ねころぐ renewal 13

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2026年9月23日(水)
神について
 人間はさまざまな想像や空想や妄想をいだく存在であるが、なかでもふと頭に浮かんで不思議に思われるのは、〈神〉という得体の知れない観念である。はっきり何であるという対象性を持たないものが、対象性のないままに、ただ存在しているかのような、異様な印象を受けるのである。ある不合理さであり、それといった根拠の見つからない想念である。このような思考とも想像とも妄想ともつかない奇妙なものが、なぜ人間という生物の頭に浮かぶのであろうか。
 たぶん宗教者はそこに様々な理由づけをするのであろう。それをドグマと称している。形のないものを、何らかの論理、象徴、伝統などによって、形のあるものとして、理由づけをするのである。そうした既成の神観念は、たしかに具体的な姿をとって、想像力や空想や思考に働きかけるであろう。しかし、そうしたドグマや伝統的イメージを一切排除してみれば、神観念というものは、ほぼ空虚に近いのである。空虚に近い観念がふと頭に浮かぶとき、ある不思議の感に打たれる。そのような観念を、人間はなんの必要があって考えるのであろうか。人間の場合、通常の動物には考えられない、なにか特殊な事情が、神観念の発生には潜んでいるのではないか。

 生命体、特に動物が危機的状況におちいるとき、それに対するメカニカルな対応が、生命体の組織には具わっている。たとえば、ミミズは敵に襲われれば、ひたすらのたうつことによって、攻撃をかわそうとするし、野鳥のヒナは、空に翼の影を認めれば、本能的に平たくなる。その防御が功を奏さない場合には、個体はあっさりと捕獲され、滅びる。生命界の基本的防御のメカニズムは、それ以上でも、以下でもない。ほかになんの手段も具わっていないのである。捕らえられた獲物は、命の最後まで抵抗するであろうが、自己自身の能力以外に、なんらの救済手段も持ち合わせないのである。
 例外は、鳥類や哺乳類などの、親が子を護ろうとする行動である。親鳥は敵を巣や雛にちかづけないようにするために、傷ついたふりをしたり、場合によっては反撃する。象やくじらは、幼獣を自らの体で庇護する。幼鳥や幼獣は、いわば親を防御の手段として依存することができる。このように、防御手段を他の個体にまで及ぼすことは、とりわけ群居的、集団的動物において顕著である。親子の関係ばかりでなく、集団全体の防御にまで及ぶのである。
 自己保存を、他の個体あるいは集団の助力に求めるという、この動物の本能的行動は、もちろん種の存続、類の存続と切りはなせないが、基本的には、個体が保存されなければ、類も滅びるのであるから、この庇護の関係は、実質的に、個々の個体が、捕獲者に対して、いかに効率的に自己防御をはかり、いわば他の個体を出し抜いてでも、自己の安全をはかるかという、個体の自然の本能とみなしてよいであろう。
 さて、自己自身の安全をはかるために、他の個体や集団を利用するということが、動物の自然の本能であるならば、この根本的、利己的依存の関係は、動物の心理において、どのような表われ方をするであろうか。個体が危機的状況におちいったとき、まずおのれ自身に具わった防御のメカニズムが、真っ先にはたらくであろうが、それが功を奏さなければ、次に他の個体や集団への依存の行動となるであろう。他の個体や集団を、いわば防御のタテとして用いるのである。これはふだんならば、競争心や支配欲によって不仲である個体や集団に対しても、危機に臨んでは共通の戦線を張ることになるのである(ショーペンハウアーの<ハリネズミの寓話>が、この点を風刺的についている)。この行動は、人間ばかりでなく、たいていの群居的動物において見られよう。
 危機においては、自己自身に無力を感じるとき、他者に頼ろうとする動物の本能的心理は、自己意識の発達した人間においては、さらに微妙な依存心となって表われる。それを社会意識と称しているが、個体間の依存関係が、社会全体の組織となって構造化したものが、人間社会であり、その無意識の段階である、蟻や蜜蜂の社会組織が、意識的段階にまで達したものにほかならない。この他の個体や集団への依存の本能が、社会組織にまで発展し、意識化されると、この相互依存の象徴が必要とされてくる。昆虫のもっぱら本能的社会では〈女王〉に当たるものが、すなわち集団の繁殖の中心であるものが、意識化した人間社会では、国家組織の象徴としての王や皇帝となり、個体や集団を支配する権力の集中がはかられる。
 人間社会でのこの段階において、王や皇帝に先立ち、社会集団を統合する、ある特別な観念が発生する。猿のような動物社会では、集団を統合するのは、繁殖行為とむすびついた〈ボス〉猿であるが、集団が社会意識化された人類においては、その<意識>を統合する必要が生まれる。その意識の中核をなすものは、すでに述べたように、他の個体や集団に対する徹底的<依存心>である。それは単なるボスに対する依存心ではなく、いわば社会的依存心そのものが抽象化された、なにものかの観念である。これを未開民族をはじめ、現代に至るまで、人類は〈神〉と称しているのである。ボスが同時に神となったものが、王であり、皇帝である。

 神とは社会的依存心が抽象化された観念であるとした。もちろん未開社会においては、神は具体的な像の形をとる。トーテムにおける動物像や、アニミズムにおいても石や樹のような自然物が、神とされる。しかし個々の動物や石や樹木が眼目なのではなく、それらに宿るとされる神霊もしくは超自然的なはたらきが、集団を統合する意識となって、それらの個物に象徴されるのである。いざという時に、集団の協同の防御の象徴として、それらの神としての個物が役立つのである。
 神観念が個物を離れて、さらに抽象化され、一神教にいたると、神の姿は曖昧になり、ただそのはたらきのみが強調されるようになる。最終的には、神はその姿においても、その働きにおいても、不可知とされさえするのである。この抽象化の極においても、神観念が社会的統合、集団的さらには個人的依存心の、意識的集約であることには変わりがない。人間が、あるいは人類が、危機的状況に直面するとき、個人はおろか、集団自体でさえ、なんの助けにもならないという意識状態に追い込まれるならば、個人であれ、集団意識であれ、ふと口にしたくなるのが、〈神〉の名である。もはや人類集団でさえあてにならないとき、人類自体を超える依存の対象としての、漠とした救済の願望において、いわば究極の依存心としての、神の名がとなえられるのである。
 その意味では、究極の神とは絶望の果てに生まれる、人間の究極の弱さの表明であるといえよう。神とは〈絶望〉の謂いなのである。生命体は、つねに絶体絶命の危機にさらされる運命のもとに生きている。人間の意識が、そこから窮極的救済の観念として生みだしたものが、神観念でであるといえよう。すなわち、きわめて人間的な観念なのである。神が人間を造ったのではなく、人間が神を造ったのである。村や都市や国家を造ったのと同様に、神を造ったのである。この宇宙が生命を進化させ、人間を造ったのであるならば、文明を作り、神を造ったのが人間である。あるいは、この宇宙が、人間の意識において神を造らせたのである、と言ってよいかもしれない。人間の意識は、生命体として、この宇宙のメカニズムだけでは満足できなかったのである。自らの造った神によって、自らを造らせ、この宇宙そのものをも造らせたのである。その意味では、人間は超越的存在であり、その超越のシンボルとして、神を造り上げたのであると言ってよかろう。