「日々想々:花や木々、そして、いけばな」
多忙な日常にあって、ふうーっとため息をつくときに一輪の花に慰められることがある。仕事に行き詰まったときに木々の新芽の輝きに励まされ、ほっと一息つくこともある。
花や木々は素晴らしい。
そこにあるだけで言葉も発さず、人の心を動かす。生きていることの尊さを伝えてくれる。四季の移り変わりを感じさせてもくれる。花や木々には、蝶や虫や鳥が集まり、それらを囲んで人々の会話も生まれる。精神的な効用だけではなく、木々は強風をやわらげ、日ざしを遮り、気温を下げてくれる。
花や木々に親しめる暮しは幸せだと思う。
だから、どんな条件でも花や木々を楽しめる家をつくりたいと常々思っている。
多摩丘陵への転居を機に「庭いじり」が趣味になった。しかし、花や木々の世話は想像以上に体力と時間と根気を必要とする。仕事が忙しくて十分な世話ができず、我が家の庭はまだ完成には程遠い。
手をかけ心を込めなければ育たないのは子どもと同じだ。季節が移り、世話をした花や木々から芽が出て、花が咲き、実がなるのに感動する。これも子どもの成長に驚かされるのに似ている。
この原稿を書いている今は4月初旬だが、庭では水仙やれんぎょうが咲き、山桜、紫木蓮、山法師が新芽やつぼみを膨らませている。
さらに、戸外で無心に作業するのも心地よい。農作業や建築現場などでの仕事を除けば、現代人の生活では失われた貴重な時間だ。風や日光を直接肌で感じ、気持ちのよい汗を流す。
他方、はるか昔に花嫁修行として稽古した「いけばな」に再挑戦している。家の中に花が絶えないようにと、単純な動機で始めた。しかし、生け花の歴史を学び、その奥の深さを知るにつれ、今では結構はまっている。かつて、茶菓子につられて茶道を始め、随分続けた時のようだ。月に2回のお稽古では、日常から離れ、ゆったりとした時をもつことができるのもうれしい。
そして、改めて日本文化の厚みを感じている。いけばなのルーツにはアニミズム(自然界のあらゆるものに精霊が宿ると信じる信仰形態)に基づいた樹木信仰があるという。農耕生活を基本とした日本人の自然に対する深い愛情と自然と一体になった暮しから生まれてきたものらしい。
花をいけることは、そこに何かを表現することである。美しい花を人の目にふれさせ、季節を表すだけでは、足りないと思う。花を切るからには、それをより生かさねばならない。空間を配し、バランスをとり、水盤の上に一つの世界を構築する・・・建築設計に共通するところがある。これが生け花にはまった所以かも知れない。
(家づくりニュース2004年3月号に掲載)