霊界の諸相・天界編 



4次元・幽界


 3次元(物質界)に対して霊界の始まり。

 4次元といえば時間軸だと言われる。
 縦、横、高さの世界に時間が加わった世界。

 実際に物質を「動かしている」のが霊エネルギーだとしたら、時間そのものかも知れませんね。

 原子→陽子、中性子、電子→光子というものがあるとして→霊子という単位で表されるエネルギー基準。

 この霊子と光子の大きさ(単位)の違いは太陽系を原子(陽子、中性子、電子)のモデルとして地球の小石くらいかもしれない。
 正確な単位は解りませんが、その位の開きはあると思われるので、幽霊が物質を通り抜けるのも、普通は目に見えない(光子より小さいから)のもそういう事情によると思われる。

 霊速は光速を越える。
 これは上記の理由により圧倒的に質量が少ないからだと推測できるが、そうだからかどうかは解らない。

 とにかくも光子(光)のスピードを越えれば未来にも過去にもいける。
 それで霊は予言や過去の透視ができる。


 始めに書きましたが宇宙人のUFOはこの4次元以上の空間(?)を航行する。
 いわいるワープ。
 何万光年もの距離があったとして何万年もかけて飛んでくると考えるほうがよほど非合理だと思う、実際。
 たぶん閉じた世界に1000年もいたら死滅してるだろうと思いますけどね。
 SFにはよく出ましたけどね、どの作家もだいたい船内は死滅しているか、別の目的の世界に成り果てているように書いていたと思います。

(補説:すみません、勉強不足でした。
 8億年前太陽系で滅んで派生した金星系の文明がアルファケンタウリやベガにあるのですけど、それらの星はアルファケンタウリ4光年、ベガ25光年くらいでした。
 これなら光速の半分の速度でも8年とか50年とかでいけますね。

 実は宇宙人の宇宙船といっても技術レベルが様々で、亜光速のもの、小ワープしかできないものから、銀河を超えられるもの、時間を超えられるものまで様々らしいです。
 星から星までどのくらいの時間で移動するかも色々です。

 ただ言える事は、より高次元まで移行して移動できるほうが、技術的には高くて、より早いようです。
 3次元4次元の話だけではなくて、8次元くらいまではあるようです。
 ですから宇宙人類的に言えば、我々の科学技術はハイハイの赤ん坊みたいなものなんじゃないかと思いますけどね。
 霊を否定してる場合じゃないんですよ、実際(笑)

 まあ宇宙を宇宙船で移動するといっても、100年くらいがリミットじゃないんでしょうか、それ以上耐えられますか?
 宇宙のヒッピーとかボートピープル(漂流を生活の主体とする、そんなのいるのかなあ、聞いたことないけど(笑))みたいのなら別かもしれませんけどね。

 ちなみに我々の科学の延長線上で「地球のような生命体の生存に適した星にしか宇宙人がいない」と考える必要は無いんです。
 なぜなら星を渡るくらいの科学力があれば、基地に住む事も宇宙船に住む事も、テラフォーミングもできるからです。)
 あとは霊次元(高次元)に存在する宇宙人のほうが全体の8割で、実際は多いんだそうです。


 霊という言葉に抵抗があるなら、高次元と呼んでもいい。

 そんな訳で、もうすぐ宇宙人も公式に人類に名乗りを上げると言われていますけども、地球まで来れる宇宙人で霊(高次元)を否定する宇宙人は絶対いない。

 地球人の科学や認識がまだ原始的なレベル(物質次元に限定)だと言う話です。

 中には霊を否定する宇宙人がいるかも知れませんけど、そういうのが現れたら地球を侵略する目的だと考えられます。



 さて、広義に霊界といえばまずここ、実は地獄界もこの中にあるエリアの一つ。

 おそらく4次元「幽界」と言うのは、霊界における物質界の一時的な投影場所とか、霊界と物質を仲介する歯車的な存在ではないかと思う。
 アストラル(幽体)はあきらかに霊よりも質量を持つ(物質次元寄り)ものと思われる。
 多分エクトプラズムとかエーテルとか呼んでいるものも、このカテゴリー(領域)では無いかと思われる。


 3次元物質界も4次元幽界も5次元霊界も全て同じ霊エネルギーでできている。
 霊エネルギーが一定以上収束すると霊子になり霊子が集まって光子になり、光子が集まって電子や陽子中性子になる。
 物質の構成材料そのものは元々霊エネルギーです。

 霊という言葉に抵抗があるなら、結局単一のエネルギーが存在の全てだという事です。
 このエネルギーは物質界で「2次的な結果として振舞われる」電気や原子力エネルギーよりも根源的なものだという事です。

 この我々の住む球形状の3次元宇宙は、広大な霊界の中のほんの一部にポッカリとできた特別な空間であり、大きさは霊界を東京ドームとするとこの宇宙はサッカーボール位と言われています。
 霊界以上の次元の者により「作られた空間」と言えます。



 これから説明する霊界は地球の表層を磁場とする世界です。

 さて、とりあえず『幽界』と呼ばれる世界について書いてみると、天界と地獄界に分かれる以外の、全てのあいまいな霊界が存する世界と言えるかもしれません。

 先に書いた死んだ人がたむろっているような世界もそうですし、夢を見ているときに垣間見ている世界もそうです。
 湧き上がる雲のように、ひじょうに取り止めの無い世界や、奇抜なストーリーの展開する世界とも言えます。

 俗に幽霊といえば、地上では成仏できずにさまよえる霊のようなものですが、なんだか意識がはっきりとしない、あるいはそのものの価値があいまいではっきりとしない茫漠とした霊的なエネルギーとか意識、そういったものの破片とかが、ただよっている世界かもしれません。

 この何かになるまえのモヤッとしたイデアとかエネルギーと言う辺りが、いかにも「幽」という言葉通りの世界みたいですし、世界としてもいかにも霊界の入り口っぽいですね。

 他に『精霊界』と呼ばれる妖精とかがいて、景色の非常に美しいところもあります。
 この世界に入るための心の基準は、心が綺麗なことです。

 それから、おそらく動物の霊界(畜生界とは違う)も多くはここにあるのではないかと思います(あるいは5次元にもあるかもしれません、いずれにしても私は良く知りません)。
 動物の霊は人間霊とは違って、集合霊として存在することが多いそうです。

 天界に上がる前の一つ前の段階としては、精霊界というところがそうだろうと思います。
 心が綺麗だと言うことも、地上の人間にとっては難しいことですものね。
 もちろん心が汚いと言うことは、地獄行きを意味します。

 この精霊界には人間のすむ所、村などもあります。
 人によっては、次の天昇輪廻(また地上に生まれる)までこの世界で過ごす人もいるそうです。




5次元・善人界


 いわいるキリスト教で言うところの『天国』です。

 この章は天界編ですから、ほんとうはここからが本文になるのかもしれません。

 善人である人が行くところ、地上では「良い人」と呼ばれたような人、お人よしですね、そういった人が行ける世界です。

 もう一つの基準は「愛」ですね、そう言うといかにもキリスト教っぽいけど、実際にこの世界の人は他人を愛せる人です。

 自分ばかり愛するということは、地獄行きということです。

 この世界の人は互いに愛しあってるわけです。


 この世界の要素は物質(3次元)、時間(4次元)ときて「精神(5次元)」だと思います。
 つまり「精神的な価値基準」によって「善悪がはかられ」天国行き地獄行きと分かれてくる訳です。

 まあ幽界や精霊界はどちらでもないんでしょうけど、だからそれはまだ4次元には精神的な要素が無いからなんだと思います。


 精神的な価値基準、つまり天国的な思いと行いと、地獄的な思いと行いの採点がなされます。

 天国的な思いと行いは、他人に良いと思われるもの、自分には積極性や明るさ努力、誠実さ、正直さ、道徳心、といったもの、つまりプラスや善なる思いと行いです。

 地獄的な思いと行いは、他人を害するもの、愚痴、不平不満、嫉妬、罵詈雑言、怒りや暴力、足る事を知らない欲望、嘘や騙し、こうしたマイナスのもの、悪と呼ばれる思いと行いです。


 今日本人で、天国に入るのは意外と難しいかもしれません。
 今は死んだ人の半分は地獄へ行ってるということです。
 今地上の世界で、当たり前と思っている事、このくらいはみんなやってると思っている事、それだけでも地獄行きになる可能性が高いです。
 今地上の世界は「末法の世」ではあるんですよ、実際に。

 基準としては、少なくとも神様仏様を信じていない人は難しいだろうと思います、実際。

 それだけとは言いませんけど、信仰と言うのは本来人間として当たり前だと言うのが真実です。
 信仰の無いものは動物であり、人間は神仏を信じられるからこそ、神の子として人間です。
 これはこの世界(宇宙)の前提なんです。


 「無神論の罪」というものももちろんありますが、現実にどうなってくるのかと言うと、結局信仰の無い人には善悪はきちんと解らないです、それが答えです。

 日本で常識と呼ばれている範疇だけではまだ天国行きは難しいでしょう。



 さて、信仰は天国に入る前提ではありますが、もちろん具体的に人間としてのありかた、行いには色々あります。

 天国に行ける人は、簡単に言えば働いて自立していたとか、きちんと子供を育てたとか、自分に責任を取れた人ですね。
 この基準で言えば私も天国にいけるのかどうか、ちょっと自分で疑わしいですね。
 迷惑をかけるだけかけて、生かしてもらっているような存在ですからね。

 逆の地獄行きは自立の反対で依存とでも言いましょうか、他人から奪わないと生きていけなかった人達です。

 それは犯罪もほとんど奪う事ですし、職場でも学校でも他人を不幸にしたり、迷惑をかけたりすると言う事は他人から何かを奪う事です。

 いじめと言うのも、いじめている相手から幸せを奪い、その分だけ自分がスカッとするような奪う行為です。

 こうしたものは地獄行きのキップな訳です。


 ですから多分この自立というのは、仕事をしているとかお金があるとか言う見た目の事ではなくて「精神的な自立」のことなんでしょうね。

 仕事をしているからと言って、その人がいることで他の人が迷惑になるのなら奪っている事になります。
 子供を育てているといっても、子供に八つ当たりをして何とか精神をたもっている(虐待)ようなのも地獄的ですね。


 だいたい簡単にまとめると、自分より他人に与えたか、愛したか、他人より自分を愛して奪ったか、という事になります。



 この5次元の世界に上がるためには幽体を脱ぎすてないといけないらしいです。
 ですから科学的な構造的にも少し4次元と違うのかも知れません。
 幽体を脱ぎ捨てると言うのは、結局この世的(3次元)な執着を捨てる、と言う事です。
 つまり物質から霊になる(?)訳ですね。
 それが天国です。

要するに幽界というのは霊界における物質界の一時的な投影の場所と言えるかもしれない

 (もう少し詳しい霊の構造論を書きました
 訂正:幽体を脱ぐと霊体になり、霊体を脱ぐと光子体(初歩の神様)になるようです。
 この世界の詳細な構造論について)




6次元・光明界


 宗教によっては神界とも言います。
 人格神として、地上で生きていて神と呼ばれるような人ですね。

 なにかの専門的な職業、プロの世界と言っても良いです。

 3次元を物質、4次元を時間、5次元を精神(善悪軸)の要素とすると、この6次元の要素は「創造」だと思われます。

 創造というのは非常に神様の行為に近いと思える能力です。


 おそらく科学的にはこの領域から魂は、ホワイトホールとしての役割(神としての役割)を果たすと言うことなんじゃないでしょうか。

 エネルギーを太陽かどこからか汲み上げて放射するという事ですね、それが創造という行為になるんだと思います。


 創造というのは無から有を作ると言うことです。

 作家とか芸術家、科学者、あるいは哲学者や経営者等、第一線で活躍するいわいる「プロ」が実際には何をやっているのかと言うと「新しいものを作り出している」という事です。

 新しい文物でも、物でも、価値でも、新概念でも、方程式でも、新しい企業でもいいですが、彼らは文字通り「無から有を生じている」わけです。

 まあ具体的な方法論には、過去から学んで新しく編集しているだけだとかいうのもあるのかも知れませんが、全般的に言えばやってることは創造です。


 この下の5次元の人達までは、残念ながら体さえあれば誰でもできる「作業」をしているんだろうと思われます。

 以上を踏まえて、ですからよく光明思想、発展思考にある金儲けとは「創造をしろ」と言ってるんだと思いますね。



 この創造というのはどういう仕組みになっているかと言うと、一言で言えば「念力」です(笑)。

 念力というのは、その人の持ってる霊エネルギーをなにかに集中して凝縮してくると、形になって現れてきます。
 それをさらに続けていくと、物質化してきます。

 プロが地上でやっているのは、実はこの自分の持ってる霊エネルギーの物質化だろうと思います。

 そして、この物質化というのは、相当に霊エネルギーがないとできないことでもあります。

 だから人によっては作れないものでも、ある人によっては作れたりするわけです。

 我々は普通それを「才能」と呼びます。

 だから才能というのはその人が持ってる霊エネルギー、科学だったり芸術だったり政治だったり宗教だったり哲学だったり、エネルギーの種類は様々ですが、そういった特異な霊エネルギーとして持っているところの、魂の霊エネルギーのことなのです。


 この世的な現れ方としては、才能というのはむしろ努力を継続させるためのガソリンのようなものだろうと思います。
 念った形になるまであきらめずに試行錯誤し続けるところのエネルギーですね、それが霊エネルギーだろうと思います。

 まあ、簡単に言うと「やる気」とか「情熱」とかいう事になるんでしょう。


 プラトンの言った「イデア(理念)」とは、そういった意味でア・イデアとして霊のほうからの存在展開ですね、そんな意味を含むと思います。


 実際に霊的なエネルギーが多いと、この世的には作業が持続します、あるいはそれは集中力として現れます。

 とくに霊界でも創造のキーは「集中」にあるらしいです、集中という要素はこの次元には非常に密接だと思います。



 今一つ6次元の要素は「プラグマティズム(実用性)」だそうです、簡単に言うと、どれだけ人の役に立ったか?役に立つ理論を発明したか?役に立つ道具を発明したか?といったような「役に立つ」が判断基準のようです。

 魂的に言えば、要するに「沢山人の役に立った人が帰れる世界」という事ですね。



 地上の世界で有名だったりとか天才だとか言われても、やはり人々を間違った方向に(間単に言えば地獄のほうへ)導いた人は、地獄に行きます。

 構造論的に言えば、5次元の価値基準の段階ではじかれるものと思われます。

 ただ、この6次元には「神理知識」という言わば宗教家や神様としてのプロの価値判断の要素も入ってきます。
 要するに高度なレベルでの善悪の判断を迫られるのでしょう。

 例えばクローンは倫理的にどうなの?とか、時代の先端とかその世界に対する責任とかで、判断する所のものではないでしょうか?

 5次元の要素は言わば生きていた時に会っていた人に対する個人的な範囲での影響の判断ですが、6次元の人はその人の作ったもの(発明や創作、著作や発言、その他人々に与えた影響)に対する後々までの人々の影響にも「責任が生ずる」という事です。

 ですから、この世的に大を成し名声をはくしても、であるからこそ地獄の深い所へ落ちている人は沢山います。

 たとえばマンガ界など見ても、地獄的な内容のものが多いですし、そうであればあるほどビッグタイトルだったりもします。

 文化的には、天を地と見、地を天と見るような作品も多いですが、それは実際には今この世が末法の世だという事です。

 この世的な価値とあの世的な価値は一致しないことが多く、むしろ多くの場合逆転してることが多いです。


 この地上で正しい人であることは本当に難しい(難しいし厳しい)ですし、そもそもこの地上で何がほんとうに正しいか見極める事も、実際には至難だと思います。

 それだけ地上の世界と霊の世界との価値観にはギャップがあります、そんなに甘くないと思いますよ。



 さて、地球の霊界人口は500億くらいだそうでが、その内この6次元の人口は約1億人だそうです。

 ほとんどの人は地獄から上がった後、5次元の住人として過ごすそうです。
 地上では1000人に1人くらいが6次元の人らしいです。

 6次元の人の生活は「研究」だと思います。
 研究の日々ですね。

 ですから、地上に生まれても才能のある人というのは、実は霊界でも日々そのことを追求していた人と言っても良いのです。

 研究がその人の生活の基本ならば、地上でも一心不乱にその道について極めていくのもうなずける話ですね。

 あるいは、霊界で研究した成果を、地上で実現しようという人もいるようです。

 才能のもう一つのありかたとしてア・プリオリに(先天的に)知っている、つまり生まれる前から(生まれた時から)知っている(できるとか悟ってるとか)と言うのもありますが、それはそうした背景によります。



 もう一つ6次元の説明を付け加えるのなら「正命」という事で、時間を無駄にせず一生懸命生きた人、魂を燃焼しきった人、それだけ情熱を持って生きてきた人、と言えるでしょう。
 別に有名にならなくても、そういう生き方をしていれば入れる世界なのかも知れません。



 地上で、例えば日本で死んだ後、神社仏閣に祭られるような人は、6次元でも上段階の「諸天善神」と呼ばれる存在になるようです。
 よく解りませんが「その国の神様」程度の認識でしょうか。



霊界の諸相・天界編・その2

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