ジャン・ジロドゥ/作(1939年)


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※ アシュトンのバレエ「オンディーヌ」はこちら


<あらすじ>



 水の精オンディーヌは人間の世界に憧れ、湖の近くに住む漁師夫婦の養女となった。ある雷雨の夜、宿を借りにきた騎士ハンスと出会ったオンディーヌはハンスに一目惚れしてしまった。ハンスもまたオンディーヌに夢中になり、ベルタ姫という婚約者がいるにもかかわらず、オンディーヌに結婚を申し込んだ。漁師夫婦はオンディーヌはどうも水の精らしいという事をほのめかしたが、オンディーヌに夢中になったハンスは聞く耳を持たなかった。
 一方、オンディーヌは伯父である水界の王に、異界の存在であるハンスとの結婚を反対された。どうしても結婚すると言うのなら、「ハンスがオンディーヌを裏切った時は、水界がハンスを殺すことを承認する」という契約を結べと迫られ、ハンスを信じるオンディーヌは承知してしまった。
 城へ帰ったハンスは妻となったオンディーヌを宮廷にお披露目するが、真実そのものであるオンディーヌはお世辞も礼儀作法も理解できず、宮廷になじめなかった。ハンスの元の婚約者ベルタはそこをうまく利用し、オンディーヌは騎士の妻として失格で、自分こそが騎士ハンスの妻としてふさわしい事を巧みに刷り込んでハンスを取り戻そうとした。人の心が読めるオンディーヌは何とかベルタのたくらみからハンスを守ろうとしたが、ついにハンスはベルタの誘惑に負け、オンディーヌを裏切ってしまった。それを知ったオンディーヌは、ハンスを守るために自分が先に他の男とハンスを裏切ったように見せかけて姿を消した。
 半年が経ち、ハンスはベルタと結婚することになった。その結婚式の朝にオンディーヌがつかまり、夫を裏切った水の精オンディーヌを裁く裁判が始まった。水界の王もやって来て、ハンスを裁き始めた。オンディーヌはあくまで自分こそが裏切り者だと主張してハンスを守ろうとした。しかし裁判で明らかになったのは、オンディーヌはハンスを裏切ってはいない、それどころか出会いの頃と変わらずオンディーヌの心にあるのはハンスへの愛のみなのだ、という事であった。
 
 ハンスは迷いから覚めて自分が愛しているのはオンディーヌだけである事を悟った。しかしその時ハンスの寿命は尽きようとしていた。人間の小さな魂で自分の器量を超える水の精オンディーヌに正面から向かい合い愛したハンスは気が狂い、水界の王が殺す間でもなく寿命をすり減らしてしまったのである。
 オンディーヌとハンスは再び愛を確かめ合ったが、やがてハンスは倒れて死んだ。水界の王はオンディーヌへのせめてもの思いやりとして、ハンスの死と同時にオンディーヌの人間界での記憶がすべて消えるように取り計らった。そして死んでいるハンスを見ても誰だかわからなくなったオンディーヌは無邪気に水界へ帰って行った。
(終わり)




<詳しい物語>


<第一幕>


 昔々、ドイツの森林地帯にある湖の側にオーギュストという漁師とその妻のユージェニーが住んでいた。付近の森は武者修行の騎士でさえ生きて帰れる人は少ないと言われるほど恐ろしいところだった。二人には娘が一人授かったが、生後半年の時に湖の近くで行方不明になってしまった。いくら捜しても見つからず、二人はすっかり悲嘆にくれていたが、その直後に湖のほとりで女の子の赤ん坊を見つけた。二人はその子を連れ帰り、オンディーヌと名付けて養女とした。
 そのオンディーヌも15才になったが、尋常でなく不思議な娘で、湖の上を歩いたり湖の上で眠ったりする。またオンディーヌを拾ってからというもの、オーギュストが漁に出かけても湖はオーギュストの船を乱暴に揺さぶることはなくなり、船に穴があいても水がその穴をふさいでくれるという信じられないようなことが起こるようになった。オーギュストやユージェニーは口にこそ出さないが、オンディーヌが人間でないことはよくわかっていた。人間の生活を愛してはいるが、その不思議な能力や自由奔放さは異界の存在だ。恐らくは水の精であろう。それでも彼らは自分たちの手に余るオンディーヌを大切に育てていた。



 あるひどい雷雨の夜のことである。オンディーヌは濡れることもなく美しい金髪をなびかせながら外で生き生きと不思議ないたずらをして遊びまわっていた。オーギュストとユージェニーが雷雨なんだから中へ入りなさいと言ってもちっともいうことを聞かなかった。そこへ見知らぬ修行中の騎士が現れ、今夜の宿を所望した。騎士の名はハンス・フォン・ヴィッテンシュタイン。ヘラキュレス王の養女ベルタ姫の希望でこの皆が恐れる森へ武者修行に来ており、ありふれていない冒険を探していた。そして無事に帰ることができたらベルタ姫と結婚することになっていた。一ヶ月半も人と会うことがなかったハンスは大変人恋しくなっており、オーギュストとユージェニーに陽気に自分のことを問わず語りした。
 そこへオンディーヌが帰って来た。一目ハンスを見るなり「なんてきれいな人」と一目惚れしてしまい、その瞬間からオンディーヌにとってはハンスがすべてとなった。水の世界では初めて会った異性が唯一の愛の対象で、そうして結ばれた二人はずっと離れることなく添い遂げる。オンディーヌはきめ細かで濃厚な愛情をハンスに示し、ユージェニーが料理を盛って出したすずの皿を金に変え、みすぼらしい水差しを王様が使うような細工の凝ったものに変えたりして甲斐甲斐しくハンスの世話を焼き始めた。
 ハンスの方でもオンディーヌに惚れ込んでしまった。何という美しさ。魔法のような不思議な能力。そして今までどの男も与えられたことがないような完全な愛。婚約者とはいえ、ベルタ姫は気位が高く情の薄い女だ。そうでなければ自分の見栄のためにこんな危険な森に愛する男を行かせたりはしない。それに比べてどうだ、オンディーヌは!とりわけ純粋で密度の濃い愛はハンスの心をとらえた。ハンスの心からはすっかりベルタ姫のことが消えてしまった。そしてオーギュストとユージェニーにあなた方の養女と結婚させて欲しいと申し込んだ。二人はベルタ姫のこともあるし、オンディーヌはどうも人間の娘ではなく水と深い関係があるようだとハンスに再考を促した。しかし大人の男としてはいささか無邪気にすぎるハンスは養親の忠告の真の意味を理解できなかった。ハンスはオンディーヌが水の精であることを理解せず、単に水の精のように不思議な娘だとしか思わなかったのである。



 一方オンディーヌは伯父である水界の王から、水界を裏切るな、人間と結ばれることは許さないと反対されていた。人間には魂というものがあって、自然界とは違った複雑な世界に生きており、裏切りというものがある。そしてオンディーヌも必ずハンスに裏切られると言うのである。オンディーヌはハンスが自分を裏切ることなどあり得ないと言い返した。すると水界の王は、「もしハンスがオンディーヌを裏切ったらハンスを殺すことを承認する」という契約を結ぶことをオンディーヌに迫った。断ればハンスを信じていないことになってしまう。オンディーヌは結局契約を結ぶことを承知してしまった。
 こうして騎士ハンスは冒険を求めて出かけた森で不思議な娘オンディーヌを水の精とは気がつかずに花嫁とし、自らの城へ連れて帰ることとなった。そしてその時から水界はハンスとオンディーヌに対して監視の目を光らせ始めた。

 

<第二幕>

 

 ハンスとオンディーヌは幸せに満ちた三ヶ月の新婚旅行を終えて城へ到着した。そしてハンスの君主であるヘラキュレス王の宮廷にオンディーヌをお披露目する日がきた。宮廷では祝宴が開かれることになっていたが、結婚の約束を反古にされたベルタはハンスとオンディーヌを恨み、祝宴への出席を拒否していた。
 ベルタはハンスの美しさは気に入っていた。女の官能を刺激するあのような男に抱かれればさぞ気持ちがいいだろう。そしてあまりハンスの頭が良くなく扱いやすそうなところも気に入ったいた。しかしその程度の男にたやすく身を任せては自分は周りから軽く見られてしまう。何しろ姫とは呼ばれていても、自分は両親も知れない王の養女にすぎないのだから。そこでベルタはもったいぶってハンスに私のためにあの森へ行き、無事帰れたら結婚を承知しましょうと言ったのである。恐ろしいと評判の森である。帰って来られないかもしれない。しかしそうなったとしても、ベルタはすぐにハンスのことなど忘れてしまったであろう。そしてもっと自分に箔をつけてくれる男を婿にと望んだであろう。しかし実際にはハンスは帰って来た。しかもこれまで見たことがないぐらい美しい娘を妻にして、幸せいっぱいで帰って来たのである。こうなれば俄然ハンスは値打ちのある男に思われ、取り逃がした事が悔しくてならなかった。しかも自分が捨てられた女として宮廷の人々の好奇の目にさらされるのは我慢がならなかったのである。



 こんな風だからうまくいけばハンスとベルタは二度と顔を合わせることはなかったかもしれない。しかし水界の王はこのような気持ちでいる女を見逃さなかった。奇術師に化けた水界の王は、祝宴のおもしろい余興を探す宮廷の侍従にうまく取り入り、奇術と称してハンスとベルタを再会させてしまった。
 ━━━逃げた小鳥を追って来たベルタは宮廷の廊下でハンスとばったり出会ってしまう。未練を隠せないベルタ。取り合わないハンス。その態度はますますベルタの心をかきたてる。そしてベルタはハンスのせいで小鳥が死んだように見せかけ、ハンスの心を揺さぶる。簡単に自分の思う壺にはまるハンスを見て、これなら取り戻せる、とベルタは直感する。
 侍従をはじめ、見ていた人々はこの奇術に夢中になり、もっと先を見たがった。そこで水界の王は数ヶ月先のハンスとベルタの様子を奇術に仕立てて見せた。
 ━━━ベルタはオンディーヌと仲良くなりたいと言いながら、オンディーヌが読み書きもダンスもできない事をハンスの前に突きつける。そしてオンディーヌは騎士の妻として失格で、自分こそが騎士ハンス・フォン・ヴィッテンシュタインの妻にふさわしい女性であることをハンスに刷り込んでいく。
 拝謁の時間が近づき、侍従はオンディーヌに礼儀作法を確認しておこうとしたが、いくらお世辞や礼儀作法を教えようとしても、オンディーヌはすべてをありのままに語ってしまい、礼儀などあったものではなかった。しかもオンディーヌは人の心を読む事ができ、それを黙っていることができない。侍従は困り果ててしまうが、詩人のベルトラムはそんなオンディーヌをかわいい人と言い、二人は意気投合してしまった。



 そしてベルタも列席し、奇術に刺激された人々の好奇の眼差しの中で、オンディーヌのヘラキュレス王への拝謁が始まった。しかしオンディーヌの注意はすべてベルタに向けられていた。オンディーヌにはベルタが心の中で思っていることがすべて聞こえてくるのだ。そしてベルタがハンスを取り返そうとしていること、ハンスの注意を引くために自分で小鳥を握りつぶして殺してしまったことを口に出して言い、ハンスに警戒を呼びかけた。ベルタは怒り出し、ハンスは困ってしまった。ヘラキュレス王のとりなしも意に介さず、オンディーヌはなおも聞こえてくるベルタの呪いの言葉を声を大にして伝え続けた。ヘラキュレス王の王妃はオンディーヌの様子に胸をつかれるところがあり、二人きりで話をしてオンディーヌの言い分を聞いてやりたくなった。
 オンディーヌは寛容で美しい王妃に心をひらき、自分が水の精であること、ハンスは自分を裏切ったら伯父である水界の王に殺されてしまうので、誘惑者であるベルタから守ろうとしているのだということを打ち明けた。王妃は、ハンスを助けたければここから立ち去って水界へ帰りなさい、と諭した。さらに王妃は言ってきかせた。ハンスはオンディーヌを水の精のように不思議な人間の娘だと思ったから愛したのであり、オンディーヌが本当の水の精だとわかったら愛さなくなってしまう。オンディーヌがよどんだ利己的なものの積み重ねではなく、透明で自然と魂を共有する大きな存在である事がわかったら、人間の小さな魂では愛することができなくなってしまう。
 しかし例えオンディーヌがこのまま消えたとしても、水界は依然としてハンスに目を光らせ、やがてはハンスの裏切りを探し出して殺してしまうのは間違いない。オンディーヌは一生懸命に考えた末に、ハンスを守るためのとても人間らしい方法を考えついた。今はベルタとの間に距離があるからベルタの陰謀が見えず、いくらわからせようとしてもかえって心がベルタに傾いてしまう。だから二人を思い切り近づけてやればいい。そうすれば単純なハンスもベルタという人間がよくわかり、興味がなくなるだろう、というのだ。
 こうして人間らしい知恵を使ってハンスを守る決心をしたオンディーヌは、ひとまずベルタに謝ることにした。しかしベルタはオンディーヌを許そうとせず、さっき言ったことをすべて取り消せと迫った。本来うそをつく事ができないオンディーヌは何とか取り繕おうとして、ますますベルタの性悪な行状を暴露してしまった。ハンスは王の養女であるベルタ姫に対して失礼ではないか、とオンディーヌを叱るが、オンディーヌは、姫どころかベルタは漁師の娘、オーギュストとユージェニーの娘なのだ、とベルタの出生の秘密をばらしてしまった。ベルタはますます怒り出し、その場は混乱した。
 オンディーヌは奇術師に化けた水界の王を見つけ、自分の言っていることが真実であることを証明してくれ、と助けを求めた。それに答えて水界の王はベルタの出生の秘密を余興の奇術として再現した。
 ━━━水の女たちがオーギュストとユージェニーの赤ん坊を水界の王のところへ連れて来る。水界の王はその赤ん坊を王に拾われ、養女となるように運命づける。そしてベルタと名付け、やがては本当の両親が判明するように、赤ん坊の肩に両親の頭文字と十字架、一角魚を彫り込む。
 奇術が終わってみんなが唖然としている中、ベルタはその証明をしなければならなくなった。肩をおおっている上着をとりのぞくと、確かに奇術通りの印が彫り込まれていた。オーギュストとユージェニーが水界の王に連れてこられており、生き別れになっていた娘に涙ながらに駆け寄った。しかしベルタは傲慢な態度で冷たく彼らを追い払った。ヘラキュレス王はその恩知らずな態度を見て大いに怒り、ベルタとの縁を切ってしまった。



 こうして行き場がなくなったベルタをオンディーヌは自分たちの城へと誘った。ベルタを可哀想だ、すまない事をしたと思ったハンスもベルタに手を差し伸べた。こうしてベルタはハンスの城に住むことになり、オンディーヌはこれまで学んだ人間の知恵を使って、必死でハンスを守ることとなった。そして水界もこの三人の行く末をいよいよ厳しく監視することになった。


<第三幕>


 オンディーヌの必死の努力もむなしく、水界の王の奇術通りにハンスの心はベルタに傾いていった。そしてついにベルタの誘惑に負け、ハンスはオンディーヌを裏切ってしまったのである。それを知ったオンディーヌはハンスの城を抜け出し、姿を消した。そして自分が先にハンスを裏切ったように見せることによってハンスを助けようとした。「あたしがあんたを裏切ったの、ベルトラムと」というその声は近くの川から泉から井戸から朝に夕に湧き上がり、ハンスの耳元でエコーとなって鳴り響いた。そうなってはじめてオンディーヌが水の精であったことに気がついたハンスは、漁師たちにオンディーヌを捕らえるようにと命じた。しかしどんなに捜してもオンディーヌは見つからなかった。
 こうしてオンディーヌが行方不明になってから半年が経った。ハンスとベルタの間には再び婚約が整い、ついに二人の結婚式の朝となった。しかしハンスの心は結婚の喜びとはほど遠いところにあった。今日もあの声があちらこちらから聞こえてくる。「あたしがあんたを裏切ったの、ベルトラムと」と。なぜだ、なぜあんなに自分を愛していたオンディーヌが自分を裏切ったりしたのか。そう思いつめるハンスの耳には召使たちが何かしゃべる度に韻をふんで詩を語るように聞こえてくるのだった。それはヴィッテンシュタイン家の者に死が訪れる前ぶれだった。



 そこへある漁師がオンディーヌを生け捕りにしたという知らせが入った。そしてオンディーヌを裁くために裁判官が呼ばれた。オンディーヌは網にかかったままの姿で裁判官たちの前に引っ立てられて来た。水界の王もハンスを裁くためにやって来た。
 裁判官たちはハンスが何の裁判を要求しているのかがよくわからず、水の精を裁く超自然の裁判をしようとするが、ハンスは異を唱えた。ハンスにとってオンディーヌが水の精であるかどうかは問題ではなかった。なぜ自分をあんなにまで愛していながら自分を裏切るようなことをしたのか。ただその事のみがハンスの心をいっぱいにしていたのである。裁判官たちは自分たちが裁くのは超自然の事件であって愛ではないとあきれてしまった。一方、水界の王によるハンスの裁判はいよいよ佳境に入っていった。
 オンディーヌは水界の王に向かってなおも「あたしが裏切ったの、ベルトラムと」と叫び、ハンスを助けようとするが、水界の王はそれならばいつどこでどのように裏切りは行われたのだ、と鋭く尋問した。更にベルトラムも証人として連れて来られて同じ質問を受けたが、ベルトラムの答えはオンディーヌの答えとことごとく食い違い、オンディーヌの主張は破綻寸前となった。それでもなおオンディーヌは裏切ったのは自分の方なのだ、と必死で主張し続けた。
 そこで水界の王は今この場、ハンスの面前でベルトラムの抱擁と接吻を受けてみよ、とオンディーヌに命じた。オンディーヌは何とか演技をしようとしたが、やはりその心も身体もうそはつけなかった。ベルトラムに抱かれてもがきながらハンスの名を呼んでしまったのだ。水界の王はこれを動かぬ証拠とし、ハンスに対する裁判の終結を宣言した。裁判官たちもオンディーヌに刑を言い渡して去って行った。
 そしてハンスは自分をとらえて放さなかった思いからやっと解き放たれ、熱い愛の思いで満たされた。オンディーヌは自分を裏切ってはいなかった。オンディーヌの心の中にあるのは、出会った時からずっと変わらずに自分への愛だけだったのである。そんなハンスの耳にはいよいよ豚飼いから皿洗いの女に至るまで、すべての召使が韻をふんで詩のような言葉を使っているように聞こえてきた。



 みんなが去ってしまい、水界の王と二人きりになったオンディーヌはハンスの命乞いをした。しかし水界の王は、あいつはお前をだまして不幸にしたから契約を実行する、とあくまで峻厳な態度を崩さなかった
 オンディーヌは、愛があってもだます事はある、まただまされたからと言って不幸とは限らない、裏切りや疑惑、嘘が待ち受けていようともそれでも人を愛する、それこそが人間の幸せなのだ、だから私は誰よりも幸せなのだ、と訴えた。
 事ここに至ってもなおハンスを守り抜こうとするオンディーヌ。水界の王は更に残酷な真実を告げなければならなくなった。…自分がわざわざ殺さなくてもハンスの寿命はすでにつきようとしている。なぜならばハンスはお前を愛したからだ、たとえ水の精であろうとそんな事はかまわずに。人間の小さな魂で自分の器量を超える真実なるものを愛したハンスは気が狂い、寿命が磨り減ってしまったのだ。オンディーヌ、お前があの男を殺したのだぞ…。
 そして水界の王はオンディーヌへのせめてもの思いやりとして、ハンスが死ぬと同時にオンディーヌは水の精に三度名を呼ばれた後、人間界での記憶をすべて失ってしまうようにはからった。
 そして水界の王は消え、ハンスが現れた。二人は死と忘却に隔てられることを嘆きながらも、愛を確かめ合って最後の時を過ごした。やがてオンディーヌを呼ぶ第一の水の精の声が聞こえてきた。そして続いて第二の声。ハンスはハンスでぞっとするような真っ蒼なものが自分を呼んでいる気がした。二人は段々と混乱し、ついにハンスは倒れて死んだ。悲痛な叫び声をあげるオンディーヌに第三の声が聞こえてきた。そしてオンディーヌは人間界でのすべての記憶を失くしてしまった。 



 水界の王と水の精たちがオンディーヌを迎えに来た。もはやオンディーヌは死んでいるハンスを見ても誰だかわからなくなっていた。そして「何てきれいな人。生きてたら私、きっと好きになったのに」と無邪気に言いながら、水の精たちに手を引かれて水界へ帰って行った。
(終わり)




<MIYU’sコラム>


<オンディーヌ基本情報>

   作者   ジャン・ジロドゥー
   原作   「ウンディーネ」(フリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケ/作)
   初演   1939年 パリ・アテネ座
   配役   オンディーヌ:  マドレーヌ・オズレイ
         ハンス:     ルイ・ジュベ

 日本では劇団四季が今も時々この名作を上演していますが、私もまだ中学生の頃、観に行ったことがあります。確かオンディーヌは三田和代さん、ハンスは北王路欣也さんだったと記憶しています。当時はまだこの劇の意味するところなど何もわかりませんでした。それでも何やら幻想的でこの世ならぬ透明な感じがして、わけがわからないなりに憧れを抱きました。
 確かに水妖を水妖らしく描いた幻想的な「ウンディーネ」を基にしていますから、中学生の私のイメージも間違っているわけではないでしょう。しかし改めて読み返してみると、「オンディーヌ」はいかにも近代劇であり、水の精と人間の哀しい愛を通して人間というもの、そしてその人間の世界の有様を描こうとしているように思えます。
 人間も大昔は自然と一体になって真実そのものとして暮らしていたのかもしれません。しかしいつしか人間にはいろんな知恵がつき、社会というものを作って人間とその他のものをはっきりと区別するようになりました。そして自分たちの社会がうまく行くように、自然から見たらおかしな事を考えついてルールとしてきたのです。
 その中で人間は愛という概念を作り上げましたが、一見ストレートな情緒とも思われる愛すらも嘘や裏切りや不安に満ちた複雑なものとなってしまいました。そして人間はそのような複雑なものを自分たちの小さな魂として個々に持つようになり、真実そのものである自然と大きな魂を共有するのを止めてしまった、というわけなのでしょう。
 人間は進化して社会を作り安定を得ましたが、それと同時に自然からはどんどん遠い存在になっていったのですね。



 オンディーヌはそんな複雑でわけのわからない人間界に憧れます。そして水界の王は漁師夫婦の娘をさらってオンディーヌと取替えっ子して、人間の世界を経験させました。そしてこの取替えっ子の相手であるベルタがその後もオンディーヌの運命にかかわってきます。両親を共有した二人はやがて同じ男を愛するようになるのです。
 このあたりは「ウンディーネ」も同じです。ただ「ウンディーネ」では騎士フルトブラントは水に囲まれた異常な事態で愛したウンディーネを日常生活に戻る中で次第に疎むようになり、人間であるベルタルダに心が移ってしまいます。描かれているのは、人間の小さな魂で異界の存在にを愛を貫く事ができなかった悲しみであるように思います。

※ 妖精の取替えっ子 → ヨーロッパの伝承で、フェアリー・エルフ・トロールなど伝承の生物の子と、人間の子供が秘密裡に取り替えられること、またその取り替えられた子のことをいう。(ウィキペディア「取替え子」の項目より引用)
 しかし「オンディーヌ」では違います。ハンスはオンディーヌを愛するのです。もちろん「オンディーヌ」でも人間の小さな魂では自然そのものである水の精を愛する事はできないことが前提になっています。それなのにハンスはオンディーヌを愛したのです。。ありふれていないものを探して森へ冒険に行った彼は、自らありふれていない存在になったのです。オンディーヌはセリフ通りに「誰よりも幸せ」ですね。
 そしてまたオンディーヌは水界の王から「オンディーヌ、お前があの男を殺したのだぞ。」と言われます。自分を愛したが故に愛する男の命が失われてしまったオンディーヌは、同時に誰よりも不幸でもあるのです。短い期間に水の精であるオンディーヌは人間界の一番良いものと一番悪いものとを両方経験したのですね。 



 そしてその奇跡のような美しい愛の後、永遠の別れは訪れます。片一方には「死」、そしてもう片一方には「忘却」。あの世で結ばれる事もない永遠の別れです。記憶を失くしたオンディーヌは死んでいるハンスを見ても誰だかわからなくなり、屈託なくその場を立ち去ります。
 水の精、人間というそれぞれの立場を超えようとして愛し合った奇跡のような愛。その胸を打つ美しさ。しかしそれらは素晴らしい輝きを放った後、「死」と「忘却」によってはかなく消えていきました。この部分につき、浅利慶太氏はこのように解説しておられます。
 「…ジロドゥの劇にはもう一人の隠れた主人公がいるのである。かれが必ずあらゆる芝居の幕切れに登場し、観客に直接語りかける。彼の名は永遠であり、無限である。そして彼の任務は証言することなのである。彼は人間の行うあらゆる行為、あらゆる情念は必ず人間的であり、常に有限であり、そのためにこそ輝くのだということを証言するために登場する。」 (2011年公演パンフレットより引用)
 オンディーヌとハンスの愛も人間の行為の常としていつかは終わりが来るものであり、それゆえに輝いたのだ、という事なのでしょう。結局、この「オンディーヌ」は人間の有様を描いた人間賛歌であるように私には思われます。


 

 「ウンディーネ」にはおとぎ話らしい素朴な良さがあって読みやすいですが、戯曲「オンディーヌ」は作者の才気があちらこちらからほとばしり過ぎて、ちょっと戸惑うところもあります。ですが、訳者の内村直也氏が「美しいジロドゥの文体を、どうにも日本語に移しかえることのできないくやし涙…」と解説に書いておられるぐらい美しい戯曲です。
 私はフランス語はまったく読めないので原文で読むのは不可能ですが、内村氏の日本語訳は十分美しいです。書店にはなくても図書館にはあると思いますので、機会があったら読んでみてください。
 また、舞台も劇団四季が数年に一度は上演しているようなので、実際に見に行かれるといいと思います。私も数十年ぶりに観てきましたが、戯曲から受けるイメージを損なわない、人をぐいぐい引き込む素晴らしいドラマを展開してくれました。このような本格的なドラマをあれだけ格調高く上演する事ができる劇団四季は本当にすごいです。これからもずっと演じ続けていって欲しい、と切に願わずにはおられません。


<参考文献>



ジロドゥ戯曲全集 第五巻  内村直也/訳   白水社
水妖記(ウンディーネ)    フーケー/作   柴田治三郎/訳   岩波文庫
公演「オンディーヌ」   劇団四季
               2011年3月19日 於 自由劇場
               配役 オンディーヌ・・・・・野村玲子
                   騎士ハンス・・・・・・田邊真也
                   水界の王・・・・・・・味方隆司
                   ベルタ・・・・・・・・・・坂本里咲
               


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