7.スピーカーへの投資
そのころのスピーカーはかなりいい加減なものだった。昔、秋葉原の丸善無線で2本9000円くらいで買ったトールボーイ型スピーカーのキャビネットを補強して(ユニットはラジオ用のものが入っていたのでそれは廃棄)フォステクスFE−167をはめ込んだだけ。ツィーターはコイズミ無線で買ってきた980円のソフトドームツィータをつけたり、つけなかったり。どっちにしろ、オケの弦の音がいまいちだ。
そのため、もうだめだろうと思ってしまいこんでいた20年以上昔のツィーター、パイオニアPT−150をコンデンサ1μFでつないでみた。お!けっこういい音が出るじゃない。これでいこう!
ちなみにPT−150は、ベリリウムハードドームツィーターで上限は55KHz、長岡鉄男氏のレビューでは「帯域は上下ともに特に広く、歪も少なく、耐入力も大きく、見かけは安っぽいが中身は一級品」とのことだった。しかし、値段が高い(定価25000円/一本)のと能率が92dbなので、長岡氏の作品で使われることはなかったようだ。
まあ、値段が高かったから、捨てずにとっておいたんですが、ね。
その年の年末、事情により、家内と子供だけで高知に旅行することが決まっており、その間は思う存分スピーカーを鳴らせる事がわかっていた。そこで、スピーカー改良大作戦を発動したのだ。
(1) キャビネット前方のバスレフダクトをふさぎ、キャビネット後方にオリジナル設計のダクトを設ける。
(2) コイズミ無線で小型キャビネットを購入、転がしてあったPT−150をそれに収め、コンデンサーも新しいものに交換する。
(3) メインユニットをFE168EΣに交換する。
(4) ユニットがキャビネット前面に出っ張り、サランネットが取り付け不能になったので、サランネットに「足」をつけてバッフルから浮かした構造(昔のダイヤトーンのエッジレスキャビネットだね)とする。
我が家のリスニングルームは家内が主催するピアノ教室の待合室兼用である。そのため、暴れん坊の子供たちが毎日のように出入りするので、サランネットは必需品である。アンプの電源コードなどもつねにはずしておく必要がある。やむをえない。
で、スピーカーに投資して音がどうなったか?
8.オーディオ聴き取り力の回復・ヘッドフォン導入
私はもともと長岡鉄男氏のファンである。しかし、ジャズ・ロック派ではなく、クラシックやニューミュージック派だったので、スピーカーはUP203S+PT−150のバスレフを作って使用していた。キャビネットはオリジナル設計、バッフルの両側は斜めに角度をつけ(上から見ると6角形)裏板も斜めに倒した形状で定在波を防止する凝った設計と工作だった。
しかし、UP−203Sはウレタンエッジがぼろぼろになるし、後継機種はなくなるし、当時使っていたサンスイのAU−707はトランジスタの寿命が来て音がおかしくなるし、あーもう、耐久力がないのねえ、と思い知らされ、これもオーディオから離れる1因になった。(そこへいくとDENONは立派。アンプもプレーヤーも当時のものが十分使えている。SL−1200だって、速度微調整がおかしくなっていて、スピード合わせるのが怪しくなっていたのだ)
しかし、アナログオーディオを再開してしばらくの間は、自分の耳の“オーディオ聴き取り力”が回復する時期だったようで、音のよしあしは、あまりよくわからなかった。
さらに、家人への遠慮でスピーカーから音を出せないので耳を鍛えるのも思うに任せなかった。私はけっこうな年齢なのだが、まだ子供は小学校低学年、家内は自宅でピアノ教室主宰(つまり個人事業主・社長だあ)企業の存続のほうが、おやじ(私)の趣味より優先されてしまう。
これではいかん、やむをえない。音のよいヘッドホンを導入して家人が寝ている間にそれで音楽を楽しもう!と決意して調べたのがこのヘッドホンサイトだ。(ありがとう)
予算2万円以下でのお勧めはゼンバイザーのHD595だと思ったが、ゴールドリングのDR150にした。かなりエージングを行ってから使用開始して、FE−167では聞き取れない音を聞き取れるようになり、スピーカーでもこの音を目指そう!としたのが7.のスピーカーへの投資だったのだ。
8−2 チャイコフスキーと205CMK3
ある日、時間がとれたので、近隣市図書館めぐりをした。
K市中央図書館は音楽関係の書籍がいっぱいある。CDはそれほどではないが、小学館や学研の名曲シリーズみたいなのがあって、往年の名演奏が多くある。
T市図書館は、書庫に長岡鉄男の著書がたくさん眠っている。貸出ししている。
今回はスピーカー工作図面1と2を借りた。
住所近隣の2市図書館が使えるほか、勤務先、出向先も使えるのでラッキーである。
クラシック音楽を再開してから、基本的に盛り上がる曲、明るく終わる曲、華やかな曲を好んで聴いているが、チャイコフスキーの4番を聞いてから、少々変化が生じてきた。
チャイコの4番は長岡鉄男がテラークの録音を勧めているので、CDを借りて聞いたのがきっかけだが、録音だけでなく、曲自体の魅力を再認識した。
以前持っていた同曲のLPは処分してしまったので、CDで聴くしかない。
クラシックのLPは、ジュリーニのものか、特に「気に入ったか、または気になるもの」しか残さなかった。
録音のよいものはあまり多くない。
しかし、チャイコフスキーはジュリーニの外盤が2枚残っていた。いずれも6番で、フィルハーモニアとロス・フィルだ。
ロス・フィル盤は当時はあまり評価されなかった気がするが、今ではけっこう高評価のようだ。
これらを聴いて、また印象が代わった。6番は悲しく静かで暗くなる曲と思っていたが、それだけではない。
美しく、悲しいが、力強さや希望というものも込められている気がした。
そこで、図書館めぐりの末、オーマンディ・フィラデルフィアの6番、プレヴィン・ロイヤル・フィルの5番も借りてきた。これからが楽しみである。
一方、アナログプレーヤーの方は、DL−103カートリッジにしばらく固定していたが、ある日急に205CMK3を聴きたくなった。
205CMK3もエージングは進んでいるはずだし、自分の耳もDL−103固定で鍛えられて来たと思ったのだ。
で、その日は朝から(朝だけだが)205CMK3でチャイコの6番を聴いた。
家族が寝てるのでヘッドフォンだ・・・。
曲が始まる。うん?これはっ。違う!今までと違う!スピードが違う。ハイスピードだ。速い。速い。音が出てくるのも速いが、音が消えるのも速い。これでは、響が少なく聞こえる可能性がある。
アンプやスピーカーによっては情報量が少なく聞こえるかも。外来のノイズがあると、大変邪魔になる。
そうだ、思い出した。俺のオーディオ全盛期にもそういう印象を持って聴いたっけ。うう、なめらかな音だ。
音の出ているとき(有音)と、出ていないとき(無音)の中間が、音が出ているか、出ていないかの境目が、とても美しい・・・。
これはピアニシモが美しいはずだ。しみじみと音楽を聴けるぞ。う、う、う。
これなら、行ける。JICOのスタイラスだが、行ける。205CMK3の良さが出ている。
これぞ205CMK3だったのではないか?
これで、ベートーヴェンの第7交響曲第2楽章を聴いたら、泣ける!のではないか?
はて、演奏・録音ともに良いLPが残ってたっけか?(2009年8月)
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当時のメインシステム。既製品のテレビ台の中にCDプレーヤ等を収納し、アンプを載せ、DP−50Mはアンプの上に直載せ(!)