バレエ「ジゼル」: テオフィール・ゴーティエ/台本 アドルフ・アダン/音楽 (1841年

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 ジゼルはダンスが大好きな美しい村娘。彼女にはロイスという結婚の約束までしている恋人がいたが、実はロイスはジゼルの愛を得るために農民に変装した公爵アルブレヒトだった。楽しいはずの収穫祭の日にジゼルに横恋慕する森番ヒラリオンがロイスの身分を暴きたて、果ては美しく高貴な婚約者までいることがわかり、ショックを受けたジゼルは正気を失い、死んでしまった。
 ジゼルの村には、踊りの好きな若い娘が結婚前に死ぬとウィリという精霊となり夜毎に墓場から抜け出して踊り狂い、通りかかった若い男を死ぬまで踊らせるという伝説があった。そして伝説通りジゼルもウィリになった。
 ジゼルの死に自責の念を感じるアルブレヒトは深夜にジゼルの墓を訪れ、そこでヒラリオンがウィリにつかまって殺されるのを目撃した。そしてアルブレヒト自身もウィリにつかまってしまった。精霊となってもなおアルブレヒトを愛するジゼルは、アルブレヒトを何とか助けようとした。
 しかしウィリとなったジゼルは冷酷な女王ミルタの命令で踊らされてしまい、ジゼルの踊りに魅惑されたアルブレヒトも一緒に踊り出してしまった。踊らざるを得ないウィリの性と愛するアルブレヒトを助けようとする気持ちの板ばさみとなって踊り続けるジゼルは、何度もミルタにアルブレヒトを許してくれるようにと情けを乞うた。しかしミルタは容赦なくジゼルに愛する男を死へと追いやる誘惑の舞踏を命じた。
 ジゼルと共に踊り続けたアルブレヒトは段々と弱って行き、ついに倒れてしまった。もう駄目だと思ったその時に夜明けを告げる鐘がなり、霊力を失ったウィリたちは墓場へと引き戻されて行った。
 アルブレヒトは助かった。しかしこの世ならぬ形で愛を確かめあったジゼルもまた墓場へ帰らなければならなかった。一人取り残されたアルブレヒトは深い愛と永遠にジゼルを失った喪失感に心が引き裂かれるのだった。
(終わり)



<第一幕>


 昔々、中世のお話である。シレジア(現在のポーランド南東部からチェコ北東部)ののどかな村はぶどうの収穫期を迎えていた。今日は収穫祭。農夫たちは朝早くからぶどうの収穫に畑へ向かっていた。
 そんな中、ダンスが大好きな少女ジゼルは結婚の約束をした恋人のロイスが誘いに来るのを待っていた。ロイスは最近村にやって来て向かいの小屋に住むようになった若者だが、垢抜けない他の農夫たちとは違っていて、立ち居振る舞いも美しい若者だ。
 ジゼルの住む小屋の前に森番のヒラリオンがやって来た。ジゼルに気があるヒラリオンはロイスの存在がおもしろくない。しかもどうもロイスは他の村の若者とは様子が違っていてうさん臭い。…あいつには何か秘密があるんじゃないだろうか…とヒラリオンは常々思っていた。狩で仕留めた獲物をジゼルへの贈り物として小屋の前にぶら下げ、いつか秘密を暴いてやるぞ、と思いながらヒラリオンは森へ戻って行った。
 ヒラリオンが去った後、黒いマントを纏った美しい青年がジゼルの小屋の前に現れた。後から従者ウィルフリードがやって来た。青年はマントと腰に帯びていた立派な剣を取り去って従者に向かいの小屋に置いてくるように命じた。
 粗末な身なりをしてはいるが、品格と威厳を備えたこの美しい青年はシレジアの公爵アルブレヒトである。ウィルフリードは公爵に、こんな事はよい結果を招きません、どうぞお止めください、と諭したが、アルブレヒトは取り合わなかった。そして毅然として帰るようにウィルフリードに命じた。従順な従者は仕方なく公爵の命令に従い、姿を消した。



 一人になったアルブレヒトは恋する青年の顔になった。そしてジゼルの小屋をノックしてから、驚かせてやろうとそっと物陰に隠れた。実はジゼルの恋人ロイスとはこの公爵アルブレヒトなのである。美しく可憐なジゼルの愛を得たいと願う彼はただの農夫のふりをしてジゼルに近づいたのであった。
 小屋からは弾むようにジゼルが飛び出して来た。しばらく探し回ってから焦れた頃にやっとロイス(アルブレヒト)が出て来た。恋しいロイスを見て、顔を輝かせたりはにかんだりしていたジゼルだが、昨夜見た悲しい夢の話を始めた。実はロイスは貴族で美しい貴婦人を愛しており、ジゼルではなく、彼女を選んでしまうというものだ。
 もし本当にそんな事になったら私は死んでしまうわ、とジゼルは言った。一瞬ドキリとしたロイス(アルブレヒト)であったが、そんな事あるもんか、僕はずっと君を愛しているよ、と永遠の愛を誓おうとした。
 ジゼルはそれより花占いで私たちのこれからを占いましょう、とマーガレットを摘んできた。そして愛している、愛していない…と花占いを始めたが、途中までやったところで愛してない、で終わることがわかってしまった。
 ジゼルは真っ蒼になってマーガレットを放り出し、泣き出してしまった。ジゼルの笑顔を取り戻すために、ロイス(アルブレヒト)はマーガレットを拾い、花びらの枚数をうまく細工して、ほら見てごらん、と愛しているで終わるようにしてやった。迷信深い少女にも笑顔が戻った。そしてジゼルはロイス(アルブレヒト)と一緒に大好きなダンスを始めた。


 そこへ再びヒラリオンが戻って来て、素性のわからないそんな男と何をしているんだ、とジゼルをとがめた。ジゼルは私はこの人を愛しているのだし、何も悪いことをしているわけではない、と陽気に答えた。するとヒラリオンは、どうしておれの想いをわかってくれないんだ、としつこくジゼルに迫り始めた。
 ロイス(アルブレヒト)はヒラリオンに止めるように言い、なおもしつこいヒラリオンを押しのけた。いきり立ったヒラリオンはナイフを取り出してロイス(アルブレヒト)に向けたが、ロイス(アルブレヒト)の毅然とした態度に気圧されて、覚えていろ、と捨てゼリフを残して立ち去った。
 ヒラリオンと入れ替わりに農家の娘たちがやって来て、一緒にぶどうの収穫に行きましょう、とジゼルを誘った。しかしジゼルは今日は楽しい収穫祭なのだし、ぶどうの収穫よりみんなで一緒に踊りましょうよ、と娘たちを誘った。それもそうね、と娘たちもカゴや道具類をおき、ジゼルやロイス(アルブレヒト)と一緒に踊り始めた。そうしてみんなで夢中になって踊っていると、ジゼルの小屋のドアがあいて、母親のベルトが出て来た。
 ジゼルはあわてて娘たちの陰に隠れた。ダンスが大好きなジゼルであるが、彼女の心臓は丈夫とは言えず、あまり踊り過ぎたりショックを受けたりすると止まってしまうのではないか、と常々ベルトは心配していたのである。
 ベルトはたちまち隠れているジゼルを見つけ、娘たちの間から引っ張り出して小言を言った。「身体が弱いくせに、そんなに踊ってばかりいたら、死んでしまうよ。そうしたらウィリになって死んでからも踊っているだろうよ。」娘たちはびっくりして、どういうことなの、と恐る恐るベルトに訊ねた。
 ベルトはこの地方に伝わる伝説を話し始めた。…踊りの好きな若い娘が結婚前に死ぬとウィリという精霊になってしまう。ウィリたちは生前に満たされなかったダンスへの欲求が抑えきれずに夜な夜な墓場から抜け出して来て踊り狂う。そして不運にも近くを通りかかった若い男を引きずりこんで死ぬまで踊らせるのだと言う…。
 陰鬱な調子のベルトの話に若い娘たちは脅えた。そして楽しい気分が吹っ飛んでしまい、再びカゴを背負って道具類を手にぶどうの収穫に行ってしまった。ジゼルは私はそんな伝説は気にしないわ、と抵抗したが、ベルトはジゼルを小屋へ連れて入ってしまった。
 一人取り残されたアルブレヒトの耳に貴族が狩の時に使う角笛の音が聞こえてきた。これはまずい事になった、一体誰が来たのだろう、とアルブレヒトが思っていると、ウィルフリードが駆けつけて、クールランド大公とバティルド姫が貴族たちを従えてやって来た事を告げた。驚いたアルブレヒトはあわててマントを羽織りその場から立ち去った。



 誰もいなくなったところにヒラリオンがやって来た。物陰でロイス(アルブレヒト)とウィルフリードのやりとりを盗み見ていたヒラリオンは思った。…やっぱりあいつはただの農夫ではない、あんなに立派な服装をした人物(ウィルフリード)があいつに臣下の礼をとっていたではないか。よし、今日という今日こそあいつの正体を暴いてやる…。
 そしてヒラリオンは証拠を探すためにロイスの小屋へこっそりと侵入した。その中でヒラリオンは貴族しかもたない立派な剣を見つけ、その紋章を見てほくそ笑んだ。…よし、これであいつの身元は割れた。あいつはシレジアの公爵だ。その公爵様が農夫に変装してジゼルをもてあそんでいるというわけか。奴の身分を暴露してジゼルののぼせあがった頭を冷やしてやろう…。
 ヒラリオンは早速剣をたずさえてジゼルにロイスの正体を告げようと小屋をノックしかけた。その時再び角笛が響き、貴族たちの狩の一行が近づくのが見えたので、ヒラリオンは一旦は物陰に隠れて様子を見ることにした。

 そして貴族たちの狩の一行がジゼルの小屋の前に到着した。強い陽射しを避けて休憩できるところを探していたのだ。途中から一行を先導してきたウィルフリードがドアをノックし、出て来たベルトにクールランド大公のご一行が休憩場所と飲み物を所望しておられる旨を伝えた。ベルトはジゼルを呼んで一行にできる限りのことをして歓待した。
 貴族たちに給仕をして回りながら、ジゼルの目は高貴で美しいバティルド姫に釘づけになった。まるで絵のような非の打ち所のない美しさだ。そしてバティルド姫の着ているドレス。ジゼルは針仕事もしているのだが、こんなに美しいものは見たことがない。うっとりしたジゼルは思わずかがみこんで姫君のドレスの裾にすぅっと指をすべらせた。
 バティルド姫は何事かと振り向いた。そして何とも可憐な美しい娘が自分のドレスに触れているのを見て声をかけたくなった。…お前の名前は何て言うの、毎日何をして暮らしているの?恋人はいるの?…
 ジゼルはちょっとはにかみながら、高貴な姫君に自分の名を告げ、ぶどうの収穫や針仕事、そして大好きなダンスをして暮らしている事を話した。そして恋人とは婚約もしており、もし捨てられたりしたら、きっと私は死んでしまうでしょう、と答えた。
 バティルド姫は微笑んで、私も素敵な方と婚約しているのだけど、あなたのような可愛い人の婚約者もきっと素敵な人なんでしょうね、会ってみたいものだわ、と言った。ジゼルはその辺にいるのではないかと思って探し回ったが、ロイスの姿はどこにも見当たらなかった。ジゼルが気に入ったバティルド姫は自分の首飾りをジゼルに与えた。ジゼルは高貴な姫君からの思いもかけない贈り物に有頂天になった。
 陽射しは依然として強く、疲れてしまった大公とバティルド姫はジゼルの小屋でしばし休むことにした。そして貴族たちに狩を続けるように言って、角笛を小屋の前にかけさせて、自分たちは小屋へ入って行った。



 まもなく収穫を終えた農夫や娘たちがやって来て、収穫際のダンスを踊り始めた。貴族たちが立ち去ったのを確かめたロイス(アルブレヒト)も戻って来た。ジゼルも小屋から出て来た。ジゼルは収穫祭の女王に選ばれ、ぶどうの蔓で編んだ冠を授けられた。そして農夫や娘たちは熱狂的に踊り始めた。ジゼルとロイス(アルブレヒト)も恋する喜びをいっぱいに表して踊り続けた。
 そこへヒラリオンが剣を持って乱入し、楽しいお祭り騒ぎをぶち壊した。ヒラリオンはジゼルにロイスは本当は公爵であること、ジゼルはもてあそばれているのだという事を暴露した。ジゼルは笑い飛ばし、信じなかった。するとヒラリオンは紋章の入った立派な剣をジゼルの目の前に突き出し、これはあいつの小屋の中で見つけたんだ、と言った。
 ジゼルの脳裏にあの悲しい夢がよみがえった。そしてロイス(アルブレヒト)に本当なの、と真っ蒼になって訊ねた。ロイス(アルブレヒト)は、そんな事があるわけないじゃないか、僕はただの農夫だよ、と言い逃れようとした。
 ジゼルはロイス(アルブレヒト)の言うことを何とか信じたいと思い、ロイス(アルブレヒト)に寄り添った。じれったく思ったヒラリオンは、証人もいるんだ、言い逃れなんかできるものか、とばかりに小屋にかけられた角笛を手にとって吹き鳴らした。

 角笛は響き渡り、大公のお呼びだと思った貴族たちが帰って来た。そしてロイス(アルブレヒト)を見つけ、うやうやしく挨拶をした。大公やバティルド姫も小屋から出てきて粗末ななりをしたアルブレヒトを見て驚き、一体どうしたことかとわけを訊ねた。アルブレヒトは、一人で狩をしていましたと言って、差し出された婚約者のバティルド姫の手をとり、接吻した。
 もはやヒラリオンの言うことに疑いはなかった。そればかりかあの悲しい夢の通りバティルド姫という高貴で美しい婚約者までいたのである。衝撃を受けたジゼルは発作的にアルブレヒトとバティルド姫の間に割って入った。そしてバティルド姫に向かってこの人は私の大切な婚約者です、と叫んだ。バティルド姫はあきれて、何を言っているの、この方はシレジアの公爵様で、私の婚約者なのですよ、と言い聞かせた。
 凍りついたジゼルはロイス(アルブレヒト)にすがりつこうとした。しかしロイス(アルブレヒト)はジゼルの目を避けて下を向いたまま何も言うことができなかった。絶望したジゼルはバティルド姫からもらった首飾りを引きちぎって地面に叩きつけ、自らも倒れこんだ。
 驚いたバティルド姫は、これはどういう事なんです、とアルブレヒトに釈明を求めた。しかしアルブレヒトは下を向いたまま、バティルド姫に対しても一言も答えることができなかった。

 絶望したジゼルはすでに正気を失っていた。花占いやその他の楽しかった思い出が気の狂ったジゼルの脳裏を駆け抜けた。そしてジゼルは地面に落ちていたアルブレヒトの剣をひきずり回し、自分の胸に突き立てようとし、ヒラリオンに止められた。そして錯乱したまま、かつてロイスと共に踏んだダンスのステップを一人で踏んだ。それが致命的であった。虚弱なジゼルの心臓はすでに制御を失っていた。苦しげなジゼルは助けを求めて皆の間をさ迷った。
 と、何かこの世ならぬ冷たいものがジゼルを遠くから呼ぶような気がした。耳をそばだて震えているジゼルに、ヒラリオンはお母さんはあそこだよ、とジゼルをベルトの方に誘導した。一度はベルトの腕の中に倒れこんだジゼルであったが、発作的に走り出し、最後はロイス(アルブレヒト)の腕の中に飛び込んで息絶えた。
 大公や貴族たちはあまりの事に言葉を失い、バティルド姫をかばいながら立ち去った。悲しみに引き裂かれたアルブレヒトは、後悔に苛まれるヒラリオンにお前のせいでジゼルは死んだんだ、と食ってかかった。ヒラリオンもまた悪いのはお前だと言って二人は言い争いになった。
 アルブレヒトは自分の剣を拾ってヒラリオンを斬捨てようとしたが、ウィルフリードに止められた。ベルトは「何をしてもジゼルは生き返らない。もうたくさんだから出て行ってください。」とアルブレヒトにはき捨てるように言った。若者たちの視線も鋭くアルブレヒトに突き刺さった。ウィルフリードに促され、立場が悪くなったアルブレヒトは逃げるようにその場を立ち去った。
 嘆き悲しむベルト、後悔にくれるヒラリオン。沈痛な面持ちの農夫、娘たち。しかしジゼルの目が開かれることは二度となかった。


<第二幕>


  ジゼルは村のはずれの森に葬られた。樺やポプラ、糸柳などの巨木が鬱蒼と茂っており、それらの樹々は近くの水草でよどんだ池の中までそのねじくれた根っこを伸ばしている。ジゼルを葬った場所には白い大理石の十字架が立てられたが、背の高い野草や野生の花々が墓を覆い隠さんばかりに茂っていた。十字架にはジゼルが収穫祭の間頭に載せていたぶどうの蔓の冠がかけられていた。昼間でも薄気味悪く感じられる場所であったが、月の光に照らされて青白く浮かび上がったその光景は、この世のものとも思われぬ不気味さを漂わせていた。
 そのような場所の方が狩に適していると思ったのか、森番たちはここで野営をする事にした。そしてサイコロを振って暇をつぶしていたが、ヒラリオンだけはジゼルの墓に花を供えて後悔の涙にくれていた。
 そうするうちに、12時を告げる鐘が鳴った。村の言い伝えによれば、ウィリたちはこの時間に墓場から甦えり踊り狂うのだと言う。そしてそれは彼女らの霊力が消える朝の4時まで続くのだ。

 やがて青い鬼火が見えたかと思うと、森番たちを追い回し始めた。森番たちは恐怖に襲われ、散り散りになって逃げ出した。ヒラリオンも真っ蒼になって逃げ出した。
 その後、透き通る青白い幻影のようなウィリの女王ミルタが現れた。背中に翅が生えたミルタはこの世ならぬ美しさでひらひらと跳ぶように踊り続け、彼女が通ったところには精霊の発する神秘的な空気が立ち込めた。そしてたくさんのウィリたちが集まって来た。ミルタがローズマリーの枝を手に持って合図をすると、ウィリたちを包んでいた屍衣は一斉に落ち、翅をつけ白い花嫁衣裳を纏った姿となって跳ぶように軽々と、妖しいまでの美しさで踊り出した。
 やがてミルタはウィリたちに新しい仲間が加わる事を告げた。墓の下からジゼルが呼び出された。ミルタがローズマリーの枝をジゼルに向かって一振りすると、屍衣はひとりでに落ち、それまで血が通わなかった手足が甦った歓びをぼとばしらせるかのように、全身に踊りへの情熱をたぎらせてジゼルは踊り出した。

 こうしてジゼルがウィリの仲間入りを果たした時に、人の足音が聞こえた。聞き耳をたてていたウィリたちは獲物を求めて一斉に移動して行った。


 



 その後、ジゼルの墓の前に後悔に打ちひしがれるアルブレヒトが現れた。ウィルフリードが追って来て、この不吉な場所は悲しみを深くさせるだけだから、とアルブレヒトを墓から引き離そうとしたが、アルブレヒトは帰るように、ときつく言いつけてウィルフリードを追い払ってしまった。
 アルブレヒトが墓にひざまづき、許しを乞うていると、目の前に不思議なものが現れた。ジゼルではないだろうか…アルブレヒトは驚き、凍りつきそうになった。そしてアルブレヒトは吸い寄せられるようにジゼルの方に手を伸ばし、抱きしめようとした。
しかし精霊となったジゼルはスルリと彼の手をすり抜けていく。ジゼルはジゼルで、花を摘んできてアルブレヒトに投げ、自分がそこにいる事と彼への変わらぬ愛情を示そうとした。そうしてアルブレヒトとジゼルはしばらく実りのない追いかけっこをしていたが、やがてジゼルは消えてしまった。
 アルブレヒトがむなしく墓を抱きしめていると、不吉なものが近づいて来るのが感じられた。驚いたアルブレヒトは枝垂れ柳の陰に隠れた。
 それはウィリたちに見つかり、踊る事を強いられ、弱り果てたヒラリオンがウィリたちに最後の地へ追い立てられて来る光景であった。ヒラリオンは女王ミルタに許しを乞うが、冷たく拒絶された。やがて瀕死になったヒラリオンは次々とウィリたちにたらい回しされ、ついには池に突き落とされてとどめを刺された。ヒラリオンを仕留めたウィリたちは狂喜乱舞した。



 そしてアルブレヒトもウィリたちに見つかってしまった。ミルタがアルブレヒトに向かってローズマリーの杖を振り上げようとした時、ジゼルが飛び出して来てアルブレヒトをかばい、ミルタの前に立ちふさがった。ジゼルはアルブレヒトを墓の十字架に連れて行き、決してここを離れないようにと言った。十字架の聖なる力がアルブレヒトを守り、ウィリたちの霊力が通じなくなるのだ。
 ミルタはアルブレヒトに向かってローズマリーの杖を一振りしたが、十字架の聖なる力の前に女王ミルタの杖は折れてしまった。
 しかし氷のように冷たい面持ちのミルタは落ち着き払ってジゼルにこう言った。確かに十字架に触れている間は安全でしょう。しかし、ジゼルよ。ウィリであるお前は私が踊れと命じれば踊らずにはいられないのです。さあ、誰よりも優雅に、誰よりも魅惑的に踊りなさい。そしてお前のその踊りで愛する男を誘惑し、十字架から離れさせて踊らせ、最後は死に至らしめるのです。
 そしてミルタはジゼルに向かって杖を一振りした。意思とは裏腹にジゼルの手足は動き始めた。女王ミルタに命じられれば踊らざるを得ないジゼル。。それでもジゼルは何とかしてアルブレヒトを守ろうと精一杯の工夫をした…そうだ、できるだけゆっくりと動こう。そうすれば時は経ち、やがて4時がやって来てウィリの霊力は消え、愛しい人は助かるかもしれない…。 
 しかしゆったりとした物憂げなジゼルの動きはぞくぞくするほど魅惑的で、たちまちアルブレヒトを官能が支配する世界に誘い込んだ。うっとりとした表情を浮かべたアルブレヒトはミルタの言うように、自分から十字架を離れていった。ジゼルと踊ることができるならば死んでもかまわない、とでもいうように。ミルタをはじめウィリたちは、ジゼルが愛する男を誘惑し、破滅へと導く踊りをぞっとするような冷たさで傍観していた。
 ジゼルは度々ミルタに慈悲を乞うた。しかし冷酷なミルタははねつけ、更に激しく踊り続けるようにと命じた。弱り始めたアルブレヒトも許してくれるようにと情けを乞うたが、ミルタは容赦がなかった。そして何度も倒れては立ち上がり、アルブレヒトはジゼルと共に踊り続けた。ついにはウィリたちも加わり、アルブレヒトにとどめを刺そうと激しいステップを踏み始めた。
 そして力尽きたアルブレヒトはついに倒れて起き上がれなくなってしまった。もはやこれまで…と思ったその時、4時を告げる鐘の音が響き渡った。ウィリたちの霊力は段々と弱まり、女王ミルタも他のウィリたちも元の墓の中へと引き戻されて行った。



 助かった…アルブレヒトは心を一つにして共に試練を耐え抜いてくれたジセルと手を取り合おうとした。しかしジゼルは段々と遠くへ消えて行こうとしていた。ジゼルもまた精霊であり、墓へ戻らなければならないのである。ジゼルは最後の力を振り絞って花を摘み、愛情を込めてアルブレヒトに渡して永遠の別れを告げ、消えて行った。
 何という事だ…今や自分とジゼルの心は一つに結ばれたというのに…朝靄の中に一人取り残されたアルブレヒトは、深い愛とそれに劣らぬ深い喪失感に心を引き裂かれるのだった。
(終わり)





◇ ジゼル基本情報
◇ ジゼルの成立とその後
◇ ウィリ(ヴィリス)の伝説
◇ ジゼルのドラマ性
◇ 初演台本・ゴーティエ版・現在の上演の相違点
◇ 現在の論点
     ・ アルブレヒトはジゼルをもてあそんでいたのか
     ・ 不実な男を愛せるか
     ・ ヒラリオンについて
     ・ ヒラリオンはなぜ公爵様に対してあんなに横柄なのか
     ・ バチルド姫について
     ・ ジゼルは自殺か
     ・ ジゼルはこれからもウィリであり続けるか



<ジゼル基本情報>


   「ジゼル、またはウィリたち」
   台本    テオフィール・ゴーティエ、ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ
   振付    ジャン・コラリ、ジュール・ペロー
   音楽    アドルフ・アダン
   初演    1841年 6月28日 於 王立音楽アカデミー(パリ・オペラ座)
   初演者   ジゼル   : カルロッタ・グリジ
          アルブレヒト: リュシアン・プティパ






ジゼルの成立とその後

 ジゼルはロマンティックバレエの代表作であると同時に、すべてのバレエの中でも最も人気のあるバレエの一つです。数ある名作の中でも特にドラマ性が優れている点が人気の秘密です。
 最初に「ジゼル」を作ろうと思いついたのは詩人のテオフィール・ゴーティエです。ハインリヒ・ハイネの「ドイツ論」(または「精霊物語」)にあった踊る精霊ヴィリスに興味を持ったゴーティエがヴィリスの登場するバレエを作れないだろうかと思ったのが発端です。
 しかしなぜ詩人のゴーティエがバレエの台本を書こうと思ったのでしょうか(舞台評なら前から書いていたそうですが)。実はゴーティエ氏はジゼルの初演者であるカルロッタ・グリジに熱烈に惚れ込んでいたのです。そのグリジをオペラ座に正式に主役としてデビューさせるために何かいいバレエは作れないか、と考えた結果なのでした。結局ゴーティエ氏の恋は実らなかったようですが、彼の恋の情熱は素晴らしい作品を生み出したのです。そしてその後もいろんなバレリーナに熱をあげながらもゴーティエ氏はグリジとずっと良いお友達でいたらしいです。
 ゴーティエはまず一幕で踊りすぎた主人公が命を落とし、そして二幕でヴィリスとなって踊り狂うという構想をたてました。そしてそのためにはいかにして主人公の少女に死んでもらうかが思案のしどころでした。ゴーティエの最初の案は舞踏会で身体が火照った主人公が夜明けの冷気に触れて命を落とす、というものでした。(ヴィクトル・ユゴーの詩「ファントム」(「東方詩集」に収録)がヒントとなっているそうです)しかしそれでは一幕にほとんどドラマというものがありません。これではちょっと…と思ったゴーティエはヴェテラン台本作家のサン=ジョルジュに相談しました。そしてサン=ジョルジュが一幕を書き換え、現在のものに近い形になったのです。そして二幕についてはほとんどゴーティエの構想通りとなりました。
 そしてジゼルは初演時から大成功を収めました。グリジはマリー・タリオーニと並び称されるほどの人気者となったのです。しかしグリジの引退とともにジゼルはオペラ座のレパートリーから消えていきました。時折思い出したように上演されましたが、やがて全く消えてしまったのです。再びレパートリーに戻ったには1924年でした。それを絶えることなく上演し続け後世へ引き継いできたのはロシアでした。ロシアではプティパが振付に手を入れているそうなので、どこまでコラリやペローの原振付が残っているのかはよくわかりませんが、ともかくロシアでジゼルが消えることなく踊り継がれて来たおかげで我々は今もこの名作を見ることができるのだ、ということです。




ウィリ(ヴィリス)の伝説

 前述の通り、ゴーティエはハイネの「ドイツ論」(または「精霊物語」)からヒントを得ました。参考までに引用しておきます。
 「それはその地方(オーストリアのある地方)にはヴィリスという名で知られている幽霊伝説である。ヴィリスは結婚式を挙げる前に死んだ花嫁である。この可哀想な若い女たちは墓の中でじっと眠っていることができない。彼女たちは死せる心の中に死せる足に生前自分で十分に満足させることができなかったあのダンスの楽しみが今なお生き続きている。そして夜中に地上に上がって来て、大通りに群れ成して集まる。そんなところへ出くわした若い男は哀れだ。彼はヴィリスたちと踊らなければならない。彼女らはその若い男に放縦な凶暴さで抱きつく。そして彼は休む暇もあらばこそ、彼女らと踊りに踊りぬいてしまいには死んでしまう。婚礼の晴れ着に飾られて、頭には花の美しい冠とひらひらなびくリボンをつけて、指にはきらきらと輝く指輪をはめて、ヴィリスたちはエルフェたちと同じように月光を浴びて踊る。彼女らの顔は雪のように真っ白ではあるが、若々しくて美しい。そしてぞっとするような明るい声で笑い、冒頭的なまでに愛くるしい。そして神秘的な淫蕩さで幸せを約束するようにうなずきかけてくる。この死せる酒神の巫女たちに逆らうことはできない。人生の花咲くさなかに死んで行く花嫁を見た民衆は青春と美がこんなに突然暗い破滅の手に落ちることに納得できなかった。それで花嫁は手に入れるべくして入れられなかった喜びを死んでからも探し求めるのだという信仰が容易に生まれたのである。 (「流刑の神々・精霊物語」 ハインリヒ・ハイネ/著 小沢俊夫/訳 (岩波書店)より引用)
 オーストリアとありますが、どうもこれはスラブ起源の言い伝えのようです。ハイネの時代にはまだハプスブルグ帝国が健在でしたからヨーロッパ、特に東欧のかなりの部分がオーストリアと呼ばれていたのでしょう。
 さて、このヴィリス伝説ですが、ハイネの記述を素直に読む限りヴィリスたちは死んでからも踊りに未練が捨て切れずに夜な夜な墓場から抜け出して踊り狂うというだけで、男に恨みをはらすためにとりついて殺すというのではありません。要は踊りというのは性的エネルギーの発散の象徴なので、性的な欲求が満たされず若い男を引き込みその精を吸い尽くすというのが本質なのだと思います。 
 この物語の裏にはカトリック的な結婚前の純潔の思想があるようです。それが結婚前に死ぬのですから、満たされなかった性への欲求が墓の下の死体からもほとばしり出るというわけです。…それって本当に怖いですね。
 それが「ジゼル」では男に恨みを持っており、殺すのが目的になっています。ウィリをそのように説明する資料もあることはあるようです。「ジゼルという名のバレエ」の中でボーモント氏はヴィリスについて書かれた本はほとんどないとしながらも、唯一「マイヤーの百科事典」がヴィリスを「婚約していながら不実な男に裏切られたため死んでしまった娘の霊が吸血鬼となったもの」と定義している、と書いているのです。
 「ジゼル」においてはウィリの性質を吸血鬼的に設定したことがドラマに深みを与え、テーマをはっきりと浮かび上がらせるのに有効だったのだと思います。もし「性的な欲求」を強調したならば、違った方向へ行ってしまいますからね。たとえ本質的なものであっても、「性的なもの」は表には出さず、観る者に少しばかり、しかし深く感じさせるのが一番いいと思います。





ジゼルのドラマ性
 ドラマ性が優れているとして人気の「ジゼル」。それでは一体どこが優れているのでしょうか。まず言われているのは、踊りへの情熱がドラマを貫くという構想自体が素晴らしい、ということです。自然と踊りの場面が展開されますから、ディベルティスマンをたくさん入れる必要もなく、ドラマが凝縮されて表現され、観客を引き込みます。

 



 そしてもう一つ指摘されているのは、一幕と二幕は対照的に作られており、一幕における出来事は二幕におけるドラマの前提になっているということです。「暗があって明が浮かび上がる」。この構成によって我々はドラマに引き込まれ、二幕に感動します。それではその対照性とはどのようなところに現れているのでしょうか。
 まずそれを象徴するのがクロス。「ジゼルという名のバレエ」でボーモント氏が書いておられましたが、剣を逆さまにすると十字架になるのです。つまり一幕は立派な剣が支配する身分が絶対の現実の封建社会。そして二幕は十字架が象徴する霊的な世界です。一幕の現実社会では問題とならず破れ去った愛が二幕の霊的世界では女の強い想いによって成就する。一幕と二幕を対照的に描き、一幕を前提とすることで、二幕の愛の成就が観る者の心に迫って来るものとなるのです。(成就と言っても、現実には悲劇なのですが、ここではジゼルがアルブレヒトの心からの愛を得る、という意味で成就と言っています。)



 まずは一幕の現実の世界。そうとは知らずに身分違いの恋をした娘が恋人の不実を知り、まず心が壊れてその結果身体も壊れ、死んでいきます。今の我々にはあまりピンときませんが、封建制の中世ですから、身分の差は絶対的なものだったのです。それなのに心のすべてを捧げた婚約者が「変装した貴族」だったなんて…。初心な少女ジゼルは本当に可哀想です。
 そして二幕。一幕であんなに可哀想だった上に、伝説通り恐怖の幽霊ウィリにまでなってしまい、どこまでも可哀想なジゼル。と思っていたら、可哀想はここで終わり。ジゼルには女王ミルタに逆らってまで愛するアルブレヒトを守ろうとする強さが生まれているのです。
 一幕では身分違いの恋でショック死したのに、二幕ではジセルの方が強い立場。だってアルブレヒトは霊的世界ではウィリの獲物にすぎないですからね。つまり、立場が逆転したのです。一幕ではジゼルより強い立場にいたアルブレヒトはクールランド大公やバティルド姫に出会ったならば「男は社会的動物」そのものとなり、ジゼルより彼らを選んでしまいます。それが二幕ではジゼルは女王ミルタに逆らってまでアルブレヒトを守ろうとするのです。このあたり、男女の恋愛に対する姿勢の違いが浮き彫りにされており、興味深いですね。
 
 しかしジゼルは一応ウィリ。女王に命じられれば踊ってアルブレヒトを誘惑し破滅へと導かざるを得ません。一幕ではアルブレヒトが抱きしめようとすると恥らって逃げていた少女が踊りで男を誘惑するのです。しかしその中でも十字架に導いたり、時間稼ぎをしたり、女王に情けを乞うたり、倒れたアルブレヒトを助け起こして励ましたりして、死に体の彼に寄り添います。ここはまさしくドラマが最高に盛り上がるところ。アルブレヒトを助けようとする愛の心と踊らずにはいられないウィリの性の矛盾に苦しみながら、ジゼルはアルブレヒトと共に踊りに踊るのです。そうしているうちに、アルブレヒトとジゼルの心は一つに。そして4時の鐘が鳴りウィリたちが消えた時、一幕では男のエゴな本能がむき出しであったアルブレヒトは、極限状態で究極の性愛を共に体験した後、ジゼルを心から愛するようになっていたのです。
 しかし4時の鐘と共にウィリたちが霊力を失って去ると、ジゼルとアルブレヒトにもまた住む世界が違うものとして、永遠の別れがやって来ます。絶対的な権威に逆らってもアルブレヒトを守ろうとしたジゼルの深い想い。そして心を一つにして試練を乗り越えて強く結ばれた二人の心。でもそれがわかった時は永遠にジゼルを失う時。愛が深ければ深いほど、喪失感も深いのです。愛するアルブレヒトを助けたいと思いながらウィリとして彼を誘惑し破滅へ導くジゼルの葛藤と共に、このラストシーンは観客の心を揺さぶるドラマであると思います。





<一幕と二幕の対照性>


一幕 二幕
場所 収穫際にわく村 はずれにある薄気味悪い森
時(時間帯) 早朝から昼間 (明るい) 夜 (暗い)
住む世界 身分という枠組みが存在する現実の社会(城と小屋) 精霊が支配する霊的な世界(自然)
障害 社会的な身分と婚約者 女王ミルタと踊らずにはいられないウィリの性
ジゼルの身分 身分の低い村娘 霊力を持つウィリ
アルブレヒトの身分 身分の高い貴族 ウィリの獲物
ジゼルの性質 エキセントリックでもろい 愛のためには女王に楯突くほど強い
アルブレヒトの愛 性愛 性愛のみならず精神的な愛にまで至る
愛の性質 花占い等からわかる男の愛のずるさ・いい加減さ 女王に逆らってでも愛を貫く女の愛の強さ・絶対性
愛はどうなったか 愛の破綻 (アルブレヒト主導) 愛の成就 (ジゼル主導)
クロス 貴族の身分を示す剣 霊的な世界を示す十字架
二人の追いかけっこ 楽しい恋のじゃれあい 違う世界に引き離されたむなしさ

 


初演台本・ゴーティエ版・現在の上演の相違点


 「ジゼル」の物語は「くるみ割り人形」や「白鳥の湖」と比べるとそれほど版によっての違いは大きくありません。しかしジゼルの死に方だとかアルブレヒトの態度などでかなり違うものもあったりします。大きな改定はないとは言え、テーマをよりはっきりと表現するために初演台本を変更した点、もしくは個性の強いゴーティエ氏の考えなど、それなりにヴァリエーションはありますので、幾つか違いの目立つ点をご紹介しておきます。
なお、「ジゼル」においては物語をまとめる際には特定の〜版ではなく、初演台本を基本としながら、すっかり変更されてしまった箇所は現在多く行われている演出に変更しました。



初演台本 ゴーティエ版 現在の上演
アルブレヒトはジゼルを愛していたのか 愛していた 愛していた 愛していたか弄んだか争いあり
ジゼルの健康状態 心臓が虚弱 健康 たいていは心臓が虚弱
ジゼルの死因 踊りによる心臓発作 剣による自殺 心臓発作か自殺か争いあり
ヒラリオンの性質 嫉妬深く乱暴。ジゼルの死に際して一応後悔はするが、ジゼルの墓を薄気味悪く思う。 陰湿で残忍、完全な悪者 争いあるもジゼルを死に追いやったこと後悔し、花を供えるパターンが多い。
バティルド姫の性質 優しく寛容 優しく寛容 貴族の娘らしく気位が高い一面を見せる
ジゼルの死の場面におけるアルブレヒトの行動 剣で自殺しようとして大公に止められる。気も狂わんばかりで回りの者に連れられて退場 絶望と悲嘆にくれている ヒラリオンを責めて斬りかかる。白い目を向けられて逃げるように退場
ウィリたちの態様 世界中から集まって来ており、民族衣装で民族舞踊を踊る(ドゥ・ウィリにはズルメとモイナというという名前がついている。) 世界中から集まって来ており、民族衣装で民族舞踊を踊る(ドゥ・ウィリはズルメとモイナ)
※ウィリになるのは自殺者のみとしている
全員同じ白のロマンティックチュチュで同じ髪型。同じ踊りを踊る
ラストシーンにおけるジゼルの消え方 花の草の中に埋もれて行く 花と草の中に埋もれて行く 墓に引き戻される
ラストシーン ウィルフリードがバティルド姫を連れて登場。アルブレヒトはジゼルにバティルドに愛を捧げよと言われ、姫に向かって手を差し伸べる アルブレヒトは探しに来たウィルフリードとバティルドの腕の中に倒れ込む アルブレヒトとジゼルの二人だけの永遠の別れのシーン



 初演の方が甘くロマンティックですね。特に初演の後にゴーティエ氏が書いたジゼル物語は風景などの描写も細かくすぅっと夢の世界に吸い込まれそう。しかしゴーティエ版がおもしろいのは、そういった詩的な物語の中に「ここをカルロッタは見事に演じきったのである。ああ、その言葉にならない感動よ!」みたいな調子のカルロッタ・グリジ賛歌がはいるところです。よほど熱をあげていたのでしょう。
 それが段々と詩的な色彩は薄れていき、一幕と二幕の対比がよりはっきりしてシンプルな作りとなりました。その流れの中で登場人物の性格や行動パターンも少しづつ変化したのです。



現在の論点


 そして現在では登場人物の性格、心情にたいする解釈が上演毎に微妙に違っています。どれが正しいとか間違っているではなく、それぞれのダンサーや演出家の個性ですから、好みの問題なのですが。以下、みんなが楽しく意見を戦わせている点を少しあげておきます。


@ アルブレヒトはジゼルを愛していたのかもてあそんだのか

 これはズバリ大人気の論点です。初演台本やゴーティエ版では「愛していた」となっています。初演台本は「唯一の愛情の対象」と書いてますし、ゴーティエ氏などは「愛、お前に対する力強い愛だけがすべてだ、ジゼルよ!」とまで書いておられます。現在でもウラジーミル・マラーホフ氏のアルブレヒトはこのタイプです。
 この考え方はとてもロマンティック。しかしちょっと説明するに苦しい点も。なぜならばアルブレヒトは自分の想いに夢中でもジゼルのことまで深く思いやってはいないからです。誠意を捧げることができないのに人の心を欲しがるのはいけないこと。アルブレヒトは高貴な身分の婚約者までいる大貴族ですから、ジゼルと結ばれることはありません。それであれば忠実な従者ウィルフリードが忠告したように、農民に変装して彼女の純真な心を奪ったりしてはいけないのです。それでもやっぱり彼女と一緒にいたいというのなら、貴族らしく妾として囲えばよかったのです。最初から貴族と妾としてそれなりの愛情を育てればこのような悲劇は起こらなかったと思います。ただ貴族とわかっていれば、ジゼルもそれなりに遠慮して二人の間には最初から壁ができてしまいますから、きっとアルブレヒトはそれがいやだったのでしょう。美しく可憐な少女が身分を取り去った素の自分に夢中になって心のすべてを捧げる様子に、彼もまた夢中になり陶酔していたのだと思います。
 そんな風に自分の恋に夢中になっていて、ジゼルの立場や恋が冷めた後のことまでは考えていませんから、思いがけずクールランド大公やバティルド姫が現れると、動転してしまって対処ができなくなってしまったのです。「愛していた」の立場にたったとしても、その愛の性質は夢中になって恋しているというもので、二幕の最後に現れるような深い精神的な愛とは違うものだと思います。
 それに比べて現在割りと多い「もてあそんでいた」だと一幕と二幕のコントラストはより鮮明です。クールランド大公やバティルド姫が登場した時の反応も納得できます。二幕の劇的効果をあげるための合理的な解釈ですね。
 しかし合理的であると同時にゴーティエ氏が愛した甘く香るロマンティシズムがかなりトーンダウンしてしまいます。花占いの場面も何だかインチキ臭さが漂います。恥らうジゼルをロイス(アルブレヒト)が追いかける甘い恋のシーンも「赤ずきんちゃんとおおかみさん」みたいな感じになりかねません。ただこの解釈だとジゼルが死んだ時のアルブレヒトの反応としては、ヒラリオンに八つ当たりして最後は逃げ出すというのがぴったりきますね。それにひきかえヒラリオンが殺されてアルブレヒトが助かるのは納得しにくくなります。だって本当に悪いのは「農民に変装」して「初心な少女の心を奪った」貴族のアルブレヒトなんですから。
 ここでは「詳しい物語」をまとめるにつき、現在の演出と一貫性を持たせるために「もてあそんだ」に近い視点でまとめました。しかし極端にどちらか、というよりはちょっと曖昧に愛しているようでいてつまみ食いしているようでもあって…というのが表現としてはいいかなと思います。だって人間はそもそも曖昧なものだし、その方が男のずるさと色気がよく出てアルブレヒトが魅力的になると思いますから。



A 不実な男を愛せるか

 恋している間は女性もうっとりとヒロインになっていますが、裏切られたとなると現実に戻って来ます。そうなると女性は自分自身を守ることに熱心になります。だって「それでもあなたを愛してるわ」なんて言ったら、それこそ男から軽く見られてとことん利用されるのがオチですから。女性にとって男性は愛すべき存在ではありますが、甘くみても甘やかしてもいけません。男女の愛とはもともと子孫を残すためのものであり、そのためには賢くなければならないのです。相手の出方をしっかり判断して自分もそれに見合うような行動をする…無事に子供を育てあげ、現実をたくましく生き抜くためには必要な知恵です。
 さて、ジゼルのように愛する婚約者が身分を偽っており、到底かなわないような相手と二股をかけていた…こんな事になったら誰だってショックでしょう。自分の内的世界が破壊されてしまいますから、自分自身を保つことすら難しくなります。気が狂ってしまったり、自殺してしまったり。何とか混乱期を乗り切って落ち着いたとしても、なぜ自分を裏切ったのか、と相手を責めたくなります。そんな不実な男などこっちの方でお断りだと思えればいいのですが、なかなかそうもいきません。丑の刻参り(白装束で五寸釘を打つ呪いです)をしたり陰湿なストーカーになる事も。そこまでいかなくてもたいていの人はやっぱり相手を恨みますから、不実であった男が窮地に立たされた場合、身体を張ってでも助けたいと思う人は稀でしょう。「私を裏切った罰よ」と思う人が多いのではないでしょうか。まあ、不実な男のことなど大切な思い出ではありませんから、時が経てば忘れてしまうと思いますけどね。
 それならば、なぜジゼルはあんなにアルブレヒトを愛したの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かにジゼルのような女性が現実にはいないと断言することもできませんが、やっぱりここはひとつ、かのゴーティエ氏のお言葉をご紹介しておきたいと思います。
「バレエはまず何よりも詩を本質とし、現実よりもむしろ夢想から生じるのである。あくまで幻想的なものであり、私たちが街で出会うような現世を逃れるというのでなければ、バレエはほとんど存在しない。バレエは詩人の夢を真剣に受け止めたものだ。」(「19世紀フランス・バレエの台本・パリオペラ座」 平林正司/著 慶応義塾大学出版会 より引用)



B ヒラリオンについて

 現在の上演ではヒラリオンはいやなヤツだけど、そんなに悪いわけではなく、二幕で殺されてしまうのは気の毒だという意見があります。確かにヒラリオンの暴露の仕方は思いやりがありません。もし本当にジゼルを愛しているのであれば、ジゼルには黙っておいて、アルブレヒトに「彼女には黙ってこのまま消えろ」と言えばよかったのです。(もちろんそれでも愛するロイスがいなくなったなら、ジゼルは悲しみのあまり死んでしまったかもしれませんが)嫉妬にかられ復讐心に燃えて残酷な行為に出るのは人として恥ずかしいことですね。
 それでも殺されるほどヒラリオンが悪かったとは思えません。悪いと言えば身分を偽ってジゼルの心を欲しがったアルブレヒトの方がよっぽど悪いし、女の敵としてウィリに取り殺されても仕方がないと思います。なのに、なぜ…。
 この答えはやはりゴーティエ氏にあるのではないか、と思います。前述の通り、一幕にはサン=ジョルジュの筆が大幅に入りましたが、二幕はほぼゴーティエの構想通りになった、ということです。そしてゴーティエ氏はヒラリオンを悪人として設定していたのです。「ドイツの伝説の中でも、神秘的で残忍な狩人の一人であるヒラリオン」とか「ヒラリオンの犠牲となった優しく愛すべき娘」などと表現しています。復讐心に燃えたヒラリオンがジゼルとアルブレヒトを斬り殺したというならこの表現も納得できますが、ヒラリオンはアルブレヒトがしていたことをジゼルに突きつけただけなのに。
 要はゴーテイエ氏は「ジゼル」を徹頭徹尾ロマンティックな「貴族の青年と可憐な村娘の恋物語」にしたかったのでしょう。ですからゴーティエ版では最初からアルブレヒトはジゼルを愛していたことになっていますし、ジゼルが死んでしまった時も「絶望と悲嘆にくれている」ことになっています。つまりゴーティエ氏はジゼルの死に関してアルブレヒトを悪者にしたくないのです。
 それじゃあ誰が悪いの、ということになりますが、ゴーティエ氏の答えは「ヒラリオン」なのです。だから二幕でヒラリオンがウィリに殺されるのは悪の当然の報いということになるようです。ゴーティエ版には「この淋しい人里離れた場所に仲間から見捨てられ、ひとりぼっちになったヒラリオンに今こそ償いの時がやって来た、と罪の意識がその耳元にささやくのだ」とあります。
 かくして悪人ヒラリオンは二幕でウィリにとり殺されます。ヒラリオンの人物像そのものは時代と共に変化してきたのですが、この場面はどういうわけか、変えられなかったのですね。
 現在は「ロマンティックな恋物語」よりもシンプルかつ効果的にドラマを表現するために一幕と二幕のコントラストがはっきりと表現されるようになっています。そしてアルブレヒトは貴族の遊びとしてジゼルを誘惑しており、ジゼルの死に際してもヒラリオンに八つ当たりした挙句にその場から逃げ出す演出が多くなりました。
 その分ヒラリオンが悪人である必要はなくなりました。そしてヒラリオンは後悔にくれ、ジゼルの墓にも花束を捧げるようになっています。ジゼルがアルブレヒトの剣で自殺しようとした時も、ヒラリオンが止める演出が多いです。(初演台本では母親のベルトが止めています。)
 それなのに相変わらず二幕ではヒラリオンがウィリに殺されていますから、改訂というのはすべてを矛盾なくまとめるのは至難の業なんですね。
 現在の演出では当然の報いとしてではなく、ウィリの恐ろしさを示す見本としてヒラリオンが犠牲となる場面を見せているのだと思いますが。




C ヒラリオンはなぜ公爵様に対してあんなに横柄なのか?


 ヒラリオンはロイスが実は公爵アルブレヒトである事がわかってもずい分横柄な態度をとっています。水戸黄門であれば、印籠を見せただけでみんな「ははぁっ」、とひれ伏すのに。なぜ…?
 これも私なりに考えてみました。一つめの答えは、「どうせバレエのお話なんだから、何でもあり」という単純なもの。そしてもう一つは、あの地域の政治的状況から考えたものなのですが、森番ヒラリオンは公爵アルブレヒトに雇われているわけではない、という考え方です。
 シレジアはその領有権をめぐって争いが絶えなかった土地柄。10世紀にはポーランド王家が支配していたのが、神聖ローマ帝国という緩やかな名誉大国の干渉を受け、その支配権はボヘミヤ王家、そしてボヘミヤ王位についたハプスブルク家に移っていったのです。
 しかし、神聖ローマ帝国というのは、フランスなどの絶対王政とちがって、皇帝と人民の間にたくさんのややこしい中間権力が介在する中世的な政治形態です。ですから、シレジアも領有権がボヘミア王家やハプスブルグ家に移っても、実際はポーランドの王家が統治していたようです。
 というわけで、ヒラリオンがボヘミア王家、ハプスブルグ家、ポーランド王家のどこに仕えていたのか、わかりませんが、恐らくアルブレヒトはヒラリオンが仕えていたのとは違う系統の支配者、いわゆる中間権力なのでしょう。例えば公爵アルブレヒトがポーランド系ならば、ヒラリオンは神聖ローマ帝国から任命された森番、みたいな感じでしょうか。
 そう考えると、「ふん、二流貴族め。」と自分に報酬を与えてくれるでもなく、ただ威張っているだけで、やりたい放題のアルブレヒトを軽んじるのも肯ける気もします。




D バティルド姫について
 
 詩人のゴーティエ氏はバティルド姫を優しく寛容である、としました。高貴で美しい姫君が優しく寛容であるのなら、なんでアルブレヒトにとってジゼルが「唯一の愛の対象」になるのかなあ、と不思議に思うのですが。ゴーティエ氏はロマンティック・バレエの賛美者として、徹頭徹尾女性に夢を追い求めていたんでしょうね。
 そして二幕でジゼルが花と草に埋もれて消えた後はアルブレヒトはウィルフリードとバティルド姫の腕の中に倒れる、またはジゼルに「この方に誠実な愛を捧げてください」と言われてバティルド姫に手を差し伸べて倒れます。実際のゴーティエ氏も途切れることなく美しいバレリーナに熱をあげていたようですから、男の夢としてアルブレヒトにも理想的な女性をジゼルの後に用意したんですかねぇ。
 ゴーティエ氏は根っからの美女好きで、「椿姫」のモデルとして有名なマリー・デュプレシの客の一人でもあったようで、「女性は美しくなければならない。」と、いつも言っていたようです。
 何度も言っている通り、時代が進むにつれてドラマはシンプルに整理されて一幕と二幕のコントラストははっきりとしてきていますから、その中でバティルド姫の性格も変わってきました。貴族の娘としての気位の高さが表現されるようになってきたのです。
 ピーター・ライト演出の英国ロイヤルバレエ版では気位が高くちょっとわがままな感じに表現されています。これじゃあアルブレヒトがジゼルに癒しを求めるのもわかるなぁ、と思うようなバティルド姫です。
 考えてみれば大公というのは君主またはその一族の男性のことなので、その娘であるバティルド姫はボヘミア王家かハプスブルグ家の血を引く姫君なのかもしれません。そう考えると気位が高くてもうなずけるし、アルブレヒトが息苦しさを感じてジゼルで息抜きしたいと思うのもいかにもありそうなことではありますね。
 このように時代の流れの中で貴族らしさが強調されてきたバティルド姫ですが、ゴーティエ氏が知ったら嘆くことでしょう。いや、怒るかも。なぜならばゴーティエ氏はバティルド姫に詩まで捧げているのです。「さても美しき狩の女人よ」で始まるその詩は美辞麗句の洪水でバティルド姫を賛美しています。
 小倉重夫氏の解説によると、ジゼルを初演したカルロッタ・グリジに失恋したゴーティエ氏は、バティルド姫を演じたフォルステールというバレリーナに慰めてもらって元気を取り戻したので、その関係もあるのかもしれない、ということです。



E ジゼルは自殺か


 初演台本は発作的に自殺しようとしたところを母親のベルトに止められています。そしてもともと弱かった心臓が乱れて死んでしまうのです。最近の上演もそのパターンが多いようです。(自殺を止めるのはヒラリオンかアルブレヒトですが)しかしゴーティエは違う意見です。ゴーティエの頭にはあくまで一晩中踊りぬくほど元気な少女のイメージが強くあったのでしょう。そういう少女が心から愛する婚約者に裏切られたとはいえ、それだけで命を落とすというのは不自然です。だからゴーティエはアルブレヒトの剣で発作的に自殺したことにしたのだと思います。
 考えてみれば、美しい農民の娘が踊りが大好きなのに心臓が虚弱というのはちょっと無理がある気がします。一般的に貴族の娘が虚弱で農民の娘ははつらつと元気というパターンが多いですから。しかも踊りの大好きな娘なのですからね。だからゴーティエの方が自然といえば自然なのです。しかし問題は二幕の十字架のシーンにあるのだと思います。十字架が守ってくれるというのは敬虔なキリスト教徒だからだと思いますが、自殺はキリスト教では禁じられているはずです。ですから自殺者が十字架に助けを求めるのはまずいのではないでしょうか。ジゼルが創られた19世紀半ばと言えばキリスト教はまだまだ人々の生活を厳しく律していたのだと思いますから。
 というわけで、やっぱり「ジゼル虚弱説+心臓発作説」の方がまだ問題は少ないのだと思います。踊りが大好きで心臓が弱い村娘…ふ〜ん。珍しいな。しかし、そんなのもあり!…そんなところでしょうか。



F ジゼルはこれからもウィリであり続けるか


 こういう問題提起は今のところどの本でもインターネット上でも読んだことがありません。しかしあの感動のラストシーンの後、思わず考えてしまうのです。別にミルタから破門されたというシーンもないところから考えると、ジゼルはこれからもウィリとして若い男にとりついて殺し続けるのだろうか…。
 しかし「マイヤーの百科辞典」的に考えると、ウィリたちは裏切られて恨みに燃え、男に復讐しているわけです。一方ジゼルは二幕での出来事を通してアルブレヒトに心から愛されるようになったのですから、ジゼルの魂はすっかり満足してもはや化けて出るなどということはなくなったのではないでしょうか。もともと二幕の最初から復讐心にとりつかれてはいませんし。きっとあのまま墓の下へと引き戻されたジゼルは安らかな永遠の眠りについたのだと思います。
  とまあ、私はそのように考えたのですが、そのあたりは人によって考え方はそれぞれでしょう。そんな風にあの感動のラストシーンの後を想像してみると、また違った楽しみが広がっていきます。。そうなれば、他の誰のものでもない、その人自身の「ジゼル」が心の中に豊かに広がって行くことでしょう。




ジゼルという名のバレエ   シリル・ボーモント/著  佐藤和哉/訳 (新書館)
    (初演台本を収録)
19世紀フランス・バレエの台本パリオペラ座  平林正司/著 (慶応義塾大学出版会)
    (初演台本を収録)
流刑の神々・精霊物語  ハインリヒ・ハイネ/著 小沢俊夫/訳 (岩波書店)
バレエ誕生  鈴木晶/著 (新書館)
    (第二章『「ジゼル」はどういうバレエか』はとても充実していておもしろいです)
続々バレエなるほどおもしろ読本  小倉重夫/著 (東京音楽社)
    (収録の『これが「ジゼル」だ』はMIYU’sコラムで参考にしたゴーティエ版です。バティルド姫に捧げる詩も収録)
DVDジゼル 
    ミラノ・スカラ座公演(1996年)  
    改定振付   パトリス・バール
    音楽      アドルフ・アダン
    配役      ジゼル:    アレッサンドラ・フェリ
             アルブレヒト  マッシモ・ムッル
    発売元     新書館
DVDジゼル
    ミラノ・スカラ座公演(2005)
    改定振付   イヴェット・ショヴィレ
    改定演出   フローランス・クレール
    音楽      アドルフ・アダン
    配役      ジゼル:    スヴェトラーナ・ザハロワ
             アルブレヒト: ロベルト・ボッレ
    発売元     TDKコア株式会社
DVDジゼル
    英国ロイヤル・バレエ公演(2006年)
    改定振付  ピーター・ライト
    音楽     アドルフ・アダン
    配役     ジゼル:     アリーナ・コジョカル
            アルブレヒト:  ヨハン・コボー
    発売元    OPUS ARTE
   
ジゼル (NHK芸術劇場より録画)
    チャイコフスキー記念東京バレエ団 (2006年 於 東京文化会館)
    改定振付  レオニード・ラヴロフスキー、ウラジミール・ワシーリエフ
    音楽     アドルフ・アダン
    配役     ジゼル:     アリーナ・コジョカル
            アルブレヒト:  マニエル・ルグリ
ジゼル (クラシカジャパンにて放送)
    アメリカンバレエシアター(1967年)
    振付     ディヴィド・ブレアー
    音楽     アドルフ・アダン
    配役     ジゼル:     カルラ・フラッチ
            アルブレヒト:  エリック・ブルーン
ジゼル (ライヴ)
    チャイコフスキー記念東京バレエ団
    2008年 9月12日 於 ゆうぽうとホール
    改定振付  レオニード・ラヴロフスキー、ウラジミール・ワシーリエフ
    音楽     アドルフ・アダン
    配役     ジゼル:     斉藤友佳理     
            アルブレヒト  マニエル・ルグリ
ジゼル (ライヴ)
    ミハイロフスキー劇場バレエ団(レニングラード国立バレエ)
    2009年1月9日 於 オーチャードホール
    改定振付  ニキータ・ドルグーシン
    音楽     アドルフ・アダン
    配役     ジゼル:     イリーナ・ペレン
            アルブレヒト:  アンドレイ・ヤフニューク 
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