら、私の『伊豆大島あんこ椿日記』は始まるのです。 8月 8月22日 ![]() きょうは、朝から散歩に出ました。道がわからないので、海に向かって歩きました。はじめは下へ向かう道だったのですが、途中からどの方向に進んでいけばいいのかわからなくなったのです。 しかたないので、元町港をめざすことにしました。時間だけはたっぷりあるので、のんびりと歩いていると、なぁんとなく『この先、海』みたいな道を見つけ、たらたら下りていきました。着いたところは、仲の原園地というところ。バーベキューができる施設がありました。 空は真っ青! 潮風も心地いい! 島に来たんだなぁ! 8月24日 花オクラの鰹節和え物 ![]() ![]() 大島空港の近くにある『ぶらっとハウス』というところで、花オクラという初物に出合いました。 お店の方が、 「そのまま切って、鰹節と混ぜるのよ」 と教えてくださったので、さっそく作ってみました。 ちょっと、鰹節が飛び散っていますが、味はオクラそのものでした。 花だけど粘りがあるんですよ。おいしかったです。 8月27日 島巡りをしました
9月 9月2日 ![]() 釣れたのは、これ。 あんまり小さくて、ビックリ(^o^) でも、大島での初釣果、主人はボウズだったので、これでも『よし』とするか。 9月6日 インターネットの環境が、ひかりからADSLに変わり、かなり重たくなるかな、と心配しましたが、まずはそこそこの使い心地です。 よかったぁ。 先日、温泉プールに行ってきました。同時に温泉にも入れる作りになっていて、プールのあとは、もちろん温泉に入ってきました。 まずプールは、貸し切り状態だったので、快適でした。コースは3コース。 窓からは伊豆半島がよく見えます。海側は透明ガラスです。また天井の海側が一部透明パネルになっていて、仰向けで泳ぐと空が迫ってきます。外で泳いでいるような錯覚を起こします。さらに、透明パネルに自分が映っていて、空を泳いでいるような錯覚のおまけ付きです。 温泉は、うたせ湯、熱め温めのそれぞれの浴槽に、ジェットバス、サウナもありましたよ。 年間パスポートがあるそうなので、ぜひ購入したいと思っています。 ただし来月10月一ヶ月間は改装のため休館するとのこと。どんなふうに変わるのか、楽しみです。 それから、お気に入りの場所を見つけました。 ![]() 岡田郵便局です。外装もいいのですが、内装も凝っています。お聞きしたら、福島の材木で、福島の大工さんが建てられたとのことでした。 旅の楽しみって、こんなところにあると思います。郵便局としての機能も大切ですが、 『あれあれ』 というような意外感。それが旅の思い出を増やしてくれるような気がします。 これはすべての建物にいえることなんですけどね。 だって、空港・駅・乗船場、日本国中同じようなレイアウトでしょ。統一された美もあると思いますが、そこだけの美も、もっと目についていいんじゃないかと思います(*^_^*) ![]() 郷土資料館にも行ってきました。 島の家が復元されていました。三宅島や八丈島とは床の高さが違います。それとも、ここにあるからこの高さなんでしょうか。 今度行ったときに聞いてみることにします。 資料館では、ガイドさんが説明してくださいました。元学校の先生だったそうで、お話もわかりやすく、楽しいものでした。本も出されているということで、私の愚問にも即答いただいて充実した時間を過ごすことができました。 ![]() それにしても、なつかしいですよね、このランプ。 9月8日 ![]() 三宅島の長太郎池というのは、天然のプールだったんですが、今は2000年の噴火で、地盤が沈下し、プールというほど安全な場所ではなくなってしまいました。 でも、泳ぐのに安全な場所のことを、『長太郎池』と表現すれば、子どもたちもすぐわかってくれますので、ついそういってしまいます。 で、やっと、大島の長太郎池を見つけました。『トウシキ』と呼ばれています。水中めがねとシュノーケルは持ってきたのですが、フィンがほしくなりました。
サカナの子どもたちがたくさんいて、楽しくなります。 三宅島と同じような海の景色にも、うれしくなりました。 9月16日 三原山、初登頂、なんて、ちょっとおおげさ、ですね。 外輪山(駐車場)からカルデラに下りると、ススキに野菊(たぶん)、秋の景色でした。 富士山は雲の隙間から、ちらっとでしたけど、伊豆半島・房総半島もよく見えました。 山の上は涼風が吹き抜け、気持ちよかったですよ。 山肌からは、たぶん水蒸気だと思いますが、臭くなかったので、湯気のようなものがあがっていました。 今朝方の雨かなぁ、なんていいながら、お鉢めぐりをしました。 火口と外輪山との間がかなり広くて、人が住んでいるのは島のフチなんだね、なんて話ながら歩きましたが、足もとが噴石のゴロゴロ石なので、石の上に乗っかって、ズリッ。 気をつけなくっちゃ!
9月24日
『必殺必勝岩』を見に行きました。 その写真を撮りたかったのですが、草が茂っていて近寄れませんでした。 草の中には、マムシ君がいる可能性もあり、自重しました。 まあ、時間はたっぷりありますから、この次、ってことで、望遠でカメラに収めたのですが、よく読めないので、今回は写真のアップもやめました。 23日は、大島へ来て、初めてたっぷり雨が降りました。 で、16日にはなかった、湖が出現していて、カルデラの景色が、違って見えましたよ。 秋の気配がいっそう濃くなったような感じです。 9月30日 28日に、久しぶりに腹話術をさせていただきました。短時間でしたが、楽しかったです。もちろん、ちっちゃいお子さんなので、十分な時間だったと思います。 あれやこれや、いろいろ迷いましたが、10月11日から小笠原・母島に行くことにしました。 7年ぶり、です。 できれば、今年母島に行こうと思っていたのですが、大島へ引っ越したので、これで2年は行けないなぁと、あきらめていました。 ところが、大島へ来てみると、『大島から小笠原親善訪問団』という企画があり、まだ予約を受け付けていたのです。 おが丸が、大島に寄港してくれるんですよ。 「行きたいなぁ」と思っても、大島へ来て間がないので、なんとなくバタバタするのもどうか、というのと、10月19日には内地へ帰る予定があるし、う〜ん、どうしょう、です。 でも、主人が、行っていいよといってくれたので、行きます。私が迷っているときに、そっと背中を押してくれるので、感謝しています。 じゃあ、と、観光だけでなく、プラスをつけたくなるのが、私。 ディサービスにお願いして、腹話術と南京玉すだれをさせてもらうことにしました。 なので、南京玉すだれも練習しています。数年前、東京26市主催のカルチャー教室で習ったんですよ。いっしょに、皿回しじゃなくて、ちゃわん回しと、浪曲手品も教えていただきました。 ひとりでボランティアするにしても、腹話術だけじゃおもしろくないので、『なにか』と思って。 で、南京玉すだれ、なんですが、これ、なかなか奥が深くて、しかもいろんな流派があるようです。 私の先生は吉田流でした。いただいた資料を見ながら、復習しています。 最近は、散歩に行ったついでに、海岸で発声練習と口上の練習。波の音に負けないように、なんて。 いやいや、そんなことより、道具って大切ですよね。南京玉すだれのすだれのことで、実感しました。 南京玉すだれの研究?のために、動画を見ていたら、すだれの動きが、私のとは違うんですよね。シュルシュルシュルという感じで、手元に収まっているのです。あれは、どうなっているんだと。 で、ネットで『すだれ』を探しました。その中に、『職人手作り』というのがあり、さらに蝋(ろう)引きのひも、というのもあったのです。 それを買いました。たぶん、玉すだれの会に入っていれば、そんなことはすぐにわかったのでしょうけれど。 で、すだれの話です。いいんですよ。蝋引きのひも、というのが。しかも、ひもの結び方がしっかりしていて、扱いやすいんです。練習用のものとは別格です。竹の数が練習用より多いんですが、それも気になりません。動きがなめらかで、収まりもいいし、ほんと、いいです。 ![]() 「なに、にやにやしてるんだ」 と主人にいわれたのですが、これを使ってパフォーマンスできるのを想像するだけで、ついうれしくて。 子どもみたいですよね。でも、やっぱ、道具です。 手触り、竹の素性も好きだし、使い続けると、どんな色になるかも、楽しみです。 10月 10月9日 ![]() 母島で、南京玉すだれをするのに、リハーサルをすることができました。 新しい道具はいい、それはまちがいないのですが、でも、慣れないものだと、アクシデントが起きたときに対処できないのも事実です。 それに、すだれの動きはよくても、操る私のウデが伴わないことには、道具も生きてくれません。 また、今までのものに、さらにプラスした動きがあり、それも関門でした。 でも、自分の中で、これでスタートするんだ、と思わないと、いつまでも練習を続けているだけになってしまいます。 ですから、ほんとはもう少し練習をした方がいい、とは思ったのですが、一方で、いいきっかけになると思い切り、『やります』と声をあげました。 主人は、 「腹話術の方が慣れてるからいいんじゃないか」 と気づかってくれましたが、自分を追い込むことも必要なんです(気合い入りすぎ(^_^;))でないと、いつまでもダラダラしてしまうから。 そうはいいながら、ドキドキ、バクバク、心臓の音がマイクに入ってしまうんじゃないかというくらい、アップアップで、みなさんの前に立ちました。 でも、司会の方の、南京玉すだれの説明がうまくて、スムーズに演技に入ることができたんです。 よかったぁ。 チラチラッと主人の顔を見ると、眉間にしわを寄せて心配そうな顔をしていましたが、こうして、主人の前で演じるのは、初めてでしたから、主人もドキドキだったでしょうね。 演じ終えて、ほっとしたのは、私だけじゃなかったかも、です。 ははじま探検隊? 2012 10月11日 さあ、母島へ出発、です。 お天気は最高! ちょこっと台風の動きが気になりますが、まあ、なんとかなるでしょう。 これからの予定は、明日母島に着いたら、即行ディサービスにおじゃまして、南京玉すだれをして、 13日は乳房山と小富士。ふれあいマップの調査??を兼ねてのハイキング。 14日はネイチャーツアー。 15日は出航前に保育園で腹話術。 なんだか慌ただしいのですが、せっかく行くのだから、とつい欲ばってしまいます。 でも、これもあわて者の私らしいというか…。 このツアーが、土日を含んだ日程ということを、母島の村役場の方から伺って、初めて気づいたという信じられない迂闊さです。しかも、出発の一週間前に。 となると、ディサービス、保育園とも到着、出航の日しか行けないことになります。 あわてて、 『いつでもどうぞ』 といってくださったディサービスに連絡をすると、 『あ!』 お互いに言葉をなくしてしまいました。 で、母島到着後すぐにディサービスに行くことになったのです。 ボランティアをするときに、地域によってはきちんとした書類を送ってください、といわれることもあります。 母島にいたときは、そんな手続きはなく、 「時間、ありますか?」 「ええ、大丈夫です」 なんて感じで行っていました。でも、あれから7年半も経つし、ね。 で、今の母島はどうなのか、と問い合わせたら、私のことをご存じの方だったので、『いつでもどうぞ』といってくださったのが、 「母島に行こう」 と決めるキーワードのひとつでした。 とにかく、はは丸が定刻に到着してくれることを願っています。 ところが、おが丸が大島に着いたとき、すでに30分の遅れが出ていました。これは危ないかも、と心配しても、どうしようもないので、ケセラセラ、です。
残念(>_<) 10月12日
コンテナの積み込みが終わり次第出航とのことですが、母島でのディサービスには、間に合いそうもありません。 しかたないですね。 父島と母島の間にさしかかり、雲をまとった母島が見えてきました。 なんだか胸がいっぱいで、初めて母島に来たとき、 『これから1年半、よろしくね』 と思ったことが、つい昨日のように感じました。 はは丸をおりると、明日ガイドをお願いしている茂木さんご夫婦、お宿の漁徳さん、そして、 「船をおりたら、すぐ来てください」 と連絡していたディの職員さん。 そしてなつかしいお顔もちらほら。ああ、お元気でいらっしゃると、つい笑顔になります。 私たち家族にとっては、母島は忘れられない場所ではありますが、ほんの一年半しか暮らしていないのですから、島のみなさんが覚えていてくださるかどうかはわかりません。 だれにでも声をかけたくなりそうな自分に、『待て待て』と。 ディの直行訪問がなくなりましたから、ノアさん経由で宿へ。 荷物を置いて、のんびりとディサービスの施設へ行きました。今から、ワークショップです。 施設へ行くと、あれあれ、顔見知りのおかあさんたちが。 「変わらないねぇ」 よかったぁ、時間が一気に住んでいたころに戻った気がします。 お年よりには見てもらえませんでしたが、職員さんたちに、南京玉すだれと腹話術のクウちゃん、アート風船を披露。 むずかしい宿題をひとつ。アート風船で十二支。う〜〜〜ん、かなり想像力を働かせないと、ねぇ。 でも、どこかにマニュアルがありそうです。探してみましょ! ディを出て、ノアさんに行く途中で友人に会い、ネイチャーツアーの申し込みへ。 「台風、どうかな?」 大きいけれど動きのハッキリしない21号が困りものです。 行けるといいなぁ、ネイチャーツアー。 10月13日 天気は曇り、小雨も。でも乳房山に登ります。 ガイドは茂木さん。 連れは、私の友人と娘と同年代の若い女性。乳房山と小富士にも行きたいという、わがままなお願いをしたので、車での移動になりました。 と、その前に、観光協会へ。乳房山へ登ると、『乳房山登頂記念証』というのがもらえるんです。(申請料300円) 私は島にいるとき、一度も申請をしなかったので、きょうはぜひ、と思っていました。 さらに、観光協会に置いていただいてもらっているふれあいマップの件で少々お話も。 地図と大きく違っているところがあれば、教えていただいて、そこの確認をしたいと考えていたので、お聞きすると、 「ちょっと違うところがあります」 とのことで、そこの修正が必要のようです。 でも、まずは乳房山。 農道1号線を玉川ダムまで。ここは農業用貯水池です。 母島探検隊?2012 乳房山 予報は雨でしたが、内地でする予報とは、ちょっと違うことは当たり前。もちろんきょうもそうなるはずです。なんて、かなりの期待を込めて出発! 玉川ダムに羽を休めている渡り鳥を騒がせながら、船木山の滝へ。 乳房山に向かうには寄り道になりますが、ガイドさんにお願いして先に立ち寄りました。 大きな岩、というか岩盤を伝う水が、静かな水音を立てています。私がここを好きなのは、滝の上の大きなガジュマル。『大きな』それだけで、ほっとするんですよね。 変わりのない風景を確認して、さあ、乳房山へ! 私の友人は植物が大好きで、この母島でムニンシュスランを見たいといっていました。玉川ダムから乳房山へ向かう道のあちこちで咲き始めたムニンシュスランの姿に、 「こんなにたくさんある」 と驚いています。 私は、地図の微調整ができたらと思っていましたが、ガイドさん付のハイキングは、貴重な時間を有効に使えるんだなぁと、実感しています。 ![]() 「こんな日はカタツムリを見るにはいい日だよ」 ガイドさんの言葉どおり、あっちの葉こっちの葉、ひっそりとカタツムリがいます。 いつものカタツムリを小さくしたもの、水ようかんのような形状のもの、不思議な生き物です。 それにしても、葉っぱをのぞいて、「ベッコウマイマイ」「オガサワラオカモノアラガイ」「ヌノメカタマイマイ」などなど。次から次へと出てくるカタツムリの名前に、あっけにとられてしまいます。 さすがガイドさん! 「あれはなに?」
「これはなに?」 次々繰り出す質問に、即答。すぐに答えがわかるって楽しいですよね。 また、一緒に歩くその日限りの仲間とのおしゃべりもはずみます。もちろん、まったくの他人同士を結びつける話題を提供してくださるガイドさんの心づかい。 それがなくては、ただの同行人でしかなくなります。 ときおり、私たち家族が島にいたころの思い出話も出て、笑ったり恐縮したり。でも、ここに住んでいたんだなぁと、振り返る時間もありました。 それにしても、ひとりで登っていたときは、なにを見ていたのかと首を傾げたくなります。こんなに足を止め、見るべきものがあったのに。
![]() 時期的には遅いというのはわかっていますが、今年の猛暑、母島でも季節感を狂わせた花があるのでは、と思っています。 それが、ありました。蕾をつけています。雲の切れ間からお陽さまが射しているのを見て、つい、帰りには咲いているかも、とさらに期待します。 頂上に近い休憩所。ゲゲゲハウスから見る集落は、なんだかおかあさんが両手でそっと抱えているように思えます。乳房に母、島の名前もこんなところから来たのかな。でも、昔は北港のある北村も栄えていたようですから、島名の由来まで遡るのは、ちょっと短絡的かもしれません。
頂上のあたりで、ワダンノキの花が咲いていました。
そしてそして、乳房山登頂! 私は登頂証明書を初めて手にすることができます。うれしい!!! 山頂でのお昼。 宿で作っていただいた、でっかいおむすび。でもおなかに入っちゃいました。ごちそうさまです! 帰り道、ハハジマノボタンの蕾は閉じたままでしたが、でも、合えました。 さあ、下りたら、小富士です。 ガイドさんとの約束。
「乳房山を下りて、体調を見てから、小富士へ行くかどうか決めます」 なんとか合格できたようで、トイレ休憩をして、またまた車で南進線を都道最南端へ。 小富士
まずは、『都道最南端』の表示板をカメラに。
なつかしい道です。この道をなんどひとりで歩いたでしょうか。
右へ行けば万年青浜、左へ行くと唐茄子海岸・蓬莱根・ワイビーチ・南崎・小富士。あるときはハイキングスタイルで、あるときは水着を着込んで。木の実の落ちる音に驚いたり、風の音に振り向いたり。 そのときと違うもの、監視カメラと野ネコ捕獲用ケージ。森のあちこちに置かれています。
アカガシラカラスバトやカツオドリを守るために、いろいろな努力がなされていることがわかりました。 さて、今回気になっていたもののひとつ。ガイドの茂木さんのHPに載っている、裏高根。島にいたときは聞いたこともない地名です。もちろんどこにあるのか知りません。
そこへ行ける! うれしいですね。
しかもなんども歩いた小富士までの道から行けるというのですから、ビックリ。
でも、しらなくても当然だったかもしれません。そこはガイドさんなしでは入れないところだったからです。 ![]() いや、ほんとに渦を巻くような形になっているんですよ。自然ってすごいですね! なんでも母島はむかしむか〜し火山だったそうです。 火山のあと(火砕流のあと)は乳房山から沖村にあり、裏高根から裏南京にかけてが、母島で一番古い地層になる、とのことです。 裏高根から摺鉢を抜け、小富士へ。
わずか86.3mの山ですが、ここから見える景色は最高です。南崎の透きとおった海と北側へ延びる植物林。母島が一望できます。 私の大好きな場所、です。
さて、曇り空の写真はちょっと淋しげにも見えますが、とりあえず一枚。
帰り道、小さな花をカメラにおさめようと四苦八苦。若い彼女が枝を支えてくれているのですが、携帯電話のカメラでは微調整がむずかしくて。すると、そのようすを見ていた?オガサワラハシナガウグイスが、「なにやってんの」
とでもいいたげに、彼女が持っている枝のそこまで来て、私たちを小首を傾げながら見ています。ガイドさんの 「マンウォッチングしてるね」 まさにそのとおり。見られるのもいいか、なんて。 ほんとに好奇心の強い鳥です。まるで私みたい。 帰り道は足もと注意。しとしと雨、とまではいかないのですが、霧のような湿気のある空気に、赤土混じりの道はズルズル。
靴の重さが増したような気がします。 そして16時20分、南崎の駐車場に無事帰還。
さらに、もう一ヶ所、連れて行ってもらうことになりました。 フルーツロード
ここは観光客が果物を自由に収穫できる、というすてきな場所です。ただし、バナナは村の所有だそうです。気をつけなくっちゃ。 今、食べられそうなのは、グァバ、パパイヤ(青いけど)。フルーツロードの終点には、ピタンガが色づいていました。少しクセがあるけど、ハイキングして疲れた体にはおいしく感じられました。 ああ、パッションもありました。花と実を見ることができました。 さぁてと、私たちの植えた島レモンはどこに? 見晴らしのいい場所に植えたのですが、どこだったか。 クルクルあたりを見まわしたのですが、『ない』
明日、また探すことにします。 朝8時30分から、めいっぱいガイドしていただいた茂木さん。じつはこのあと、剣道の稽古が待っていました。
駐在所のおまわりさんが指導する、少年柔剣道に全面的にご協力をいただいているんです。…つい自分が住んでたときのようにいってしまいます。 うちは娘が柔道を習っていましたが、柔道にもご協力くださっている方がいらっしゃいます。 今は剣道担当のおまわりさんがいらっしゃらないそうで、大変かと思います。 むりやり一日てんこ盛りコースをお願いしていて、大変かと思います、なんて、自分かってないいようですよね。 でも、楽しくて充実した一日でした。 茂木さん、ありがとうございました。 家に帰ってのこと 写真もメモもたくさんあるのに、どれがどれと合わせるのがけっこうむずかしいことになってしまいました。またメモをとったつもり、のミスもあります。さらに、ピントが合ってなかったり。
10月14日 きょうの予定はネイチャーツアーだったのですが、台風で中止です。すごぉく残念。でも無理をして、それこそみなさんに迷惑をかけるようなことになっては恥ずかしいので、我慢します。 いっしょに来た、もうひとりの友人はダイビングに行くそうです。いいなぁ。 ほんの少し、母島の海を見たかったのになぁ。 で、お願いしていたレンタカーを借り、花好きの友人とブラブラ散歩をすることにしました。 まずは御幸之浜へ。見晴台から評議平へ向かいます。 ![]() 咲いているかどうかはわからなかったのですが、咲いてました。かわいいですよね。風に揺れる赤い花…でも、写真がうまく撮れません。ほんの少しじっとしていて! さらにその先に、たしか小鳥の水場があり、カワラヒワが集会をしていたはず。でも、残念なことに水場は以前ほど、にぎわっていませんでした。が、メグロが! 写真、写真とがんばっても、動きが速くてむずかしいです。 ![]() メグロの写真がほしいので、もう一ヶ所、南京浜の近くの竹やぶにも行きましたが、せっかく来たんだから、姿を見せてと願っているのにメグロさんは冷たい、なんて。 パラパラと小雨が降ってきました。これでは小鳥さんたちも外出を控えてしまいますね。 雨の中、新ヘリポートへ。ここは小富士へ行く時間がないときなどに案内していました。小雨にけぶる向かいの島々が見渡せる場所です。 そこから戻って、ダイビングの友人の予定を確認。もう1本潜るというので、じゃあ、北港へ、と北進線を走りました。 「母島には、うちゅうがあるんです」 「??」 「ほら、そこ」 小さな橋に『雨中橋』これを『うちゅう』と読むかどうかは知りませんが、かってにそう読んでいました。 探照灯跡・六本指地蔵を見て東港へ。この港、いい港なのに、使われてないようです。 行きにも見かけたサギ(?)が帰りもあいさつに来てくれました。で、写真。今度はわりとのんびりしてくれましたから、オッケーです。 北進線に戻り、北村小学校跡。 大きなガジュマルが自然のドームを作っています。雨粒も少しくらいだったら遮ってくれます。 すぐ先が北港。石の桟橋が残っていましたよ。ゲゲゲハウスも健在です。車を止めて、忠魂碑へ。以前にはここにパパイヤがあったのですが、さすがになくなっていました。 おやつを食べて、ひと休み。 私はやっぱり、海に入りたくて、入った気分で写真を撮ることに。ズボンを膝まであげて、やみくもにシャッターを押しましたが、なんだかわけのわからない写真ばかり。でも、海に入りました(*^_^*) さて、おなかもすいてきたので、村へ戻ります。途中で、探照灯下砲台跡へ。『順路』の看板に沿って歩いていたら、砲台が3ヶ所。あれ?私の地図には2ヶ所だったはず。 う〜ん、やっぱり追加、かなぁ。 そして桑の木山へ。もしかしたら、グリーンペペにあえるかも。ペペさんは雨が好きなんですよね。 木道を歩いていたら、なぁんとなく、そのようなキノコが。夜、来てみよう、という気になりました。 お昼はどうするか。と時計を見ると、すでにランチタイムの時間が。14時まで大丈夫というアウストロへ。ここは私が住んでいたときにはありませんでした。 出てきたサンドイッチはボリューム満点。デザートのフルーツも島果物が使われていました。 と、おなかいっぱいになったところで、ダイビングの友人と合流しようと思ったのですが、寄り道。 昨年、観光協会にいらした方に会って、地図の件で、お世話をかけたお礼をひとこと。 初めて会ってもメールをやりとりをしていると、気安くお話しできるんですよね。 え?それは、私がおばさんで、厚かましいから。う〜ん、そうかもしれませんね。 そして、友人とやっと合流。 まずは小剣先山へ。 ここも私の好きなところです。低い山なのに、登山の感覚が味わえ、それなのに、村の生活の音がすぐそばにある、なんとも奇妙な場所なんです。
小剣先山を下りて、観光協会へ。友人ふたりは清見が岡鍾乳洞に入るために鍵を借りに行き、私は観光協会の方と地図についての話し合い?というほどのものではないのですが、アドバイスを受けるために、残ったのです。 地図『ふれあいマップ母島』は、私が離島して、まさかこんなに長い間使っていただいているとは思わなかったので、とてもうれしかったですし、変わっているところがあれば修正したいということで、昨年、当時の駐在さんも巻き込んで、更新しました。でも、やはり、自分の目で確かめたいと思っていましたから、こうして来ることにしたのです。 来てよかった! 変わってないものがたくさんあって、ほっとしました。 ![]() 「モンステラもありますよ」 新情報、観光協会のおにいさんの言葉どおり、モンステラの実発見。これ、すごっく甘くっておいしいんです。でも、まだ堅そうですね。 パパイヤは高い木?の上。でも登るわけにはいきません。パパイヤは分類状、草なんだそうです。だから、すぐに折れてしまうと聞いています。竿、とかあればうれしいのにね。 グァバもおいしそうです。 でも、きょうこそ、島レモンを植えた場所を確かめなくては。 当時いっしょに植えたスミレちゃんのおかあさんからも頼まれていましたので、なにをしなくてもこれだけは、の重要事項です。 で、探しました。やっぱり、あの村所有のバナナのあたりだったと思い、探しました。残念ですが、バナナのあたりには、柑橘系の木はありません。そこから見る景色に覚えがありますから、このあたりでまちがいないと思います。 しかたないです。植えたから必ず残っているとも思えませんから。でも、とあきらめのつかない気持ちで見ていたら、バナナの一軍の向こうに、つややかな葉の木が一本。 あれは…近づくと、ピンポン球のような実が、しかもミカンのような。ひとつもいで、かじりました。あれ?島レモンみたい。でも形が違います。けど、味が…。酸っぱいけれど、きつくなく、さわやかな感じ。これはぜったい島レモンの味。 なんていろいろ考えていたら、一本道の反対側から車が。これは大変。 あわてて下りていくと、上まで行くつもりなら自分がバックすると、いってくださり、無事すれ違うことができました。感謝です。 あわてていたので、きのう忘れていたパッションの花と実の写真を、またまた撮れませんでした。 終点まで行き、またピタンガをつまませてもらいました。ほんとにクセのある味です。 それから、横になったパパイヤの実をひとつ。 ![]() 自分で収穫するって、楽しいですよね。 なんだか子どもに戻ったみたいに、わいわい騒いじゃいました。 フルーツロードを作ってくださったみなさんに、これまた感謝です。 フルーツロードを出て、静沢の森戦跡コースへ。 ![]() そこで、私は声も出なくなりました。あのガジュマルの森が! え?台風? 森が消えていたのです。 そこでは、メジロやメグロが飛んできたり、ほんとに静かな森だったのです。 私の好きな場所、でした。 うわぁ、どういうこと? 友人ふたりを置き去りにするように、コースを歩きました。 たしかに7年という時間の流れは、私の記憶のままとはいかないでしょう。でも、この変わり方は受け入れられません。 頭の中を「そんなぁそんなぁ」という言葉がグルグル回っています。 そのまま海軍省の跡地に入り込んだ私は、ここでも7年という時間の流れを受け入れられない気持ちでいました。 森がうっそうとしている、それは7年間育ったのですから、当たり前ですよね。 なんともいえない気持ち、今回、島に来てから私が見てきた母島は、7年の年月がどこかへいってしまったかのように、以前と変わらない景色を見せてくれていたので、静沢の森の景色はショックでした。 友人が、 「7年経ってるんだから」 と声をかけてくれているのさえ、「でも」という言葉で消していました。 しばらく、ひたすら歩き、やっと砲台を見つけたとき、ああ、ここにいてくれた、と昔の景色を捉えることができたのです。そしてやっと、友人の言葉が心に落ちてきました。 ほんとにそうですよね。 7年…7年ですからね、赤ちゃんがもう小学校に入ってるんですよね。 変わってほしくない、という願いしかできないのですから、変わっていて当然と思う心の準備も必要でした。 準備がたりませんでしたね、心の準備が。 厚い雲に阻まれた夕焼けを見ながら、複雑な思いで静沢の森をあとにしたのです。 でも、これから、新しい静沢の森ができるんですね。 どんな森になるのでしょうか。 また、『次回』行く楽しみが増えましたね(^o^) ![]() で、厚かましく座り込んでしまいました。 「バレーの練習、金曜日だから、遊びに来ると思ってたのに」 うわぁ、失礼しました。 話をしていると、時間はあっというまに戻ってしまう気がします。過去の自分を知っている人がいてくれる、それは、なによりうれしくありがたいことだと、つくづく思っています。 きょうは母島最後の夜、おまつりもいいけど、せっかくだから、グリーンペペに星空。レンタカーで桑の木山まで行きました。車のライトを消すと、真っ暗闇。どこかでカーンと枝の落ちる音がします。ちょっと怖いけど、そこは友人たちといっしょなので、心強い。 昼間、確かめたキノコはペペでしょうか。 と、駐車場のきわに光るものが。え?こんなところにペペ?うれしい!雨のおかげかなぁ。 「灯り、消してみようか」 懐中電灯を消すと、また深い闇が戻って来ました。その闇をじっと見つめると、ポツンとやや緑がかって光っています。 ペペ、と確定していいでしょう。うまく写真に撮れるかなぁ。 絵はがきのペペのように、あの緑がかった光を撮るには工夫があるのでしょうね。 写真にはうまく写ってなくても、見たことは間違いないので、満足です。 木道のペペらしきキノコは、どこを探してもありませんでした。食べられちゃったのかなぁ。 村へ戻る途中の静沢の都道で、雲の隙間から星空がちらっとのぞきました。満天の星が見たいと思いましたが、これもオッケー。母島3日目の夜は更けてゆきます。 10月15日 「うわぁ〜、いい天気!」 抜けるような青空です。 「もう一泊したぁい」 でも、この空は、まもなく台風にかき消されてしまうでしょう。 6時半ころから、朝の散歩をしました。 小剣先山からの日の出には、もう少し、というところ。 宿を出て、小中学校、ディサービス、興発さんの大っきなタマナ、村館、支所、メインストリートをプラプラ。 娘が柔道でお世話になったSさんの奥さんとバッタリ。 「まあ、来てたの」 「はい、おじゃましてました。きのうはおまつりにも行かせていただきました」 覚えてくださっていて、ありがとうございます、です。 ふと、このまま母島に留まっていられるような気がして、苦笑い。 前浜に出て、ガジュマルを見上げました。 大きくなっている、そんな当たり前のことを思いました。 小岸壁(しょうがんぺき)と呼ばれている前浜の桟橋には波があがっています。台風の波が届いているのです。 浜の端っこに、アオサギとシロサギが餌をついばんでいました。嵐の前におなかいっぱいになればいいのですが、どうでしょうか。 と、のんびりしているわけにもいきません。きょうは出航の前に保育園に行かなくては。 宿で朝食をいただくと、もう自分のペースで動き出します。友人に乗船券を買って、乗船名簿も書いてもらうことにして、ひと安心。レンタカーを返して、アート風船を作って、保育園には9時20分には到着予定。 わさわさ30個の風船を持って、保育園に行くと、子どもたちが、なんだろうと寄ってきます。 「風船、どうするの?」 「みんなに持ってきたのよ」 子どもたちが帰るまで、風船が元気だといいのですが、この暑さは風船には厳しいかもしれません。 村館のホールで、クウちゃんとお話。いつもはえっちゃんがする約束ですが、きょうはクウちゃんが代わりにお約束。 みんな、しっかり約束してくれました。 クウちゃんのおうちも探してくれるそうです。 時間はあっというまに過ぎていきました。腹話術をさせていただいたお礼もそこそこに、保育園から桟橋へ。といっても徒歩5,6分。小さい島だからの便利さです。 途中、手話でお世話になった奥さんと出会ったので、声をかけました。私が作った手話のポスターを、船客待合所に張ってくださっていましたので。 「待っていたのよ」 といってくださいました。ほんとにうれしかったです。 バタバタと落ち着きのない母島滞在でしたが、 『行くことができて、よかったぁ』 これで言い尽くせるような気がします。 10月20日 久しぶりの八王子城跡 2ヶ月ぶりに八王子城跡に行ってきました。 きょうはガイダンス施設のオープンです。 ざっくりと北條さんのことがわかるようになっています。
御主殿の工事も気になり見に行きました。 ベンチができたり、曳橋を見下ろす土塁の上への登り道が、しっかりした石段になっていました。 来年の完成が楽しみです。 10月21日 初めての武者行列 ![]() 「去年、ガイドに応募して、まさかこんなことになるなんてね〜」 「ほんと、いつのまにか、こんなところへ転がり出ちゃった、って感じね」 彼女は甲冑まで作ったんですよ。 私もちゃっかり武者行列に入れてもらって、秋の高尾街道を練り歩くことになりました。 10月31日 必殺必勝岩 友人たちと、三原山のカルデラにある必殺必勝岩と赤ダレを見に行きました。 先日三原山に登ったときは、マムシ君がいるかもとか、場所がわからず、近くに行けなかったので、再度挑戦です。 ススキが白くなり、秋の気配いっぱいのカルデラをのんびり散策しました。 終戦後、駐屯していた兵隊さんたちの中の石工さんたちが彫られたと聞きました。大きな一枚岩に刻まれた『必殺必勝』という文字、どんな思いがこめられているのでしょうか。 赤ダレは、カルデラの縁が、ドォンと落ち込み、えぐれたようになっていました。断面には重なった地層が見え、火山の歴史を語っているようです。
11月 11月4日 櫛形山 駅伝の応援が終わったあと、月と砂漠ラインに行くことにしました。 どうやら、第1展望台と第2展望台があるようです。 第2展望台まで行くと、火口原にもお鉢のあたりにも人影が見えました。 風もなく、気持ちのよい風景です。 櫛形山って、あれだよね、とひとり決めして、第1展望台の先の山をめざしましたが、なんだかよくわからないので、戻って来ました。 でも、せっかく来たのだから、櫛形山にも登りたいと思い、都道まで出て、もう一度、櫛形山と表示された道に進みました。 狭いけれど両脇の木がトンネルを作っている島の道らしい道をドンドン登って行くと、なんと、月と砂漠ラインの駐車場のすぐそばに出てきたのです。 じゃあ、もう一回駐車場に行ってみようと引き返し、駐車場に立っている看板を見て、あれあれ? ![]() もしかして、これ、『櫛形山頂上の第2展望台まで』って読むんでしょうか。ということは、第2展望台が櫛形山頂上ですよね。 でも第2展望台は、なんにもないところでした。山というなら、第1展望台の先の方が山らしい山です。(白石山というらしい) 家に帰り、近所の人に聞くと、やっぱりあのなんにもないところが、櫛形山だそう。さらに、地図で確かめると、きょう、私は櫛形山に登りましたってことになります。 なんどか火口原を歩いて、あの山がそうだと思い込んでいたんですね。いやいや勘違いは怖い…。 11月10日 オペラ「椿姫」 友人が出演するというので、初めてオペラを観に行きました。 オペラ歌手の方々の声量に圧倒されました。友人たちも自然な演技で、すばらしい歌声でした。 椿の島大島で、椿姫のオペラなんて、すてきです。 400年前、ポルトガルから鉄砲が渡ってきて、ヤブツバキの種がヨーロッパに渡っていったそうです。 なんとも壮大な話ですよね。 さらにこのオペラは、その名も椿という会社さんの主催で無料のコンサートでした。 島にいると、こういう思いがけない芸術との出合いがあり、うれしくなります。 11月11日 学校祭 ![]() 「でっかい野菜があるらしいわよ」 と友人に聞いていたのですが、ありました、ありました。 ダイコンのでっかいこと、思わず、 「できるだけ小さいので」 とお願いしてしまいました。 そのほかには、三宅島の赤芽イモ、シクラメン、ジャム、ベーコン、卵を買い、校内を一周。 学校はいいですね、活気があって。 11月16日 (きのうよりきょうの方がきれいですが) ![]() 9月にお鉢めぐりをしたときのメモが行方不明になっていて、地図を作るためにどうしても行かなくてはならなかったのです。 三原山口の駐車場からは、眼下に広がる元町と富士山がくっきりと見えました。 ちょっと雲がかかっていましたが、冬ならではの景色になってきたと思います。 陽がかげっているので、歩くにはいい感じです。 お鉢へ上がり見る景色は、よかったですよ。伊豆半島から房総半島まで、もっと視界がいいとスカイツリーまで見えるんじゃないかと思えるほどでした。 まずは、お鉢を左回りに歩きました。 ![]() 1986年の噴火口を見て、その先へ行くと、利島・新島・式根島・神津島、さらには三宅島まで視界に入ります。 噴気する蒸気が、9月よりはっきり見えるのも、寒くなってきたからでしょう。 やがて、今度は正面に富士山が。 ![]() 雪の富士山はいいですよね。 それで、きょうの富士山 11月17日 波浮 ![]() まず、火山博物館へ行きました。 大島は生きている火山の島なのですから、ここへは、もっと早く来るべきだったんでしょうけど、丘の上にそびえる博物館は、なんとなく近寄りがたい感じもあります。 博物館は世界中の火山が紹介されていました。大島だけではないところがおもしろかったです。 なかでも、三宅島の噴火についてもたくさんのスペースがとられていました。 私たちが三宅島にいたのは、61年3月から63年9月までです。それは昭和58年の噴火が終わって、ようやく溶岩台地に緑の芽が吹きだしたころでした。 そして、大島の噴火はそのとき起きたのです。 三宅島の人たちは、 「大島の噴火は御神火っていってね、外輪山から出てこないから安全なんだよ」 そういっていました。 三宅島は、いったん噴火になると、どこから噴くかわからないし、昭和58年のように、阿古の集落が全滅するというような大きな被害になることを、受け入れて生活しなくてはならない三宅島の人たちです。 噴火といっても被害を気にしなくていい(そのときはそう思いました)大島との違いは、どんなものなんでしょう。 『安全な噴火』そんなものがあるなんて、信じられない思いもありましたが、 「大島の噴火は三宅島から見ることができるの?」 「うん、七島展望台に行けば見られるよ」 愛車のホンダゼットで、うす暗くなった展望台への道を登って行ったのです。 七島展望台からは、大島の火の柱が見えました。11月の空に吹き上がる赤い柱は、遠く離れた三宅島までも熱風が届きそうな勢いです。 声もなくして見つめていたのですが、そのうちに火柱が移動していくのがわかりました。あの方向には、たしか町があるはず、これは、三宅島の人たちがいっていた噴火とはようすが違う、と感じて、あわてて家に帰りました。 それが、大島の人たちみんなが島外避難をする大きな災害になったのです。 今でも、あのとき、好奇心につられて、大島の噴火をながめに行った自分のことを、 「あんな全島避難になるような噴火を物見遊山気分で見に行っちゃうなんて」 と忸怩たる思いで振り返ることがありました。 そのことを、大島へ来て、島の人に話したら、 「あれは私たちにとっても信じられないことだったし、ああいうふうになる前は、島の人も噴火のようすを見に三原山へ行ってたのよ。危機感がなかったのは、私たちも同じだったのよ」 といわれたのです。 ほんの少し気が楽になりました。 さて、波浮、ですね、きょうの目的地は。 ![]() その前に、世界の貝の博物館、ぱれ・らめーるというところに寄りました。 勤労福祉会館と同居?しています。 展示室には、たくさんの貝が整然と並べられていました。小笠原の母島で見かけた貝もありましたよ。もちろん、世界の貝、というくらいですから、外国の貝もたくさんでした。 雨の土曜日ということもあり、入館者も少なく、ゆったりと見ることができました。 ![]() いよいよ、伊豆の踊子と関わりのある、旧港屋に到着です。 波浮の港の先端近くにある石段を登ったところにありました。さすがに年月を経て、あちこちに補習のあとがありましたが、港を見下ろす景色はいいものです。 室内には、当時のようすを再現したマネキンがいて、独特の雰囲気があります。 『文学の道』と名づけられた石段を登り、旧甚の丸邸に。あたりの路地は、昔の面影が濃く残っているように感じました。
さらに『鉄砲場』といわれるところに行きました。 今は白い灯台と夕景の景勝地になっています。 江戸時代に、外国からの攻撃に備えたそうです。島には、この鉄砲場が地域ごとにあるようで、これからまた島めぐりをして確かめたいと思います。 ここはまた、第二次世界大戦のころ、陸軍の監視所になっていたとのことで、当時の名残もあります。 母島の戦跡をちらりと思い浮かべながら、島ごとに、戦争のあとがあるのだなぁと思いました。
うしろを振り向くと、対岸の房総半島が光って見えます。富士山は見えませんでしたが、まちがいなくテキサスコースを歩けたので、OKです。 表砂漠へちょこっと降りて、櫛形山を越え、大島観光ホテルからの道と合流するところでお昼を食べ、戻りました。 次は大島大砂漠から、櫛形山へのルートを歩こうと思っています。 12月23日 小さなお客さん
掃除をしようと開けていた窓から、小さなお客さんです。あれあれと目で追っかけていると、焦っているようすが見えるような気がしました。 カメラを構えたとたん、外へ。残念だったなぁと思っていたら、また入ってきました。 今度は、さっきよりもっと焦っているようで、なかなか外へ出られません。それで、写真を撮ることができました。 室内に干していた洗濯物を、外に干してあると勘違いしたのでしょうか。休日のまったりした時間が、なおいっそうまったりしたようです。 ![]() こちらは、今年のわが家のツリー。紙を折って、チョコをつけてみました。はじめはホッチキスで、とめようと考えたのですが、針があぶないと思ったので、ビニールテープにセロテープでくっつけてみました。 セロテープだと、はがすのが考えていたよりたいへんで、子どもたちがチョコを取るのに、もっと簡単にしないとだめだなぁと。 次回の課題です。 12月27日 大砂漠 月と砂漠ラインから入りました。 まずは展望台方向に。途中から、大砂漠へ向かって降りていきます。先日ここを通ったときには道しるべがあったのですが、きょうは見あたりませんでした。 三原山には、火山観測などの関係車両がかなり入っていますので、車の轍がくっきり残っています。そのあとを歩いていれば迷うことはないと思います。 急な道を降りると、東京都の大島支庁の看板が立っています。そこを左へ。ちょうど櫛形山の裾を歩くことになります。小さなアップダウンが続いていました。 そして、櫛形山からの道と交差。それを右へ行くと、テキサスコースからの道と大島温泉ホテルからの道と合流します。
『砂漠』と名されることからも、不毛の地というイメージです。黒い溶岩砂の道を歩いていると、ふと富士山に登ったときのことを思い出しました。 櫛形山と交差したところで戻りです。帰りはもう1本外側のルートを通り、都道から櫛形山に向かう道に入りました。そして、都道まで。 さらにその道を引き返し、急な坂道をぼちぼち登り、展望台への分岐点に到着。 とりあえず、三原山のカルデラに走っている道はだいたい歩けたかなぁと思います。 年末年始は、地図作りをがんばります(^o^) ![]() ところで、きょうは霜注意報が出ていたのですが、月と砂漠ラインの駐車場周辺には、氷が張っていましたし、霜柱もありました。 大島にもシモバシラができるんでしょうか。 歩いているときに、なぁんとなく 雪が落ちていたような気がします。 雪、というか、白いものが、ときおりふわりと。 ![]() それから、帰り道、間伏林道へちょこっと入りました。ここには、チョコのバームクーヘン断層があります。な〜んて。私が勝手に思っているだけなんですが、都道の間伏地層切断面は、普通のベージュのバームクーヘンとしたら、こちらは黒っぽいので、そう呼んでいます。 平成25年 1月 1月1日 初日の出ならぬ初富士山?を楽しみました。
お雑煮を食べて、まず、吉谷神社へ初参り。それから、大島七福神を巡りました。
七福神さまの中に、連絡して開けていただかないと、お会いできない神さまがいらっしゃいます。 もしかしたら、お正月なので、開いているかなと思ったのですが、残念ながらダメでした。 連絡をすればいいのでしょうけど、なんだか、私一人のために、わざわざお手数をおかけするのも、 申し訳ない気がして、なにか、ついでの機会があれば、と思っています。 1月8日 「かあさん、遊びに行ってもいい」 末娘のいきなりの来島です。仕事を終えたあと、竹芝発22時のかめりあ丸で、翌朝6時岡田港に到着しました。 「母島とは違うね」 「でしょう。大きいよ」 ![]() まずは、『ゴジラの像』と記念撮影。 ゴジラって伊豆大島がふるさとなんですって。 で、なかよく、と思ったら、こんな写真になりました(^^;) 「次は、どこに行きたい?」 大島は大きいので、なにをしたいか、なにを見たいか、と決めておかないと一泊二日ではまわりきれません。 「あのね、リスがいるところ」 「わかった。じゃあリス村から」 ほんとうは、6時に船を降りたあと、三原山へ登ろうと思っていたのですが、娘から 「今回は山はパス」 と断られたので、次回にまわします。 リス村には、リスだけでなく、プレーリードッグやウサギもいるんですよ。椿もたくさんあるし、のんびり散策できるところでした。でも、プレーリードッグは寒くて引きこもっていました。 リスたちは、井桁に組んだ木のおうちの日当たりのいいところで、ひなたぼっこ。エサをあげることができるので、娘はヒマワリの種を手袋をした左手に乗っけています。
はじめは、おそるおそる、という感じでしたが、 「うわ、エサだ」 と認識すると、けっこう活発に動き始めました。やがて、だんだん大胆になってきて、娘の体を木のように登って、 「エサ、くれぇ〜」 とでもいいたげに要求していました。 娘は、うわぁとかきゃぁとかいいながら、リスたちとのエサ合戦を楽しんだようです。 リス園を出て、岡田港を見下ろせる『港の見える丘公園』へ。 そこから、泉津橋のそばの休憩所に車を止め、泉津橋を渡ります。橋の中程から下をのぞくと、海が透きとおって見えるんですが、きょうは波があって、ちょっと残念です。 そして大島公園。動物園には、思ったよりたくさんの動物がいて、動物をさわれるイベントもあるようで、まごちんを連れてきたら、一日遊べそうです。 大きな鳥かごの中では、クジャクがあとをついてきました。おなかがすいてたのかなぁ。 ゾウガメが大きいのにビックリしたり、ラクダを見たのは初めて、と騒いだり、おもしろかったです。
椿の資料館を見て、『石のそり橋』へ。 1552年の噴火あとを見ました。 あじさいレインボーラインを、ちょっと入って、『桜株』。もう少し入って『眼鏡橋』。 そして、『チョコバウムクーヘン』にも行きました。 月と砂漠ラインから櫛形山、とも思ったのですが、娘の足元はヒールのあるブーツ。山登りにはNGです。 『筆島』から『波浮港の見晴台』を通り、遅いお昼。 『踊り子の里(旧港屋)』に『旧甚の丸邸』、『波浮七福神』にお参りして、『瀧王崎灯台』。『トウシキ海岸』から三原山を眺め、『間伏地層切断面』。 ![]() 御神火スカイラインを登って、やっと三原山登山口。夕焼けが火口あたりを紅く照らしていました。 本日の最終目的地、温泉ホテルへ。 露天風呂からの三原山。夕暮れの空を眺め、ハードな一日の疲れを癒しました。 楽しかったぁ! 翌日は、のんびり、でもありませんでしたが、お天気は上々。きのうはかすかにてっぺんだけしか見えなかった富士山が、きょうは半分くらい姿を現してくれました。 昭和61年の噴火の溶岩流の最先端を見て、弘法浜へ。 「降りていく?」 「海に入れないからいい」 …そうね、あなたは見るのじゃなくて、中に入るのが好きなのよね…。 港を通って、中の浜園地へ。岩に砕ける波を見ながら、 「この波はどこから来るのかなぁ」 島寿司のお昼を食べて『ぶらっとはうす』で、デザート。牛乳の濃いアイスです。 郷土資料館の民家をのぞいて、港へ。 「足湯があるのよ」 と連れて行くと、残念なことに、故障中、でした。 ![]() 「ピンクの船はいやだなぁ」 なんて、どうしようもないことに、こだわっていましたが、すなおに乗ってくれました。 来たと思ったら、もういなくなって、嵐のようでした。 たくさん話をするわけでもないのですが、同じ空間と時間をいっしょにできるだけでも、しあわせです。 それにしても、母島にいるときには、私がどこかに行こうと誘っても、うなずいたのはただ一度。駅伝の練習だけでしたから、こんなにゆっくり娘と出かけられるなんて。 「次に来たときは、とうさんと釣りに行く!」 でも、娘は土日に休めない仕事です。主人は土日しか休めません。 「じゃあ、夜釣りしよう」 「かあさん、母島だったら、こんなふうに行ったり来たりできないね」 「でしょ」 『母島とは、違うね』 それは距離的なものもそうなのですが、子どもたちがいっしょではないことも、また母島や三宅島と違う要素になっているようです。 子どもたちを通しての地域のみなさんとのつながりは、私たちの転勤生活においては、大切なものだったんだなと実感しています。 ![]() 母島のトマトをいただきました! ピカピカのあま〜いトマトです。 はは丸に乗って50キロ、おが丸に乗り換えて1000キロ、竹芝から120キロ、かめりあ丸に乗ってきたのでしょう。 長い旅をしてきたんですね。 1月10日 地図の確認作業で、三原山のカルデラを歩きました。 警備派出所のおまわりさんから、 「雪が降って、まだ残ってるところもありますよ」 と情報をいただき、雪との遭遇にわくわくしながら、歩き始めました。 でも、雪にはあえないかな、陽ざしもあるし、ね。 表砂漠ルートがふたつに分かれる道を右へ入ります。ここは木が道に張り出していて、歩きにくいです。 ![]() 念のため、歩くことにしたんですが、そこにラッキーがありました。 雪が残っていたんです。ほんの少しですが、見つけられてうれしいです。 大島でも雪が降るというのは聞いていましたが、ほんとうでしたね。 表砂漠ルートからテキサスコースとの合流点まで歩いて、お昼。ちょっと寒くなってきたので、さっさと食べて帰ることにしました。 今回は、時間の確認なので、急ぐわけにはいきません。いつもどおりの歩きで、ぼちぼち帰ります。 なにもない道なのですが、櫛形山の裾のところは、地面が裂けたように見えます。実際はどんなふうになっているのでしょうか。とっても気になります。でも、ひとりのときはコースをはずれて歩くと、ちょっと不安なので、また今度、です。 そうそう、きょうは幻の池がありませんでしたよ。 砂地の足跡です。キョンさんは間違いないのですが、他はわかりません。 足跡だけじゃなく、キョンさんもリスさんも姿を見ました。
1月16日 大??発見 14日はすごかったですね。大島は台風のような暴雨風雨でした。三原山は雪が降って、道路が通行止めになりましたよ。 きょうは三原山がどうなっているか見たかったので、波浮に向けて車を走らせました。 どうしてかっていうと、トウシキの広場あたりから、三原山の火口付近が見えるからです。車はノーマルタイヤですから、とても山の上までは登っていけません。なので、遠くから見てみようと思ったわけです。 で、ついでに波浮の踊り子の里も探検するつもり。 途中で砂の浜に寄ってみました。砂の浜は、大島で一番長い砂の浜だそうです。 三原山の雪も見えました。
波浮の漁協さんの前を通って、港の先の方に行くと、大島の大きな地図がありました。
《大発見》というのは、踊り子の里でのこと。踊り子の里と称される地区の路面がタイルというか、敷石というか、アスファルトの道路とはちょっと違うことに気づいたのです。 旧港屋さんからの石段の道もそういう意味では区別されているんですね。 ![]() まあ、それまで気づかなかった私の注意力が足りなかった、だけなんですが。 途中で、このあたりの駐車場について、近所の人にお聞きしたら、波浮出張所の駐車場に置かせてもらえるんじゃないか、とのことでした。 その駐車場からは、旧港屋さんも旧甚の丸邸、瀧王崎灯台も歩いてまわれるので、なかなかいいと思います。
橋を渡りきってしまうと見えなくなったので、Uターン。写真に撮ってきました。 帰りは、夕陽を追いかけて、また写真です。 ![]() 1月27日 椿まつりオープニングパレード きのうの強風から一変して、暖かな日になりました。 いよいよ、椿まつりが始まります。 ![]() 役場前からの出発。港へ向かって最初の交差点を右へ、坂を下ったところで次の交差点をまた右へ。都道と港の間の道を進むのですが、逆光なので、長い行列を撮りたかったけど、うまくいきませんでした。 写真を撮るのに、とっても残念な感じです。 っていうか、自分の未熟な腕を棚に上げて(^^;) ![]() 元町の船客待合所前で待っていると、行列は、地域の婦人会、踊りのチーム、保育園、お馬さん、などなど。 思わず、 「かわいい」 といってしまったのは、お馬さん。椿の花をつけたんです。パレードが終わった保育園の子どもたちが乗っけてもらってました。 いつもは、三原山にいる『与那国馬』さんたちですが、小柄?だけど、とってもおとなしくて、主人は、 「田舎に帰ったら飼ってもいいなぁ」 じつは、主人は昔から馬が飼いたくて、一時はポニーを飼うといってたことがあったんですよ。友人が、ほんとに飼うなら手伝う、なんていってくれていたので、かなり本気になっていました。 あんこ娘さんたちのパレードが終わると、今度はおみこしです。三つの豪華絢爛なおみこしが、真っ青に澄んだ冬空をバックに練り歩いています。 こちらも、おみこしそれぞれに違う『社中』のみなさんが、独自のかけ声を掛け合って、威勢のいい練り歩きです。
![]() ![]() ここ10日くらい、ホームページを、お休みしていたのは、一太郎さんでイラストを描いてたからです。 お嫁さんが以前いっしょに仕事をしていたので、お祝いに、なんて思いつき、あれやこれややってました。 初めて和装にも挑戦。データが大きくなるけど、まあまあ思ったとおりに表現できたと思います。 ふたりだったので、ガッツリ楽しめました。 それからそれから、大島に本職の漫画家さんがいらっしゃるんですって!! 児童書なんですが、『マリア探偵社』というシリーズもので、原作者さんのおかあさまが大島のご出身とのことでした。 ついお借りしてきちゃいました(*^_^*) で、読んでみたら、またビックリ! 主人公の名前カオリンは、私のステージネームかおりんと音は同じ。ぐぐっと身近に感じちゃいました。このシリーズ、続けて読んでみたくなりました。 1月30日 潮吹きの鼻 きのうも、いい天気だったので、ドライブに。 波浮をまわって、『潮吹の鼻』に行きました。 都道から少し入ったところに、見晴らし園地がありました。潮を吹いてるのは、どこかなぁと探していると、『潮吹きの見学場所』という案内板があり、 (まあ、ご親切に) とたどって行ったのですが、『この先300メートル』と書かれていたはず。どう考えても300メートル以上歩いていると、引き返しました。
で、きょうなんですが、富士山の頂上に、まるで煙が出ているような雲?がかかっていたんです。 写真を撮ろうと思ったのですが、その場所からは富士山に電線が写り込むので、移動している間に雲のような煙のようなものはなくなっていました。 一瞬、噴火?と思ってしまいました(^^;) 2月 2月3日 Oh島めぐりマップ 暫定版 なんとか、全体像をつかむところまできました。 まだまだ未完成です。A3の原稿なので、スキャナで取り込んで、とりあえず全面を載せてみました。 お店でコピーを取って、A4サイズにすればいいのに、ちょっとうれしくて、アップしました。 時間の記入も中途半端です。 もう少し、きっちり入れたいと思っています。 内地へ行くので、帰ってきてから、またがんばるつもりです。 なんにしても、大島のハイキングは今のうち、ですから。 ![]() 2月5日 潮吹きの鼻 地図に書き込むイメージを捉えたかったので、もう一度、潮吹きの鼻に行くことにしました。 見晴らし所に行くと、海は凪ぎています。きょうも無理かと思ったのですが、 『ドォン シュババ』 この前来たときには聞こえなかった音がします。潮吹きの鼻の説明板のあたりから磯へ降りて行く道があったので、おそるおそる行ってみました。 音は、どうも磯の先端あたりから聞こえます。すると、いきなり白いしぶきが上がってきました。 「なるほど!」 それは正に、鼻から息が吹き出すような感じにも見えます。噴水のようなイメージを持っていた私は、つくづく思いました。 『百聞は一見にしかず』 聞くところによると、この潮吹きの鼻は長〜い洞窟で、それは椿のトンネルのあたりまで続いているとのこと。道路が舗装される前は、道路の裂け目というか隙間からしぶきが出ていたとのことでした。
![]() 潮吹きの鼻をあとに、大島公園に行きました。椿まつりのお店や舞台が作られていましたが、なにしろ、晴れたかと思うと雨。観客は私一人。でも、あんこさんたちが踊ってくださいました。時間外だったので、『あんこ大島節』という、ふたつの曲をひとつにした、お得バージョンのものでした。 ![]() また、椿の資料館には、見頃を迎えた椿の鉢植えがたんさんありました。館内には椿の花の造花が展示されているのですが、椿まつりの間は毎日生花が飾られているそうです。なかなかすてきでしたよ。 さらに進化?? Oh島めぐりマップ 暫定版 さあ!コピーだ!、とお店へ行ったら、残念残念、お休みでした(>_<) 波浮の港のあたりを時間を入れたいのですが、時間はそれぞれの建物間は、徒歩で5分くらいなので、時間を書き込むと見にくくなるかなと思案中です。 ![]() 2月7日〜2月13日 内地 2月7日 ![]() 『揺れるよ〜』 といわれて酔い止めを飲んで乗りましたが、ほとんど揺れることもなく、いいフライトでした。富士山も霞み気味でしたが、ちゃんと確認できました。 なによりも興奮したのは、雲に映る飛行機の影です。また海の中も透けて見えましたよ。きれいでした。市街地にかかると、雪の残っているところもあり、住宅地図??を見ているようでした。 朝9時半に飛行場に行き、10時半過ぎには調布飛行場に降りたっていましたから、早いですね〜。 2月9日 源三くんといっしょに八王子城跡に。きょうは太鼓曲輪を案内してもらうことになっています。 そのまえに、御主殿の工事を見ることにしました。同期のガイドさんと工事の話をしながら、のんびりまわりました。 大島へ行くことになったとき、『また戻ってくる』ので、とお願いし、ガイドとしての情報をいただいています。ですから、戻ってきたときに、自分の目で見たことを伝えたくて、『今・生きてる情報』をもらうために、こうして案内してもらっているのです。 ![]() 「生け垣に門もついたよ」 「偽物の石だっていうけどね〜」 ひとりでまわったのでは、ただ《見る》だけになってしまいますが、こうしてガイドさんとまわると、こぼれ話を聞いて、なんとなく得した?気分になっちゃいます。 御主殿の滝は、水量が少なかったですね。今の時期はしかたないです。 工事のおかげで、曳橋の下のあたりのガラガラしていた道が歩きやすくなっていました。 ここで、同期は、すれ違った人から通称『殿の道』といわれる場所を聞かれ、そこをガイドするために、Uターン。『殿の道』はガイドがいないと、わかりにくいところになっています。 私は、源三くんで、子どもたちとお話ししたり、本丸まで行ってきた人と井戸の話をしたり、楽しい時間を過ごしました。 お昼過ぎに、いよいよ太鼓曲輪へ。先輩のガイドさんにお願いして、ガイドの研修会で行ったコースをショートカットして連れて行ってもらいました。 ![]() 堀切としての深さはもっと深かったでしょうが、石の土手を削ったであろうあとは残っています。八王子城は、石の山でもあるように思われます。その石を削る労力は、どんなものだったでしょうか。 『人海戦術』そのものだったでしょうね。 今は植林されているので、都心方面への視界が遮られていますが、戦国時代の城の造りは木がなかったので、すいぶん良好だったはずです。その気分が味わえるところが一ヶ所だけありました。 御主殿まで戻って、『殿の道』に行くことに。 先輩によれば、『殿の道』にある四段石垣が今しか見られない状態になっているので、ぜひ見ておいたほうがよい、との勧めでした。 ![]() ずいぶんさっぱりしましたね、って感じです。 この石垣は戦国時代のものと聞いています。石垣周辺には樹木があるので、いずれその根っこが石垣を破壊してしまうのでは、と危惧されたようで、今の状況を記録するために調査したそうです。 ![]() 石垣の石を一個一個採寸されていたとも聞きました。 半年前に見ていた400年の年月を経たであろうと、推察される苔むした石垣ではなくなっていましたが、石垣の《野面積》といわれる工法がはっきりわかります。 400年も経っているのに、しっかり組まれたままの石垣を見ていると、先人の知恵の偉大さを感じます。 2月10日 静岡へ向かっています。新幹線の窓からは富士山がよく見えます。いつもは違う角度から見ているんだなぁと旅をしている実感です。 ![]() 駿府城公園に行き、県庁の21階フロアが解放されているというので、あがってみました。静岡の街が一望できます。 窓の向こうには富士山。夕暮れに染まっていく姿と、静岡の街がだんだんに暮れていくようすを見ていたら、なんだか立ち去りがたくなり、ついつい長居をしてしまいました。 2月17日 カメリアマラソン ![]() 参加者が多いので、驚きました。 10キロコースの先頭グループに、小学生の低学年くらいのような男の子が走っていました。折り返しても遅れることなく戻ってきたのです。かと思えば、かなりの年配のお姉さんやお兄さんも颯爽と走っていらっしゃいました。 ゆりーと君も走って?いましたよ。私も着ぐるみの経験あり、です。中は蒸して暑いし息苦しいし、思わず、 「暑くてたいへんね〜、がんばって」 と声をかけていました。ゆりーと君は手?翼をヒラヒラさせて答えてくれてたようです(*^_^*) 2月20日 大島灯台・乳が崎 大島でのハイキングは、ある意味マムシとの戦い、かもしれません。 草むらにはマムシがいるから、という理由で、大島灯台も乳が崎も『危ないですよ』と観光協会でいわれたことがあります。で、行くなら今の時期、と思っていたのですが、どんなことろか皆目わからないので、ひとりで行くのは危ないかも。 ![]() 白くてかわいい灯台、デザインが好きです。 思いがけなく、あっさり灯台にたどり着いたので、拍子抜けしちゃいました。
灯台から野田浜へ向かうと、乳が崎の案内板。そこも夏とは違っていました。車でも入って行けそうでしたが、一台分しかない道幅なので、歩くことにしました。 こちらは灯台よりも歩かないうちに、広場風の場所へ出ました。福井さんという兵隊さんの記念碑があり、そこから三原山を見ると、初めての景色が広がっています。 ポカポカのお陽さまのおかげで、枯れ草の乾いたいいにおいがしました。 2月21日 長根岬 ![]() ![]() 長根岬は、溶岩のアーチがかかっています。その先までが長根岬なのかなぁ。あ、とうふ岩というのもありました。 2月22日 地図完成…にしておきます たたき台という状態ですが、地図は一応の完成、にしたいと思います。 ![]() 新発見 ![]() 道は簡易舗装だったり、でこぼこ道だったりでしたが、キョンさんが日向ぼっこしていて、かわいい目とバッチリ視線が合いました。 どこへ行くかわからず、走っていたのですが、とっても見晴らしのいいところへ出ました。まだ工事中のようで、先に見える東屋(あずまや)へは行けませんでしたが、工事の柵がなくなったら、是非行ってみようと思います。 2月24日 大島町文化祭芸能大会 催しは一般芸能と伝統芸能の二部式でした。 一般芸能の部では、保育園の子どもたちの元気な歌声や日舞、よさこい、おまわりさんたちの沖縄風演奏、ちびっ子のフラ、混声合唱、演目もさまざまで、楽しめました。 大島の伝統芸能は、地区ごとに違った曲、歌い上げ方、衣装、もちろん、そうあって当然ですが、若い方がたくさん参加されていて、頼もしいなぁと思いました。 また、こうして一ヶ所で見られることは、ありがたいことです。 2月26日 春、見〜つけ
花の名前に詳しくないので、おおまかな分類しかできませんが、見て歩くには、それでも楽しいので、つい正式名称をスルーしてしまいます。 で、まちがっていたら、ごめんなさい、です。 3月 3月10日 ロゲイニング 『ロゲイニング』って、なに? レースがあるらしいんだけど、どういうレース? とは思っていても、自分の都合が優先。大島の力士、伝吉さんの碑を見に出かけました。 伝吉さんは、明治時代に活躍した力士、だそうです。 そのころの相撲は現代とは違って、力士と関取とに分かれていたそうです。 力士は力自慢をする人、関取は取り組みをする人というように。 伝吉さんは力士ですから、力自慢だったんですね。 伝吉さんの碑、といわれる場所には、伝吉さんが持ったといわれている勇艦石(750キロ)と黒田清隆さん(第二代内閣総理大臣)の書の碑銘があります。 大島は今年の国体で、相撲の大会が行われます。その相撲と関係する伝吉さんの碑が、私の地図には書き込まれていませんでした。 これは、どうしても入れなくてはならないでしょう! と、伝吉さんの碑まで行ったら、地図を持った若い人たちが、 「ここだよ、写真を撮らなっくっちゃ」 と慌ただしく駆け抜けていきました。 あれ? あの手にあるのは地図。きょうのレースって、地図に関係があるの? 地図が関係するとなると、気になります。すぐそばの岡田の観光協会へ行って聞いてみたのです。 地図だけでも、もらえれば、と思いましたし。 観光協会から、大会本部に連絡してくださって、元町の船客待合所で地図がもらえるらしいと、わかりましたので、元町へ、ワクワクしながら向かいました。 でも、地図を配るのは、あしたからです、とのこと。ありゃりゃ残念。 翌日、さっそく元町の観光協会に行って、地図をゲット!! 『伊豆大島ジオパーク・ロゲイニング・プチ』というのが、それです。この説明書きによると、ロゲイニングというのは、地図を頼りにチェックポイントをグループで巡るアウトドアスポーツ、のようです。 チェックポイントには得点があり、巡った時間と得点を競うんだそうです。ポイントでは、指定されたように写真を撮るらしいです。 いただいた地図は、元町・泉津・波浮の3地区にそれぞれ10ヶ所のポイントが設定されています。 へぇ、なかなかおもしろそうです。 何ヶ所か、行ったことのない場所もあります。よし、行ってみよう!
二日かけて巡ってみました。私が初めて行ったところの写真です。あちこちウロウロしているつもりでしたが、まだまだ行ってない場所、ありましたよ。 特に神社は島のみなさんが大切にされている場所、というのが強く感じられました。どこの神社も境内を歩いていると、なんとなく歩かせていただいている、そんな気持ちになりました。 さて、ロゲイニングは、そこへ行くことにこだわる私には、ぴったりのゲームかもしれません。でも、今回は途中で寄り道もしましたから、がんばれば一日で巡れるかもしれません。 それを基に、もう一度地図を作り直しています。かなり細かくなってしまい、どこまで入れるか、悩みの種。地図のパーツがたくさんあるのはうれしいけど、選ぶのはむずかしいなぁ。 あそこもここもみ〜んな教えてあげたい、なんてヨクバリなので。 3月11日 千波崎 間伏のバームクーヘン(地層切断面)のあたりに千波崎というところがあります。火山活動でできたおもしろい岩があるらしいので、行ってみました。 どこから入るかわからなかったので、適当にTFC(東海汽船フィッシングクラブ)と表示された磯に向かっていたら、向こうから、背負子を背負ったおじさんがやってきました。背負子からはサカナの尾っぽが飛び出しています。もちろん、声をかけちゃいました。 「ヒラマサですか?」 なんと大当たり。 素潜りで仕留めたとのこと。すごいですよね。記念撮影のお手伝いをして、いいもの見せてもらいました。 ![]() 千波崎には、平床TFCから入ります。途中ロープが張ってあり、ワイルドな気分がちょっぴり味わえます。 ゆるい溶岩の上に、噴石が落ちてきてはまったような感じの岩があります。 トウシキのボムサッグより、噴火のあとをより近く感じることができるような気がしました。 ![]() 3月16日 修正 ロゲイニングをして、大島公園のハイキングコースも歩き、ちょっと変えてみました。 これからは、大きな変化はないでしょうけど、おもしろそうなところがあれば加えていきたいと思います。 きょうは、泉津漁港に行きました。地図作りも落ち着いたので、主人のおとも。 風はありましたが、竿を出したいというので、泉津まで出かけたのです。 ![]() 気がつかなかったけど、泉津港には岩のアーチがあります。船の係留場所を横切って行くと、ひとり分ほどの通路があります。そこを歩くのも楽しい。 アーチを見て、町の中へ。 ![]() 石垣が昔のままの姿を見せてくれています。 港から道路へ出て、『港の見える丘公園』を探しました。小さな公園を発見。そこからは富士山は見えませんが、気持ちのいい景色が広がっています。 お昼を買って、主人のところに戻ると、 「エサ取りもないよ」 とぼやいています。でも、まだ帰る気はなさそうです。で、泉津の町をさらに探検。今度は車で、開墾されたところへ行ってみるつもりです。 ![]() そこからあじさいレインボーラインに抜けて、大島のサクラ株に行きました。もう葉っぱが出ています。花の時期をはずしていまいました。それとも…花はないのかな? もう一度戻って、林道を下っていきました。林道の途中から入ったので、都道からの入り口を確かめようと思ったのです。 車一台分の道幅を、下から車が来ませんようにと、祈りながら降りて行きます。 ようやく出たところは、泉津港の入り口のそばでした。 「こんなところに出るのかぁ」 主人のところへ戻ると、イスズミを釣っていました。 臭いがするので、敬遠されるイスズミですが、地元のおじさんが、べっこうにするといいよ、と教えてくださったので、挑戦。
3月23日 マラソン大会 100キロ、58キロ、フルマラソンとコースが分かれています。 友人が出るので、応援しました。別の友人とあちこちまわって応援。とても楽しかったです。 ![]() 途中で、キジさんに合い、車の前をのんびり歩いてもらったのに、写真は尾っぽ切れで、残念。さらに車のワイパーまで写り込んでます(^_^;) ガメラ岩 ![]() 海岸の縁(へり)を歩いて行くと、友人が、 「あら、ガメラみたいね」 と声を上げました。うん、なるほど、そういう感じです。気がつかなかったなぁ。 「使わせてね」 と地図に書き込むことにしました。 ![]() で、ゴジラ岩です。 ゴジラ岩はお鉢にあります。ざっくりとですが、三原山から海を見下ろすゴジラ、海から上がり三原山へ向かうガメラという構図になっています。 3月24日 船待(せんまち) ![]() ![]() 椿まつりのあいだは、毎週末ミニステージになります。きょうは最終日だったので、行ってきました。 母島にいたときと違うなぁと思うのは、こうしたイベントが多いことです。 島歩きのおまけ なんていうと、大げさかもしれませんが、ウロウロしているおかげで思いがけない人と遭遇します。 まず、海のふるさと村をまわっていたときのこと、駐車場からの道がよくわからなかったので、たまたまトイレの修理をされていた支庁の職員さんに、地図を作っているので教えてくださいと、声をかけたら、なんと高尾のビジターセンターにいらした方でした。 4月にもうひとり転勤してこられるというし、まあ、こんなところで会うなんて、奇遇です。 なんていってたら、岡田の港で、お互いに見つめ合った相手が、母島にいたときのカメコさんでした。 ネイチャーツアーで、ゴムボートに乗せてもらい、シュノーケリングでお世話になった方です。 大島にもウミガメが来るそうで、相変わらず調査をされているようです。 どちらも、顔を見合わせて、 「なにしてるんですか?」 って、間の抜けた問いかけをしてしまいました。 でもまあ、こんなこともあるんですね。 3月30日 さくら サクラ 桜 ![]() 満開、かなぁ。 この前来たときには、もう花が終わったのか、と思いましたが、友人が、桜株の花はこれから、というので、どうかなぁと。 葉っぱの方が強くて、花はかくれてしまっていますが、咲いてましたよ。 ![]() 桜は、花が先と思っていましたから、葉が先のこともあるんだと納得。 そのあと大島公園に寄り道。公園も桜がきれいでしたよ。中に白とピンクの桜が同じ枝に咲いているのを見つけました。これって、酔芙蓉みたいに、咲いているうちに色が変わっていくのでしょうか。かわいいですよね。 写真じゃわかりにくいかなぁ。 きょうは、友人とボーリングに行こうとしたのですが、ウロウロしているうちに、なんとなく島めぐりになってしまいました。 ![]() ![]() ふたつ岩から三原山をみたとこです。あいにく山頂付近は、お休み状態。でも、山肌が桜の淡い色でポコポコとふくらんでいるように見えました。 なかなかいい景色。それに、大島にこんなに桜の木があるとは思いませんでした。 ![]() 近くでなくても、遠くても桜の存在感はありました。 桜の花が山裾から山頂へ向かって、日ごとに登っていく景色を、ながめられるって、いいなぁって思います。 バームクーヘンでは、薄陽もさしてきましたが、空は不安定な感じ。でも、ウコン?のような桜を発見。海風を受けているせいか、木はガッシリとはしていませんが、蕾を持っていますので楽しみです。 4月 4月1日 三原山登山 きょうは、自宅から三原山登山口まで歩きました。友人といっしょだったので、時間を気にせずに、のんびり登りました。 9時半に家を出て、お昼には三原山登山口に着きましたから、まあまあですかね。 そうそう、三原山地蔵尊へ寄ったとき、カラスバトを見ることができました! 小笠原の母島には、アカガシラカラスバトというのがいるんですが、それに似ています。後ろ首あたりが虹色(ちょっとにぶいけど)に輝いていました。 お昼は、島のりとチーズの厚焼きトースト、窓からは三原山がどーんと見えました。おなかも目も満たされました。 帰りは元町林道の北線に入り、元町を見下ろしながら、桜を楽しみましたよ。 曇り空だったので、桜の花色がもうひとつ冴えていないように思えたのですが、春のハイキングを満喫。 ![]() ![]() いつも車で走っている道のそばにあったんですよ。歩くのもいいなぁと実感。 右の写真は、スズメのお宿へ行く道かも。な〜んて。竹藪の道です。 登山道を歩くと聞いたときは迷いましたが、体を動かして、いろんなものを見たり、植物好きの友人にあれこれ話を聞きながら、道草の楽しさを味わいました。 で、こうして書いているわけですが、なんだか、HPがヘンなんです。うまく画像がアップしていかない…。 いろいろ原因を考えているのですが、ちょっとつまずいています。 なんとか、アップできるようになりました。よかったぁ(*^_^*) 4月3日 嵐のあと ![]() 「おっ!!」 と思ったときほど、おもしろさはなくなっていました。 もしかしたら、久しぶりに富士山にあえるかと、浜の湯で待つことにしました。 なんで浜の湯かって。それは、おととい三原山へ登った筋肉痛が、きょう厳しいので…。私は浜の湯が筋肉痛に効くような気がしています。 ![]() 富士山待ちをしていると、なぁんとなく雲が切れてきましたよ。もう少しかな〜と、粘っていましたが、湯あたりしそうになったので、あきらめました。 三原山は、山頂に向かって桜前線の淡い色が上がっていたのに、すっかり緑だけになっています。 これからは、緑の変化が楽しめそうですが、桜は終わってしまいましたね。 4月4日 まだまだ… 『大島 私的 見どころ』を整理していたら、テキサスコースの時間が、なぁんとなくおかしい。登り60分・下り45分。いやいやちょっとヘンだぞ〜、そう思ったら確かめなきゃ。ということで、きょうはテキサスコースへ行きました。 きのう・おとといと雨で外へ出られなかったので、きょうの青空は、もう家にいるなんてできない、ってこともあります。 テキサスコースへ行く前に、桜株に寄りました。もうすっかり葉桜になっていましたね。予測はできましたが、確かめないとね。私って確認作業が好きですよ、ほんと。 さて、テキサスコースの時間は、やっぱりちがっていました。地図にまとめるときにミスしたようです。困ったものです、って自分のことですが。 きのう、『桜は終わりだ』なんて書きましたが、あの嵐にもめげず、がんばっている桜もあります。もう少し楽しめそうです。 ![]() テキサスコースのあとは、『なんちゅう滝』へ。雨のおかげで、きょうは水道くらいの水量になっていました。 それから、差木地へ出て、『汐吹(住宅地図にはそう書いてありました)』を探しに行きました。公園に車を駐めたところへ、地元のおじさんが。もちろん聞いちゃいました。 「汐吹はね、ほらあそこだよ」 指さす先に、ブワッとクジラのブローのような霧?が上がったのです。お礼をいって、さっそく汐吹へ向かいました。おじさんは、階段があるけど、人が入ってないので、ヤブかも、と教えてくださったので、階段・ヤブを探しました。でも、よくわからなくて、とりあえず、海岸へ向かっていそうな道を行くことにしました。 ラッキー!!、1分ほどで、着いちゃいました。磯への道のようで、ヤブもなく、ただ溶岩で、少し道が細いかなぁ。 でも、着きました。で、ですね、虹つきの写真が撮れたんですよ。うれしい(^o^) ![]() 泉津の潮吹で、友人たちが虹つきの写真を撮ったと見せてくれたので、私も撮りたいなぁと思ってたんです。ボケてますけど。 どちらかというと、泉津の方が大きそうですが、見やすいのはこちらでしょうか。位置的には、島の北東部と南西部ですから、片方がだめでも一方は見られるってことで、いいかもしれません。 ただ、大島には他にも『しおふき』の地名があるそうです。 よしよし、これでまた地図のピースが増えました。 あとは、ウコン?の桜です。バームクーヘンの道路が広くなっているところに。 ウコンは緑色が強い花ですが、ここのは淡い黄色かなぁ。八重のようですが、さっぱりした?八重です。でも、風が吹き付ける場所なのに、がんばって咲いています。変わった花もいいです。
カメラってすごいですね。きょう、プログラムの中に『花』というのがあるのに気づきました。で、使って撮ったのが、大根?の花・菜の花・ウコン・八重桜・たんぽぽ・イチゴです。ちょっといい感じに撮れた気がします。 4月8日 花まつり ![]() ![]() それから、まごちんの入学式でもありました。富士山がくっきり見えて、さらに南アルプスまで。ほんとに、いいお天気でしたね〜。 きのうは、駅伝大会でしたよ。でも、土曜日に大型船が欠航して、選手が来られなかったというアクシデントがあっちのチーム、こっちのチームで起きてたようです。 『島』ですよね。 いいとか悪いとか、じゃなくて、それが『島』なんですね。 風が強くて、いきなり雨が降ったりと、悪天候でしたが、みなさん、走ってました。またしても、私は責任のない応援をしたのです。 ![]() ここは大島七福神の毘沙門天さんがいらっしゃるので、お参りして、写真を撮らせていただきました。奥さまとしばしのおしゃべり。そこへ友人が来て、ひょんなことから、観光協会で作った七福神巡り用の色紙をいただき、また、七福神を巡ることになりそうです。 で、さっそく、金光寺さんと海中寺さんをまわりました。 帰り道、ふと、土手をみると、私の田舎でいうところの『ずばな』がありました。なつかしくて、いただいてきました。 4月11日 挑戦 地図を入れると、データが大きいので、あっという間にホームページのレンタル容量マックスに近づいてしまいます。 なんとかしようと、昨夜ひと晩かかって、あれやこれややってみました。 画像は荒くなるけど、まあまあうまくいったような気がします。 ![]() きのうは、 岳の平(たけのひら)というところに行きました。小高い丘のような山??ですが、下から一気に登っていくので、けっこうきつい道でした。でも、見晴らしはよかったです。 かわいいホタルブクロが咲いていましたよ。 ![]() 曇っていたので、わかりにくいかと、輪郭をなぞってみました。赤い溶岩のあとが、馬に似ているというので、そういうそうです。 まだまだ知らない場所がたくさんあります。 ![]() さらに、初対面!!つばっきぃ?? 岳の平を下りて、喫茶店の植え込みに、こんなものを発見。友人が、 「大島のマスコット、つばっきぃじゃないのかなぁ。でもなんか形が…」 正体?いまひとつはっきりしないところもありますが、植え込みの中のこんな感じ、なんか好きです。 4月13日 さくら株祭り 先週の嵐?で、延期になったのですが、こじんまりしたお祭りでした。でも、そこでしか食べられない屋台の味があったようです。桜はなくても、こもれびの下で、のどかでした。 帰りに大島公園のツツジをチラッと見てきました。
4月15日 バータゴさま ![]() 入ったところは、まあまあの広さがありましたが、いくらも歩かないうちに細い道になりました。やがて、溶岩を切り裂いたような道になって、ふと、上からマムシくんが飛んできたりしないよね、なんて思ってしまいました。 なにしろ、草の勢いがぐんと増したような、きょうこのごろ、足もとの草丈が不安な感じです。で、『ういろう売り』なんかをいいながら歩きましたよ。臆病者です。 都道から擁壁を登って約3分、山道を登り15分、下りも同じくらいでした。擁壁を差木地方向に歩いて行くと、砂の浜がよく見えました。なかなかいい眺めでしたよ。 4月22日 利島へ行きました この時期、海も落ち着くはず、と思っていたのに、きょうも利島には寄航できないと決定されてしまいました。 じゃあ、と空港へ。ヘリは満席と、予約状況でわかっていましたが、『もしかしたら』と聞いてみようと行ってみました。 でも、キャンセルは出ていませんでした。う〜ん、あきらめなっくちゃいけないかなぁと思っていたら、 「チャーター便があるんですけど」 とのこと。即、お願いしました。 で、利島到着。大島からわずか10分。船では渡れない海も、空からはスムーズに越えていけます。ラッキーでした。 民宿に荷物を置いて、さっそく散策。きょう、おじゃまするディサービスを探すことに。でも、見つけられず、民宿のおかみさんに聞いてしまいました。ディサービスは、すぐそばにありました。あまり近すぎて気づけなかったんです。あ〜(^^;) なにやってんだか。 ディサービスでは、学童保育の子どもたちもいっしょに、との話で、おとしより向けの内容を少々変更。 ディサービスでの腹話術を終えると、島の方が島巡りに連れて行ってくださいました。車だと、ほんとに1時間もあれば、一周できます。南ヶ山園地からは、うっすらと三宅島、新島・式根島・神津島が見えました。 ウスイゴウ園地からは大島も見えます。 ![]() まず、灯台。利島の灯台は、村内にあるようです。灯台は岬の端っこにあるというイメージですから、利島の灯台は、どんな感じなのかなと思っていました。 ![]() 道路にハシゴがあり、そこを登って灯台です。こんな灯台もあるんですね。 ![]() なんて鳥でしょうか。 4月23日 きょうも利島 ![]() 8時30分に宿を出て、東方向へ。NTT・駐在所・郷土資料館・村役場・勤労福祉会館。この通りは官公署通りかな。 勤福のところで、東まわり西まわりの分岐がありました。ふと見ると、シラサギ(推測)が小中学校の芝生の校庭に舞い降りています。 学校に通ってきたのかなぁ、なんとも童話的な風景です。いいなぁ。しばらくカメラで追っかけました。
で、東まわりに行くことにしました。 歩き始めてすぐに、地域交流会館なるものが。張り出した庭は長めが良さそうです。 下りてみました。さっきから、気になっていた港の近くの白波を写し、振り返ると宮塚山がど〜ん。 ![]() ![]() 道の両側には、手入れの行き届いたツバキの林が続きます。ツバキの林は段々畑になっていて、ツバキの実を集めるための簡易トロッコ(?)もあちこちにあります。それほどの実を集めているんだと、資料にあった、日本一の生産量という文字が納得できました。 勤福の分岐から約40分で、三番神社といわれる下上(おりのぼり)神社。道路からちょっと入ったところにありました。玉石の階段の上の小さな社殿?は利島独特のものなんでしょうか。う〜ん。大島にもありますから、そうとはいえませんよね。 ![]() ![]() 説明板があったのですが、読みにくかったので、残念でした。そばの池は12の敷石で囲まれていました。 スイレンの花が咲いていましたよ。金魚もいました。 ここから宮塚山の登山道に入ります。 登り始めると、いきなりふくらはぎが突っ張るような階段が続きます。どこの山道でもそうですが、階段があると、それに合わせて登りたいのですが、どうも、私の足が短いようで、サクサクと登れません。 ![]() 約10分で、中間点の標識。そこから3分ほど登ると、『御穴』約1分。噴火口のあととのこと。戻って約7分で分岐。 ![]() 約2分で展望台あり。登ると、村落が一望。ちょうど、あぜりあ丸が入港していました。明日もこうだといいのになぁと期待を込めつつ、しばし眺望を楽しみました。 展望台から下りて、さきほどの分岐まで戻り、いよいよ山頂を目指します。 階段の道が続きます。 約6分で頂上。宮塚山標高507,5m。山頂は木が茂っていて眺望は望めませんでした。帰りは南ヶ山園地へ下りる予定です。 できれば、都道も一周したいと考えていましたが、そこまでの時間はないかもしれないので、とりあえず宮塚山をぐるっと回って、で、手を打つことにします。 ![]() 展望台から分岐まで3分。ウスイゴウ園地からの道と違って、こちらは階段にはなっていません。ゆるやかな道をのんびり歩いて、約20分で道路へ出ました。 今回ラッキーだったのは、子どもたちの遠足があるので、ハイキングコースを学校の先生たちが整備されたあとだったことです。倒木などが片付けられていて、歩きやすかったです。 学童の先生方と話しているうち、ひょんなことから、夜、勤福で腹話術をしてもらえないかということになり、場所が取れれば、と話し、車で帰られる先生方と別れ、南ヶ山園地へまわります。 ウスイゴウ園地もそうですが、南ヶ山園地も道路を越えて斜面一帯園地なので、広いです。都道の分岐から園地の展望所までは、約15分。途中で二番神社・大山小山(おおやまごやま)神社へ。玉石の階段。二番神社へは、健脚コースと初心者コースがありましたが、健脚コースは道がわかりにくかったので、初心者コースを歩きました。道路から約2分。 展望所のそばにはトイレあり。 ![]() きょうも三宅島が見えます。(写真では見えなくて切れちゃったかも) うれしいなぁ。もう30年近く前のことなのに、三宅島にいたころが、きのうのように思い出されます。 3歳と5歳の息子と娘を、島のみなさんが、島の子どもたちと同じように、『島の宝』として見守っていただいたこと、感謝しています。三宅島には、ほわほわとした思い出がたっぷりなんです。 さらに母島では末の娘が中学2年というむずかしい年ごろで行ったのですが、そこでも、温かく見守っていただいたと思います。母島でもキラキラの思い出がいっぱいです。 お昼を食べながら、あんなことこんなこと思い出して、楽しいランチの時間でした。 さてさて、これから一番神社を探して、3時30分の保育園に行かなくっちゃいけません。間に合うかなぁ、少々心配になってきました。 約4分で一番神社・阿豆佐和気命(あずさわけのみこと)本宮。ここも玉石の階段です。 ありゃりゃ、私は三番から回ちゃったんですね。 さあ、気合い入れて行くぞ! 南ヶ山園地を回る道路を抜けて、都道へ。 気になるので、先ほどの登山道との分岐まで戻って(時間がないといいながらこうだもんね〜)確認。でも、そのおかげですてきな展望台を見つけました。夕日展望台というそうです。
その近くに、こんな神木がありました。 阿豆佐和気命と石に彫られていますから、こちらも一番神社と関わりがあるんでしょうかね。 素朴な神域とでもいうのでしょうか、玉石の自然の祭壇が島の神様を象徴しているように感じました。 焼却場を横に見て、海を眺めながら下り坂です。地図によると、この先に神代椿(かみよつばき)なるものがあるようです。さっき道標に港まで4キロとありましたから、寄り道しても大丈夫。 で、周回道路から浄水場へ向かう道を浄水場へは下りずに、そのまま行くと右側に石段があります。見落とさないように。 どこにあるか探しながら、かなり上まで行き、時間をみて、これでは保育園に間に合わなくなりそうだと判断。残念だなぁと下りる途中、登るときに気になった案内板のようなものを見に行きました。 草の道を登ると、案内板のようなものは、まさに案内板、でした。でも、錆びて文字が読めません。 『神代椿』とここまでは読めましたが、神代(かみよ)の時代からある椿だろうと勝手に想像していた私は、そばに立っている椿の若さに、???。ところどころ読める文字に『真偽の程は』なんてのもあるし、神代椿は代替わりしたのかなぁ、とこれも勝手に決め込んで下りることにしました。回り込んで写真を撮っていると、草むらに階段が。 大島と違って利島にはマムシがいないそうですから、なんとか歩けます。 神代椿から道路まで、下り約3分。 周回道路へ戻って、約20分。きょうおじゃまする保育園。前を通って村内へ。約2分で堂山神社。ここから浄水場への道もあるようです。 長久寺の山門を右に見て宿へ。
あちこちに幹まわりの大きな木がたくさんあり、島の歴史を語っているようです。大きな木っていうのは心を落ち着かせてくれますよね。 休憩を含めて約6時間のハイキングでした。 保育園へは島の友人が車で送ってくれ、帰りは園長先生にお世話になってしまいました。 ひとりで、なんとかしようと思っていたので、とてもありがたかったのですが、まわりのみなさんには迷惑をおかけしました。 夜もまた、勤福(勤労福祉会館)で、腹話術・南京玉すだれ・アート風船のフルコース。車での送迎付きです。 しかも、きのうまでは縁もゆかりもなかったみなさんたちに。 『子どもたちのためだから』 そういってくださるやさしさに甘えさせていただきました。 夕食 『利島のサザエは大きいよ』 ![]() 写真の撮り方がヘタですよね。せめて、サザエのそばに湯飲みを置くとか、大きさを比較できる工夫をするべきでした。 利島のサザエは、この大きさになるまで獲らないんだそうです。漁師さんたちがみんなで協力し合っていらっしゃると聞きました。 いやぁ、ほんとに大きなサザエでした。食べ応え、ありました! ごちそうさま。 4月24日 朝から散歩です。玉石垣がいいです。狭いけれど、昔の道って感じが好きです。 ![]() ![]() 勉強、大好きなんだよって、いうのかなぁ。 玉石垣の風景もいいですよね。この写真、島の道って感じで好きです。 立派な桟橋ができたことで、便利にはなったけど、玉石が取れなくなったそうです。 さあ、きょうは船が着くかなぁ。宿のおかみさんが、午前ジェットが着いたら、下り便に乗った方がいいよ、といわれるので、そうすることにしました。 下り便というのは、新島・式根島・神津島へ行く各島便です。そのまま上り便になるわけですが、 「新島で降りてもいいのかな」 と聞くと、新島で降りて、もし上り便が着かないと帰れないよ、といわれてしまいました。なるほど、そういうこともあるわけですよね。 とにかく、午前のジェットに乗ろうと船待ちに行ったら、 「ええ〜東京湾を出てないって、どういうこと?」 係の人の声。故障したらしい…。見込みはよくわからない。あしたは、自宅の工事の約束があるので、どうしても帰りたいので、ヘリに変更。 ![]() 「こんな大きなもの、初めて見ましたよ」 「なにしろ、三人入ってますからね」 というと、 「もしかして、腹話術の人ですか?」 あれあれ、ご存じでしたか。そういうとこ、島です。 「腹話術の人形じゃあ、ご自分で持って帰りたいですよね。なんとか積めるようにします」 なんか、うれしいですよね。こういう会話。 小笠原の母島にいた私には、離島の暮らしの大変さは多少なりとも理解できるつもりでした。 でも、こんなに近くに島が見えるのに、交通の条件が厳しいのは、どんなものなんでしょうか。 定期船・ジェット(高速船)・ヘリ、多少天候が荒れていても、他の島には着岸するのに、利島は欠航、ということも多いようです。 そういう意味では、近くても遠い島なんですね。 私のみた利島は観光に頼らず、地場産業を生かしている島のように感じました。利島の椿の森を見ていると、長い年月をかけて、大切に守ってこられた森だと思ったからです。そういう目に見えないけれど、なにか温かいものに包まれている島のような気がします。 利島の神社仏閣
4月29日 カルデラ ![]() ツツジはもう少し先かなぁ。大島公園では満開でしたが、カルデラはまだちらほらでした。 緑が濃くなってましたよ。今まで気づかなかった待避壕も発見。 必殺必勝岩のまわりも草が元気になっていました。 幻の池は、幻です。雨のあとでないと見られません。 赤ダレは緑と競演って感じでしょうか。 表砂漠ルートからお鉢へ。ゴジラ岩を目指します。途中に『ホルニト』というのがありました。昭和25年から26年にかけての噴火でできたものだそうです。 ![]() 説明板によると『火口からあふれた溶岩が三原山の斜面を下って流れました。一部では溶岩の表面が固まってトンネルのようになり、溶岩はトンネルの中を流れました。トンネルの天井が破れたところからガスや溶岩が吹き出して、塚になったものがホルニトです。』 ![]() 塚の空洞をのぞくと、かなり大きいのがわかります。 中に入ってみたいなぁ、と思いました。 そしてゴジラ岩。いつもながら、いいネーミングですよね。 山を下りて、公園で薙刀のおさらい。実は友人に習ってるんですが、むずかしいんです。動きが合気道とはまったく違うので、戸惑っています。でも、大島にいるあいだ、なにか新しいものを身につけられたら、とは思っているんですが、なかなか…。 ハイキングとお稽古の疲れを癒すために、浜の湯へ。風が強くて、入る前は寒かったけど、のんびりつかってポカポカです。 5月 5月3日 再び利島 ![]() 主人が利島へ釣りに行くというので、思いがけず早々と二度目の利島行きをしました。 朝、5時20分の大型船に乗って、6時40分到着予定。 海は穏やか、空は青空。もう絶好の行楽日和です。 なのに、私はカメラのバッテリーの充電を忘れ、予備のバッテリーも持ってないという最悪の旅行です。 主人は桟橋で釣りをするので、私は地図作りのピース集め。 きょうは、先日行けなかった村内の施設を見に行きます。 まず、ダイビングサービス、漁協、はしけと海の歴史広場、浜宮神社、前浜親水レクリエーション施設、椿油製油センター、浜から少しずつ登っていきました。 ![]() 親水レクリエーション施設では、傾斜地に幅広の水路が造られていて、なかに玉石のカメさんがいました。 施設が開いているときには、ちっちゃい子どもたちが楽しく遊べるようになっているのでしょうか。 夏の季節を待ってるかのようなカメさんの親子でした。 ![]() 帰りは11時50分の大型船なので、時間を見ながら歩くコースを決めていきますが、気になるところがいろいろあり、時間内に回れそうもありません。なので、特に気になるところを回ります。 炭焼き小屋から先へ行くと、神代椿へ入る道が横に伸びています。そこを歩いて、約10分。神代椿への道は、先日来てから10日しか経っていないのに、草が腰丈までになっていました。 利島はマムシがいないという友人の言葉を信じて、草をかき分け写真を一枚。 堂山神社から浄水場を通る道を確かめます。アスファルトの道が途切れると、石畳の道。こもれ陽の道を歩くと、石のイスがところどころに並んでいます。 利島には、こうした散歩道がひょっこり出てきます。そこには苔むした玉石の石垣があり、昔の風景が広がっていたりします。そういうのが楽しいです。 さてさて、船に遅れては大変なので、中途半端ではありますが、港へ向かうことにしました。 主人は義理堅い利島の海から、サカナさんをいただき、釣りを楽しんだようです。 「忘れ物したから、今度また釣りに来るよ」 なんて、利島の海の大物を釣りに、また来るつもりみたい。 ![]() ちょうど同じころ、友人が三原山のお鉢巡りをしていたようなので、写真を拡大してみましたが、写ってませんでした(^_^)v あたりまえか… ![]() 5月12日 東京へ 娘の出産が近づき、気になるので、東京へ戻りました。 予定日より遅れたものの、元気な産声をあげてくれました。 普通に生まれてくれることが、こんなにもありがたいことだと、新しい生命を授かるたびに思います。 とりあえず、娘もまごちんも元気です。 で、掃除洗濯を手伝いながら、夜は自宅へ戻って、自分の時間を楽しみました。 というのも、市の甲冑作り教室に参加させてもらっていたので、その制作をしていました。 甲冑作りだよ〜ん!! 1回目の講習には出られなかったので、2回目からです。 5月19日 第2回 これから作るもの 兜(前立て)・しころ・袖・籠手・胴(前後)・草摺り(前後)・佩楯〈ハイダテ〉・脛当て。 軽量甲冑だし、甲冑キットのようなものなので、私のようなオバサンでも大丈夫そうです。 きょう、いただいたのは、『しころ』部分。兜の下、首のあたりです。他の方は、草摺り・袖を終わっているようで、いきなりどっさりの部品を持ち帰って、内職状態。 小さな穴にヒモを通していくのですが、最初に穴のバリを取るといいと聞いたので、ホームセンターで、やすり付きの千枚通し?を購入。なかなか調子よくて、つい力が入りすぎ、穴が大きくなったかも、と不安になりつつ、ひと穴ひと穴作業を進めました。 ヒモの先をななめに切り、セロテープでクルリ。穴に通しやすいようにします。通し方の見本とにらめっこしながら、地味な作業です。 次の講習会まで、しころと草摺り・袖を仕上げておきたいので、けっこうがんばりました。むずかしくはないのですが、手間がかかるので、昔の人は根気よかったのだなぁと思ったり。 5月26日 第3回 きょうは佩楯です。いただいたものは、色鮮やかで、これを防具の下につけたのではもったいない、と先輩のガイドさんにいわれました。 私たちが作っているのは、軽い甲冑なので、鉄板ではなく、合皮を使います。で、私の佩楯は見本だったので、鉄板代わりの合皮が、生地のすてきな文様を隠していました。先輩方からのアドバイスで、できるだけ下の文様を出すことにしたのです。 真ん中あたりを手芸用ボンドで止めてありましたから、上下左右をかなり大胆に切り、 「なかなかいいんじゃない」 下の生地が生きてきたと思います。さらに、4段あったものを、自宅に戻って、水とドライヤーを使って、ゆっくりはがして3段にしちゃいました。 でも、これ、草摺りの下に隠れちゃうんですよね。 まあまあ、そこは置いといて、籠手に、脛当て、やらなくっちゃいけない作業は続きます。 鉄板代わりの合皮を、少しでも鉄板らしく見えるようにしたいと思い、考えました。 まず、縦のラインをミシンでザクザク縫い、そのあと、刺し子用のぽったりした糸で、数ヶ所とめてみました。鉄板みたいに、なぁんとなく、見えなくもありません。佩楯終了。 籠手は、手先の部分にゴムを使ってみました。内側はタグ状にして、ヒモを通すことに。ずり落ちやすいと聞いたので、背中部分には、またゴムを使って、動けるようにしたのです。 手首にも、ヒモをつけて、籠手のできあがり。 脛当ても、同じようにミシンで縫って、刺し子糸で押さえる作業をし、ヒモは途中まで、ミシン縫い。ヒモ部分が長いので、取り扱いが簡単なように、と思ったからです。 とにかく、武者行列の最中に、『これ、どうなってるの?』とさわりに来る人もいないだろうから、『…のように見える』な〜んちゃって○○、で十分、と納得しているのです。 で、同時進行で作業をしているのが、な〜っちゃって直垂(ひたたれ)作りです。 去年の武者行列で、着させていただいた華やかな直垂、あれを作りたいと思っているのです。でも、金襴の生地は、お高い。さらに、私の腕では高価なものは縫えない。失敗するともったいないどころの話ではなく、無駄遣いの最たるものになってしまいます。 ![]() でも、挑戦したい、と、ついに生地を手に入れ、毎晩それを見ながら、『どう料理しよう』と悩んでいるわけです。 昼間、娘のところでネット検索。画像を見たり、記事を読んだりしながら、直垂とは、という全体構造の研究???を重ね、なんとか、作りあげました。 生地がほつれやすいので、裏地を張ることにしました。接着芯ではなく、薄物の裏地で、アイロンで張るタイプのものを使いました。 自分では、満足のいくできです。 6月 6月15日 なんかヘン 一ヶ月も内地にいると、大島での生活がリセットされてしまって、なんかヘン、です。 しかも、内地の自宅周辺は、大島と似たようなところ。緑がいっぱいで、のんびりしています。 田舎から田舎への移動なので、大きく生活が変わったわけでもないし…。 大島へ戻ってから、雨続きで、自宅にこもって、甲冑作りをしているのもあるかもしれません。 自分のいる場所がどこか、見失ってしまいそうです。ほんと、ヘンな感じです。 きょうは、行者祭りでした。 その昔、役小角さんが修行をしたと伝えられている洞窟が、大島公園の先にあります。 いつもは危険防止のために通行止めになっている洞窟ですが、年に一度、6月15日だけ、行くことができるんです。 さらに、護摩焚きや子ども相撲などもあります。普段はゲートが閉じていて、車で入れない場所にも、入っていけます。 特別な日なんですよ。
洞窟までは、波打ち際の細い道をたどって行きます。 洞窟は、かなり大きいと思います。昔はここで、護摩焚きをしていたそうです。洞窟の一番奥に、役小角さんの像があり、祭壇が作られています。 天井からは水が落ちていて、ポツンポツンと体を濡らします。海岸から近いので、海が荒れるときは、ここまで波が上がってきたのではないでしょうか。 ![]() 帰りに、あじさいレインボーラインを通って帰りました。 中之橋の休憩所のあじさいがみごとでした。気持ちが少しずつ、大島モードに変わりつつあるような気がします。 6月20日 シカマガの滝 ![]() 『シカマガの滝』 いつもは枯れ滝に近いのですが、雨の日は違う景色が見られそうで、期待してます。 主人を会社まで車で送ったあと、行っちゃいました。 なんどか行ったなかでは、一番の水量かなぁ。うっそうとした森に響く水の音。 落ちつくなぁ。 6月22日 三原山 久しぶりに、三原山を見に行きました。 途中の噴火口見晴らしで、おもしろいもの発見。なんと、モリアオガエルの卵が側溝で、ぶくぶく。 たくましいですね〜。 緑がしっとり落ちついて、雨上がりのみずみずしさです。 ![]() 6月23日 海 野田浜で、今年初めての磯歩きを楽しみました。 水はあったかくて、『泳ぎたい』 残念だけど、水着の用意はしていないので、磯をウロウロ。 ![]() ![]() 三宅島では、『島アサリ』といっていたものが、大島では『セセリ』というらしいです。名前がちがうと同じものに思えなくて、なんかヘンな感じです。 ![]() そして激写カニさん…。 波の音、潮の香り、いいですね。 6月26日 またまたシカマガの滝 ![]() 社宅の友人に、 「シカマガの滝に行ってみようかな」 と話して、やや強制的に連れて行ってしまいました。 でも、よかった、です。今まで見たなかで、一番の水量。しぶきがあがって、もわっとした空気。ちょっと母島の雨林を思い出してしまいます。 「えっと、ここ大島だよね」 雨の日の滝もいいし、水がなくても、滝そのものが、噴火の歴史を語っているようなこの場所。 私のお薦めポイントです。 7月 7月1日 チョコボール 大島在住の友人が、 「チョコボールって知ってる?」 というのですが、私には心当たりがありません。自作の地図を観光協会へ持って行ったついでに、聞いてみると、???。 そのうちに写真付きのデータが出てきて、 『砂の浜を元町方向へ行ったところ』 と教えてもらい、行ってみましたが、わかりませんでした。 さらに翌日、もう一度聞きに行くと、たまたまよく知っている方がいらして、かなり正確な情報をいただきました。 で、きょう、再挑戦。社宅の友人たちといっしょです。 『塩屋さんのところを入る』 『第二砂の浜』 『堆積層と堆積層の間にはまっている』 これがキーワードですが、塩屋さんのところを入ったら、すごい崖っぷちに出てしまいました。でも、その崖を越えた向こうに、砂浜が見えます。あれが、第二砂の浜、ですね、きっと。 道がわからず、すごいところに突っ込んでしまって、スタック!!! 友人たちのおかげで、無事脱出できました。 あ〜、ひとりでなくて、よかったぁ。 ![]() ![]() 砂の浜の駐車場に車を止め、砂に足を取られ、磯を四つん這いになって、かなり苦労しながら、第二砂の浜を目指しました。 途中には、ステージのようなところ、オーシャンビューの住処?など、自然の造形のおもしろさを感じるところがありました。 ![]() なかでも光っていたのが、 「ハートだよ」 よく気がつく友人が、潮だまりのかわいいモチーフを発見。彼女はガメラ岩発見の功労者でもあります。 ![]() これもおもしろいでしょ。ベッドのような、いやいやまな板か?平たい岩が乗っかっています。 ![]() 友人たちを連れてきたのに、見つからないでは、申し訳ない、なんて、焦りながら、キョロキョロ。 ふと、写真で見た堆積層に似た場所に気づき、そおっと奥をのぞくと、ありました! 「あったよ〜」 ![]() 見る方向によって、形がちがうのですが、この写真のアングルが一番チョコボールらしいですかね。 7月3日 PPバンドのバック ![]() 私も教えてもらって、夏のバックを作ってみました。 むりやりミシンをかけて、布をくっつけましたが、なかなか気に入ってます。 中に仕切りをひとつ作って、携帯とカメラ入れにしました。 でも、PPバンドって、クルクル丸まっているので、編みにくいんです。思わず、キィ〜ってなっちゃいそうです。 友人たちのように、大きなカゴは作れそうにありません。 7月6日 サクユリ ![]() サクユリです。大きなユリです。一本なのに、家中に香りが広がっています。 「奥さんは、花が好きだって聞いたから」 まあまあ(^o^)、どなたかわかりませんが、そう話してくださったようで、ありがたいことです。 でも、残念なことに、花瓶がありません。島暮らしだから、じゃあありません。サクユリが大きすぎて、そこらの花瓶では、ひっくり返りそうなんです。 だから、サクユリさんに怒られそうですが、1・5Lのペットボトルに生け、倒れないように、水を入れた花瓶をくくりつけてます(^_^;) それでも、高貴な香りは玄関ドアを開けたときから、しあわせな気持ちにしてくれます。 7月11日 Tシャツ 大島の地図をアイロンプリントしたTシャツを、楽しんでいます。 で、今度は主人とおそろいのTシャツを作ろうとしたんですが、大失敗!! 一枚目は水色だったのですが、今回はネイビーブルー、同じアイロンプリントでは、白い部分が透明になってしまうので、だめでした。それに気づかず、2枚も作り、さらに、あんこさんのまで、くっつけてしまいました。 アイロンプリントペーパーには 【白色・薄地用】 と書かれていたのに。 なにやら、背中に張り付いている、って感じで、ほんとに残念です。 それで、単色カラーでコピーしてみました。これを濃い色のTシャツにプリントすると、うまくいくのかなぁ。 黄色のものだと、いいかも、なんて、思っています。 さてさて、どんなもんですやろ。 7月13日 秋の浜 ![]() ダイバーさんがたくさんです。三連休の初日ですから、みんな遊びに来てるんだなと思っていたら、友人が、ダイビングの免許だよ、と教えてくれました。 海からあがって、きょうはなにがいたか、という話になると、同じものを見ていても、私は『海に入れた』それだけで満足。でも友人たちは、イソギンチャクの種類や魚の名前、ほんとうにいろいろ知っているし、またたくさんのものを見ています。 岩の陰やよどみに、もっとほかの魚がいたんだなぁと、気づかない自分が残念です。 でも、海の中、でもないか、海の上に浮いてるだけでも、しあわせな気分になります。それで、浮いたままでいると、魚たちが気にしなくなり、手の届くようなところで動きまわり始める瞬間、それを待っているんです 7月17日 筆島
筆島海岸にわき水があるというので、行ってみました。 滝というほど大きなものではありませんが、岩肌をきれいな水がしたたり落ちています。 岩の中ほどをくりぬいたような小さなトンネルがあり、それをくぐって先へ進むと、おもしろい地層も見られました。そして、また滝。こちらは水量もあり、シカマガの滝のように、雨のときだけ、ではなく、いつも水が流れているようです。 それにしても、おもしろい地層です。 7月20日 サクユリ ![]() ![]() 月と砂漠ラインにサクユリを見に行きました。10日ほど前はまだまだ堅いつぼみでしたけど、きょうはどうでしょうか。 咲いてましたよ。友人から、サクユリとヤマユリのちがいを教わって…じつは私、島に咲く白いユリは、ほとんどがサクユリだと思っていたんです… だから、サクユリとヤマユリを識別しながらの観察は、興味深いものでした。 先日いただいたユリは赤い斑点がありましたから、ヤマユリになるのでしょうけど、伊豆あたりでは、混植で、斑点のあるサクユリもあるらしい、とのこと。 このサクユリの写真を見ると、花弁の大きさがサクユリとはちがうようにも見えます。 花の識別はむずかしいです。 7月21日 元町港 ![]() 「鳥じゃないよ。水をかぶっても動かないから」 「ふうん」 元町港にプッカリプッカリ。波に揺られて沖へ流れていきます。 主人は『木片』だというのですが、それにしては、あまりにうまくできたデコイのようです。 なんだか目が離せなくなって、じっと見ていたら、 「ありゃ〜」 動きましたよ。羽を広げて、水中に突っ込みました。 「え?木の破片だって?」 主人の顔をのぞき込むと、 「あの鳥、なにしてんだろ?」 あれほど、『木片』だと私を笑っていたのに、すっかり忘れたように鳥のようすをいぶかしんでいます。 鳥だったでしょ。 7月22日 王の浜 野増に王の浜というのがあります。なにやら、王の浜には竜宮城があるらしいのです。で、探検です。 でも、竜宮城といわれるようなきらびやかな風景は見つけられませんでした。 私は、竜宮城は三宅島の近くにあると思っています。だから、大島にはないんじゃないかと思っているんですが、あればあったで、見てみたいものです。 どこにあるんだろ。きょうはメジナっ子?がうまく撮れたかなぁ。
7月23日 カルデラ きょうもサクユリ観察会。 ![]() カルデラの中道を歩きました。 どこからともなく、ユリの香りが漂ってきます。 緑の植生に白い花がポツンポツンと、私はここにいます!と主張しているようです。 溶岩の黒さもまた、ユリを際立たせるバックになっていましたよ。 まだつぼみのものもたくさんあり、しばらくはユリの香りと姿を楽しめそうです。 7月30日 日の出浜 ![]() 遊具のあたりは深そうなのですが、子どもたちは、ドブンドブン飛び込んでいました。 海の上のにぎわいの、その下の海ではメジナやボラがのんびり泳いでいましたよ。 まごちんが遊びに来たので、連れて行ったのですが、小一の彼女には深いところもなんのその。浮き輪が抜けそうになるので、ライフジャケットを着せたのですが、これが大失敗。腿の付け根のところが、ライフジャケットの紐でこすれて悲惨な状態に。 でも、そんなことおかまいなしに、楽しんでいました。 7月31日 わ・ほ・ほ・ほ〜!! トウシキ 「なんのこっちゃい?」 といわれそうですが、きょうは海を堪能しました。 タカベの群れに遭遇したのです。ビデオも撮りました。波に揺られている画像ですが、大島へ来て初めての、魚の群れとの遭遇だったので、ゆらゆらとのんびり波にもまれながら、タカベの姿を見ました。 うれしくて、『わ・ほ・ほ・ほ〜!!』です。
いやいや、思いがけないアクシデントです。 8月 8月3日 ヒマワリ迷路(大島高校) ![]() ![]() おとなの胸くらいの高さのひまわりの迷路です。大きな花は、蒸し暑いので?、ちょっと頭をかしげたようになっていました。 小一のまごちんだと麦わら帽子の頭がチラチラ見えるくらいです。その麦わら帽子が、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。 それを見ているだけでも楽しくなります。 8月4日 魚釣り ![]() ![]() まごちんもエサをつけてもらって、釣りに挑戦。 『ムギタオシ』と地元のおじさんが教えてくれた魚を狙っていますが、なかなか釣れません。 娘は(まごちんの母)コマセカゴにコマセを入れ、付けエサをつけています。あらあら、なんか手が覚えている、といった感じです。 「エサがつけられなくっちゃ、魚釣りできないよ」 魚が釣れれば、 「魚を針からはずして」 とまごちんに指示。私の記憶のなかでは、娘はそれを父にやってもらっていたような気がしましたが。 8月5日 さらに末娘が来る ![]() 「とうさんと魚釣りがしたい」 と着いたそうそう魚釣り。 朝焼けに染まる大型船。滑るように過ぎていきます。穏やかな海。少しずつ明けていく大島の空を見上げもせず、釣り竿と格闘中の末娘。 旅情、とかどうなの? でも父親と楽しげに竿を並べているのを見ていると、それはそれでいいもんだなぁと思います。 8月9日 まごちんのおとうさん来る 末娘が帰り、まごちんお待ちかねのおとうさんが来島。 「二週間のうちになんか大きくなったような気がするね〜」 まもなく三ヶ月になる下の子を見て驚いていました。上のまごちんは、おとうさんの顔を見てニコニコ。あれやこれや話は盛りだくさん。 8月10日 花火大会 ![]() ![]() 9時からの花火大会という、内地では考えられない時間設定に戸惑いながらも、娘親子と楽しみました。 島の海、山、お祭り、めいっぱい体験して、まごちんたちは明日離島です。 8月12日 新しいお客さん ![]() もうちょっとで踏みつぶすとこでした。あ〜よかったぁと玄関先を見ると、そこにはクワガタのメスが入っていました。 え? 夫婦で遊びに来たんですか? ひと晩、泊まっていってね。 8月14日 トウシキ ![]() ![]() あまりの暑さに水浴びに。 この前見たタカベの群れにあえるかなぁ。 でも、そんなにうまくはないですね。 タカベにはあえなかったけど、メジナっ子はいました。写真を撮ったけど、海の色とメジナの色が同化して姿が見にくいので、残念です。 8月23日 うれしい ![]() 地図を更新しました。 久しぶりに見返していたら、最初に作ったものを、もう一度白紙から書き直したときに、落としてしまったもの、見にくくなったものに気づき、修正しました。 手書(描)きのものの弱点、人間の目の弱点、というか、情報が多くなると、見落としが多くなります。反省しつつ、一太郎に取り込んで、パソコン上で修正できるようにしたいと思っています。 そうなれば、紙を切ったり貼ったりしないですみますが、自分の字を書き込めなくなります。 手作り感がなくなってしまいます。それが淋しいので、本格的に作るのを躊躇しているんです。 それはともかく、修正したものは、ご迷惑かもしれないけれど、観光協会さんに一部届けています。それで、観光協会さんへ持って行ったら、私の地図に色を入れてくださっていました。 とってもうれしかったです。 こういうふうに自分の作ったものが変化していくのを目にするのも、楽しいです。 8月25日 久々の雨 ![]() 久しぶりに、シカマガの滝へ行きました。 この前行ったときほどの水量はありませんでしたが、滝を見ることができました。 でも、お昼には雨は上がり、そうなると、シカマガの滝も水が落ちなくなります。 ほんのちょっとの時間なんですが、タイミングってあるんですよね。 8月27・28日 メメズ浜・行者浜探検さらに日の出浜も! ![]() ![]() 行者屈の先に岩のアーチが見えたんです。そのアーチはメメズ浜と行者浜をつないでいるのかどうか。 もしかしたら、メメズ浜から磯伝いにアーチまでたどり着けるのではないか、アーチがどんなになっているか見てみたい、なんてことなんですが。 で、とうとう行ってみることにしました。 結論からいえば、ダメでした。 対岸にあたる桟橋から写真を撮ってみました。桟橋からアーチのようなものが見えるのですが、それが行者浜から見えるものとつながっているかどうか、わかりませんでした。 ![]() ![]() でもまあ、途中に『フクロウ岩』を発見しましたよ。 海には、南方系の魚も。 28日は行者浜からアーチを見に行きました。こちらもよくわかりませんでした。 なにしろ、行者屈へは年に一度しか行けませんからね。 で、きょうも対岸にあたるちょっと張り出した磯から、写真を撮ってみましたが、つながっているようないないような。 残念ですが、来年の行者祭りの日に、もう一度確かめてみようと思います。 午後から、日の出浜の砂浜ではなく、磯で、シュノーケリングをしました。なんだかいろんな魚が集会を開いてました。 イワシのようなキビナゴのような群れと遭遇。しばらくいっしょに漂ってました。 楽しかったぁ!!
9月 9月5日 日の出浜 「エイがいたよ」 と聞いては、見に行きたかったのですが、きょうの敬老会が終わらないとなにもできません。ほかに、締め切り間近の作品もあり、『我慢の子』でした。 敬老会は大成功、とはいきませんでした。思いっきり、『阿弥陀如来』で、ひっかかってしまいました。でもまあ、見てた方が喜んでくださったので、ひと安心、です。それに、仕込んでおいたツバキとカエルもスムーズに出せたので、よしとします。 で、行きましたよ、日の出浜。あちこちの浜でエイの目撃情報があるようですが、友人が見たというので、とりあえず、捜索?? 海がちょっと濁っているような感じでしたが、エイとの遭遇を期待して、ウロウロ。昼寝してないかと底ばかり見ていちゃあいけないよね、と思って、水面付近を見たとき、 「あれれれ」 ふわりと動くものが。エイだよ〜、カメラのシャッターを切って、友人に伝えようと、顔を上げたら、彼女はエイが来た方にいます。見たかな?ともう一度エイを探すと、そこにはスキンダイビングの人影が…。 ![]() 私ったら、見たい見たいと思っているから、見まちがえたのかなぁ。 でも、あれはエイだったよね〜。写真を確認すると、うん、そうだよ、エイだね。 と思っていたのですが、家に帰って画像処理したら、フィンでした(>_<)…ああ残念!!! 老眼が悲しい… 9月13日 カメラ この一年なかよく大島の風景、海の写真を撮ってくれていたカメラが壊れたというか、電池パックのパッキンが開かなくなってしまいました。 気をつけていたつもりでも、注意が足りなかったんでしょうね。 友人のカメラも壊れたという話を、半ば他人事で聞いていたんですが、思いっきり自分のカメラも故障しちゃいました。 パッキンだけ取り替えられないかとメーカーに聞いてみましたが、ダメでした。で、今は修理センターへ旅行中。 早く帰ってきてくれるといいんですが。 9月15日 南京玉すだれ 台風が近づいているので、雨の朝でしたが、9時過ぎには青空がのぞき始めました。 きょうは敬老の日のお祝い会で、南京玉すだれをさせてもらいました。 私は、振袖の衣装で、袂にツバキとカエルの絵を仕込んでいたんですが、みごとにフライングされてしまい、ちょっと焦ってしまいました。 原因は、まず、舞台でのリハーサルをしていなかったことでしょうか。いつもは舞台の上でなく、見てくださるみなさんと同じフロアなのですが、きょうは高いところでの演技でした。玉すだれの見せ方も気をつけていたのですが、本番、腕を振りすぎてしまった感があります。 観客の数も多く、みなさんに見ていただこうとしたのが、フライングを呼んでしまいました。 でも、いい勉強になりました。 「失敗しちゃいました」 という私に、 「いやいや楽しかったです」 と声をかけてくださった方もいたので、ほっとしています。 9月27日 リベンジ(!?) 誕生会で、先月のミス(福和術日記の欄にあり:腹話術の大切なポイント舌を忘れてしまったのです)をリベンジしようと、腹話術の『名前はまだない』編をしました。 最後はなんにもなくなる設定で。 「さようなら」 といったあと、さりげなく袋の中を見せ、そこにはなんにもない、という簡単なマジックです。 ステージ?からひいた後、ちっちゃな子が走ってきて、 「わんわん、どこにいったの?」 と聞いてくれました。ちょっと不思議な感覚を持ってくれたのがうれしかったです。 9月29日〜10月1日 国体 ![]() 大島は相撲競技会の会場になっています。 都立大島高校の体育館には、土俵がしつらえてあり、激戦の予感がします。 私は友人たちとボランティアをさせてもらいました。 接待を仰せつかった私たちは、高校生のお兄さんお姉さんたちと、あ〜でもないこ〜でもないといいながら、楽しい時間を過ごしました。 ![]() 私は相撲が好き、というわけではなかったので、試合が始まったころは、試合より、おしぼりやお茶のようすが気になっていました。 ![]() さらに競技の進行についても、複雑でした。最終日には、顔見知りになった先生方に、厚かましく、いろいろお聞きして、ほんの少しだけど、相撲の知識もふえました(*^_^*) 次回の場所のときは、決まり手を観察しながら、テレビを見てみたいです。 10月 10月3日 初ステージ ![]() うれしいような、あまりにステージ先が多いと、ゆっくり練習もできないというジレンマもあります。 他の人にとっては、ステージ、というほど大きなものではなくても、私には大きな舞台になります。 きょうは、新しく購入したえっちゃんとの初ステージです。 友人が、 「大島だったら、あんこさんでしょう」 とアドバイスしてくれたので、急遽、あんこさんのような衣装を作りました。えっちゃんがかわいいので、なんとか着こなしてくれています。 あとは防犯のつどい、なので、それようの話を担当さんと打ち合わせて、えっちゃん初ステージ。 15分の長丁場でしたが、終わりました。 そのあと、南京玉すだれをさせてもらいました。 振袖の袂に、ネタを入れて最後に出す、というパターンなのですが、まだまだ見せ方がうまくできなくて試行錯誤しています。 もともとカルチャーセンターで習ったので、『手ほどき』くらいのものですから、本流の南京玉すだれのみなさんからは、『ちがうよ』といわれてしまうでしょうけど。 でも、地域にちなんだ文言を入れて、楽しく見てもらえば、と。 腹話術にしても南京玉すだれにしても、演じるたびに反省点が出てきて、少々自己嫌悪的な気持ちにもなりますが、失敗しないとうまくなれないとも思います。 そうやって自分を励ましてる私って…(^_^;) 10月7日〜9日 神津島 7日 行ってきました、神津島。 大島・利島・新島・式根島・三宅島・御蔵島・八丈島、伊豆諸島で行ってないのは、八丈青ヶ島だけになりました。 伊豆七島というくくりでは、『祝 ![]() ![]() 7日は大型船がありましたから、大型船で出発。 ちょっと波がありそうだったので、念のため酔い止めを飲みました。でも、必要はなかったかも。 わずか4時間、利島・新島・式根島に寄港しつつ、快適な船旅でした。 神津前浜港に入港。すぐに保育園へ。11時から30分、との約束でしたが、ちょっと早めにスタート。 島の生活を考えると、羽村市動物公園でやっているような、えっちゃんの三つの約束… 道路に飛び出さない・大きな声で助けを呼ぶ・生命を大切に…というのはどうかな、と思いましたが、でも、私の腹話術はおせっかいな福和術なので、それでいいんじゃないかと、同じ約束をすることにしました。そのあと、クウちゃんの…クマの心…。 園長先生も納得してくださったので、ほっとしました。 それにしても、この保育園のお子さんたちの集中力はすごいと思いました。約2時間近く、園長先生のお話から、私の腹話術・アート風船まで、落ちついてつきあってくれたのです。 私もそれぞれのステージがゆったりできました。 そしていただいた給食。とってもおいしかったです。 さらに、2時から老人福祉施設。 こちらは、トランクから、えっちゃん・ルリちゃん・クウちゃんのリレー、南京玉すだれ、最後にクウちゃんの握手、のプログラムでした。 当たり前のことですが、初めてお邪魔する場所なので、部屋がどうなっているか、どのような場所で演じるかは、当日にならないとわかりません。 こちらの施設は、なんとステージがありました。しかも壁には、歓迎の文字、一気に胸がドキドキです。 南京玉すだれの、例の振袖の袂から出すアイデア、まだまだ未完成なのです。きょうも試してみましたが、改良・工夫が必要だと実感。 でも、演じるチャンスをいただき、ありがたかったです。 町(村)役場さん宛に、ボランティアをさせてください、と厚かましいお願いの手紙を出し、受け入れていただくことは、まったく厚かましい、のひとことです。 私自身は、人畜無害だと思っていますが、どこのだれだかわからないのですから、受け入れてくださる方は、勇気?が入りますよね。 ほんとうに感謝しています。 押しかけボランティアのあとは、観光です。 神津島は神の集まる島だそうです。レンタカーを借りて、多幸湾へ。湧水を飲んで、神津島灯台・千両池・ありま展望台。 千両池まで下りていったので、きょうはここまで。 あしたは天上山へ登ります。
8日 ![]() ![]() うわぁ〜、いい天気。きのうは雲がかかっていた天上山もスッキリ。 宿の奥さんに送ってもらい、観光協会へ、登頂記念証を出してもらえるよう、手続きをお願いして、黒島登山口から登りました。 山の斜面につづら折りの道が続きます。1合目からぼちぼち登っていきます。 ![]() ![]() およそ40分で10合目。 そこから、オロシャの石塁。ここからも村内が一望。戻って、黒島展望山へ。
神津島へ来る前に島の観光協会に連絡して、天上山の歩き方を聞いたとき、 「頂上というより、広場のようになっていますから、一周してもらうのがいいでしょう」
とのことでしたが、なんとなくその言葉の意味がわかりました。でも、少しでも高いところがあれば登りたいのが私。 風が強いので、気持ちがいいのですが、ちょっと吹き過ぎかと思いながら、展望山頂に立ちました。 同じ道を戻って、千代池(せんだい)。聞いてはいたけど、水なしです。 でも、シュスランに出合えました。 さらに進むと、センブリが。サルトリイバラも少し色づいているのが多くなりました。 分岐から裏砂漠、裏砂漠展望地。 ああ懐かしい!!三宅島と御蔵島です。大島で見るよりやっぱり近いですよね。うっすらと見えるでしょう。…無理かなぁ(^_^;) ![]() 戻って不動池分岐。表砂漠へ。表砂漠から戻り、もう一度不動池分岐。新東京百景展望地を経て不動池。不動池にも水がなく残念。櫛ヶ峰分岐を天空の丘へ。風が弱くなって、山歩きには最高です。 ![]() でも、大島は見ることができませんでした。 天空の丘を下り、ババア池をまわりました。イズイワギボウシが咲いていないかと思ったからです。 途中、水のある?池を発見。なぁんとなくハート型にも見えるような。でもイズイワギボウシは見つけられませんでした。 白島登山口をスルーして、最高地点へ。これで、天上山頂、ということかな。見下ろすと、表砂漠が。 しばらく風に吹かれて、休憩。 ああ、最高! 白島登山道を下り、郷土資料館、物忌奈命神社へ。 宿へ戻り、3時過ぎにレンタカーを借り、きのう行けなかった赤崎の遊歩道へ。海に入りたいけど、レンタカーを5時までに返さないといけないので、とにかく温泉へ。 露天風呂から波のしぶきを見て音を聞き、きょうの山歩きの疲れを癒しました。 山歩きを含めて20543歩。久々に2万歩越えでした。 9日 朝6時半から、村内の散歩。 愛宕神社と秋葉神社を目指しましたが、どちらもたどり着けませんでした。竹藪に阻まれてしまったのです。しかたありません。 朝食のあと、きょうもまたレンタカーのお世話になります。 観光協会へ寄り、きのう宿の奥さんに頼んでいた天上山登頂記念証を受け取り、えんま堂へ。そして赤崎の遊歩道。 ![]() ![]() 水温が高いようで、海を出てからブルブルすることもなく、陸は暑いくらいでしたから、気持ちよかったですよ。 おみやげは、前浜の白砂が観光協会にありましたから、それと、神津島花図鑑という本を買ってきました。同じものを持っていた友人に見せてもらい、おもしろいと思っていたからです。 神津島に来るにあたって、見ておきたいところリストはまわったのですが、一ヶ所だけ、なんどもウロウロしていたのに気づけなかった場所があり残念でした。 帰りはジェット船で約2時間。 大きなトランクと無事帰宅。 10月14日 大島温泉ホテル 久しぶりに、三原山へ登りました。コースは大島温泉ホテルルート。 景色はススキ。風もさわやか。静かな森を抜け、溶岩流を越え、お鉢へ。 去年来たときには、最後の登りがきつくてきつくて、大変だったのですが、今回はちょっと楽に登ることができました。 帰りは温泉ホテルの露天風呂でリラックス。 10月18日 台風被害 驚きました。すごい被害になりました。 あまりに被害が大きくて、言葉も出てきません。
10月28日
台風26号に続き、27号、28号と、次々に発生し、どうなることかと不安でしたが、なんとかやり過ごすことができました。 台風一過の青空をこんな哀しい気持ちで見上げたのは初めてでした。 11月 11月6日 ありがとうございました ![]() 災害発生の日から、二次災害の恐れのあるなかで、捜索復旧活動、お疲れさまでした。 まだたくさんの方が活動されていますが、この車両は内地へ戻るのでしょうね。 ありがとうございました。 11月10日 マップの調査をしています。 台風の被害がなかったことを確かめる作業中です。 11月12日 島の南部地域は被害が少ないと思っていましたが、きょう、筆島海岸が崖崩れで、立ち入り禁止になっていることがわかりました。 また、トウシキ海岸も海岸際まで車で行くことができていたのに、崖崩れで大きな石がゴロゴロしていて、ようすが変わってしまっていました。 残念です。 でも、天然のプールは大丈夫のようです。少しは石が入ったかもしれませんが、岩が崩れているところはなかったと思います、たぶん。 11月13日 伊豆半島に沈む夕陽
今朝は久しぶりに富士山が見えました。 空気が澄んできた、ということでしょうか。 夕方、雲が水平線より上に留まっていましたので、夕陽がとてもきれいでした。 伊豆半島の先端にかかって、沈んでいきました。 11月16日から八王子の秋 ![]() いい天気に恵まれ、いちょうの色づきもきれいな甲州街道でした。 甲州街道から御陵へ向かう道を、八王子城跡のガイド仲間と甲冑教室の参加者・子どもたちと武者行列。 源三くんもちょっぴりおしゃべり。 ![]() 11月17日 きょうもいちょう祭り。ブースで、甲冑体験の手伝いをしたり、源三くんとまつり会場をまわりました。 澄んだ青空にいちょうの葉が映えて、『秋』って感じです。 11月18日 久々の八王子城跡 ![]() で、調査のあとは埋め戻されてしまうので、その前に見ておこうと思ったのです。(これについては、八王子城跡ガイドのホームページに詳しく出ています) ![]() それにしても、ほんとうにタイムカプセルです。もっともっと周辺を発掘できたら、どんなものが出てくるか期待がふくらみます。 氏照さんは、池に映る月を眺めたりしていたんでしょうか。戦国という戦いの日々のなかで、そんな時間を持っていたんでしょうね。 11月20日 忍城 ![]() 秀吉の小田原総攻撃の際、最後まで落城しなかったことはすごいことですよね。 八王子城と違って、開城したあとは、江戸時代までお殿様が住んだ場所なので、戦国時代の風景からはかなり遠ざかっているように思いました。 11月22・23日 佐渡島 ![]() 紅葉と山の上にうっすら見える雪化粧。北にいるんだなぁと実感。 23日は日本海を往復。24日は太平洋を渡るんですよ。 11月30日 ![]() 26日には、定点観測地点をぐるっとまわりました。以前はまわれたところも通行禁止になったりしていて、地図に落とす(更新)には、むずかしいかなと思います。 差木地の汐吹きの虹がきれいでした。 12月 12月14日 平成20年9月から、ヨタヨタと続けてきた腹話術記録が100回になりました。 回数が増えたからうまくなったかといえば、まだまだです。特に大島に来てから、誕生会で発表するものは、3分くらいのパターンで作っていますから、1回とカウントするには、微妙かなぁ。 それでも、記録をつけ始めて、いろんなところで演じさせていただきました。 大島・母島・三宅島・御蔵島・利島・神津島・静岡県・震災後の福島県・父が人生の最後を過ごした病院がある福岡県・神奈川県。もちろん都内各所。あれ?島も都内、でしたね。 腹話術と出合ったときは、こんなに長く付き合うとは思っていませんでした。 もともと演劇が好きで、『演じる』ことには抵抗がありませんでした。むしろ、自分とちがう人生を舞台の間だけ生きることが好きでした。 私にとっては、腹話術はその延長上にあるのかもしれません。 思い出せば、腹話術の重鎮・花島三郎先生に、わずか二日間ですが、手ほどきをしていただき、先生が、 『口は気にしなくてもいいから、おもしろい話をしなさい』 とおっしゃったのを、口を動かしてもかまわない、と拡大解釈をし、おもしろい話が、どんなにむずかしいものかも理解できず、演じていた未熟者の私です。 さらに警視庁に腹話術を導入された村田先生に、腹話術は福和術なんだと教えていただき、私にできるのは、おせっかいな腹話術と開き直って、現在に至っています。 平成21年3月8日日曜日、その朝、私は村田先生に、 「唇が動いてる」 といわれた夢をみて、あわてて起きました。あまりにはっきりした声がまだ耳の奥に残っていました。次の腹話術教室には、そんなこといわさない(!!)と思ったのです。 でも、それは永遠にできなくなりました。 その日の午後、カルチャー教室から電話があり、先生は3月6日に、急逝されたと連絡がありました。 不肖の教え子に、最後の課題を出すために、天国への道を戻ってこられたのかもしれません。 まだまだ課題がクリアできたと思ってはいませんが、福和術の心はしっかり続けているつもりです。 ちょっと、力が入り過ぎました。 腹話術はじょうずではないけれど、関わっている時間が好きです。 12月25日 ![]() ![]() で、きょうはシャカリキ、島をまわりました。大島公園周辺の海岸遊歩道は、潮吹きの鼻の先が通行止めになっています。都道へ出る迂回路があります。 泉津・潮吹の鼻は、波はあったのですが、満潮時だったので、もやぁとした感じ。差木地の汐吹きは波がなく、さらに時間が遅かったので、虹なしでした。夕方、もう一回泉津に行きましたが、泉津港から吹き上がっているのが見えました。 行ってみたかったのですが、虹を撮ろうと思っていたのに、お陽さまはかげっていました。次回にまわすことにしました。 12月26日 きょうの一枚 ![]() 写真を撮ろうとカメラを向けたら、小屋からこちらへ歩いてきてくれました。 うれしかったので、おやつをあげようと思ったのですが、アシタバのような柔らかそうな草はありません。 でも、 『なんかちょうだい』 といいたげな目で私を見るので、枯れ草をあげました。クンクンとにおって、フン! ありゃりゃ、ご機嫌を損ねちゃたいへん!! で、カンスゲをあげると、シャリシャリシャリといい音をさせて食べてくれました。そこを一枚! 観光協会へマップを持って行き、 「とりあえず、12月25日までの状況、ということで。そのあとに、なにかあっても、責任持てないので、日付入りです」 なんていったせいか、まさかそんなことはないのでしょうが、夕方主人が、 「バームクーヘンが崩れたって。おまえ大丈夫だったか?」 マップを修正するためにウロウロしているので、心配してくれたようです。 「ほんと?」 夕食前なのに、 「行っていい?」 マップがらみだと猛進してしまう私に、あきれながらも 「行ってくれば…」 で、行ったら、崩れてました。暗いので全貌はわかりませんが、かなり大きな石もあり、どなたも巻き込まれなくてよかった、と思いました。 12月28日 雪の三原山 ![]() さすがに空気はひんやりしていて、山だ!なんて、思ってしまいました。 ![]() たらたらと、島を一周し、きょうのポイントは、雪の三原山と、シカマガの滝周辺がきれいに除草されていたこと、だれかがかじっちゃったみたいなバームクーヘン、かなぁ。 12月29日 「おまえ、大丈夫やったか?」 約40年ぶりに聞く、私が高校生のとき、お世話になった教育実習の先生の声。 「まさか大島におるとは思わんかったから」 こちらこそ、ご心配いただき恐縮しています。 思いがけない電話に、気持ちは高校生のころに戻ってしまいます。 九州から東京は、あのころ、遠いところでした。それなのに、私は東京に仕事を求めてしまったのです。 就職試験は、一次に合格すれば、二次三次と連続で受けることになっていました。 なんの拍子からか、覚えていないのですが、先生の後輩が試験会場の近くに下宿されていて、そこへ転がり込む手はずを整えてもらったのです。 で、厚かましくも、転がり込み、運良く試験に受かりました。 そのおかげで、私は希望の仕事に就くことができた、と感謝しています。 教育実習で担当したというだけで、縁もゆかりもない私のために、さりげなく手助けしてくださった先生。 ありがたくてうれしかったこと、ちゃんと覚えています。 そのときに、思いました。 人を助けるって、こういうことなんだなぁと。 それを私もしたいと思いました。だれかが困っているとき、できるだけのことをさせてもらおう、と。 そういう気持ちは持ち続けているのに、私は、だれかの助けになれているでしょうか。 12月31日 ![]() やわらかな夕陽です。 今年の締めくくりに、ほっとできるような夕陽でした。 平成26年 1月 1月1日
午前5時30分集合。 午前6時ころからカルデラに入りました。 暗い道をヘッドランプの明かりを頼りに歩き始めました。 みんなでワイワイ登るので、暗いものも気になりません。 けっこう風がありましたが、そんなに寒くはなかったので、歩いているうち、身体が暖まり、ご来光への期待も高まります。 つづら折りの道に入るころには、ヘッドランプも必要ないほど明るくなり、ちらほら雪のなごりも見えます。 お鉢に着き、三原神社も気になりますが、まずは初日の出。暖かいのは、ありがたいのですが、そのために、水平線のあたりに雲があるような感じです。 富士山はその雲の向こうに隠れているようです。 お鉢をぐるりとまわり、櫛形山方向へ行ったところで、雲の合間からチラッとお陽さまの姿が見えてきました。 みるみるうちに、お陽さまが昇ってきて、初日の出を拝むことができました。 富士山は無理かなぁと思いましたが、かすかではありますが、お陽さまの光を受けて、山頂付近を見ることができました。 せっかくだから、とお鉢を巡って帰ろうということになったのですが、すごい風が吹いて、いやいや大変な思いをしました。 でも、単独行動の多い私には、こうしてみんなで、あーでもないこーでもないと話しながら歩くことは楽しいことです。 朝日を浴びているゴジラと、今年の干支の馬さんをカメラに収め、初日の出登山は無事終了。
駐車場まで戻り、大島温泉ホテルの露天風呂に入り、登山の疲れも吹き飛びました。 1月3日 七福神めぐり お天気もよく、風もなく、いいおひよりでした。 福聚寺からまわり、神泉寺・瀧泉寺・林浦寺・潮音寺・金光寺、最後は海中寺。
1月6日 赤富士 ![]() 昔、美術だったか、歴史だったか、教科書で、『赤富士』というのを見て、絵を描く人だから、そんなふうに見えるのかなぁ、なって思っていました。 いつのころからか、それは想像の絵ではなくて、実際に見ることができるんだと気づいたわけですが、こうして目の当たりにすると、言葉をなくしてしまうくらいきれいですよね。もちろん、『きれい』なんて言葉では表現できないんですが、どんな言葉を並べるより、見られただけで、しあわせ、なんて思っちゃいます。 1月15日 雪 台風災害のあとが白く浮き上がって見えるのが哀しい… 1月21日 島一周…残念 主人とふたりで、徒歩島一周にチャレンジ! 朝6時30分、自宅を出ました。朝陽を見ながら、岡田へ向かって歩きます。 大島公園までは順調で、その先もだらだらと続く道を、キョンが捕獲されているところなどを見ながら、楽しく歩けていたんですが、筆島あたりから、膝が痛くなりだし、気持ちはしっかりしてるし、歩きたいのですが、足がもう自分のものではないようになって、動けませんでした。 ![]() それでも、波浮から間伏までなんとか歩き、バームクーヘン(間伏の地層切断面)の手前、間伏の駐在所前のバス停まで行き、そこでギブアップ。 主人は、まだ大丈夫だったのに、私が文字どおり、足を引っ張ってしまいました。 6時30分から16時20分までで、都道の31.9ポストの先、53826歩でした。 あ〜悔しい!! 1月29日 友人たちと大島公園の椿園に行こうという話になり、ぼちぼち出かけました。 ![]() 大島公園の桜も咲き始めているし、暖かいのかなぁと思います。 椿園にはたくさんの種類の椿があり、お気に入りの椿を探すのも楽しいです。私は、『太郎冠者』という小ぶりのピンクの椿がいいなぁと思っています。大島暮らしの記念に庭に植えようかと考えています。 友人は『ヤブツバキ』がいいといいます。たしかに、開きそうで開かない感じや色がすてきですよね。 椿の資料館には、たくさんの鉢植えの椿もあり、見応えがあります。 1月30日 定点観測 島一周の失敗で、身体中が痛く、それでも膝は悪くならずにすんだので、ほっとしたりしていたら、定点観測をすっかり忘れていました。 で、あわてて島をまわることに。 ついでに、大砂漠を歩きました。道は台風のあとが残っていましたが、歩けました。 チョコバウムクーヘンは、抹茶チョコバウムから、草が枯れ、なにやらバニラ入り??のようにも見えます。 驚いたのは、『なんちゅう滝』。水が流れていないのを初めて見ました。こんなこともあるんだなぁ。 ![]() それから、シカマガの滝。いつものように水は流れていないので、思い切って滝を探検。二度目ですが、やっぱりおもしろい。自然ってすごいですよね。 差木地の汐吹きをまわり、かっぱの橋、野増の展望台に行き、戻ってきました。 ふと気づくと、三原山に行ってませんでした。明日、ですね。 2月 2月3日 白石山(しらいしやま) 地図で見ると、櫛形山とは反対方向にあるらしい、と主人と行ったことがあったのですが、道がわからず、残念に思っていたところです。 島の方が連れて行ってくださるというので、友人たちと歩きました。 月と砂漠ラインの駐車場から、木星号の碑を左へ進みます。その上には観測機器が設置されてあります。そこまでは、前に行ったんですが、その先がブッシュ。 今回は、そのあたりから通れるようになっていて、道もゆるゆるとしていて、山に登っている感じではありませんでした。 この方向から見る三原山もいいです。
白石山頂には、塹壕が残っていましたよ。 ![]() それから先へ進むと、『大島のマッターホルン』 私のお気に入りの間伏を見下ろす場所に出て、そこで昼食。 お願いして、櫛形山のカルデラ側にある、ミニグランドキャニオンにも連れて行ってもらいました。 ミニキャニオンには、水蒸気のあがっているところがあり、三宅島の雄山サウナを思い出します。今はもうありませんが。 ![]() ミニキャニオンから櫛形山へ上がるころになると、強い風とあたり一面真っ白。それまでも雲がかなりの早さで流れていたのですが、どうやら本格的に荒れそうか、なんて思うほどの変化でした。 でも、そんなことにはならず、駐車場へ着きました。 きょうは、今まで行きたいなぁと思っていた場所、二ヶ所に行くことができ、ラッキーでした。 2月5日 三原山の雪 主人を送って玄関から山を見ると真っ白。山に行きたい、と思いましたが、うちの軽では危ないし ![]() 「行くよ!」 岡田港からバスに乗って三原山頂口へ。 三原山登山道路は両側の木々は白い装いのまま。右を見たり左を見たり、自分で運転していると、こうはいきませんから。 見晴台からは、いつもよりもっと白いお鉢が見えます。 「歩こうか」 とりあえず、トレッキングシューズは履いてるけど、行くんかい?でもま ![]() 雪を踏みしめると『キュッキュッ』といい音がします。さわると、さらさらの軽い雪です。だれも歩いていない道に足跡をつけていくのって、楽しいですよね。 おもしろかったです! 2月6日 お鉢巡り ![]() きょうは、大島公園ホテルから、お鉢を目指します。 カルデラに下りると、イヌツゲの林が続きます。両側にはまだ雪が残っていました。キョンちんの足跡もついてないところを歩いて行きます。 ![]() 溶岩の雪が作る景色はあきません。 お鉢を巡って、温泉ホテルの露天風呂から、自分の歩いた道を、のんびりながめるのもいいです。 2月8日 天気予報、大当たり また雪です。大島で、こんなに雪に降られるとは思っていませんでした。 明日も山に行ってみたいなぁと、今からわくわくしています。 2月9日 運休 また、バスに乗って三原山登山口まで行こうと楽しみにしていたんですが、残念ながら、バスは運休。 しかたないので、島を一周しようと大島公園へ行きましたが、あじさいレインボーラインから筆島までは、『滑り止め』が必要とのことで、またまたしかたない、戻って逆周りで波浮まで、行きました。 残念。 2月10日 予定外 明日は、童謡の会の子どもたちが作った詩の表彰式。静岡まで行きます。 初めて、熱海行きの船に乗りました。45分ですから、早かったですね。予定では、午後の定期観光バスに乗り、熱海の梅園などをまわりたかったのですが、なんと、先日の雪で、観光バスは運休。ありゃりゃ〜。 で、急遽、八王子へ帰ることにしました。 2時間半ほどで帰り着くと、八王子は北国だった、 ![]() ![]() 自宅のあたりは40センチくらい積もったそうで、こちらの路線バスも運休していました。 娘が車で迎えに来てくれたのですが、駐車場には雪がこんもり。 たまたま、ご近所のみなさんが雪かきをしていらして、うちの駐車場の雪もかいてくださいました。 「わざわざ、雪かきに大島から戻ってきたの?」 まさに、そういうタイミングでしたね。 で、思いがけず、みなさんと雪かきをして、雪国の人たちはたいへんだよね、とつくづく思いました。 夕方、娘に駅まで送ってもらい、静岡へ。 駅の近くの毎年お世話になるホテルのシックな部屋で、やっと足を伸ばすことができました。 2月12日 予定外の連続 表彰式も無事に終わり、きょうは、熱海の梅園によって15時30分の高速船で、大島に帰る予定でした。 ところが、海は大荒れ。15時30分の高速船は欠航だというので、焦ってしまいました。 静岡は風もなく、ときおり陽ざしもあり、穏やかな天気でしたから、すっかり梅の花見を楽しむつもりだったので、またまた予定外かと、ガッカリです。 ![]() 大型船は出るようなので、せっかくだから、熱海で観光バスに乗って、夜10時までに竹芝に行くか、なんて考えもしたのですが、明日は朝から予定があるので、その予定まではずすことはできませんから、帰ることにしました。 12時50分の便が、条件付き出航するというので、あわてて熱海の桟橋に行き、乗り込みました。 うんと荒れると困るなぁ、とお昼ご飯は抜きで乗りましたが、思ったほど揺れはきつくなくて、岡田港に着岸できたのです。 よかったぁと思ったのも、ほんのちょっとのあいだだけで、我が家の車、塩漬けになってます!! 防波堤を乗り越えた波がすごい勢いで潮をあげて、車に情け容赦なく降りかかっています。潮が塩に。 フロントガラスを指ですっーとさわると、まあまあいいお塩ができあがっていましたよ。それが、霜のようにくっついています。 なんとか視界を確保して、ガソリンスタンドへ。ぜいたくだけど、この塩を落とすのはかなり大変そうなので、お願いしちゃいました。
2月14日 またまた雪 ![]() それにしても、よく降ります。 八王子の自宅では、先日よりも積もったようです。かまくらの写真や自転車のサドルまで雪に埋まっている写真が送られてきました。 2月16日 三原山 ![]() 久しぶりに、すっきりした富士山が見え、カメリアマラソンのみなさんに、 「富士山が見えますよ」 と応援しました。 ![]() 雪が気になって、カメリアマラソンのあと、三原山に登りました。道路は除雪がすんでいて、うちの車でも大丈夫でした。 驚いたのは除雪された雪の高さ。 たくさん降ったのだなぁと実感。 登山口では、お店のみなさんや交番のおまわりさんも雪かき中です。深いところでは腰くらいまであったとか。 ![]() ![]() お鉢まで登りたいところでしたが、お昼過ぎに出てきたので、外輪山越しに富士山が見えるところまで30分ほど登って帰ってきました。 途中ですれ違った方が、 「雪を固めておきましたから」 といわれたように、前に歩かれた足跡をトレースしながら、大島に来てこんな山歩きをしようとは、思わなかったなぁ、とついついなんども、口に出してしまいました。 2月17日 きょうも三原山 友人たちと一緒に、また三原山へ。 きょうは、お鉢まで行き、火口展望台まで登りました。 火口の中にも積雪があり、水蒸気の出ているところもあり、火口内の温度?気温?はどうなっているのだろうと首をかしげてしまいます。 ![]() ![]() 三原神社は雪の中でした。 帰り道、きのう、やってみたいなぁと思っていた雪滑りをしました。 レジャーシートに乗って。でも、雪が溶けかけていたからか、想像していたほどは滑りませんでした。ちょっと残念。 2月18日 櫛形山第1展望台 ![]() あきらめて、裏砂漠を見に行くことにしました。 きのうは、お鉢へ登りましたが、裏砂漠のようすは三原神社からはわからないからです。 月と砂漠ラインの駐車場までは、両脇に雪はあるものの路面は乾いていて、安心して運転できました。 でも、ハイキングコースにはたっぷりの雪。足元がときどき、ズブリとうもりましたが、なんとか、第1展望台まで行きました。 裏砂漠にはまだまだ雪が残っていました。 2月19日 さらに櫛形山第1展望台 ![]() あきれ顔の主人に、 「おもしろかったぁ」 きょうは友人たちと行きました。 展望台で裏砂漠を見て、雪滑りをしたのです。 おとといのレジャーシートで、再挑戦。きょうは滑りましたよ〜。大島の中でもこのあたりは霜柱ができるし、どこよりも遅くまで雪も残っているので、気温が低いのだと思います。雪の表面も凍り付いているような状態です。 登山口と違って、他の人がいないので、もう思いっきり遊んじゃいました。 なんだか久しぶりに笑ったような気がします。 2月20日 行者浜 行者窟の先の岩のアーチ、あれがメメズ浜とどうつながっているのか、やっぱり知りたい。でも、6月15日の行者祭りまでは、行くことができません。 残念だなぁ。 行者浜から大島公園椿資料館まで、のんびり歩きました。 2月21日 シカマガの滝 滝の落差を上から見てみたいと思って、滝の上に出る道を探しました。見つけたのですが、ガッツリと柵があり、上からの見晴らしはできませんでした。 そりゃそうですよね。あぶないですよね、あの高さは。なのに、なんとなく上からのぞけるかなぁなんて思ったのは、水が流れてないからでしょうか。 自分の思いつきに、ちょっとあきれています。 でも、水路沿いに桜並木を見つけました。また花のころに行こうと思います。 そのあと、トウシキ海岸に行きました。まだ台風のあとのままですが、海をのぞいてみました。崖崩れは海には達していないので、今年も海の仲間に会えると思います。 2月22日 バンザ〜イ!! ![]() どうしても、その先を続けたくて、きょうは主人に、先日バスに乗ったバス停まで送ってもらって、ひとりで歩くことにしました。 間伏(まぶし)31.9キロポストからのスタートです。時間は8時28分。 スタート地点から、ゆるゆると上り坂が続きます。歩道がないので、右側通行。 ![]() 間伏の地層断面の道も上っています。途中の見晴らしから三宅島も見えました。このあたりは歩道があるので、のんびり歩けますが、地層断面を過ぎると、また歩道がなくなります。車のみなさんには申し訳ないのですが、できるだけ道路脇の土手を歩きながら、狭い道を行きます。 ほんの少しの隙間から、富士山の頂上も見えました。 ようやく坂は下りになり、野増地区に近づいています。王の浜でトイレ休憩。前回の失敗の反省として、休憩はこまめにとった方がよさそうなので、リュックをおろして足を伸ばしてのんびり。 王の浜から野増地区になります。 そして歩道もありますから、安心です。野増地区にしかない火の見櫓を写真に納め、大宮神社の鳥居、大宮橋と通過。 いよいよ元町です。 ![]() 役場・警察署の信号を通り、支庁を過ぎ自宅まで、約9キロ。休憩を含めて2時間半かかりました。 ゆっくり歩いたので、足も痛くならず、それでも温泉につかって、マッサージ。 分割ではありますが、島一周できました。 きょうくらいのペースで歩いたら、じゅうぶん歩けるかなぁと、ちょっと余裕の気持ちになっている私です。 今週は、毎日出かけました。こんな毎日もめずらしいです。 2月23日 きょうも三原山 ![]() 登山口では椿展が開催中です。たくさんの椿と2000個以上ある折り紙の椿はなかなかのものです。 土・日はお抹茶の接待があるそうで、しっかりいただいてきましたよ。おいしかったです。 三原山はまだ雪化粧中。気に入ったのかな? 登山口に吹く風も冷たいです。 夜、御神火温泉に行った帰りに、ふと空を見上げると、星がきれいでした。流れ星も見えました。 ラッキー!! 2月28日 天皇陛下ご来島 というのか、わかりませんが、いらっしゃいました。 私は友人たちと、空港へお見送りに行きました。 親切なおまわりさんが、 「このあたりがいいですよ」 なんて誘導してくださいました。 天皇陛下と皇后さまには40年くらい前、卓球台を挟んでお会い?したことがあります。その当時『フェスピック』といったと思いますが、体の不自由な方たちのスポーツ大会のボランティアをさせてもらったときのことです。私が高校生のころですから、おふたりとも、もちろん私も若かったです。にこやかなお顔が思い出されます。 隣にいた方が、 「天皇陛下にお会いできるとは思わなかったよ。でも、あの災害があったからだから、素直に喜べないね」 思わずうなずいてしまいました。 3月 3月2日 差木地公民館 ステージで、腹話術と南京玉すだれをさせていただきました。 腹話術はまあまあ、自分のシナリオどおりにできたのですが、南京玉すだれは、またやっちゃいました。 今回も、ツバキとカエルの絵を振り袖の袂に仕込んで、友人のアドバイスで、マジックテープをつけてみました。最初にマジックテープの案をもらったときは、どうかなぁと思ったのですが、つけてみるだけやってみようと、接着テープ付きのものです。 絵が重さがあるので、心配だったのですが、なんとなくいい感じです。 なんどか演技してみましたが、落ちることはありませんでした。 これならいけそうと、本番を迎えました。 そして、フライングもなく、終わったのです。そこでやめておけばよかったのに、調子に乗って、予備の玉すだれを持ち上げたら、ズルズルと予期せぬ広がり方をして、あわてて、退場、でした。 でも、大島一周玉すだれを初公開し、自信がつきました。 「いっしょにやりましょう」 と誘ってくださった方に感謝です。 3月5日 雨の日のシカマガの滝と石のそり橋 ![]() そうなると、足は自然にシカマガの滝へ。 流れてます。滝ですよ。いいですね〜。 もう一ヶ所、気になるところがあるんです。大島公園近くの石のそり橋。友人があそこにも雨の日の楽しみがあるんじゃないかといってたんです。 ![]() で、行ってみました。 ほんとは友人と行ければよかったのですが、ここへ来て、まさかのインフルエンザ。 明日は、作品展に地図を出す予定なので、どんな感じか、地図に書き込めるか、どうしても確かめたかったので、フライング。 ![]() ごめんね、友よ! あなたのいうとおりでした。橋の奥の溶岩沿いに流れてましたよ。 この風景もいいなぁ。 3月7日 町民文化祭 ![]() そして、観に行きました。手芸品や絵画・書道・トールペイント・写真などなど。いろいろなものがありました。 おもしろかったです。なかでも気になったのが『カバ岩』 あんこ猫さんがいっしょに写っているんですが、『大島の秘境』にあるらしいです。どこにあるのか行ってみたい! 3月27日 別れの季節 ![]() 見送りだ、出迎えだとバタバタする日が続きました。私は途中で抜け、内地に行き、戻ってお見送り。 そしてきょう、この転勤時期最後のお見送りに行きました。 大島へ来た年、小笠原へ行く船で隣り合ったお姉さんです。私が作った母島の地図で、日帰り母島ツアーができたと喜んでもらったのです。 どこにお住まいかもわからず、でも島の行事があるたび、お会いする、そんな程度のおつきあいでした。 島の友人がいない私には、そんな程度でも、声をかけられる大切な人でした。 カバ岩情報ゲット! 気になっていた『カバ岩』の場所を聞きました。 写真の作者の方に直接会いに行ったのです。島ってこういうとき、いいですよね。 で、自分のマップを出して、こういうのを作っているので、カバ岩がすっごく気になってというと、すぐに教えてくださいました。 なるほど、あそこにあったのか、と早速行きたいところですが、ほかにもカバ岩が気になっている人がいて、今度行きましょうということになっているので、しばらくはおあずけ、です。 そしたら、カバ岩の作者の方も、私の地図が気なっていらしたそうで、楽しいお話ができました。また、そこへたまたまいらした方から、房総半島がきれいに見える場所の情報もいただいて、ラッキー!! でも内地へ行く用事があるので、しばらくは行けそうにありません。 3月29日 ウルトラマラソン 午前4時起床、といっても私がマラソンを走るわけではありません。 友人が、なんと100キロマラソンに挑戦するんです。で、ほかの友人たちと応援しようということになりました。 100キロ・58キロマラソンは、午前5時スタートです。それに合わせて応援も開始。私はいろいろ悩んだ結果、鎧直垂にクラフトの甲冑で応援することにしました。すっごい派手ですが。 ![]() 「離れて応援しよう」 ですって。いやいや、あなたがいるから、私もこんな格好しようと思ったのに。車に彼女に作ったウエルカムメッセージを張り、準備OK! でも、まだ真っ暗です。これじゃあ派手もなにも見えないよ〜、です。でもきれいな朝焼けが見えました。 先導の白バイさんのライトがカーブの向こうに見えます。 友人はどのあたりにいるんでしょうか。 100キロ・58キロ走るというのに、私に負けない扮装をしている方もいました。 全身緑色タイツのなんとか星人さん・ケロロ軍曹さん・鬼太郎さん・殿さま・水戸黄門さま・おにいさんのあんこさん?・ピンクパンサーさん、まだまだほかにもいらっしゃいました。 100キロは元町港スタート〜サンセットビーチ〜万立(まんたて)折り返し〜サンセットビーチ〜野増〜波浮〜あじさいレインボーライン〜山頂口〜三原山登山道路〜元町港(58キロはここがゴール)〜岡田〜波浮〜野増〜元町港です。島を2周し、山にも登るという高低差の大きいコースです。 挑戦する、その気持ちになること自体がすごいと思います。さらに、完走されるんですから、もう信じられません。 さて応援です。折り返して来たみなさんを復路は公園で待ち受け応援。終わると朝食休憩。次は9時スタートのフルマラソンの応援です。 ここで、応援担当の友人に北条三鱗紋入り甲冑を着てもらいました。 フルマラソンの応援をしていると、なんと100キロマラソンの先頭走者が! 「は・速い(早い?)」 フルマラソンのみなさんを送って、次はどこ行こうかな〜。椿の森公園へ。車に応援メッセージとウエルカムメッセージを貼り付けて、三原山登山道を上ります。 100キロ・58キロの人とすれ違います。 椿の森公園で応援を始めると、 「朝からありがとう」 と声をかけてもらいました。それなのに、私は58キロコースの人たちに、 「59キロもうすぐです」 なんて声をかけてしまっていました。本人にまちがっているという自覚がないから、自信たっぷりで、いわれた方は、 (あれ?58キロだったよね〜59キロって???) だったでしょうね。いっしょにいた友人が、 「ちがうって。58キロの人がヘンな顔してたよ」 そりゃそうですよね、ごめんなさい。 さて、最初の関門は、山頂口12時です。友人は大丈夫でしょうか。 私は自分が徒歩島一周を途中で断念してしまったので、ついつい自分のレベルで考えてしまい、心配になっていました。 ほかの友人たちは、カメリアマラソンを走ったこともあるので、100キロを走る彼女に対して、もっと信頼していたと思います。 登山口を下りてくる彼女の姿を見たときは安心しました。彼女の後ろ姿にエールを送りながら、私たちは車で、登山道を上り、レインボーラインを下って、フルマラソンの人たちに声をかけつつ、9時に応援したお店へ。 着いてほどなく、彼女が歩いてきました。 「がんばってね」 こんなとき、もうどう考えたって、すっごくがんばっている人たちにかける言葉じゃないよね、と思います。でも、やっぱり『がんばってね』としかいいようがなくって。 ここで、昼食休憩。応援は私ひとりになりました。で、鎧直垂はやめて、普通の格好で応援することにしました。 場所はバームクーヘンです。 ![]() フルマラソンのクレオパトラさんから、うれしいプレゼント。ひまわりの手作りブローチです。 走りながらも応援する人たちのことを考えるなんて、脱帽です。 車に貼り付けた友人へのメッセージを見て、 「お友だちは来たんですか?」 と気にかけてくださる方もいました。 去年もここでフルマラソンに挑戦した彼女を待ちながら、走っている人たちと声を交わしたことを思い出しました。 島に来ても、私はなかなか島の人たちと話すこともなく、話し相手は主人だけ、のような日が続いていました。 もちろん、地図を作るために単独行で歩き回っていたので、そういうことになったのですが。 一年前のあの日、応援をしながら、人と交わす言葉の温かさを実感したのです。 さて友人は、なかなか姿を現しません。波浮港の通過は16時40分までです。大丈夫だと思いながら、車を波浮方向に向けました。 別行動の友人たちにメールで連絡すると、制限時間内に波浮港を通過したとのこと。あわてて追っかけます。 差木地で、友人の姿を確認。二つ岩入り口で応援することに。 100キロマラソンに挑戦している人、みなさんに声をかけますが、やっぱり、『がんばって』は、かける方としてつらいよなぁと思います。 がんばっているのを、わかっているのに、さらに『がんばれ』ですからね。すてきな言葉が見つけられなくて、ほんとにごめんなさい、です。 17時の音楽が流れ、夕暮れの道を友人が走ってきました。私を見ると、 「こんなに遅くまでごめんなさい」 とんでもない。あなたのおかげで、こうして応援できる楽しみをいただいてます。 次の関門まであと23分。がんばって!! 応援をしていた私に、どうやら大会ボランティアだと勘違いされた大会関係者が、 「あとひとり来ます」 と声をかけられました。 ??それって、待ってろってこと? 違うとは思いながら、その場を動けず、彼女のことが気になりながらも、ついつい最後のひとりを待ってしまいました。 主人に、『追っかけ応援をしてるから夕飯は遅くなる』とメールし、夕食の材料を買い込み、やっと彼女を追いかけ始めました。 かっぱの橋を過ぎたところで発見。その先の空き地で応援しよう、なんて思っていたら、車を止められそうなところがなく、もう一度声をかけようと戻ったのですが、とうとう彼女を見失ってしまいました。 それで、しかたなくゴールで待つことにしました。 元町港の船客待合所がゴールです。ひとりずつですが、100キロ走り終えたみなさんがゴールしています。 どうか時間内にゴールしてほしい、と願いつつ、彼女を待ちました。 待っているあいだ、なんだかおかしくて。だって、私は自分の基準で彼女を計ろうとしているんですから。 彼女は私より15歳も若くて、常日頃身体を動かしています。食事にも気をつけているって聞きました。去年は島一周フルマラソンを完走しているし、カメリアマラソンも10キロ走っています。 その彼女が100キロ走るのに、なんの不安があるんでしょうか。 それなのに、私は心配ばかりして、ほんと、彼女に失礼ですよね。 私にはできないことを、飄々とこなす彼女がうらやましいと思います。そんな彼女を友人といっていいのか、畏れ多い気がします。 夕闇の中、彼女のゼッケン番号が見えてきました。100キロ走ったんですね。すごい! 18時35分ゴールです。(私の時計で) ゴールした彼女を見たとたん、 (私って、すごい友だちがいてしあわせ!) と思っちゃいました。なんてゲンキンな!!! ゴールしてもポーカーフェイスな彼女。ちょっとそこまで行ってきた、という感じです。 「応援、ありがとうございました」 と彼女はいいますが、むしろ、彼女のおかげで、最後まで応援が楽しめました。 朝5時から夕方18時35分まで、めいっぱい、です。 楽しみをありがとう! お疲れさまでした。 4月 4月1日 AB型同盟 ![]() 上の娘がまごちんをふたり連れ、やってきました。 上のまごちんは2年生ですから、問題はないのですが、下のまごちんはまもなく11ヶ月。先月帰ったときには、人見知りで、大泣きしたのです。 で、どうかなと思ったのですが、問題はしっかり残っていました。泣かれちゃいました。しかも、まったくおさまることなく。 じぃじのひざには、まるで自分の指定席のような顔をして、ちょこんと座るのに、私の顔を見てはピーピー。どうなっているのか。上のまごちんに、どうしてかなぁと聞くと、 「あのね、じぃじはかっこいいから」 ですって。いや、たしかに私は美人じゃないけど、笑顔はそんなに怖くはないと思うんだけど。 娘は下のまごちんを私に預け、上のまごちんの大好きなプールに行こうとしていたのに、もうどうしようもなく泣くので、私が連れて行くことになりました。 去年の夏に来たときには、プールから上がらないとがんばった上のまごちん。それをうまく時間で上げられるかが心配でしたが、時計を見て、1時間でプールはおしまい、そのあと温泉に行こうね、と約束をしました。 時間になると、さっさとプールから上がり、温泉も、 「かあさんたちが待ってるからね」 というと、 「そうだね」 と、すぐ出てくれました。聞き分けがよすぎて、なんだか、ちょっぴりかわいそうになりました。我慢してるんじゃないかと。 でも、おねえちゃんになるってことは、そういうことなのかもしれませんね。しっかり成長してくれているんだと思います。 情けないことに、下のまごちんは帰るまで、私ピンポイントの人見知り??です。 とうとう、 「AB型同盟でもあるんじゃないの」 といいだした私に、娘は謝りながらも苦笑していました。 わがやは主人だけがAB型で、あとはみんなA型。娘も息子も相方はAB型で、娘のところは、上のまごちんも下のまごちんもAB型という、すごいAB型密度の高い家族なんです。 次に会うときには、AB型同盟もゆらいでいるといいんですが。 4月6日 駅伝 ![]() それなのに、走ることになってしまいました。 サンセットパームライン駅伝競走大会、というのですが、これには、10キロウォーキングというのや子どもたちのレースも含まれていて、さらに、駅伝は年齢によってハンデがあるという、なかなかおもしろい大会です。 私は最初10キロウォーキングの完歩賞をねらっていたのですが、友人たちが3キロでいいから走れ、と駅伝チームに入れて(^_^;)くれたのです。 3キロでいい、とはいいますが、学校以来そんな長い距離を走った記憶はなく、とにかく歩かないようにしよう、と低い目標を立てていました。 少しずつ練習はしていましたが、気持ちはあっても身体が前に進んでいかないのが実情。 母島にいるときに、娘と走った1キロでさえ苦しかったのに、その3倍ですよ〜。いやいや100キロ走った彼女のことを考えれば、3キロなんて、ちょいちょいのちょい、だよ。なんて、もうあーだこーだ考えつつ、好きなファンモンの歌を聴きながら、練習したのです。 タスキを受け取ると、同じペースで走ることを心がけました。ただそれだけですが、タスキを渡せたときは、うれしかったです。 『みんなとなにかをする』って、ほんとうに久しぶりでしたから。それに、自分で設定した目標タイムもクリアできました。 なにより、ケガもなく終われたことが一番です。 4月10日 三原山カルデラ ![]() ちょっと風が強くて、のんびり歩くという感じではありませんでしたが、音楽を聴きながら、散策を楽しみました。 幻の池が、きょうはありました。その池のフチをまわって、滑り台跡へ行くのですが、風が吹きつけるので、近づけませんでした。 ![]() その先の赤ダレへも行くつもりなのですが、昨年10月の台風で、スコリア?が流出してしまい、道がわからなくなっています。 ![]() 以前は、観測のためやパトロールの車の轍があったので、それをたどって行けばよかったのですが、今は車が走れないようで、轍のあとがうっすらと残っているだけです。 さらに先へ行くとその轍のあとを押し流すように、土砂が流れ、外輪山から下へ向かってクレバス状になっています。 少し前に来たときに、そのことは確認していましたが、地図をいじるかどうか迷っていました。でも、こうしてみると、まだまだ復旧には時間がかかりそうなので、悲しいけれど、点線処理することにします。 赤ダレも少しようすが変わっているようです。 きょうは、もう少し先まで行きます。 私のお気に入りの場所があるんです。表砂漠ルートが分岐し、先でまた合流するのですが、分岐の方を進むと、外輪山のフチへ上がれるんです。そこには観測機器があり、ちょうど間伏地区のあたりが見下ろせます。森に広がる桜の木々がよく見えます。これもまた、お花見、です。 ![]() ![]() 風が強いので、観測機器を風よけにランチタイム。おしりをおろして、ふと見ると、かわいい花が。もう少しで押しつぶすところでした。 友人にメールで確認してもらうと、コケリンドウ、とのこと。来るときにはフデリンドウも咲いてましたから、両方いっしょに写真に撮れないかと思いましたが、思ったようにはいきません。 で、並べてみました。写真では同じような大きさですが、フデリンドウの方がコケリンドウより大きいかなぁ。花の色をうまくとらえられないのがくやしい。 4月13日 桜っ株祭り 葉桜になってしまった『桜っ株祭り』 でも、うわさで泉津の奥さんたちが作られる、この日限定のおいしい桜餅があるそうで、『花よりだんご』ではありませんが、桜餅に釣られて行ってきました。 大島公園に車を止め、ずっと気になっていた道を歩くことにしました。 駐車場の手前に、木の階段があって、そこを入ったのですが、どこへ続く道かわからず、入りました。いつものことですが、この先にはなにがあるんだろう、と思うと、『出たとこ勝負???』なんて、行っちゃうんですよね。 木もれ陽の道は、気持ちのいい道でした。ベンチもあり、親切な造りです。森を抜けると、『桜っ株へ600m』の標柱あり。600mしかないのかなぁと思いながらも、当てずっぽうで来た道が、桜っ株へ行けるとは、ラッキーです。 森の先にはツツジの群生。花が咲くころにまた来ようっと。 ![]() その先はまた森。大きなシイの木がたくさんあります。途中に見晴台がありましたが、ツツジが大きくなっていて、『見晴らせ』ないのが残念かなぁ。でも、森は『トトロ』の森の感じです。 一度都道に出て、また山に入ります。そして、桜っ株到着。20分足らずでしたが、いいコースでした。 桜っ株には桜の花はありませんでしたが、おいしいものがいっぱいありました。 ![]() ![]() 泉津の奥さんたちの踊りも楽しかったです。
4月19日 ![]() で、新しいカバーを作ることにしました。といっても、型紙があるわけではなく(もちろん売ってはいますが)、和柄のときも新聞紙でシートの形を採って作ったので、今回は和柄のシートカバーを参考にします。 主人は、 「もうちょっと明るい方がよかったかも」 でも、私はけっこう気に入ってます。 ![]() 新しいカバーを掛けて、ウキウキ気分で、どこに行ったと思います? なんて間の悪いというか、魚釣り、ですよ。 「コマセのにおいがぁ」 とはいうものの、久〜しぶりの釣りです。 タカベを29匹、むつを1匹、大漁でしょう? 車さんにはがまんしてもらいましょう。 ![]() ところで、きょう初めて気づいたんですが、ジェットフォイル(高速船)って、こんなふうに走っているんですね〜。 びっくりです。 『浮いている』とはなんとなくイメージしていましたが、こんなだとは、思いませんでした。 今更ながら、この仕組みを考えた人たちは、すごいなぁと思います。 4月22日 大物!? ![]() で、釣れたスズメダイ。となりで釣ってたおじさんが、 「ネコのエサが釣れた」 といってるのに、持って帰るといい張った私。 「だって、尾頭付きのタイでしょ」 あきれ顔の主人は、それでも頭を落とさずに始末してくれました 4月24日 のんびりと 島を散歩です。きのうは大島公園。きょうは割れ目火口と大島温泉ホテルのツツジを見に行きました。温泉ホテルのツツジはまだまだでした。
4月25日 イカ釣り? 先日のタカベ釣りが楽しかったので、きょうはイカを釣りに行きました。 イカ釣りは夜です。岡田港に着くと、もう海に電気ウキがいくつも浮いていました。主人も疑似餌にイカナゴを巻き付け、投げます。投げたあとは、ひたすらウキとにらめっこ。ときどきイカナゴのようすを確かめて、また竿を振ります。 私は、車の中で待機。イカが釣れるのを、今か今かと待っていました。でも、残念なことに、主人の竿にはアタリもありません。 「9時までがんばってみよう」 そう主人がいうので、私は港を散歩することにしました。 日の出浜に行くと、潮が引いているのがよくわかります。外灯の明かりがかなり明るく感じました。 夜の浜辺は、それを見ているだけで歌が聞こえそうな気がします。 30分ほど歩いて戻っても、イカは釣れていません。イカを釣っていた人たちも、ひとりふたりと帰っていきます。 そんなときでした。大きなタモ網を海に入れている人がいます。 「釣れたのかな〜」 ずいぶん大きな魚なんでしょうね。どれどれと近寄って、 「こんばんはぁ。なにが釣れたんですか?」 「イカが釣れないから、タカベをすくってるんだよ」 「え〜。網で?」 「ほら、桟橋の陰のところを走ってるだろ」 「え? ほんとに」 懐中電灯で海を照らすと、ウニュウニュとタカベの群れが見えました。 「うわ!すご〜い」 「タカベは電気が嫌いだから、明るくするとすぐ逃げるんだ」 へえ。 ちょっと待てよ、網ですくえるってことは、もしかしたらサビキで引っかけられない? 主人にねだって、サビキを延べ竿につけてもらいました。 ![]() ポチョンと海に投げ込んで、竿をクイクイと動かしていると、グッと竿がしなります。 「釣れた!!」 その瞬間、海が青く光りました。夜光虫なのでしょうか。サビキに引っかかったタカベがもがくのに、驚いたまわりのタカベが四方八方へ散っていくその動きに合わせて、青い光が流れていきます。 「きれい」 目が慣れてくると、タカベの群れも見えるようになりました。青い光も海を走りまわります。サビキで海をたたくと、それも青く反応するので、それを見たさにパシャパシャ。 気がつくと、タカベをたくさん釣ることができました。 こうして、自分で食べ物を手に入れると、たくさんの生命(いのち)をいただいて生きているんだと、実感します。 貴重で有意義な体験です。 上のふたりは三宅島で、下の子は小笠原の母島で、子どもたちに、少しだけでも、そんな生活をさせてあげられたことが、よかったと思っています。 4月27日 カルデラ ![]() ![]() のんびりとカルデラを歩きました。 温泉ホテルからテキサスコースを横切り、表砂漠へ向かい、観測機のあるフチから、間伏地区を見下ろすと、桜の色は消え、さまざまな緑の色が輝いていました。 4月28日 定点観測のおまけ ![]() でも、先へ行けると聞いたので、きょうは行ってみることにしました。 森を抜けると、胸あたりまでの枯れ草が。それでも道はわかるので、進んでいきました。と、いつも野田浜から見上げている乳ヶ崎の先端に出たのです。 枯れ草だかススキが邪魔で見通しは悪いのですが、それがなかったら、見下ろす野田浜の透き通った海の底。きれいです。 風が強いと危ないのかもしれませんが、せめてもう少し草を刈り込んで、眺望を確保してもらいたい! 5月 5月2日 いいお天気! ![]() 「思い切って、滑り台の場所へ行ってみようかなぁ」 と思いついたのですが、あ〜残念! きょうは、薙刀の稽古日でした。 でも、どうしても外へ出たくて、モリアオガエルを見に行きました。 いのちの生命の営みが行われていました。 5月4日 初イサキ ![]() 主人は、海からのプレゼントを願って投げ釣りです。 なかなか手に入れられないようで、私に、 「散歩に行っていいよ」 といってくれたのですが、あまり遠くへも行けず、桟橋のあたりをウロウロ。 そろそろお昼、というころになって、主人の竿がグンと弓なりに。イサキです。 「初ゲットだね」 というと、 「そこ」 潮だまりに泳いでいるイサキ。私がいると気にしてくれのか、釣りに集中できないらしく、いないと釣り上げている、のかなぁ? 5月6日 散歩 久しぶりにサンセットパームラインを歩きました。 万立の近くに車を止め、野田浜まで往復約5キロ。キジさんにあい、飛んでいくところを見ました。 また、釣り場へ下りると、今まさに溶岩が流れてきて固まった、というような景色がありました。
5月12日 泉津 ![]() 主人、久々の坊主、でした。 でも、泉津の港からは、きれいな夕焼けが見えました。うっすらと富士山も。 元町で見るより、大きく感じるのはなぜでしょう。 釣りは、もちろん腕もありますが、自然からの贈り物なので、こんなこともあります。 5月14日 初めての釣果 ![]() 自分でエサを買って、竿を出し、エサを溶かして、エサをつけ、そして、釣りました。 いつもは主人が、すべて準備してくれて、おまけにエサもつけてくれての大名釣りでしたから、ひとりで、こんなふうに釣りあげたのは初めてでした。 ぼちぼち4匹、タカベが釣れたのです。 ちょっと、ううん、すっごくうれしかったです。 主人に頼らず、最初から最後までできました。ちゃんと、桟橋の掃除もして、家に帰って、タカベをさばいて、塩焼きに。 『釣りに行く』、私にとっては、ただ主人について行くだけで、なにかが釣れていれば、主人がエサをつけてくれて、竿を出し、釣れたら、主人にはずしてもらい、手を汚さず、遊んでいました。 釣り終われば、主人が、サカナをさばいてくれ、私は、家に帰って調理するだけ。 夕飯の食卓に乗った、1匹のタカベ。 ![]() 「どうしたんだ?」 「釣ってきた」 「???」 「ひとりで、み〜んなできたんだよ」 まるで、どこかの幼児番組。 4匹のタカベを友人たちにも配った、といったら、笑われちゃいました。 友人たちにしても、たった1匹もらっても、なんの足しにもなりませんよね。 でも、友人たちがいてくれなければ、釣りをしようなんて思いませんでしたから、私が釣れたのは、友人たちのおかげ、です。 今夜のビールは、おいしかったなぁ。 5月15日 ヤシの道(私がかってに呼んでます) ![]() それが、ヤシの道、です。整然と並んだヤシ(ヤシの種類だとは思いますが名前はわかりません)あの道が通れれば、地図に書き込もうと思っています。 で、あちこち車で走ってみましたが、どうしてもたどり着けません。 それで、あきらめて、『リス園のヤシなんだ』と一応決着をつけていました。 だけど、やっぱり気になります。地図で確認すると、場所は確定できませんが、リス園のヤシではなさそうです。 で、この2・3日、ウロウロしていましたが、ついに、SOSを出すことにしました。どこへって、リス園です。 リス園で、自作の地図を出して、こういうのを作るのが趣味で、どうしても気になるんです、というと、あのヤシは個人所有の畑にあり、たぶん道もわからなくなっているだろう、と教えてくださいました。 ![]() さらに、リス園のヤシは、そこの苗をもらったものだということがわかりました。ふう〜ん。 住宅地図を見せてくださって、こっちかこっちの道が、もしかしたら通れるかも、とのこと。 そんな話を、島の方にすると、 「前には、保育園の子どもたちが遊びに行っていた」 そうなんです。でも、今は、草ぼうぼうで通れないんじゃないか、と、こちらでも、畑に行くのは望み薄の話です。 それでもきょう、行ってみました。道はなんとなく残っていました。でも、ヤシの畑には行けませんでした。畑は個人の土地なので、入ることはできませんが、せめて道からながめたいと思っていたのです。 畑はガッツリと篠竹がブロックしています。足もとも草が伸びているので、マムちゃん(マムシ)の不安もあり、ほんの数メートル手前ですが、あきらめました。 でも、ヤシの場所が確認でき、スッキリしました。 5月29日 できた! ふと思い立ち、絵本(のようなもの)を作っていました。 あらすじを書き、娘たちにメールすると、それぞれ、まったく違った感想を返信してくれました。 下の娘の方が早くくれたので、それにそって推敲したのですが、軽々しく文字にできないような気がして、どうしようかと迷いました。 でも、私にできることのひとつかな、と。 絵本に仕立てようかと思ったのですが、友人のアドバイスで、紙芝居にしました。 明日、初演します。 応援の気持ちを込めて演じたいと思います。 『ぼくはおおしま』
5月31日 シイの木山 定点観測が遅くなり、きょう出かけました。
朝8時前に家を出発。野増周りです。雲が重くて、かっぱの橋からは、赤ダレは見えませんでした。 差木地の潮吹きは、緩い感じで、吹いていました。 野いちごが熟れています。私の田舎では、真っ赤になっていたのですが、大島では金色なんですね。 去年は八王子に帰っていたので、この季節は初体験です。 緑がきれいです。シイの木の花が咲いているので、森がグラデーション状態。 それで、というわけではありませんが、シイの木山を目指すことにしました。泉津の林道から入る道がありそうなので、林道を下りていくと、『この先200m』の看板がありました。まあ3〜4分ってことでしょうか。 もしかしたら、草ぼうぼうの道で、マムちゃんとの遭遇が怖くて行けないかも、という不安があったのですが、大丈夫でした。 ツタ状のトラップになんどかひっかかりましたが、なんとか200mは進めたと思います。 でも、イメージしていたところとはちょっとちがっています。私は、大きなシイの木が、いっぱ〜いあるのかと思っていたんですが、私の思っていたほどにはありませんでした。 それに、山というほど登ったような気もしませんでしたし、自分がほんとうに、シイの木山に到着したのか確信が持てず、なんとなく未消化、です。 でも、行きたいとこリストのひとつをつぶせた、ということにしておきます。 ![]() 6月 6月1日 山開き 雲海、といっていいのでしょうか。 真っ白な雲がきれいでした。
山開き、というので、お鉢へ登りましたが、残念ながら、10時半からでした。 ほかの行事が入っていたので、9時ころからかなぁ〜と、自分たちに都合よく考えていたので、アレアレ??。 ![]() でも、思いがけず、雲海を見ることができました。ラッキー! お鉢を少しまわったら、幻の池のあたりのフチから、カルデラへ雲が流れ込んでいます。なんとも、きれいというか、不可思議というか、ため息が出ちゃいましたよ。 ![]() ![]() 雲海は、お鉢を下りるときには、だんだん薄くなって、自然は刻々変わっていくんだなぁと実感しました。 登山道の野いちごも色づいてきてますよ。 6月2日 お客さん ![]() 運転している目の隅っこに、なんだか動くものが…。 駐車場で確かめると、な、なんと、トカゲさんでした! フロントガラスの下を行ったり来たり。紙で押し出そうとしたら、ガラスの下の隙間に潜ってしまいました。 いやいや、そこに入り込まないでぇ〜! 社宅の駐車場の笹をもらって、箸にして、つまんで出てもらいました。 ああ、びっくりした(^^;) 6月8日 さよなら かめりあ丸 ![]() ![]() かめりあ丸が伊豆七島航路を走り続けた28年間、私たちは、三宅島から中野区、高尾山、小笠原母島、再び八王子市、さらに大島、都内をグルグル回り、ここでかめりあ丸のさよなら航海に遭遇するなんて。 ![]() ふしぎな巡り合わせだね〜、なんて話してます。 かめりあ丸が出航するその先には橘丸が。新旧交代の図、です。 橘丸のカラーリングは、ちょっと地味、ですね。というか、私にとっては、東海汽船・小笠原海運の白を基調とした青と赤の船体が、伊豆七島航路そのものなんですよね、きっと。 ![]() 6月15日 行者まつり 梅雨というのに、とてもいいお天気でした。 私は気になっていた、行者窟の先の洞穴を見に行けると、わくわくドキドキです。 行者窟に向かう細い道を、もう待ちかねた思いでいっぱいになりながら歩きました。なんといっても、年に一度、6月15日しか歩けないのですから、それだけでも特別です。 期待していたのですが、残念ながら、行者窟の先には行けませんでした。 ![]() なので、対岸の突き出した岩から、のぞいてみました。 岩のアーチの向こうになにやら洞穴が見えます。奥へ伸びているのか、単なる凹みなのか、判断はつきかねますが、つっかえ棒らしきものがあるので、人の手が入っているのかもしれません。 ぜひ、海側から見てみたいと思いました。 6月17日〜19日 新島・式根島の旅 友人たちに送ってもらって、朝のジェットフォイルで新島に行きました。 約30年ぶりの新島。モアイ像・白い砂浜、くらいは記憶にありましたが、あとは初めての場所、でした。あした向かう式根島もそうでしょうけど、ね〜。 お昼のお弁当を食べながら、散策。 十三神社へ行きました。とても大きな鳥居があって驚きました。いろいろな神さまが祀ってあるらしく、あちらにもこちらにも社殿があります。 ![]() どの社殿も、風情のある景色になっています。境内の白っぽい砂がいいですよね。 あちこち回ろうと思っていましたが、しばし足を止め、神社の空気を感じていました。 午後は老人ホームにおじゃましたあと、まました温泉で、砂風呂初体験です。温泉分を含んだ砂がずしりと感じましたが、それはなんともいえない心地よさでした。 温泉を出たあと、鳥ヶ島へ。島には登れそうな石段が見え、登りたかったのですが、最初の一段が高いところにあり、無理すればあがれそうなんだけど、と心が揺らぎましたが、自重しました。すっごく残念でしたけど。 でっかいトランクをゴロゴロ押して歩いていると、島の人が、 「乗っけてってやるよ」 と声をかけてくださいました。うれしいけど、寄り道をしながら行きたいので、お断りしました。でも、うれしいですよね。 で、歩いていたからこその発見!
なんておしゃれなキロポストなんでしょう! 新島特産の新島ガラスで、できているんでしょうね。 しかも手作り?? 形がちがうんです。 それだけのことなんですが、なんだか得した気分になっちゃいます。 いいもの、見〜つけた(^^)/ 6月18日 予報どおり、雨。宿の奥さんに、保育園まで送ってもらいました。 ここで、大失敗。きちんと連絡を取っていなかったので、保育園にご迷惑をおかけすることに。 まず、事前の連絡。これは電話を入れたのですが、時間をしっかり伝えていなかったので、ここからいけなかったんですね。 台風7号の影響で、ジェットフォイルの運航が危ういらしいので、村営船にしきを一便早めて式根島に行ければ、と思ったことも、私の勝手な行為でした。 反省してます。 でも、子どもたちの『また来てね』の言葉に救われました。 受け入れていただいて、感謝しています。 そのうえ、港まで送っていただいて、ほんとうにお手数をおかけしました。 おかげで、早めに式根島に着くことができ、ほっとしました。 でも、村営船の運行は心配することはなかったようです。ちゃんと動いていました。ついつい、母島のときのことを思い出して、早めに動こうとしたのですが、そこまでひどい交通事情ではなかったみたい。 旅行者、でしたね〜。 新島をゆっくりまわれなかった未練はありますが、式根島をまわる余裕はできました。雨ですが、30年前に感激した神引展望台に向かいました。 ![]() さすがにけぶったような風景です。 初めてここへ立ったとき、三宅島の黒い溶岩のなかで生活していたせいか、この白い砂の景色が目に痛く、また海底のようすがわかるのが、記憶に強烈に焼き付いていました。 きょうの景色は、強烈さはありませんが、再び同じ場所に立てたという満足感でいっぱいになりました。 ![]() そこから、地鉈温泉の湯加減の穴・憩いの家(お休みでした)足付温泉・松の下雅の湯をまわり、さらに泊神社へ。 ところが泊神社は除草剤をまいてあるので立ち入り禁止になっていました。残念でした。 6月19日 ![]() けぶってはいましたが、海の底はきれいでした。 10時半から、開発センターのひと部室を借りていただいて、かおりん劇場をさせていただきました。 保育園とおとしより約30名。用意されていた椅子は満席(12席くらいだったかな)。きのう雨だったので、きょうの晴れは、畑仕事に行かなっくっちゃ、でしょうに、集まってくださいました。 ここでも、勉強させていただきました。まだまだ足りないことがたくさんで、ほんと、自分が情けなくなります。 でも、なんとか終わり、よかったです。 思いがけず、島の方からランチのお誘いがあり、喜んでごいっしょさせていただきました。 さらに帰りの桟橋まで、見送りに来てくださり、申しわけないことでした。 おみやげにいただいたカボチャ、よもぎ餅、とってもおいしかったです。 ありがとうございました。 6月23日 橘丸一般公開 ![]() ![]() セレモニーのあと、いよいよ乗船。明るい船内です。あちこちに、名誉船長さんの柳原画伯の作品が飾られています。 マスコットも、『キャプテンたちばな』とのこと。彼の顔を見て、トリスウイスキーを思い出される方もいらっしゃるでしょうね。 案内所には、どこかで見かけたネコちゃんが! ![]() ![]() あんこネコちゃんが、橘丸を背負って座っていました。あんこさんの着物姿もかわいいけど、制服姿もなかなかです。 船室は、2等が大きく変わっていました。席と席との間に仕切りができて、ロッカーもカギ付きです。 貸切部屋があったり、バストイレ付きの部屋があったり、キッズルームに授乳室、赤ちゃん幼児連れには、快適な船旅になりそうです。 ![]() 橘丸のあとは遅ればせながら、あじさいロードへ。 「もう終わりだよ」 とは聞きましたが、気になるので行きました。 暑い日射しの中では、ちょっと首をかしげた感じのあじさいでしたが、なんとかきれいでした。 さらに、椿花ガーデンを回ってきました。 たくさんの種類があり、とても全部は載せられませんが、伊豆七島の名前が入っているものを並べました。 初めて見た、大島グリーンガク(仮)に魅入られてしまいました。 なんともいえない色合いです。
6月24日 つるし飾り ![]() ![]() さらに三つくらいほしい、と厚かましすぎるお願いをしてしまいました。 送られたものを見ると、ひとつを作るのにかかった時間はどのくらいのものか、簡単にお願いできる類のものではありませんでした。 教えてもらって作りたいと思っていたのですが、私にはとうていできないものでした。 思いつきのような私の思いに応えていただき、感謝しています。そして今更ながら、申し訳なく思っています。 6月29日 定点観測 ![]() 差木地の汐吹きあたりで、お陽さまもさしてきました。きょうは汐吹きのちょっと先へ。なかなかいいタイドプールがあります。 まるで、海そばの温泉みたい。サカナの影は見えないのですが、一度入ってみたいなぁと思いました。 ![]() ぐるりと波浮をまわって、大島公園へ向かう道はところどころ、霧?雲?その区別はよくわかりませんが、霧が濃い、って感じですかね。 あじさいレインボーラインの途中までは、陽射しもきつくなったような気がしていたのですが、大島温泉ホテルを過ぎたあたりから、一寸先は…状態。 で、おりてくると、お山の上だけがすっぽり雲の帽子をかぶってるみたいでした。 ![]() 乳ヶ崎から三原山を見たところです。 上の方だけ、隠れてます。 6月30日 初泳ぎ ![]() ![]() 海へはひとりで行けないので、友人たちといっしょに、です。 もともと泳げない私は、シュノーケルで浮いているだけ。でも、海の生き物はいろんな姿を見せてくれます。 友人が、ゴンズイの、あ〜なんてったっけ…、ゴンズイが集団になってグルグルまわっているのがおもしろい、といってました。ゴンズイ玉というらしい。 私が知っているのは、小笠原の母島で見たゴンズイ、彼らは青っぽい色だったんですけど、大島のは黄色です。 写真も撮ったんですが、あわぶくばかりが写っていて、なんだかわかりません。 次に行ったときもいてほしいなぁ。 7月 7月1日 橘丸初乗船 ![]() ![]() いい凪の海を橘丸は走っています。 大島は少しモヤがかかって、台風の爪痕が、オブラートに包まれたようです。 どうしても、そこへ目がいってしまいます。工事の車両が見えるので、少しずつ復旧が進んでいるのでしょうね。 デッキで風に吹かれていると、船旅を満喫できるような気がします。 竹芝に近づくと、爪先のような三日月が、ライトで明るい夜空に浮かんでいました。 いよいよ竹芝入港です。接岸するとき、まだ岸壁に着いていないのにハッチが開いていて、その向こうは海、というのが気になりました。雨風の強い日はどうするんでしょう。 とりあえず下船。そしてまた乗船。思い切って特2等席を取りました。3甲板?と書くのでしょうか。エレベーターのアナウンスは『さんこうはん』でしたよ。そうなんです、橘丸はエレベーターがあるんです。いいですよね。大きい荷物や重い荷物、お子さんやお年寄り、楽だと思います。船の階段って狭くて急ですから。 ![]() さてさて私は、今晩の寝床をしっかり確保できたので、のんびり東京湾の夜景を楽しむことにしました。5甲板にある、備え付けのテーブルと椅子に、ビールを1缶。 いい時代になったなぁと思います。いやいや自分がオバサン化しただけか。こんなふうにビールが飲めるなんて。 7月2日 八丈島到着 ![]() ![]() 時間はギリギリかなぁ。レンタカーを借りて、保育園へ。 いろいろ勉強になりました。お昼は思いがけなく、保育園の子どもたちといっしょに。楽しいお昼でした。 午後からは高齢者施設。最後はクウちゃんとの握手、だったんですが、すっかり飛んでしまいました。私ってこういうとき、焦りに焦りを重ねてしまうんですよね。 でも、これで八丈島での予定をクリアできました。 ![]() 八丈島では裏見の滝を見に行きたかったので、さっそく車で向かいました。とっとことっとこ走っているうち、肝心の滝を通り過ぎていたのです。 戻って、やっと見つけました。いやいや…でっかい看板があるんじゃないかと思っていたんですよね。 ![]() 滝とは反対側に温泉があります。 ここは、地域の方が管理して、無料で開放してくださっているそうです。水着で入る混浴温泉です。 入りたいなぁと思ったのですが、汗びっしょりで、水着に着替えるのもおっくう。で、足だけつけて、温泉に入っていたおじさんたちと世間話。なんと昨日温泉のパイプを掃除したので、パイプの錆が出てるそうな。 ![]() 海岸に足湯があるというので、今度はそちらへ。しばらく足をつけていましたが、やっぱり温泉に入りたい! 水着に着替えて、裏見の滝の温泉に。 わぁ〜気持ちいい。温泉の下にはシダやタニワタリなどが。 緊張していた気持ちも身体も一気にほぐれていきます。温泉はいいですね〜。 7月3日 いよいよ青ヶ島へ ![]() ![]() その気持ちが通じたのか、ヘリは飛びました。でも、ときどき雲の中を飛んでいます。やがて、島の北側が見えてきました。ヘリポートも。よかった、よかった(*^_^*) レンタカーを借りて、宿の奥さんからお弁当をもらって、まずは三宝港へ。ふたつのトンネルをくぐっていくのですが、向こうからダンプカーが来て、ドキドキ。すれ違えるかなぁ。そこはダンプの運転手さんがうまく除けてくれました。 さらに、丸山に登りたいので、サウナへ。ここで宿の奥さんが用意してくれた、地熱で蒸すタマネギ・ジャガイモを噴気口へ。40分くらいかかるというので、そのあいだに丸山登山。登山というほどの高さはなさそうですが、とにかく噴火口を一周します。 ![]() サクユリは、かおりがすごくて、存在感があります。八丈島でもつぼみが、もうちょっとで開きそうなサクユリはたくさんありましたが、開いたのには気づかなかったので、すごくうれしかったです。 丸山から下りて、蒸した野菜をみましたが、まだかたそうです。で、ウインナーと干物を入れて、さらに蒸しました。穴に入れたまま、車でカルデラの中をウロウロ。30分くらいして、ようすを見ましたが、ウインナーと干物は蒸されていましたが、野菜はまだまだでした。 保育園へ行く時間があるので、野菜はあきらめ、お昼にしました。 ![]() 宿に帰って話すと、蒸す為のステンレス釜があるとのこと。確かにありました。下にコックも。でも、使っていいのかどうかわからなかったので、テレビで見たことのある穴でやっちゃいました。 そのステンレスの蒸気釜の蒸気の温度は70度くらいあるそうです。 中にものを入れてから、コックを開けないとあぶないようです。あわてものの私ですから、コックを開けて、ということはありえます。 よかったぁ! 下手にいじってやけどなんかしなくて。 保育園では、小さい子どもたちに、むずかしい話をしてしまい、申し訳なかったと思います。もっとプログラムを考えなくては、と反省。 それでも、伊豆七島・小笠原諸島の島で、どんな形であれ、腹話術をしたいという、私の願いは達成することができました。 無理な願いを聞いてくださった、たくさんの施設のみなさまに、心から感謝しています。 ありがとうございました。 7月4日 すべては霧の中 ![]() 歩きたいけど、雨なら、ある程度見通しがきくのですが、この見えないことはかなり怖い。しかも知らない土地なので。 風に巻き上げられ、霧が自分の身体にまとわりつくような感じもします。それでも、地図のピース集めをしました。 さすがに山には登れないかなぁ。 車を運転するのもトロトロ。 臆病者の私は、なにか起こして、迷惑をかけられない、と思うんです。青ヶ島は、やっと来られたところですから、目いっぱい動きたいところですが、天候には勝てません。 なにしろ、知らない土地ですから、『一寸先は闇』じゃなくて『霧』ですが、がむしゃらに歩くことはできませんでした。 できることをするしかありませんね。 梅雨の時期はこんなふうだそうです。 7月5日 ヘリ欠航 きょうも霧の中。きのうに続きヘリが欠航しました。でも、あおがしま丸が来るので、よかったです。 島の方に、来るのも大変だけど、帰るのも大変なのよ。予定どおりに行くんだから、よかったわね、といわれました。ほんとにそうですね。 歩ききれない残念さはありますが、とにかく、ここまで来られたことに感謝しなくっちゃ。 ![]() ![]() ヘリが欠航で、あおがしま丸で帰ることになったので、三宝港にあったリフトを思い出し、 「じゃあ、あのリフトに乗れるんだ」 「今はもう乗らなくてもいいんですよ」 今年1月に、今のあおがしま丸が就航して、リフトは使わなくなったんですって。ちょっと残念。 船待ちで、待っていたおじさんに、 「船揺れますかね。薬飲んだ方がいいでしょうかね〜」 と聞くと、 「まあきょうは波はないけど、薬飲んどいたら」 用心のために飲んだ薬でしたが、揺れると聞いていた船もほとんど揺れず、快適でした。 ![]() 八丈島では、またレンタカーを借りました。あちこち行く時間もないのですが、、いつでも動けるという条件があるだけでも、ちがうと思います。 夕食後、ホタルを見に行きました。時期には少し遅いかなぁと思いましたが、行くだけは行ってみないと。 あまり期待はしていなかったんですが、いましたよ、ホタル。ふわりふわりと飛んでました。ラッキーでした。帰ろうと車に近づくと、ホタルが飛んできたので、思わず捕まえ、手の中で淡い光を楽しみました。 7月6日 ただいま!大島 底土港から橘丸に乗船。きょうも穏やかな船旅になりそうです。 ![]() 橘丸は柳原さんのイラストがたくさんで、統一感があります。 なので、このパラパラ漫画は、『あれっ』という感じで、おもしろいと思いました。 橘丸に乗ったら、地上デジタルのチャンネル110あたりを探してみてください。
伊豆七島・小笠原を旅して、あるいは暮らしていろいろ思ったことがあります。 どの島もそれぞれに違った楽しみがありました。もちろん、行く季節によっても違うでしょう。 大島(2年)・三宅島(2年7ヶ月)・母島(1年7ヶ月)は暮らしましたから、旅人の目線よりは住人の目線も持つことができたと思います。 初めて島へ旅行したのは、三宅島。すとれちあ丸で行きました。まだ竹芝の船待ちが昔の船待ちだったころです。 そのときの感動、自然に対してもそうでしたが、そこが、東京都であること、が一番だったかもしれません。 やがて、思いがけず、同じ三宅島へ住むことになり、子どもたちは、たくましく成長しました。 そして、三宅島に住んでいるという条件を生かし(?)御蔵島・八丈島・新島・式根島へも行きました。 御蔵島へは、えびね丸で。行きは船酔い、帰りは陸酔い(おかよい)とさんざんでしたが、それもまた忘れられない思い出です。 今回、御蔵島には、橘丸が着き、たくさんの人が乗り込みました。観光客が増えているんですね。思わず、カメラのシャッターを押しちゃいました。 八丈島へは、すとれちあ丸で行きました。 三宅島の地味な印象とは違って、どこへ行っても観光地らしいと思いました。なにしろ、行く先々で料金がかかりましたから。 ですから、今回八丈島に行って、名古の見晴らし(無料)と書かれた看板に、思わず、その当時のことを思い出し、ひとり笑いしてしまいました。 新島・式根島へは、漁船をチャーターして行きました。 三宅島と違って、ふたつの島とも白い島ですから、なんだか島自体が陽気な感じに思いましたね。 新島の羽伏浦の海岸は、まるで外国のビーチとさえ思えました。 式根島では、神引展望台で、箱庭のような風景に見とれてしまったのが思い出です。 先月行ったときは、雨の中と翌朝、二回も行ってしまいました。それは島が小さいからこそできることなんですけどね。 島への旅行は、駆け足になってしまいますが、それでもこの島々が東京都であるという事実は、すごいことだと思います。 不便だからこそ残っているものもあります。またそういうものと、ふれあいたくて、旅をするのかもしれません。 『どの島がよかった?』 と聞かれることがありますが、どの島もいいです。他とは比べることのできないものがあります。 この東京都の島巡りを終えて、私にとっては、どの島のなにがよかったか、ではなく、とにかくその島に足をつけることが、重要なんだなぁということがわかりました。 究極の自己満足、ですよね〜。 ![]() 7月9日 ツチアケビ ![]() ![]() おもしろい名前に惹かれて、友人たちと探しに行きました。 場所は人づてに聞いたので、曖昧としていましたが、見つけることができました。 なんともいえない花です。これが、アケビのような形の実?をつけるらしいのですが、そのころには、もう大島にはいません。 ちょっと淋しいですね。 7月11日 夕陽 ![]() 海は台風8号の余波で、桟橋を洗うような波が打ちつけています。山のシルエットが浮かびあがり、きれいでしたよ。 7月12日 私の伊豆七島・小笠原
7月14日 久々の富士山 ![]() ![]() 久しぶりです。 いつのまにか雪がなくなってました。 富士山も夏山シーズンを迎えたんですね。 7月22日 イルカウォッチング 小2のまごちんと友人たちと利島へイルカウォッチングに行きました。 まごちんは、彼女たちを見て、ヒーロー??戦隊のおねえさんだ!と大はしゃぎ。ピンク・黄色・青の洋服が、まごちんの頭にインプットされたみたいです。 前日、まごちんを抱えたら、腰がピキッといっちゃいました。ひねっただけのようでしたが、つい弱気になってしまった私。 まごちんに、 「ばぁばは、腰が痛いから、イルカさんは見るだけね」 「うん、わかった」 といって連れて行ったのですが、船の上で大泣きされてしまいました。 「さんかく(ヒレ)だけじゃいやだぁ〜」 かといって、腰が痛いのに、海の中でどうなるか、もしなにかあったら、同乗している方にも迷惑がかかってしまう、と、私も意固地になってしまいました。 見かねた友人たちが海へ入れてくれたのですが、まごちんはイルカが自分の方へ来てくれたと大満足。 自分のふがいなさに腹が立つやら、まわりの方、特に友人たちには、まごちんの世話を押しつけてしまい、本当に申し訳なかったと猛省しています。 まごちんは、 「黄色レンジャーとピンクレンジャー、青レンジャーのおねえさんたちとイルカを見た」 と、帰って絵日記に描いていました。海に浮かんでいるのは、なぜかまごちんだけでしたが。 7月31日 最後の定点観測 29・30日と、Oh島めぐりマップの最終確認を兼ねて、定点観測に行きました。 通行止めだったところが通れるようになっているのを発見。よかったです。 中途半端な書き込みですが、そろそろ離島の日が近づき、少し落ち着きません。 ぼちぼち続きを書きます。
8月 8月15日 ついに 大島生活が終わりました。 支援センターの若いおかあさんたちからいただいた色紙に思わず涙がぽろり。 私にとって、この2年間はちょっと窮屈な2年間でした。それでも続けてきた支援センターの誕生会での腹話術。 『楽しみでした』という言葉が、なによりのご褒美です。 私こそ、『かおりん劇場』を育てていただいて感謝しています。 毎月、なにをお見せしようか、楽しく悩みました。 大島で自分のものにできた南京玉すだれ。それもかおりん劇場がベースになっていました。 それから、私の自慢に『友人がいない』ことがあります。自慢にはならないか…(^_^;) でも、大島で、子どもたちのように、山に海にいっしょに行く友人ができました。 「じゃあ、10時にエントランスで」 そういって、あちこち行きましたねぇ〜。 たくさん愚痴も聞いてもらいました。そして、たくさんうなずいてくれました。 窮屈だったけれど、その私の気持ちを理解してもらえたことがうれしかったですね。 みんなみんな、ありがとう、です。 ページのトップへ ![]() |