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☆チェ・ゲバラとの出会いは1975年の日本共産党の主催する江東区「夢の島公園」で行われる「赤旗まつり」でした。当然名前はしっていたが、これほどとは思い知らされた出来事があった。日本キューバ友好協会の有志がキューバ特産のラム酒で作るカクテル「ダイキリ」を販売するテントで有志の中からゲバラの写真の紙を持ち出し「これをTシャツにしたら面白いな?」と切り出したので私が「希望者を募ってみるか!」希望者募る!の申込書を作成し、テントの一角に張り出したところいつの間にか20数名の取りすがりの参加者がお金を置いて申し込んでいった。
さらに製作して送ったところ、感謝の返事の手紙をもらった、当の私は本当に驚いた!お金を払っての商行為であり、どうして感謝されるのか?と、つくづく「ゲバラ」の奥の深さに驚かされた出来事であった。
☆私は1975年頃から、核兵器廃絶の為に世界中から集まる、広島・長崎での原水爆禁止世界大会で「平和と連帯」をテーマにしたTシャツを販売していました。その中にゲバラのTシャツを最初は10枚、次の年には20枚と本来のTシャツの中にこっそりと置いたのがいつの間にか全部売れたのだ。
そのうち、これは売れると確信し、「ゲバラコーナー」を特設したところ、ゲバラを知らないような若い人から、そこそこの年齢の方まで、Tシャツ・バック・バンダナと売れていくではないか。
これは、全国にゲバラ商品を求めている人たちが眠っていると確信した。
そうまで売れるゲバラ商品。
ゲバラと広島の接点はないのか?
☆あったのです!1959年の革命の年、キューバはゲバラ工業大臣を団長にアジア歴訪の旅の途中、7月に日本に立ち寄り、大阪で宿泊の時、関係者にここから広島へはどのくらいかかるのか?とたずねたそうです。以外と近いと感じたゲバラは側近と空路、広島へ行き、広島原爆資料館を訪ね、愛用のカメラで原爆の悲惨さを撮影し、キューバへ持ち帰ったのです。当然、当時のカストロ首相も悲惨な広島を見て原爆の恐ろしさを感じている事は間違いないでしょう。
この行動が、1961年の米ソ対立の中での国際緊張の「キューバ危機」で核の使用の懸念を回避させた事に役だってるのではないか?とも言われている。又、キューバの教育に反映させ、小学生・中学生には広島・長崎の原爆の授業が定着している。
☆2010年の広島ではTシャツの半分は「ゲバラ」で、新しくバンダナも製作・販売に切り替えましたが、すべて売り切れました。
2010年、11月6日・7日、江東区「夢の島公園」で開催された日本共産党主催の第40回赤旗まつりで日本キューバ友好の店が出店、その片隅にゲバラTシャツなどを置いた、販売担当はいないのに完売。
この事が「チェ・ゲバラショップちば」を立ち上げる事を決意させた。